エヴァにとりつかれた人の悲劇。
もう、そんな人を見たくない。
立ち直ったアスカ。
毅然と生きているミサトさん。
どういう心境の変化かは知らないが、とにかく精力的に働くリツコさん。
みんな、かつてはエヴァというモノにとりつかれ、そして悲劇の寄り道をした。
結果的にはいまはそれを克服したものの、失ったモノは多い。得たモノもあるとはいえ、それが悲劇的な経緯を経たことは疑いない。
それは、僕も同じだ。
エヴァのことで、エヴァに関わることで、人が悲しむ姿は見たくない。
エヴァンゲリオン。
福音を与えるべき者、の名のとおり、あれは人々の幸せをつかみ取るためにこそ、使うべきなんだから。
トウジ・・・・それに、気づいてよ・・・・。
憎悪は、新たな憎悪を生むだけなんだ。
それじゃ何にも、意味がないんだよ。
エヴァに乗っている、意味が・・・・。
And live in the world forever
第11話:笑顔
タクシーの運転手は、彼の様子が気が気ではなかった。
顔色が、紙よりも白い。額には脂汗を浮かべ、時折苦しげに腹を押さえる。
さりげなく隠してはいたが、そこにわずかに赤い血の色がにじんでいるのが、彼の目からもわかった。
「大丈夫かい? 病院に行った方がいいんじゃないのかい?」
その苦しそうな表情に、何度かそう声をかける。しかし返ってくるのは、無理に浮かべた笑顔と、無言の拒絶だった。
「まあ、それなら無理に、とは言わないがね」
「すいません・・・・無理を言って」
「まあ、自分の身体は自分が一番知っているだろうから。それに、そうまでして行かなきゃならない理由があるんだろ?」
「ええ・・・・すいません・・・・」
「謝る必要はないさ。まあ、無理はしない方がいいからな」
「はい・・・・」
そんなやりとりがあってしばらくして、車は目的の場所に着いた。
「ほい、箱根湯本の駅だ」
「ありがとう、ございます・・・・」
押さえつけているが、荒い息。運転手は金を払って降りようとする彼の背に、もう一度、声をかけた。
「いいか坊主、本当に、無理するなよ」
「・・・・はい」
少年は照りつける日差しの中、駅前の広場に降り立った。
「・・・・まだ、電車は着いてないみたいだな」
シンジは、蜃気楼の揺らめく駅前をざっと見渡して、目的の人影がまだそこにないことを確認した。
体中が、しびれるように痛い。
なるほど、病院が彼をベッドに縛り付けたがる訳だ。
立っているだけで世界がぐらぐらと揺れる。
タクシーの運転手が、あんなに心配そうな顔をしていたのも、うなずける。
自分の怪我への認識が甘かったことをいささか後悔したシンジだったが、それでもここに来たことを悔やんでいるわけではなかった。
ヒカリからかかってきた、一本の電話。
狂乱状態の彼女から話を聞き出すのは苦労したし、肝心の所で電話は、彼女が「エヴァ」の名を出したとたんに切れてしまったけれども、それでもだいたいの筋は理解した。
トウジを、今のトウジをエヴァに乗せるわけには行かない。
妹を亡くしたことで、その原因となった使徒への復讐のためにエヴァに乗ろうとするトウジ。それは、絶対にいい結果を生まない。
父親を失い、使徒への復讐を決意していたミサトさん。
母親を失い、エヴァに乗ることだけに自分の存在意義を見いだしていたアスカ。
親子でエヴァにかかわり、そしてそれ故に父さんを愛していたリツコさん。
エヴァに乗るため・・・・それだけのために、生み出された綾波。
そして・・・・父さんに捨てられ、それへの反発からだけでエヴァに乗ることを選んだかつての僕。
その名前の末席に、トウジの名前を連ねることをさせたくない。
・・・・今の僕は、みんなを守るためにエヴァに乗ることを選んだ。
ミサトさんは・・・・父親の影を、加持さんの影響で振り払うことができた。
リツコさんは、どういう経緯を経てかは知らないが、綾波のクローンを破壊して以来、吹っ切れたかのように仕事をしている。
アスカは・・・・心を閉ざしていたアスカは、今はしっかりと自分と、そしてそれを取り巻く世界に対峙している。
綾波はまだ僕は会っていないからわからない。もしかしたら以前のようにエヴァに乗るためだけに生きていると考えているかもしれないけれど、いつかきっと、彼女もわかってくれる。
だから、トウジも、エヴァに関わる以上、復讐なんていうことだけに縛られてちゃいけない。だから・・・・。
そこまで考えて、シンジは不意に身体がぐらり、とよろめいたのに気づいた。
猛暑の中、傷を負った身で立っていたせいだろうか。いささか貧血をもよおしたようだ。
絶えきれず傍らの電柱に手をかけ、そのままずるずるとよりかかっていく。
「・・・・まずったかな・・・・」
そう、つぶやくのがやっとだった。
頭がぼんやりとしてくる。
意識が、遠のく・・・・
「大丈夫?」
と、傍らから、声がかけられた。
「気持ち悪いの? 身体、痛いの?」
ゆっくりと頭を声のする方に向ける。
女の子が、シンジの傍らに立って彼を見つめていた。
年の頃は8歳くらいだろうか。わずかに赤みがかった黒髪をポニーテールにまとめ、愛らしいピンクのワンピースを身につけている。
「お医者さん、行く?」
心配そうにそう尋ねる少女に、シンジはそれが一瞬幻であるかと思った。
「・・・・いや、お医者さんには、今は行けないんだ」
「なんで?」
「ここで、人を待って、いるから・・・・」
「ふうん・・・・」
少女は少し首を傾げるように考えていたが、しばしの後、ぱっと身を翻してぱたぱたとどこかへ走っていった。
シンジはその後ろ姿をぼんやりと眺めていたが、どれくらいの時がたったのか、次の瞬間には誰かの手で身体を起こされているのに気づいた。
「・・・・?」
「そんな怪我で、無茶をするからだ」
先ほどの少女の声とは違い、それは少年のもの。ゆっくりと振り向くと、シンジと同じ年頃の少年が、彼を近くのベンチへと運ぼうとしていた。
「アズサが声をかけなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「アズサ・・・・?」
「妹だ」
口数少ない少年。
ベンチでは、少女が心配そうにシンジを待っていた。
「お兄ちゃん!」
「・・・・・言うとおり、つれてきたぞ。まったく、こんな面倒を背負い込むとは」
「じゃあ、あのままにしておくの? ほおっておくの」
「・・・・」
きっと少年をにらみつけるその視線に、彼はわずかにたじろぐ様子を見せる。
その視線から逃げるようにシンジをベンチに座らせると、水に浸したハンカチを持ってきて、額にあてがった。
「これで、少しは楽になるだろう」
「・・・・ありがとう・・・・」
「そう思うなら、さっさと病院に帰れ。僕たちは、暇じゃない」
「・・・・いや、まだ・・・・帰るわけには・・・・」
「なぜだ?」
「トウジを待たないと・・・・彼を止めないと・・・・」
彼が、復讐をするのをとめなければいけない。
今、それができるのは自分だけだから。
しかし、そんなシンジを少年は冷ややかな笑いと共に見つめた。
「自分の身体も満足に管理できない奴が、誰を止めるだって? 事情は知らないけど、ずいぶんとヒーロー気取りじゃないか」
「・・・・それは・・・・」
「怪我した身体で無理して説得? そりゃあお涙頂戴だなぁ」
「お兄ちゃん!」
見かねた少女・・・アズサがぷうっと頬を膨らます。少年はそれに対しててきめんにうろたえながら、
「あ、いや、だから、だな・・・・僕はこいつのことを心配して・・・・」
「だったら、そんなこといわないの!」
ぐっとおしだまった少年をを後目に、アズサはシンジの額からずり落ちそうなハンカチをなおしながら声をかけた。
「ごめんなさい。お兄ちゃん、口が悪いから・・・・」
「・・・ううん。確かに、思い上がりなんだろうね。僕は」
シンジは、つぶやくような声でアズサに答えを返した。
「でも、何にもできないって卑屈になるくらいなら、自分でやれることはやるんだ、って思い上がった方が、いいじゃないか・・・・」
「なんで、そこまでするの?」
「え?」
不思議そうな瞳で、アズサはシンジを見つめていた。
「なんで痛い思いして、そんなに、他の人のことにかかわるの? じぶんが楽しければ、つらい思いをしなければ、それでいいのに」
「・・・・そうだね。みんな、そう考えるよね」
シンジは、にこり、とほほえんで見せた。痛みで、顔がわずかにゆがんだ。
「でも、つらい相手の立場に自分が立ったら・・・・って、この話じゃわかりにくいかな。そうだな・・・・たとえば、冷たい水の中で、助けを求めている人がいたら、どうする?」
「んー。アズサ、お水が冷たいのはいや」
「だろうね。じゃあ、助けないの?」
「・・・わからない」
「うん、まあ、それはそれとして、じゃあ、アズサちゃんがその水の中に取り残されてしまったら、どうする?」
「・・・・たすけて、って言う」
「だろうね。で、そのときの周りの人が、みんなさっきみたいに、水が冷たいからって助けてくれなかったらどうする?」
「・・・・すごく、いや」
悲しそうな顔でアズサがそう答えるのを見て、シンジは軽くうなずきを返した。
傍らで、少年がそのやりとりを苦々しげに見守っている。時折時計に視線を走らせる姿がシンジの横目に映ったが、シンジは構わず話を続けた。
「だろうね。だから、僕はそういう「助けて」っていっている人は助けてあげたいし、冷たい水に落ちそうな人がいたら、その前に止めてあげたいと思っているんだ」
「ふうん・・・・」
「冷たい水の中にいると、だんだん寒さで身体がしびれてきて、何にも考えられなくなっちゃう。もうどうでもいいや、って思うようになる。人の心も同じで、自分一人に閉じこもってしまう。だから、そう言うときに温かい手をさしのべることができること、水の冷たさを分かっていて、それでも手をさしのべることができれば、それはすごくいいことだ、って思うでしょ?」
「うん、アズサも、そう思う」
自分が一度助けられる側に立てば、その気持ちはすごく分かるよ。
シンジは内心でそうつぶやいた。
僕はずっと水の中にいた。助けを求めることすらしなかった。最初は同情や傷の舐めあいだったとしても、それでも周りのみんなに助けられたことは確かだ。だから、ぼくはすこしでもそれを周りに還元・・・・もらったものをかえしていきたいんだよ・・・。
「・・・・悪いが、そろそろ時間だ」
アズサの頭にぽんと手を置いて、少年はそう話に割って入った。
「アズサ、もういいだろう? 僕たちも、それほど暇じゃないんだ」
「・・・・うん・・・・」
名残惜しげに、アズサはシンジの方を振り返る。
シンジは彼女に、
「もう、大丈夫だよ」
そう言って笑って見せた。引きつる顔を、無理矢理笑顔に作って。
「無理、しないでね」
「ありがとう。さっきの話だけど、僕のことを心配してくれたみたいに考えることができれば、アズサちゃんもきっと、みんなに好かれることができるとおもうよ」
「・・・・うん!」
うれしそうに、アズサは笑って見せた。
そして少年の方に歩いていこうとして、
「あ、名前・・・・」
ふと、互いに名乗っていないことに気づいた。アズサの名前は、少年が口走ったので知っていたが、シンジ自身はなにも名乗っていなかったのだ。
「僕はシンジ。碇、シンジ」
「あたしは、和泉アズサ。お兄ちゃんは、和泉ルモン」
「いい、名前だね」
「ありがとう」
「・・・・また、あえるといいね」
「うん、アズサも、そうだといいなぁ」
その無邪気な笑顔に、シンジは心の安まる思いがした。
「じゃあね!」
手を振りながら、アズサはルモンの方に走っていく。
それとほぼ前後して、電車の到着を告げるアナウンスが、駅の方から聞こえてきた。
「・・・行かなくちゃ」
シンジは、痛む身体を引きずるように、駅へと歩いていく。
その背中を、ルモンは凝視していた。
「碇・・・・シンジか・・・・」
改札口に現れたトウジは、シンジの姿を見てもまったく驚いた様子を見せなかった。
無表情に切符を機械に通し、そのまま無言でシンジの前に立つ。
その頬はげっそりとこけ、トレードマークであるジャージはあちらこちらに汚れやほころびが見えていた。シンジが凝視すれば、そこにいくつもの焦げ目があることに気づいただろう。
「妹が、死んだんや」
ぼそり、とトウジはそうつぶやいた。
「・・・・聞いたよ」
「誰に」
「委員長・・・・洞木さんに」
「・・・よけいなこと、吹き込みよって。おおかた、泡食ってここに来たんやろな」
シンジの苦しげな表情と、にじむ血をざっと眺めて、トウジはそう言った。
怪我のことを、トウジは聞かなかった。シンジも、言わなかった。そんなことより、もっと話すべきことは別にあったから。
「でも、止めても無駄や。ワイはエヴァに乗る。赤木博士にも、ミサトさんにも、もうそれは伝えとる」
「そのまえに、聞かせてよ。なぜ・・・・いや、何のために、トウジはエヴァに乗ろうとするの? 一度は乗ることを拒絶したっていうのに」
「いいんちょから話を聞いて、何を今更。妹をあないにした奴らに復讐するためにきまっとるやないか」
「ただ、そのためだけに?」
「ただ、とはなんや!!」
激昂。トウジは、肩をふるわせて怒っていた。まさに、怒っていた。
「妹がどんなに苦しんで死んでいったか、それを知っていてそう言うんか!」
鈍い衝撃。殴られたと気づいたときには、シンジは地面に倒れ込んでいた。
口の中に、じわり、と鉄の苦い味が広がる。
殴られたのは、二度目だな。
シンジは、どこか冷静な自分の心でそう考えていた。
「僕は・・・・洞木さんからは何も聞いてない。そこまで話が行く前に、電話は切れてしまったから。でも、確かに妹さんが亡くなったのは悲しいことだろうけど、それでも、やっぱり僕はトウジを止める」
ゆっくりと体を起こしながら、シンジはそう言った。脇腹に、先ほどまでとは比べモノにならないほどの激痛が走る。傷口が、開いたのかもしれない。
「・・・妹は、逃げ遅れたんや」
トウジは、シンジの台詞などお構いなしに言葉を続けた。
祖母の住む長野西部に疎開していたトウジたちの街に、使徒が現れた。
先日、日本海に現れた例の使徒が、第三新東京市を目指していた途中に、その街はあった。
「避難命令が出た時には、もう遅かった。戦闘が、始まってもうた」
戦略自衛隊の重戦闘機が使徒に攻撃を加え、それを使徒が迎撃する。その足下では、逃げ遅れた人々が争うようにシェルターに殺到する。
「あいつの怪我はまだ治っておらへんで、そんな中に入ってくことはできへんかった。ワイとあいつは、近くの駅の影に隠れとったんや」
不幸が重なったと言うべきか。使徒の直撃を受けた重戦闘機の1機が、その傍らに墜落した。機体の爆発事態は彼等にわずかな爆風をもたらしただけだったが、崩れてきた駅舎の残骸に、トウジと妹は巻き込まれた。
「ワイはすぐに出ることができた。でも、あいつの足を噛んだ、柱が・・・・」
拳を握りしめ、トウジはわなわなと身体をふるわせた。声が詰まっているのは、涙をこらえているからだろう。シンジはその心中を察して、いたたまれない気持ちで一杯だった。
重戦闘機の燃料が誘爆し、火災が発生した。炎は徐々に駅舎へと燃え移り、やがて耐え難い熱と炎が、すぐ近くまでやってきた。
「どうしても、妹は逃げられんかった。ワイは必死で助けようとしたんや」
「トウジ・・・・」
「そしたら、あいつはなんて言うたと思う?「私のことはいいから、逃げて」言うたんやぞ!」
もはや、昂ぶる感情を抑えきれなくなったのだろう。トウジは、口調を押さえることもできずにさらに言葉を継いだ。
「あの、ちっちゃな妹が・・・・ワイを気遣って・・・・逃げろやなんて・・・・」
もはや、言葉もなくシンジは聞くのみだった。
「助けようとしたワイの手を握りしめたあのぬくもり。最後に笑った笑顔。ワイは生涯、忘れることができんわ・・・・」
「・・・・」
「10年にも満たへん人生・・・・小さい頃に母親を亡くして、ようやく大きくなったと思ったら怪我をして、挙げ句の果てに命まで失ってもうた。ワイは憎い。妹を翻弄した戦いが。あいつの命を奪った奴らが、憎い」
血を吐くような台詞。トウジは、先ほどまでの激昂はどこへやら、妙に淡々とした口調に変わってそう言った。
「だから、エヴァに乗る。使徒も、軍隊も、ワイはあいつの命の償いをさせたる。だからシンジ、止めても無駄や」
「・・・・その気持ちは分かる、とはいえないよ」
しばし考え込んだ後、シンジはゆっくりと言葉を選びながら、話し始めた。
「実際にトウジの立場に立たないかぎり、その気持ちは理解できない。うわべだけの理解は、ただの哀れみでしかない。だから、僕はトウジの気持ちを察することはできても、理解できる、とは言わない。だからというわけじゃないけど、やっぱり、僕はトウジをエヴァに乗せるわけには行かない」
「なんで、と聞いてもええか?」
「復讐をして、それで妹が喜ぶのか、なんて言わないよ。僕が言いたいのは、そう言う気持ちでエヴァに乗って、使徒や軍隊を倒して、後に何が残るか、ってことさ」
「後のことなんてしらん。ワイは今は、妹のことだけしか考えてへん」
「妹さんのことじゃない。トウジが考えているのは、自分のことだよ」
「なんやと!」
「妹さんが死んだ。目の前にいながら、それを助けることができなかった。そんな自分の無力さを、エヴァに乗って使徒を倒すことで、慰めようとしているだけだよ、今のトウジは」
殴るなら殴れ。そんな表情で、シンジは語っていた。トウジは、顔を真っ赤にして怒っていたが、拳を振り上げるようなことはしなかった。
「確かにエヴァなら使徒を倒すことはできる。もしそれで死んだ人間が還ってくるなら、僕はトウジを止めない。むしろ蹴り飛ばしてでもエントリープラグにたたき込むよ。でも、そんなことがあるわけじゃない。消えてしまった命の炎は、再び灯すことはできない」
「・・・・」
「だったら、使徒を倒して、軍隊を蹴散らして、それで後に何が残る? やっぱり自分は妹を助けることができなかったという後悔しか、残らないじゃないか」
「じゃあ、あいつの命を奪った奴らを、そのままほっとけ言うんか! ワイは自分のことなんかもうどうでもええ。あいつらに復讐したら、あとはどうなってもええ!」
「トウジはそれでいいかもしれないね。でも、残された人はどうなる?」
トウジは、その言葉に反応した。「どういう意味だ?」視線でシンジを眺める。
「今まで、トウジは一人で生きてきたの? もしそうだとしたら、トウジがどうなったとしてもだれも気にしない。でも、そんなことあるわけないだろ? 周りの人は・・・・僕やケンスケや、みんな、そんなトウジをみてどう思う?」
「・・・・」
「洞木さんがどうして僕のところに電話してきたと思う? トウジがそうなってしまうのが心配で、いてもたってもいられないからじゃないか。そんな人たちがいるって言うのに、どうして復讐なんて手段に、エヴァを使おうとするんだよ!」
叫んでいた。言葉を選ぶ余裕なんて無かった。シンジは、とにかくこころの中にあふれるなにかを、トウジに伝えようとしていた。
「何で妹さんがトウジに「逃げて」っていったんだ? 復讐をしてもらいたいから? そんなわけないだろ! 助かるはずのトウジまで自分の巻き添えで死んじゃったら、悲しむ人がいっぱいいるってわかっていたからだろ! 自分勝手な感情で周りを悲しませて、一体何がエヴァだよ、人の救いになるモノだよ! そんなものなら、なくなってしまえばいいんだ!」
「・・・・・・」
トウジは、何も言わなかった。ただ、だまってシンジの言葉を聞いていた。
妹が、なぜ自分にああいったのか。なぜ、苦しいのに、痛いのに、最後に笑ったのか。それを、考えていた。
お兄ちゃん、生きて。
そう、妹は言いたかったのか。
復讐。それをしたところで、妹が生きて還ってくるわけじゃない。そんなことなど、はじめから分かっている。しかし、それでもトウジは彼等を憎み、そして妹の命の代償をそこに求めようとした。そうしなければ、自分の気持ちが収まらなかったからだ。そう言う意味では、シンジが言う「トウジが考えているのは、自分のことだよ」という言葉は彼にとって図星だった。
後に、残された者。
そんな人が、自分にいることなど考えずに。
目の前で、おそらく戦いで傷ついたであろう身体を引きずってまで自分を止めようとするシンジ。毎日のようにそのシンジと自分とつるんでいたケンスケ。そして、疎開してからもトウジと妹を心配して、連絡を取ってきたヒカリ。それぞれの顔が、トウジの脳裏を巡っていく。
「ワイは・・・・でも・・・・」
「エヴァに乗るなっていっているんじゃない。僕は、「今の」トウジを乗せるわけには行かないって言っているんだよ!」
「・・・・じゃあ、どうしろ言うんや」
「それは、僕が言うことじゃない。自分で考えるんだよ。トウジ自身が、どうすればいいかを。僕が止めるのを振り切ってエヴァに乗るか、それとも次の電車で、洞木さんと一緒に疎開先へ戻るか」
「次の電車・・・って、いいんちょがここにくるんか!?」
「たぶん・・・・ね。さっき・・・・僕が受けた電話は・・・・おそらく電車の中だった・・・・から」
荒い息、とぎれとぎれな口調。トウジがおかしいと思ったときには、シンジの顔はいつしか真っ青になっていた。
激しい口調で話し続けていた。ずっと立ちっぱなし。しかも一度は、自分が殴り倒している。怪我をしている身体に、これ以上の酷使はない。
「おいシンジ、大丈夫か?」
「これで大丈夫なら・・・・驚きだよ・・・・」
ぐらり、と身体が傾く。倒れそうなシンジを、トウジはかろうじて腕で支える。
「トウジ・・・・考え直して・・・・ほしい・・・・」
「バカシンジ!」
悲鳴のような声。抱きかかえたシンジの身体の冷たさにぞっとした表情を浮かべたトウジが声の方を振り向く。そこには、タクシーから降りて駆け寄ってくるアスカの姿があった。
そして。
抜けるような青空に、鳴り響くサイレン。
重なる出来事についていけないトウジの耳を、スピーカーから流れ出した女性のアナウンス音が叩いた。
『避難警報。現時刻を持って、関東及び東海地方に非常事態警報が発令されました。全ての交通機関は凍結されます。住民のみなさまは、速やかに所定のシェルターへ避難してください・・・・繰り返します・・・・避難警報・・・・』
「・・・・使徒だわ」
アスカがトウジの腕からシンジを受け取り、ハンカチで額の汗を拭きながらそうつぶやいた。
トウジは、先ほどまで萎えかけていた復讐心がめらめらとわき起こってくるのを感じた。ここからネルフ本部に行き、参号機に乗るだけで、妹の敵と戦うことができる。
行かないのか。行って、戦わないのか。
トウジは、なぜ迷わず足を踏み出さないのか、自分が不思議でならなかった。
何かが、心に引っかかっている。
もやもやしたもの。言いようのない、不安とでも言えばいいのだろうか。
なにをためらうのか。自分は何のために、ここに来たのか!
トウジは頭をふると、アスカが乗ってきたタクシーに向かって一目散に駆け出した。
と。
脳裏を、面影が一つかすめた。笑っている、笑顔だった。
走る足はとめなかったが、トウジはなぜか口に出していた。
「いいんちょ、そういえば電車に乗っとったなぁ・・・・無事に避難してればええが・・・・」
続きを読む
前に戻る
上のぺえじへ