Welcome外伝
ここが僕らの出発地点
第五話 「彼と私のゆううつ」






「──の、第一印象?」

そう聞かれて私は「あの時の出会い」が思い浮かび、知らぬ内に顔が歪んでいた。

「・・・悪い人間ではないだろうが、どこか虫の好かない奴・・・そんな所だ」





授業中の廊下と言うものは、ひどく現実離れした空気を感じさせる。
周囲からは教師の声と、チョークを黒板に叩き付ける不規則な音しか聞こえてこ
ない。生徒の声も混じってはいるが、前述の二つに比べれば圧倒的少数である。
ドアを開けば教師と三十人を越える生徒がいる。しかし、静寂は生徒達の存在を
いまひとつ実感させてくれない。
そのくせ、近くに人間がいる時に感じる気配・・というか、熱気といったものが、
直接肌に突き刺さってくる。
学校という場で、生徒にしか感じる事が出来ない奇妙な感覚であった。

そんな現実離れした感覚を味わいながら、六分儀ゲンドウは碇ユイの後ろを歩い
ていた。

授業中、この二人が廊下を歩いているのにはちゃんとした理由が存在する。
現在二年C組は、同クラス担任、方井世界史教諭による授業の真っ最中である。
授業が始まって5分と経たないときだった。

「おっと、しまった。プリント、印刷室に忘れてきちまった。
 六分儀。おまえ、取ってこい」

反省や謝意など欠片もない口調で方井は、ゲンドウにそう命じた。
言外に、おまえクラス委員だろ?!との主張がはっきり見て取れる。
いつものコトではあるが、何かしら作為を感じる。

先日2人の間が熱い関係(俗に戦闘状態とも言う)になって以来、この手の雑用
がやたら増えたように感じる。
いくら『やられたら、やり返す』が信条の彼でも、教師相手では分が悪い。

月のない夜は、気をつけろよ!!

物騒な発想を胸に仕舞い、憮然としながらも腰を上げる。

「ところで、先生。どれ位の枚数あるのかな?」
「ん〜?たいした数ないぞ。確か、1枚、2枚、3枚、・・・・8枚だ」
「・・・・それがクラスの人数分?」
「そうだ」

30人分で240枚。まあ、1人で持てる分量だ。思った程じゃない。
などと考えていると、追い討ちが掛かった。

「ああ、ついでにこないだ集めたノートも持ってきてくれ」
「・・・・」
「それから、昨日配るつもりだった連絡のプリントもな」
「・・・・」
「ああ、それと、アレも・・・・」

『ついで』という単語の定義、知らんのか!!

叫びたくても叫べず、ゲンドウはこめかみをヒクつかせる。

「それ、1人じゃ大変だから、私も手伝いましょうか?」
「え?・・・・あ、ああ。助かるよ、碇さん」

ユイの申し出に、ゲンドウはホッとした。
曲芸的な器用さの持ち主でもない限り、とても1人では運べない。
責任感の強い人が相棒(クラス委員)で良かった。と、自らの幸運とユイに感謝
する。

この「碇ユイと一緒に仕事」をする事になったゲンドウを、大多数男子生徒が羨
望と殺意を入り混じらせた視線で見ていたりするのだが、例によって例のごとく、
ゲンドウは気付いたりしなかった。


ところでヒナはココまで全く沈黙しているが、別に欠席してるわけでも、体調が
悪いわけでもない。
ただ、黙々と課題をこなしているのだった。
常に成績は上位に属するヒナだったが、どうしたものか方井の世界史だけは妙に
苦手だった。
ゆえに、嫌いなモノからは一時も早く開放されたい、その一心で珍しくも模範的
な生徒を演じているところだ。

ちなみに方井の授業は、ひたすら課題を与え続けるという形式だ。
時間内に終わらなければ、それはそのまま宿題となる。
プリントは穴埋め問題だけでなく、

「ユリウス・カエサルの事績について、その功罪を論じよ」

とか、

「もし、始皇帝暗殺が成功していたら、歴史はどの様に変化したと思われるか」

など、小論文あるいは架空小説的な記述問題もかなりのウェートを占めている。
自他共に認める記憶力の持ち主であるヒナは、こういった形式の問題は大の苦手
なのだ。
暗記でテストの点数を稼いでいる身にとって、これはなにより辛い。


そんな方井の従業に対するゲンドウも含めた多数派の感想は、

ずぼらさも極まれば、まともに板書する手間も、口頭で解説する労力も惜しむの
か?

というモノだった。
もっとも、これだけのプリントを作り続けるのは、それなりに大変だ。
ある意味、マメでなければ続かない。
さらに言えば、いつ作成しているのだろうか?
10時には就寝する方井なのだから。

そんな訳で、この現象は第壱学園七不思議の1つとして、近々公式に認定される
予定だ。





「・・・あら?」

職員室のドアを視界に捕らえた時、ユイが声を上げて立ち止まった。
静かな廊下では話し掛ける事も出来ず、手持ち無沙汰だったゲンドウが目をやる
と、ユイは驚きに軽く目を見開いて前方を見ている。
その視線をたどると、そこには三十代半ばの男と、六十ほどの女性がいた。
女性の方はどこか見憶えがあるような・・・
二人の方もゲンドウ達に気付いたようで、老婦人の方が会話を打ち切って近づい
てきた。

「ユイ、どうしたの?まだ授業中でしょう?」

言葉だけならば詰問のように聞こえる。
だが、その声には穏やかさと暖かさが満たされており、母親が幼子に優しく問い
掛けているようですらあった。

「お祖母さま、先生がプリントを忘れてしまったので、それを取りに来たんです」
「あらまぁ・・・方井先生?相変わらずそそっかしいわね」
「・・・理事長、一応注意してはいかがですか?父兄会での問題になりかねませ
ん」
「冬月君、そんなに神経質になる事じゃないわ。
 ・・・それにしても、いつまで経っても冬月君は変わらないわね。
 お堅い所なんか、昔のまんま」
「理事長が、いい加減すぎるんですよ」

「冬月」と呼ばれた三十代の男は、「理事長」に向かって溜息交じりの言葉を返
した。
「理事長」と呼ばれる人物に対して、いささか配慮に欠ける物言いであったが、
当の「理事長」は気にする素振りすらなく平然と受け流していた。

一方ゲンドウは、三人の言葉の中の単語に引っ掛かりを感じていた。

(碇さんの「お祖母さま」?「理事長」?)

「・・・あら、六分儀ゲンドウ君。御葬儀以来ね、ご機嫌いかが?」
「・・・えっ?いや、その・・・」

三人の作り出した場の中に入り込めず、会話に流れた気になる台詞と女性の素性
の検索に思考の大半を奪われていたゲンドウは、いきなり自分に話が飛んできて
とっさの反応が出来なかった。
それでも常日頃から鍛えられた高野山の修行僧のごとき精神力は、半呼吸をおか
ずゲンドウの心に平常心を蘇えらせた。
と、同時に女性の正体にも思い当たり、柄にもなくかしこまった挨拶を返した。

「・・・はい。その節はお世話になりました。母も喜んでいると思います」
「あなたの事は色々とユイから聞いているわ。
 改めまして、ユイの祖母、碇トキよ。
 一応、この学園の理事長なんていうモノをやっているわ。
 でも、遠慮なんかいらないから、気軽に『トキさん』と呼んでね」
「は、はぁ・・・」

(学園の理事長から、名前で呼んでくれと言われてもなぁ・・・)

トキの言葉に、生返事を返すしかないゲンドウ。
それはそうだろう。普通、こんな台詞が向けられるとはつゆほども思ったりはし
ない。

「お祖母さまったら、何言ってるんですか!?
 あんまり、六分儀君をからかわないで」
「あらユイ。ほんの冗談よ、冗談。
 ・・でも、珍しいわね。ユイがこんなムキになるなんて」

トキは含み笑いを堪え、全てお見通しといった顔でユイをからかった。
これにますますユイの表情が険しくなる。

「お祖母さまったら!!・・・それに、また冬月先生をお呼びして・・・。
 冬月先生だってご自分のお仕事がお有りのに」
「ユイ、ちょっとだけよ。そんなたいそうなモノじゃないわ」
「い、いいんだよ、ユイ君。き、気にする事は、ないよ」
「冬月先生がそうおっしゃるのなら・・・」

自分の事を気遣ったのであろうユイの言葉に、冬月はどこか腰が引けた口調で答
えた。
ゲンドウにはその冬月の姿が、何故かライオンに脅えるカモシカのように見えた。
それは時々彼がヒナに対して見せる態度とまさに相似形であったのが、本人は全
く気付いていない。
冬月もそのゲンドウの視線に気付き、ひとつ咳払いをするとゲンドウのほうに目
を向け、何の含みも無いストレートな一言を投げつけた。

「六分儀君と言ったね・・・どうして夏服のズボンなんかはいているんだい?」

ひきっ、とゲンドウの片眉と片頬が引きつった。

「・・・え、ええ、ちょっと冬服のズボンを破いてしまいまして・・・。
 いま補修してもらっているんですよ」

顔半分を引きつらせながら、ゲンドウは言葉を喉の奥から絞り出した。
先日ヒナに引きずられた際に破れてしまったズボンは、いまだ戻ってきていない。
すでに予備のズボンは1つも残されていない。みんな「ヒナ」関連で「燃えるゴ
ミ」と化していた。
やむなくゲンドウは夏服のズボンで、ここ数日を過ごしていたのである。
冬月の一言は、図らずもゲンドウが今一番触れられたくない話題にジャストヒッ
トした。
急所を的確に突いた会心の一撃だった。例えるならば、魔法使いが毒針で敵を一
撃でしとめたような。
彼の性格を飲み込んできたクラスメートなら、決してそんなリスクは犯さないだ
ろう。

「じきに五月とは言え、寒くないのかい?
 ここのところ肌寒い日が続いているし、大変だろう」
「(余計なお世話だ)
 ・・・ええ、寒いですよ。でもまぁ、しょうがないですから」

率直な言葉というものは、えてして遠慮や配慮と言うものが抜け落ちている。
この時の冬月の言葉がまさにそれであった。
ゲンドウにもそれが何の含みも無い、ストレートな感想だという事はわかってい
る。

(とはいえ、やっぱり腹が立つんだよな)


余談では有るが長い目で見れば、この時冬月は自らの言葉で人生のレールを大き
くねじ曲げてしまった。
理由はただ一つ、ゲンドウに関わった、それである。
もっとも、冬月がこの事に思い当たるのはまだまだ先の話であるが。


「あ、そうだ。六分儀君、こちら冬月先生。
 大学の助教授をしていらっしゃるの」
「大学の助教授?
 それがまたどうして、高等部にいるんですか?」

それまで穏やかな笑みを浮かべていた冬月の片頬が、くっ、と引きつった。

「ちょ、ちょっと理事長に呼ばれたものでね。
 こうしてお手伝いしている訳さ」
「そうですか・・・大変ですね。大学部と高等部の掛け持ちとは」
「そ、そうだねぇ」

ゲンドウの一言もまた、冬月の痛い所を正確に突いたのだった。
ただ冬月と違い、ゲンドウには明確な意志──お返しだ!!──があった。
一瞬、二人の視線は絡み合い、激しく火花を散らせた。

「・・・冬月君、そろそろ行きましょう。間に合わなくなってしまうわ。
 ユイ、あなたもあまりのんびりとしていられないんでしょう?」

にこにこと楽しそうに二人のにらみ合いを眺めていたトキは、時計を見ると心底
残念そうに言った。
非常にまれな事だが、我を忘れていた冬月も、その言葉に冷静さを取り戻す。
腕時計で時刻を確認した冬月の顔は、穏やかさと深い知性を漂わせる助教授のそ
れに戻っていた。
ゲンドウと睨み合いをしていた時からは想像も出来ない変わり身であった。
もっともゲンドウは、いまだに冬月を睨み続けていたが。

「ああ、もうこんな時間だ!理事長急ぎましょう。
 ・・・ユイ君、六分儀君、失礼」
「はい、冬月先生も気をつけて。
 お祖母さまをよろしくお願いします」
「ユーイ、私を何だと思っているの?」
「お祖母さまが冬月先生にご迷惑ばかりお掛けするからです」
「・・・」

ユイにぴしゃりと決めつけられて、呆気に取られたトキ。
まさかの孫娘の逆襲に目を白黒させるばかりだ。

「ささ、行きましょう、碇先生」

二の句に詰まったトキの背中を軽く押しながら、冬月はその場を離れていった。
その声は笑いを堪えて微かに震えていた、ようにゲンドウには見えた。

「はぁ・・・」

冬月とトキの姿が離れていくと、珍しくユイが深く溜息をついた。
いつもにこにこ笑顔を絶やさないユイの溜息を聞いたのは、これが初めての事だ
った。
驚いたゲンドウがユイの横顔を見ていると、ふいにユイと視線が合った。
ゲンドウは一瞬、じっと彼女を見ていたコトに気付かれた!と何故だか焦ったが、
ユイは他の事でいっぱいだった。

「・・・驚かせちゃって、ごめんね。
 お祖母さまったら、いっつもあんな調子なの。
 ・・・理事長になって、ようやく落ち着くと思ったのに・・・」
「理事長・・・ね」
「六分儀君、その・・・驚いた?」
「え?」

僅かな感情の震えをにじませた言葉に、何事かとゲンドウはユイの顔を見た。
身長がヒナと大して変わらないユイは、上目遣いに何故か脅えと期待の入り混じ
った瞳でゲンドウの目を見返していた。
ばっちり目が合ってしまった事、それにそんな瞳で見つめられた事で、ゲンドウ
は心拍数・血圧共に平常値から一気にレッドゾーンに突入、自己最高値を更新し
た。

「あ、いや、その、驚いたって、そりゃあまぁ・・・」

思考停止寸前の頭で、意味を成さない単語を並べたてる。
その間に煮立っていた頭も空冷冷却され、幾分冷静になりはじめた。

「・・・理事長とは、母の葬儀の際に一度お逢いしてたんだ。
 その時はずいぶん気品があって落ち着いた人だなァ、
 って思っていたんだ・・・」
「・・・え?」
「で、碇さんの前で言うのも何だが、イメージとだいぶ違っていたなぁ」
「え?え?その、驚いたって・・・それだけ?」
「??
 そうだけど、それがどうかしたのかい?」
「・・・ううん!!なんでも無い!!」
「?」

最初信じられないといった目をしていたユイだったが、すぐに満面の笑みを浮か
べた。
何がどうなっているのか、理由が分からず、ゲンドウは首を傾げるほか無かった。

「それにしても・・・」

ユイの笑顔の理由が分からず、なんだか居心地悪そうなゲンドウは、居たたまれ
なかったのか適当な話題を持ち出した。

「ふ、冬月先生?・・だったか、大変そうだな・・・」
「ホント、冬月先生には迷惑かけっぱなしなの。
 結構忙しい方なのに・・・」

改めてゲンドウは、しみじみと冬月の気苦労を思んばかってみる。
常時あんな調子のトキの相手をするとなると、並大抵の神経や胃ではもたないだ
ろう。

(ああいう役廻りにはなりたくないな)

そう心に呟く。
冷静に見ればゲンドウの現状も50歩100歩なのだが、他人の事は良く見えて
も自分の事は分からないのが人間である。
廊下の角に差し掛かった冬月の背中を見ながら、ゲンドウは一言呟いた。

「・・・何と言うか、あれじゃほとんど、理事長の小間使いだな」
「・・・・・・。
 六分儀君、私たちも行きましょう。早く行かないと、方井先生に怒られてしま
うわ」

ユイはゲンドウの言葉を肯定はしなかったが、明確な否定もしなかった。




録音ではない本物の鐘の音が学園の敷地を覆い尽くす。
四時間目終了の鐘が鳴ると、急に落ち着きを無くす生徒達が増える。
私立第二新東京市第壱学園では昼休みに、市内でも1,2を争う程の人気がある
ベーカリーが焼きたてのパンを販売に来る。
弁当を持参していない、あるいは早々に食べ終わっている生徒達の為である。
そう、彼らにとって昼休みの売店は戦場なのだ。

さっさと授業が終わって教師が出て行けば、何も問題はない。
だが、鐘が鳴った後も授業を続けていると、その教師に対する生徒達の視線には
だんだん殺気が込められていく。
この一分一秒を争う苛烈な戦況の中で、刻一刻と無駄に時間が過ぎ去る。
彼らにとって昼休みになっても続いている授業など、カツサンドを始めとする人
気商品の前には、外れ馬券ほどの価値もない。
と言うよりも政治決断も出来ない我が国の臨時国会の様なモノだ。


さて、六分儀ゲンドウにとっても、昼休みとは別の意味で戦場だった。


「ゲ〜〜ン〜〜ちゃん!!お弁当!!」

四時間目が終わるとヒナは真っ先にゲンドウの机に走りより、満面の笑みを浮か
べながら両手を差し出しこう言う。
その笑顔は、子供の頃から見慣れているゲンドウはともかく、そうでない男子生
徒にとってみれば、まさに天使の微笑み。神様の贈り物。
すっかりお馴染みになったゲンドウに対する数々の仕打ちも、この笑顔を向けて
貰えるのなら些細な事に思えてくる、とは大多数の男子生徒の証言である。

この為わざわざゲンドウの後ろに立って、そのヒナの笑顔を見ている生徒がいる
くらいであった。

「・・・ああ、わかった」

ゲンドウは眉一つ動かさずスポーツバックを開き、中から二つの弁当箱を取り出
すと一つを机に置き、もう一つをヒナに手渡した。
ゲンドウとヒナ、二つの弁当箱は色が違うだけで、大きさに違いはなかった。
弁当箱を受け取ると、にへら〜とヒナは相好を崩した。

「えへへへ、今日のお楽しみ!!
・・・アレ、ゲンちゃん、また教室で食べるの?」
「ああ。・・・お前こそ、また屋上か?
 もうすぐ五月とはいえ、まだまだ風も冷たいのに良く平気だな」
「景色がいいのよ、あそこが一番。
 今日なんか天気いいし、暖かいし、最高よ。
ゲンちゃん、いまからそんなジジ臭い事言ってちゃダメよ」
「ジジ臭いは余計だ!!
・・・いいんだよ、俺はここで食うから」
「・・・ふぅぅぅぅん・・・ゲンちゃん、そんなこと言うんだ」

その声に、ゲンドウの背筋がぞくりと震えた。
鍛え上げられたゲンドウの危険察知能力が、緊急警報を鳴らし始めた。

(な、何だ?ヒナの奴、今日は何をやらかす!?)

ちらりとヒナの顔を見る・・・と、ヒナが悪巧みの時をしている時に浮かべる、
にんまりとしか表現のしようの無い笑みを浮かべていた。
それだけで、ゲンドウの思考はパニック状態に陥った。

(な、何だ?ヒナの奴、何を企んでいる? 何をするつもりだ?)
(昨日はいきなり俺の弁当を半分食ったし・・・)
(一昨日は食ってる途中にいきなり抱き付かれて呼吸困難・・・)
(その前は確か・・・ああ、ロクな目にあった憶えが無い!!)

イヤな予感がするのだがそれが何かわからないという、考え様によってはイチバ
ン質の悪い危険察知能力の発動に、ゲンドウは内心だけではなく動揺を顔にはっ
きりと出していた。

そんな風に思考だけが暴走して硬直しているゲンドウをヒナは満足げに眺め、た
おやかとすら言える動作で自分とゲンドウの弁当箱を二つ重ねてしっかりと両手
で持つ。
その途端にそれまでの優雅な動作から一転して軽やかに身をひるがえし、一気に
ドアまで駆け寄った。
そして急停止すると淀みの無い流れるような動きでゲンドウに向き直り、先程の
含み笑いとは打って変わった極上の天使の笑顔を浮かべた。

「じゃぁゲンちゃん。先に行って、待ってるからね」
「・・・!!!こ、こら、ヒナ、待て!!」

気付けば、時既に遅し。
楽しそうにステップすら踏んで、ヒナはゲンドウの視界から消えていった。

「お、俺の弁当、かえせぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

ゲンドウの叫びだけが、むなしく教室と廊下に響き渡った。
その背中には、無数の嫉妬の視線が切っ先鋭い槍となってぶすぶすと突き刺され
ていた。





「いらっしゃ〜い!一名様ごあ〜んな〜い!!」
「・・・あのなぁ、ヒナ」

あいも変わらぬハイテンションでヒナがゲンドウを迎え入れた。
そんなまったく邪念の無い明るさにゲンドウは怒るのを通り越して呆れてしまい、
言われるがままビニールシートのすみに腰を下ろした。

もう一人の先客も、いつもの笑顔でゲンドウを迎えてくれた。

「ようこそ、六分儀君」
「ああ、その・・・こちらこそ」

ぎこちないが笑顔のユイにゲンドウは言葉を返した。
いつの間にやらヒナとユイは一緒に昼を食べるようになっていた。
ゲンドウの入院している間に、何かしらあったのだろう。

「・・・ヒナ、俺の弁当」
「はいっ、どうぞ!」

ぶっきらぼうなゲンドウのセリフに、満面の笑顔で弁当箱を差し出すヒナ。
まるでヒナがゲンドウの為に作った弁当を、笑顔で手渡しているような光景であ
った。

この「満面の笑顔でゲンドウに弁当を手渡すヒナ」の図は若干名の人間に目撃さ
れ、同日の放課後までには学園中に知れ渡ったのだった。
まさに亜光速と称したくなる程の素早さだった。
そしてうわさ話であるがゆえに、当然、誤解・曲解・変質は避けられない。
この事と翌日からゲンドウに対する有象無象、数々の嫌がらせが極大になった事
との因果関係について、統計的証明は未だなされていない。


憮然としながらもゲンドウが手渡された弁当(「作ったのは俺だ!」byゲンドウ)
を受け取り、食べ始めると、ヒナとユイも食事を始めた。

ゲンドウは不機嫌そうな表情ながら行儀良く。
ヒナはまさに掻き込むと言うのがふさわしい、いっそ見ていて気分良いぐらいの
食べっぷりで。
ユイは行儀作法の見本のように。

一時、三人のあいだを静かな空気が通り過ぎた。

「──どう、ゲンちゃん?屋上で食べるのも、結構いいでしょ?」
「・・・そうだな。結構、良い・・かもな」
「風も気持ち良いし、日差しも暖かい・・・
 天気の良い日は、やっぱり外で食べた方が美味しいわ」

食べているうちに気分も落ち着いてきたのか、ゲンドウは不愛想ながらもヒナの
問いに答えた。素直に肯定しない処は、精一杯の意地と言うモノだろう。
それに続いたユイの言葉には、思わず頷いていたのだから。

空高く晴れ渡り、雲穏やかに流れ、風優しく頬を撫で、日は柔らかにその恵みを
降り注ぐ。
まさに春と言う季節にふさわしい、穏やかな時間であった。

「天井が無い、だけでも、だいぶ違うんだなぁ・・・」
「そういう事。あんな締め切った空気じゃ、こっちの気が滅入ってきちゃうわよ」
「私は教室で食べるのも結構好きなんだけどね。
 なんて言ったらいいかな・・・。
 たくさん人がいて、騒々しいぐらいなんだけど、
 でもそれが心地良いと言うか・・・」
「う〜〜ん、ユイの言いたい事もわかるんだけど・・・」


ヒナとユイの会話を聞きながら、ゲンドウは澄み渡った青空を見上げていた。
その見上げた空に吸い込まれそうな感覚を、ゲンドウは改めて新鮮に感じていた
のだ。

(そう言えば・・・前に空を見上げたのは、いつだったか?)

しみじみと思い返してみる。
記憶の中には、日々の喧噪に追われ、慌ただしい時を過ごす自分しかいなかった。
他人に頼ることなく、全てを自分で決定し、目的のためには手段を選ばず、選ん
だ手段の為に目的を忘れる・・・余裕とかゆとりといった言葉と縁がない起伏の
激しい人生。
それは決して望ましい生き方ではない。

(・・・たまにはこういう時間も必要だな)

ヒナとユイの思惑は別にして、この一時が心の休息となったのは事実だ。
そう思えば、ゲンドウのヒナへの腹立たしさも影を潜めてしまう。
微笑のひとつも浮かんでこよう、そんな時──

「・・・ゲンちゃん、ゲンちゃんたらっ!!」
「ん、あ、な、何だ?」
「もう、聞いてなかったの?
しょうがないわね・・・もう一回言うから、今度はちゃんと聞いてよ」
「あ、ああ」

いまいち状況がつかめないが、ヒナの剣幕におされてつい頷いてしまうゲンドウ。
考え事に気を取られていて、ヒナの言葉を無視してしまったらしい。

「ゲンちゃんは、屋上と教室。どっちで食べるのが良いと思う?」
「・・・はぁ?」
「ヒナ、それじゃ説明になってないわ。もう少し詳しく言わないと」
「あぁ、まったくもう・・・。ゲンちゃん。
 あたしはね、絶対に屋上で食べるほうが美味しいと思うの。
 でも、ユイは教室で食べるのも美味しいって言うのよ」
「確かに天気の良い日は屋上で食べるのが一番美味しいだろうけど・・・。
 ヒナったら、雨の日も風の日もいつも屋上じゃない?
 さすがにそれはちょっと・・・」
「駄目よ!ユイったら、気合が足りないわ!」
「・・・ヒナ、気合とかそういう問題じゃないだろう」
「ゲンちゃんも気合が足りないわよ!!
 ・・とにかく、ゲンちゃんはどっちが良いと思うの?」
「え?」

ここで始めて、二人の意見のどちらを支持するか、と聞かれている事に気付いた。
それは幼い頃ヒナに尋ねられた「火だるまと血だるま、どっちが良い?」に匹敵
する、究極の選択だった。

(じょ、冗談ではない!!!)

個人的意見としては、「ユイ」に賛成である。
いったい何が哀しくて雨に濡れてまで屋上で弁当を食わなければならないのだ。
しかし、それすなわちヒナの意見に沿わないと言う事で、後々ヒナの報復が恐ろ
しい。
骨の髄まで染み込んだ恐怖で、本能、理性ともに「ヒナ」を選びかける。

しかし、ヒナに鍛え上げられた第六感がけたたましい警報を鳴らしている。
彼はこの三週間ほどでユイの恐ろしさの片鱗を鋭敏に感じ取っていた。
ヒナの意見に賛成すれば、どんなリアクションが返ってくるのか想像もつかない。
何ら証拠がある訳ではないが、ゲンドウは確信している。

無回答ということにしたかったが、状況がそれを許してくれそうに無い。
許された答えは「ヒナ」「ユイ」の二つだけである。

さながら鏡の前に置かれたガマガエルの如く、ゲンドウはだらだらと脂汗を流し
始めた。
どちらを選んでも後が恐ろしいと、第六感が切実に訴えかけてくる。
心の天秤は寸分の狂いもなく、髪の毛1本の違いすらなく、完璧に釣り合ってい
た。

「さぁ、どっち?」
「どちらかしら?」

にこやかな笑顔のままで、二人がにじり寄ってくる。
もはや逃げ道はないと、ゲンドウは覚悟を決めた。

「い、碇さんに賛成だ・・・」

肺の中味を絞り出すかのように、ゲンドウは言葉を絞り出す。
どちらを選んでも同じなら、(哀しいことだが)慣れている仕打ちの方がましだ。
それにヒナへのささやかな逆襲だと考えれば、少しは・・・

そんなゲンドウの言葉を聞いた二人の反応は対照的であった。

ヒナは唖然とした顔をしていた。これにはゲンドウも少々溜飲が下がった。
ユイは手を合わせ、にこやかな笑顔を浮かべていた。

(おっかし〜な〜?ゲンちゃんがどっちか選べるなんて)
(てっきりお茶を濁すと思っていたのに・・・)
(でも、なんか・・・腹立つ!!)

自分でも良く分からない理由で、ヒナは機嫌を損ねた。
ゲンドウにしてみれば言いがかりもいい所なのだが、ヒナにとってはゲンドウの
せいで気分が悪くなったのだ。
だからヒナは、それを手短に発散させる手段を取る事にした。

「ゲンちゃんひどい!あたしよりユイを選ぶなんて!!」
「な、何を言ってるんだ!誰が雨の日にぬれながら、
 屋上で弁当食わなくてはならんのだ!
 そこらへんの奴に聞いてみろ!十人中十人がイヤだと言うに決まっている!!」

予想された反応にゲンドウは一応用意しておいた逃げ口上を打つ。
理屈はそうなのかも知れないが、あいにくとヒナが欲しいのはそんな理屈ではな
く不満の発散対象だけだった。

「ええい、問答無用!!ゲンちゃん、そこになおりなさい!
 月にかわってお仕置きよ!!」
「だから、なんでそうなるんだぁぁぁぁぁぁ!!」

逃げるゲンドウ、追いかけるヒナ。
そしてにこやかな笑顔でそれを見守るユイ。

穏やかな春の日差しの降り注ぐ屋上で、二人のおいかけっことスパーリング──
と言っても攻撃は一方的だったが──は昼休み終了の鐘が鳴るまで続いていたと
いう。





午後七時四十七分。
一向に鈍る事の無い客足と、ひっきりなしの注文。
そして響くは歓迎しているのか怒鳴っているのかわからない店員の掛け声。
今日も今日とて六分儀ゲンドウは、板場仕事に精を出していた。

世は不景気と言われながらも、この居酒屋にはそのかげりすら見えない。
この御時世忙しいのは良い事と言われて久しいが、物には限度、人間には体力の
限界と言う物がある。

(もうちょっと暇になってくれないかなぁ)

というのがゲンドウの心境であった。
忙しい割にはあまり休みをくれない会社に文句を言うサラリーマンのようである。
それを理由に手を抜いて、多少味を落とせば必然的に客足も遠のくだろう。
となれば、「楽で儲かるアルバイト」という目的を達成できるのだが、選んだ手
段に目が眩み、もはや妥協などプライドが許さない。

如何に素早く的確に、完璧で最高の料理を作るか?
包丁道を極めてやる!!
私は負けない!道場さん!!

・・・難儀と言うほかない性格である。


結局この店で一番の幸せ者は、間違いなく店長であろう。
なにしろ売り上げが二倍になり、人件費は数分の1。
笑いが止まらず、夜な夜な祝杯を上げているそうである。





同午後八時二十三分。

がらがらがら、と相変わらず立て付けの悪いスライド式のドアが、新しい客の訪
れを知らせる。

「ヘイ、らっしゃーい!!」
「っらっしゃーい!!」
「何名様で!?」
「三人です」
「カウンターへどうぞー!!」

相変わらず調理に忙しいゲンドウは、来客の方を一顧たりともしなかった。
ゲンドウにとってはそれどころではない。まだ七つのオーダーがゲンドウを待っ
ている。
だから、その声を聞くまでは頭さえ上げなかったのだ。

「こんばんわ、六分儀君」
「り、理事長!?」

慌てて頭を上げたゲンドウの視界には、にこやかな笑顔でカウンターに座るトキ
とユイ、ついでに苦り切った表情の冬月がいた。
一瞬にしてゲンドウの顔から血の気がひき、奈落の底に叩き込まれるような感覚
に襲われる。


(やややややばい!!バイトがばれてしまったのか!?)
(学園側にばれてしまった!!こんなバイトじゃ、停学か退学か・・・)
(ああ、どっちにしろろくなモンじゃない!)
(どうしよう、どうすれば、どうしたら・・・!!!)

パニックに陥り、思考のループにはまってしまうゲンドウ。
ゲンドウをその状況下に置いた本人は、それを気にする様子も無く穏やかにゲン
ドウに話しかけた。

「六分儀君、この間ユイに作ってくれた料理をお願いできるかしら」
「「・・・へ???」」

呆気に取られた呟きは、ゲンドウと冬月の口から同時に漏れた物だった。
すぐに立ち直ったのは、冬月のほうだった。

「り、理事長!!か、彼を処分しないのですか!?」
「あら?どうして?ウチの学則じゃ、アルバイトは禁止してないわよ」
「『学園の認める健全な』という但し書きが付記されているはずです!
 それをよりにもよって、水商売とは!!」
「まぁあ、水商売ってのも大袈裟ね。飲食店じゃない」
「ファーストフードやファミレスとは訳が違います!」
「別に構わないでしょう?彼が飲酒してるんでもないし・・」

最後の一言にゲンドウはギクリとした。
なにしろ、ココは居酒屋だ。
調理の合間に景気付けに1杯!は公認である。当然ただ。
貧乏性は今や彼の第2の本性、ただとなればどんなモノでも遠慮などしない。
食べれるとき、飲めるときが華なのだ。
実際今日も既に片手の指では数えられないコップを重ねている。
彼は酔いが顔に出ない体質に産んでくれた両親に心から感謝していた。

「もう、冬月君ったら。そんなんじゃ、モテないわよ〜」
「りじちょうおぉぉぉぉぉぉぉl!!」

教育者にあるまじきセリフを吐きながらトキはにこやかに笑い、冬月は頭を抱え
て絶叫する。
さほど広くない店内に冬月の声は満たされ、客と店員の視線が冬月に集まった。

「はぁはぁはぁ・・・」

ひとしきり叫び酸欠に陥った冬月が荒く呼吸をする。
その様子を見て、客と店員達は見てはならない物を見たかのように視線を逸らせ
た。
そんな冬月の苦悩を見ながら・・・いや多分見ていないのだろう、一方的にトキ
は喋り出した。

「・・・仕事に貴賤はないわ。それに、働く事は悪い事じゃない。
 良い社会勉強よ」
「ひぃひぃひぃ・・・」
「それどころかアルバイトすらしていない生徒の方が、
 社会に出て大丈夫かと思うぐらいだわ」
「ぜぇぜぇぜぇ・・・」

なおも息切れしている冬月にトキは話し掛けているが、酸欠寸前の冬月はそれど
ころではない。
もっともトキのほうもあまり気にした様子も無く、一方的に喋っていたのだが。

「ごめんなさいね、六分儀君。迷惑かけちゃって」
「・・ああ、いや、気にする事はないよ。碇さん」
「お祖母さまと話していたら、六分儀君の料理を是非食べたいって聞かないの」
「いや、それはまた・・・光栄だな。
それはそうと・・・何で?」

最後の「何で?」にかぶせるように、ゲンドウは冬月のほうを見やる。
あわれ打ちのめされた冬月は両腕で頭を抱え、真っ白に燃え尽きていた。
ゲンドウの質問の意──すなわち何故冬月が?──を汲んだユイが、言いにくそ
うに答えた。

「ええと、それがその・・・。
面白そうだから連れて行こうって、お祖母さまが・・・」
「・・・気の毒に」

つまり、全ては計画されていたのだ。
あらん限りの同情を持って、ゲンドウは燃え尽きた冬月の冥福を祈った。

「さてさて、お話はこれくらいにして・・・・
 六分儀君、お料理はまだかしら。お腹空いちゃったわ」
「あ、はい、今かかります。
 ・・・碇さんは何にするんだい?」
「私も、この間のをお願い」
「ああ、わかった」

トキとユイの注文を聞いたあとでゲンドウは冬月に注文を聞こうか迷った。
が、真っ白に燃え尽きた冬月は反応しそうも無い。
ふっと息を吐くと、気付かなかったということにして調理に取り掛かった。




はじめそれは、ごく至近の人間にしか聞こえない程度のモノであった。
だが時間と共に次第に大きくなり始め、聞こえた人の数も段々と増えていった。
そしてとうとう店内で聞き逃す者はいまい、というほどのモノとなった。
それは、冬月の笑い声であった。

「・・・ふ、ふふ、ふふふふふ・・・ははははははは!!
六分儀君、酒だ酒!!この店で一番強い酒を出したまえ!!」

再起動したはいいがまだ全回復には程遠い、壊れているとしか思えない事を大声
で叫ぶ冬月。
どちらかと言えば、全快より全壊が表現としてふさわしいだろう。

「六分儀君、アレ、君の知り合い?」
「いいえまったくもって何の一面識もない赤の他人です」

冬月をびしっと指差しながらの店長の問いに、ためらい無く一息にきっぱりと言
い放つゲンドウ。

「六分儀君、はやく持って来たまえ!
何でもいい、アルコールならエチルだろうかメチルだろうが何でも構わないぞ!
!」
「六分儀君、アレ」
「はい、いま、大人しくさせます」

そう言って厨房の奥に消えるゲンドウ。
しばらくして手に少し大き目のグラスを持って現われた。

「どうぞ」
「ようやくかね!まったくいつまで待たせる・・・ビールじゃないか。
・・・まあいい。どれ、まず一杯」

真っ白な泡を立てているコップの中味の液体を、壊れた冬月はビールと疑いもせ
ず一気に煽った。
ごきゅごきゅごきゅ、と見ているほうが気持ち良いぐらいの飲みっぷりで、グラ
スの中味を胃に流し込む。

「うむ、なかなかいけるじゃないか。どれ、も・う・・いっぱ・・・い」

自らの語尾に重なるように、冬月はその場に崩れ落ちる。
幸いと言うべきか冬月は椅子に腰掛けたままだったので、カウンターに突っ伏す
だけですんだ。

「六分儀君、冬月先生に何飲ませたの?」
「・・・どんな酔っ払いでも一発轟沈、特別調合の酒だ」

ゲンドウが用意した酒は、こんな事もあろうかと開発しておいた特別な物である。
古酒(クースー)、泡盛、ウォッカ、テキーラ、ジン、火が点くほどアルコール
度数の高いあらゆる酒をベースにブレンドし、最後に匂い消しのビールを混ぜ合
わせた物である。
ただでさえ強い酒をちゃんぽんする事によって、悪酔いさせる。
トドメに目薬が1本分まるまる混ぜられている。

※良い子は絶対マネしてはいけません!!※

アルコールに免疫の無い人間など、あっという間に落ちてしまうだろう。
事実、普段付き合い程度にしかあまり酒を飲まない冬月は顔を真っ赤にしてつぶ
れてしまった。

「うむ、これでよし。
 さて、最後の仕上げに入るか」

ゲンドウは満足げにそう呟くと、中断していた調理に戻る。
あとは最後の仕上げをして盛り付けて終わりだ。

「・・・お待ちどうさま」
「はいはい、まっていました!」

今かと待ちくたびれたトキは、子供のようにはしゃぎながらゲンドウの手の中の
料理を見つめている。
ユイはそんなトキの様子を少々困った顔で見つめていた。
もっともそんなユイも自分の前に皿が並べられると、吹っ切るかのように表情を
にこやかな笑顔に一転させた。

「「いただきます!」」

二人は示し合わせたような完璧なユニゾンを放ち、料理を食べ始めた。
トキは完璧な作法で、満面の笑みを浮かべてゆっくり味わいながら食べている。
ユイはトキほどではないが礼儀正しく、やはり味わいながら食べている。
そしてゲンドウは、その二人の様子を満足げに眺めていた。

やはり美味しそうな顔をして料理を食べてくれると、作ったこちらまで良い気分
になれる。
せっかく作っても、しかめっつらで食べられては作ったこちらの気分まで悪くな
るという物だ。
この事を気付かせてくれたのは、今目の前にいるユイなのだ。
まったく、感謝してもしたりない。
そんな想いに、ゲンドウは浸っていた。

むろんゲンドウの視界には、赤ら顔で涙を流しながらカウンターに突っ伏し、何
事かをぶつぶつ呟いている冬月の姿など入ってはいない。




「──さて、お腹もいっぱいになった事だし、そろそろ帰りましょうか」
「はい、お祖母さま」

料理を堪能し食欲を満たすと、二人は早々に店を出る事に決めた。
いまだ店は忙しく、ゲンドウのほうも手が離せない状態であるし、まだ客足も鈍
りそうに無い。
そういった理由で、二人は店を後にしようとしたのだが・・・。

「冬月君、冬月君ってば!!帰るわよ!」
「冬月先生!!」

そう、まだ冬月はこちら側に帰ってきていないのだ。
先程から相変わらず判別不能の音量でぶつぶつと呟いている。
目は死んだ魚のように深く濁っており、普通なら出来るだけお近付きになりたく
はないだろう。
それほどヤバい。

「冬月君ったら・・・っもう、しょうがないわねぇ。
どうした物かしら・・・」

普段ならいざ知らず、さすがに酔っ払いを引きずりまわしたりは出来ないので困
り果てるトキ。
そのトキの様子を見て、ふと軽い思い付きでゲンドウはトキに提案してみる。

「あの・・・ウチの方で預かっておきましょうか?
終わりまで目が覚めなくても、俺の方で付き添いますから。
コレをかついでいくのは大変でしょう?」
「う〜〜ん・・・確かに冬月君をかつぐのはちょっとツラいのよね。
じゃぁ申し訳ないけど六分儀君、お願いできるかしら」
「任せておいてください」
「六分儀君、冬月先生をお願いね」
「わかった、碇さん」

こうしてトキとユイは冬月を店に残し、帰って行った。
帰り際に、

「タクシー代に使ってね」

と大めに料金を渡して出ていった。





まだ十分に騒がしい道を、トキとユイは並んで歩いていた。
もう少し歩いて、大通りでタクシーを捕まえるつもりなのだ。

歩く速度をすこし落とし、ぽつりぽつりと確認するかのようにユイに話し掛ける
トキ。

「彼・・・六分儀君。お料理上手だったわね。
家庭料理を美味しく食べさせてくれる所って、そう無いから」
「はい」
「それに・・・なかなか面白そうな子ね。
反応が見ていて飽きないわ」
「はい」
「冬月君がいると、余計面白いわ。
似たもの同士なのかしら、反発しあっているし」
「はい」

急に歩くのを止め、立ち止まるトキ。
三歩ほど先に進んだユイは、振り返り、祖母をみやった。
ちょうど後ろから来た車のライトが逆光になり、ユイにはトキの表情は分からな
かった。

「──彼の事、気になる?」
「・・・はい」

トキの問いに、ユイは僅かに頬を染め穏やかな笑みで答えた。
それは普段のにこやかな笑顔ではなく、トキでも見た事の無い、穏やかで物静か
な笑顔だった。




yukinori oguraさんへの感想はこ・ち・ら♪   



月刊オヤヂニスト

 冬月  「貴様! 私に一服盛ったな!」

 ゲンドウ「はい? なんのことですかな? 私にはそんな記憶はとんとありませんが」

 冬月  「しらばっくれるな! あの店で出てきた怪しげな液体! あれがビールのはずがなかろう! そうだそうにちがいない! そうでなければこの私がたったビールの一杯ごときで酔っぱらうわけがない!」

 ゲンドウ「(ちっ、妙なところで勘の鋭い)まさか。お客様商売の店でそのようなことをするはずがないじゃないですか。それに、ビール一杯でつぶれたということは、先生がお年をめされたということではないですか?(にや)」

 冬月  「かーっ! だまれ! 貴様は私をヂヂイだといいたいのか!」

 ゲンドウ「ほらほら、そうやって頭に血が上ると、ぷちっといっちゃいますよ、ぷちっと」

 冬月  「うぐぐぐぐ・・・・貴様・・・・」

 ゲンドウ「なに、先生はまだまだお若いじゃないですか。ええ若い若い」

 冬月  「そのとってつけたような言い方はやめんかー! だーっ!」

 ゲンドウ「(ふっ。こういう機会にてってーてきに叩いておくに限るな)」

 冬月  「・・・・く、くっ・・・・しかし・・・・君はずいぶんと酔っぱらいの介抱には慣れているじゃないか」

 ゲンドウ「まあ、それはああいう店ですからね。先生みたいな酔っぱらいは多いもので」

 冬月  「(ぐぬぬ・・・・こ、この男・・・・)・・・・にしては、薬の効能だとかどれを飲めば一番効くのかなどを知っていたね。まるで自分が使ったことがあるみたいじゃないか」

 ゲンドウ「ぎくぎくぎくっ!」

 冬月  「おや、どうしたのかね?ずいぶんと冷や汗が出ているじゃないか」

 ゲンドウ「い、いえ、な、なんでもないですよ。そ、それはお客さんから聞いた話ですから」

 冬月  「そうだろうなそうだろうな〜。居酒屋でのバイトとはいえ、君はまだ未成年だからね〜。飲まなければかまわないと理事長もおっしゃっていた以上、飲んでいたらとんでもないことになるだろうからね〜」

 ゲンドウ「うくくく、そ、そうに決まっているじゃないですか」

 冬月  「そうだろうな〜。おうそうそう、ときに一つ聞きたいことがあるのだが」

 ゲンドウ「はい?」

 冬月  「店にあった長野の「真澄」と北陸の「越の寒梅」、どちらが客の評判がいいかね? 前回飲めなかったので今度のもうと思うのだが」

 ゲンドウ「その二つですか? 昔からのブランドで行くと文句なく「越の寒梅」なんですけどね ・・・しかし、お酒が弱いのではなかったのですか?」

 冬月  「しかし最近では「真澄」のほうもランクが上がってきたらしいじゃないか。酒は確かに弱いが、だからといって日本酒が嫌いなわけではない」」

 ゲンドウ「そう、それなんですよ。知らない客は名前にだまされて「寒梅」が一番うまいといっていますが、本当に知っている客は、確かにうまいですが値段の高い「寒梅」よりも、同じくらいの味を誇りながら値段の格別に安い「真澄」を選ぶんですよ。そこの選び方を見て、酒を本当に知っている人を見分けることができますね。まあ、飲み具合

 冬月  「そうだろうなぁ。で、君自信の感想は?」

 ゲンドウ「そりゃあもちろん味では寒梅です。仕事中はこいつで決まりですよ。ただ、自分の財布でうまい酒を飲むときは真澄ですね・・・・って!」

 冬月  「ふっふっふっふっふ!」

 ゲンドウ「が、がぁぁ、しまったぁぁぁ!!」

 冬月  「ついに馬脚を現したな! だいたいこんな事じゃないかと思っていたがまさにその通り! ついに証拠をつかんだぞ! これで貴様も退学だ!」

 ゲンドウ「な、何を言ってるのでしょうね。私にはいっているいみがよくわからないですよ。それに、貴方以外の誰が今の話をきいたというんですか」

 冬月  「確かに人は誰も聞いてないがな。しかしこのテープレコーダーはちゃんと聞いていたりするんだな」

 ゲンドウ「なに! 薄汚いことをしてまで罠にはめたいのですか!」

 冬月  「なんとでもいうがいいさ。力あるものこそ正義なのだよ、ネモ船長

 ゲンドウ「・・・・は?」

 冬月  「・・・・い、今のはともかく、だ、このテープを理事長に報告されたくなかったら・・・・・私の言いたいことは分かっているだろうな」」

 ゲンドウ「貴、貴様・・・ぎりぎり」

 冬月  「さあ、どういえばいいかくらいわかるだろう。ええ、ゲンドウ君・・・・ん?」」

 ゲンドウ「があああああ! こうなったら実力行使あるのみ!

 冬月  「うどあぁぁだぁぁ! 貴、貴様何をする!」

 ゲンドウ「うるさい! そのテープレコーダーを破壊しておのれを葬れば、私は高校に安泰でいられる!」

 冬月  「教師一人消して安泰も何もあるか!」

 ゲンドウ「うるさい、世界は私のために回っているからいいのだ!」

 冬月  「そんな理由があるか〜!」

 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っちゃぁぁぁん♪」

 ゲンドウ「ん?」

 冬月  「ん?」

 ヒナ  「ゲンっちゃ〜ん! やっとみつけた〜ここにいたのね〜♪」

 冬月  「なに! なんだ!」

 ヒナ  「(ぢぃぃぃぃぃ)何よこのヂジイは。邪魔邪魔、あたしとゲンちゃんの二人の世界を邪魔しないでよ!」

 ぐしゃ

 冬月  「あ、ああああああ!! 私の私のテープレコーダーが!!」

 ヒナ  「あーうるさいうるさい。さっさとあっち行ってよ」

 ゲンドウ「(ナイスだヒナ!)・・・つまり、これで全てを知る人は貴方一人だけになった、ということですね。冬月先生」

 冬月  「ぐ・・・・・」

 ヒナ  「なになになんのはなし?」

 ゲンドウ「いや、なんでもない。しかしよくやったヒナ」

 ヒナ  「え? 今なんて言った?」

 ゲンドウ「いや、よくやってくれた、と」

 ヒナ  「う、う、うれしぃぃぃぃぃ! ゲンちゃんが私を誉めてくれた〜きゃぁ〜〜〜〜〜だきだきだきっ!

 ゲンドウ「こ、こらやめんか、おいやめろというのだ〜!」

 ユイ  「あらあなた。相変わらず仲がよろしいわね」

 ゲンドウ「げっ! ユ、ユイ!」

 ユイ  「やっぱり幼なじみって言うのは違うのね〜うんうん」

 ゲンドウ「だから違うというのだ! ヒナが、ヒナが相変わらずわしにべたべたべたべたと・・・・」

 ユイ  「高校時代から見ていてつとに思うんですけど」

 ゲンドウ「だから頼むからいい加減に理解してくれ! 私が好んでやっているんではなく、だな!」

 ユイ  「学習能力って言葉、知っています?(にこり)」

 ゲンドウ「ぐはぁぁ! い、言ってはならない言葉を!」

 ユイ  「さて、そろそろ家に帰らないと。それでは、また」

 ゲンドウ「ユ、ユイ・・・・また私を捨てていくのか・・・・(号泣)」


おや、別の視点があるみたいだね
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