7
リツコはその作業に没頭していた。
彼女は既にそれしか見ていなかった。MAGIの全力は、「やまと」に向けられていた。今のところ、NERVにはする事がない。だからそれでも構わないと、彼女は考えていた。
彼女の敵手は、相手が赤木リツコである事を知らなかったが、相手がそういう行動に出る事を予測していた。そして、それに対応した手を打とうと考えていた。
「ばれない嘘のつき方って、知ってる?」
手はキーを叩き、視線はじっとモニターに注がれている。そのまま、笠置はそう言った。オペレータは首を振る。
「いいえ、自分は嘘が苦手なんです。それで、こないだも失敗しました」
「そう。どんな嘘をつこうとしたの?」
「はあ・・・まあ、そういう事で」
「ふうん、まあいいわ。じゃ、覚えておきなさい。嘘というのは、相手が望んでいるものであればあまりばれないのよ。それなりのリアリティがあれば、だけどね」
「はあ」
「自分にとって不都合なものは、意識ができるだけ受け付けないで済むように何重にもチェックを掛けるものよ。でも、都合のいいものに関しては、どうしてもチェックが甘くなる。たとえ訓練を受けた人間でもそうだし、頭のいい人には特にその傾向が強い」
オペレータは首をかしげ、そして頷いた。
「つまり、一佐殿はそうやって罠を掛けようと」
「あまり人聞きは良くないけどね」
笠置は眼鏡の奧で人の悪い笑みを閃かせた。
「でも、戦争での策略なんて、一番タチの悪いペテンなのよ」
「じゃあ・・・」
「あたしは軍師にはなれても大将にはなれない。策士ではあっても将帥じゃない。ペテン師はリーダーにはなれないからね。でもこういう仕事には、ペテン師の方が向いてるのよ」
リツコの立てた作戦は、攻勢防壁という特性を逆手に取ったものだった。
「これのタチの悪いのは、こちらが隙を見せるとそこに食い付いてくるところなのよ。攻撃にかまけていると、あっという間にこちらがズタズタにされてしまう」
言いながらキーを叩き、画面からは視線を外さない。
「つまり、あれね。え−と・・・」
顎に人差し指を当てて、ミサトが首を傾げる。しかしリツコは気にもしない。
「だから・・・」
「そうだ、えっと、魏を囲んで趙を救う、ね」
「は?」
「結局そういう事でしょ?直接防御するんじゃなくて、相手にとってより大切な部分を攻撃することによって攻撃そのものをやめさせる」
「まあ、そうだけど・・・一体何の文句?ぎをかこんで・・・何?」
「魏を囲んで趙を救う。十八史略よ」
「十八史略・・・変なもの読むのね。そんな趣味があったの?」
「勉強しなきゃ、と思ってね」
「あなたらしいわね」
「そう?」
ミサトは誉められたと思ったらしい。リツコは一つ息をついた。
・・・小説から入る所がらしいって言ったのよ・・・。
「計略なら、こんなのもあるわよ」
知識を示したくて仕方がないらしい。はいはい、リツコはそう返事しながら既に聞き流しモードに入っている。
「なによ、その気のない返事は」
「はいはい、聞いてるわよ」
「教えてあげないわよ」
「聞いてるって」
「まあいいわ・・・偽撃転殺の計って言うんだけどね」
「ぎげき・・・てんさつ?」
「そう。城攻めの時の計略でね、本命の攻撃目標とは別の目標をまず叩いて、敵の注意がそちらを向いた所ですかさず本命を落とすって奴」
「・・・」
あなどれない。リツコは思った。
丁度彼女が組んでいたプランがそれだった。
まず、攻撃目標Aを本命とする。これは後に回し、次善のBを叩く。
敵はBを守ろうとし、同時にこちらの攻勢によってできた隙を叩こうとするだろう。しかし、その隙もこちらが設定しておく。
敵は偽りの防御目標Bと偽の隙に手が向く。そこですかさず本命Aを叩く。同時に、敵の攻勢も捉えて殲滅する。
つまり、ミサトの言った作戦を裏返しにしたものをもう一セット組み合わせた、二重の計略だ。
「参考になったわ。ありがと」
「そう、なら良かった」
「結果はもうすぐ出るわ。見ててちょうだい」
リツコは一つ息をつくと、リターンキーを叩いた。
「敵はきっと、手の込んだトリックを用意してくるでしょうね」
笠置は三本目の缶コーヒーに手をつけている。
「どんなトリックでしょうか」
「さあ?先に分かったら苦労はしないわよ」
モニターの様子が変わる。彼女は少し眉をひそめた。
「来ましたね・・・いけない、これは結構大がかりだ」
「しっ」
オペレータを黙らせる。モニターに表示される状況を睨み、こちらからも情報を求める。その回答とを見比べると、笠置は残りのコーヒーを一気に喉に流し込んだ。
「・・・妙ね」
「妙・・・ですか」
「ええ」
「しかし・・・これはよく考えられた全面攻勢だと思います。正攻法だけに、防壁の手が回らなくなると対処できなくなります」
「そうね、そうなんだけど」
「え?」
「芸が無さ過ぎる・・・このやり方はエレガントじゃないわね」
「エレガント・・・ですか?」
「ええ」
笠置は平然と頷いた。
「物量に任せて正面から殴り掛かるのは、有効な手だけどエレガントじゃないわ。NERVのコンピュータを預かるほどの技術者なら相応のプライドとポリシーがあって当然だし、だったらこんな芸のない攻勢は取らないような気がする」
「・・・はあ」
「だとすれば・・・だとすれば・・・」
笠置は思考を巡らせる。
「この技術者の腕が、実は大したものじゃないのか。あるいはプライドやポリシーとは無縁の、任務に忠実な人なのか。そして・・・これが罠なのか」
「・・・一番我々にとって望ましいのは、最初の仮定ですね」
呟くように、オペレータが口にした。
「面倒なのは二番目、そして三番目ですか」
「二番目はあまり無さそうね」
「そうですか」
「うん。NERVのオペレータが、それではあまりに軽率じゃない。相手の力の程も分からないのに、平押しで押し切れると勝手に判断するのは考えが浅すぎる」
「自信、じゃないですか?連中相当自信を持ってるらしいですし、コンピュータの能力には」
「MAGI、だっけ。有機コンピュータ」
「はい。人格移植OSを実装しているそうです」
「赤木博士の論文は学生時代に読んだことがあるわ。フラクタル回路による情動人格のシミュレートに関する問題点と対策・・・だとか何とか。基礎設計はあの人だったはずよ、人格移植OSに関しては権威だったから」
「あ、それは自分も見たことがあります。・・・実は、自分は赤木博士に会った事があるんです。亡くなった赤木博士じゃなくて、今NERVにいる娘の方ですけど」
「へえ」
笠置は、改めてオペレータを眺めた。銀縁眼鏡を掛けた、少し気の弱そうな特徴の無い男だ。
「防衛技研に何かの用で来た時です。二言三言、話しただけですけど」
「どんな人だった?」
「ええ・・・一佐殿よりは若かったです」
「当たり前よ」
「それで・・・ええ、綺麗な人でしたね。もちろん頭のいい人でした。相当気の強そうな、自信家のような」
「まあ、そうでしょう」
そこまで言って、笠置は手を止めた。少し考え込んでいる。
「・・・やはりこれは罠ね」
「罠・・・ですか」
「ええ」
眼鏡のずれをなおす。視線を忙しく動かしながら、笠置は続けた。自分で考えながら話している、そういう風情だった。
「チーフの赤木博士がそれほどの人で、そしてMAGIの事は知り尽くしている・・・当然、この攻撃も彼女が指揮しているはず。だとすれば・・・MAGIに絶対の自信を持っているとしても、芸のない正面攻撃などはしない。手間取ればこちらに力を測られるし、だいたいもっと優雅に事を運ぼうとするでしょう。もっと合理的に、少ない労力で最大の効果を上げられるように・・・つまりエレガントに、ね」
「そうですね。筋は通っています」
「だとすれば・・・これは罠。罠は罠でも・・・」
モニターを睨む。
「そうか。牽制か」
ふふっ、と彼女は笑った。
「何のことはない、昔あたしが良く使った手じゃないの」
「牽制、ですか」
「ええ。この攻撃は牽制、カモフラージュよ。あたしたちの注意を逸らしておくための、ね。そういう視点で、状況を考えてみて」
「は、はい」
「落ち着いて。ただの戦闘だと思えばいいのよ」
「・・・」
オペレータは眼鏡を取り、額の汗を拭いた。
「指揮実習は苦手だったんですよ、自分は」
「それでも一尉の階級章は背負ってるんでしょう」
「自分は院卒なんですよ」
大学院を卒業して一般幹部候補生になった場合、最初から二尉に任官される。彼はそうして自衛官になった人物らしい。
二度三度と汗を拭くと、彼は自信なさげに笠置の顔を見上げた。
「つまり・・・本当に叩きたい場所は別にあって、こっちが牽制に乗ったらすかさずそっちを衝こうとしている、という事ですか」
「そんなとこね」
頷くと、笠置は無造作に髪を掻き上げた。
「いい手だけど、ね。万能ではない」
「そうですか」
「敵がこういう手を使う場合、内線作戦の利点が生きてくるわ。モルトケが外線作戦の優位を証明したと言われてるのは、彼が集中の原則と正攻法を貫いたからであって、今回みたいな牽制トリックを防御する場合はその限りではない」
呟くと、彼女は手早くコンソールを操作した。
「1815年のワーテルローがどういう戦いだったか・・・あたしがウェリントン程に有能ではないにしても、相手がボナパルトほどの天才である確率の方がまだ低い」
「はあ」
「そんな手に乗ってたまるもんですか」
彼女には、状況がはっきり見通せていた。
彼女はモン=サン=ジャンの丘の上から敵陣を睨むウェリントン公だった。
リツコは自分をナポレオンに擬している訳ではなかったが、結果としてその戦術は皇帝流になっていた。役回り的には軍師という立場のミサトにも、悲しいかなそれは分かっていない。
分かっているのは、相手が守勢に回っていること、そしてこちらの手に乗ってくる気配がない事だった。
「特性を殺す気なのかしら」
攻撃を監視しつつ、リツコは呟く。
「防御に徹している。攻勢防壁が攻勢防壁である意味が、これでは無い」
「こちらの防御で手一杯なんじゃないの?」
「・・・そうかも知れないし・・・」
その時、日向が叫びを上げた。
「陸自に動きがあります・・・これは!」
「えっ?」
ミサトが慌てて顔を上げる。
彼女たちの電子の戦争とは別に、本物の戦闘は続いていたのだ。
モニタースクリーンには、空を覆うパラシュートと輸送ヘリの群れが映し出されている。
「・・・凄い・・・」
「第1空挺師団・・・」
ミサトといえども、見るのは初めてだった。毎年訓練始めで一般に公開する空挺降下演習とはスケールが違う、本物の空挺機動師団の全面降下。
「勝負に出る気なのね・・・」
位置を確認する。第5師団の右翼、敵の側面だった。
妙高一尉は砲塔ハッチを開け、それを見上げていた。
「凄いなぁ・・・」
「1空師の全面降下なんて、はじめて見ましたよ」
第5師団は、敵と第三東京市を結ぶ直線上に位置していた。つまり、敵の攻勢正面にあってそれを受け止めている訳だ。
その右翼に、第1空挺師団は降下を開始していた。地上攻撃ヘリや空自の支援戦闘機、さらにはNERVの重攻撃機まで動員した対地制圧で敵を沈黙させ、そこへ強襲降下しているのだ。
敵、小型の使徒の群れは戸惑っているようだった。
妙高だけでなく、戦っている自衛隊の将兵たちそれぞれは、既に彼らが何らかの意志の下に統一された動きをしているらしい事に気付いていた。ただ昆虫の群れのように前進してくるだけでなく、戦術機動らしきものを行っている、と。その証拠に、妙高の大隊の第4中隊などは、突出した所を巧みに包囲されて大損害を出している。
その敵が、戸惑っている。
少なくとも妙高はそう思った。新手の出現の真意を測っている、そう思えた。
頭の中の作戦図を広げてみる。親父、何をやるつもりだ?
・・・防御兵力の増強のために1空師を使うとは思えない、あれは機動予備のはずだ。だいたい、防御の為に使うなら、危険な敵前降下などはやらない。あれは、ここに降ろす必要があるからやっているんだ。では、何故ここなんだ?
「グリフィスよりガッツ」
ヘッドフォンからの声が彼の意識を引き戻す。
「ガッツよりグリフィス、感度良好」
「グリフィスよりガッツ、待たせてすまん、出番だ。我が大隊は1空師に呼応して前進し、攻撃を再興する。送レ」
おっと、そう来たか。
「ガッツよりグリフィス、了解した。大隊による全面攻勢と解釈して良いか?送レ」
「グリフィスよりガッツ、そうじゃない」
声に笑い声が混じる。
「これは師団レベルでの攻勢だ。親父さんはケリを付けるつもりらしいぞ。送レ」
「ガッツよりグリフィス、了解した」
「グリフィスよりガッツ、存分に暴れてくれ。終ワリ」
通信が切れる。
そうか。そういう事か。押し返すってのか。
やってやろうじゃないか。
続いて、特科連隊や支援航空隊との連絡が続く。一通り終わると、妙高は通信を中隊系に切り替え、各小隊長を呼び出した。
「中隊長より各小隊長へ。コードTを発動する、抜かるなよ」
コードTというのは、予め策定されてある作戦行動の一つだ。この場合、各小隊が連動しての突撃を意味する。
即座に小隊長達から了解の返信が入る。妙高の中隊は、いまだにその戦力をほぼ維持していた。驚くべき事と言えるだろう。
砲塔ハッチを閉める前、一瞬だけ彼は空を見上げた。
甲高いターボファンの轟音と共に、空自の支援戦闘機が3機編隊で航過していく。ハードポイントには目一杯爆弾とロケット弾を抱いている。露払いをしてくれるらしい。
ああ、やってやるぜ。見てろよ。
ニヤリと笑うと、ハッチを閉じる。
あまり知られていないが、軍事関係者の間では、陸上自衛隊第1空挺師団は世界最強の空中機動兵力の一つと評価されている。
待機状態から6時間で、日本全国どこへでも展開できる師団単位の戦力。これを目標に編成されたこの師団は、例の「PKO騒動」以後の「人的国際平和貢献」への要求と陸自の慢性的な兵力不足の産物だった。考え方としては、合衆国の即応展開軍の小型版と言えば近いかも知れない。第1教導師団とは違った意味で、陸自の精鋭部隊だ。
普通科連隊や特科連隊はともかく、戦車を空輸するのは難しい(できなくは無いのだが、それには大型の輸送機とそれを運用できる大規模な基地が必要になってしまう)ので、第1空挺師団には戦車連隊が存在しない。替わりに、「機動連隊」と呼ばれる特別編成の連隊が付属している。これは武装高機動車両、つまりATMやAAM、機関砲などで武装した装甲車やバギーなどを装備した部隊で、短期間の阻止戦闘や側面展開しての機動防御になら十分対応できると考えられている。一部には「多脚歩行式戦闘車両」が開発されているという噂もあるが、その真偽ははっきりしない。
とにかく、今までその実力を発揮する事の無かった第1空挺師団はついにそのベールを脱ぎ、第5師団の右翼に展開した。即応性が売りだけあって、その手際の良さは陸自関係者、そして1空師の司令部自身まで驚くほどのものだった。まさか戦闘状態でこれほどうまく展開できるとは自分たちでも思っていなかったらしい。
それを可能にしたのは、空自と海自の航空部隊の強力な支援、そして1空師自身が保有する支援航空隊の力が大きかった。多数の対地攻撃ヘリ、そしてVTOL重攻撃機が、執拗な対地支援を行ったのだった。ちなみにNERVの重攻撃機は、1空師に配備されている川崎VS-1A支援攻撃機をNERV向けに改造したものだ。
「1空師の展開はほぼ終了、前線は交戦に入っています」
「うむ」
野戦指揮車内の妙高陸将は短く頷いた。じっと凝視する視線の先には小型のモニターがあり、そこには前線の部隊配置図が表示されている。ちょうど、第5師団と第1空挺師団の戦域が交錯するあたりが拡大されていた。
そこに、第5師団第4戦車連隊第7戦車大隊のシンボルマークを見つけた彼は口元を歪める。テツヤの奴は、まだ生きているか・・・。
「大丈夫なんでしょうか」
背後からモニターを覗き込んでいる笠置カスミが首を傾げた。
「7戦はずっと前衛にいるようですが」
「5師の主力だ。当然だろう」
「負担が掛かりすぎているのでは・・・」
「それはどこも同じだ。余計な心配はしなくていい」
今までになく、厳しい声。笠置ははっとして、そして頭を下げた。
「申し訳ありません、出過ぎた事を」
「・・・いや、いい。ただ、状況中はそのことは忘れるようにしているのでな」
「はい」
指揮車が大きく揺れる。
第1教導師団の前進は続いていた。展開はおおむねうまくいっている。前衛の第1戦車教導大隊は既に予定戦域に到達しつつある。妙高の描いた構想は、最終局面を迎えつつあった。
「海自さんの動きは」
「はい」
姉がNERVのハッキングと戦っている事など知らない笠置は、先ほど確認したクリップボードに一瞬だけ視線を落とす。
「先ほど一時中断していた「やまと」の艦砲射撃が再開されています。その他は前動続行、変化ありません」
「あとは敵がどう動くか、だな」
笠置一佐の見たところ、戦局は五分五分といったところだった。と言っても、それは彼女が采配を振っている電子の戦争での話だった。現実の戦況は、どうやらこちらに有利に運んでいるようだった。先ほどCICから連絡が来ている。
攻性防壁「薔薇の騎士」は完全に守勢に回り、敵の攻撃を防ぎつづけていた。笠置の判断では当面この防御を破られる恐れは無いのだが、かといって防いでいるだけでは状況が好転するとも思えない。
思い切った手を打つ必要がある。無傷のまま勝とうなんて、甘い事は言っていられないか。
「・・・やるしか無いわね」
じっとモニターを睨んで思案していた笠置は、ややあって一つ頷いた。
「主砲射撃系を除く外部区画を破棄します」
「えっ」
オペレータは息を呑んだ。
「では・・・侵入を許すんですか」
「いらない所を切り捨てるだけよ。射撃系だけ残せば、主砲は撃てる」
「しかし・・・」
「前もって警告はしておく、これは大前提よ。それに、CC(中央電算室)が部分フェイルした位で動けなくなるようなフネは、戦闘艦とは言えない」
「では、敵を釣り込む気なんですね」
「そう。さっき言ったでしょう?」
笠置は CICへの具申をタイプしながら、薄く笑う。
「自分にとって都合のいい嘘ってのは、見破りにくいものなのよ・・・」
リターンキーを叩く。さて、司令はこれを呑んでくれるかしら?
「それで一尉、具申が通ったらあと一つ、手を打っておくわよ」
笠置からの具申は鳥海の理解を超えていた。彼とて海自きってのアドミラルとされるほどの男なのだが、当然全知全能ではない。ことコンピュータ絡みの話になると、てんで疎い事は自分でもよく分かっている。
「艦長、こう言ってきているんだが」
彼は大淀艦長に具申書を見せた。大淀も、当惑したような表情を見せた。
「主砲射撃系以外のシステムを破棄する・・・つまり・・・」
「簡単に言うと、後は手でやれと言うことか」
「そういう事でしょう」
大淀は首を傾げた。
「まあ、出来ない事はないはずです。そうだな、副長?」
「は、機関系は補助システムに切り替えれば独立して制御できますし、今は主砲しか使っていませんから主砲系以外の火器管制システムもいらんでしょう。防御システムもオミットして差し支え無さそうですし・・・ああ」
「どうした?」
「当然、CICは使えなくなります。艦橋に戻って指揮するしか無いでしょうな」
「なるほど」
大淀は肩をすくめた。
「ま、それもいいか。ここは暗くて狭いからな」
「では、やらせても構わんな」
「ええ。大丈夫でしょう。しかし幕僚長も思い切った事をしますな。これで撃退に失敗したら、えらいことでしょうに」
「まあ成算があるんだろうさ。肉を斬らせて何とやら、なんだそうだ」
鳥海は頷くと、許可する旨笠置にメッセージを送った。コンピュータに疎いとは言っても、この位のことは出来る。
「それでは、艦橋に移ろうか。海が見えた方が我々にはふさわしかろう」
「これは・・・」
リツコはモニターを凝視する視線を細めた。
敵の防御ラインが下がり始めていた。見たところ、一部の区画だけを残して防御の手を中枢部に集めたようだった。
「どういう事だと思う?」
ミサトにも理解できるように状況を説明する。彼女は腕組みしたまま、頬に指を当てた。考え込む時の、彼女の癖だ。
「・・・防御線の縮小と再構築、だと思うわ」
「つまり?」
「つまり、防御に使える戦力に比べて、守らねばならないものが多すぎると考えたんだと思う。それで、優先順位の低いものを切り捨てて、どうしても守らねばならないものに戦力を振り向けた・・・そんな所じゃないかしら」
「そう・・・うん、そうね」
確かにこちらは攻勢を続けていた。敵は攻撃に回すはずの力まで回して防御に徹していた。それでもこの動きを取るという事は・・・もはや支えきれなくなった、そう判断したという事か。
それなら、こちらはどういう手を打つか。
「追撃ね。これしか無いわ」
聞かれもしないうちに、ミサトはきっぱりと断言した。
「敵が態勢を整えてしまわないうちに、先に踏み込んでしまうべきよ」
「それは急ぎ過ぎじゃないの?当然、向こうも備えているはずだし」
「無茶な追っかけをしろとは言って無いわ。敵が放棄したセクションを手早く確保し、こちらの態勢を整える。もちろん、敵の抵抗に備えるのは大前提よ。その上で敵に隙があれば更に攻撃すればいい。敵が態勢を整えるのを待ってやる必要は無いってこと」
ミサトの言葉は理にかなっている、リツコはそう判断した。それなら、手をやすめるべきではない。前へ進むべきだ。
「兵は拙速を尊び、巧遅を忌む。そう言うしね」
「分かってるじゃない」
「ええ」
リツコは頷くと、傍らの伊吹マヤに指示を下した。
「マヤ、聞いての通りよ。前に出るわ、慎重にね」
「はい」
敵が放棄したセクションは全体の4割に達している、MAGIはそう報告していた。
「・・・掛かった!」
その瞬間、笠置は勢い良く机を叩くとそう歓喜の声をあげた。
慎重にではあるものの、敵の前衛は浸食を開始している。
「動きが重いですね。疑っているんでしょうか」
「こっちのカウンターアタックを警戒しているだけよ。どのみち、そんな事をする気は無いけどね」
「では・・・」
「丘を登り始めた大陸軍を、ウェリントンは遮り続け・・・そしてどうなったか。教えてあげるわよ」
彼女はそう言うと、一連のコマンドを打ち込んだ。それは、先ほどから彼女が組み続けていた一つのシステムを目覚めさせるものだった。
「対話演算型コンピュータには、こういう使い方だってあるのよ・・・ちょっと反則だけどね」
続けて画面に表示された情報は、オペレータを驚愕させた。
「こ、これは・・・つまり・・・」
「対話演算をやめてしまえばいいって事よ。いらない領域を切り捨てたから、当面は二台リンクで何とかなる・・・じゃ、あとの一台は攻撃に使えるでしょ?」
表示は、三台リンクされて対話作動していたセントラルコンピュータ「Wenli」のリンクが一部解除され、対話を続ける二台と独立作動する一台に分割されたことを示している。
「それでは・・・外郭から手を引いたのは、敵を釣り込むだけではなくて・・・」
「手持ちの機動戦力を増やしたかった、そういうことね。あと5分間、敵が騙されてくれれば・・・こちらの勝ちよ」
大学院を出て、国連に就職し損なって自衛官になったオペレータは知らなかったが、笠置が行おうとしていたのはナポレオン最後の戦いであるワーテルロー会戦の再現だった。現実世界の戦闘を指揮する妙高陸将が皇帝演出による最高の戦争芸術であるアウステルリッツを再現しようとしていたのに対し、笠置は皇帝の敗戦を再現しようとしたのは一種の皮肉なのだが、その事まではお互い知る由も無いことだ。
「さて、後はどこまで殴りかかってくれるか・・・」
こちらの意図にはまって貰う為には、当然多少の犠牲を払う必要はあるだろう。
「後はタイミング勝負だわね・・・これはお互いに言える事だけど。一尉、覚えておくことね」
「はあ」
「最大の危機は勝利の瞬間にある。ナポレオン=ボナパルト」
そして勝利は最大の危機の中にある。笠置ミユキ。
「やるもんね」
ミサトにも、表示の意味がある程度理解できるようになっていた。
海自戦艦側は、ただで領域を明け渡した訳ではなかった。それぞれのセクタに伏兵、つまり偽装された迎撃プログラムを配置し、不用意に接近する攻撃者を捕食するように仕掛けている。
「退却戦の定石とはいえ・・・」
「予想はしていたけど、ここまでとはね。手際がいいのか、元々仕込んであるのか」
「どうしましょう。こちらの処理能力に余裕が少なくなっています。攻撃続行には・・・」
とマヤ。リツコは少し眉をひそめた。
・・・敵本体の抵抗は若干弱くなっている。やはり疲弊していると見るべきだろう。ここは一気に叩けば、防御を踏み破る事も可能だ。この状況で、敵に攻撃に回す余力があるとも思えない。
「いいわ。今は攻撃を続けるべきね」
「分かりました」
手早い操作が続く。笠置が待っていたのはこの瞬間である事など、彼女たちは全く知らなかった。
「よし、掛かった!後は・・・」
「あと3分です」
「うん。3分持ちこたえて、そして敵が騙されてくれれば・・・」
攻撃は続いている。敵はじりじりと後退している。放棄セクタにばらまれていた迎撃プログラムもあらかた破壊されている。勝負は決まったように見えた。
しかし、リツコは自分の胸の中で渦巻く疑惑が徐々に大きくなるのを抑えることができずにいた。どうもおかしい、何か騙されているのではないか、そんな気がしていた。
「・・・マヤ。敵防壁の演算処理予測、概要でもいいから出せる?」
「は、はい」
怪訝な表情のマヤからデータを受け取ったリツコは、さっとその数値に目を通した。
・・・ハッキング開始時点の約三分の二。綺麗に三分の二・・・。
続いて、ログの数値を追う。
・・・数値が三分の二に低下したのは一体いつ?敵がセクタの四割を放棄した前か、後か・・・。
ほぼ同時。数値はそう示していた。彼女の表情が見る間に凍りつく。
・・・タイミングが出来過ぎている。やはり、これは!
「マヤ、攻撃を中止しなさい。態勢を立て直すのよ!」
「え?」
「これはペテンよ、間違い無い!」
「処理終了、いけます!」
・・・間に合ったか!
笠置は大きく頷くと、勢い良くコンソールを叩いた。
「よし、攻性発動!」
敬愛する先輩の指示を実行に移そうとしたマヤは、次の瞬間モニター上に映し出された状況に愕然とした。小さな悲鳴を上げ、息を呑む。
「こ、これは・・・!」
「どうしたの・・・って、まさか!」
ディスプレイが示していたのは、新たな敵の出現だった。攻撃に能力を傾けたMAGIの隙を衝くように、それは忽然と姿を現したのだった。
「どういう事?」
「分かりません、現在解析中・・・出ました。これは・・・そんな!」
「見せなさい」
うろたえるマヤを押しのけるように、リツコは身を乗り出した。モニター上には、回線状況とMAGIの下した推論が表示されていた。
やはり、リツコが思ったとおりだった。
新しい敵ではない。リンクしている回線が増えたわけではない。しかし新手。
「あの艦のセントラルコンピュータも、三台リンクの対話演算型だった。そのリンクをはずして、一台を攻撃準備に専念させていた・・・防御は二台だけでやりながら」
要は「死んだふり」をしていたのだ。そしてこちらを誘い込み、頃合を測って逆襲に転じた。
「先輩、攻撃を停止しましょう。防備を固めないと、こちらが・・・」
「駄目、下手に引くとつけ込まれるわ」
「でも!」
「・・・分断されたって事ね」
静かに、ミサトが呟く。何とも言えない、不快とも自嘲ともつかない表情をしている。
「敵中深く踏み込みすぎた。その上で本体を衝かれるとは・・・進むもままならず、守るのも難しい・・・こんな事も見抜けなかったとは・・・」
所詮、にわか仕込みの戦術指揮官という訳か、あたしは。
「リツコ・・・」
「黙って」
リツコはリツコで、MAGIと対話を続けている。
・・・現状でから推論すると、状況はどう推移するか。
MAGIからの回答はすぐに出た。彼女も先に考えていたらしい。
「MAGIシステムの致命的損失確率20%、部分的損失52%、攻撃撃退13%、目標の部分的達成8%、完全達成7%、か・・・」
「つまり・・・」
「このままではまず負けるって事ね」
「極めて不利だって事は、あたしにも分かるわよ」
「じゃあ・・・」
・・・Bダナン型防壁、あれは切り札だ。こんな局面では使うべきではない。では・・・。
「仕方がないわ。リンクを解除、回線を焼き捨てましょう」
「・・・先輩!」
「残念だけど、負けよ。司令、よろしいですね」
一度だけ、司令席を見上げる。ややあって、ゲンドウの声が降ってきた。
「やむを得ない。現時刻をもって自衛隊とのリンク回線を切断、作戦を中止」
「はい」
リツコは唇を噛んだ。負けたのだ、またしても。そして、今度はMAGIが。
リンク切断、その表示が出た瞬間、笠置は呻きのような声をもらした。
「やりましたね、撃退です」
オペレータの笑顔にも、笠置は複雑な表情を返しただけだった。
「まあね・・・でも、あっちの判断も大したものよ。いい引き際してる」
「そうですね」
「あと10分あれば、NERVの全システムを破壊してやれたのに・・・」
まあこれは繰言だ。先制されて負けなかったことで、よしとするか。
「ま、いいわ。こっちの復旧を急がないと。一尉、破棄したセクションの復旧見積を出してみて、出来るわよね?」
「は、はい」
慌ただしく作業に掛かる彼を眺めると、笠置は電算室の天井を仰いだ。
・・・これでこちらの優位が証明できたとは思ってないけどね、大山博士。でも、この艦は守ったわよ・・・。
ともあれ、一つの戦いは終わったわけだ。しかし・・・。
「こちらの被害はほとんどありません」
マヤの報告も、リツコにとっては何の慰めにもならなかった。これで二度目だ・・・「リリア」のペテンに掛けられたのは。しかも、今度はMAGIを以ってして。
彼女と彼女の母の作品が、大山の作品に劣っているとは思わない。
ただし、互角ではあるのだろうが。だとすれば、負けたのは自分の能力のせいなのか・・・。
苛立たしげに髪に手をやったところで、「天の声」が降ってきた。
「エヴァ弐号機の状況は」
あまりに唐突な声にさすがのリツコも一瞬戸惑ったが、即座にデータを読み取ると司令席を振り仰いだ。
「現在のシンクロ率は起動レベルの97パーセント。あと少しで、何とか起動までもっていけます」
「よろしい。起動可能になり次第、弐号機を出撃させろ。使徒の本体を確保する」
「・・・はい」
今更エヴァを出してどうなるのだろう、彼女は一瞬そう思った。もちろんそれは表には出さなかったが。
歴史をよくご存じない方のための補足はこちら
管理人(以外)のコメント
アスカ 「リツコってやっぱりへぼねぇ」
ケンスケ「そう言うなよ。ああいった電子の世界での戦闘だって、結局は現実世界の戦争と何らかわらないんだからさ」
アスカ 「戦場がバーチャルで、補給がいらないだけが違いってこと?」
ケンスケ「補給って言う意味では、戦いに使用するコンピュータの定期的な電力や使用スペースの管理なんかが必要だね。戦場はバーチャルだけど、そこはそれ、リツコさんのように回線を焼き切っちゃえば到達経路は遮断される。兵力って言う意味では演算能力になるだろうし、結局は目に見えないだけでやっぱり現実の戦闘と代わらないんだよ」
アスカ 「だとしたらやっぱりリツコは無能なんじゃない。その戦闘にこうも見事に切り替えされるなんて」
ケンスケ「いや、並みの人間だったらあそこで術中にはまっているね。だから、相手が悪かったとしか、言いようがない。なにしろリツコさんは軍人じゃないんだし」
アスカ 「そっか。まあ、リツコは研究者だからしかたないとしても・・・・よ」
ケンスケ「ん?」
アスカ 「なによあのミサトの無能ぶりは! 仮にも作戦部長なんてえっらそーな肩書きぶら下げてるんだったら、もうちょっとましな判断くらいしなさいよね! 現実の戦闘は陸自にまかせて、電子の戦闘ではけちょんけちょんに負けたリツコの考えすら感覚でしか分からないなんて! こういう相手だったら、リツコも楽だったんでしょうけどね」
ケンスケ「・・・・じゃあ、そういう惣流はどうなんだよ」
アスカ 「ノープロブレムよ! かりにもこの天才少女が、まけるわけがない!」
ケンスケ「天才少女・・・・自分で言っていて恥ずかしくないか?」
アスカ 「なんなら、勝負してあげてもよくてよ(にや)。負けたら一生アタシの奴隷だけど」
ケンスケ「ちょっとまった! そこでどうしてエヴァ弐号機が背後で動く! そもそも僕がエヴァを持っていないし、それは単なる肉弾戦! こっちはこっちでれっきとした戦略戦術を競うんだって!」
アスカ 「むーっ じゃあどうしようっていうのよ! MAGIつかってハイパー大戦略なんて組んだ日には、リツコから目から火が出るほどぶん殴られるわよ」
ケンスケ「問題ない。こういうときのために、とっておきの物があるごそごそ」
アスカ 「・・・・?」
ケンスケ「これだぁっ!!」
アスカ 「・・・・・・・・・・レッドサン・ブラッククロス・・・・・・汗」
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