If You Believed In Me

音壁新聞はこちら(しばらく更新しておりません(^^;









「電気用品安全法に反対します」というサイトも登場。坂本龍一も立ち上がったようだ。遅きに失した感もあるが、骨抜きの法になることを期待したい。

February 24, 2006

知らぬ間に悪法ができていた...

 2001年に「電気用品取締法」から「電気用品安全法」に改められた法律が、5年の猶予期間を終えようとする今になって、ようやくその実態が明らかになって参りました。ほとんどの国民は寝耳に水だったはずであります。わたくしも知ったのは、1週間ほど前の“「名機」が販売禁止に 4月に迫る「電気用品安全法」”というITmedia Newsの記事でありました。規制緩和とは聞こえはよいのでありますが、悪法だといわざるを得ません。

 第一条  この法律は、電気用品の製造、販売等を規制するとともに、
 電気用品の安全性の確保につき民間事業者の自主的な活動を促進する
 ことにより、電気用品による危険及び障害の発生を防止することを
 目的とする。


と謳ってはおりますが、

「電気用品の安全性向上につながるような技術革新は平成7年以降、特段認められていない」

と公式に発言されているように、1962年にできた電気安全法と技術的な変更点はほとんどないということであります。
 役人の天下り先を新たに作るためとか、マークの発行等による外郭団体の収入の確保などという噂もあるようで、目的がなんか怪しいのであります。
 この法のおかげで、わたくしのベータマックスのビデオコレクションがただでさえ危ういというのに、益々再生不能の危機に瀕してしまうではないか。ま、それはともかく、パソコンとその周辺機器は対象外とは、まぁなんと粋なはからいですこと、、、、、、ン〜なことはない。おおかた、お役所にある膨大の数のパソコン及び周辺機器の資産価値がゼロになってはまずいのでしょうヨ(≧∇≦)ノ彡。

 とにもかくにも、BSEも問題でありますが、PSEも実に困ったものです。

●反響の大きさで、経済産業省の谷みどり嬢のブログ、あえなく閉鎖
●ITmedia +D LifeStyle 電気用品安全法は「新たなる敵」か
電気用品安全法@2chまとめ





1976年にリリースされたサード・アルバム。偶然か、はたまた必然か、スペクターの全米ナンバーワン曲、「He's A Rebel」がカヴァーされているのだよ。その邦題は「恋のダイアリー」。う〜ん、どういう趣味だろうねぇ。担当者は、なにかの「反逆者」なのでしょうか。ヴィッキー・カーの「夢の彼氏」のほうが、まだよかったと思う今日このごろであります。



上は、キャッシュボックス誌の広告でありますが、ヒットしたのは、いうまでもなくクリスタルズ盤であります。

下は、松原みきの81年のシングルでありますが、なかなか良いところに目をつけたデザインだということで、思わず衝動買いしてしもうた(^^;)。


Lutricia McNeal
(Sony SRCS 8607)愛にさようなら
(PB 205)

アルバム「SOMETHING NEW」からのシングル・カット。そのB面に何のインフォメーションもなくカップリングされた「Ain't That Just The Way」。もちろん、アルバム未収録の新曲なのです。この曲を収録されたアルバムの発売を待ちわびていたのでありますが。プロデュースはステュ・フィリップス。


Ain't That Just The Way
(That Life Gose Down)

( Playboy ZS8 5802)

こちらは米国でリリースされたシングル。プロデュースとアレンジはロジャー・グローヴァー。ポップ・カントリーにもどってしまった。入手したのは1989年前後だった哉。

トリオ・レコードといえば、この2枚の和製ウォール・オブ・サウンド。やはり、不思議な縁とはあるものであります。








1974年にリリースされたバルビのデビュー・アルバム『バルビ・ドール』。本来なら『バービィ・ドール』と洒落てみたいところだが、我が国では商標の関係があったのでしょうか。また、バービではなく、なぜバルビ・ベントンと表記したのか、いまだに釈然としないところでもあります。


バルビ・ベントンのおかげで、「バービー・ドール」に目覚めてしまったことも、付け加え告白します。

原書も中学生レベルの英語、つまり、わたくしでも読めるやさしいことばで書かれております。しかし、その内容は金子みすゞの童謡に通ずる奥深いものであります。
↓シルヴァスタインのイラストを楽しむならこちらがよい。もちろん、皮肉の利いたナンセンスな詩に頬もゆるむでしょう。

February 7, 2006

チョッピリかまって......

 

 旧正月も明け、さてさて本気モードに移行せねばね、と思うきょうこのごろです(≧∇≦)ノ彡。
 とういうわけで、唐突かと存じますが、わたくしはバルビ・ベントンの隠れファンであることをここに告白します。いや、別に隠していたわけでも隠し通そうとしていたわけでもございません。グラビア好きの殿方には懐かしい名前ではありますが、それゆえ声を上げるには、ちょいとはばかれるわね、なんていう詮索は無用です (`_´) 。そもそも、バルビ・ベントンって誰?というかたがほとんどだと思われますので、端から相手にされないという思いが先にあった、というのが正直なところでございます。実際のところ、「バルビ・ベントン」を検索しても、日本のサイトではロクな情報は得られません。だからといって、バルビ嬢の魅力を世間に知らしめようなどとは、これぽっちもございません。秘かな楽しみで結構なのです。いや、べつにグラビアを眺めるわけではないので、誤解しないよーに(≧∇≦)ノ彡。

 では、なぜ今さら公言するのかと申しますと、昨年暮のことですが、、ロスにあるCorbisに勤めるプロダクション・コーディネーターの肩書きを持つMedlinというかたからメールをいただいたからであります。なんでもファッション誌、男性向けグラビア誌を飾ったスーパー・モデルやセレブのドキュメンタリーを企画しており、その中でバルビ・ベントンも取り上げたいとのことだそうな。ちなみに、この会社はA&Eというケーブルネット局へのドキュメンタリー制作をも行なっているとも書いておりました。ほんで、日本の番組に出演した時のビデオなんぞをお持ちではござらぬか、という問い合わせだったのでございます。ま、当然そのようなビデオなんぞは持ちあわせておりません。今でこそ、一家に1台のビデオ・デッキですが、30年前は高嶺の花。一庶民が購入できる代物ではございません。つーことで、せめて音だけでもとテレビのイヤホン端子から録音したカセット・テープが数本あるだけです。もっとも、こんなものでは何のお役も立てません。ですので、彼女が出演したことがある「サウンド・イン"S"」を放送したTBSに問い合わせてみてはいかがか、と返事を差し上げたのでございました。そんなこんなで、隠れファンを押し通すことは世界のバルビ・ファンに失礼かと思い、取りあえず日本代表のひとりとして名乗り出たわけであります(≧∇≦)ノ彡。これはひとつめの理由。
 もうひとつの理由とは、キャロル・コナーズのホームページで、バルビとはマブ達であると紹介していたからです。これには、少々ビックラこいた、でございました。

1975年にリリースされたセカンド・アルバム。彼女と同じころにデビューしたオリビアとの差は開くどころか、比べられることすらなかった。帯の書かれた文言がすでに悲しいではないか。
[画像拡大]


ナイアガラよりの先に「Work Shop Mu」のデザインに遭遇していたという必然ともいえる趣味趣味度。このアルバムは、子供のころに耳にしたケイシー・リンデンの「悲しき16才」の「ヤヤヤッヤ、ヤヤヤ」をお目当てに購入したものの、ペンギンズが歌うところの「アース・エンジェル」の「ウ〜、ウウウウ〜、ワワワ」に痺れてしまったのだった。残念ながら、このシリーズには、テディ・ベアーズは取り上げられていなかった由。

オリビア・ニュートン・ジョンの
ライバルにもなれなかった

 振り返れば、わたくしがバルビ・ファンになったのは今から30年ほど前のことです。その当時、すでにオールディーズに興味があり、何枚かの初心者向けのオムニバス盤を所有しておりました。 まぁ、ペンギンズの「アース・エンジェル」にノックアウトされたという鮮烈な記憶はありますが、テディ・ベアーズを聴いたという記憶はございません。スペクターの名前は大滝詠一の「ゴー・ゴー・ナイアガラ」で知ることになりますが、その時は、いかなる人物か皆目見当もつかなかった無知なわたくしであったことも、ついでに告白しておきましょう(≧∇≦)ノ彡。ましてやキャロル・コナーズは、であります。80年代に入って、ようやくスペクター道を極めるべく精進するわけですが、まったく関係のない側道だと思っていたバルビが30年を経てスペクターと交わるとは、これまた不思議な縁と感じざるを得ません。
 また、米国TVシリーズ「警部マクロード(1975)」にバルビがゲスト出演した時、劇中で歌った「Ain't That Just The Way」はグレン・ラーソンとブルース・ベランド(ふたりは元フォア・プレップスのメンバー)、そしてスチュ・フィリップスが書き上げた作品でありますが、ご存知のようにスチュはロネッツをデビューさせたプロデューサーでもあり、ここでも不思議な繋がりがあったのでございます。
 それにしても、バルビがキャロル・コナーズとお友達だとはねぇ。たしかにデビュー・アルバムで「いとしのテディ・ベア」なんて曲を歌ってましたが。思い浮かんだふたりの共通点は、ユダヤ系アメリカ人、そして背がちっちゃいとこかしら(≧∇≦)ノ彡。

北の国から

 ところで、なぜMedlin氏は、わたくしが公言していなにもかかわらず、彼女のファンであることを知っていたかという疑問にお答えしなければならないかと思います。じつは、世界で最も充実したバルビ・ファン・サイトと思われる「A tribute to Barbi Benton」を主宰するスウェーデンのPer Jonsson氏に、わたくしは数回メールのやり取りをしたことがあったのでございます。で、名刺代わりに一般に公開するつもりもない覚書き程度の隠れページを、「日本にもこんなオバカなファンもいるよ」という意味でお見せしたのでした。そういう経緯があったためか、Jonsson氏はMedlin氏から協力要請のメールを受け取り、そこで日本にも変な奴がいるよってことを彼に紹介したようなのであります。こうなれば、もう隠れファンなんていってられません(^^;)。

 話は前後しますが、そもそも「A tribute to Barbi Benton」に辿り着いたきっかけをお話ししましょう。実は、バルビ・ベントンの4枚目のアルバムについての25年来の疑問があったからでございます。当時の音楽雑誌には元ディープ・パープルのロジャー・グローヴァーがプロデュースにあたり、「Ain't That Just The Way」をシングル・カットした、という記事があったにもかかわらず、日本ではリリースの形跡がみられぬまま、しばらくしてプレイボーイ・レーベルの発売元だったトリオ・レコードは消滅してしまったのです。その後、米国から個人輸入でレコードを集めるようになり、送られてくるさまざまなセール・リストに目を通し、いろいろと気にかけてはいても、アルバムが出された形跡を発
これが1978年にリリースされた4枚目のアルバム。25年来、胸につかえていたモヤモヤを吐き出せた思いであります。ただし、現物は持っておりません。再び、ポップ・カントリーに戻ってしまったのには、ちょっと残念な思いも。
見できずにいたのでありました。
 やがて訪れましたインターネットの時代が、調べる範囲を飛躍的に広げてくれ、気の向いたときに検索をかけるということをしておったのであります。最初の頃はグラビア・モデルとしてのベントン嬢しか引っ掛かりません。ま、当然でございます(^.^)。そんなことを続けていたところ、4、5年前でしょうか、ようやくJonsson氏のサイトの発見に相成ったのでございます。何のことはない、4枚目のアルバムは彼の国スカンジナビア諸国のみでありますが、つつがなくリリースされていたのでした。彼女は米国よりも北欧のほうが人気があったというわけです。たしかに、バルビの「Ain't That Just The Way」は、スウェーデンでヒットを記録したそうですし、1997年にはルトリシア・マクニールによるカヴァーも大ヒット。ルトリシアのカヴァーは同時に日本でもヒットしたせいか、おかげさまでバルビ・ベントンの名前もわずかでしょうが興味を示したかたがたもいたようでございます。改めていっておきますが、「プレイボーイの元バニーガールちゃん」ではございません。へフナー氏の当時の愛人でございます(≧∇≦)ノ彡。
 
 余談ですが、TV映画プロデューサー、グレン・ラーソンがステュ・フィリップスと組んだTVシリーズは「ナイトライダー」や「華麗な探偵ピート&マック」、「俺たち賞金稼ぎ/フォールガイ」、「Dr.刑事クインシー」、「宇宙空母ギャラクティカ」など数多くありまして、日本でも放映され、毎週楽しみにしていたかたもいたはずでございましょう。

奇才、怪人、シルヴァスタイン

 さて、デビュー・アルバム『バルビ・ドール』は、ナッシュヴィルで録音されたポップ・カントリー・アルバムであります。ジャケット写真から想像されるようなアイドル・シンガーらしく、とてもチャーミングな曲で埋め尽くされておりますが、中でも、詩人であり、作家であり、画家、絵本作家、脚本家そしてシンガー・ソングライターであり、坊主頭に濃い髭づらという強烈な風貌のシェル・シルヴァスタイン氏の参加は注目に値するのでは、と思っております。日本でもロングセラーである絵本「おおきな木」の作者としてよ

「チョッピリかまってPut A Little Bit On Me」

く知られている人物だからであります。付け加えますと、ブラック・ユーモアと皮肉とナンセンスが詰まった詞と絵の「歩道の終るところ」もお薦め一冊であります。彼はプレイボーイ誌にもしばしばエッセイ、イラストを寄稿しておりましたので、へフナー氏に「よろしくぅ!」と肩をもまれたのでしょう。収録曲全10曲中、「銀貨の女王」、「チョッピリかまって」、「輝きを求めて」、「それでもいいのよ」の4曲がシルヴァスタインの手になるもので、おそらく彼女のために書き下ろしたのではないかと勝ってに想像しておりますが、いずれにせよアルバム中の出色の曲だといいきっても過言ではございません。ですから、シルヴァスタイン・ファンも思わず触手が伸びようというものでございます。伸びないですか?あ、そうですか(≧∇≦)ノ彡
 なお、シルヴァスタイン氏は1999年5月に死去されました。66歳。

目の癒し系から耳の癒し系へ

 1988年、つまり10年ぶりのリリースとなる5枚目のアルバム「Kinetic Voyage」は、作詞作曲プロデュースまでこなした、ちょっと驚きのアルバムでございます。ジャケットの写真も彼女自身が撮影したもので、ここでもちょっと驚くのもよろしいかと。さらに、それまでのポップス、ポップ・カントリーとは打って変わり、シンセサイザーを全面にフィーチャーしたインストルメンタル・アルバムといってもよく、当時の言葉でいうニューエイジ・ミュージックという代物であります。針を落とした瞬間、違うレコードが手違いで入ってしまったのではと思ったくらいの衝撃でありました。ま、ちょっとオーバー哉。それまで、ナイスなボディで殿方を熱くさせてきた彼女も、これからは身も心もクール・ダウンさせる癒し系アーティストへ変貌したのね、ま、歳も歳だし、などと思ったりしたのでございます。
 それはともかく、これはこれで、耳にやさしく、BGMとしてまことによろしゅうございます。
 というわけで、バルビ・ベントンについて、つい熱くなってしまう、わたくしでございました(^^;)。さっそく「Kinetic Voyage」をラックから取り出して、クール・ダウンせねばいけない哉(≧∇≦)ノ彡。





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Links2/27/2001 更新
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