「やさしい・・・・ところ・・・・」












And live in the world forever

第12話:そして命を賭けて





「本当にいいのね」
「かまへん」
 モニター越しの会話。そのリツコの問いに、トウジは迷うことなくそう答えた。
 エヴァンゲリオン参号機、エントリープラグ。そこが今現在、トウジの座る場所。
「リツコさんもミサトさんも、エヴァがあらへんとどうしようもないんやろ。ワイは使徒と戦えればそれでええ。自分が怪我しても、そんなん気にせえへん。死んでもかまわん」
「死んでもらったら困るのよ。こっちはね」
「わかっとります。死ぬ気でやる言うことです」
「そう、ならかまわないわ」
 リツコはそういって、軽く手を振り、スタッフに起動作業を続けるよう命じた。
「リツコ、本当にやるつもりなの?」
「あら、あなただって、彼が帰ってくると言ったときになにも言わなかったじゃない」
「・・・・それはそうだけど」
 ゲイジに拘束されている参号機と、エントリープラグ内で静かに時を待つトウジ。それを見ながら、ミサトはいささか歯切れが悪そうにそう答えた。
「エヴァはあっても人は無し。パイロットが一人でもほしいのは、作戦課のほうじゃなくて?」
「それはそうよ。でも、やっぱり彼のエヴァに乗る動機を考えると・・・・」
「それは私たちにはどうしようもないじゃない」
 リツコは手元のクリップボードに視線を落としたまま、そう切り返した。
「今彼を乗せなくても、絶対に鈴原君は自分の手で復讐をしようとする。エヴァが無くてもね。だとしたら、そんな徒手空拳よりも、彼の望んでいるエヴァに乗せた方が、いくらかはその望みが叶う確率が上がるもの」
「そうよ。だから、私は彼が復讐を果たして、その後どうなるかが心配なのよ」
「それは、自分自身が招いた結果でしかないわ。私たちが関与することじゃない」
「・・・冷たいのね」
「人の決意を他人が変えるのは所詮無理よ。助言や行動が助けにはなっても、最後には自分で決断しなくちゃならないもの。この後なにを考え、なにを行動するかは、彼次第。私たちは、彼がそれに気づいてくれることを望むしかないのよ」
「先輩、起動レベルまであと5分」
 キーを叩くマヤが、あえて無表情を装ってそう報告する。先ほどから二人の会話に耳を傾けていたのはリツコもミサトも知っていたが、それを気にする様子はない。
「司令、かまいませんわね」
 リツコが、背後の司令席に座るゲンドウに尋ねる。
「・・・・いちいち聞く必要はない。直ちに射出したまえ」
「・・・・わかりました」
 冷徹とも言えるゲンドウの反応。しばしの沈黙の後、リツコは短く返答を返して、正面スクリーンに向き直った。
「マヤ、使徒の到達予定時刻は?」
「エヴァ射出時には、第三新東京市より5キロ地点に到達しています」
「また市街戦か、できれば避けたかったけれども」
 リツコがため息をつくように言った。それを聞き止めたミサトは、厳しい表情でスクリーンを見つめながら、ぼそり、とつぶやいた。
「使徒が通過した街は、市街戦しかなかったわ」


 前回のような不快感は、今度はなかった。
 脳を締め付けるような痛みもなく、エヴァとのシンクロは進んでいく。
 ありゃあ、使徒にのっとられとったからか・・・・。
 トウジは内心でそう考え、少し安心する。そして次の瞬間、そんな安堵を抱いた自分がひどく滑稽に思えた。
 なにをこんなことで怖がってる。
 ついさっき、死ぬのも怖くないと言ったばかりなのに。
 トウジは頭を一つふると、きっと正面を見据えた。
 メインモニターの向こう側で、忙しく動き回るオレンジの衣服を着た作業員。発進に向けた作業は着々と進みつつある。
『第1ロックボルト、解除』
『各誘導員は退避』
『システム、1番から16番まで異常なし』
『続いて第2から32番までのロックボルト、解除』
 かつて使徒と化した参号機。初号機によって完膚無きまでに破壊されたその機体だが、一部機体各部に形状の変化はあるものの、あの漆黒のフォルムと凶暴な肉食獣を思わせる雰囲気に変化はない。
 エントリープラグの中の雰囲気も、それは同様だ。発進の時が刻々と近づくにつれ、スティックを握る手にも、自然力がこもる。
『最終安全装置、解除しました』
『リフト起動、射出口へ移動』
『進路11番から15番まで、オールグリーン』
『使徒との遭遇予想地点、でました』
『いい、鈴原君?』
 リツコの問い。
『エヴァンゲリオン参号機、リフトオフ!』
 ミサトのためらいがちの命令。
 それらを通信回線の向こうに残して、トウジのエヴァは地上へと打ち出された。
 加速による圧力以上に、体がずしりと重かった。


 第三新東京市の一角にある、放棄された兵装ビル
「よく、見ておくんだよ」
 数ブロック向こうのビルから警報の後、轟音と共に現れた漆黒の機体に視線を走らせ少年はそうつぶやいた。
「あれがエヴァンゲリオン。「福音を与える者」の名を持つモノだ」
「ふくいん・・・・の?」
「わからなくてもいい。まだ、むずかしいだろうからな。ふむ・・・黒の機体か・・・・参号機だな」
「わぁ、おっきいねぇ」
 少年の手を握る少女が、ゆっくりと歩みだした巨人に感嘆の声を上げた。
「あんな大きいのを作れるなんて、人間って、すごいね」
「そうだな。しかし、同時に愚かでもある」
 自嘲気味に少年はつぶやき、視線を反対方向に走らせた。
 巨大なカマキリを思わせる使徒。鎌に当たる部分をかまえ、そのまま参号機へじりじりと近づいていく。
「コピーとはいえ、モノを作り上げる力はすばらしいものだ。しかし、それでなにをしているかといえば、こんなくだらない争いしかしていない」
「え?」
「リリンのすべきことは、ほかにあるというのに・・・・その力を持ってすれば、できることはほかにあるというのに」
 少年はそうつぶやきながら、少女の手をしっかりと握りしめた。
「そうすれば、俺だって・・・・」
 少年の肩がわずかにふるえているのは、決して気のせいではない。
 しかし少女は、そんな少年のことよりも目前の戦闘を食い入るように見つめていた。


「おわっちゃっちゃっちゃ!!」
 ゆっくりと歩み続けていたエヴァが、傍らのビルから銃を取ろうとして不意にバランスを崩し、内部のトウジの叫び声と共に兵装ビルにのしかかるように倒れ込んだ。
 パイロットのトウジはエヴァの操縦が2回目、しかも1回目の半分以上は使徒に乗っ取られたエヴァに「乗っていた」と言うより「捕まっていた」状態であっただけに、その操縦の稚拙さも無理のないことだった。
 しかし、使徒はそんなことを考慮してはくれない。倒れ込んだエヴァに対し、自らの周りの兵装ビルを爆砕しながら距離を詰め、一気にその鎌で串刺しにしようとする。
『ATフィールドを張って! 早く!』
 モニターの向こうで、血相を変えたミサトがそう叫んでいる。
 そないなこというても、どうすればできるんや!
 そう内心で毒づきながら、トウジは使徒の一撃をかろうじて、本当にかろうじて転がるようにかわした。
『右隣の兵装ビルからパレットライフルを!』
 指示と同時に、傍らのビルのシャッターが開きライフルが姿を現す。
「そないな無茶、いきなりいわんでください!」
 トウジの悲鳴に近い叫び声とともに参号機は立ち上がり、たどたどしい動きながら右手を伸ばしてライフルをつかみ取る。
『鈴原君! 目標をセンターに入れてスイッチを押して!』
「センター?」
『スクリーンに出てるでしょう!』
 そう言われて初めて、スクリーン状に十字状の表示が浮かび上がっていることに気づいた。気づかないうちに、やはり動揺していたのだろう。
「ええい、あやつりにくい!」
 毒づきながら、緩慢な動きと共に銃を構える。
「センター、センター、センター・・・・よっしゃ!」
 動き回る使徒が十字の中心に入った瞬間、トウジは渾身の力を込めて引き金を引いた。
「妹の敵や、いけぇ!」
 轟音と共に、ライフルは劣化ウラン弾を高速で打ち出す。通常兵器が相手であればほぼ全ての装甲を貫くことのできるネルフ技術部自慢の弾丸。
 しかし。
「なんやて?」
 着弾すればジェット噴流によって使徒の身体を焼き切ったであろうその全ての弾丸は、むなしく空を切った。
 参号機が一発目の弾丸を放ったと見た瞬間、使徒は素早く参号機の左方向へ移動しそれをかわしたのだ。
「ええい、ちょこまかちょこまかと!」
 トウジは苛立ちと共に次弾を連射する。しかし、それをあざ笑うかのように使徒は右へ、左へ弾丸をかわしていく。
『鈴原君、落ち着いて目標をよく狙って! それじゃ無意味に被害を増やすだけよ!』
 参号機の流れ弾により、周辺の兵装ビルのいくつかが直撃弾を受けて倒壊している。ミサトの叫び声にはっと我に返ったトウジだったが、使徒はその一瞬の隙を見逃さなかった。
 つつぃ、と参号機の内懐に滑り込むと、アッパーカットの要領で右の鎌を参号機の顎にクリーンヒットさせる。
「ぐふっ!」
 それが擬似的な痛覚とはいえ、エヴァのシステムはエヴァ自身が受けたダメージを神経接続によってパイロットへフィードバックする。トウジはしたたか目を回し、エヴァは背後のビルを巻き添えに崩れ落ちるように尻餅をついた。
『援護射撃、急いで!』
 ミサトの怒声と共に、あたりから盛大な白煙が上がる。
 残存する兵装ビルから13式『ユニコーン』地対地ミサイルが連続して打ち出され、狙い違わず使徒へと降り注ぐ。
「シンジの奴、いつもこんな戦いをやっとったんか!」
 トウジは参号機の体制を立て直しながら、かち合わぬ歯をならしながらそうつぶやいた。
 一度は、成り行きとはいえエントリープラグに乗って使徒と戦うシンジの姿を見た。自分の乗っていたこの参号機がかつて使徒に乗っ取られたときも、同じように戦いを経験した。
 しかし、実際に自分が操縦桿を持っているのとでは状況が違う。
 自らの意志でエヴァを操らなければならない。命をかけて、使徒と戦わねばならない。
 妹の敵討ちでなければ、自分はしっぽを巻いて逃げ出したであろう。
 素直に、トウジはそれを認めた。それくらい、戦いとは恐ろしいモノだった。
 シンジはすごい奴や。
 そうも、思った。
 そのシンジが、「今のトウジをエヴァに乗せるわけにはいかない」と言った台詞。
 復讐をして、なんになるのかと言った真摯な表情。
 それが、不意に脳裏をさっとかすめる。
 確かにそうかもしれんな。
 でも。
「ワイは決めたんや! 妹を泣かした奴には、パチキかましたるってな!」
 起きあがる巨人。
「関西人の意地、みせたる!」
 損傷したパレットライフルを投げ捨て、参号機はがむしゃらに使徒へと突っ込んでいく。
 使徒はそれを待ちかまえるようにATフィールドを張り、当然というか参号機は見えない壁にぶち当たるようにその動きを止められた。
「なんやこれは! 何で前にすすめへん!」
『それがATフィールドよ! 鈴原くん、あなたのATフィールドで相手のフィールドを中和すれば、破ることができるわ!』
 通信機から、リツコの声が聞こえてくる。
「だから、どうやってそれを出せちゅうんですか!」
『ほかの操縦と同じ、そうしようと念じれば行けるわ』
「まるで子供の特撮番組やないですか!」
『特撮番組のヒーローほど、私たちは正義じゃないわよ』
 そんな皮肉気味のリツコの声を無視するように、トウジは内心で念じていた。
 邪魔や、邪魔や、その見えない壁が、邪魔や! どかんかい!
 参号機がわずかにふるえる感覚。同時に、目の前のスクリーンにオレンジ色の八角形の壁が浮かび上がってきた。


「参号機、ATフィールド展開! 双方のATフィールドを肉眼で確認!」
 日向の報告を見るまでもなく、スクリーン上には目にも鮮やかなATフィールドを展開する参号機の姿があった。
「初めての戦闘にしてはよくやるじゃないの」
 リツコが顎先を指で摘みながらそうつぶやく。
「マヤ、シンクロ率に変化は?」
「起動時より変化なし・・・・あ、いえ、わずかに上昇しています。45パーセントから46パーセント・・・47パーセントへ」
「おおむね許容の範囲内・・・いえ、エヴァの中で恐怖を味わったにしては、異常とも思えるシンクロ率ね・・・・やはり、妹の敵を倒す、っていう一心かしらね」
「だとしたら、危険な兆候かもしれない」
「え?」
 ミサトの声に、リツコはかすかに眉を動かした。
「制御できない心の動きは、エヴァに伝わる。今までそれで、シンジ君は何度かエヴァを暴走させているわ。制御のきかないエヴァを押さえられるものは、今の私たちにはないもの」
「・・・・エヴァが、我々に攻撃を掛けて来るってこと?」
「そう思えない理由は何もないわよ。なにしろ、私たちだって軍隊なんですから」
 ほかのエヴァが稼働状態にあれば、エヴァでエヴァを押さえ込むことができるだろう。しかし、今参号機が暴走してしまうと、パイロットのいないエヴァではそれをとめることはできない。
 トウジは今使徒と戦っている。しかし、彼にとっては軍隊もまた同じく「妹の敵」なのだ。
 暴走したエヴァは、パイロットの意志を無視するか、あるいはパイロットの意志の深層を具現化した行動をとることが、今までの事例から報告されている。トウジの参号機が暴走した時、どちらの実例が追加されるかは分からない。だが・・・・。
 人は自らの手で滅びを生み出す、か・・・・。
 ミサトは不意に、どこかで読んだ本のその一文を思い出していた。
 もしかしたら、自分たちが今やっているのはそれと同じことかもしれない。
「パイロットとのシンクロ率、及び回線の接続状況に留意。鈴原君、大丈夫?」
『まだや、まだやっ!!』
 ミサトの声に返ってきたのは、叫び続けるトウジの声。そしてマヤの報告。ミサトの心配は、豪雨にあふれる川の流れのように増大していった。
「エヴァ、目標ともATフィールド増大中! パイロットのシンクロ率、さらに上昇します。49パーセントから50パーセントへ!」


「最初の動きといい、今の展開といい、稚拙な戦い方だ。おそらく、パイロットは初心者だろうな」
 目前で展開される戦闘を見ながら、少年はそう言下に言いきった。
「確かにあの少年のATフィールドは強力なようだ。しかし、正面からフィールドのぶつけ合いをしてよけいな力を消耗することは愚作だ。どうせやるならば、フィールドを刃状にして切り裂くのが一番効率的だというのに」
 互いに心のぶつけ合いをするくらいなら、相手の心をずたずたに切り裂いてしまえばいい。そうすれば、自らは傷つくことはない。そして相手は立ち直ることができないのだから。
 その声と内心のつぶやきは、当然参号機には届かない。
 漆黒の巨人は全身をふるわせながらさらに強力なATフィールドを展開し、使徒のそれを中和しようとする。一方の使徒もその持てる力の全てをフィールドにそそぎ込み、さらにオレンジ色の光芒は輝きを増していた。
「きれい・・・・」
 少年の傍らで、少女が感嘆の声を上げた。
「すっごく、きれい・・・・」
 うっとりとした表情でつぶやく少女を、少年は笑顔とも悲しみともつかない表情で見下ろしていた。
「たしかに、見た目はきれいだ。でも、ね・・・・」
「でも・・・?」
 少女の疑問に満ちた瞳。
 その続きを、しかし少年は言うことができなかった。
 自らの意志を持って言葉を継ぐのをやめたため。
 そして、参号機が突如あたりを圧する咆吼をあげたため。
 二つの理由から。


「参号機、顎部ジョイント排除!」
 その報告と目前のスクリーンを見たとき、ミサトは自分の危惧が現実のものとなったことを否応なく知らされた。
「まずいわ!」
「暴走?」
 咆吼をあげながら、さらにATフィールドの圧力をあげる参号機。あたりのビルが、その余波を受けて次々と消し飛んでいく。
「心理グラフと制御系の状況は?」
「制御神経、モニタリングできません。参号機から回線、切断されます!」
 マコトがキーを叩きながら、そう報告する。
「心理グラフ、同じくモニタリングできません!」
 マヤの悲鳴に近い叫び声。
「参号機のATフィールド、目標のATフィールドを完全に浸食!」
 シゲルの報告を見るまでもなく、モニターからそれは明らかだった。。
 かつて、シンジが初号機に初めて乗って使徒と戦ったとき、同じようにATフィールドのぶつけ合いがあった。そのときの初号機はATフィールドを無理矢理こじ開けたが・・・・。
「使徒のATフィールドを飲み込んでいる・・・・?」 
 かすれた声を出したのは、リツコだった。
「そこまで参号機は強力だというの?」
「・・・・参号機の力だけじゃないわ。それだけ、鈴原君の心が強固だってことよ」
 妹の敵討ち、という一心でね。
 ミサトはその一言を内心にしまいこんだまま、かわってマコトに命じる。
「活動停止信号、及びアンビリカルケーブル切断の用意! 参号機が目標を殲滅次第、直ちに実行して!」
「了解しました!」


 自らの発するATフィールドが飲み込まれたことを知った使徒は、フィールドを収束させた参号機が次の攻撃に移る前に攻撃に転じた。
 参号機の左側面に回り込み、鎌で一撃。それを参号機が収束間近のフィールドで防ごうとするのに対してフェイントをかけ、さらに左側面にまわりこむ。そしてそのまま体当たりをしたのである。
 使徒のフィールドを飲み込み、そのため前方の障害物が無くなってよろけていた参号機にその素早いフットワークは利いた。足下がふらつき気味なところに体当たりをかまされ、たまらず吹き飛ばされる。
「うおおおお!」
 エントリープラグで叫び声をあげているトウジもろとも機体は宙を舞い、そのまま街中へと落下した。
「あ、いてててて・・・・」
 暴走した参号機は、プラグの中で痛みに頭を抱えるトウジなど無視して起きあがろうとする。
「おい、こら、勝手に動くな!」
 さっきまで自分が操っていると思った機体が勝手に動いているのに気づき、トウジはがちゃがちゃとインダクションレバーを前後にいじった。しかし、その程度ではむろん暴走が止まるわけがない。
 どうなってるんや、いったい?
 一瞬とっさに思ったのは、前回使徒に乗っ取られたのと同じ状況だった。
 また、使徒か?
 そう思い、一気に先ほどまでの興奮が冷める。
 ・・・でも、それなら、なんで使徒同士で戦う?
 モニター上では、参号機のATフィールドは相変わらず使徒のそれを浸食しようとしている。どう考えても、使徒に乗っ取られたとは思えない。
 なら、使徒でないとしたら、なんや?
 トウジは状況を確認しようと、あたりに出ているモニターをざっと眺める。
 全ての状況モニタは何も表示していなかった。
 もしかして・・・・これがシンジが前に言うていた暴走、ちゅうやつか・・・・。
 そう思いながら、もう一度モニタを眺めまわして・・・・。
 不意に、視線が止まった。
「・・・・いいんちょ?」
 右側面のサブモニター。そこに映っているのは、かろうじて倒壊を免れたビル。そしてその影から、1人の少女が戦闘をさけるように、危なげな足取りで逃げようとしている姿。
 それは、トウジのよく知っっている、洞木ヒカリという名の少女だった。


「洞木さん!?」
 MAGIの識別がはじき出した身分証明コードを一別して、ミサトは驚きの声を上げた。さらに詳細情報を検索するシゲルに、声をかける。
「疎開していたはずじゃなかったの!」
「JRの発券リストに、1530時に到着予定の特急電車に名前があります。使徒侵攻で運行は全て止まっているはずですから、避難しようとして、逃げ遅れたのでは・・・・」
「回収できそう?」
「現状では無理です。使徒とエヴァの戦っている足下に行きたがる人間なんて、いませんよ」
「それはそうだけど、今のエヴァは鈴原君の制御の利かない状態なのよ。それでまちがって彼女を殺したりでもしたら・・・・」
「第14番ゲート、開きます!」
 と、ミサトの声を遮るように、マコトをが血相を変えて報告をあげた。
「エヴァ弐号機、起動!」
「アスカ!?」
「エントリープラグにアスカの生体パターンを確認! 本人です!」
「アスカ! 聞こえている?」
『聞こえているわよ! さっさと弐号機を射出口に持っていきなさいよ!』
「身体は大丈夫なの?」
『そんな心配をしていられるほど余裕じゃないんでしょ! 状況は?』
 怒鳴りつけようとして逆に怒鳴り返され、ミサトはわずかに鼻白んだ。しかし、それだけ怒鳴りつけることができるのであれば大丈夫だろうと思い、素早く頭を切り換える。
「洞木さんが逃げ遅れて、暴走中の参号機と使徒の近くにいるわ! 助けられる?」
 モニタの向こうで、アスカが驚愕の表情を浮かべた。
『ヒカリが!?・・・・わかった、なんとかするわ!』
「面倒ばかりかけるわね・・・・弐号機を6番射出口へ! 急いで頂戴!」
 

「この、この、いうこときかんかい!」
 トウジは絶叫しながら、インダクションレバーを何度も何度も叩いていた。
 使徒と参号機の戦いはまだ続いている。あたりの建物を時折叩きつぶし、瓦礫を盛大にあたりにまき散らしている。むろん、それはトウジが意図したものではない。彼の操作を離れた参号機の行動の結果である。
「いいんちょがおるんや! あぶないやないか!」
 万一彼女にその欠片があたりでもしたら、良くて重傷、悪ければ死んでしまうであろう。それほどまでに使徒との戦いは苛烈であり、そして周辺に及ぼす影響は大きなものだった。
「冗談やない! 目の前で知り合いが死ぬんはもうたくさんや!」
 笑っていた妹の顔。炎の照り返しを受けていた彼女の顔を、トウジは思い出していた。
 あんな思いはもうしたくない。
 あんなつらい思いは、もうしたくないんや!
「だからとまれ! とまれちゅうんじゃ!」
 使徒の体当たり。参号機は不意をつかれて再びバランスを崩し、そのまま背中から仰向けに倒れようとしていた。
 その下には、足がすくんだのか動けないままのヒカリがいる。
 そう気づいた瞬間、トウジは瞳を閉じ、無我夢中で叫んでいた。
「ええかげんにせえや、このアホ!! 少しは周りを見てドンパチせんかい!」
 ・・・・その言葉が通じたのかは分からない。しかし、おそるおそる瞳を開いてモニタを眺めたトウジは、参号機がうつぶせになり、両腕と両膝をついていること、そしてそのちょうど胴の部分にヒカリが真っ青な顔をして座り込んでいるのを知った。
 参号機は、その体勢のまま動いていなかった。
 暴走が止まり、通常の操作を受け付けるようになったらしい。試しに左のレバーを動かしてみると、左手を曲げてバランスを崩しそうになったので、あわてて元に戻した。
 このまま、動くことはできへん。
 すくなくとも、下のヒカリが無事にここから出るまでは。
 周りのビルから崩れ落ちている瓦礫が、参号機の上に積もっている。今態勢を帰ると、それがヒカリの頭上から降り注ぐことになる。
 トウジはマイクへスイッチを切り変えると、ヒカリにむかって大声で叫びかけた。
「アホ! なんでこんなところにおるんや! 腰なんぞ抜かしとらへんで、はよ逃げんかい!」
 拡大映像のモニタの中で、ヒカリの顔が別の意味で驚愕の表情になった。目の前の機体にトウジが乗っていることに驚いたのだろうか。
「ここは危険なんやから・・・・ぐふっ!」
 息が詰まる。背中に強い衝撃。
 使徒が、参号機に攻撃を再び始めたのだ。
 先ほどまでの参号機との戦いで、両腕の鎌は現状では刃物としては使いモノにならなくなっている。しかし鈍器としてはまだ十分以上に有効なものであり、それで参号機の背後からしたたか打ち据えているのである。
 その衝撃で背中の上に積もった瓦礫のいくつかががらがらと落ちていく。
「いいんちょ、はよ、逃げろ!」
 擬似的な激痛に絶えながら、トウジは声を限りにそう叫んでいた。
 自分がどうなってもかまへん。でも、誰かをまきこむんはゴメンや。
「だから、逃げろっていってるんや!!」
 なおも躊躇の姿勢を見せるヒカリに、トウジは怒鳴った。
 いつものおどけてみせる怒鳴り声とは違い、本当に心の底から怒鳴ったモノだった。
 ヒカリはそれに一瞬びくり、とおびえたような視線でエヴァを見上げた。
 鈴原、無茶しないでよ。
 その口の動きをトウジが理解したときには、ヒカリは身を翻して参号機の下から抜け出すべく走っていた。
 とりあえず、トウジはほっとする。
 しかし。
 ・・・・走っていく方向が、もしそっちでなければ。
 ・・・・使徒の一撃が、後少し遅ければ。
 次の瞬間はおこらなかっただろう。
 参号機の右肩に振り下ろされた使徒の一撃は、エヴァの全身を激しく揺り動かし、そのために背中からエヴァの握り拳ほどもある石塊・・・・かつてはビルの一部であったもの・・・・が轟音と共に転がり落ちた。
 むろん、ヒカリを直撃などはしなかった。しかし、わずかに離れたところで地面と抱擁を交わし・・・・そのままバラバラに砕け散って、あたりに破片を盛大にばらまいた。
 そのうちのいくつかが、逃げだそうとしていたヒカリの背中から下半身にかけてを直撃したのだ。
「い、いいんちょ!!」
 エントリープラグの中のトウジには、背後から破片をうけ、独楽のように回りながら倒れ伏すヒカリの姿だけが映った。悲鳴も聞こえない、どこかテレビの1シーンを見るような印象だったが、しかしそれが現実であることは彼が一番よく分かっていた。
「だいじょうぶかいいんちょ!」
 マイクから響くトウジの声。しかし、瓦礫に半ば埋まってしまっているヒカリは、その声には答えない。
 助け出さなければ。
 瓦礫を取り除き、安全なところに運んで、手当を・・・・。
 トウジは混乱する頭で、かろうじてそこまで考えた。
 慎重に、慎重に。使徒の間断ない攻撃の中で参号機の右手を動かし、ヒカリの上に乗っている瓦礫を一つ一つ、取り除いていく。
 手元が狂ってしまえば、瓦礫ごとヒカリをつぶしてしまう可能性もある。
 一瞬たりとも、気が抜けなかった。
 ひとつ、ふたつ、みっつ・・・・。
 使徒の攻撃を受けながらの作業は、遅々として進まない。呪いにも似た言葉を使徒にはき続けながら、トウジはそれでもヒカリを助け出す作業を優先した。
 そうしなければ、この場で戦うことなど彼にはできなかったから。
 そして、最後の一片を取り除いて・・・・。
「!」
 その瞬間、トウジはプラグの中で絶句した。
「う、うおおおおおお!」
 そして次の瞬間、彼は叫んでいた。
 ヒカリの下半身は血にまみれ、左足、その膝から下が、本来ならあり得ない方向にむかって曲がっていたからだ。
 破片の直撃を受け、骨折・・・といえばいいのだろうか、とにかくそれに類する重傷であろうことは間違いなかった。
 後悔。
 自責。
 目の前で知り合いが傷つくのは見たくなかった。だから最後に妹の敵を討って、後はどうとでもなってしまえ、と思っていた。それなのに。
 その復讐心ゆえでエヴァに乗ったために、それがために彼女を巻き込んでしまった。
「すまん、すまんいいんちょ!」
 トウジは使徒の間断ない打撃の合間をぬい、そして背中の瓦礫をこれ以上落とさないように、彼女のまわりをエヴァの両手で覆うように囲い込む位置まで参号機をずらした。
 そのまま、ヒカリをかばうようにうずくまる。
 戦闘はできない。
 また、ヒカリを巻き込んでしまうから。
 このまま彼女を守っていれば、ミサトや惣流が、使徒を何とかしてくれるだろう。
 いまの自分のやるべきことは、ヒカリをこれ以上・・・・
「・・・・傷つけさせへんことや」
 今分かった。シンジの言いたいことが、いまわかった。
 なんで妹の奴がワイを逃がしたのか。
 自分の好きな人が、自分のために傷つくのを見たくなかったからだ。
 だから、笑ってワイを逃がしたんや。
 敵討ちなんて望んでおらへんかった。
 それに今まで気づかなかった。
 アホや。
 ワイは大馬鹿者や。
 ・・・でも。
 大バカなりに、けじめだけはつけたる。
 いいんちょを、これ以上傷つけさせん。
 今のワイがこれ以上アホにならないために。
 シンジの言葉を少しでも無駄にしないために。
 ワイの・・・・ワイのためにここまで来てくれた、いいんちょのためにも。
 そうや。
 バカにはバカなりの、けじめの付け方ちゅうのがあるんや・・・。
 度重なる打撃に息を詰まらせながら・・・・確実にそれは参号機とトウジにダメージを与え続けていたが・・・トウジはそうつぶやき続けていた。


 アスカが弐号機を駆って戦闘に加入したとき、そこはうずくまる参号機とそれに打撃を加える使徒という状態になっていた。
 プログソードを持って使徒に突っ込んでいくアスカに対し、使徒は参号機を背に迎え撃つ態勢を取る。
 参号機との戦いで摩耗した腕の鎌は再生を始めており、そのまま行くとやっかいな相手に成るであろうと判断したアスカは、先制して内懐に飛び込むと、ソードの一閃でその両腕を切断。
 参号機とは桁違いのスピードを見せるアスカの弐号機に対し、使徒は両腕を失いながらもさらに体当たりを企図する。
 回線を通じてヒカリの負傷を知っていたアスカは事態が切迫しており、戦闘に時間をかけている暇はないと判断。
 電源ケーブルを切断し、身軽になってそのまま突っ込んでくる使徒の頭上へと飛び上がる。一瞬目標を見失った使徒は、次の瞬間上から投げおろされたソードによって、脳天から串刺しにされて地面へと突き立てられた。

 約2分で、戦闘は決した。


 ヒカリは病院に収容された。


 トウジは、それを見送ることしかできなかった。




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