「なあ、聞いたか。ヤポンスキーの国、滅茶苦茶らしいぞ」














And live in the world forever

第24話:Point of no Return






北極海 07:00 ソ連極東海軍潜水艦 レニングラード


「ったく、何のための警備なんだか」
 コロリョフ中尉が吐き出した言葉は、白い息と共に空中に霧散した。
 豊かに蓄えた口ひげは霜で白く凍り、寒さのせいで顔は収穫間近の林檎のように赤い。
「戦争も何も起きるわけでもなし。こんなんだったらさっさと基地に帰りたいもんだ」
 手にした煙草の吸い殻を放り出すと、さらに一つ、ため息を付いた。
 視界を見渡せば、はるか水平線の彼方まで続く流氷の群。セイルの上から見える空はどんよりと曇り、そこに生の輝きを見ることはできない。
 この、黒々とした船体の中に生きる百数十の命、そして水面下の生物たちの他は。
 ソビエト海軍極東艦隊所属、潜水艦<レニングラード>。
 オスカーII級と世間一般に呼称されるこの攻撃型原子力潜水艦は、本来ベーリング海での監視任務に就いている。海の向こうのアメリカ合衆国、そして海峡を南に下った日本、両国からの「不意の」攻撃に対する防衛任務だ。他にこの艦と同様の任務を帯びた艦が数隻、同じくこの海のどこかで任務に就いている。
 いや、就いていたと言うべきだろう。
 ここはその海峡から、直線距離で一〇〇キロ以上離れている。
「どうせやつらだって戦争をふっかけてくるわけじゃなし、さぼったって文句は言われないだろうよ。挙げ句の果てには、よくわからんものからの戦略原潜の警備だと? こんな仕事でさらに給料まで安いと来れば、やる気もなくなるってもんだ」
 コロリョフの毒づきはさらに過激さを増していったが、
「中尉、そういうものではないぞ」
 不意に背後から声がして、彼は文字通り飛び上がるほど驚いた。
 艦内に続く梯子を登ってきたのは、政治将校のウラゾフ少佐だった。
「我々が気を抜いていては、いつ帝国主義者どもが襲ってこないとも限らない。ましてや貴官も知らんわけではあるまい? 我らが同志達―――<ロジェストヴィンスキー><ガングート>が沈んだことを」
 コロリョフよりも見事な髭を片手でしごきながら、ウラゾフはそう言って彼の傍らに立った。
「あれは、大西洋艦隊との交戦で喪失したらしいではないですか。それにその、<ロジェストヴィンスキー>はともかく、<ガングート>にはいろいろと問題もありましたから」
 技量未熟で沈めたんじゃないのか? コロリョフの言外の言葉をくみ取って、ウラゾフはにやりと笑った。懐からパッケージをとりだし、
「どうかね」
 差し出された煙草を、コロリョフはありがたく一本頂き、まず彼のに火をつけた。紫煙が二本、清冽な極の大気を汚していく。
「まあ、噂半分としても彼らが沈んだのは事実だ。私だって信じちゃいない。であるならば、同志達の船を沈めた奴腹の攻撃を警戒しても損はあるまい?」
「そうは言いますが政治士官殿。ヤンキーの国では国内でどでかい爆発事故があったとかですし、ヤポンスキーの軍隊はこの間の国連軍との戦いと、なんだかその後の政変で対外戦争どころではない。大西洋艦隊は太平洋艦隊・ヤポンスキーの海軍と相討ちで仲良く海の底。いったいどこの阿呆がわが大ソビエトの戦略原潜を攻撃するというのです」
「まあ、あながち間違いではない」
 ロシア人に特有のウオトカ焼けした肌、その赤ら顔ににやりと笑みを浮かべながら、ウラゾフは煙草をうまそうにくゆらせた。
「しかし、だ。国内問題の収束のために、外に討って出るのは古来より帝国主義者の常套手段だ。第1次世界大戦を思いだしてみろ。帝政ロシアとドイツ帝国はなぜ戦争を始めた?」
「はぁ、しかし・・・・」
「まあ、要は心構えの問題だ」
 そう言って、ウラゾフは煙草を投げ捨てた。皮肉げに一言。
「私だってヤポンスキーやヤンキーが攻撃をしてくるとは思わないさ。得体のしれん化け物など論外。しかしながら、偉大なる共産主義は人の言動までも共に同じものを頂こうとするところがある。同志スターリンが道を誤らせた弊害だ。・・・・もっとも、偉大なる共産主義といえども人の心の中までのぞき見はできん。どう考えようと貴官の自由ではある。そういうことだ」
 考えるのは勝手だが、言動には気をつけるんだな。暗にウラゾフはそう言っていた。
 そういえば、とコロリョフは思い出す。
 この政治士官、以前の奴のようにやたらと共産主義を旗印に艦内を歩き回るようなことはしなかったな。艦の行動に口を差し挟むわけでもなく、かといって無能というわけでもないようだ。今の台詞を聞く限り、自らのあおぐ旗を完全に信じているようでもない。
「その、こういうのも何ですが、政治士官殿がそのようなことをおっしゃって良いのでしょうか?」
「なに、規則というのはとろけるように柔らかく考えるものだ。主義主張は必要だが、それに縛られる必要などない・・・どうだね、一杯」
 そういって彼が懐から取り出したのは、透明な液体の入った小瓶だった。
「き、勤務中に飲酒でありますか!」
「しーっ!」
 大声を上げかけたコロリョフを、ウラゾフは片手で制した。
「これも一つの考えだよ。寒さで凍えてしまっては、貴官の言う監視もろくにできまい?」
 そう、規則はとろけるように柔らかく。
 ウラゾフはうまそうにウオトカを一口のんで酒臭い息を吐くと、瓶をコロリョフの方に差し出した。
「・・・なるほど、とろけるように、柔らかく、でありますな」
 にやり、とコロリョフは笑うと、差し出された瓶をうれしそうにうけとった。そのまま一息にあおる。焼け付くような液体が喉を流れ落ち、寒さに凍える体が内から温まっていく。
「これも、なかなか、ですな」
 そういって瓶を返しかけ―――コロリョフの手から、瓶が滑り落ちた。ウラゾフが、手にしかけた瓶を取り落としたのだ。
「士官殿!」
「あ、あ・・・・・」
 もったいない、と瓶を拾いかけて、コロリョフはウラゾフがあらぬ方向を見ていることに気づく。それが自分の背後に向けられていることに不審を感じ、かれはゆっくりと背後を振り返った。
 そして、同じく彼も絶句した。
「な・・・こんなところに・・・・子供!?」
 そこに、<レニングラード>のセイルの脇に、「彼」はいた。
 言うまでもなく、セイルの向こうは極の海。そしてこのセイルは海面から数メートルの高さにある。そんなところに何かがいるわけがない。
「な、き、貴様、ど、どこから」
 しかも、コロリョフ達が防寒具をこれでもか、と言うほど着込んでいるのに対し、少年は全くの普段着。半袖のシャツから伸びる手を、無造作にポケットに突っ込んでいる。そしてその氷上は、実に不機嫌そうだった。
「ふん、この寒い中、ご苦労様なこと」
 少年は、そう彼らに向かって言った。
 日本語で。
「・・・いや、僕もまた、同じか。こんなくだらないことに」
 むろん、それがコロリョフ達に伝わるわけもない。彼らは突然の来訪者に驚き、しばし呆然としていた。やがてウラゾフが思い出したように艦内へ続く非常警報ベルを鳴らす。
 耳障りな音が響いた後、艦内からそれを誰何する声が帰ってきた。艦長だった。
「中尉、どうした、敵襲か!?」
「あ、ああ、こ、子供が」
「子供? 何を寝ぼけている? 貴様勤務時間中に酒でも飲んでいるのではないだろうな!」
「あ、いえ、その、飲んではいますが、決して酔っちゃいません!」
「馬鹿者! 酔っている酔っていないの話ではない!」
「違います、そうじゃないんです!」
「何を言いたい! 貴様営倉行きが希望なのか!」
 ある種喜劇的なやりとりを聞きながら、ウラゾフはその子供から目が離せなかった。少年は無造作に頭をひとつかくと、飽きた、とばかりに首を一つ振った。
「悪いが君たちと遊んでいるヒマは、ない」
 ウラゾフは日本語ができるわけではない。しかしながら、最後の言葉だけははっきりと耳にすることができた。いや、その意志を感じ取ったと言って良いだろう。
「さっさと、すませてしまうよ」
 ゆっくりとかざした右手。そこに光が生まれる様子を、呆然と彼は見つめていた。
「では、さよなら」
 そして、極海に爆発音が弾けた。



ベーリング海峡上空 10:00 ネルフ戦略輸送機内

「<レニングラード><ウラジオストク><セミパラチンスク>撃沈・・・・どうやら老人どもは感づいたようだな」
「言わずとも、分かるだろうよ」
 機内の座席で、二人は並んで座ったまま言葉を交わした。
 互いに相手を見るわけではない。一人は視線を眼下の海に、一人は瞳を閉じて。
「攻撃原潜三隻。ないよりましとはいえ、外壁をもがれたな」
「その程度のことは考慮の上だ。いやむしろ弾よけなどあるだけ邪魔」
 冷徹に言い放つその声に、今一人・・・冬月コウゾウは閉じていた瞳をわずかにひらいた。
「ではなぜその無駄な弾よけを配置したのか・・・いやいい。どうせおまえのことだ、大体の理由は分かる」
 皮肉げな冬月の口調に、今一人の男は唇をゆがめた。ならば聞くな、という表情で、碇ゲンドウは窓の外を見ている。そこには、同じく翼を連ねる輸送機の姿。初号機、弐号機、参号機がそれぞれの機体に収まり、司令機と共に目的地を目指している。
「相手の出方をうかがうためとはいえ、3隻でいったい何人死んだことか。・・・息子には聞かせられん話だな」
 輸送機に乗り込む少年の姿を思い出しつつ、冬月はつぶやいた。
 出撃前、今回の作戦の伝達のため集まった中、少年、碇シンジはずっと父を見ていた。そして父は、その視線をまったく無視した。何かを言いたそうだったその視線を。
「・・・・あれに、今更許しを求めるつもりはない」
 ぽつりとつぶやいたその表情は、冬月には見えない。
 しばらく、二人は無言だった。
 沈黙を破ったのは、スピーカーから流れ出る声。
『間もなく降下予定地点』
「・・・・始まるか」
「ああ」
「やり直しは、きかんぞ」
 ゲンドウは、その言葉にはじめて冬月の方を振り返った。意外、という表情だった。
「なにをいまさら。我々はもう、引き返し可能な地点はとっくにこえているのだ」


「エントリープラグ、挿入」
「各機、起動信号受信。起動シーケンス、正常開始。シンクロ率、第一次接続をクリア」
「パイロット通信回線、接続。LCL濃度、基準値+0.1パーセント。正常範囲内」
「各関節正常稼働確認。拘束具、一番から二七番まで解除」
「シンジ君、アスカ、鈴原君、どう?」
「ミサトさん、ええ、大丈夫です」
「空中降下は前もやったじゃん。それと同じ、なーんも気にすることはないわ」
「・・・ワイは始めてなんやけどな」
「オッケー、その様子ならみんな大丈夫そうね」
「降下開始まであと七〇。各機起動シーケンス七〇パーセント完了。第二次接続をクリア」
「拘束具、二八番から四〇番まで解除」
「現高度一万二千メートル。風速、天候共に降下に支障なし」
「降下地点には十分注意。ビーコンはないから、間違っても海に落ちないようにね」
「寒中水泳はごめんよね。バカは風邪引かないから良いけど」
「なんやと、コラ惣流。それは誰にむかって言っとるんや!」
「あら、自覚があるっていいわねー」
「ああ? もう一度いってみぃ!」
「こら鈴原君。アスカもいい加減にしなさい。降下、三〇秒前よ」
「起動シーケンス―――全機正常終了。最終拘束具、完全除去」
「各機、起動確認と同時に内蔵電源モードに切り替え、いいわね。紐つけて落ちないようにね」
「降下まで、あと二〇」
「司令、出撃、よろしいですね?」
「かまわん、出したまえ」
「降下一五秒前。各機、起動!」
「シンクロ率、最終接続クリア、全機起動確認。初号機、内蔵電源切り替え、弐号機、同じく完了、参号機・・・・完了!」
「最終アプローチ開始。カーゴベイ、ロック解除」
「出撃用意・・・・三人とも・・・・生きて還ってきなさいよ!」
「降下五秒前・・・四・・・・三・・・二・・・一・・ゼロ! 保持ロック解除!」
「全機、降下開始!」



 凍り付くような空気を切り裂き、三機のエヴァは白い筋をひきながら空を落ちていく。
 あちらこちらに見える雲の白さとは別に、地上には広大な白が広がっている。
 わぁ、とシンジはつかの間我を忘れてその光景に見入った。
 シベリアの大地、そして北極海。
 どこまでも続く氷原が、眼下にはあった。
「これから始まる戦いとは、似合わない場所よね」
 回線を通してアスカの声が聞こえる。彼女も同じく、この光景に見入っていた。
 高度計は一万を切った。あらかじめ入力されたデータを元に、三機は体勢を整えつつさらに地上へと降下していく。
「ソ連なんて来るのはじめてやなぁ・・・・」
「今回は海外旅行、ってわけにはいかないけどね」
 苦笑しながら、シンジは両手でレバーを握った。
 八〇〇〇・・・・七〇〇〇・・・・高度計は回転を早めながら回り続ける。
 薄く漂う雲を突き抜けると、彼らと地上を遮るものはもはやなにもない。
「綾波は?」
「ファーストは上から落ちてくるわよ。コンテナ、見えるでしょ?」
 背後を振り向くと、エヴァよりもさらに数千メートル上空に小さな物体が見える。箱形の降下コンテナ。その中に、少女はいるはずだった。
「六号機がなくなって、綾波はどうするのかと思ったけど・・・」
「あの子は別よ。エヴァなんてなくたって」
 皮肉げなアスカの口調にシンジは多少の不快さを感じたが、それも仕方のないこと、と思い直す。
 目の前で、あんな光景を見せられたらだれだって。
 まだ軽口を叩きながら受け入れているアスカの態度に、シンジは彼女の変化を感じ取っていた。
 高度計は三〇〇〇を切った。
「さて、そろそろよ」
 アスカの言葉に、シンジはモニターをじっと見つめた。
「二五〇〇・・・・二三〇〇・・・・二一〇〇・・・・二〇〇〇!」
 同時に、バックパックに備え付けられたロケットが火を噴き、降下速度を鈍らせる。ぐっと押しつけられるGの感覚に耐えながら、シンジはさらにレバーを操作した。
「展開!」
 同時に、三機の背中にぱっと白い花が咲く。パラシュートは一杯に風をはらみ、重力にあがらうように巨体をゆっくりと大地に運んでいく。
 燃料を使い果たし、切り離されたロケットがくるくると地上へ落ちていく。これで背中に残っているのは、外部バッテリーと着地用の逆噴射ロケット、そしてパラシュートのみ。そしてバッテリーはすでに残り五分を切った。
「トウジ、見える?」
「ちょいまち・・・・オッケー、見えたで。右前方や」
 言われるままに視線を向けると、白い大地に変化が現れていた。
 氷塊が押し上げられるように盛り上がっていく。その数は三個。
「ちょいとしくじったかな? 寄ってくで」
「寒中水泳は勘弁よ。拾い上げるの大変なんだから」
「わーっとるがな」
 参号機を戦闘に、パラシュートの方向を操作しつつ、彼らは盛り上がる氷塊へと近づいていく。高度を下げるに連れその姿ははっきりと見えてくる。氷は今や完全に割れ、そこには三隻の潜水艦が姿を現していた。
「大きいわね・・・エヴァよりでかい」
「タイフーン級戦略原潜」
 トウジがぽそりとつぶやいた。
「ケンスケが見たら涎を流して喜びそうなフネやな」
 排水量二万五千トンをこえる世界最大の戦略原潜。就役以降すでに二〇年近くが経過しているものの、ソ連において潜水艦隊、特に戦略核搭載艦は最優先の整備対象となっているため、その稼働状況は高い。ネルフからの要請に従って全てのタイフーン級がここに現れたことがそのいい証明だ。
 しかしながら、一般にその姿を目撃することはほとんどないと言っていいだろう。なぜかといえば簡単なこと。このフネの存在意義が、姿を見せることを許さないからだ。常に隠密行動。年鑑のほとんどを母港から離れ、来ることのない、そしていつか来るかも知れない命令のために北極海に深く静かに潜航する。
 その戦略原潜が、今眼下に見える。
「しかしネルフちゅうんはいったいどういう人脈をもっとるんかいの。あんなごっつぃフネを簡単に呼び出して、しかも―――」
 トウジの言葉半ばで、潜水艦の舷側に白煙が上がった。
 同時に三本の線が氷原に延びる。雪煙を上げて氷原に描かれたその線の先には、見慣れたソケットが付けられている。アスカが確認するように言った。
「アンビリカブルケーブル、ちゃんと装備してるみたいね」
「―――しかも、そのフネにあんなけったいなもんまで付けさせてしまうんやからな」
 戦略原潜、その動力となる原子炉からの電源供給。
「よくもまあ、こんなことを考えつくもんや」
 内部電源だけでは起動時間に著しく制限のされるエヴァ。今回の作戦を聞いたとき、リツコが説明したその回避策として、説明をされてはいた。むろん、アスカやシンジにとって艦船にアンビリカブルケーブルを装備する光景を見るのははじめてではない。かつて太平洋艦隊が空母<オーバー・ザ・レインボー>の原子炉から取り出した電力をエヴァに供給したことはある。しかしながら潜水艦に装備した姿を目前にすると、その突飛さに驚きを隠せない。
「まあ、ミサト達の考えることはいつも滅茶苦茶だからね。それにこれだけじゃなくて―――」
 アスカの言葉は、しかし途中で途切れた。
 降下を続ける三機のエヴァ。その中心を突っ切るように、黒い物体が勢いよく地上に向かっていったからだ。
「な!」
 叫び声を上げたトウジ。そしてシンジはそれが何であるかをみた瞬間、叫んでいた。
「綾波!」
 スクリーンに映っているのは、地上に真っ逆様に向かっていくコンテナ。展開すべきパラシュートは、全く開く気配を見せていない。
「綾波、何をしているんだ! パラシュートを開かないと!」
「待って、シンジ!」
 アスカが、鋭くシンジを制した。
「冗談じゃないわよ、こんなタイミングで!」
 その言葉と同時に、弐号機の背から白煙が上がった。パラシュートが風に乗って飛んでいく。そして地上に頭から突っ込んでいく深紅のエヴァ。高度はまだ一〇〇〇メートル近くある。
「!」
 その姿を見て、なにを、とシンジは思った。そしてそれに続いて参号機も同じくパラシュートを切り離すに至って、ようやく地上の状況を見た。
 氷上にあがった新たな白煙。潜水艦の前方を取り巻くようにあがった煙は、砕かれた氷と海水が巻き上げられたもの。煙の筋は合計で5つ。
 そして、その煙の筋の中に、小さな、小さな人影が見えた。
「―――あれは!」
 無意識に手が、パラシュートを切り離していた。鈍い震動と共に、体がふわりと軽くなるような感覚。ゆっくりとした降下速度がたちまち自由落下のそれになり、地上がみるみるうちに迫ってくる。
 五〇〇・・・・三〇〇・・・・二〇〇・・・・一〇〇・・・。
 地上が画面一杯に広がる中、シンジはタイミングを見計らってレバーを力一杯に引っ張った。頭から真っ逆様に向かっていた巨体がくるりと反転し、同時に背中につけていたロケットが長い炎の尾を吐き出す。
「くっ!」
 強力なGに耐え、シンジはさらにレバーとフットペダルを操作しながら地上へとエヴァをおろす。ずしん、という鈍い音と共に初号機が氷上に降りると、氷と粉雪が舞い上がり、つかの間視界を覆い尽くした。
 その視界が数秒して晴れたとき。
 シンジはそこに、ソニックグレイブをふるいながら戦う弐号機と潜水艦を守るように立ちはだかる参号機の姿を見た。
「アスカ、トウジ!」
 彼の叫びと同時に、弐号機が何かに弾き飛ばされるように背後に吹っ飛んだ。
 参号機が横殴りに頬を叩かれ、たまらず片膝を突く。
 そして初号機の前には、
「―――ついに、来たか」
 唐突に宙に現れた、和泉ルモンの不機嫌そうな顔。
「この極北の地まで、君たちの努力には敬意を表するよ。まったくもって」
 しかし、と彼は言葉を継いだ。
「だからといって無条件に通してやるわけにはいかない。君たちに目的があるように、僕にも目指すべきものはある」
 同時に、彼の片手がきらめいた。
「!」
 初号機が背後に飛んだその跡を、光の軌跡が撃ち抜く。エヴァの着地にも耐えた厚みの氷がまるでバターを切るようにあっさりと割れ、海水が白く泡立つ。
「ルモン君、君は!」
「何度も言うが、君に僕の事情を聞いてもらうつもりはない!」
 さらに続けて数度、光の筋がシンジの初号機めがけて迫ってくる。
 その都度シンジはかろうじてそれを交わし、アスカ、トウジの立つ方へと向かっていく。
「シンジ、こいつ等、手強いわよ!」
「ったく、小さい分こっちの手が当たらんわ!」
 アスカ、トウジ共に数人の人影と対峙している。共にルモンと―――シンジたちと同年代の子供達。彼らは一様に同じ表情をしている。
 微笑み。
 口の端をわずかに上げ、ある者は腕を組み、ある者は頭をかきながら。
 その表情に、しかし三人は嫌悪以外のものを感じなかった。彼らの笑みを、嘲笑としか感じられなかったのだ。まだルモンの不機嫌な表情の方が感情むき出しな分、受け入れることが可能だった。
「どないする?」
「そんなこと、決まってるでしょ。あいつら、叩きのめしてやる!」
 アスカは間髪入れずそう言うと、今にも彼らの中に飛び出していかんばかりだ。しかしその弐号機の肩を掴んだのは、初号機だった。
「だめだよ、今のままじゃ! 内蔵電源じゃ時間が保たない!」
「だからってあいつらがいる間はケーブルを使うことはできない!」
 アンビリカルケーブル。エヴァにエネルギーを供給するこの電源なしの戦いでは、稼働時間はすぐに底をつく。
「アタシたちが悠長にケーブルを取り透けるまで彼らが親切に待ってくれるとでも? それに一度でもケーブルを切られてしまえば、もうそこでアウト。先に進むことができない」
「だからって」
「ストップ、それ以上言わない。アタシだって分かってるわよ。だから」  そこまで言って、アスカは初号機の手を振り払った。そのままずいと一歩、弐号機の足を進める。
「あんた達はケーブルを取りなさい。アタシが、時間を稼ぐ」
「それじゃ、アスカが・・・弐号機が!」
「一機が動けなくなっても、まだ二機が残る。合理的でしょ?」
 残りの稼働時間はすでに三分を切った。それでも、アスカの顔には笑みだけがある。眼前の子供達とは違う、心からの笑み。
 決断は早いほうが良い。だから。
「アンタ達、しくじるんじゃないわよ!」
 弐号機はソニックグレイブをぐいと握り直した。二機のエヴァに背中を向け、子供達の方を向き直る。
 でも。
 彼女は、それ以上先には進まなかった。進めなかった。
 そこに今一人の人影を見たからだ。
 弐号機に背を向け、同じく宙で子供達と対峙する姿。見慣れた白いプラグスーツ。その右手に握られているのは、まごうことなき深紅の槍。
「ファースト」
「行きなさい。あなたも」
 綾波レイは、アスカの方を振り向こうともせずに言った。粉雪の中、風になびく青い髪の毛の向こうの表情はアスカには見えない。
「今あなた達がすべきは、戦う事じゃない」
「よけいなお世話よ。アタシの決めたことに」
「いいから、行きなさい」
「なんでアンタがそんなこと」
「それが、私のすべきことの一つだから」
「なんですって」
「彼らが何もせずに通してくれるわけがない。エヴァが動けないときの守りの壁。それが私の役目だから」
 ぐっと、アスカは黙り込んだ。
 なぜ、レイが真っ先に地上に降りたのか、その理由を知ったからだ。
 そして彼女の言葉が正しいことも、また認めざるを得なかった。
 ああ言っては見たものの、戦力の三分の一が欠けた状態でどこまで戦えるかは彼女にとっても不安ではあった。ならば、できる限り最良の戦力を保ったまま進めるのならばそれに越したことはない。
「・・・・癪ね、アンタに頼らざるを得ないなんて」
「言いたいことは、それだけ?」
「!」
 アスカはレイの突き放すような台詞に頭に血が上りかけたが、しかし無言のまま、弐号機の踵をくるりと返した。
「すぐに戻ってくるから、アタシの分までやっつけたら承知しないからね!」
 背中に向かってそれだけを言うと、弐号機は振り返ることなくシンジ達の方へ・・・そしてその先に待つ潜水艦の方へと走っていく。
 レイはその間も、ずっと子供達と対峙していた。
「ファーストチルドレン、綾波レイ。君が相手か」
 一人が、そう言った。鮮やかな金髪の少年だった。
「自己紹介しておこう。僕の名前は、ドライツェン」
 恭しい一礼。
 続けて、子供達は一人ずつ自己紹介していった。
 浅黒い肌の少女は、ヴォースィミ。
 ずば抜けて長身、黒髪の少年は、サィエ。
 ネフェンと名乗った子供はニットの帽子をかぶり、さらにその上からヘッドホンをつけている。そこから流れる音楽のリズムにあわせ、小さく踊っていた。
 最後に名乗ったのは、ハーロムという名前の少女だった。赤いショートカットの髪が、レイと同じように風になびいている。
「あなた達は・・・以前の私みたいね」
 嘲笑を浮かべる彼らの顔は、その言葉を聞いても変わらなかった。サイェがバカにするように鼻を一つ鳴らし、ヴォースィミがぷっと息を吹き出す。
「一緒にして欲しくはないな。僕たちは、君とは出来が違うんだ」
 ドライツェンが言うと、それに同意するように子供達はさらに笑った。
「君のようにたまたま生まれ出た命とは違う。僕らは、生まれるべくして生まれた、選ばれた子供達だ」  同意と、さらなる笑み。  笑み以外の表情を、まるで知らないかのようだった。
 その姿を一通り見渡して、レイは言った。
「・・・・こういう時に使う言葉なのだろうけど」
 言いながら、右手の槍を大きくひと振り。風を切るように赤い刃が一閃し、場の空気をがらりと変える。
 そして一言。
「あなた達。気に入らないわ」
 そのレイの言葉と共に、戦いは、始まった。





続きを読む
前に戻る
上のぺえじへ