6
「グリフィスよりガッツ、グリフィスよりガッツ」
一回目は発砲の轟音で聞こえず、二度目になって妙高テツヤはようやく大隊本部からの呼び出しに気が付いた。慌てて回線を大隊系に切り替える。
「ガッツよりグリフィス、どうした。送レ」
「グリフィスよりガッツ、直ちに斬り込み隊をまとめて後退。戦線を再構築する。送レ」
この状況で下がれってのか。妙高はペリスコープから前方を見やった。言うまでもなく、敵が群れている。何とか支えている、と言った状況だ。
「ガッツよりグリフィス、無理だ。下手に下がればつけ込まれる。送レ」
返事は即座に戻ってきた。
「グリフィスよりガッツ、手は打つ。ピピンとジュドーが貴隊を支援する。何とかしてくれ、そうしないと貴隊は取り残されるぞ。送レ」
ピピンってのは戦線後方にいる特科連隊だ。ジュドーは・・・ええと・・・そうだ、対戦車ヘリ中隊だったな。まったく、何だってこんな面倒なコールサインを使うんだろう。大隊長が考えたらしいが、奴さん小説か映画からでも拾ってきたんだろうな。
第3中隊のコールは・・・よし。
「ガッツよりグリフィス、キャスカはどうするんだ。送レ」
「グリフィスよりガッツ、キャスカはリッケルトとコルカスが支援する。送レ」
って事は、大隊自体、いや師団自体が後退する気なのだろうか。一体どういう・・・いや、それは俺の考える事じゃない。中隊長の俺が心配する事じゃない。
「ガッツよりグリフィス、諒解した。第二警戒線まで後退すればいいんだな。送レ」
「グリフィスよりガッツ、その通りだ。うまくやってくれ。終ワリ」
妙高は数秒思案した後、すぐ隣で防御線を張っている第5師団第7戦車大隊第3中隊長を呼んだ。コールサインはキャスカ。
「ガッツよりキャスカ」
「キャスカよりガッツ、後退の話か?送レ」
第3中隊長、大鷹リョウコ一尉の、やや高いトーンの声が返ってくる。砲撃の残響のせいか、声が聞き取りにくい。
「ガッツよりキャスカ、そうだ。一斉に引かないとまずい。送レ」
「キャスカよりガッツ、でも支援と同時に引かなければつけ込まれるんじゃないか?送レ」
「ガッツよりキャスカ、そこは後ろを信用するしかない。送レ」
「キャスカよりガッツ、諒解した。遅れるなよ、遅れたら置いていくからね。終ワリ」
通信が終わると同時に、衝撃が来た。砲塔に何かが当たったらしい。
「被弾か」
「違います・・・3号車です。3号車が殺られました」
「・・・畜生」
撃破され、吹き飛んだ3号車の破片の一部が砲塔を直撃したのだろう。ペリスコープから周囲を見回すと、砲塔を失った3号車の近くに、二人の戦車兵が倒れていた。死んでいるかと思うと、すぐにその二人は立ち上がってこちらに駆けはじめた。奇跡的に無事らしい。
妙高は即座に操縦手に向けて怒鳴った。
「おい、見えるか」
「見えてますよ。3号車でしょう」
「生存者がいる。救出するぞ」
「そんな・・・無茶です、こっちまで殺られます」
「見捨てる訳にはいかんだろう。近くまで寄せろ」
「・・・諒解」
ドライバーは観念するように首を振ると、それでも手早い操作で13式を前進させた。横にいた2号車が妙高の意図に気付いたらしく、主砲に加えて重機の射撃も開始。支援するつもりらしい。
再び妙高は砲塔ハッチを開けた。ベンチレーターでも排出しきれていなかった硝煙と共に、身を乗り出す。砲塔上に装備されている12.7ミリ機関砲に手を掛けると、それを敵に向けながら片手を振った。早く来い、というように。
歩兵型の小型使徒が妙高に気付き、その腕を振り上げる。
しかしそれより早く、妙高は機関砲をそれに向け、トリガーボタンを押し込んだ。強力な.50口径の掃射が小型使徒を襲い、一瞬で原型を留めぬ肉塊へと変える。
「中隊長!」
「莫迦、早く来い!」
3号車のドライバーとコマンダーだ。砲手はいない。死んだか。畜生。
サイドスカートのステップに足を掛け、ドライバーが車体の上に駆け上がる。続いて、コマンダー。その背後に。
「夕張っ!伏せろっ!!」
間に合わなかった。歩兵型使徒の腕が閃光を放ち、光の槍がコマンダーの胴を串刺しにした。そのまま横に薙ぎ払い、鋭利な刃物で断ち切ったかのように彼の体は両断される。血飛沫。ドライバーの悲鳴。吹き飛ぶコマンダーの、もはや光を宿していない視線が、一瞬だけ妙高の視線と交錯する。
妙高は絶叫した。
叫びながら、機関砲を乱射する。コマンダーを殺した敵がクズクズのミンチになった後も、彼はトリガーから指を離さなかった。
畜生、この野郎。貴様ら全部ブッ殺してやる。ズタズタに引き裂いて、中身を全部ブチまけてやる。許さねぇ、この化け物め!
その瞬間、ローターの轟音が彼の五感を支配した。その風圧と体で感じられる音が、彼を戦場の狂騒と激昂から任務へと引き戻した。
「!」
続くのは対地制圧ロケット弾が連射される轟音。コールサインはジュドー、対戦車攻撃ヘリ中隊の支援が開始されたのだった。
「ジュドーよりガッツ、なにをもたもたしてるんだ、さっさと後退しろ。送レ!」
「わ、分かった」
言ってしまってから、苦笑いする。そのまま答えちまった。後で笑われるぞ。そして、そんな思考が回ることに驚き、安堵し、怖くなる。
続いて前方に弾着の炸裂が上がる。特科連隊の支援も開始されたらしい。
先に3号車のドライバーを車内に押し込み、自分も砲塔内に身を沈めながら妙高は彼の部下達に指示を出し始めた。自分の声がうわずっていない事を祈りながら。
第5師団の後退は、戦闘の総指揮を執る妙高陸将の指示によるものだった。彼は方針を変更し、縦深防御戦はやめにすることにしたのだった。
笠置一尉のシミュレートを元に彼が組み上げた作戦は、敵の正面に位置する第5師団を後退させて敵を釣り込み、その両翼から部隊を前進させて一気に包囲してしまおうというものだった。
「カンネ包囲戦ですか」
幕僚長がそう言う。言うまでもなく、ハンニバル率いるカルタゴ軍が数に勝るローマ軍を包囲撃滅したあまりに名高い会戦だ。しかし妙高は首を振った。
「違うよ。カンネは攻勢包囲だが、今回は守勢包囲だ」
「どちらかと言うと、ツィタデレですね」
と笠置。
「そうだな。まあ見かけは小型ツィタデレだが・・・うん。一つ問題を出そう」
妙高は状況図を眺めると、幕僚達に向き直った。
「俺は能動的に状況を作りだそうとしているが、ツィタデレの時はどうだったと思うね?あれはジューコフの策略だったんだろうか」
「私はそうは思いません」
笠置が首を振る。幕僚長は面白そうな表情でそれを見ている。
「あれは偶然だったと思います。だからドイツ軍が動き始める前にジューコフが状況に気付き、突出部の防御を固めたと考えるべきでしょう」
「そうだな、俺もそう思う。マンシュタインは何度も攻撃の早期発動を具申しているしな」
ツィタデレというのは、第二次大戦の東部戦線での天王山だった戦いの事だ。ソ連軍の攻勢により後退したドイツ軍は敵の突出部を包囲して一挙に撃滅し、戦局の逆転を図った。この作戦名がツィタデレで、城塞という意味だ。しかしヒトラーが戦力の集中を図るあまり攻撃はずるずると先延ばしになり、その間に突出部の防御は強化され、攻撃を開始したときにはまさに城塞となっていた。そしてドイツ軍は史上最大の戦車戦で戦術的勝利は収めるものの敵を叩ききる事ができず、作戦は挫折した。
ここまで考えた所で、笠置は気付いたようだった。はっとしたように口元に手をやり、驚きの表情を浮かべる。
「これは・・・ツィタデレと言うより・・・アウステルリッツでは・・・」
「そう、その通り。俺はあれを狙っている」
アウステルリッツの会戦、通称三帝会戦。かの皇帝ナポレオンが、ロシア・オーストリア連合軍を撃破した歴史的会戦だ。その時のナポレオンの戦術は「戦争の芸術」として今でも讃えられるほど素晴らしいものだった。
その時、ナポレオンはダヴー元帥率いる僅かな兵力を戦線南方に配置し、巧みに敵の攻勢を誘った。そして戦域中央、要衝であり天王山とも言えるプラッツェン高地から敵兵力が動いた瞬間を捉えて敵の中央に楔を打ち込んだのだ。
「まあ、アウステルリッツはナポレオン一人でやれた訳じゃない。どうなるか、俺には分からんよ」
「第5師団がアウエルシュタット公なみの奮戦を見せてくれれば」
「俺は確信してるよ」
「・・・?」
「・・・ほう、君でも気付かないのか?」
妙高は状況図上の、第5師団のシンボルマークに目をやる。
「アウステルリッツでダヴーが率いたのは、大陸軍第5軍だった。縁起がいいじゃないか」
笠置はあっけにとられて上官を見つめる。
「エヴァ弐号機、シンクロ率上昇ペース更に落ちました」
見なくても理解できる。先だってリツコが告げた起動予定時刻をとっくに過ぎているのに、弐号機は全く動こうとしない。
しかし彼らの焦りは、敗北や滅亡への恐れに起因するものではなくなっていた。戦闘そのものは彼らNERVを蚊帳の外にして進行している。自衛隊各部隊は敵の攻勢をしっかりと受け止めているし、ミサトにはそれ以上のものが見えている。
「大したものよ・・・うん、やっぱあたしたち、彼らをなめていたようね。認めざるを得ないわ」
正面のスクリーンをじっと見据えながら、彼女は呟く。
「押されているように見えますけれど」
日向が口を挟むが、ミサトは首を振った。
「いいえ、違うわね。これは作戦機動のうちよ」
「そうなんですか」
「敵を誘い込んでいるのよ、多分」
「あなた得意の、女のカンって奴?」
今やそれしかする事がないのか、リツコが言わなくてもいい事を口にする。しかしミサトは気にも留めない。
「プラス軍事的感覚、って奴かしら」
「・・・へえ」
「一応基礎教育は受けてるのよ。ま、正規の三佐には及ぶべくもないけどね」
「そのあなたに見透かされる作戦なんて、大したことがないんじゃなくて?」
「戦術なんてそんなものよ。横で見ているのと、実際に指揮を執るのは違うわ」
「・・・そう」
「第1教導師団、移動を開始しました」
オペレータの声。
改めてスクリーンに目をやると、確かに第1教導師団を示す富士山に流星をあしらったシンボルマークが移動を始めていた。いや、予備戦力の全てが動き始めている。
「ケリを付ける気ね」
「海自艦隊にも動きがあります」
スクリーン上、こちらは旭日旗の下に小さく1stEF-JMSDFと記された素っ気ないシンボルマークも再び動き始めていた。
戦闘は終局へ向かおうとしていた。
陸自の方針変更は、逐一旗艦「やまと」に座乗する鳥海海将のもとにも通知されている。余りに強大な打撃力を持つだけに双方がお互いの意図を把握していないと危険で仕方がない、そう陸自は考えているようだった。
「前線が混淆状態になっています。これでは支援射撃は不可能です」
先ほどから「やまと」の射撃速度はめっきり落ちていた。妙高の方針変更で戦域の区別がつかなくなり、「やまと」の火力を投入できる場面が無くなってしまったからだった。
「手持ちぶさた、か」
「ええ、今のところは」
「うむ」
鳥海は首をかしげた。そこへ、伝令の海士が駆け込んできた。
「司令官、32隊司令からです」
「読み上げろ」
「読み上げます。発、32隊司令。宛、1群司令官。主文、小官ハ麾下兵力ヲモッテ友軍地上部隊ノ支援ニ当タラントス」
「皮肉なもんだ」
仕事がないからと分離した母艦部隊の方が、仕事を見つけたわけだ。
「了解、と返しておけ。文面任せる」
「はっ」
「参りましたね」
大淀海将補が肩をすくめた。
前方で閃光と砲煙。続いて、腹に響く砲声が伝わってくる。第1護衛隊の「あやなみ」「いそなみ」の砲撃はまだ続いているらしく、景気良く発砲を続けている。
「まあいい。なら、的を変えよう」
「と言いますと」
「親を叩こう。後で実は生きていました、何て事になったらかなわん」
「・・・あ」
そうだった。使徒の親、と言うか本体は、小型の群体を発生させたきり全く動こうとしない。一見、死んでいるようにも見える。
すかさず大淀が高声電話を掴んだ。
「砲術、こちら艦長だ。・・・そうだ、目標を変更する。・・・ああ、ああ、それでいい。やってくれ」
再び受話器をフックに掛けると、彼は一つ頷いた。
「測的は完了しています。すぐに本射に入れます」
「うむ」
鳥海はスクリーンを一睨みすると、こちらは大きく頷いた。
「攻撃開始」
「打ち方始め」
数秒後、「やまと」の305ミリ電磁砲の砲撃は再開された。
「これは・・・」
海自艦隊の旗艦「やまと」が今度は使徒の本体へ砲撃を向け始めた事は、即座にNERV側も察知した。スクリーン上に、その射撃技術の優秀さを示すような射撃経過が表示されていく。
「やまと」は初弾から命中弾を出していた。使徒の右腕(と呼べるなら)を直撃した砲弾は、一撃でそれをえぐり取っている。
「やはり、母体は死んでいるというのかしら」
小さく呟くと、リツコは手元のコンソールを操作してMAGIの助言を求めた。三博士の回答は保留と言うべものだった。ただ、とにかくATフィールドは作用していないらしい、それは確かなようだ。
スクリーンの片隅、シンクロ率ゲージの色が変わる。
「エヴァ弐号機、シンクロ率起動レベルの8割」
「・・・そう」
リツコはちらりと時計を見た。当初の見積より倍以上の時間を要していながら、まだ8割。これではもう戦力として考えられないだろう。使徒襲来から起動に数時間もかかるようでは、到底計算に入れられたものではない。
「アスカはもう駄目ね」
聞きようによっては冷厳と、彼女は呟いた。
「どうにもならないの?」
言い返しながら、ミサトも内心同意するしか無かった。戦力というものは、適地に適時に適量投入できなければ意味がない。起動だけにこれだけ時間を要するというなら、弐号機はもはや戦力とは呼べはしない。
「アスカの状況は悪くなる一方だわ。しかも不可逆的に。MAGIもそう言ってる」
「・・・何か理由があるはずよ。でないと・・・それなら・・・」
「でも私は理由なんて知らないし、あなたも知らないんでしょう?ならどうしようもないわ」
「・・・」
そのとき、「天」より声がした。
「海上自衛隊の艦砲射撃を阻止する」
「は?」
司令、碇ゲンドウの言葉の意味は、最初の一瞬誰にも理解されなかった。ミサトは怪訝な表情を浮かべ、リツコは珍しいことに戸惑うような瞳の閃きを見せる。
「MAGIの回線と自衛隊のリンク回線との接続は」
「は・・・はい、通常通り接続されていますが」
「それを経由してあの戦艦のセントラルコンピュータを乗っ取れ」
「で・・・ですが」
「使徒本体は我々が捕獲する。彼らの勝手にはさせない」
「ならば」
ミサトが声をあげる。
「自衛隊にそう通知すればいいでしょう」
「彼らは承知しないだろう。ここでまた作戦を変えれば、彼らの被害が増える」
「ええ、そうです。だからと言って」
「ならばあの戦艦を沈黙させるしか無い」
「・・・」
「赤木君、細部は任せる。やりたまえ」
リツコは微妙に表情を変えた。
「・・・分かりました」
「リツコ!」
「リンク回線経由で「やまと」セントラルコンピュータへハッキングを掛けます」
「リツコってば!」
「・・・命令よ、ミサト」
あなたは知らないでしょうけどね、ミサト。
私の挑戦を、彼は待っているのかも知れない。
「やまと」に異常が発生したのは、そのわずか10分後だった。つまりリツコとその指示で動くマヤは、たったそれだけの間で攻撃の手筈を整えたということだ。
はじめ、それはデータのエラーという形で現れた。陸自からのデータを受け取り、それを射撃諸元に変えて砲撃を続けていた訳だが、そのデータに狂いが出たのだった。
二回連続で斉射の着弾点に許容以上の誤差が出た段階で、「やまと」砲術長睦月二佐は砲撃を中止した。もちろん彼は自分と部下の技量、そして「やまと」の主砲管制システムに絶対の自信を持っていたので、こちらのミスとは考えていない。
彼はすぐに調査を開始したが、「やまと」独自の測的、母艦航空隊の支援で収集したデータ、そして陸自とのやりとりで確認したデータ、その整合性にも問題は無かった。
「妙ですな」
データに問題はない。砲術長は主砲管制に問題はないと言っている。では何だ?
「主砲管制システムのバグではないですか?」
戸惑う幕僚たちの中で、最初に口を開いたのは群幕僚長の笠置一佐だった。それに対し、露骨に不快な表情で睦月が言葉を返す。
「それはあり得ません。今までシミュレート込みで数万回の主砲射撃を実施していますが、このような問題が出たことはありません」
「システムというのは、高度であればあるほど隠された問題が潜んでいるものです。数千回程度のテストで信頼性が確立されたと思うのは間違っている」
「しかし・・・」
「でも・・・貴官がシステムに信頼を置いているのは認めます。確かに今まで問題は無かった」
「はい」
「司令官、艦長」
笠置は眼鏡の奧の瞳を細めた。
「これは恐らくシステム絡みの問題です。システムのどこかが、何らかの原因で通常の動作を阻害されているのでしょう」
「うむ」
「原因は通常、二通りです」
「一つは、今言っていたシステムのバグ、だな」
「ええ」
「ではもう一つというのは?」
「人為的、意図的な妨害です」
「・・・つまり?」
「つまり、外部ないしは内部からの妨害。この場合、恐らく外部よりのアタックです」
「・・・ハッキングか!」
鳥海が目を剥く。大淀以下のスタッフ達も明らかに動揺したようだった。砲弾の雨やミサイルの嵐にも動じない彼らも、馴染みのない見えない敵にはあまり耐性が無いらしい。
笠置は静かに頷いた。
「恐らく」
「一体誰が!」
「それは、今から調べます」
そう言うと、彼女は制服の上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をまくった。更にネクタイまで取る。
「司令官、しばらく外します」
「君が防御に当たるのか」
「任せて下さい。これでも、昔とった何とやら、です」
一つ敬礼すると、彼女はCICを飛び出していった。
「司令官・・・いいんですか」
大淀が戸惑ったような表情を浮かべる。
「・・・多分、任せるしか無いだろう」
「はあ」
「聞いたことがある。学生時代、笠置一佐は凄腕のハッカーとして鳴らしていたんだそうだ。その筋では有名だったらしい」
「そうなんですか」
「俺も聞いたことがあるだけだがな」
鳥海はCICのスクリーンを睨んだ。
「しばらくは砲撃停止だな。仕方がない」
笠置は「やまと」中央電算室に駆け込むと、有無を言わさずオペレータからコンソールを奪いとった。
「あ・・・えっ?」
「群幕僚長、笠置一佐です。一群司令官の命により、これより防御指揮を執ります」
上着を脱いでいたせいでその階級に気付かなかったオペレータが、慌てて敬礼する。彼に上着を押しつけると、笠置はモニターを睨んでニヤリと笑った。日頃の彼女が見せることは無い、一種独特の笑みだった。
「あなた、ネット防御の経験は」
「あ・・・はい、アメリカで研修を受けた後、防衛技研で防御担当でした」
「実際にディフェンスをやった事は」
「はい、数回」
「アタックは」
「あ、ありませんよ」
当然だろうに何故そんなことを聞く、オペレータはそんな表情を浮かべる。笠置は首を振った。
「話にならないわね。現在の異常にも気付いていないなんて」
言いながら、コンソールに向かう。流れるような操作が続いた後で、彼女は頷いた。
「やっぱりね。データリンクを経由したハッキングだわ。なめた真似をしてくれる」
オペレータは度肝を抜かれたようだった。
「一佐殿・・・」
どうしましょう、とその狼狽した表情が語っている。
「回線を切断すれば、攻撃は防げますが・・・」
「冗談じゃないわ。白旗なんて上げるもんですか」
一言で切り捨てる。
「指示は私が出します。あなたはそれを完璧にこなすこと。仮にもここを任されてるんだから、そのくらいはしてもらう、いいわね」
「はっ」
「よろしい・・・よし、ふふん。思った通りだ」
何かプログラムを呼び出すと、笠置は薄く微笑む。
「今はこんな名前なんだ。まあいいや・・・あたしに喧嘩売った事を、後悔させてあげるわ」
目にも止まらぬ速さで、彼女はコマンドを打ち込んだ。
攻性防壁「薔薇の騎士」起動、モニターにそう表示される。
「先輩っ!」
突然、マヤが悲鳴を上げた。
「どうしたの」
「そ、それが・・・」
リツコはモニターをのぞき込み、表情を凍り付かせた。
つい先ほどまでうまく侵入の足がかりを築きつつあった彼女の攻撃は、あっという間に押し戻されていた。しかも相手の防壁は、攻撃の策源地・・・つまりこちらの位置をつかもうと、逆にその触手を伸ばしつつある。
「これは、攻性防壁・・・」
「先輩?」
「しかも・・・これは・・・」
「どうしたの」
ミサトが口を挟むが、リツコは無言のままモニターを睨んでいる。
「駄目ね。こんな手では話にならない。マヤ、一旦引きなさい」
「先輩!」
敬愛する先輩が敗北を認めるのか、そんな戸惑いを浮かべてマヤは絶句する。
「勘違いしないで。諦めた訳じゃないわよ。すぐに次の手を打つわ」
「は、はい」
「どうやら、侮れない相手のようね。この攻性防壁には見覚えがある」
「見覚え?」
「大山さんよ。あの人が大学時代から持ってたプランにそっくりだわ」
「やまと」設計者、大山トシロウ。ミサトも大学時代の彼を知っている。リツコほどに付き合いがあった訳ではないが・・・。
「でも、構想はあってもそれを具体化するには至っていなかったはず」
そう、余りに高度すぎたのだ。専門のプログラマーの手にも負えないほどに難儀なプランだった。もちろんその分、実現すれば恐るべき効果を発揮するはずだったのだが。
「どんなものだったの?」
「ええ・・・」
「ちっ、気付いたか!」
笠置は舌打ちすると、乱暴にキーボードを叩いた。
「一佐殿?」
「あっちもいい腕をしてるわ。こちらの動きに感づいたらしい」
オペレータの表情は、先ほどまでの不信と戸惑いから驚異と賛嘆に変わっていた。
「しかし、撃退しましたね」
「いや・・・引いただけよ。じきにまた来るわね。コーヒー、貰えるかしら」
「は、はい」
慌てて飛び出していく。すぐに、オペレータは缶コーヒーを数本抱えて戻ってきた。
「どうぞ」
「ありがと」
一本受け取り、口をつける。
「しかし、凄いですね。こんな防御プログラムがあったなんて」
「まあね、あたしが考えたんじゃないけど。このセントラルコンピュータに最初から組み込まれているのよ」
「そうだったんですか」
「あたしが知っているのは、この前のバージョンでね。構想を考えた人がいて、あたしはそれを具体化する手伝いをした。その頃は「鉄壁」という名前のプログラムでね、今の「薔薇の騎士」ほどの多方面防御能力は無かった」
「では・・・こいつを組んだのは一佐殿なんですか」
「あたし一人でやったんじゃないけどね」
キーを叩きながら、リツコの説明は続く。
「攻性って言う位だから、これはただの防壁じゃないのよ。相手の攻撃をブロックし、かつありとあらゆる手段をつかって相手に反撃を加える。下手をすると、ボロボロにされるのはこっちというわけ」
そして彼女はふと、手を止めた。
「これは・・・」
「どうしたんですか」
「一撃入れられていたようね。こちらの防壁に傷がある」
傷、といってもプログラム上の痕跡で、具体的に破壊された跡では無い。しかしだからと言って、攻撃が実行されそれが効果を上げる直前まで行っていた事に変わりは無かった。
周囲の空気が凍り付く。
「まさか・・・MAGIの外周プロテクトを抜けたんですか?」
「・・・それに、このやり口・・・まさか・・・」
「何てこと」
モニターには、攻性防壁「薔薇の騎士」の行動ログが表示されている。それをチェックしていた笠置は、それに気付くと舌打ちした。
「どうしました」
「相手が何者か分かったわ」
「えっ」
「予測してしかるべきだったわね。この「やまと」にハッキング掛けてくるような馬鹿は確かにあそこだけよ」
「それで・・・どこなんです」
「NERV」
オペレータは絶句した。
「やってくれるじゃない。それ相応の報いは受けて貰うわよ」
笠置は呟くと、再びコンソールに向かう。
「間違いない」
リツコは呻くように呟いた。
「この手口はあいつだわ」
苛立たしげにキーを叩く。MAGIと「やまと」のセントラルコンピュータ、Wenliの攻防は小康状態に入っている。
「相手を知っているんですか」
「ええ」
小さく頷くと、リツコは早口で語り始めた。
・・・それは彼女たちがまだ大学生だった頃。東大のコンピュータルームが新装された時、その能力を誇示するべく懸賞金付きの時間制限セキュリティクラックコンテストが行われた。その中心には大山、そしてリツコもいた。
コンテスト開始直後から東大のセントラルサーバは数え切れないほどのアタックを受けたが、東大自慢の最新鋭セキュリティと大山以下のスタッフ達の手腕でそれらはことごとくブロックされた。そしてタイムアウトまであと一時間、勝利を目前にしたところでそれは始まった。
「凄まじい攻撃だったわ。同時多方向、とでも言えばいいかしら。まさに嵐のようなアタックだった。大山さんとあたしたちは全力でそれを防ぎ続け、何とか一時間をしのぎきった」
「で、防ぎきったんですね」
マヤの瞳は敬意に輝いている。しかしそれは次の瞬間、驚愕に変わった。
「いいえ」
「えっ・・・」
「結論から言えば、あたしたちは完全に負けた。一時間続いた連続攻撃は、ただの牽制に過ぎなかったのよ」
「そんな・・・」
「勝ったと思いこんだあたしたちが祝杯を挙げていたとき、突然大学の全システムがダウンした。慌ててチェックしてみたら、セントラルサーバの中枢がものの見事にやられてた」
「それは・・・それは、時間制限後にやられたんですから・・・」
「最初はそう思ったわ。でも違った。ごく小型の、完璧に偽装された時限実行型破壊プログラムが打ち込まれていたのよ。あたしたちは完全に騙された。手玉に取られたってことね」
今まで黙っていたミサトが首をひねる。
「そんなこと、全然知らなかった」
「当たり前よ。表沙汰になれば大学の威信がこなごなになるでしょう?当然、ひた隠しにされたわ。そして同時に、あたしたちは復讐しようと相手を割り出そうとした」
「それで」
「相手の起点は防衛大だった。ハンドル名はリリア。そこまでは掴んだけど、それ以上は分からなかった」
「リリア・・・?まさか・・・」
マヤが声をあげた。
「知ってるの?」
「直接には知りませんが・・・聞いたことがあります。10年以上前の話ですけど、凄腕の姉妹ハッカーがいたって。ハンドルをリリアとフィーナって言ったそうです」
「そう・・・とにかく、その片割れね。間違いないわ」
視線が険しくなる。
「そのリリアと大山さんが手を組んだようなものか・・・ふん、今度は負けない」
電子の冷たい戦争とは別に、本物の戦闘は続いていた。
陸自は兵力の再配置を続けており、それは今のところ順調に運んでいる。来るべき反撃攻勢の準備は整いつつあった。
空自では入間からの攻撃に加え、三沢基地から飛来した第二航空団も支援を開始している。爆装したまま飛来した彼らは、投弾するとそのまま入間へ降りて補給を行い、攻撃を反復している。心配された弾薬も、三沢からの航空輸送が空自輸送航空隊の全力を挙げて反復され続けていたため何とか保っていた。おかげで入間基地は開設以来の大賑わいと化している。
また、海自も航空攻撃を再開していた。第31、32両護衛隊の航空護衛艦「ひりゅう」「しょうかく」「ずいかく」のグループは補給補助に厚木基地の支援を受けながら戦っている。
結果として、戦域上空には常に三桁のオーダーに迫るエアカバーが張り付くという状況になっている。彼らの苛烈な対地攻撃は、陸自の戦術機動にとって大きな助けになっていた。
戦闘開始当初、敵前面に位置していた第5師団は巧みな後退を続けている。その正面で敵を受け止め続けていた第4戦車連隊第7戦車大隊は、ようやく後続の部隊に任務を引き継いで小休止をとっていた。生き残った各車とも弾薬が枯渇しており、補給も行わねばならなかった。
「この程度の被害で済んだと言うべき、なんだろうな」
簡単な報告が終わった後で、第二中隊長妙高一尉は呟いた。言葉とは裏腹に、表情は冴えない。
「ええ。うちの被害の半分で済んでるんだから」
「運が良かったんだ。数字だけ見る連中がどう思うかは知らないけどな」
「あんたは最前線にいたわ。胸を張っていいよ」
第三中隊長大鷹一尉は、相手をいたわるような表情を見せた。考えてみれば彼女とは長い付き合いになる。防大の一期上にあたるこの女戦車乗りとは、不思議と似たコースを歩いてきていた。戦車学校、第7師団、そして第5師団。勝ち気で男勝りを絵に描いたような彼女が、こんな表情を見せるのは珍しいことだ。
「・・・慰められる立場じゃないさ」
「慰めてるんじゃない。事実を言っているだけよ」
「・・・」
戦車5両喪失、戦死者12名。確かに戦闘の実状を知る者にとって、これは賛嘆に値する数字だった。常に敵正面に位置し、困難な後退戦を続けた部隊にしては、異常に少ない被害だ。
向こうでは、生き残った車両への補給作業が続いている。頭上に響くヘリのローター音と戦闘機の轟音はひっきりなしに続き、遠雷のような砲声が途切れる事も無いが、そこで戦う彼らはもうそれに慣れていた。
「飯を喰えって、喰う気になるかね」
大隊本部で渡されたレーションが足下に置いてある。
「食べた方がいいよ。戦闘はまだ続く」
「こんなモノが生涯最後の食事になるかも知れないなんてな」
何気なく口にした言葉だったが、傍らの大鷹が示した反応は意外なものだった。
彼女は無言のままレーションを手に取ると、それを妙高の鼻先に突きつけた。
「縁起でもないこと、言わないで」
「・・・」
「食べなさい。これが最後なんてこと、絶対に無いんだから」
「あ、ああ・・・」
レーションを受け取る。そして大鷹は早口に言った。
「あんたに死なれたら、あたしが困るのよ」
「えっ」
戸惑う。しかし大鷹の表情は真剣そのものだった。
「どういう・・・」
「・・・これが終わったら、続きを話してあげる」
それだけ言うと、彼女は一方的に話を打ち切って背を向けた。一瞬で、任務に厳しい若手戦車将校の姿に戻っていた。
妙高の横にも、先任の曹長が駆け寄ってくる。
「隊長、補給完了しました」
「あ、ああ。3中隊は?」
「終わったようです」
「分かった」
うん。まずは生き残ることだ。
何となく気付いてはいた。だがこういう直観ほどあてにならない事もよく知っていたから、それは考えない事にしていた。だが・・・。
とにかく生き残ろう。その理由がまた一つできた訳だ。妙高は頷くと、ヘルメットにレーションを突っ込んだ。喰えというなら喰ってやるさ。
「行くぞ。定時通りに出動する」
「はっ」
俺はうまくやる。だから親父、俺たちをうまく使ってくれよ。
「リリア」こと笠置ミユキ一等海佐は、次なる攻撃に備えて更なる防御の手を打っていた。
「もう一歩も踏み込ませはしない」
先ほど、CICには「全システム異常なし、作戦行動への支障無し」と報告してある。彼女はシステムに障害を与えることなく、敵からの攻撃を防ぎきろうと決意していた。同時に、彼女を相手にしたことを後悔させることも。
「妹がいてくれれば、もっと楽だったんだけどね」
「妹さん、ですか」
「今は陸自の一尉だけどね。あたしと組んで、結構暴れ回ったものよ」
「・・・って、まさか一佐殿は・・・」
「ええ。いわゆるハッカーって奴だった、昔ね」
「それは・・・」
「その頃、一番侵入に苦労した相手が、この艦を設計した大山博士率いるチームが守るサーバだった。その大山さんがあたしを探し出して、この攻性防壁を組ませたわけ。そして彼が作ったコンピュータをあたしが守ってるんだから、皮肉と言えば皮肉よね」
しかし彼女といえども、相手がその時の相手の一人であり、大山の友人だったことまでは知りはしない。
「はあ」
「うん、それでね・・・」
そこで、笠置の手が止まった。
「・・・来るわよ」
リツコの第二次攻撃が開始されたのだった。
管理人(以外)のコメント
ケンスケ「長らくお待たせいたしました「戦人」6話です」
アスカ 「ま〜た管理人が更新さぼっているから・・・・ぶつぶつ・・・・しかし・・・・何でアタシがあんなにへっぽこなのよ・・・・」
ケンスケ「さて、惣流の愚痴はこっちに置いておいて、と。今回は作中に出ていたコードネームの解説をしようか」
アスカ 「・・・・また解説?(うんざり)」
ケンスケ「いいじゃないか〜」
アスカ 「ふん、まあ別に良いけど(ごそごそ)」
ケンスケ「さて、冒頭のガッツ、グリフィス、ピピン、ジュドー云々は、もうおなじみの「ベルセルク」からだね。それぞれが大体オリジナルの役柄と似たコードネームを持っているのはさすがというべきか」
アスカ 「へーそうなんだ〜」
ケンスケ「『薔薇の騎士』もあまりに有名だよね。銀河英雄伝説「ローゼンリッター」の日本語訳がこれに当たる。攻勢防壁という言い方はまあ電子の白兵戦みたいなものだから、同盟最強の陸戦隊の名を冠するのはある意味いいのかもしれない」
アスカ 「あっそ〜」
ケンスケ「そしてリリアとフィーナ。これは日本ファルコム名作中の名作と呼ばれるゲーム『イース』に登場する姉妹の名前。逃げた管理人もこのゲームは何度も何度も何度も何度もクリアしたそうだよ」
アスカ 「ふーん」
ケンスケ「なんでこんな事を知っているかって? それはもちろん、飽くなき探求心とそれをなす強固な意志が・・・・」
カヲル 「やぁ、なにを一人でぶつぶつしゃべっているのかな?」
ケンスケ「一人とは失礼な。ここに惣竜がいるじゃないか」
カヲル 「ああ、アスカ君の人形ならそこにあるけどね」
ケンスケ「なにぃっ! はうっ! 人形とカセットテープにだまされた!」
カヲル 「やれやれ(ため息)」
ケンスケ「仕方がない・・・・こうなったら、この人形とカセットテープをマニアにたたき売って・・・・」
ひゅううううぅぅぅぅ
ケンスケ「ん?」
ごめすっ!
ケンスケ「ぐはぁっ!!」
カヲル 「あ〜あ、そういうことはやろうと思っていても言うもんじゃないのに」
ひゅううううぅぅぅぅ
カヲル 「はぐぅ、しまったっ!」
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