夕刻。
空は茜色に染まり、照り返しが紅く教室を染め上げる。
物音一つしない学園は、何とも言えない寂寥感をたたずむ者に与える。
とうに下校時刻は過ぎており、正面玄関に施錠されようかと言う時間。
私立第二新東京市第壱学園二年B組には二つの影が存在していた。

シルエッだけを見れば、時刻といい場所といい男女間の告白シーンに見えたのか
もしれないが、あいにくと影は二つとも男子生徒であった。押し黙ったままの二
人の片方が、不意に口を開く。

「闇討ちだ」
「はぁ?」
「・・・」
「闇討ちって・・・誰を?」
「決まっているだろう。あの、六分儀だ!!」
「そりゃぁまた・・・なんで?」
「決まっている!碇さんの事だ!」
「・・・」
「・・・」
「・・・やんの、ホントに?」
「やる!」
「でもよぉ、お前だって知ってんだろ?
 アイツ・・・六分儀に返り討ちにあった奴等の事」
「・・・知っている」
「信じたかないけど冗談抜きで百人斬り行くんじゃないかって話だぜ?
なかにゃ空手の経験者とかもいたって話だしよ・・・」
「・・・」
「・・・」
「碇さんが・・・」
「?」
「碇さんが、六分儀と一緒にいると、彼女の笑顔が失われるんだ。
 俺は中等部の頃から、いつも彼女の笑顔を見てきたんだ。
それが、いまは六分儀の一挙手一投足で・・・。
 碇さんの怒った顔、不機嫌そうな顔・・・
 怒った顔はちょっと魅力的だったが・・・
 あいや、とにかく彼女の笑顔を取り戻す為に、俺は戦う!」
「・・・わかったわかった、もうとめやしねーよ。お前の好きなよーにやんな。
 そういや、何でオレにそんな話するんだ?」
「・・・中等部からの親友と見込んで、お前に頼みがある」
「・・・(腐れ縁だ、腐れ縁)」
「手伝ってくれ!!」
「・・・・」
「確かに奴は手強い。俺一人では心もとない。だがお前がいれば俺が逃げる間、
 お前が矢面に立って奴の攻撃をしのぐ事も可能だ!」
「・・・」
「失敗したとしても、生存率がグンとアップするに違いあるまい」
「・・・」
「・・・」
「・・・まさか、オレを、呼んだのは、そんな事を、頼む為か・・・?」
「そんな事とは何だ!これには碇さんの微笑みがかかって・・・」
「知るかそんなモンっっっっ!!!!!!!!!」

どげしぃっ!!

「げはぁ!!」
「ったく、碇の笑顔の為だと!?人を呼び出したかと思えば、そんな事かよ。
 まったく!!
だいたいなぁ、いつも笑顔ってほうがおかしいんだ!
 人間には感情って物があるんだよ!
怒ったり、泣いたり、悲しんだり・・・笑うのは、そのうちの一つだろうが!
いつも仏頂面てのもなんだが、いつも笑顔ってのも変なんだよ!」
「・・・」
「一人でやってろ!!」














「・・・・・・だ、誰か・・・医者を・・・(げふっ)」

夜の闇に包まれた教室で、その一画だけがなお紅かった。




注)・・・・以上の会話はフィクションです。
  実在の人物、団体とはいっさい関係ありません。
  (音声は一部変更されています)




Welcome外伝
ここが僕らの出発地点
第六話 「幸せの仮面」





碇という家が有る。
全国に二十六の学園を所有、経営している。その系図は室町、いや鎌倉時代まで
遡れる。そんな古い家系だった。

十六年前、この家に双子の女の子が生まれた。
双子の母の名は碇ナツル。碇家現当主カサキ、その妻であり夫以上の発言権を持
つとも言われるトキの長女である。子供達はユイとケイと名付けられた。

二人はカサキとトキにとって初孫であった。
よって彼らの孫達への溺愛ぶりは凄まじく、いささか(世間一般の尺度からすれ
ば、かなり)度を越していた。
それゆえ、母親であるナツルはさんざ悩まされる事となった。

「ふふ、ふふ・・・ユイにケイ・・・私の可愛い孫達・・・。
今おばあちゃんが行くから待っててね」

そろりそろりとトキは足音を殺して、日当たりの良い縁側で昼寝をしているユイ
とケイに近づいて行く。

「かあさん!」
「!?」
「何してんの!?」
「ナ、ナツル!?な、ななな何でもないわよ?」
「・・・いま後ろに隠した物、出して」
「・・・」
「出・し・て」
「・・・はい」
「まったく・・・いくら欲しがるからって、
 甘い物ばっかりあげてちゃ駄目でしょ!?
 私達の時はアメ玉1つくれなかったクセに!」
「うっうっ・・・だって・・・だってユイとケイが欲しいって言うから・・・」
「泣かないでよ、まったく・・・
(泣きたいのはこっちよ・・・我が母ながら、情けない)
・・・って、とうさんも!!」
「ちぃっ見つかったか!ええいトキ、もっと時間を稼がんか!」
「何言っているんですか!
 あなたこそ、しっっっかり囮になってくれなきゃ駄目じゃない!」
「なにおう!?そんなことしたらワシが可愛い孫達の顔を見れんじゃぁないか!」
「あなたこそ私を囮にして、一人だけいい目に預かろうなんて、
 虫が好すぎるわよ!」
「言いおったな、このばばぁが!」
「うっさいわね!このジジイ!」

遠慮と配慮のない言葉のやり取りをしながら、齢五十も近いとは思えないスピー
ドで脱兎の如く逃げていくトキとカサキ。
口では何と罵りあっていても、そのコンビネーションは絶妙だ。ある意味で夫婦
の究極の理想形のような気もするが、一事が万事この調子では付き合いきれる物
ではない。
厳格で公明正大、巌のようにどっしりとした父。
穏やかで優しく、一本芯の通った母。
二十六年間そう信じて疑わなかった両親が、じつはあんな孫バカだったとは。情
けなくてさめざめと涙が出てくる。
さらに自分にもあの両親の血が流れているかと思うと、思いっきり憂鬱な気分に
してくれる。

「はぁぁぁぁぁ・・・」

怒りと悲しみと情けなさとやるせなさをブレンドさせた溜息1つ。
彼女の子育ての道のりはまだまだ長い。




その生活にも転機が訪れた。
二人が幼稚園に上がろうかという年頃になって、ケイの体調が良くない傾向を見
せはじめたのだ。免疫力の一時的低下により、軽い発熱をくりかえす。即生命に
関わるような物ではないが、長期の療養が必要と診断された。キチンと治療しな
ければ後に引きずるという、有り難くない忠告を付け加えて。
タイミングの悪い事に第七次学園拡張計画がスタートされたばかりで、事態はか
なり深刻だった。この計画はナツルの発案によって進められてきたものだ。ユイ
とケイも手がかからなくなり、ナツルもいよいよ本腰を入れて計画を発動しよう
としていた矢先だった。

ある日の深夜、ナツルはトキのもとを訪れた。

「・・・かあさん」
「ナツル・・・」

二人に言葉はなかった。
トキは愛娘が何を考えているのか察しがついた。
もともとナツルは仕事人間という訳でもないが、それなりに楽しみも見出してい
た。ようやく子育ての手のかかる時期も過ぎ去り、初めて自分が中心となって進
めてきた仕事に戻る事ができるようになったのだ。
だが我子ケイの療養と有っては、選択するまでも無い。それが彼女の偽らざる本心
だった。

「かあさん。私・・・」
「ナツル。ユイとケイは私たちで世話をします。
あなたは、あなたの仕事を、あなたの責務を果たしなさい」
「でも、かあさんだって自分の仕事が・・・」
「気にする事は有りません。家族を支えるのは、当然の事です」
「・・・」
「あなたやるべき事、期待と責務は並大抵の物ではないわ。
あなたは誰の手助けも無しに、自分で居場所を作りなさい。
そうしなければ、一族として認められないわ」

碇家は長い歴史を持っている。しかし、格式に捕らわれる事はなかった。いや、
それどころか完璧なまでの実力至上主義を掲げてきた。家中での居場所は自分で
作らねばならない。己の責務を自覚し、遂行する。その上で、自らの席をつくる。
そうしなければ、「碇」の名を名乗る事も許されない。成年に達した時点で親の
庇護は一切求められない・・・
そういう家だった。

であればこそ、数々の動乱の時代を、戦国期、明治維新、2度の大戦を生き抜き
発展し続けて来れたのだ。

「・・・」
「・・・それにね、私ももう一線を退こうと思ってね。
孫達の面倒を見ながらの生活は、きっと楽しいでしょうね」
「・・・ありがとう、かあさん」
「いいのよ」

この日ナツルは、母と視線を合わせる事が出来なかった。
母と面と向かい合えば、本心は感謝したり無いのに、きっと泣いてしまうだろうから。

数日後。

「いってらっしゃい、ナツル。しっかりやるのよ」
「うん。頼んだわね、かあさん」
「まかせておきなさい」
「・・・じゃあ、行ってくるわ」
「いってらっしゃい!おミヤゲわすれないでネ!」
「おかあさん、いってらっしゃい」
「・・・いってらっしゃい、ナツル」

碇家の玄関でトキ、そしてユイとケイは、学園建設予定地視察に出かけるナツル
を見送っていた。ナツルは車に乗り込むと、もはや振り返る事もなかった。

「いっちゃったね、おかあさん」
「・・・うん」
「・・・さ、二人とも、中に入りましょう。
そうだ・・・お茶にしましょうか。美味しいチーズケーキもあるわよ」
「はぁい!」
「はい・・・」

二人の返事に、トキはウキウキした様子でドアを開け放つ。
ユイとケイは、ケーキという言葉で頭をいっぱいにしながら玄関をくぐる。
その後に続いた彼女は静かに扉を閉じた。




「トキ」
「あらあなた、いたんですか?
・・・ユイ、ケイ、二人とも先にダイニングに行っててね。
いまあったかいミルクとケーキを持っていくから」
「はぁい!」
「はい・・・」
「あ、二人とも、先に手を洗っておきなさい」
「「はぁい」」

ユニゾンしながら、騒がしく洗面所へ走っていく二人。
トキとカサキはその様子を優しく見守ると、急にまじめな顔になった。

「・・・ナツルは行ったのか?」
「・・・ええ、ついさっき」
「そうか、行ったか・・・」
「ええ」

遠い目をする二人。

「・・・これで・・・邪魔者はいなくなった」
「ええ・・・」
「ワシが先だぞ」
「あらいやだ、何を言っているんですか。私が先です」
「・・・ワシに譲る気はないのか?言っておくが、ワシはお前に譲る気はない」
「・・・あなたこそ、ここは日頃の感謝を込めて私に譲ったらどうですか?」
「・・・・・・退けないな、お互いに」
「・・・・・・ええ。理由が有りません」
「なら・・・やるしかないな」
「ええ・・・そうですわね」


「おばあちゃん、遅いね」
「・・・ケーキ・・・」
「・・・行ってみようか?」
「ん・・・行こ」

その時ダイニングから、ケーキとミルクを人数分乗せたトレイを持ってトキが現
れた。

「はい、二人ともお待たせ」
「おばあちゃん、おそい〜!」
「ケーキ・・・」
「ごめんなさい。でも、待っただけの事は有るわよ。
・・・・・・さ、どうぞ召し上がれ」
「いただきます!」
「いただきます」

さっそく美味しそうにケーキをほおばるユイとケイ。
二人のこれ以上無いと言う幸せそうな顔に、トキは自分のケーキに手も付けず満
足げに眺めていた。

(ああ、孫達のこの笑顔!絶対に譲れないわ!)
(世界一かわいい笑顔、それが二人も!!)
(くぅぅぅ、これぞおばあちゃん冥利に尽きるわね!)

「・・・?おばあちゃん、たべないの?」
「・・・え?あ、いや、おばあちゃんはね、その・・・
そうだ!ケイ、ケーキまだ有るから、欲しくなったら言いなさい。ね?」
「ダメ・・・」
「エ?ど、どうして?ケイ」

哀しそうな顔をしながら、それでもキッパリそう告げるケイにトキは驚いて訊ね
た。ケイが黙ったままだったので、ユイが代わりに答える。

「あのネ、おかあさんとやくそくしたの」
「約束?」
「うん。ケーキとかアイスクリームとか、1にち1コにするって」
「そ、そう・・・約束なの。それじゃあ、約束は守んなきゃね・・・」
「「うん」」
(や、やるわね、ナツル!)

すっかり娘には行動を読まれている。
先手を打たれていた事にトキは心の中で舌打ちする思いだった。

「・・・おばあちゃん」
「な、何かしら?ケイ」
「ふく・・・なんでやぶれているの?」

(こ、この子、意外と鋭いわね・・・)

「こ、これはね、その・・・
さっき、ちょっと引っかけて破いちゃったのよ」
「・・・だいじょうぶ?」
「え、ええ、怪我はなかったわ」
「よかった・・・」

そういってにっこり笑うケイ。
口数も少なく、ユイほど笑顔を見せないから、その破壊力は抜群だった。

(ケイの笑顔、ケイの笑顔、ケイの笑顔・・・)
(ああ、我が人生に悔い無しっっっっ!)

ケーキをほおばるユイとケイ。
そんな二人の微笑ましい姿を内心で狂喜しながらも、顔には決して出さないトキ。
三人は、しばしダイニングでそれぞれ至福の時を過ごした。

一方廊下では、ボロ雑巾にされたカサキが転がっていた。
たまたま仕事で訪ねて来た者がそれを発見。救急車を呼ぶ騒ぎとなった。
全治1カ月、最低一週間の入院と診断されたが、不死鳥の如く一日で復活した。
以下は当人ならびに病院医師のコメントである。

「ワシのっ!孫へのっ!愛は無限大じゃぁ!
こんな傷、ぺぺぺのぺで完治じゃわい!」
「いやぁ驚きましたよ。とても五十近い方の回復力じゃ有りません。
若い人でも3週間じゃ完治しませんよ、あの怪我。
あの、ここからオフレコでいいですか?
・・・人間じゃないですよ、あの回復力」

それに対する妻のコメント。

「一週間の所を、一日で?
まぁ、本当に?
・・・しまったわ、下手に手加減したのが間違いだったようね・・・
え?今なんか言ったか、ですか?
いえいえ、なぁんにも言ってませんわ。聞き違いじゃないかしら?
・・・こんどはしっかりと止めを刺さないと・・・
え?また言った?
・・・あなた、耳が良すぎるようね。ちょっとこっちにいらっしゃい。
怖がる事はないわ。痛くしないし、そのうち気持ちよくなるから。
逃げなくていいのよ・・・」

以後レポーターは一週間連絡を絶ったが、帰って来た彼は何かに脅えた様子で数
日後失踪した。彼の身に何があったのか、誰も知る者はいない。真実は闇の中に
消えた。




一年後。
ケイが体調を崩しはじめた。
診断されてから一年、ケイとユイは幼稚園に通わずに、碇家で家庭教師の教育を
受けていた。ユイ一人を幼稚園に行かせてはケイが寂しがるだろう。トキはそう
判断し、カサキも賛成した。そしてナツルの同意の元、自宅での教育となった。
ケイはベッドで横になる日が増え、皆心配して止まなかった。
それでも、ユイは妹の前では無理矢理にでも明るく振る舞う。そうするのが自分
の役割だと言わんばかりに。

どんなに哀しい時でも。
どんなにつらい時でも。


一方トキとカサキは・・・・

「ケイっ大丈夫か、何か欲しい物はないか!?
あったら言え、何でもおじいちゃんが買ってきてやるぞ!」
「あなた、静かにして下さい!
それに、もうちょっと言い方って物が有るでしょう?」
「何だと?ケイを心配して止まないワシのこの気持ちが、
 お前には分からんのか?」
「そうじゃなくて、そんな尊大な言い方はやめて下さいって言ってるんですよ」
「なにおう!?ワシは・・・」
「おじいちゃん・・・」

興奮状態のカサキと、それに呆れ顔で付き合うトキ。
消え入るような声で、ケイはカサキに呼びかける。
それだけで、カサキには効果てきめんだった。

「何だ、ケイ?何が欲しい?何でも買ってきてやるぞ!」
「あのね・・・ほんがほしいの」
「そ、そうか。で、何の本が欲しいんだ?」
「やまとか・・・うみとか・・・みたい」
「山、海?それは、写真か?」
「うん、どこかとおくの、ケイがいったコトないとこ・・・見てみたい」
「よし、わかった!
 まってろ、一番いい物を揃えてやるぞぉぉぉぉぉぉ・・・・・!」

最後まで言い終える前にカサキは走り出し、雄たけびを残して消えた。
部屋には呆気に取られたトキと双子が残された。

その日、第二新東京市に、絶叫を伴いながら市内の本屋を奔走する一人の初老の
男が見かけられた。その初老の男は市内の本屋を奔走し、破壊と恐怖と混乱と札
束を本屋に残して何処とも知れぬ場所へと去っていったと言う。


「ケイ、何か気に入った物は有った?」

トキは膨大な数の風景写真集の置かれたケイの部屋へと入った。
カサキが勢いに任せて買ってきた写真集はそれこそ百冊を超え、床の上に積み上
げられて足の踏み場も無いほどである。

(少しは処分しないと・・・)

加減を知らない夫の行動にトキは心の中で、そっとため息をついた。
この場にナツルが居れば、「似た者夫婦」と苦笑いを浮かべた事だろう。

「うん・・・」

ケイはどこかぼうっとした表情で一心にページをめくり続ける。
ユイも初めは興味を示していたが、さすがにこれだけの冊数を見る気になれず、
今はリビングでノートに向かっている。ユイは読み書きに興味を持ったようで、
今は文字を書く事が楽しいようだ。

「おばあちゃん・・・」
「なぁに、ケイ?」
「うみ、たのしかったネ・・・」
「エ?ああ、去年皆で行ったものネ。そうね。楽しかったわね。
 ケイが元気になったら、またいつでも連れてってあげるわよ」
「ホント?」
「あら、おばあちゃんがウソ言った事ある?」
「おかあさんは、いっぱいウソつくっていってた・・・」
「(ナ、ナツル〜!!)そ、そうじゃなくって、ケイにウソついた事ある?」

ケイはちょっと考え込むように小首を傾げる。

「・・・・ない」
「でしょう?だから、頑張って早く良くなるのよ」
「・・・・うん」

何処か力なくうなづくケイ。
そして、黙ったまま再び本に視線を落とす。
そのまま一言も口にしないトキとケイ。
トキは、この部屋に押し込まれて外界と接点のないケイにかける言葉が無かった。
それよりなにより、ケイの精神が下降しないかと思えてならない。
ただ与えられるだけの毎日。
自分からは、風景写真を見る事しかしない。
漠然とした不安を、トキは感じはじめた。

(何とか、何とかしなくては・・・このままでは・・・!)

このままでは。
その先は・・・思っても口にしたくはなかった。
その思いを言葉に出せば、認めてしまう。そんな気がするのだ。
しかし、どうすればいいのか、思考は空回りするだけで何も思い付かないのだっ
た。




ある日、碇家に扉を叩く訪問者があった。

「こんにちは。ケイちゃん、ユイちゃん」
「シュンおニィちゃん・・・」
「わぁ〜、いらっしゃい!おニィちゃん」

双子の歓迎を承けたのは、高校生くらいの少年だった。
彼の名は綾波シュン。
碇家の眷属の端に連なる綾波家の次男である。
全ての係累が第壱学園に進み、ひいては第壱学園もしくは一族関連企業に就くの
を常とする中で、彼は外部の高校へと進学した、いわば異端児である。大人たち
の間では、すこぶる評判が悪いのだった。

それでも面倒見が良く、小さな子供たちとも対等に接し、どんな話も真剣に聴い
てくれるので、子供たちの間では一番の人気者である。
ユイとケイも例外ではなかった。
碇家のイベントには必ず訪れ、幼い双子の相手を務めてくれる。だから、彼には
ユイはもとより、人見知りの激しいケイもすっかり懐いていた。

ケイが体調を崩して以来、見舞いに訪れてもめったな人間は部屋どころか玄関す
ら通さないトキも、彼を門前払いするワケにはいかない。
そんな事が、後々双子に知れようものなら、1週間は口を利いてもらえない。
苦々しい思いを抱きながら、トキは2種類の飲み物(紅茶とホットミルク)、ク
ッキーを用意してケイの部屋のドアをノックした。
部屋の主のかわいらしい返事を確認してから中に入ると、シュンを中心に左右か
らジャレつくようにして双子が笑っていた。普段は祖母のトキですら、めったに
お目にかかれない極上の笑みをケイが浮かべている。

(こんなところがシャクなのよね)

はるかに年下のシュンに対してトキは嫉妬の炎をメラメラと燃え上がらせるのだ
った。
それでもかわいい孫達の手前、良識ある優しい祖母を演じられるくらいの理性は、
どうやら残されていたようだ。

「・・・・それでネ、それでネ」
「あのネ、ケイね・・・」

先を争って話し掛ける2人にシュンは静かに笑って相手をする。
ふと2人が同時に息をついた瞬間を見計らって、トキは初めて声をかけた。

「それで、どう?学校は」
「エ・・・・と、そうですね。毎日課題に追われてます」
「芸術科って、忙しそうね」
「はは。好きで入ったんだから、文句は言えませんよ」
「あら、そう」
「とにかく好きな絵を毎日描けるんだから。幸せですよ」

そう締めくくる彼の顔は輝いていた。

「そうだ。忘れてた。・・・・と、はい。ケイちゃん」
「?」

シュンは荷物の中から板のような物を取り出し、ケイに手渡した。
それは簡素な額に納まった1枚の絵だった。

「・・・・うみ」
「うわぁ〜、キレェ〜」

青を基調とした柔らかなタッチ。
絵に見入るケイの横で、ユイが感嘆の声を上げる。

「コレ、どうしたの?シュンおニィちゃん」
「ボクが描いたんだよ。ケイちゃんのお見舞い。額も手製だよ」
「あら、良かったわね、ケイ」
「ありがと、おニィちゃん」
「はは、気にしないで。ホント言うと、課題だったんだ。それ」

シュンの言葉にユイが小首を傾げる。

「?」
「エ・・と、学校の宿題」
「シュクダイ?」
「そ。最初からケイちゃんにあげるつもりだったけどネ」
「いいなぁ〜、ケイ」

ユイはうらやましそうに呟いた。
当のケイは、しっかりと両手で握りしめたまま、じっと絵に見入っていた。

「じゃあ、今度はユイちゃんの分を描いてあげるね」
「ホントぉ〜?」
「ホントだよ」
「わぁ〜い、わぁ〜い、うっれしいなぁ〜。ヤクソクだよ」
「はは。それじゃあ、指切り」

そう言って、シュンは右手の小指をユイの前に差し出した。

「うん!ユ〜ビきり、げぇ〜んま〜ん、ウソついたら、
 ハリセンボンのぉ〜ます。ユビきった!」

年齢相応の子供らしさを見せるユイの様子にトキの口元もほころんだ。
その間もケイは手元の絵を見つめたまま、ぽつりと呟いた。

「ココ・・・しってる」
「え?」
「ホント?ケイ」

思いがけないケイの言葉に祖母も姉も驚いて彼女の手元を覗き込んだ。

(ケイの本に載ってたかしら?)

あれこれ思い浮かべながら、絵の中の海岸線を見つめるが、一向にそれらしい場
所は思い出されない。一方ユイは、

「ホントだ。ユイもしってるヨ、ココ」

しかし、二人ともそれが何処で、いつ見た海岸なのか、そこまでは思い出せない
様子だ。シュンは楽しそうに種明かしをした。

「去年、みんなで行った所だよ」


それはケイが本格的に体を崩す直前、みんなで遠出した最後の場所だった。
人で賑わう砂浜。
初めての海水浴にはしゃぐユイとケイ。
双子に懇願されて連れてこられた受験生のシュンに、ユイもケイもキャアキャア
言いながらまとわりつき、ふざけあう。
その光景に祖父と祖母はうらやましそうに瞳を潤ませた・・・・
そんな思いでの海岸だった。


ケイは懐かしそうに、どこか哀しそうに、1年前の光景を手の中の絵に見出して
いた。
ふっと微笑むと、シュンは明るく続けた。

「ケイちゃんが元気になったら、またみんなで行こうね」
「・・・・おニィちゃんも?」
「ああ、約束するよ。ホラ」

今度はケイの目の前に小指を差し出す。
ケイはおずおずと恥ずかしそうに指を絡めた。

「指切りゲンマン、ウソついたら針千本飲ます、指切った。
 ホラ、約束だよ。だから早く元気にならないと。ネ?」
「うん!」

ケイは大きく頷いた。




この夜、ケイは珍しくおねだりをした。

「あのネ、おばあちゃん」
「なぁに?ケイ」

ケイをベットに寝かしつけていたトキは優しく応える。

「あのね、ケイね。おえかきしたいの」
「・・・、そ、そう。それじゃあ、明日準備しましょうね」
「うん!ありがと、おばあちゃん」
「いいのよ、ケイのお願いだもの。さっ、もう遅いし、寝なさい」
「うん、おやすみなさい」
「はい、おやすみ」

ケイの部屋を出て灯りを消すと、トキは複雑な表情を浮かべた。
ただ床に伏せ、絵本や写真集を眺めるだけだったケイが、自分から絵を描きたい
と言い出したのだ。自分の意志で、自分のやりたい事を見つけたのだ。
それはとてもうれしい。ここ数日頭を悩まし続けた懸案事項が解決の糸口が見つ
かったのだから。
しかし・・・・
そのきっかけを作ったのは自分ではなく、いわんや夫でもなく、あの綾波シュン。

(本当にシャクなんだから!)

トキはフッと息をつくと、一瞬にして気分を入れ替えた。

「さ、ケイはどんな絵を描くのかしら。
 え〜、スケッチブックに、画材は何がいいのかしら?
 ・・・やっぱりクレヨンかしら。朝一番で買い物に行かないと」

るんるんと鼻歌混じりに廊下をスキップするトキの姿は偶然にもユイに目撃され、
かわいく小首を傾げさせる事となった。


「どう、ケイ?」
「・・・もうちょっと・・・」
「焦らなくていいわ、ゆっくりやりなさい」
「・・・うん」

翌日ケイは自室のベッドで上体を起こしながら、クロッキー帳にクレヨンを走ら
せていた。滑らかとは到底言えないが、迷いながら、悩みながら、それでも色と
りどりのクレヨンを動かす。

「できた!」
「出来た?見せてくれる?」
「うん!」

満面の笑みでトキにクロッキー帳を渡すケイ。
その笑顔は、この一年すっかり見せなくなったケイのどれよりも無邪気な、子供
らしい笑顔だった。
ケイの絵には、一面の青の中、灰色の物が幾つか浮かんでいた。
トキはケイが飽きる事なくじっと覗き込んでいた写真集を思い出した。
ケイは、期待と不安に胸膨らませてトキの言葉を待っている。
その様子にくすり・・・と笑うと、

「ケイ、これは・・・イルカさんね?」
「うん!」

ちょっと後ろめたかったが、ケイの笑顔を見るとどうでもよいように思える。
トキの答えに満足したのか、すでに次の絵に思案を向けている様子だった。




ここ数日というもの忙しさのあまり近づく事すら出来なかったケイの部屋で、カ
サキはまったく予想外の現実に直面した。

「なんじゃ、これは?」

カサキの視界には、部屋一面に散らばった画用紙。
それぞれに「何を」描いたのだかわからないが、取り敢えず「絵」だとは判別で
きる。その中心には、ベッドで上体を起こしてクレヨンまみれの手にも構わず一
心不乱に絵を描くケイがいる。

「ど、どうしたんじゃ、ケイ?」
「・・・」
「ケ、ケイ?」
「・・・」
「おい、ケイ〜〜〜?」
「・・・」

全く返事をせずに、文字通り憑りつかれたような表情で絵を描き続けるケイ。
何度かのやりとりの後、ようやくケイの意識がこっちの世界に戻ってきて事情を
聞く事が出来た。

「そうかぁ、ケイは絵を描いていたのか」
「うん・・・おばあちゃんが、かってくれたの。くれよんとか・・・」
「そうか、トキが・・・(ちぃぃぃ、トキめ、ポイントを稼ぎおって!)」

カサキが内心で突っ込んでいると、ケイが期待をこめた目でカサキを見ていた。
この一年、どこかふさいだ感じの多かったケイの、そんな表情を見るのはずいぶ
ん久しぶりの事だった。

「・・・えへへ、ね、おじいちゃん。これ、なぁんだ?」
「ん?ん?これかぁ・・・?」
「ね、あててみて」

カサキは差し出されたそれを見る。
一面の青に灰色の塊がいくつか。
・・・はっきり言って分からない。
だが・・・

(言えるものか!わからないだなんて!)

「う、う〜〜〜ん、これはだなぁ・・・」
「・・・・・・・(期待を込めたまなざし)」

カウントダウン開始。
ファイブ・・・

「え〜〜〜とだな〜〜〜〜」
「・・・・・・・(ちょっと不安をまじえたまなざし)」

フォー・・・

「ん〜〜と〜〜〜」
「・・・・・・・(物悲しそうなまなざし)」

スリー・・・

「う、う、う、う、う、う・・・」
「・・・・・・・(涙を堪えたまなざし)」

トゥー・・・

「くぅ〜〜〜〜〜」
「・・・・・・・(今にも泣きそうなまなざし)」

ワン・・・

「ぬぅぅぅぅぅぅぅ〜〜〜」

ゼロ!!

「もう、いい・・・。
おじいちゃんなんか・・・・・・・・・きらい」
「はぅぅぅぅぅっっっっ!!」

カコーーン、とタライが頭に落ちたかのように、カサキは首をのけぞらせる。

(言われてしまった・・・言われてしまった・・・)
(嫌いと、ケイがワシの事嫌いだと・・・)
(孫が・・・可愛いワシの孫が、ワシを嫌いだと・・・)

「うおおおおぉぉぉぉいいいいいぃぃぃぃぃぃ!!!!」

カサキは涙を流しながらケイの部屋を飛び出ていった。

その後1週間の間、カサキはすっかり痴呆してしまっていた。
1日に三十回ぐらい食事を要求したり、新聞を読もうと老眼鏡を捜す時にも、右
手にしっかり握っていたり・・・などである。
そんな彼を社会復帰させたのは、やはりケイだった。

「おじいちゃん、ごホンよんで」

先日の事などすっかり忘れたように、かわいらしくせがむ孫娘の一言は、わずか
2秒で彼を甦らせたという。




碇ユイは、五歳という年齢からすれば聡い子供だった。
周囲の大人達の感情を察するに敏で、またどういう事をすれば喜ぶのかも何とな
く察したりしていた。それにケイは人見知りが激しく、しかも赤面症だったので、
必然的に妹の分もにっこり笑顔をたたえて挨拶をしなければならなかった。祖父
母、両親共に第壱学園の経営に携わっており、自宅への来客も多く、ユイは自然
と優等生を演じるようになっていった。

その上で双子の妹、ケイの発病・・・・

以来家の中の雰囲気は大きく変わった。
笑顔しか見せた事の無かった祖父母の表情は、時折曇る事ようになった。
父は忙しく、年に数回しか顔を合わせない。
折々にお土産を携えて帰って来る母の憔悴ぶりは激しかった。
そんな家族の顔を見る度に、幼いながらもユイの中では使命感が芽生えはじめた。
大好きな家族に、笑顔でいてもらいたい。
それが自分の役割と感じて・・・いや、思い込んだユイが選んだ事は・・・
笑顔でいることだった。
自分の笑顔で、周囲の大人達が笑ってくれる。ケイも笑顔を返してくれる。
だから、純粋に、皆に笑っていて欲しいと想ってユイは笑顔を浮かべ続けた。
それが、ユイに出来る精一杯だった。
いつしか本人も気付かぬほどに、深く深く、ユイの意識の中にそれは根付いた。
自分自身、何の違和感も感じないほど、溶け込んでいった。

小学校に上がる頃になると、ケイの症状も大分良くなった。
まだ運動は止められていたが通学も許可され、二人は小学校へ入学した。
初めて触れた同世代の子供達にも当所はずいぶん戸惑った。それでもユイはいつ
も笑顔を絶やさなかった。
ケイも姉の背中越しではあったが他人との付き合いを憶えていく。
もとから人見知りが激しい上に物事にのめり込みやすい性格だったので、ケイは
周囲から浮いてしまいがちだった。しかし、絵の世界にのめり込んだ本人はあま
り気にした様子も無かった。
おおむね問題はなかった。ユイはその笑顔と人当たりのよさから大概の人間には
好意を抱かれる。先生たちにも人望のある優等生の妹にちょっかいを出そうとい
う不届き者はいなかった。
二人の小学校時代は普通とは言いかねるが、おおむね平和だった。

初めての授業参観日。
先を争って駆け付けた祖父母は、あまりに常軌を逸してはしゃぎまくり、学校側
から出入り禁止を言い渡され、おおいにふてくされたという・・・
が、それはまた別の話である。


二人が中学に上がろうかという頃、一つの事件が持ち上がった。
ケイが第壱学園に通うのを嫌がったのだ。
ユイは何の躊躇いも無かったが、どういう訳かケイは承知しなかった。理由を聞
いても黙して語らず、ただ嫌と言うばかり。
結局、ケイに押し切られる形で、近隣の公立中学への進学を認める事となってし
まった。

後日、ユイは所用で祖父母の出かけた時を見計らって妹に訊ねてみた。

「ケイ、どうして第壱学園に通わないの?」

相変わらず暇さえあれば筆を握っている妹に、ユイはベッドに腰掛けながら話し
かけた。床にもケイの描いた絵、しかも描きかけがそこら中に広げてあるので、
座れそうな場所はそこしかない。

「・・・・・・」

困った顔で、言葉を探すケイ。

「・・・お祖父さまの学校は、いつもお祖父さま達が見に来そうで、嫌・・・」

ケイはそれだけ口にすると、もうそれ以上は何もしゃべらない、とばかりに画布
に向かう。

「とか言いながら、ホントはシュン兄さんの真似でしょ?」

ユイの一言にもケイは振り返りすらしない。
それでも、その頬はほんのり桜色に染まっている。
ユイはクククっと喉の奥で笑いを押し殺す。

(まぁ・・・しょうがないか。お祖母さまも、お祖父さまもアレだもんねェ)

ユイは、ケイの言わんとする所を正確に理解した。
すっかり回復したケイであるが、いまだにトキとカサキは病人扱いしているのだ。
それはもう、ケイがうんざりするほどに。
事情はユイも対して変わらない。
これで第壱学園に入学しようものなら、あの二人の事、どんな手を使って孫達に
影響してくる事か、予想できないし、したくも無かった。
第壱学園への進学は当然の事として深く考えなかったユイも、この時初めて自分
の軽率さを悔やんだりもしたのだが・・・もはや後の祭りである。
祖母と祖父の注目がすべて自分に集まるような気がして、知らず知らずの内にブ
ルーな気分になってしまう。
その横で、ケイはただ黙々と絵を描いていた。



カサキが倒れたのは、二人が中学入学を控えた冬の年の瀬の事だった。
夕食後、突然苦しんだかと思うとすぐに意識を失い、そのまま帰らぬ人となった。
僅かな、ほんの僅かな時間の事だった。

式は、カサキの立場からすれば質素に行われた。
式を取り仕切ったのは、ナツルとその姉妹達。
トキは表面上はいつもと同じ様子で、弔問に訪れた人々に対応していた。
日付が変わろうかと言う頃、ようやく誰もいなくなった広い空間で、誰にともな
くトキは呟いた。

「馬鹿な人・・・孫達の晴れ姿を見る事無く逝ってしまうだなんて」

それがトキの漏らした、夫へのたった一つの言葉だった。

それからの数日間、事務処理に追われて家族と顔を合わせる間もなかったトキで
あったが、久方ぶりに朝食の席に姿を見せた彼女は、以前と変わらぬ彼女だった。

「おっはよ〜〜う!今日も良い天気ね!!」

いつもの微笑みを浮かべながら、自分の席に就くトキ。
いつもは表情に乏しいケイでさえ、目を丸くしてトキを見る。

「かあさん・・・?」
「お祖母さま・・・」
「・・・・・・お祖母さま・・・」
「あらあら、どうしたの三人とも?鳩が豆鉄砲食らったような顔しちゃって。
 それに、私がおはようといったのよ?三人とも、へ・ん・じ・は!?」
「「「お、おはようございます」」」
「はい、結構結構」

トキに気圧され、三人が口を揃えて挨拶すると、トキは満足気に朝食を始めた。

「かあさん・・・」
「ん?どうかしたの?ナツル」

さっさと食べ始めたトキに、ようやくナツルが声をかける。
トキは一切気にした様子も無く、朝食を続ける。
と、不意にトキは食べるのを止め、穏やかな、けれどもはっきりとした強さを感
じさせる笑顔で、三人に静かに語り始めた。

「泣かないわ。笑わないとね。先に死んでしまったあの人が悔しがるぐらい、長
生きして、孫達の、またその子供達の顔を見るまで生きて、あの人が待ちくた
びれるぐらい焦らしてやらないと、絶対死ねない。
勝手に独りで逝ってしまうんですもの。絶対に許してなんか上げないわ」

穏やかに微笑むトキ。
その微笑みの裏にどのような思いが有るのかは、正直、ナツル達には察しえなかっ
たが、強い、強いトキの笑顔だった。


暫くして、トキはカサキの後を継ぎ、第壱学園総理事長となった。





人の世にどれほどの事が有ろうと、時だけは等しく過ぎて行く。
ユイが第壱学園に、ケイが近所の公立中学校に入学する日が近づいてきた。

本来、この辺りの中学校の入学式は同日に行われるのが常だった。
しかし、どういう訳かこの年の第壱学園の入学式は一日早かった。
一日といえど、馬鹿にはならない。教師達は仕事の締め切りが一日早くなってそ
れはもう大変であった。当然の如く高等部、大学部にも公平にしわ寄せはやって
くる。

「理事長!!」
「あら?何かしら、冬月君?」

理事長室に入っていた冬月を、トキは穏やかな眼差しで見やる。

「何かしら、では有りません!
 何故今年に限って、入学式が一日早く行われるんですか!?」

新理事長への直談判などという、虎の尾を踏み付けるような仕事を押しつけられ
たのは、トキのかつての教え子で、この春大学部の助手に就任したばかりの冬月
だった。

「いいじゃない、たまには」
「は?」
「気分の問題よ、冬月君。今年はそうしようという考えが私の中に閃いて・・・」

口をあんぐりと開けていた冬月は、ここで我に返る。

「・・・・・・り、理事長、冗談は止めて下さいっ!
 そんな事を他の先生方に申し上げろとおっしゃるんですか!?」

裏声を混じらせながら叫ぶ冬月。意外と頭に血が上りやすい。
この調子では血管の一本や二本切れているかもしれない。

「まぁまぁ、冬月君。怒ると血圧上がるわよ、ね?
・・・・・・ところで冬月君。
 その説明しなければならない先生方って、誰の事かしら?」
「は、そ、それは、その・・・」
「面と向かって文句も言えないような人の意見は考慮する必要ないわね。
 反対するのはいいわ。でも、自分で言わなきゃ。そうでしょ?冬月君」

穏やかな口調のままで指摘するトキ。全くもって正論である。
冬月に返せる言葉は一切ない。
・・・・・・・・・・何処か論旨をすり替えられたような気もするが。
微かな溜め息を付きながらどうやって他の先生方に説明したものかと考え始める
冬月の耳に、今までの切れ味鋭いトキのイメージをぶち壊す一声が投げつけられ
た。

「いやあね、内緒の所なんだけど冬月君にだけ教えて上げるわ。
ほら、この近所の公立の・・・二中あるでしょ?
 あそこにケイが通う事になったんだけど、
 あそことウチの入学式って、同じ日取りでしょ?
せっかく孫達の入学式だってのに、
 片方にしか行けないだなんて悲しすぎると思わない?
まったくケイもウチに来ればいいのに・・・
 あの子ったら、絶対に嫌だ、なんて言うんですもの。
 私はもう悲しくて悲しくて・・・涙が止まらないわ。
ま、そういう訳で、二人の孫達の入学式のどちらにも出たいから、
 こうしてスケジュール調整したわけ」

あっけらかんと楽しそうに語るトキに、顎を外して目を点にして固まる冬月。
冬月が立ち直るまで、トキはそれはもう楽しそうに孫達の自慢話を続けるのであ
った。

同様の理由でこの三年後の第壱学園中等部の卒業式の日取りが同じ様に一日早く
なったのは、また別の話である。




桜の咲く頃。
第壱学園中等部の入学式は満天の空の下で行われ、その透き通るような青空は生
徒達にどこまでも未来の可能性を信じさせるものであった。
碇ユイを除いては・・・

彼女はこの日のプログラムを一目見るなり沈み込んだのだった。

「え〜、みなさん。ようこそ、私立第二新東京市第壱学園へ。
私が当学園理事長、碇トキです」

という祖母トキに始まり、学園長である叔母ヒワの挨拶。
祝辞を述べる市会議員の大叔父タカオ。
挙げ句の果てにはユイが新入生代表として生徒達の前に立つ事となってしまった
のだ。
ここまで碇性の人間が出てユイが学園関係者と思い至らない者は、あらゆる意味
で希少価値であろう。
事実、入学式に参加しなかった一人をのぞく新入生全員が、ユイが学園関係者だ
という認識を持った。いや、トキによって刷り込まされた。

そう仕向けたのは、言うまでもなくトキである。
トキはユイに悪い虫がつくのを憂慮して(配慮ではない)こういう演出に踏み切
ったのだ。

(ふふ、ユイには私が付いている限り、悪い虫を近付けさせはしないわ!)

孫バカもここに極まれば、いっそ天晴れと言えよう。


さて、余談ではあるがそういう認識を持たなかった一人の生徒とは・・・・・・

「あらあら、ゲンドウ君大丈夫?」
「・・・」
「まったくヒナも手加減って物を知らないわねぇ。誰に似たのかしら」
「母親じゃないかな」
「・・・あなた、それはどういう意味かしら?」
「ん?
・・・ツグミ、君の料理に対する姿勢、何事も手を抜かない、
 真摯なその態度がさ」
「い、いやだわ、あなたったら」
「はは。じゃ、行ってくるよ」
「はい、いってらっしゃい」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・ゲンドウ君、そろそろ行かないとホントに遅刻しちゃうわよ?
 ゲンドウくーん?
返事が無いわね、ただのしかばねかしら?」


ユイが彼の話を聞いたのは、そう古い話ではない。
姿を見かける事は何度も有ったし、特徴的な外見も相俟って憶えやすかった。
そしてなにより、数々の異名が第壱学園の語り草となっていた。

いわく、闇討ちしたい奴ナンバーワン。
いわく、幼馴染みと平然といちゃつく奴。
いわく、敵には絶対まわしたくない奴。
いわく、成績優秀、けれども内申最悪という奇妙な奴。

数々の悪名高いあだな。男子女子問わずに友人の多いユイの耳に、知らず知らず
の内に飛び込んでくるその名前。
六分儀ゲンドウ。
それが彼の名前。
後にユイと深く関わる男子生徒。

出会いの時は、もうすぐそこまで来ていた。




ユイが第壱学園中等部に入学から数えて、五回目の桜が咲く頃。
出会いは、訪れた。

「六分儀ゲンドウだ。・・・よろしく」

無愛想に言い放つその男子生徒。
取り付く島のなさそうなその不遜な態度。

「ゲンちゃぁぁん!!それじゃつまんないわよぉ!
 ほかに何か言った方がいいわよぉ!」

その幼馴染み。彼女もまた、結構な有名人だ。彼とセットで。

「ヒ、ヒナ!!ちゃんで呼ぶんじゃない!!」

さっきの不愛想とは全くかけ離れた、彼の表情。
おそらくは、本当の彼自身。彼の内面なのか?
それがまた、ユイの疑問を、興味を誘う。
だから、思わず聞いてしまった。昨日までの自分、人と笑顔で接し、決して不快
な思いをさせないよう生きてきた自分では考えられないような言葉を。

「六分儀君とはどんな関係?」
「一応、幼馴染よぉ。い・ち・お・う」
「霧島さん、一応って?」
「えーっ、碇さんそんなこと聴くなんて野暮ねぇ」

それに対する彼の反応もまた、面白かった。

「た、ただの幼馴染だ!!」
「ゲンちゃん、そんな事言うなんて酷いっ!!
 今朝あたしの手を握って囁いてくれたのは嘘だったのねっ!!
 ゲン ちゃんを信じたあたしが馬鹿だったわ!!」
「な、何をっ!!いや、今朝のアレはだな・・・」

面白い、ほんとうに面白い反応。
どんどん、彼に対する興味が湧いてくる。
自分の意識の、興味の矢印の先端が彼に向かっているのがわかる。

「ねえねえ霧島さん。幼馴染って事はやっぱり結婚の約束したり、
 一緒にお風呂入ったりしたの?」
「よく聴いてくれたわ碇さん!
 ゲンちゃんったらお嫁さんにしてくれるってあたしに言ったの。
 でもゲンちゃんっ たら奇麗さっぱり忘れてるにちがいないわっ!
 やっぱり信じたあたしが馬鹿だったのよ!ゲンちゃん酷いわっ!
あたしの純情かえしてっ!」
「いや、おい、ヒナ・・・?」

楽しい。自分の中に、新しい自分が芽吹いているのが分かる。
昨日までの自分とは違う自分になれそうな気がする。
昨日までの人と笑顔で接していた自分。それが当たり前だと、それが自分だと思
っていた物が崩れ去る気持ち。それがまた心地よい。新鮮だ。

「碇さん聞いて!
 ゲンちゃんったら一緒にお風呂に入ってあたしの全てを知ってるのよ!!
 あたしもうお嫁にいけないわ!ゲンちゃん責任とってよね!」
「ヒ、ヒナ、一体いつの・・・!」
「六分儀君、ホントに一緒にお風呂入ったの?」
「い、碇さん・・・。いや、確かに一緒に風呂には入ったが・・・」
「中学三年までね」
「ヒっ・・・!」
「六分儀貴様ぁぁぁぁ!」
「なんつぅぅうらやましい事をぉぉぉぉ!!」
「ちくしょぉぉぉぉ!」
「誤解だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

喧騒。騒動。
今まで自分とは無縁だったもの。
それが、日常としてすぐ自分の隣に存在する、新しい日常。

気付いたら、彼の幼馴染みと思わず笑いあっていた。
ほとんど初対面のはずなのに、不思議と通じ合えそうな気がする。
今まで無かった笑顔、心の底からの笑い。
へばりつかせていた仮面の笑顔とは違う、本当の自分の笑顔。
それに、碇ユイは気付いたのだ。

時に、桜咲く四月。
桜はユイに、春と出会いときっかけをもたらしてくれた。
ここから、また、始まる。
彼女の、碇ユイのひとつの出発地点が、今ここに。








yukinori oguraさんへの感想はこ・ち・ら♪   



月刊オヤヂニスト

ゲンドウ「隔月刊オヤヂニストの間違いじゃないのか?」

冬月  「・・・・いつもながら一言多いぞ」

ゲンドウ「さんざんまたせおって。我々の出番が減ったら、全国1億のオヤヂニストが泣くではないか」

冬月  「勝手に泣かせておけ。わしゃ隠居で十分じゃ ずずぅ〜」

ゲンドウ「・・・・それはオヤヂではないぞ。ヂヂイと言うんだ。冬月よ」

冬月  「ほっとけ!」

ゲンドウ「ところで」

冬月  「ん?」

ゲンドウ「仮面と言えば、そういえばあったなぁ」

冬月  「を、をい、碇よ」

ゲンドウ「なんといったか。ほら、あの名前だ」

冬月  「まさか、まさか貴様アレを言うつもりでは」

ゲンドウ「不朽の名作と呼ばれていたあれ・・・・あれだ」

冬月  「やめろ、やめるのだ」

ゲンドウ「をを、そうだそうだ。綾波か・・・・ぐばぁっ!」

どがしゃあっ!

冬月  「なに! どこからたらいが!」

ゲンドウ「め・・・・・・・・ぐはあっ!」

リョウジ「ふぅ・・・・何とか間に合いましたね」

冬月  「ああ、加持君、君だったのか、あのたらいを天井裏から落としたのは」

リョウジ「(ここのどこに天井裏があるというのだ?)・・・・まあ、なんというか話されるとまずいことは世の中には多くありますからね。それを防ぐためには、多少の犠牲はやむを得ないことです」

冬月  「確かに、それはやむをえないだろうな。ただ問題は、この男にたらい程度で聞くわけがないということだが」

リョウジ「なんならもう少しやっときましょうか? 碇司令の身体で全治1ヶ月程度の重傷って事で。そうすれば次の月刊オヤヂニストが出るまではおとなしくしているでしょうから」

冬月  「こいつで全治一ヶ月・・・・常人なら5回は死んでいなければならないな・・・・」

リョウジ「なに、私はやるときはきっちりとやりますよ。あの婆さんのようなへまはしませんから」

冬月  「あ、こ、こらなんて事を言うんだ!」

リョウジ「ん? 何か言いましたか?」

冬月  「あわわわわ、そんな、そんな事を言ってしまったら・・・・まずい、まずいぞこれは!」

リョウジ「で、どうします? 碇司令の件」

冬月  「とりあえずやっとけ」

リョウジ「・・・・了解です(全くこの人達は)」

ゲンドウ「ぬ・・・なに! 加持君、何をしようとしているのだ!」

リョウジ「ちっ、気づいてしまいましたか。もう少し長く気絶していれば、楽になれたものを」」

ゲンドウ「こら、どうしてそこでコンクリートを混ぜ混ぜしている! 私を東京湾にでも投げ込むつもりか!」

リョウジ「東京湾程度ではすぐに帰ってきてしまいますからね。せめて南極あたりに放り投げれば、浮き上がってから帰ってくるまでだいだい一月、というところで」

ゲンドウ「やめろ、やめるのだ! しかもなんだそのうれしそうな顔は!」

リョウジ「え? 何のことですかな?」

ゲンドウ「にやけ笑いとその作業をやめろ、今すぐやめるのだー!!」

でろでろでろ

リョウジ「ふぅ、ようやく静かになった。さて、これを南極まで運んで、と・・・・ん? 副司令? どこに行きました? ・・・・なんだ、この血痕は」

トキ  「あら、どうかしたの?」

リョウジ「いえ、ここにいた副司令がいきなりいなくなってしまって・・・・」

トキ  「まあ、冬月先生は昔から放浪癖があったから、どこかにふらりと行ってしまったのでは?」

リョウジ「どちらかというと徘徊に近いような・・・・ん?」

トキ  「あら、どうかした?」

リョウジ「いえ、その袖口に付いた赤いシミは・・・・?」

トキ  「ちっ、冬月くん、こんな所に証拠を・・・あ、いえいえなんでもないわ。見ちゃいけないことも、世の中にはあるのだから、気にしちゃダメ」

リョウジ「??」

トキ  「それに・・・・アナタももうすぐ同じ運命をたどるのだから・・・・人のことを婆さんよわばりして・・・・高く付くわよそのツケは・・・・

リョウジ「・・・・(ったく、婆さんはほんと独り言が多い・・・・)」


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