303号病室。

惣流・アスカ・ラングレーは、そこで白い天井を見つめていた。

やせほそった、枯れた木のような腕に点滴が差し込まれている様が痛々しい。
その顔は見る影もなく痩せこけている。

目は開かれているが、その瞳は何も映していなかった。
アスカは、夢を見ているのだ。

それはいつ終わるとも知れない悪夢だった。







「アスカちゃん・・・パパはねぇ、ママがいらないって言うの」


キョウコの笑みは狂気に染まっていた。
幼いアスカはいつもと違う母の様子に敏感に身の危険を感じたのか、母から逃げるように後ずさる。


「・・・・・だからねえ、・・・・・・」

「・・・ママ」


アスカは震えながら、母の顔を見上げた。


「イッショニ、しんデチョウダイ・・・・」


ひきつった笑みを浮かべて、キョウコは娘の首に手をかけた。



「い・・・いっ、いやああああああああああああああああああああああああああああああああああ」







「アスカ・・・」


あの夢を見た日、シンジは再びアスカを見舞った。


「夢の中じゃ、あんなに元気だったのに・・・」


シンジはかすれた声で呟く。
もの言わぬ人形。それが現実のアスカだ。
あらためて夢と現実のギャップを見せつけられたのが、ショックだった。

声に反応したのだろうか、それまでただ天井を見つめていたアスカの瞳がシンジの方に向けられる。
ただし、その瞳は何も映さない濁ったものだった。


「あ、アスカ・・・僕だよ。シンジ。・・お見舞いに、来たんだ」


シンジはしどろもどろに話しかけた。
もしかしたら夢のなかみたいに笑ってくれるかもしれない、そんな期待を抱きながら。




わなわな。
アスカの乾いた唇が動く。




「アスカ?」





その時、シンジは見てしまった。






EVANGELION:REBIRTH/2 終わり無き、日常
第一話「蒼ざめた瞳」











それから二週間後。



『おはようございます。十二月十六日、朝七時のニュースです。』


テレビではNHKのアナウンサーがやや棒読みがちにニュースの原稿を読み上げている。


シンジは今朝も自分が準備した朝食を食べていた。
その表情は冴えない。
こんがり焼きあがった食パンにマーガリンをつけ、頬張る。


(まずいや・・・)


味はけっして不味くないのにシンジにはそれがひどく不味い物のように思えた。
彼にとってはパンの味というより朝食を食べるという行為そのものが味気ないのかもしれない。


「おっはよー、シンジ君!」


にこやかな笑みを浮かて、ミサトがリビングに姿を現す。
ちなみに彼女が家に戻ってきたのは、使徒殲滅以来今日が初めてである。


「おはようございます・・」


シンジの返事には精彩がない。聞きようによっては投げやりに返してるようにも聞こえた。


(こんなに放っといたんだもんね・・返事が返ってきただけでもよかった、か・・・)


ミサトは内心自嘲した。
しかしその表情はにこやかな笑みを装ったままだ。彼女の得意技である。


「どう?学校の方は?鈴原君や相田君とも会ったんでしょ?」

「はい・・元気そうでしたけど・・・」

「あ・・・そう・・」


会話が止まる。





『昨日の、第二新東京市での国連の公式発表によりますと・・・』





部屋にはただニュースの音声のみが流れていた。

どこか気まずく、ぎこちない。
間が持たないと思ったミサトはとりあえず冷蔵庫を開け、ヱビスビールを取り出す。


「とにかく、良かったじゃなーい!これでまた楽しい学校生活が送れるってもんよね!」





『・・この組織は各国の政府首脳や財界にも癒着していると見られ・・・』





「・・・そうですね」


やはり返ってくるのはそっけない答えだけだ。
ミサトはため息をつくと、ビールのタブを開け飲みはじめた。




『・・次のニュースです。昨夜九時頃、神奈川県第三新東京市で・・・』




しばらく、部屋にはテレビの音声とパンを咀嚼する音と喉が鳴る音だけが存在していた。


ミサトはビールを一缶飲んだ後で一息つくと、ようやくその言葉を絞り出す事ができた。











「ごめんね・・シンジ君」









『・・・関係者は、工事のずさんさが事故に繋がったものと見ています。』









「ひどいですよ・・・・今更・・・」


長い沈黙の果てに、シンジが呟いたのはその一言だけだった。







「行ってきます」


シンジが精のない声とともに玄関を出た後、ミサトは再びため息をつく。

(私、なにやってたんだろう。・・セカンドインパクトの真意はいまだ掴めず、シンジ君を放ったらかして愛想をつかされ・・
・・・危ない所まで踏み込んでおいて、結局何の成果も得られず、か・・・)

彼女は後悔の念にかられていた。
手に持ったビールのアルミ缶を握り締めると、〔ぺきょっ〕と情けない音をたててへっこむ。


「クワッ?」


後ろから、不意に動物の鳴き声が聞こえた。
気づいたミサトが振り返ると、冷蔵庫兼自室から出てきた温泉ペンギンが愛らしい目で彼女を見つめていた。


「あらぁ、ペンペン!久しぶりねー!!元気そうじゃなーい!!」


避災のため疎開したシンジのクラスメート、洞木ヒカリに預けていたペットと久々に再会したミサトは嬉しそうに“彼”を抱きしめた。


「クワッ、クワワッ!!」


ペンペンも喜んでいるらしく、ミサトの腕の中で両手をぱたぱたと振る。
今のミサトにはこのペットの温もりがとても有り難いものに感じられた。






エヴァンゲリオン零号機の自爆によって壊滅した第三新東京市は現在復興中だった。
爆発によって出来たクレーターからは水が抜かれ、埋め立てが進んでいる。
まるで造成中の住宅地のように見えるそこからはたくさんの兵装ビルが林立していた。
戦闘時に地下に格納されていた兵装ビル群はそのほとんどが上部が損傷した程度で済み、基部の修理が完了したものから順に地上に上げられていた。
市内には盛んに建設機械の音が響いている。

疎開していた市民も少しづつではあるが、戻ってきていた。
もっとも、市民の中には再び破壊されるかもしれない街をどうしてこんなに必死に復旧するのか、首を傾げる者が多い。
彼らのほとんどは使徒の襲来はもうありえないというネルフの声明を本気で信用していないのだ。

では、何故彼らはそんな再び災害に見舞われるかもしれない街に戻ってくるのか。
それは『適格者候補』を手元に置いておきたいネルフが多額の生活援助金を餌にして市民を半ば強制的に『引き戻している』ためである。






シンジはまだ災害の爪痕が残る通学路を通って、先週に再開された学校へと向かう。
彼の思考を支配していたのはミサトの事ではなく、二週間前の病院での出来事だ。

それは二週間前、シンジが二度目にアスカを見舞った時の事だった。






わなわな。
アスカの乾いた唇が動いた。


「アスカ?」


「・・・・・あ、あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


「??????」


シンジは最初、それが叫び声であることに気がつかなかった。
まさかそれが二ヶ月ぶりに聞くアスカの声だとは思っていなかった。


「ぎゃあああああああああああああああっ!!あっ!あああああああああああああああああああああ!!!」


叫んでいた。
アスカが、叫んでいた。
凄い顔をして。


「・・・アスカ?」


シンジが放心した表情で呟く。
衝撃。戸惑いと混乱。
それらが頭の中を巡っていた。


「あああああああああああああああああああああああああ!!!ふうっ!くっ!!うあああ!!!」


アスカはまだ叫び続けていた。

やがて、病室の扉が開き、医師や看護婦達が部屋になだれ込んできた。
看護婦が三人がかりで暴れるアスカに鎮静剤を注射すると、アスカは糸の切れた操り人形のようにベッドに倒れ込んだ。
シンジはただその様を呆然と見つめる事しかできなかった。

医師に退室を促され、病室から去った後。
シンジは廊下の長椅子に力なく座り込んだ。


「・・・・・・・・・・・・・・・・」


時間が経つにつれて、シンジは何が起こったのかを認識してきた。
アスカは心を病んでいたという事実を改めて見せ付けられたのだ。





(分かってたんだ。そんなに早く良くなる訳がないって。でも、僕は・・・)


あの病室の出来事はシンジの思考をこの二週間ずっと支配している。


(さびしいんだ。アスカがいないと淋しいんだ・・・もう一度、笑ってほしいんだ。もう一度、僕をバカにして欲しいんだ)


頼るべき存在を失ったシンジの中で、アスカの存在は唯一の逃げ場となっていたのだ。


(いつか、良くなったら・・その時、僕がそばにいたらアスカは・・・僕を助けてくれるかもしれない)


一度打ち砕かれたにも関わらず、シンジは望みを抱いていた。


(でも、ただ喚かれるためだけにあそこに行くのか・・・・・・)


しかし、二週間前に見せ付けられた現実は頭を離れない。




(・・・それでも、逃げちゃ駄目なんだ。・・このままじゃ、何も変わらないんだ・・・)


シンジは再びアスカの病室に行く決意をした。




その決意が、実は逃避から生じたものだとは気づかずに。







「よう、シンジ。どうしたんだー、朝から疲れた顔して」


シンジは友人の相田ケンスケの声で我に返った。


「あっ・・・おはよう。ケンスケ、トウジ」

「ミサトさんの所に行ったら、もう出たっちゅうさかい、わしらが追いかけてきてやったんやで」


妙な関西弁を話す鈴原トウジ。ケンスケと同じくシンジの数少ない親友である。
彼らはさっさと家を出てしまったシンジを追いかけてきたのだ。


「あ・・ごめん」


シンジはうかつにも彼らの存在を忘れていた自分の間抜けさを後悔した。


「朝からそんな顔してちゃ一日中持たないぜ、どうかしたのか?」

「いや、別に・・なんでもないよ」

「センセェ、そんな事言うても顔に書いてあるがな!ワシの眼はごまかされへん」

「い、いや、本当になんでもないよ」

「ホンマか?またワシの足の事でウジウジしとったんとちゃうか?」


そんな事を言いつつも、トウジの口調は軽かった。


「違うよ、そうじゃないよ」


そう言いながらもシンジの視線は一瞬トウジの左足に向けられる。不自由なく歩いてはいるが義足である。


「そうか。ほんならええけどな」




かつて、エヴァ参号機が第十三使徒としてダミープラグを起動させた初号機に“処理”された時、
鈴原トウジの左足は永遠に失われた。
先週に学校が再開され、トウジと久しぶりに会った時は彼と話すのをためらうほど、シンジは自分に責任を感じていた。
責任を感じるというよりは自分のせいにされるのを怖がっていたという方が正しい。
しかし、その時トウジは「気にすんなや」と笑ってくれた。
トウジが自分の片足が失くなった事を気にしていないはずがなかった。だが彼はシンジに責任がない事を分かっていた。
シンジはあまりの嬉しさに周りの目も気にせずぼろぼろと泣いたものだった。






三人は学校に着いた。
先の爆発により第三新東京市立第壱中学校の校舎は全壊したのだが、一週間前から仮校舎を使って授業が再開されている。
この仮校舎は冷房はついているが所詮はプレハブである。
物音が響きやすく、隣の教室の物音が筒抜けになる。
少なくとも教師達にとってはお世辞にも快適な環境とは言えない。

教室の机のうちのいくつかには花が差された花瓶が置かれていた。
それらはこの街の住民がいかに危険な環境におかれていたかという事実をまざまざと見せ付けている。
シンジはその花瓶を見るのが嫌だった。
自分達の戦いが彼らの命を奪った、という事を思い知らされるのが辛いからだ。
使徒とエヴァの戦闘がなければ彼らの命が失われる事がなかった。
その事実を分かってはいても、認識したくなかったのだ。
今日も席につくと、窓の外をぼんやりと眺めていた。

やがて本鈴が鳴り、担任の老教師が教室に入ってきて出欠確認が始まった。
この教師の出欠確認は非常にのんびりとしたものなので、眠気を誘われ朝から机に轟沈する者も少なくない。
そんな生徒達に対して、この教師はご丁寧にも彼らが返事を返すまで呼び続けるのだ。
それはそれはとてものどかな光景である。


「えー、今日の休みは・・いつもの綾波と惣流だけ・・・か」





授業の間、シンジは窓際の空席を見ていた。

(綾波・・レイ・・・)

青い髪の少女の事を思い出す。
シンジはターミナル・ドグマの水槽の中に漂う何人ものレイを見た日から彼女の姿を見ていなかった。
ネルフ本部でも、学校でも、レイを見かけた事はない。
何故レイが姿を現さないのか、知りたいとは思わないし、彼女を探そうと考えた事もなかった。
会う気がないのではなく、会う勇気がないからだ。

(あの綾波は僕の知っている綾波じゃない。僕を助けてくれた綾波は、もういないんだ・・・)

シンジは三人目のレイに会う事をむしろ怖れていた。
忘れてしまいたい、心のカサブタが開くだけだと思っているから。





午後3時20分。


「・・この災害から立ち直る事が出来たのも、皆さんの、お父さん、お母さんの・・・」

〔キーン、コーン、カーン、コーン・・・〕


終礼の終わりを告げるチャイムが鳴る。


「きりーつ!れーい!」

「その頃私は・・・」


クラス委員長の洞木ヒカリの号令が終わると、生徒達は今だに何やら災害の体験談を話す担任を放っておいて、自主的に下校していく。
最初の頃は彼らもとりあえず真面目に話が終わるまで聞いていたのだが、そうすると終礼がとんでもなく長くなる事が判明し、話の途中で抜け出す者が多くなった。
ヒカリも委員長の立場上、最初はそんな者達をたしなめていたのだが、さすがに同じ話を毎日聞かされるのは彼女も辛かったようで、
最近では教師がその話に入ったとみるや号令をかけて自主解散させる。
それでもなお窓の外を向いて話し続ける教師は一体誰に話をしているのか。謎である。





「そうだ、シンジ。帰りにゲーセン行こうぜ!」


ケンスケが帰り支度をしているシンジに声をかける。


「え?・・う、ん、・・・あ、やっぱり、今日はやめとくよ」


シンジはひどくあいまいな言い方でその誘いを断った。


「どうしてだよ?俺はこの間のアレでお前に負けた借りを返していないんだぜ!」


ケンスケの言うアレとは戦闘機のシューティングゲームの事である。
ミリタリーマニアを自認する彼としてはその手の趣味のないシンジに負けたのがよほど悔しかったらしい。

が、そのケンスケの不満気な表情もシンジの次の言葉を聞いて一変した。


「今日は・・・病院に、行くから・・・・・」


歯切れの悪い返事。


「そうか、悪かったな、シンジ。また今度頼むよ」

「うん・・ごめん」


ケンスケはシンジの言葉が彼にとってどれだけの意味を持つものか、なんとなく分かっていた。
だからあっさりと諦めたのだ。


「で、どうなんや?惣流の具合は?」


横からトウジが口をはさんできた。


「変わらないよ・・」

「そうか・・イインチョも淋しがっとるしなぁ、はよう良うなったらええんやけどな」

「・・・そうだね」

「・・・・・」


トウジは話すにつれてシンジが更に元気を失っていっている事に気づき、話すのを止めた。

(これ以上何言うても、励ましにはならんやろな・・)






シンジはトウジ達と分かれた後、ジオフロントの病院に向かった。
その足取りは重い。

もう一度、アスカに会おうと決意はしたものの、その決意が彼を苦しめていた。
アスカに会いたい。でも、壊れたアスカを見るのが怖い。

また前に見舞いに行った時のアスカの姿が浮かんできた。

それを忘れようと、元気だった時のアスカを思い出す。
しかし、その姿はすぐに病室の哀れな姿へと変貌する。

シンジの思考はもはや堂々巡りに入っていた。
記憶の中にいるアスカと現在のアスカ。そのギャップはあまりにも激しい。


(アスカ・・・)


心の中で、幾度となくその名を繰り返す。
その度に空しさだけが大きくなっていった。

ジオフロント行きの地下鉄へ向かう道は人通りが少なく、セミの声と建設機械の騒音だけがにぎやかに聞こえてくる。
シンジはかつて三人で歩いた道を一人さびしく歩く。

青く晴れ上がった空も、シンジには寒々しいものにしか見えなかった。







その数時間前。
ネルフ本部の司令執務室で、碇ゲンドウはいつものように机に両手を突いて座っていた。
視線の先にいるのはリツコだ。


「セカンドの現在の状態はどうだ?」


両手で表情を隠した、いつもの姿勢で問う。


「思わしくありません。肉体的衰弱は回復しましたが・・・」

「そうか。・・やはり、拒んでいるのか・・・・・・・・・・・・・LP2式補完手順を実行に移せ」

「2式を・・・よろしいのですか?」


ゲンドウの言葉を聞いたリツコはわずかに動揺したようだった。


「かまわん。セカンドがエヴァとシンクロさえすればそれでいい」

「しかし、補完の上書きは破綻を来す危険性がありますが・・・」

「・・承知している。」

「・・・分かりました。直ちに実行します」


リツコはそう答えると、踵を返して執務室を後にした。





(まさか、あの人からあんな言葉を聞けるとは思っていなかったわ・・)


病棟に続く廊下を歩きながら、リツコはふと数週間前の事を思い出していた。


(私は負けたのかしら?勝ったのかしら?・・・・・・・まったく、ロジックじゃないわね。男と女は・・)






「ごめんね。定期検診なのよ。一時間ぐらいかかるんだけど、待っててくれるかな?」


病棟のロビー内。
受け付けの看護婦はシンジに済まなさそうに言った。


「・・そうですか。じゃあ、待っています」


シンジはそう言ってからロビーのソファに腰掛ける。
何か読むものはないかと雑誌コーナーに目を遣るが、婦人雑誌と子供向けの絵本しかなかった。
天井から吊り下がっているテレビの方を見てみる。
ドイツの首相の汚職による辞任が報道されていた。
自分の興味を引く話題ではない。カバンからウォークマンを取り出すと、ボリュームを高めにして聞き入る。
先の看護婦は受け付けから彼のそんな姿を見てため息をついた。


定期検診なんて、真っ赤な嘘だ。


セカンド・チルドレンには何か重要な治療がされるらしい。
しかし、それを彼に知らせる事はできない。知らせてはならない事だから。
彼は何も言わず、自分の言った言葉を信用して待っている。


(かわいそうに・・)


看護婦はそんなサード・チルドレンに同情を禁じ得なかった。






その頃、アスカはストレッチャーに乗せられて、厳重に警備された第七ケイジに連れられていた。
その内部にはエヴァンゲリオン弐号機の紅い巨体がある。


第七ケイジのコントロール室から眼下の弐号機を見下ろすのはリツコだ。
その隣には彼女のアシスタント的存在の伊吹マヤがいる。


「先輩。アスカはこんなので助かるんですか?・・・私・・こんな事、耐えられません・・・」


マヤは悲痛な表情でリツコに尋ねた。


「私達が生き延びるためには、止むを得ない事なのよ」


リツコはマヤの方を見ず、弐号機を見下ろしたまま答える。

対第十七使徒戦にて頭部を損傷した弐号機は損傷個所を中心に改修が施されていた。
素体の四つ目の下二つを廃し、上の二つのみを初号機、参号機と同じく露出させ、それに併せて頭部装甲にもモディファイが加えられた。
特徴的な四つの光学センサーや顎部等は以前の名残を留めつつもやや形状が変化しており、頭部全体のシルエットは初号機のそれに似ている。
ただ初号機とは違い「角」はなく、頭部側面から太く平たいブレードアンテナが二本、後方に突出していた。

これらの改修はネルフが弐号機の基本性能を向上させ、伍号機以下の量産機より性能的なアドバンテージを得ようとした結果である。


今、弐号機には停止信号プラグの排出作業が行われていた。
プラグハッチ周辺には見慣れぬ様々な機械が取り付けられている。

これから行われる作業はセカンド・チルドレンの『補完』だ。


マヤは黙ったままリツコの横顔を見つめていた。
彼女の胸中では尊敬していた上司である赤木リツコに対する不信感が急速に大きくなってきていた。


「そろそろ始めるわよ」

「・・・はい」


しかし、リツコに逆らう事はできない。
マヤはそんな自分の立場が恨めしかった。





コントロール%ルームにいるリツコからの指示により、白衣を着た二人の医師が寝かされたアスカを抱き上げる。
アスカはプラグスーツを着せられていた。
意識はない。
リツコ達の眼下にはハッチが開放されたエントリープラグが突き出している。
その左脇に仮設された足場にはプラグから抜き出されたパイロットシートがあった。
アスカは医師達により慎重にシートに寝かされる。
その時、今まで微動だにしなかった彼女の唇がかすかに動いた。



「・・・・い・・・や・・・・・」




マヤはスピーカーから聞こえてきたその声を聞き逃さなかった。


「先輩!アスカが・・・」

「どうしたの?」


リツコの反応はあくまで冷静だ。


「今、しゃべったんです!何か話したんです!!」

「・・そう」


『先輩』の返事はやはりそっけなかった。
それがどうしたの、と言わんばかりに。

その時、アスカが再び口を開いた。


『・・・い・・や・・・・・いや・・いや・・・・・』


視線を空にさまよわせ、弱々しく呟く。
それはあまりに痛々しい様だった。


「アスカが!・・先輩、アスカが嫌がっているんです!!」

「・・・・・・・」


『・・・イヤ・・・イヤ・・・イヤ・・・』


まるで、機械仕掛けの人形のように。アスカはぎこちなく首を左右に振った。
だが、リツコは冷徹に宣言する。


「始めるわよ」

「先輩!!」


アスカの様子を見ても全く動じた風でないリツコにマヤが非難めいた叫びをあげた。


「・・・もう遅いわ・・・・・さっきも言ったでしょう。私達が生き延びる為には仕方のない事なのよ」

「そんな!だって、アスカは・・アスカは嫌がってるんですよ!!」

「・・・作業、始めて」


リツコが指示すると、プラグ専用の移動式のクレーンが動き出し、シートの後部を固定した。
これからアスカを座らせたシートをプラグ内に入れようと言うのだ。


「・・・・先輩!私・・見損ないました!!」


マヤは背を向けて作業を始めようとするリツコに向かって憤然とした表情で言い放った。


「嫌ならそこで見ていなさい。作業は私が全部やるわ」

「・・・・・・・・・・・」


マヤはどうする事も出来なかった。
既に彼女はダミープラグの開発等、踏み込んではいけない領域へ足を踏み入れていたのだ。今更抜け出す事はできない。
自分の身を危険にさらしてまでリツコがやろうとしている事を制止する勇気はなかった。

やがて、弐号機にアスカを乗せたエントリープラグが挿入される。

マヤはただ唇をかたく噛み締め、リツコの後ろ姿を見つめていた。





LCLに満たされたプラグ内。
アスカはその中でうずくまっている。
もうろうとした意識の中で、アスカは自分がエヴァに乗せられている事に気づいた。


(いつのまにか、またエヴァに乗ってる。乗せられてる・・・)


〔キュイイイイン・・・〕


シートの後方でディスクが回転を始めた。
アスカはそれに気付く様子はない。


(どうせ動きゃしないのに、このポンコツ・・ううん、ポンコツはあたしの方か・・・)


ディスクの回転は更に速さを増した。


「あっ・・・」


突然、自分の中に入り込んでくる何かを感じて、アスカは声を上げた。


(何?・・・何これ??・・・・・・きもちいい・・・・・あたしが、あたしが広がっていくみたい・・・・・・・・・)


アスカの虚ろな表情はしだいに恍惚のそれへと変わっていった。


(ママ・・そこにいたのね・・!!)







数時間の後。
再び、司令執務室。

クリップボードを片手に携えたリツコがゲンドウに報告をしている。


「状態は安定しています。記憶に混乱が現れ、錯乱する可能性がありますが、一時的なものです」

「・・・そうか。ご苦労。」





シンジに面会許可が降りたのは五時を過ぎてからの事だった。
エレベーターに乗って303病室のある階に向かう。

頭がゆるやかに上に引っ張られる感覚が消えると、電子音が鳴り、エレベーターの扉が開いた。
シンジはふう、とため息をついてからエレベーターの外に踏み出す。

廊下を歩いていると、曲がり角の向こうから会話が聞こえてきた。


「・・・で、どうだったの?赤木博士が診たんでしょ?」

「知らないわよ、そんなの。私も見てないのよ」



二人の看護婦が何やら話をしている。
シンジが角を曲がって姿を現すと、彼女達はあわててそそくさと立ち去っていった。
彼はその様子を不思議そうに見ていた。


(リツコさんが・・どうしたんだろう・・・?)


会話の中でリツコの名が出ていたのが少し気になったが、すぐに忘れた。
シンジには自分が病室に入った時、アスカがどんな様子でいるのか、という事の方が重要だったからだ。





やがて、彼は二週間ぶりに303病室の前に立った。


〔コンコン〕


返事が返ってくる事は多分ないと思ったが、とりあえず扉をノックする。
それが罵倒でも何でもよかった。もしかすると、元気な声が返ってくるかもしれない、と期待しながら。


〔・・・・・・・・・・・・〕


扉の向こうからは、何も聞こえない。


(やっぱり・・・)


そう思いながら、扉を開けた。
空気音とともにドアがスライドする。
シンジはしばらく入り口で立ち止まり、ベッドの上に横たわるアスカを見ていたが、
ようやく自分自身に言い聞かせるように、


「アスカ、入るよ・・・」


と言ってから病室に入った。





「すう・・すう・・・」


規則正しい寝息が聞こえてくる。
アスカは眠っていた。
シンジの方に背中を向けて眠っているため、その表情はうかがえない。


「寝てるのか・・・」


シンジはそう言うと、ベッドに近づいていく。
前に来た時に比べれば体は痩せ細っておらず、見た目は回復しているようにも見えた。
傍らに立ち、アスカを見下ろす。


「アスカ・・・」

「すぅ・・・・はぁ・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」


シンジの中で、二週間前に夢を見た時の悲しみと淋しさがこみあげてきた。


(あの時、アスカは僕に笑いかけてくれたのに・・)


そして、彼はぽつりぽつり、と話しだした。


「やっぱり、寂しいんだ・・・」

「トウジやケンスケは戻ってきたけど・・」

「それでも、寂しいんだ」

「綾波に会うのは怖いんだ」

「ミサトさんは僕に冷たいんだ」

「ねぇ・・・アスカ・・・・・何か言ってよ・・・・」

「寂しいんだ・・」

「独りじゃ、寂しいんだ・・・」

「ねぇ、起きてよ・・ねぇ、目を覚ましてよ・・・」

「ねぇ・・ねぇ、アスカ、アスカ!アスカ!!」


シンジはいつのまにかアスカの右肩を掴み、強く揺さぶっていた。


「何か言ってよ、答えてよ!またいつものように僕をバカにしてよぉ!!」

「ねぇ!!」


その時。
それまでかたくなに背を向けていたアスカは突然こちらを向いた。
その青い瞳がシンジを見つめる。


「!!」


シンジはとたんに我に返り、手を放した。


「・・!ア、アスカ!?」


狼狽し、後ずさるシンジ。


「・・・・・う・・・・・う・・・う、う。」


その時、アスカの唇から、何か言葉がもれた。


「・・アスカ?」

「・・う!・・・う・・・う・・」


しゃべった。
アスカはシンジを見つめたまま、何かを必死で話そうとしていた。
前とは違う。
良くなってる。
シンジはそう思った。


「ろ・・・・し・る・・」


「え?なんて言ってるの?」


「・・・・し・・て・・・・・る」


「・・・アスカ」


シンジは嬉しかった。
ようやくアスカが口をきいてくれた。
そう思っていた。


「アスカ!僕が、僕が分かるの?」


「・・・ろし・・・て・・・」


「アスカ・・・」


その時、シンジはアスカの言葉がようやくはっきり聞き取れた。























「殺してやる」























「え?」



「殺してやる」



アスカの顔は無表情だった。
その蒼ざめた瞳には、目の前の少年の姿は映っていない。
少女は機械的に、その言葉を繰り返した。



「殺してやる」



「殺してやる」



「は・・・はは・・・・・何を・・何言ってるんだよ、アスカ・・・・わかんないよ。何言ってるのさ、アスカ・・・・」


シンジは引きつった笑いを浮かべてつぶやく。
その目尻には絶望の涙があふれそうになっていた。


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「うっ・・・・・ふうっ・・・!うわあっ!!うわあああああああ」


しばらく放心していたシンジは、ただその言葉を繰り返すアスカに恐怖を感じた。
自分の叫び声で我に返るやいなやベッドから飛びのく。
慌てていたため、テーブルにぶつかり、床にしりもちをついた。



「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」


「殺してやる」



アスカはひたすら無表情で繰り返す。
口元に薄ら笑いを浮かべながら。

恐怖。
絶望。
それらの感覚に押しつぶされそうになって、シンジは声のかぎり叫んだ。


「うっうわああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!!」
























「・・・シンジ君、シンジ君・・?」


その日の夜。
ミサトはシンジが帰ってくるなり部屋に閉じこもったのを不審に思い、部屋の前から声を掛けた。
しかし、シンジの反応はない。


(嫌だ・・・もう嫌だ・・・・・嫌だ・・嫌だ・・嫌だ・・嫌だ・・・)


彼はベッドの布団の中でうずくまっていた。

やがて、ミサトはため息をつくと、部屋の前から立ち去った。
彼女にはアスカの処置について、何も知らされていなかったのだ。







第二話に続く。




あとがき

アスカを壊したのは確信犯です。全ての責任は私にあります。
尚、今回制作にあたって高嶋氏に非常にお世話になりました。この場を借りて深く御礼申し上げます。

あとがき2

こんにちは、高嶋@かくしEVAです。
実は・・・私、代筆しちゃったりしてるんですよ。
紙の原稿片手にカタカタ打って・・・・内容は関知してませんけどね。
ともかく流した汗の量は身体で払ってもらいます。(自爆)
いや、冗談ですけど、ともかく同じ京都にんということで、
及ばずながら協力させていただきました。
結構ヘビィな内容ですけど、そのうち何とかなると信じていますので、
どうかめげずに読んであげて下さいませ。
まあ、ここの方々なら大丈夫だと思いますけど・・・(ニヤリ)



huzitaさんへの感想は、こ・ち・ら♪   


管理人(その他)のコメント

アスカ「ま、それはいいとして。やっぱりアタシはここでも病人なわけね。これでダイナミックに復活するならまだしも、このままいじいじとアタシじゃないアタシを書き続けてご覧なさい〜huzitaのもとに、全国一億二千万人の抗議メールが行くわよ〜」

カヲル「・・・・ん? なんだ、この発言は?」

アスカ「アタシの前回の発言ね」

カヲル「ほほう。しかし、いじいじとアスカ君じゃないアスカ君を書き続けているわけじゃないから、いいんじゃないのかい? ダイナミックに壊してくれたことだし」

アスカ「ダイナミックにねぇ・・・・あれじゃ、ほとんど壊れたと言うより狂ったという方が正解じゃないのかしらね」

カヲル「狂った・・・ふむ、それは言い得て妙だな」

アスカ「なに納得しているのよ」

カヲル「シンジ君に強烈なインパクトを与えたんだから、いいじゃないか。あれで、シンジ君の心はもう君一色さ」

アスカ「そんな一色ならいらないわよ!」

カヲル「でも、君は文句を言うけど、この話、そうそう悪いものでもないよ」

アスカ「どこがよ」

カヲル「綾波レイがほとんどでてこない」

アスカ「・・・・・ふむ。それはいいかも(はあと)」

カヲル「(ほっ・・・・彼女をなだめるにはこの手に限る・・・・)」



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