Welcome外伝
ここが僕らの出発地点
第1話  桜の咲く頃に

yukinori ogura 作
みきひろかず 加筆・装丁






時に四月。花開き、朝の空気もいくらか暖かかくなるこの頃。
第二新東京市のいたる所で木々は芽吹き、春の息吹を感じさせずにいられなかった。

春の匂いは第二新東京市を覆い、中でも私立第二新東京市第壱学園へ続く坂道には
とりどりの樹木が植えられ、様々な彩りで道行く人々を楽しませてくれる。
今、この坂道には桜が見事に咲き乱れていた。

私立第二新東京市第壱学園に続く坂道は大勢の生徒で溢れていたが、桜を見ている
生徒は殆どいない。
春休みも終わり、今日から新学期が始まるのだ。大抵の生徒は期待と不安の入り交
じった表情で学校への道を登っていく。
そんな中、珍しくも桜を見ながらのんびりと歩いている一人の男子生徒がいた。
同年代の少年の中でも頭一つほど背が高く、肉付きは薄いががっしりとした体格を
している。
肉付きが薄い顔立ちはそれほど整ってる訳でも無く、特徴もあまり無い。
彼の名は六分儀ゲンドウ。私立第二新東京市第壱学園に通う高校二年生である。

六分儀ゲンドウは桜が、そしてこの季節が好きなのだ。
長い冬の終わりと共に、新しい命が生まれ始める春。
見事に咲き誇り、花びらを風に舞わせる桜。
もっともこんな事を思ってるなどとおくびにも出そうモノなら、彼の知り合いは爆
笑するか病気の心配をするのは間違い無い。
そんな事されて愉快なはずも無く、何より心満たしてくれるこの雰囲気を邪魔され
たくはない。
そう、いれば間違い無くこの雰囲気をぶち壊しにする人物を知っているからこそ、
彼は中等部入学以来お気に入りのこの道を一人で歩いているのだった。

桜を眺めていたゲンドウの頬を、風がそっと撫でる。

(・・・いい風だ・・・一人で来てよかった)

ゲンドウは今、春という季節を満喫していた。

(あいつがここにいたらわめき散らして桜どころじゃないからな・・)
(まったくあいつの大声ときたら・・・)

「ゲンちゃぁぁん!!」

(そうそう、こんな風に・・・・)
(!!・・・・なにぃ!?)

気のせいだ、幻聴だ!そう信じたかった。
しかし、気のせいではなかった。
遙か後方から小さく彼を呼ぶ声。女の子だ。
ゲンドウにはその声の主が誰だかすぐ分かった。どんな小さな声でも聞き間違えよ
うはずも無い。それぐらい馴染んだ声であり、何より彼をちゃん付けで呼ぶ女の子
は一人しかいない。

「ゲンちゃんってばぁぁぁ!」

それはかなりの美少女だった。目鼻立ちはすっきりと整えられ、眉は細筆で書き上
げたような柳眉。ツヤのある濃い茶色の髪はショートで動きやすそうに揃えられて
いる。
何よりも全身から発せられる躍動感は、元気の固まりといっても過言ではない。
彼女の名は霧島ヒナ。私立第二新東京市第壱学園に通う高校二年生で、六分儀ゲン
ドウの幼馴染である。


ゲンドウとヒナの関係は、母親の代にまでさかのぼる。
ゲンドウ、ヒナの母親達は高校で知り合い、大学も同じだった。大学卒業後ヒナの
母親は結婚して夫の商売を手伝うようになった。ゲンドウの母親は就職、職場結婚
してそのまま仕事を続けた。
しばらくしてゲンドウ、ヒナが生まれた。ゲンドウの母親は何かと忙しくて育児に
専念できず、一時仕事を辞めようか迷ったそうだ。その時ヒナの母親がゲンドウを
預かろうかと申し出てくれたのだった。ゲンドウの母親は友人に感謝しつつ、その
好意に甘える事にした。
こうしてゲンドウ、ヒナは歯も生えない内から霧島家で姉弟同然に育てられ、以後
二人は十六年の年月を共に過ごした。
そしてその事は、ゲンドウがヒナに十六年間振り回され続けた事を意味している。

「ゲンちゃぁぁぁぁぁぁん!!」

ヒナが容姿に似合わぬ大声で叫ぶ。その声は、学校への長い坂道に響きわたり、と
ても聞き逃す者はいまいと思うほどの声量だ。
その大声(しかも女性)に、何事かと大半の生徒が後ろを振り向く。
そんな中で、ゲンドウはその声を無視して歩き続けた。反応すれば今浸っているこ
の暖かな雰囲気が壊されてしまう。
顔を正面に向けたまま、目だけで腕時計を確認。時刻は普段の登校時間では無い。
この時間ならばヒナはまだ自宅にいて朝食を掻き込んでいるはずだ。

(なぜだ?どうしてだ?いつもの時間より二十分は早く出てきたのに?何故ヒナが
ここに?)

「ゲンちゃぁん!!」

そうこう考えている間にも声は近づいてきている。どうやら走ってるようで、声も
はっきり聞こえてきた。

(・・・お願いだ・・・!あと少しでいいから、この雰囲気に浸らせてくれ!)

既にゲンドウはヒナの声を聞いた時から、自分が春の雰囲気の中から引きずり出さ
れている事に気付いてはいない。そういう意味では彼の考えは正しかったようでは
あるが、そんな事が当たっても嬉しくも何とも無いだろう。

そして。

「ゲンちゃぁぁぁん!!」

すぐ背後から声は聞こえた。間違い無く真後ろにいる。
周りの生徒の好奇心に満ちた視線が、ゲンドウとその後ろに立つヒナに注がれる。
それでもゲンドウは無視して歩き続けた。せっかくの雰囲気を壊された事に対する
ささやかな抵抗である。

「もうっ、ゲンちゃんったら返事ぐらいしてよ!なんで今朝はあたしを放って勝手
に一人で行っちゃ・・・・???ゲンちゃん、ゲンちゃんったら無視しないでよ!」

更にゲンドウは無視し続けた。いつもいつも手玉に取られている事に対する仕返し
のつもりだった。
もっともゲンドウの抵抗は成功した試しが無い。打者ゲンドウ、投手ヒナとすれば
打率0割0部5厘と言った成績で、例え当たった所でピッチャーゴロ、大抵は高く
上げて即アウトである。

(確か唯一の勝利は幼稚園の頃だったよなァ・・・)

そんな事が頭の片隅をかすめる。
しみじみ思い返しながら、それでも無視を続ける。

「・・・ゲンちゃん?」

いい加減ヒナも、ゲンドウが意図的に自分を無視している事に気付いたようだ。
すると彼女は立ち止まり、顔を俯かせて押し黙った。


ゲンドウは急に静かになったのを不気味に思いつつも、10数年越しの勝利の予感
に興奮せずにはいられなかった。物心ついてからいいようにからかわれ、頭の
上がらなかったヒナに一矢報いる事が出来るかも知れないのだ。

(何かしら抵抗を続けるのはやはり無駄ではなかったんだなぁ・・・)
(諦めないでよかった)
(やっぱり物事は続けてこそ意味があるもんだ)
(継続は力なり、か。昔の人はいい事言ってるなぁ)

心の中で歓喜の涙を流しつつ、うんうんと一人うなずくゲンドウ。

(そうだ、ここで積年の屈辱を・・・)

そんな事を考えていると、体にどんっっという衝撃を受けた。
始めはヒナによる殴る、蹴る、学生鞄の角で殴る、辞書を投げる等々といった攻撃
かと思い、二撃目に備えて身を固くした。
しかし、どこも痛くは無い。それより何か背中に柔らかい感触がする。何だと思う
暇無く、今度は脇の下を通って胸に手の感触。目を下に向ければ、ほっそりとした手が
胸にくっついている。
これらの事を統合してゲンドウは一つ答えを出した。




(ヒナが後ろから抱き付いている!!)




そう、ヒナが後ろからゲンドウに抱き付き、手を胸にしがみ付かせていた。
小柄なヒナはゲンドウのちょうど胸あたりぐらいの身長だ。この身長差でヒナが後ろ
からゲンドウに抱き着くと、手は鳩尾のあたりにくる。
前からならばゲンドウの腕の中にすっぽりと収まってしまうだろう。

現在の状況を把握した途端、ゲンドウの身体は一瞬でダイヤモンド並の硬度にまで固
まった反面、思考の速度、処理能力は従来の一割も発揮しなくなった。
その大幅に機能縮小された頭脳は、

(どうしてヒナが抱き着いている?)

を延々とリピートしていた。

ヒナはゲンドウに抱き着いたまま、何も喋ろうとしない。
ただ強くゲンドウにしがみ付いている。

思考がリピート状態に陥り硬直したままのゲンドウ。
ゲンドウに抱き着いたまま何も喋ろうとしないヒナ。
そんな2人の様子に居合わせた生徒達も固唾を飲んで見守っている。

互いに何も口にせず、時間だけが過ぎていった。


「・・・ゲンちゃん、あたしの事邪魔?」

その沈黙をヒナが破った。ヒナの言葉にゲンドウの硬直も解け、頭も落ち着きを取
り戻した。

(・・・今のヒナの言葉は・・・)

「・・・ゲンちゃんはあたしの事邪魔だから無視するの・・・?」

ゲンドウは思い出す。先ほどの、そして今の言葉。
ヒナの行動も言葉もあの時と同じだ。


去年の秋。母が、そして唯一の肉親を亡くした夜・・・


あの時、自分は打ちひしがれていた。母の死に。独りになってしまったという事に。
そして、ヒナを傷つけてしまった。
自分が弱かったばかりに。心配してくれたヒナを・・・
ずっと後悔していた。
何故、ヒナにあの言葉を言わせてしまったのかと。
ずっと、ずっと後悔し続けた・・・

だからこそ、今度は言わせてはならない。あの言葉を・・・


「ゲンちゃんは・・・」
「ヒナ」

ヒナの言葉を遮り、胸にあるヒナの手に自分の手を重ねてゲンドウが口を開く。

(・・・大丈夫だ。俺はあの時とは違う。)



あれから暫くの間、ヒナはゲンドウの前で普段以上に明るく振る舞ってみせた。
ゲンドウをあちこち引き摺りまわした。霧島家にずっと泊まる事になった。勿論、
厄介事にも何回も巻き込まれた。
始めはたまらなくうっとおしかった。それでもそれがヒナ流の思いやりではないか、
そう気付いた。
たぶん独りだったなら暗く沈んでしまい、生きる気力すら失ってしまっただろう。
部屋に篭り続けたか、母の思い出がつまった家に耐えられなくなって、あてもなく
さまよい続けたに違いあるまい。

親も無く、天涯孤独の身の上と嘆く自分を心配して気遣ってくれる人がいる。
自分が独りではない事に気付き、その事を心底うれしく思うゲンドウだった。


その後、ゲンドウは出来るだけ自然に振る舞うようにした。無論意識して自然に振
る舞おうとすれば、どこかしら不自然さが目に付く。それでも、それがゲンドウが
出来る精一杯のヒナへの答えのつもりだった。

ヒナはそんなゲンドウを見て、特に何も言わなかった。
ただ、ゲンドウを引き摺りまわしたり、無理矢理自分の家に泊めさせる事はしなく
なった。
それがヒナの答えだった。


「大丈夫だ、ヒナ。そんな事は無い」

(・・・独りっきりだったらどうなっていたんだ、俺は?)

ヒナの手をやさしく握る。そして、あまり力を込めず、丁寧に、慎重にヒナの腕を
体から離していく。
ヒナの身体は微かに震えていた。

(そう、ヒナの・・・)

「そんな事は絶対に無い。だから・・・」

そう言いながら、ゲンドウは握っていたヒナの手を降ろした。
そして後ろを振り向き、ヒナの顔を、ヒナの目を見る。



ヒナの顔は痙攣を起こしていた。
身体も小刻みに震えている。
目元が緩んでいる。

(!?)

ゲンドウが首を傾げると、それが合図となった。

「あっはははははははははは!!!!!」

ヒナは声の限り大声で笑った。うっすらと涙ぐみ、半分呼吸困難を起こしながらい
つまでも笑っている。

ゲンドウはあっけにとられた。
下顎が外れたかと思うほど口をあんぐりと開けて、目の前で笑い続けるヒナを見て
いた。いや、見ていたというよりは目に入っているものの、それが何だか理解できて
いないと言ったほうが正しいだろう。
以後数分ゲンドウの頭の中で、延々と認識不能・理解不能の文字が点滅を続けた。

「あーはっはっはっはっ・・・!!」

ヒナはまだ笑い続けている。とうとうお腹を抱え込む。どうやら笑い過ぎて、横隔
膜が痙攣しかけているようだ。このままでは本当に呼吸困難を起こしてしまうかも
しれない。
よくもそこまで笑い続ける事が出来るモノだ。


(・・・ヒナが笑っている・・・)
(・・・何故だ?何が可笑しいのだ?)
(・・・笑っている理由・・・)
(・・・さっきの会話か?)
(・・・俺の言葉が変だったのか?それとも反応?)
(・・・ヒナのこの馬鹿笑いは会心の悪戯が成功したときのもの・・・)
(・・・悪戯・・・)
(・・・成功・・・)
(・・・からかわれたのは・・・俺?)
(・・・・・・?)
(・・・・・)
(・・・!)

ゲンドウもようやく動作不能状態から復帰できた。まんまとヒナにしてやられたと
いう事に理解が到達した。

「・・・ヒィィナァァァァ!!」

ゲンドウは呆然自失の状態から一転して鬼気迫るオーラを身に纏い、アスファルト
を踏み砕きながらヒナに一歩一歩近づく。
そのゲンドウの姿を目に留めたヒナは息を切らせながらも取り敢えず笑うのをやめ
てゲンドウの方に向き直った。
周りの生徒はゲンドウの鬼気に呑みこまれ、足を地面に縫い付けられてしまったよ
うに身動き出来ずにいる。
もっともヒナはそんなゲンドウを見ても眉一つ動かさずに平然としている。


「・・・ヒナ、何か言い残す事はあるか?」
「はーっ、いやぁねぇゲンちゃん。ゲンちゃんが、はーっ、意地悪するものだから、
つい仕返し、したくなっちゃった、だけよぉ」

まだ苦しいのか、途中で息を吸ったり変なところで区切ったりしながらも、臆面も
無くにこにこと無邪気に微笑みながらヒナは答えた。
その笑顔に悪意はまるで感じられない。もっとも善意も感じられないが・・・
ヒナのこういった所は、ゲンドウのたいして長くもない人生で、散々いやと言うほ
ど思い知らされてきている。
後先やゲンドウの事などまるで考えず、ただ純粋に面白がってやるから手が付けら
れない。

(今日も朝からしてやられた訳だ、俺は)

心の中で涙を流しながら仕返しを誓うゲンドウ。それが一体何十回、いや何百回目
の誓いかしれないけれど・・・

「・・あぁ、それからねぇ、ゲンちゃん」
「何だ、ヒナ。今謝れば弁当一ヶ月分チャラで許してやるぞ」
「さっきからずっと皆見てるわよ」


その言葉にゲンドウはギクンと固まった。
硬直した身体をそのままに、ギギギギギとまるでマネキン人形の様に首だけを右に
九十度回転させて、ぐるりと周囲を見る。


右側。人垣が出来ている。


同じ様にまた、ギギギギギと反対側を見る。


左側。やっぱり人垣が出来ている。


三百六十度見渡す限り、人垣が出来ている。

「・・・お、俺はこの衆人環視の中で・・・」
「そ。後ろから抱き付いたあたしの腕を取ってささやいてくれたの」

ゲンドウの言葉を、語尾にハートマークがついていそうな甘い声でヒナが続けた。
心なしか少し赤い顔で上目遣い────二人の身長差なら当たり前だが────で
ヒナはゲンドウを見た。

再度言おう。ヒナはとびっきりの美少女だ。
その美少女が僅かに頬を染め、上目遣いに、甘い声でささやいたのだ。

ヒナの言葉と視線に、そして衆人環視の中であんな事をやってしまったという事で
ゲンドウは真っ赤になり、ついで本日三回目の硬直とあいなった。


「じゃぁあたし、先に学校行くね。ゲンちゃん」

そう言い残し、ヒナは人垣を掻き分けて学校への道を駆け登っていった。
後には硬直したままのゲンドウと、彼に好奇と嫉妬を始め様々な視線を向ける何十
人という生徒が残された。

一分、二分とたち、 それでも固まったままのゲンドウの様子を見て、諦めたかの
ように生徒達が学校へ向かい出す。

結局十分もしない内に人垣に加わっていたすべての生徒はいなくなり、氷の彫刻と
化したゲンドウが意識を取り戻した時刻は始業式も終わりに近づいた頃だった。

こうしてゲンドウは新学期初日を遅刻と始業式欠席で飾り、生活指導の先生に大目
玉を食らい、早々とブラックリストのトップに名を連ねる事となる。




新しいクラスでゲンドウは適当な空いた席に座り、しかめっ面で前を見ていた。
ゲンドウは不機嫌だった。理由はハッキリしている。

先生に説教されて、何も言えなかった。もっとも、登校途中に固まってましたなん
て言える訳が無い。言ったところでさっさと来い、と言われるのが関の山だろう。

次に、恐れていた事にヒナと同じクラスになってしまった事。
中学一年の時にも同じクラスになったのだが、それはもうエライ目にあった。授業
は進まないし、問題ばかり起こす。以後ゲンドウとヒナは同じクラスどころか校舎
のはじとはじのクラスに振り分けられるようになった。それは懸命な処置だとゲン
ドウも思っている。
もっとも、そんな事などヒナは意に介した風も無く、ゲンドウのクラスに来ては騒
ぎを起こし、何かと問題を起こしてはゲンドウをその渦中へと引きずり込んだ。
それでもまだ違うクラスなら、少なくとも授業中は何も起こらない。ゲンドウにと
って、それがせめてもの救いだった。
授業の始まりを待ち望む中学生などゲンドウぐらいのものだったろう。


それが、また同じクラスになってしまった・・・

(中等部の噂ぐらい聴いてないのか?!)

学校側の不明をなじりつつ、あの頃の事を思い出しては、胃が痛くなるゲンドウだ
った。

(神経性胃炎ってのは一瞬でなるらしいからなぁ・・・)

そんな耳に挟んだ事が脳裏をよぎり、とても十六歳とは思えないような事を考えて
しまうゲンドウだった。
それが表情に出ているせいか、彼に声を掛け近寄ってくる生徒はいなかった。
ちなみに彼のその胃炎の元凶とも言うべきヒナは、新しいクラスメイトと楽しそう
に喋っている。
人の気も知らないで・・・と腹がたつ一方で、こっちに意識を向けないでくれと祈
るゲンドウだった。何とも情けない限りだが、それが二人の力関係を的確に表して
いた。

その後三回ばかり深く静かに溜息をついた頃、担任が教室に入って来た。

「ほらほら、皆とっとと席に座れー」

遅れてきたわりには悪びれずに言う担任教師。結構いい根性をしている。

「あー、私がこのクラスとなった担任の方井シンだ。一年間よろしく頼む」

教壇に手をつき自己紹介をする方井教諭。一方ゲンドウはぼーっとしながらうわの
空で聞き流していた。

そんなゲンドウに気付いた風も無く、方井は言葉を続けていく。

「・・・と言う訳で・・・そうだな、お互い知らん奴ばかりだから自分で自己紹介
してくれ。俺もその方が楽でいい。じゃ、男子の一番からやってくれ」

えーっと生徒から不満の声が上がる。それもそうだろう、いきなり自己紹介をしろ
といわれても困惑するばかりだ。

しごくもっともな生徒の声を無視し、方井はさっさと教室の後ろに移動してパイプ
椅子に座って陣取ってしまった。もう自分は何もしないと言わんばかりにパイプ椅子
に浅く座り、両足をだらしなく広げている。
かなり無責任な方井の態度を見て諦めたのか出席番号一番の男子生徒が教壇に立ち、
時折詰まりながらも自己紹介を始めていった。
そんな様子を見ながらゲンドウは、方井の第一印象を確定した。

(いい加減な担任だな。この一年面倒な事にならなければよいが・・・)
(自己紹介か・・・。ま、名前言ってよろしくでいいだろう)

方井をいい加減と決めつけながらも、ゲンドウも十分いい加減なことを考えている。
ゲンドウは男子の一番最後なので余裕があるのだ。
ごく無難に挨拶したり、ウケをねらう奴がいたりで自己紹介は進み、いよいよゲン
ドウの番がやって来た。

「六分儀ゲンドウだ。・・・よろしく」

ゲンドウはそれだけ言うと押し黙った。これでは自己紹介などではなく名前を言っ
ただけである。普通ならブーイングと罵声の嵐だったろう。
しかし、誰もヤジることなく、質問もなかった。ゲンドウの異様な迫力に、クラス
のほぼ全員、方井教諭までもが呑み込まれ質問どころか反応すら封じ込められてし
まった。
ゲンドウは今、この二年C組という空間を支配していた。

クラスが静まり返り、その事に満更でもない様子のゲンドウだったが、その背中に
凄まじい悪寒が走りぬけた。
はっとしてゲンドウはクラスを見渡し、視線をヒナに固定する。ゲンドウの第六感
は、ヒナが絡んだ何かが起こる前触れだと告げている。


(ヒナ・・・。頼むから何もしないでくれ・・・)

ゲンドウがそう祈りながらヒナを見つめた。当のヒナはつまらなそうな顔をして、
ゲンドウの熱い視線にも、特に気にした様子は無かった。
その事にゲンドウは取り敢えず大丈夫だと安堵して、席に戻ろうとした。その時、
まさに教壇から降りようとした時に、ゲンドウは視界に捕らえてしまった。


ヒナがにんまりと笑っているのを。


あぁあれはヒナがろくでもない事を考えた時の表情だとか、ヒナ何もしないで静か
に終わらせてくれとか、さっさと席に避難しなければとか、考えばかりが先走って
しまいゲンドウは突っ立ったまま固まってしまった。本日4度目のフリーズ状態だ
った。
そのゲンドウの硬直を見逃すヒナではない。一ミリ秒もためらう暇無くヒナは実行
に移した。まさしく即断即決即実行である。

「ゲンちゃぁぁん!!それじゃつまんないわよぉ!ほかに何か言った方がいいわよ
ぉ!」


クラスどころか廊下にまで響く声でヒナが叫んだ。



クラスの生徒達が固まった中で、一番始めに回復したのはヒナと付き合いの長いゲ
ンドウだった。

「ヒ、ヒナ!!ちゃんで呼ぶんじゃない!!」

先程までの不愛想な表情が嘘のようにゲンドウは真っ赤になって叫んだ。こちらも
ヒナに負けじの大声で。
そのゲンドウの叫び声が引き金となって、クラスが騒然とし始めた。隣同士で頭を
突きあわせて喋り始める生徒達。
どうやら不愛想な表情と共に、ゲンドウの他を圧倒する威圧感と支配していた空間
は地平線の彼方へ飛んでいってしまったようである。


「お互い名前で呼び合ってるけど恋人なのかよ?」
「彼女のほうはちゃんで呼んでるぜ」
「なんでアイツがあんな可愛い子と・・・」
「マジかよー」

クラスメイト達の雑談は収集がつかなくなり、話の内容も各自の妄想が手伝ってエ
スカレートしていく。中には涙を流している生徒さえいた。
ヒソヒソ話と好奇の視線にゲンドウは耐えられなくなって席に逃げる事にした。

席に戻るなり机に突っ伏してしまうゲンドウ。

(まったく・・・。なんでヒナはあんな事を言うんだ!)

なんだかどっと疲れてしまった。相変わらずヒナはろくでもない事ばかりしてくれ
る。
ゲンドウとしては勘弁してくれと言いたいところだ。

教室の方はまだ騒然としていたが、方井教諭の取り直しで女子の自己紹介が始めら
れるところだった。

「ほらー、皆黙れ黙れ。次、女子の一番から始めてくれ」

その声を受けて女子の一番が立ち上がった途端、まだざわめいていたクラスの男子
が一瞬で静かになった。男子のほとんどが息を呑んで彼女を見ていたのだ。
女子も思わず黙り込んでしまう。

騒然としていたクラスを一瞬で静まり返したその女子生徒はつかつかと歩き、教壇
に立つと一礼すると自己紹介を始めた。


「碇ユイです。よろしくお願いします」


そう言うとユイはにっこりと微笑んだ。笑うと目が線になる。まるで向日葵のよう
に眩しく、そして純粋な笑顔だった。頭の上に天使の輪があっても不思議では無い、
そう思える正しく天使の笑顔だった。
その顔は石工が細心の注意を持って彫り上げた女神像の様に整えられ、髪と瞳は黒
褐色。穏やかな雰囲気を漂わせ、箱入りお嬢様と言っても誰もが納得するだろう。
それでいてその笑顔は親しみやすく、見る者の心を簡単に開いてしまいそうだった。

その天使のような邪気の感じられない笑顔に男子は見とれ、女子も茫然としていた。
そんなクラスの反応をよそにユイはマイペースで自己紹介を進め、趣味、好きな音楽
など一通り喋ると席に戻っていった。

男子、女子のほとんどの生徒がユイが席に戻ってもまだ固まったままだ。そんな中
で方井先生は固まらなかったらしく次の生徒に自己紹介を促す。その一言で生徒達
の硬直も解けた。

もっとも男子生徒数人がまだボーっとしたまま席についたユイをまだ見ていた。彼
らの耳には二番目の女子生徒の自己紹介は聞こえていないだろう。

そんな中でも女子生徒の自己紹介は進み、次はヒナの番となったのだがゲンドウは
どうにもイヤな予感がしてならなかった。ヒナがまたろくでもない事をするんじゃ
ないかと戦々恐々としていた。

(世の中、悪い予感と最悪の事態は必ず的中するっていうからなぁ・・・)

ゲンドウに限らずそれは人間誰しも思う事だろうが、そんなことはゲンドウにとっ
て何の慰めにもならないだろう。

ゲンドウの心配どこ吹く風、ヒナは躍動感溢れる動きで教壇まで進む。
そしてヒナが教壇に立つと、また男子生徒が息を呑み込んだ。ヒナもユイに負けず
劣らずの美少女なのだ。ユイの穏やかなふんわりとした雰囲気と違い、ヒナは生命
力と躍動感に満ち溢れた 魅力を放っている。

「霧島ヒナですっ!よろしくお願いしますっ!」

ヒナはいつも大きな声ではきはきと喋る為、初対面の人には好印象を持たれる事が
多い。なにしろその外見に加えて、まさに天真爛漫というにふさわしい性格、澄ん
だ笑顔と好材料はたくさん揃っている。

教壇に立ちながらあれやこれや良く喋るヒナをゲンドウはヒヤヒヤしながら見てい
た。

(そんなに喋らなくてもいいから、さっさと席に戻ってくれ・・・!)

そんなゲンドウの期待を見透かしてるかのようにヒナはまだ喋り続けていた。
クラスのほぼ全員は、よくもまぁそんなに喋る事が有るものだとなかば感心し、そ
の一方である一つの事を考えていた。


「・・というところで。・・コレぐらいかなぁ?あ、何か聞きたい事あります?」

さらりとそう言った。生徒達は皆躊躇した。
聴いていいのだろうか?後悔しないだろうか?
そんなクラスの雰囲気など気にする余裕もなく、ゲンドウが顔を引きつらせながら
ヒナに何か言おうとした時、ゲンドウに先んじて一人の女子生徒が手を挙げた。

「えーと・・・碇・・さん?」
「そう、碇です。ちょっと聞いていいかな?」
「どーぞ」
「六分儀君とはどんな関係?」



こちらもさらりとした口調だった。クラスのほぼ全員が考え、聴こうかどうか迷っ
たことをためらう事無く質問してのけたのだ。

「一応、幼馴染よぉ。い・ち・お・う」

ヒナが人差し指だけ立てて指先を顎にそえ、さっきの笑顔とは正反対の小悪魔のよ
うな笑みを浮かべる。
ヒナはスカートの下に先の尖った尻尾を隠し持ってるに違いない。ゲンドウは今更
ながらそう思わずにはいられなかった。


「霧島さん、一応って?」
「えーっ、碇さんそんなこと聴くなんて野暮ねぇ」

おぉーっと教室がざわめく。そしてクラスの大部分の視線(特に男子)がゲンドウ
に注がれた。その事によってまた固まっていたゲンドウは復活し、ヒナに向き直って
叫んだ。

「た、ただの幼馴染だ!!」
「ゲンちゃん、そんな事言うなんて酷いっ!!今朝あたしの手を握って囁いてくれた
のは嘘だったのねっ!!ゲンちゃんを信じたあたしが馬鹿だったわ!!」
「な、何をっ!!いや、今朝のアレはだな・・・」

よよよよよ、と膝を折り崩れるヒナ。芸者じゃあるまいし、芝居掛かるのもほどが
あるぞヒナ、と内心思うゲンドウ。
頭の中ではいくらでも文句が浮かんでくるのだが、実際口にすべき台詞は思いつか
ない。すんなり的確な言葉を口に出来ないところが、ゲンドウの数多い敗因の1つ
であろう。
ヒナの変わり身の速さに戸惑い、さらに今の言葉もホントの事が幾らか混ざってい
るので頭ごなしに否定できない。

「ねえねえ霧島さん。幼馴染って事はやっぱり結婚の約束したり、一緒にお風呂入っ
たりしたの?」

のほほんと二人の会話の流れを無視して質問するユイ。


「よく聴いてくれたわ碇さん!ゲンちゃんったらお嫁さんにしてくれるって真剣な顔
であたしに言ってくれたの。でもゲンちゃんったら奇麗さっぱり忘れてるにちがいな
いわっ!信じたあたしが馬鹿だったのよ!ゲンちゃん酷いわっ!あたしの純情かえし
てっ!」
「いや、おい、ヒナ・・・?」

ゲンドウ自身はヒナの言うように記憶はまったく無い。けれども小さい頃の事だか
ら言ったかもしれない。何しろヒナはやたらと記憶力が良くて、ゲンドウ自身が忘
れてしまった事すらやたらと憶えている。


[・・・あの時のゲンちゃんたら、あ〜もう最高!]
[・・・何を言う。そんな事実はないし記憶も無いぞ]
[あ〜〜言ったわね!じゃ、賭ける?母さん達に聞けばすぐ分かるけど]
[いいだろう。おばさん達なら間違いないだろう]


この時は弁当一ヶ月分を賭けた。自信があった。柄にもなく大きく出た。普段なら
よくて一週間分がせいぜいだと言うのに・・・
現在ゲンドウは、ヒナに一年三ヶ月分の弁当を用意することになっている。
ちなみにこの賭けで、ゲンドウがヒナに弁当を用意することはあっても、その逆は
一回も無かった。期間は減りもせず、増えていくばかりだった。
こんな事が重なり、ゲンドウはヒナの話を(どんなに否定したくても)言下に否定
できなくなっていた。


さらにヒナの暴露話は続く。ヒナの方もテンションが上がって来たらしく口調も滑
らかに、そして過激になっていく。
そこにユイが申し合わせたかのように合いの手を入れて、ますますヒナはヒートアッ
プしていく。 ゲンドウがこの二人、事前に打ち合わせていたのでは無いかと思うほど
だ。


「碇さん聞いて!ゲンちゃんったら一緒にお風呂に入ってあたしの全てを知ってるの
よ!!あたしもうお嫁にいけないわ!ゲンちゃん責任とってよね!」
「ヒ、ヒナ、一体いつの・・・!」
「六分儀君、ホントに一緒にお風呂入ったの?」
「い、碇さん・・・。いや、確かに一緒に風呂には入ったが・・・」
「中学三年までね」


ぼそりとヒナが呟いた。無論、耳をそばだてていたクラスメート達が聞き逃すはず
はなかった。

「ヒっ・・・!」

ヒナ、嘘を言うな!と、ゲンドウがヒナに言う前に、ゲンドウは色めき立った男子
生徒に詰め寄られていた。もはやゲンドウの言い分には耳を貸すつもりは無いらし
く、それぞれ好き勝手に喚き始めている。


「六分儀貴様ぁぁぁぁ!」
「なんつぅぅうらやましい事をぉぉぉぉ!!」
「ちくしょぉぉぉぉ!」

「誤解だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

クラスの男子ほとんどに詰め寄られ、押され、潰され、ゲンドウの叫びは程なく消
えた。
うすれゆく意識の中でゲンドウは、天使の羽と輪っかを付けたユイと悪魔の羽と尻
尾を生やしたヒナが手に手を取って楽しそうに踊っているのを見た気がした。


この時の騒ぎで六分儀ゲンドウは入院を余儀なくされ、一波乱も二波乱もふくんだ
まま新学期を迎える事となった。



[to be continued]




yukinori oguraさんへの感想はこ・ち・ら♪   



やがて訪れる絶望的日々を前におびえる人のコメント

ゲンドウ「・・・・・なんだこれは」

カヲル 「やあ、ようこそoguraさん。この分譲住宅へ」

ゲンドウ「・・・・・なんだこれは」

カヲル 「みきさんの「welcome」外伝ですね。いや〜この作品かなり人気があるから、いつか出てくると思ったなぁ。しかもみきさん自身の加筆修正をかけて、とはまた」

ゲンドウ「・・・・・だから、なんだこれは、といっているだろう」

カヲル 「なんだって、今言った通りじゃないか」

ゲンドウ「だから、なぜそこまで私の過去を暴こうとする」

カヲル 「僕に言われてもね〜困ったもんだ」

ゲンドウ「そんなに私の過去をあばくことが面白いのか?」

カヲル 「少なくともつまらない人はいないと思うけど」

ゲンドウ「・・・・そんなに、私をいぢめるのが面白いのか?」

カヲル 「ええそりゃもう(きっぱり)

ゲンドウ「む・・・・」

カヲル 「日頃シブいオヤヂぶってるぶん、こうやってあたふたとあわてふためく姿を見ることっていったらもう・・・(にや)」

ゲンドウ「・・・・なんだ、そのなにか企んでそうな笑いは」

カヲル 「いや。別に。・・・ああそうだ、僕はこれかちょっと用事があるから、この辺で失礼するよ」

ゲンドウ「なんだ。今日のコメントはもう終わりか」

カヲル 「なにを言ってるんだい? 僕は、とは言ったが、あなたまで失礼しちゃう事はないじゃないか。ちゃんと代理人は用意しているから(にや)」

ゲンドウ「代理人?」

ヒナ  「ゲンちゃぁぁぁぁぁん♪」

ゲンドウ「うげえっ!」

ヒナ  「アタシに隠れて何楽しそうなことしてるのよ〜♪」

ゲンドウ「こ、こ、こいつがゲストか! こ、こらっ! だ、だ、抱きつくんぢゃないっ!」

ヒナ  「いいぢゃないの〜ぎゅぅぅぅぅっ!

ゲンドウ「うぐはぁぁぁぁぁ! あ、あ、あたってるあたってる!」

ヒナ  「え?」

ゲンドウ「む、む、胸が当たってると言うのだ! さ、さっさと離れんか!」

ヒナ  「あら、ゲンちゃんだったらいいのよ〜胸の一つや二つや三つくらい」

ゲンドウ「胸が三つもあってどうする!」

ヒナ  「嘘よ〜アタシの胸は正真正銘ふ・た・つ♪

ゲンドウ「そ、そうか・・・・ってそう言う問題ぢゃないっ!」

カヲル 「・・・・あれ? おかしいな・・・・今日のゲストは彼女じゃなかったはずなんだが・・・・」

ユイ  「あら、遅れてきてみれば、ずいぶんと楽しそうですわね〜(にこり)」

ゲンドウ「ユ、ユ、ユイっ!」

ユイ  「今日のゲストとしてお呼ばれしたみたいですけど、どうやら私は必要ないみたいですわね。あら、いけない。今日の晩御飯の支度をしないと」

ゲンドウ「ユイ、た、た、助けてくれっ!」

ユイ  「あなた♪」

ゲンドウ「な、な、なんだ?」

ユイ  「楽しんでらしてね♪(はぁと)」

ゲンドウ「・・・・(顔面蒼白)」

ユイ  「さ〜て、今日の晩御飯はなんにしましょうかね〜二人分だから、腕によりをかけましょ。シンちゃんの好物でも、つくってあげようかしら〜」

ゲンドウ「だばだばだば(落涙)」


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