効いたわ。
 あの平手打ち。
 悔しいが、反論できんな。
 ワイがアホやったんは事実や。
 そしてそれを攻める権利が、あいつにはある。
 そやから、ワイは殴りかえさんかった。
 黙って、打たれとった。
 これが、自分のしでかしたことを罪滅ぼしになるわけやないけど・・・・。
 でも、ワイの気がすまんのや。
 すまんな・・・・。殴るほうも、つらいやろに・・・・。











And live in the world forever

第13話:許す者、許されざる者






「大西洋艦隊との邂逅は、一週間後。太平洋艦隊の演習にあわせて、合流するそうだ」
 指令公室。クリップボードを手に持った冬月が、碇の脇でその内容を読み上げる。
 あえて照明の落とされた室内。その部屋の主は、宙の一点を見つめたまま微動だにしない。
「・・・・委員会が勝負をかけてくるとすれば」
「ああ、艦隊が合流する直前。もしくはその直後だな」
 戦力が合流する前。もしくは、合流して統制のとれなくなった直後。その方が、相手にとっては敵を無力化することのできる可能性が高まる。
「現在使えるエヴァは四機。パイロットは・・・・シンジ君が退院すれば、三名」
 冬月のつぶやきに、ゲンドウは応じるようにうなずく。そしてやおら立ち上がると、扉へと歩を進めた。
「フォースチルドレンの精神状態にいささか問題がないとはいえないが・・・・まあ、これについては問題ないだろうと言うレポートがでている」
「・・・・レイは、どうなっている?」
 エレベータのボタンを押す。さほど待つことなく、扉が開いた。
「赤木博士の話では、芳しくないらしい」
 レイと六号機のシンクロテストは、お世辞にもいい状態ではなかった。
「シンクロ率が起動レヴェルの四〇パーセントにしか達しないそうだ」
「そうだろうな。今のレイには、エヴァなど眼中にないだろうから」
 会話は、そこでとぎれた。
 モーターの回転音だけが、二人の間に響く。
「・・・・シンジ君の、見舞いに行かなくていいのか?」
 唐突に、冬月はそうゲンドウに問いかけた。
 ゲンドウが言葉を返すのに、しばし時間を要した。
「・・・・なぜ、その必要がある?」
「父親ならば、息子の様子を見に行くことぐらい普通のことだ。なにも怖がる必要など、ないだろう」
「・・・・だれが、怖がっていると?」
 淡々としたいつものしゃべり方。 冬月はそんなゲンドウの反応に、あからさまに落胆の表情を浮かべた。
「いいかげん、自分に正直になれ。そうしなければ、いつか取り返しのつかないことになるぞ」
 ユイ君の忘れ形見。そして自分の唯一の血縁・・・・それを、失ってしまうことになるかもしれない。
 冬月は言外にそう語っていたが、ゲンドウの反応は相変わらずだった。
「・・・・そんなくだらんことに、時間を費やす暇などない。今の我々にはな」
 小さなため息。冬月は処置なしとばかりに頭を振る。
 ゲンドウは背後のその気配を感じながら、ちいさく、ほんとうに小さくつぶやいた。
「・・・・私が側によると、シンジを傷つけるだけだ。だから、何もしない方がいい・・・・」
 そのつぶやきは、目的階についたエレベータの扉が開く音に紛れて、冬月には聞こえることはなかった。


 開いた自動ドアの向こうにゲンドウと冬月がいることに気づき、リツコは珍しい、とばかりに片方の眉を跳ね上げた。
「ここしばらく公室からお出にならなかったのに、珍しいですわね」
「・・・・ああ」
 無口に応じると、ゲンドウは室内に足を踏み入れた。そのまま窓際に足を進め、眼下の光景を見下ろす。
 その反応にリツコはしばし失望したような顔色を浮かべたが、頭を一つ振ると、再び目の前のコンソールに視線を落とした。
 窓の外は、高層ビルをも飲み込むほどの巨大な室内。そこにたたずむのは、メタリックシルバーのカラーリングを施された巨人の姿。
 エヴァ六号機だ。
 その足下で忙しく立ち回る技術員を見ながら、ゲンドウはぽつりとつぶやいた。
「・・・・レイのテストプログラムは、ほとんど消化できていないようだな」
「仕方ありません。プログラムの大半は、彼女と六号機がシンクロしていることを前提にしているんですから」
 シンガポールから持ち帰ったエヴァ六号機。自爆によって失われた零号機の代わりにレイがそれに搭乗することになっているのだが、肝心のシンクロが全く進む様子はなかった。レポートにもあがっているように、起動レヴェルにすら達しないのだ。別の機体とはいえ今までエヴァを動かしてきたパイロットとしては、それはあり得ないことだった。
「しかし、シンジ君が一度動かしている以上、エヴァの方に問題があるとは思えません」
「やはり、レイなのだな」
「・・・・はい」
 リツコはうなずきを返し、そのままゲンドウの顔をじっと見つめた。
 碇司令。あなたはなにを隠しているのですか?
 目線で、彼女はゲンドウに問いかけていた。
 レイがエヴァとシンクロしなくなった理由、それをご存じなのでしょう?
 三人目になってからの彼女は、今までとはどこか違った。
 彼女に前の記憶がわずかながら残っていること自体、リツコにとっては驚きだった。
 残りの器を、すべて破壊したからだろうか。
 それとも、二人目のレイがなにかしらの影響を与えているのだろうか。
 事情はわからない。しかし、やはり今のレイはどこか違う。
 そしてこのシンクロ率の低さ。
 私はなにも、知らされていない。
 真実の一端、たしかにそれは知った。
 でも、それは強いて言えば巨象の片足だけを見たようなもの。全体像を知るにはほど遠い。プログラムの一部を見ただけでそれを理解したと考える技術者はいない。
 碇司令。あなたはいったい、なにを隠しているのですか・・・・?
「・・・・今に、わかる」
 リツコの視線に気づいたのだろうか。ゲンドウは短くそう返事を返し、リツコを半ばどきりとさせた。
「そう。まもなく、わかる」
 シンクロテストの開始を告げるブザーが、室内に響いた。
「あとは、頼むぞ」
 そうリツコに声をかけると、ゲンドウはきびすを返し、制御室から姿を消した。
 リツコの視線はその背中を追うように動きかけたが、一瞬のとまどいの後、彼女は瞳を伏せた。
「第一六次接続テスト。開始するわよ」
 迷いを振り切るように、室内のメンバーにそう宣言する。
 それを合図に、誰もがコンソールに真剣な顔つきで向き合った。



 レイのシンクロ値は、やはり起動レヴェルを遙かに下回っていた。



 病室に入ってきたトウジの顔を見て、ヒカリは驚いた。飛び起きようとして動いた拍子に、激痛が体に走り、小さなうめき声を上げてしまう。
 憔悴した顔は、妹の葬式の時と変わりなかった。あのときの瞳に宿っていた狂気の色は、今はもうきれいさっぱりと消えている。
 ヒカリが驚いたのは、トウジのその左頬に刻まれた・・・・というか真っ赤に残っている手のひらの形だった。
「惣流に、おもいきりひっぱたかれたわ」
 ヒカリの視線に気づいたトウジは、そういって自らの手で頬をなでた。
「『この馬鹿!』ってな。久しぶりや。オンナに殴られたんは」
 そういって、窓の外に視線を走らせる。先ほどの出来事が、トウジの脳裏にまざまざとよみがえってきた。


「アンタ、いったい何を考えてんのよ!」
 ネルフ特別病棟前。ヒカリの見舞いにやってきたものの、入っていいものかどうか迷っていたトウジだったが、不意にその罵倒の声とともに一本の手が伸びてきた。
 一瞬何かと思ったが、その手の主を視界の端に捉えた瞬間、彼はそれを避けることをやめた。小気味いい音が青空の下に響きわたり、手にしていた見舞いの花が、ばさり、と音を立てて路上に落ちた。
 殴った本人は、怒り半分、悲しみ半分の顔でトウジを見つめていた。
「惣流・・・・」
「アンタの馬鹿加減には、今回ほとほとあきれたわ! 妹の復讐、それもいいわ。家族を亡くす悲しみはその本人しかわからないから、復讐を否定はしないわ。でも、アンタはそれにヒカリやシンジまで巻き込む権利まで持ってるって言うの? シンジはアンタのために怪我をおして病院をでて・・・・ヒカリはアンタのために大怪我して・・・・」
 もう一発。握られた拳が、トウジの胸板に当たった。ぽすり、と力無いものだった。
「そこまであの二人を巻き込んで、それで復讐を実現して、それで満足だって言うの、アンタは!」
 ぽす、ぽすと、力無い拳がトウジに当てられる。
 泣きながら、アスカはトウジにむかって拳を繰り出していた。彼女の持っていた花束も、トウジのそれと同じように路上に落ちている。
「もしそうだとしたら、アタシはアンタを許さない! 絶対に、許さないからね!」
 トウジは、何も言い返さなかった。
 何を言っても、言い訳にしかならないから。
 あの二人を巻き込んだことは事実。そしてそれで二人・・・・特にヒカリにはひどい怪我まで負わせてしまった。
 その責任はほかの誰でもない、自分が持っている。
「ワイは・・・・」
 かろうじて、そういうのがやっとだった。
「確かに、ワイは馬鹿や」
 ・・・・ぴたりと、アスカのトウジを殴る手が止まった。
「惣流の言うとおり、ワイにはシンジやいいんちょをここまで巻き込む権利なんてあらへんかった。惣流には、申し訳ないとおもとる」
「アタシに謝ってどうするって言うのよ! 謝る相手が違うでしょ!」
「そや。ワイはあの二人にあやまらなあかん。しかし、その前に惣流にもあやまっとかなあかんのや」
 トウジは深々と、アスカに向かって頭を下げた。
「すまんかった」
 その姿勢のまま、トウジはそれ以上の言葉を継がなかった。
 アスカは、そんなトウジの姿をじっと見つめていた。
 やがて、トウジは頭をゆっくりと起こす。
「今すぐ許してくれ、なんていわん。ワイのこれからの行動を見て、それで許すかどうか決めてくれ」
 路上の花束を拾い、それをアスカの手に握らせる。アスカはそれを、抵抗することなく受け取った。無言のまま。
「シンジのとこ、行くんやろ?」
「・・・・ええ」
「後で行くから、そういっといてくれ」
「・・・・ヒカリのとこ、行くの?」
「ああ。いいんちょには、迷惑かけたからな・・・・」
「そう・・・・」
 アスカはしばし手元の花束に視線を落としていたが、やおらきっと顔を上げると、トウジの瞳を真っ正面から見据えた。
「これ以上、ヒカリを泣かせたら承知しないわよ!」
 そのまま、きびすを返して病院の入り口へと走っていく。
 その背中を、トウジはじっと見つめていた。
「泣かせたらあかん、か・・・・」
 じんじんと痛む左の頬をそっとなでながら、繰り返し、その言葉をつぶやく。
「泣かせたらあかん・・・・そしたら、ワイはさらに大馬鹿ものになるかもしれんな・・・・」
 

「鈴原?」
 ぼんやりと外を見つめるトウジに、ヒカリは心配そうに声をかける。
 それに気づいたトウジは、苦笑いをしながら振り返り、照れくさそうに言葉を継いだ。
「すまんな、あほらしいとこ、見せてしもて」
 その言葉の指す意味を悟ったヒカリは、しかし首を激しく振った。
「ううん。たった一人の妹さんだもの。鈴原が悲しむ気持ちは理解できたし、その原因を作った相手に怒りを感じるのも当然だわ」
 でも、とヒカリは言葉を継いだ。
「でも・・・・そんな鈴原のことを心配している人がいるっていうことも・・・・わかって・・・・ほしい・・・・」
 うつむいたままの言葉。トウジの今の表情をヒカリはみることができなかったが、同時にそれは、ヒカリの表情をトウジがみることもできない状況だった。
「そやな・・・・」
 真摯なつぶやき。トウジはヒカリの肩を見下ろしたまま、そうつぶやいた。
「今回はそれがよくわかったわ・・・・すまんな、いいんちょ」
 そういって、深々と頭を下げる。
「わいのために、こんなことまでさせてしもて」
「そ、そんな・・・・私はただ・・・・」
「いいんちょやから、か?」
「・・・・・・」
 ちがう。そうじゃない。
 私がここまでするのは、ほかの誰でもないから。鈴原だから。
 ヒカリは内心でそう語りたかったが、口には出さなかった。
 出せなかった。
 今のトウジに、それを言っても同情にしか受け取られないかもしれない。
 それが怖かったから。
 だから、ヒカリは黙っていた。
 トウジはそんなひかりの様子をしばし黙って見つめていたが・・・。
「まあええ。今日は謝りついでに、もう一つ言いたいことがあってきたんや」
「・・・・言いたいこと?」
「そや」
 小さく息を吸い込む。そして彼は、その台詞を一気に言いきった。
「ワイは、エヴァに乗ることにした」
 ヒカリは、その台詞にばっと顔を上げた。
 まだ、やるつもりなの?
 その瞳が、悲しげに訴えているように思えた。
 それに気づいて、トウジはあわてたように手を振る。
「ちがうちがう、確かに妹を殺した奴らはにくい。殴って殴りたらん言うことはない。でも、今度「エヴァに乗る」いうんはまた違うんや」
 瞳を閉じると、妹の最後の光景が目に浮かぶ。しかし同時に、妹の最後の傍らで・・・・同じように逃げまどう人々の姿も、トウジの瞳には浮かんでいた。
「ワイが今度エヴァに乗るんは・・・・乗るんは、ある意味妹のためではあるけど・・・・そう、ワイがエヴァに乗るんは、妹と同じような人をもう、つくりたないのや」
「・・・・・・」
「あのとき、ワイはおもた。エヴァがあれば、ワイは妹を死なさずにすんだ、と。エヴァがあれば、助けることができた。いや、あんな境遇にあうことすらなかったやろ」
 そう。だから、同じような境遇にあう人たちもやはりそう思うだろう。エヴァがいてくれれば。
「幸い、ワイはフォースチルドレンとしてエヴァに乗ることができる。しかし、ほとんどの人はエヴァに乗ることもできん。やから、そういう人がくるしまんでええように、ワイはエヴァに乗る。乗って、奴らと戦う決めたんや」
 ヒカリは、無言のままその話を聞いていた。
「いいんちょみたいな思いをさせる人を作るのは、もうたくさんやからな」
「・・・・・・」
「その・・・・大事な相手の悲しむ姿を、みせるんは・・・・」
 ヒカリは、やはり無言だった。
 トウジの顔をじっと見つめる。
 その顔は、何かを決意した男の顔だった。
 しばしの間、互いに無言。
「いいんちょには、また悲しい思いさせるかもしれんが・・・・」
「ううん、いいの」
 すまなそうなトウジの言葉に対し、帰ってきたのはそれをいたわるような声だった。
「鈴原が決めたことだもの。私がどうこういって、かえるわけないもんね」
「・・・・・・」
「それに、私が鈴原のこと心配していたのは、鈴原が後ろ向きな生き方をしようとしていたから。妹さんのことは悲しいけれども、それで鈴原を縛ってしまったら、妹さんはもっと悲しむと思うから・・・・」
「そやな・・・・あいつも、それじゃよろこばんやろから・・・・」
「私は、だから今の鈴原だったら心配しないから。だから、私のけがのことなんか気にしないで」
「それは・・・・」
「お願い。心配、しないで・・・・」
 ヒカリはそういって、トウジに向かって頭を下げた。
 自分が勝手に突っ走ったせいで、それをトウジに重荷に感じてほしくないから。
 だから、それだけを考えて、頭を下げた。
「・・・・だいじょぶや。重荷になんて、感じへんから」
 ヒカリの内心を悟って、トウジはそういって笑った。
「それに、そこまでワイのこと心配してくれて、ホンマにうれしいわ。・・・・ありがとな、いいんちょ」
 そういって、ヒカリの手をそっと握る。
「鈴原・・・・」
「だいじょぶや。ワイは、だいじょぶやから・・・・・」
 そういって、少年は笑った。
 少女は、その笑みをみて、おなじく笑みを返す。
 病院の窓には、ようやく夕暮れが訪れようとしていた。



 私は、いま何をしているのだろう。
 扉の前で、少女は自問自答する。
 実験に何の意味もない。
 あれはただ単に、ほかをカムフラージュするための欺瞞。
 あるいは、来るべき日のそれを手に入れるための前準備か。
 私はその日に、私じゃなくなる。
 それは、誰のために?
 そして、何のために?
 私じゃなくなった私を、誰かはみてくれるのだろうか?
 私じゃなくなった私に、存在意味はあるのだろうか?
 ・・・・わからない。
 まだ、わからない。
 その日はいつくるかわからない。
 あの人は言った。
「おまえが決めた日が、その日になるのだよ」
 でも、私が何かを決める?
 なにを原因に?
 なにをもって、その日を決めるの?
 ・・・・私が、決める・・・・。
 どうやって・・・・。
 少女は、無言のまま扉の脇にカードを通す。
 扉が、乾いた音を立てて開いた。
 目前で、「それ」が彼女を見下ろしていた。
 アダムとよばれ、そしてリリスであるそれ。
 十字架に打たれたその姿は、まるですべての罪を背負ったキリストのように。
 そして、許されざるリリン・・・人類を見下ろす神のように。
 少女はそれを、無言のまま眺めていたのだった。
 答えなど、返ってこないのはわかっていたが。 




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