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| | ■ 2001年09月05日(水) 晴 | ■ 富士山レーダー解体 ついに富士山レーダーの解体が始まりました。測候は99年の夏に終わっていたのですが。毎年夏になるたびに富士山に登ろうと思うのですが、なかなか時間が取れないまま夏が終わってしまって今にいたります。晴れた日は麓からも見える富士山レーダーを山頂に登って近くで見るという目標もあっただけに少し登る気力を失ってしまいました。解体した後は富士宮市の博物館に展示されるそうですが、それだとありがたみが薄いですね…。地図に残っている名称はその内に無くなってしまうのでしょうか。横川−軽井沢の路線図が無くなったときもショックだったから、測候所の名前が無くなった時も寂しく感じるんだろうなぁ。 ※画像はカシミール3D・数値地図50mメッシュ(標高)を使用。山梨側の方が個人的には好きなんだけど、今回は富士山レーダー側って事で。
さようなら、ありがとう。富士山レーダー→[URL] 大成建設→[URL]
富士山測候所 ■ 歌舞伎町 連日の歌舞伎町火事関連のニュース。死者が多いと大事件で死者が少ないとそれほど大事件でもない扱われ方はどうかと思うけど、それはさておき、実家に戻った時に東京新聞を読んでいたら歌舞伎町がいつから歌舞伎町になったかが載っていた。元々、歌舞伎座が作られる予定だったのが結局作られなかったが、地名だけ残ったのはあまりにも有名。歌舞伎町の前は角筈という名前だったらしい。角筈区民センターという交差点名を知ってたのでピンと来たんだけど、結構広いんだね。で、親から「この歌舞伎町一番街の所に都電の駅があって角筈という名前だった」と聞いてちょっとびっくり。そう言えば、都内の至る所に都電が走っていたんだっけ。と言うことで、手元にある昭和30年の地図を見てみたら確かに都電が走っている。新宿通りから青梅街道(靖国通り)を抜けて若松町の方へ。そこから大久保通りの方へ、今は大江戸線が通っているその真上の道路になぞって飯田橋の方へ。もちろん、当時の事なんて知らないから凄く新鮮だ。タイムマシンがあったら是非行ってみたい。でも、今の技術力じゃ7日が限度だからなぁ(それは違う)。話を戻して、都電は新宿の方から荻窪まで来ていたのも結構驚き。やっぱ、地図を眺めていると時間を忘れてしまう。しかし、路面電車を廃止した理由が「渋滞するから」で、近年は路面電車を「渋滞するから」という理由で復活される話があるとかないとか。変な話だ。
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