「じゃぁ〜ねェ!」
「うん! ゴハンたべたら、アソぼうネ」
「きょうは、レイちゃんちだよ」
「ウン! まってるネ。シンちゃん、アスカちゃん」
「バイバイ!」
お揃いの制服を着た子供達の声が通りに響く。
ブンブン手を振って、それぞれの家へと走り出す。
(はやくおヒルゴハンをたべて、レイちゃんちにいかなきゃ!)
いつものコトながら、別れた後は気が急いてしまう。
家に着いたら、まず手を洗ってからうがいをする。
それから普段着に着替えて、ご飯を食べる。
それが済んだら、レイちゃんちに・・・・
考える暇もなく、シンジは家に到着した。
3人の家は全くのご近所なのだった。
ズボンのポケットからカギを取り出し、ドアに差し込む。
(アレ?)
カギをひねると手応えが無かった。
不思議に思いながらノブを回すと難なくドアは開いた。
玄関口には男物の革靴がキチンと揃えられている。
(おとうさん、かえってるのかな?)
そう言えば、朝食の時ゲンドウが何か言っていたコトを思い出す。
「ただいま!」
と声を掛けず、こっそり入ってビックリさせてやろう。
ささやかな子供らしいイタズラを思い付いたシンジは、
そっと靴を脱ぐと、抜き足差し足でゲンドウの姿を捜した。
耳をすますと・・・・書斎から話し声が聞こえてきた。
ニッとイタズラっぽく笑うと、静かに廊下を歩いて近づいて行く。
どうやら電話中のようだった。
「そうか・・・・決まったのか。
ウム、向こうでも元気で・・・・
夫君とマナ君にもよろしく。
ウム・・・・ウム・・・・な! そ、それは・・・・
いや、確かにそう言ったが・・・・しかし・・・・
シンジはともかく、マナ君の将来だ。
そんな簡単に・・・・いや、だから・・・・
ああ、分かっている。
時間が無いのは・・・・
分かっているが・・・・あ、こら! ヒナ!」
母ユイに対する以外で、
これ程までに取り乱しているゲンドウの姿を見るのは初めてだった。
ゲンドウは大きな溜め息をつくと、力無く受話器を置いた。
「まったくアイツときたら、人の話を聞きやしない・・・・!?」
ブツブツ言いながら振り返ったゲンドウは、
ここで初めてシンジがいるコトに気付いたようだ。
幼いシンジにはなんと表現したらいいのか判断に困る顔をしていた。
よくは分からないが、驚いているのは確かなようだ。
当初の目的を達成できたシンジは満足そうに笑いながら、
ゲンドウに元気に声をかけた。
「ただいま! おとうさん」
「し、シンジ!」
「どこから、デンワだったの?」
「いや、その、これは・・・・そ、そうだ!
ひ、昼飯は、だ、ダイニングに用意してある。
じ、自分で出来るな!?」
「う、うん・・・・?」
「よし。わ、私は忙しいからな。
あ、遊びに行くなら、ちゃんと戸締まりを忘れるな」
「うん・・・・」
それだけ言うと、ゲンドウはそそくさとシンジの視界から消えて行った。
残されたシンジは不思議そうに、ぽか〜んとしていた。
「・・・・! いっけない! はやくたべなきゃ!
おそくなったら、アスカにぶたれちゃう!!」
シンジは慌ててダイニングに向かった。
もうゲンドウの挙動不審など思考の彼方へ放り出されてしまっていた・・・・
「ゴハンですよぉ」
階下からユイの声が聞こえてきた。
「「「はぁ〜い」」」
子供達のユニゾンが返る。
ドタバタと我先に階段を下りて、
ダイニングへと飛び込むアスカとレイ。
少し遅れてシンジがダイニングに足を踏み入れる。
そこには椿油の香りが充満していた。
かぐわしい香りが健康な少年少女の食欲を否が応でも刺激する。
ふとテーブルに目をやると、
和紙に黒々と墨でメニューがしたためられている。
曰く
一、車海老と季節野菜の天麩羅
一、ほうれん草のおひたし
一、グレープフルーツとワカメのみぞれあえ
一、御新香
そして、ほかほかの炊き立てご飯。
カツオダシと豆腐のミソ汁。
ゲンドウ、こだわりの逸品を前に、
レイとアスカは感嘆の声を上げた。
「わぁ〜! おいしそう」
「おじ様、すみません。最近毎日お呼ばれしちゃって」
「問題ない。シナリオ通りだ」
ゲンドウは右の中指で眼鏡を押し上げながら応える。
その居で立ちは、焦げ茶の和服に白のタスキ、
腰には前掛け、といったモノだった。
新婚の頃から続く習慣らしく、
すっかり板についている。
しかし、シンジは未だに馴染むことが出来なかった。
あの父のこんな姿に。
あの父が作った手料理に。
尊大で近寄り難かったあの世界でのゲンドウ。
帰りが遅いユイに代わり嬉々として夕飯の準備をするゲンドウ。
同一人物とはとても思えない。
それでも心の片隅では、
(母さんがずっと側にいれば・・・・)
(あの世界でも、こうだったのかもしれない・・・・)
多分に願望が入り混じっているが、
今のゲンドウを目の当たりにすると、すんなりそう思える。
そんなシンジの心境とは裏腹に、
アスカを加えた碇家の団欒は和やかに続く。
ピンポーン
食事も一段落した頃、突然チャイムが鳴った。
「今頃、誰だろう?」
「シンジ、ちょっと出てくれない?」
「うん」
ユイの言葉に頷くと、シンジは玄関に急いだ。
ピンポーン!
「は〜い!」
返事をしながらドアを開くと、
白いワンピースを纏った可憐な少女が立っていた。
「マナ!?」
「こんばんは」
「ど、どうしたの? いったい」
「うん・・・・ちょっと、ご挨拶。お母さんも一緒なの」
「え?」
マナの言葉に視線を向けると、
マナとよく似た面差しの女性がにっこり微笑みかけてきた。
「シンジ君?」
「は、はい・・・・」
「久しぶりねェ。まぁまぁ、大きくなっちゃって」
「あ、あのぉ・・・・」
「私のコト、覚えてる? ウチが引っ越す前はよく行き来してたんだけどねェ。
この子ったら、シンジ君の姿が見えないとすぐグズっちゃって。
引っ越してから、しばらく・・・・大変だったのよォ〜」
「お母さん!」
真っ赤になったマナの抗議も取り合ってもらえない。
「おかげでお兄ちゃんの方もご機嫌損ねちゃって。
・・・・そのせいかしら。あの子ったら、未だに何かと妹にかまいたがるの」
「もう、それくらいにして! ホラ、シンジ君も困ってる!」
「アラアラ、ゴメンなさいね、私ったら」
「いえ、別に、何も・・・・」
どう応えればいいのか分からず、シンジは口の中でモゴモゴと呟いた。
「どうしたんだ。いったい」
「お久しぶり! ゲンちゃん!」
「!! ・・・・あ、ぅ、・・ひ、久しぶりだな。き、霧島・・君」
賑やかな玄関口の話し声に何事かと様子を見に来たゲンドウは、
突然油が切れた機械のようにギクシャクとした動きになった。
「やぁ〜ねェ、何幼なじみに固いコト言ってんの!
昔みたいに『ひーちゃん』って呼んで」
「し、しかし・・・・」
首まで真っ赤になったゲンドウをシンジは、
不思議なモノを見るような目つきで眺めていた。
ゲンドウの後について来たアスカとレイも、コレには唖然としてしまう。
決して子供達には見せたくなかった事態に、
ゲンドウはますますうろたえてしまう。
その時、ゲンドウは絶対零度の視線を背中に感じた。
振り向く必要すらなかった。
振り向く勇気も無かったが・・・・
「お久しぶりです。ヒナさん」
「お元気そうネ、ユイさん」
にこやかな挨拶。
しかし、どちらの目元も笑っていない。
碇家は突然冬型気圧配置に移行したかのようだった。
それでも2人の母親は、表面上にこやかな挨拶を交わし続けた。
「いつこちらへ?」
「いろいろあって、昨日やっと」
「それじゃあ、引っ越しの整理も終わってないでしょうに」
「いいえぇ〜。またお世話になるんだから、ご挨拶くらい。
それにこの子達は、これからユイさんの学園にお世話になることだし。
あ、そうだ。マナ」
「あ、ハイ。あの、コレ・・・・」
「アラ、まぁまぁ。どうしましょう。こんな気を使ってもらわなくても」
「いいえェ〜。ホント、つまらないモノですけど」
・・・・などと、当たり障りのない会話が和やかに続くコト、10数分。
あくまで目元はシベリア氷雪気候の2人。
そのせいか、ゲンドウは完璧に凍り付いたようだった。
(こんなおじ様・・・・初めてだわ)と、アスカ。
(でも、どっかで見たコトあるような・・・・)と、レイ。
(初めてだな。他人じゃないって、感じがする・・・・)と、シンジ。
そんな子供達の様子に気付いたヒナは、レイとアスカをジッと見つめた。
「アラ、そちらのお嬢さん・・・・ユイさんに似てるわネ。
ひょっとして、レイちゃん?」
「は! はい!」
突然自分の名前を呼ばれて、レイは驚きを隠せない。
「そうすると、アナタがアスカちゃんネ」
「そ、そうです」
なぜ自分の名前を知っているのか、アスカは訝しんだ。
「ふふ。2人とも不思議そうな顔をしてるわネ。
霧島ヒナさん。ウチのお父さんの幼なじみよ」
おかしそうにユイが種明かしをする。
「えェ〜!!」
「そうだったんですかぁ?」
「う、ウム・・・・」
言葉少なに頷くだけのゲンドウだった。
そんな様子を楽しそうに眺めながらヒナが話を続ける。
「以前は隣町に住んでたから、結構ココにもお邪魔してたの。
それでアナタ達のコト、知ってたのよ。
それから、この子も一緒だったの。
4人で遊んでたコト・・・・憶えてない?」
そう言われても、シンジは当然ながら、そんな記憶は持ち合わせていない。
そっとアスカとレイの様子をうかがうと、こちらも思い出せないようだ。
「仕方ないわよ、お母さん。アタシだって憶えてないモノ」
「そっか、小さかったモノねェ。無理もないか・・・・
それじゃ、改めて・・初めまして」
「は、はい」
「よろしくお願いします」
唐突な挨拶にアスカもレイもそう応えるので精一杯だった。
それからヒナは、シンジの方を振り向き問い掛けてきた。
その時、シンジはゲンドウの顔がひきつるのを確かに見たのだった。
それは何やら不吉な予感をシンジに覚えさせた。
「ね、シンジ君も憶えてない?」
「は、はい・・・・すみません」
「アラ、いいのよ。これからよろしくネ」
「はい」
「なにしろ・・・・」
ココでヒナは意味深な視線をゲンドウに投げかけた。
(ヒナ! そ、それ以上言うな!!)
心の中で、ゲンドウは叫んでいた。
しかし、ヒナにはテレパシストの素質は無かったようだ。
「この子とは許嫁なんだから、特にネ」
にこやかに、さらりとしたヒナの爆弾発言だった。
一瞬静寂が広がる。
そして
「い!?」
「い!」
「な?」
「「「ずけェ〜!!」」」
3人の素っ頓狂な声。
マナは恥ずかしそうに身を縮めて俯いていた。
こちらは既にヒナから話を聞かされていたのだろう。
ユイはというと・・・・
笑顔はそのままだったが、こめかみ辺りがひくひくとひきつっている。
ゲンドウは、もう生きた心地がしなかった。
そして、ヒナは嬉々として話を続ける。
「そうなの。こっちから引っ越す時、私とゲンちゃんで約束したの。
ま、今時親の決めた婚約者、って言っていうのもなんだけどネ。
何より当人同士の問題だし、そんなに気にするコトはないわ。
もっとも、ホントにそうなってくれると私は嬉しいんだけどネ」
うっとりと語るヒナ。
一方ユイは、笑顔を張り付けたまま。
しかし、ゲンドウはこれまで経験したコトのないプレッシャーを感じ、
我知らず神に祈っていた。
(無事に、とは言わない)
(せめて明日の太陽が見たい!)
その祈りは天に届いたのか、ゲンドウの望みは言葉通りに実現した。
1週間ほど仕事を休むコトになったが・・・・。
「アラ、もうこんな時間!」
玄関口に飾ってある置き時計は、9時半を指していた。
「すみません。つい、長居しちゃって」
「いいえ。こちらこそ、なんのおかまいもしませんで」
そんなユイの台詞は、妙に抑揚に乏しかった。
「それじゃあ、これで失礼します。ゲンちゃん、さっきの話よろしくネ」
「それじゃあ、おやすみなさい。シンジ君、また明日」
平和な夜に吹き荒れた嵐は、こうして碇家を過ぎ去ったのだった。
・・・・別の嵐が3つ程、特に1つは超大型、やっては来たが。
「夕べはゴメンね」
教室に入って来たシンジへマナはそう話し掛けた。
「エ? あ、ううん。別に・・・・ボクは、その・・・・」
「お母さん、シンジ君のお父さんと幼なじみでしょ。
小さい頃はいつも一緒に遊んでいて、
その時結婚の約束・・してたんだって」
「えェ〜! ゲンドウおじ様がぁ!」
シンジにくっついたまま、
マナに敵意剥き出しの視線を送っていたアスカは思わず叫んだ。
シンジを挟んでその反対に立っているレイも目を大きく見開いていた。
「うん。でも約束は果たされなくて・・・・
それで自分の子供に、アタシ達に夢を託したんだって。
昨日、お母さんそう言ってた」
「ロマンチック〜!! ・・・・でも、迷惑な話!」
とは、レイのお言葉。
アスカも心から頷いていた。
「でも意外ね。おじ様にそんな一面があったなんて・・・・
・・・・? ん? アレ? ・・・・」
「え、どうしたの? レイ」
「うん・・・・なんか、ひっかかって・・・・」
レイの横顔を見つめていたシンジは、
昨日に引き続き、いやな予感が胸をよぎった。
「・・・・!! あ、そうだ! シンちゃん!」
「な、何? あや・・・・レイ」
「シンちゃん、約束したよネ。幼稚園の時、丘の上の公園で」
「な、何・・を?」
「アタシと結婚するって!」
「な!?」
「ほ、ホントなの!? シンジ?」
「シンジ君・・・・」
レイの爆弾発言に、シンジに詰め寄るアスカとマナ。
「し、知らないよォ。ぼ、ボクは記憶がないモノ!」
「でも、アタシは憶えてるモノ」
そういったレイは、得意そうにアスカとマナを一瞥した。
「・・・・ちょっと待って。・・・・あぁ!! アタシも想い出した!!
シンジ! アンタ、アタシにもプロポーズしたでしょ!!」
「だ、だから、ボクは憶えてない・・・・」
勢い込んだアスカの言葉には、嬉しさがにじみ出ていた。
「あのォ・・・・実はアタシも」
マナは、恐る恐るそう言った。
「「え?」」
「昨日アレから、お母さんと話してて色々想い出したの。
それで夕べ、子供の頃の夢を見て・・・・
アタシがいて、シンジ君がいて・・・・
そこでシンジ君、アタシにプロポーズしてくれた・・・・」
マナの話が終わると、静寂が漂った。
「えぇっと〜」
沈黙に耐えきれず、シンジは口を開いたが、そこから続ける言葉がなかった。
「・・・・引き分けネ」
「「エ?」」
「アタシ達3人とも、シンジからプロポーズされてるんだモノ。
だから・・・・引き分けよネ」
「そ、そうね」
「こ、これからが勝負よネ」
「負けないからネ」
「アタシこそ」
「ウフフ」
「アハ」
「エヘヘ」
3人は顔を見合わせ、ふいに笑い出した。
その様子にシンジは1人呆然としていた。
・・・・この日、シンジは午前中を保健室で過ごした。
これに伴い、大量のバンソウコ・傷薬・湿布薬が消費され、
リツコ先生を嘆かせたのは、言うまでもないことだった。
[to be continued]
ずたぼろな人々のコメント
ゲンドウ「うぐぐ、身体が・・・」
シンジ 「ひ、ひどいよ・・・・」
ゲンドウ「シンジ、おまえもか」
シンジ 「父さん・・・どうして僕が身に覚えのないことで・・・・」
ゲンドウ「問題ない。世の中はそう言うモノだ」
シンジ 「僕には分からないよ!」
ゲンドウ「シンジ、一ついいことを教えてやろう」
シンジ 「?」
ゲンドウ「世間と女性は静かに限る、という格言だ」
シンジ 「・・・どういう意味?」
ゲンドウ「そのままの意味だ」
シンジ 「・・・・誰が考えたの?」
ゲンドウ「私だ」
シンジ 「・・・・どういう経緯で?」
ゲンドウ「それはむろん決まっている。結婚生活という牢獄の中でだな・・・」
ユイ 「あ・な・た♪(はあと)」
ゲンドウ「・・・・うぐ」
ユイ 「おいしいお粥ができましたわよ。さ、熱いうちにどうぞ(はあと)」
ゲンドウ「熱いうちに・・・って・・・・沸騰しているが・・・・」
ユイ 「さ、さ、どうぞ(にっこり)」
ゲンドウ「いや、その、目が笑っていないのだが・・・・」
ユイ 「食べます? それとも食べません?」
ゲンドウ「・・・・食べる・・・・」
シンジ 「父さん・・・・汗」
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