「おめでとう、一佐、海将補、陸将。君たちは英雄だ」
















And live in the world forever

第23話:咎人達の夜





    22:00

「レイ。準備はいい?」
 伊吹マヤの声に、少女はうなずきを返し、ベンチから立ち上がった。
 パイロット控え室。いつもはシンジやアスカとともにいる部屋に、今は彼女だけしかいない。居並ぶロッカーの間に、二つの吐息だけが静かに響く。
「心配することはないわ。私たちが、うまくやるから」
 その言葉に、レイは軽くうなずきを返す。そして、マヤの後について部屋を出た。
 照明の感度の落とされた廊下は、誰の姿も見ることはできない。
 非常口、とだけ書かれた緑のランプが、機妙に彼女の目を釘付けにした。
「どうしたの?」
 マヤが、足を止めたレイの様子を不審げにみやる。
 それに対していえ、と首を振り、レイはゆっくりと歩き出した。
「あと1時間。作戦開始は、23:00」
 歩きながら、マヤが手元の時計に視線を落とす。
「内容はだいたい聞いてるとおもうけど、大丈夫ね?」
 小さなうなずき。
 彼女は横に並んで歩くマヤを見ず、自らの足元に視線を落とす。
 塵一つない廊下。そしてそこを歩いている自分の足。
 足。そう、素足。
 床の冷たさが、ひんやりと自らの足にしみこむ。
 さらに視線がのぼっていく。白く、白い膝から太股。その半ばから上をすっぽりと覆う、一枚の白い布。
 いつものパイロットスーツではなく、また制服でもなく。
 彼女は今、ただ一枚のシーツのみを身に纏っていた。
「・・・寒い? 大丈夫?」
 そんな彼女を気遣ってか、マヤが不意にそう尋ねた。
 そして首を振る彼女を見て、安堵したようににこりと微笑む。
「空調は高めに設定してあるけど、寒いようならいつでも言ってね」
 そして、再び廊下には足音だけが響く。
 一つは靴音。そしてもう一つは、命が直接床に触れる、音。
 二人とも、それきり無言だった。



    22:10

「・・・・何でしょうか、これは」
 押し殺した口調で、本間はかろうじてそれだけを言った。
 第二東京市、統合幕僚本部。
 第12師団への最後の訓辞の後、覚悟を決めて乗った垂直離着陸機。専用ヘリポートに降り立った時、その場でいきなり収監されるだろう、という覚悟だった。しかしながらそこには、整列した衛兵が捧げ銃で彼を待っていた。
 怪訝そうな顔ながら最後の花道かと思ってみれば、招かれたのは統幕会議室。一目見て高級品と分かる調度の室内には、妙に卑屈そうな笑みを浮かべた陸幕長が始め陸海空3人の幕僚長が待っていた。そして壁際には、本間と同じく、いや彼以上にむっつりと黙り込んだまま佇立する二人の影があった。勧められた席に座らず、出されたコーヒーにも手を着けず、まるで抗議するかのように、彼らはたたずんでいる。
「吉澤海将補・・・・利根一佐」
「やあ、本間陸将」
 利根は小さく笑い、小さく頭を下げた。
「最後の英雄の、ご登場だ」
 吉澤はこれ以上はないと言う皮肉っぽさで、そう言ってのけた。
「・・・・英雄?」
 本間には、吉澤が何を言っているのか分からなかった。
「小官は、命令違反の咎を受けに、この場にやってきたのだ。それを英雄だの・・・そもそも閣下、あの大仰な出迎えは何ですか。抗命罪に問われるであろう小官を迎えるには、少しばかり間違っていませんか? あれではまるで凱旋将軍を迎えるかのようでは」
「そうだよ」
 ぎしり、と黒革製の椅子をきしませながら、陸幕長は重々しくうなずいた。いや、重々しい雰囲気を出そうとしていたのだが、卑屈な笑顔がそれを台無しにしている。つぶれたヒキガエルのような笑みだ、と本間は嫌悪感を抱いた。
「一体、どういうことですか」
「それはゆっくりと説明するが、まあ、座らんかね。立ち話もなんだ」
 海幕長がおもねるように言って、3人の目の前の椅子を手でさした。
「・・・・いえ、結構です」
 しばし、室内に沈黙が漂う。無言のまま彼らを見つめる本間達の視線に、やがて海幕長はため息をひとつ吐いた。
「やれやれ、どうしてそう、年上の好意に甘えないのかね」
 肉厚の手で顔を一つ撫で、彼は仕方がない、と言う風に声を出す。そのけだるい口調に反発を感じて、本間は多少語気を強めながら問い返した。
「そも、なぜ小官達を逮捕されないのです。我々は統幕会議、ひいては政府の停戦命令に逆らった身。問答無用で手錠をかけられても文句を言えないのです。いや、そのつもりでこうしてやってきたというのに」
「なんのことだね、それは」
 ―――瞬間、本間は彼らの言っている意味が分からなかった。自分は何か勘違いしたことを言っただろうかと考えた。台詞を頭の中で反芻し、一言も間違っていないことを確認する。
「ですからわれわれは、政府の停戦命令を―――」
「だからそれは何のことだ、と聞いているのだよ」
「陸将どの。我々は政府の命令を忠実に守り、民間人を侵略者から守った英雄なのだそうだと」
 吉澤のあざけるような台詞が、本間の耳朶を叩いた。陸将どの、という言い方に、幕僚長3人への揶揄がたっぷちろこめられている。そして始めて、彼は悟った。
「まさか閣下、あの命令が、停戦命令などなかったとでも―――!」


    22:25

「カウントダウン、プラス2700からスタートします」
 響き渡るスピーカーの声を聞きながら、レイはゆっくりと瞳を開いた。
 そこはエントリープラグ。LCLの海。
 六号機はわずかにアイドルしながら、ゲイジの中にたたずんでいる。
 そして彼女は今、プラグスーツを纏わぬ裸体で、この海の中にいる。
 がこん、と小さな震動が走り、続いて第一拘束具が排除されたことを告げるアナウンスが流れる。
「レイ、聞こえる?」
 ぶぅん、という音と共に、「Sound Only」と書かれた画面が開く。
「・・・・はい」
「今、出撃シーケンスが走り出したわ。通常よりゆっくりやっているから、レバーには手を触れないでそのまま待機していて」
「了解」
「調子はどう? こっちからは見えないけど」
 リツコの声が、マイク越しに聞こえた。裸体のレイのためか、向こうにレイの姿は映っていないようだ。通常はプラグスーツを身につけることでエヴァとのシンクロ率は高まる。しかしながら彼女の場合、そのプラグスーツが逆に邪魔になるのだ。いまや、レイにとってそれは彼女を縛る拘束具にしかならない。
「何とも、ありません」
「そう、ならいいわ。これから第二拘束具を除去するわ。最終安全装置だけをつけた状態で、六号機を地上に上げるから」
「はい・・・・わかりました」
「じゃあ、行くわよ」
 再び軽い衝撃。
『32番から64番までのロック、解除しました』
 アナウンスが耳に響く。レイは、再び瞳を閉じた。


    22:30

「ふざけないでいただきたい!」
 どんっ! と、本間の拳が荒々しく机上を叩いた。コーヒーカップがかしゃん、と軽い音を立てて触れあい、その勢いにわずかに身をのけぞらせる者もいた。
「な、何をふざけていると言うんだ」
 空幕長が、おびえたように言った。
「我々は、貴官等の勇戦奮闘に報いたいのだ。困難で強大な敵、それを相手に一歩も引かずに闘い抜き、これを撃退した。死傷者も多かったが、それでもより多くの人々が貴官等の戦いによって救われたのだ。その功績に報いないで、何のための信賞必罰か」
「今回はその必罰にあたると申し上げているのです。 結果はどうあれ、我々が命令に背いたのは事実! 自衛官の独断に政府が追従していては、かつての悪癖を自衛隊内にはびこらせるいい前例となってしまいます!」
 結果よければすべてよし。たとえ文民統制に背いても、それが利益につながるのであればよしとする。それが誰の利益であるかなどきにもせず。l関東軍、ひいては旧軍のかつての姿を脳裏に思い浮かべ、本間は全身が総毛立つ思いだった。
 そして同時に感じる、違和感。
 何かおかしい。言葉の裏に、ちらちらと見え隠れするものがある。彼らの本音は、いったい何なのだ。分かりそうで、分からない。
「我々のことを考える必要などないのです。いやむしろ、将来の禍根を断つためにも、我々を逮捕すべきなのです!」
「いや、それではあまりに貴官等が酷だ」
「ですから!」
「・・・・無駄だよ、本間陸将」
 意外にも、声は背後から来た。
「?」
 本間が振り返ると、吉澤海将補が憎々しげな笑みを浮かべている。その感情の向く先は、3人の幕僚長たち。軽蔑を隠すことなく、彼は言い放った。
「こいつらは、口で言うように我々のことなんかこれっぽっちも考えていない。ただ自らの保身だけを考えているどうしようもない奴らだ」
「な!」
「吉澤海将補、そ、その台詞、上官に対して非礼だぞ!」
 海幕長が怒声と共に立ち上がり、吉沢を指さして罵った。
「なにが非礼なものか。あんたたちが示した態度に相応の礼儀で応じているだけだろう? 豚には豚に対しての態度があるっていうものだ」
「ひ、非礼だけでなく無礼な! 取り消したまえ!」
「冗談じゃない。自分たちの無能をひたすら隠そうとする奴につきあう義理なんかこれっぽっちもあるものか」
 ふん、と鼻で一息笑い飛ばすと、彼はさらに言葉を継いだ。
「我々が自分たちの抗命罪をなかったことにされて、喜ぶとでもおもうのか? 昇進、名誉、そんなもののために戦った訳じゃない。英雄になりたいなんて、よほどの阿呆でなければ思い浮かばないことじゃないか。・・・・もし勲章一つで死んでいった仲間が帰ってくるなら喜んでもらってやるけどな、そんなわけもない」
 山口、兄部、太平洋艦隊と共に海の底に眠る仲間たちの顔を思い浮かべながら、吉澤は苦々しげに吐き捨てた。
「それに、我々を告発し、逮捕して一番困るのは誰だ? 他でもないあんた達じゃないか? 大西洋艦隊の脅しに屈した政府、その手先となって守るべき国民を見捨てたんだからな」
 ああ、と利根が横で小さくうなずいた。
「臭いものには蓋。昔から、変わっちゃいない」
 ―――本間は、そこで確信した。先ほどの違和感が何だったのか。
 確かに、彼らと政府は国民を見捨てた。民間人を傷つけないなどという空手形を信じて・・・・いや信じていたのかどうかも怪しいが、自らの保身のために部隊に停戦命令を発した。そして今、また自分たちの保身のために、その命令すらなかったことにしようと言う。
「あんたたちは、腐っている」
 吉澤が、あざけるように言った。
 3人の上官は、顔面蒼白のまま、声もなかった。握りしめた拳が、ふるふると震えている。
「・・・で、どうしようというのかね、そこまで言って」
 かろうじて、陸幕長がそう尋ねた。震える手で煙草を一本取りだし、ジッポーで火をつける。紫煙が室内に漂い、それが薄れるに従って、彼の声も徐々に落ち着きを取り戻した。
「我々を弾劾して、どうするつもりかね?」
「言うまでもないこと。すべてを、明らかにします」
 あなた方の背信を。政府の背信を。信じていって死んでいった仲間たちのためにも。我々が生き証人として、それらを明らかに。
「どう、やって、だね?」
 海幕長が、不意にふてぶてしい笑みを浮かべながら尋ねた。
「我々が命令を発した証拠など、どこにもないではないか」
「・・・・おきまりの、証拠隠滅ですか」
「証拠隠滅もなにも、なかったものはないのだから、何ともいえないな」
 薄ら笑いを浮かべた空幕長。
「通信記録が、すべてを明らかにしてくれるでしょう」
 本間はそう言ったが、陸幕長は余裕の笑みを浮かべていた。
「第1護衛隊群、および<とーる>部隊各艦のブラックボックスは、戦闘記録のためにすでに我々が回収した。第12師団にも、今頃回収班が到着している。ほかの部隊にもな。それらを見れば、我々の命令があったかなかったか、はっきりするだろう」
「!」
 本間は、あわてて懐から携帯無線機を取り出した。そのまま師団本部につながるダイヤルを回し、しばし反応を待つ。しかし無線機は空電を鳴らすのみ。反応は、かえってこない。利根も吉澤も、苦々しげな表情を浮かべていた。おそらく本間が到着する以前に、同じような会話を交わしていたのだろう。
「無駄だよ。確かに戦闘記録の収集であり、回収をする部隊もそれ以上のこと走らない。そうやって、二カ所のブラックボックスは改修した。貴官の部下も、疑いなくブラックボックスを渡すだろう」
「・・・・・」
「これは、政府の意向なのだ。貴官らは市民をその身を挺して守った。自衛隊のあるべき姿のままに。そしてそれは、政府が市民を見捨てなかったという意志の現れでもある」
「あなた達は・・・・・」
 怒りに、本間の拳がふるえた。死んでいった部下達の顔が次々と脳裏をよぎる。恐怖に感情をなくした市民達の表情が、浮かんでは消え、浮かんでは消える。
 彼らのその思いを、怒りを、悲しみを、そこまで無惨に踏みにじることができるのか。
「あなた達という人は!」
 拳が、激しくテーブルを叩いた。コーヒーカップが倒れ、黒い液体が机を舐めた。
「あきらめたまえ、陸将」
 陸幕長が、冷笑を浮かべながら勝ち誇ったように言った。
「君たちには、英雄になってもらう」


    22:50

『六号機、パルス信号異常なし。支援設備、オールグリーン。カウントダウン、プラス600、599、598・・・・』
 晴れ上がった夜空の下、巨人は立っていた。
 第三新東京市郊外、遮るもののない野原の中。アンビリカブルケーブルを背中に挿し、しかしその瞳には輝きなく。よく見れば、各所の拘束具が未だに残っている。それらがなければ、六号機は立っていることもかなわないようだった
 レイはその胎内で、じっと時を待っていた。
 エヴァの傍らに据え付けられた観測機器、その中の望遠鏡が、じっと空を指向している。戦闘によって荒れ果てた第三新東京市は明かりも少なく、多くの星々が輝きを競い合っている。傍らのエヴァさえなければ、まるで天体観測をしているかのようである。
 そして夜空の中、ひときわ輝く存在がある。
 月。
 どこまでも孤高な夜の女王。彼女は星々を従え、冷たい銀色の輝きを放っている。
「・・・・」
 レイは、無言のままスクリーン上の空を見上げた。銀色の矢が、スクリーン越しに彼女の目を射る。
 清冽な、という言葉がよく似合う雰囲気。しかし彼女は、それをどう感じていいのか分からなかった。
 どう、思えばいいのだろう。
 そう考えて、不意に気づいた。
 今まで、何度も月を見上げたことはある。
 しかし、今までのそれは単なる「モノ」でしかなかった。ただ夜空にあるモノ。それ以上の思いを感じることはなかった。
 しかし今はどうだろう。「どう、思えばいいのだろう」? そんなことを考えるなど、あり得なかったことだ。
 驚きと共に、彼女は空を見ていた。
 ・・・・自分の中で、何かが変わりつつあることを、彼女は否応なしに悟った。
 少しずつ、気づかないままに。今までの経験と、先日の激変が、それをもたらしたのだろうか。あるいは彼女の近くにいた少年が、与えてくれたものなのか。
「私は・・・・」
 彼女は、そっと自らの手に視線を落とす。
 銀色の光に照らされた、白い白い細い手。
 そして、目に見えない赤い赤い血にまみれた、手。
 多くの仲間の屍を生み出したその手の汚れは、いくら洗おうとも落とせるものではない。ただ、裁きの時が来るのを待つしかない。
 そしておそらく、その罪は大きなものとなるだろう。
 何しろ今、彼女は裁くモノすらを手にしようとしているのだから。さらなる犠牲を築き、その上に立つことによって。
 それでも、自分はやらなければならない。
 選んだことだから。
 私は、私。
 碇シンジとの会話を思い出しながら、彼女はじっと空を見上げていた。
 と。
『カウント、60、59、58・・・・』
 オペレータの声が、発動の近いことを知らせていた。
 レイは首を一つ振ると、再び視線を空に向けた。
『レイ、始まるわよ。タイミングはこちらで計るから、あなたは自分のことだけに集中して』
「はい」
『大丈夫、先輩とMAGIのサポートが入るから、危険はないと思って』
 確かに自分の身には、それほどの危険はないかも知れない。でも・・・・
 レイはいとおしむように、インダクションレバーの上に手を伸ばした。左右の手でそれをしっかりと握り、ゆっくりと手元に引き寄せる。エヴァは動くことはない。しかし、これは儀式。最後の別れと、これからおこなうことのための、儀式。
『30、29、28・・・・』
 刻々と迫るカウントを耳にしながら、彼女はじっと目を凝らした。
 清冽な輝きを放つ月。見えるはずはない。しかしそこには、確かにある。
「10、9、8、7、6・・・・」
 ゆっくりと、レイはその体制のまま瞳を閉じた。内なるモノに精神を集中し、高鳴る鼓動だけがやがて彼女を支配する。
「3、2、1、スタート!」
 そのマヤの声を聞いた瞬間。
 エントリープラグに、光が弾けた。


    23:00

 動いたのは、今までほとんど発言することのなかった利根だった。
 無言のまま懐から取り出したのは、ごくありふれた携帯電話だった。
 ひとつ、ふたつ。慣れた手つきで電話番号を押し込むと、そのまま耳に当てる。
「なにを、するつもりだ」
 空幕長が、怪訝そうな顔で尋ねた。
「<おーでぃん>につないでも、今更無駄なのは貴官も知っていることだろう」
 その言葉を、利根は意に介さなかった。小さな呼び出し音が、沈黙の室内に響く。
 ややあって、相手が出た音がした。
『もしもし』
 利根は、しばらく無言だった。
『もしもし?』
 相手は再び問いかける。それでも、利根は無言だった。
『悪戯電話なら切るわよ、こっちは忙しいのだから!』
「・・・・失礼。お願いがあります」
『・・・・だれ? この電話番号を知っているのは限られた人間のはず』
「高千穂一尉から聞きましたよ。利根です。<とーる>部隊の」
 しばらく、相手の声は沈黙のままだった。
 空幕長が、椅子から体を浮かせた。
「以前の借りを、返していただきたいのです。葛城三佐」


    23:01

「月衛星軌道上に高エネルギー反応!」
 日向マコトのうわずった声が、司令塔に響いた。
「エネルギー波増大、軌道を外れます! 進行目標、地球!」
「やはり、反応したか」
 冬月は、今更ながらに感嘆した様子でつぶやいた。
「自らの獲物を、感じたのだな。彼方の距離にありながら」
「信じて、なかったのですか?」
 リツコが、呆れたようにつぶやいた。
「作戦立案を命じたのは、副司令ではないですか」
「それでも、心配にもなる。距離が距離だからな」
「映像、とらえました。最大望遠ででます!」
 青葉シゲルの言葉に、全員がスクリーンに注目した。
 切り替わる画面上に、一筋の光が見える。
 おお、というどよめきが、司令塔に満ちた。
 光の中に、一本の線が見える。細い針のような姿だったが、それを誰もが、明確に認識した。
「ロンギヌスの槍・・・・」
 そうつぶやいたのは、一体誰だろうか。
「六号機、いえ、六号機内のファーストチルドレン、ATフィールド展開」
「フィールド、増幅します、位相空間、展開!」
「槍は、アダムを求める。それを縫い止めるべきモノとして」
 ゲンドウが、不意にぽつりとつぶやいた。
「咎人は、丘で穂先にかけられる。罪を、その身に背負うために。それを望んだとき、槍はどこからでも、戻ってくる」
「目標、あと100秒で月−地球の中間地点に到達します!」
「意外に早いな」
「ファーストチルドレン、ATフィールド最大展開!」
「レイがATフィールドを使い、その力でロンギヌスの槍を呼び戻す・・・・」
 ミサトが、ため息を付きながらつぶやいた。
「そこまでしなければいけないのかしら・・・・六号機を、犠牲にしてまで」
「必要なのだよ、我々にはあの槍が。レイにとって六号機はもはや必要のないもの。パイロットの存在しないエヴァなど―――」
 冬月の言葉を遮ったのは、ミサトの懐で軽やかに鳴り響く携帯電話だった。
 当のミサトは、いぶかしげに電話を取り出す。
 一体誰が、こんな時に電話をかけて来るというのだろう。番号は、非通知。眉をひそめ、それでも彼女は通話ボタンを押した。
「もしもし」
 しかし、相手は無言のままだった。
「もしもし?」
「目標、月−地球中間点を突破! 大気圏突入まであと70秒!」
 背後で、マコトが緊張した面もちでカウントを読み上げる。スクリーンに展開された画像では、槍は刻一刻と地球に近づきつつある。
「悪戯電話なら切るわよ、こっちは忙しいのだから!」
『・・・・失礼。お願いがあります』
 その声は、どこかで聞いたことがあるものの、誰かは思い出せなかった。
「・・・・だれ? この電話番号を知っているのは限られた人間のはず」
『高千穂一尉から聞きましたよ。利根です。<とーる>部隊の』
 高千穂? 利根?
 しばし考え、即座に彼女は思いだした。航空自衛隊<とーる>部隊。以前の若狭湾海戦で、使徒の上陸阻止をした部隊の長だ。
『以前の借りを、返していただきたいのです。葛城三佐』
「・・・・あのときの借りを?」
『ええ。そうです。大事な話なのです』
 ミサトはわずかに首をひねった。一体彼は、何を言っているのだろう。
 彼女は受話器を手で押さえたまま、視線を冬月とゲンドウに向けた。
 二人はコンソールに視線を落としていた。おそらくそこには、今のミサトの電話の内容が表示されているのだろう。
 冬月は右手を顎に当ててわずかに考えると、ミサトに向かって小さくうなずいて見せた。
「目標、接触まであと30秒!」
 同時に、マコトのその声が彼女の耳を打つ。間髪入れず、彼女はマコトに向かって叫んだ。
「日向君、指揮を引き継いで、発動のタイミングは任せたわ!」
「え? 葛城三佐、なにを!」
 驚愕する彼を後目に、彼女は再び受話器に耳を戻す。
「・・・で、何を、返して欲しいの?」
 一言、二言。
 利根は、それほど多くを語らなかった。
 そしてミサトも、多くを答えなかった。ただ、眉をひそめたのみ。
 ただ一言。
「・・・・いいのね。本当に」
 さらにいくつかの返事。わずかに表情を変えると、彼女は小さくうなずいた。
「わかった。あなた達の望むようにするわ。・・・・ええ。それじゃ」
 最後に、何かを振り切るように電話を切る。
 そして一言。
「咎人、か」
「目標、レイのATフィールドに接触!」
 シゲルが叫んだのは、まさにその瞬間だった。


    23:05

「あなた達なら、持っているはずだ。我々の全ての戦闘記録を」
 利根の言葉に、三人の幕僚長は驚愕した。電話の相手と、その会話の内容に。
「MAGIは、リンクシステムで我々の全てのシステムをモニタリングしていた。政府の発令した停戦命令も、記録上持っているはずだ。それをいただきたい。我々のために」
 それだけで、彼女は大体の事情を察したようだ。しばしの沈黙の後、
『・・・・いいのね。本当に』
 それだけを言った。
「かまわない。咎人は、罰を受けなければならない。そのための槍を、我々は欲しているだけのこと」
 電話の向こうで、彼女はなぜか息をのんだようだった。理由は分からない。
「そう・・・・いや、ありがとう。よろしく頼みます」
 そして、ゆっくりと電話を切った。
「貴官・・・・」
 空幕長が、惚けたように言った。思わぬところで、最後の逆転を喰らったという表情だった。陸幕長が、唖然とした表情で天井を見上げた。利根は淡々と、一言だけつぶやいた。
「これで、終わりです。いかにあなた達でも、ネルフに手を出すことはできない。彼らがしかる筋で情報をリークしてくれる」
「貴官、貴官・・・・」
 ―――吉澤が「それ」に気づいたのは、利根の言葉に、海幕長が椅子からゆっくりとずり落ちたそのときだった。
「・・・・なんだ、あれは?」
 その言葉に、全員がつられるように視線を向けた。
 窓の外、闇夜につらなる山岳地帯。
 彼らが見たのは、そこへ向けて天から一筋の光の矢が降り落ちていく姿だった。
 ややあって、山の向こうで小さな輝きが弾ける。
 ちなみに山の向こうには、第三新東京市という名の街がある。
「裁きの槍は、咎人を貫く・・・か」
 誰に言うとでもなく、本間がそうつぶやいた。見たものを、見たままに。
 しかし利根は思った。
 ・・・・もしかして、彼女はこれと自分の言葉を重ねていたのだろうか。


    同刻

 ATフィールドは、空を食い破って現れた光の槍をかろうじて受け止めた。光速に限りなく近い速度でやってきた銀色の穂先は、激しい振動と共にその速度を止める。振動波がはじけ、観測設備は枯れ葉のように吹き飛ばされる。六号機もまた激しい震動にさらされ、レイはプラグの中でむちゃくちゃに揺さぶられた。
 通常のATフィールドならば、まず間違いなく薄紙のように引きちぎられたであろう。
 レイだからこそ、いや彼女でなければ、この槍を受け止めることはできなかった。
 自然、彼女の全身に力がこもる。
「くっ・・・」
 食いしばる歯、レバーを握りしめた拳は、血の気のないかのように白い。
 そしてそれに比例して光の壁はより輝きを増し、がっちりと槍を受け止める。
 それでもなお、槍は前進をやめようとしない。
 ただ、自らの在る理由、咎人をその穂先にかけるべく、邪魔者の壁を貫こうとする。
 あるべきものは、あるべき場所に。
 アダムを貫くために、作られた槍。
 レイはさらにレバーを握る手に力を込めた。
 巨人はただ、その全身を通して、レイの力を外に絞り出している。
 にもかかわらず、じりじりと槍がレイのフィールドをむしばんでいた。
「レイ、もう少し、もう少しだけがんばってくれ!」
 いつの間にかわったのだろう。ミサトではなくマコトの声が、彼女の耳に響いた。
「まだだ、完全に槍が六号機を目標としてとらえるまで、ぎりぎりまで・・・・」
 レイはわずかに眉をひそめた。
 やはり、この子を殺さなければ、槍は止まらないのね。
 アダム/六号機を貫き、縫い止めなければ、この槍はとまらないのね。
 壁の中心に、わずかに点が見えた。穂先の一部が、壁を突き抜けたようだ。
 みしり、みしりと壁と槍とのせめぎ合いは続く。徐々に、槍は壁を貫いていく。
 ミツケタ。
 声なき意志の波動を受け取って、レイの顔がわずかにこわばった。
 ミツケタ。ツラヌクモノヲ。
 そして。
『今だ。エントリープラグ強制排出! レイ、ATフィールドを解除しろ!』
 マコトの声と同時に、フィールドは彼女が収束させるまでもなく、ぱきぃん! と澄んだ音を立てて砕け散った。
 戒めを解かれた槍は、一目散に六号機の胸元を狙う。吸い寄せられるように。レイに、吸い寄せられるように。
 彼女は、目を背けようとしなかった。
 毅然として、自らをねらう槍と退治する。
 そしてスクリーンいっぱいに銀色の光が満ちた瞬間、レイの体は激しい衝撃と共に上方へ放り出された。
 暗転するプラグの中。
 ただ音声のみが、彼女の耳に届く。すさまじい振動音。歓喜の波動。
 カエッテキタ。アルベキバショニ。
 感じながら、同時に悲しみもレイには分かった。
 ナゼ、ワタシガ。
 ナゼ、ワタシガコンナコトニ。
 レイの写し身として自らの体を貫かれた六号機の声なき叫びを、彼女は聞いたような気がした。
 ずきりと、胸が痛む。
 槍によって体を貫かれた六号機の痛み。彼女の代わりとして、咎人として槍を受けた者の痛み。
 暗闇の中、レイは自分が泣いていることに気づいた。
 彼女のATフィールドは六号機を通じて発したもの。そして槍はそれ故に、六号機を貫く者として認識した。
 自分はそこから逃げ出した。贄を差し出し、さらにはその力すらを手にするために。
「咎人は・・・・私・・・・」
 そう、本当の咎人は、私。
「六号機、すべての反応ありません」
「目標、エネルギー波収束していきます。接触時の電磁パルスにより、以後の状況は不明」
「八時間の猶予期間を起き、回収班を向かわせて。・・・・レイ、お疲れさま。作戦終了、これから救護班を向かわせるから。・・・・レイ、聞こえている?」
 リツコの声が、沈黙のエントリープラグに響く。
 彼女の涙は、とどまることを知らなかった。



 翌朝、回収班はそれを見た。
 山の斜面に横たわり、動かぬ骸と化した六号機。
 両腕を広げ、胸に・・・・コアに深々とロンギヌスの槍を突き立てられた姿は、さながら磔に処された咎人のようだった。




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