アタシは、何をしていたんだろう。
 今まで、何をしていたんだろう。
 シンジは必死にアタシを守ってくれた。
 あんな怪我をしてまで、アタシのことをかばってくれた。
 アタシのことを必要だといってくれた。
 ミサトは自分のすべきことをしている。
 逃げ出したいくらいつらいことなのに、一生懸命に自分のすべきことをしてる。
 アタシはその間、自分の殻に閉じこもっていた。
 全てから逃げ出して。
 全てを拒絶して。
 あのシンジが、あの逃げてばかりだったシンジが必死にやっていたのよ。
 それと同じことが、アタシにできないわけがない。
 そう。アタシに、できないわけがないじゃないの。




And live in the world forever

第9話:再生の時、誕生の時




「三日です」
 通信機の向こうで、利根は苦笑いを浮かべた。
「残念ながら、空自のN2爆雷保有数が少なすぎました。あと少しあれば、さらに足止めは可能だったのですが・・・・」
「いえ、こちらこそよけいな苦労をかけさせて、申しわけありません」
 ミサトはそんな利根を慰めるべく、しばし言葉を選んだ。
「本来ならば、使徒の殲滅は我々ネルフの仕事です。そこを曲げて、自衛隊にでていただいているのですから、三日も時間をいただけたことに感謝しています」
 聞き方によってはそのミサトの言葉は侮辱・・・自衛隊の力を侮っているようにも感じさせるものだったが、利根はその向こうにあるミサトの意志を感じ取ったようだ。ほっとしたような声で、
「とりあえず、後はお任せいたします。次の機会は、もっと活躍してみたいものですね」
「そう、あってほしいものです。どちらにとっても」
「では」
 そう言って、通信はきれた。
 ミサトはそのまましばし黙り込んでいたが、傍らに座る日向マコトの方を振り返り、
「使徒の現在位置は?」
「はい。旧金沢沖1キロ地点。現在完全に動きを止めています。空自にしては、やるもんですね」
「よけいなことはいいわ。それで、周辺地域への被害と、再侵攻の時間は?」
「半径10キロ圏内はほぼ消失。半径30キロ圏内で、人員物資に損害がでています。再侵攻は、再生速度から見ておよそ70時間後」
「ん・・・・青葉君、エヴァの状況は?」
「はい、現在初号、弐号、参号、六号機ともにオール・グリーン。発進可能です。しかし・・・・」
 そこまで言って、青葉シゲルはふと口をつぐんだ。
「そうなのよね・・・・」
 ミサトはすらりとした指で、形の良い顎を摘んだ。
 どうやら時間だけは稼げた。
 しかし。
 ・・・・シンジ君は負傷して病院。レイはまだエヴァ六号機とのシンクロに成功していない。アスカは同じく病院。しかも弐号機とのシンクロ率はゼロ。
「ああ大見得を切った以上、空自の期待は裏切れないけど・・・・」
 でも、エヴァはあってもパイロットがいない現状を、どう改善すべきものか・・・。
 と。
「葛城三佐。先輩・・・赤木博士が、お呼びです」 
 もう一人の司令部要員、伊吹マヤがとまどい気味の表情でミサトに呼びかけた。
「リツコが?」
「はい、至急、司令公室にきてくれ、とのことなんですが・・・・」
「碇司令の部屋に?」
 なるほど、マヤがとまどう理由もわかる気がする。よりによって碇司令の部屋から自分を呼ぶなんて・・・・。
「わかった、すぐに行くって言っておいて」
 そして、ミサトは司令公室直通のエレベーターへと乗り込んだ。


「休んでいなくていいのかい?」
 傍らからかけられた台詞に、ソファーに座っていたアスカは反射的に身体を固くした。
「おいおい、ずいぶんとご大層だなぁ」
 そういって、どさり、と断りもなくアスカの傍らに座る。
「彼も大変だが、君だってつい昨日までは寝たきりだったんだからな」
 そう言って、ヒロユキは相好を崩した。
「・・・・高千穂・・・・さん?」
「おや、名前を覚えていてくれるとは光栄だね」
 そういって、にこり、とほほえむ。どこか子供っぽさをの越したその顔立ちに、アスカは自然と自分の心が和むのを感じた。
「彼のことは、この病院のスタッフがきっちりとみてくれるさ。君はそれよりも、自分のことを心配しないと」
「・・・・高千穂さんだって、あんなにけがをしていたじゃないですか」
 自分はいいのか、とアスカは言外ににおわせる発言をした。返ってきたのは、くっくっという笑い声だった。
「なに、これぐらいの傷なら、慣れてるさ。ほれ、このとおり」
 そういって、撃たれた右肩を動かしてみせる。
「・・・・冷や汗、かいてるわよ」
「あ、ははは・・・」
 たしかに痛かったのだろう。ヒロユキはずばりそう言われて、乾いた笑いを浮かべた。
「しかしまあ、これくらいの傷は本当に慣れっこなのさ。なにしろ、俺の左腕は半分このとおりだからな」
 そういって、裾をまくってみせる。廊下の蛍光灯の光を受けて鈍く輝くその腕を見て、アスカははっと声を詰まらせた。
「事故・・・・ですか?」
「まさか。俺は仮にも諜報部員だぜ。仕事でへまをやって、このありさまさ。昨日も医者に言われたよ。「肘までじゃ飽きたらず、肩まで義手にする気ですか」ってね」
「弾がもう少し下に当たれば、怪我をせずにすんだのにね」
「いやいや、怪我は保険が利くが、義手を壊すと高くつく」
 ・・・・しばし、廊下にアスカの笑い声が響いた。
 そんな様子をヒロユキはしばし眺めていたが、
「やっぱり、そんなに笑えるじゃないか」
 はっと、アスカはその言葉に我に返った。ヒロユキが、真摯な視線でアスカを眺めていた。
「君がそんな顔をしていちゃ、彼の治る怪我だって治らないさ」
「・・・・どうして、そんなことを言えるのよ」
「そうだな・・・・」
 どこか遠くを見るような瞳。ヒロユキは、アスカから視線を逸らし、しばし瞑目して、やがて話し始めた。
「この左手は三年前に失ったものだけどな、本当のところ、失うべきだったのは左手だけじゃなかったのさ」
「・・・・?」
「あまりに多きなへますぎて、死ぬところだった、というべきか」
「・・・じゃあ、どうして生きているの?」
「そりゃ、俺の代わりにそのへまをかぶってくれたやつがいたからさ」
「・・・・・・」
「生意気で傲慢でむかつく奴だったし、奴自身俺のことを嫌ってはいたが、仕事にそれを差し挟もうとはしなかった。俺を守ることが奴のそのときの仕事で、奴はその通りにおれを守って瀕死の重傷を負った。俺があいつを抱き起こして「しっかりしろ!」って言ってやったとき、あいつはなんて言ったと思う?」
 アスカは、答えなかった。ヒロユキも、答えを期待していなかった。
「『おまえのそんな顔を見てると、ますます傷が痛くて仕方ない』だと。結局あいつはそのままくたばって、俺はごらんの通り左手を失った。今思えば、おれはあいつを嫌いで嫌いでしょうがない。何しろ、俺にこんな思いをさせたまま逝っちまったんだから」
 言外に、左腕と共に大事な仲間を失った、ヒロユキはそう語っていた。
「だからってわけじゃないが、おれはどんなに大事な奴が怪我をしても、笑っていってやるんだ。「次はしくじるなよ」って」
 無意識に、ヒロユキは自分の左手をもう片方の手で触っていた。まるで失ったものを懐かしむかのように。 
「・・・・わかったわ。アタシも、もう心配そうな顔はしない。シンジが起きたら、笑っていってあげるわ。今度はもっとちゃんとしなさい、ってね」
「そう、それでいい」
 ヒロユキはそう言って笑った。
 アスカは、心の霧が晴れたような思いだった。
 そして。
 ヒロユキの懐で携帯電話が存在を主張するかのように鳴り響いたのは、そんなときだった。


「シンジ君をエヴァに? そんなむちゃな!!」
 ミサトはリツコの話を全て聞き終わらないうちに、そう叫んでいた。
「彼の怪我は早くても全治三週間よ! ようやく手術も終わったばかりだっていうのに、そんなシンジ君をエヴァに乗せようって言うの!」
「仕方、無いでしょ。それしか方法がないのだから」
 ミサトの激昂を受け流すように、リツコはそう冷たく言い放った。仮面のように、無理に作った表情だった。
「私だって司令だって、可能であればシンジ君をエヴァになんか乗せたくないわ。はっきり言って、半死半生に近い彼を乗せたところで、戦力にはならないのだから」
「だったら・・・・」
「ただし、それはほかに有効な戦力があった場合の話」
 リツコはそう言って、ミサトの反論を封じた。
「今のパイロットで、シンジ君以上にエヴァとシンクロできて、シンジ君のように戦える人間はいないのよ。病院にいる人間は、高千穂二尉を通して手を回してもらっているわ。すぐに、迎えが行くはず」
「レイは・・・・まだ、六号機とシンクロできないの?」
「残念ながらね」
「葛城三佐、仕方がないのだよ」
「碇司令・・・・」
 ミサトは机の向こうに座るゲンドウを、半ば憎悪のこもったまなざしで見つめた。
 よりによって自分の息子をそこまで。
 その瞳はそう語っていたが、ゲンドウはそれを無視してさらに言葉をつないだ。
「全ては使徒の殲滅、そして委員会の排除が優先だ。それが終わってから、いくらでも罵倒は聞こう。いいかね、葛城三佐。この三日で我々が使徒を倒せなければ、今までの自衛隊やその他の苦労は無駄になるのだ」
「・・・・・・」
 少なくとも、罪の意識は感じているらしい。ゲンドウの言葉の裏から、ミサトはそう読みとった。
 結局、シンジ君にまた無理をさせるのね・・・・。
「・・・・わかりました。とにかく、エヴァで使徒を倒して、それから、ということですか」
「・・・・ああ」
 ミサトの言葉に、ゲンドウは言葉少なにうなずいた。


 甲高い音が一発、廊下に響きわたった。
「・・・・ずいぶん、元気になったものね」
 ミサトは殴られた頬を押さえようともせずに、アスカを見下ろした。
 ソファーに座ったまま、アスカはきっとミサトを見つめ返した。
「一体何を考えてるのよ! シンジは重傷なのよ! それをエヴァに乗せて、使徒と戦わせようだなんて!」
「仕方ないのよ。ほかに、方法がないんだもの」
「仕方がないですむ問題? いつもシンジシンジってみんなでシンジを頼って、こんな状態になっているシンジの力にまたすがろうって言うの!」
「エヴァは、シンジ君じゃなきゃ操れないのよ」
「ファーストはどうしたのよ! あの女が、まだいるじゃない!」
「レイは、新しい六号機とのシンクロが達成できていないのよ。初号期とのシンクロは無理だから、彼女は今、エヴァには乗ることができない」
「エヴァ以外の方法はないっていうの?」
「自衛隊は持てる力を全て使って使徒を迎撃したわ。でも、それでも殲滅は不可能だった。足を止めるので精一杯」
「そんな・・・・」
「使徒を滅ぼせるのは、使徒と同じ力を持ったエヴァのみ。悲しい現実だけどね」
「冗談じゃないわ! これ以上、シンジを酷使しないでよ!」
「・・・・私だって、シンジ君には苦労させたくないわ。アスカのことで、あんなにがんばってくれたんだもの・・・・」
 ミサトの表情が、苦痛にゆがんだ。アスカはそれをみて、ミサトも自分と同様に、シンジをエヴァに乗せたくないと言うことに気づいた。
「でも、使徒はこの第三新東京市に近づいてくる。好むと好まざるとに関わらずね。そして、私たちにはそれを防がなければいけない任務がある」
「怪我人に負わせるにはあまりに重いわよ!」
「そんなこと、わかってるわよ!」
 いらだたしげに、ミサトは靴先で廊下を蹴った。鈍い音がして、靴先に傷が付く。
 アスカはそんなミサトの様子を見つめていた。
 シンジを、エヴァに乗せる。
 シンジを、また戦いに行かせる。
 無謀だというのに。
 それなのに・・・・。
「・・・・わかったわ」
「じゃあ、シンジ君を・・・・」
「アタシが、行く」
 ミサトは、アスカの台詞を信じられない、という表情で受け取った。
「アタシが、使徒を迎撃するわ」
「何言ってるのよ! あなただって病人なのよ! しかも昨日やっと正気に戻ったばかりで・・・・」
「たしかに体は弱っているけど、怪我をしているわけじゃない。すくなくともシンジよりは、まともに動くことができる」
「それに・・・・アスカ、あなたエヴァとシンクロ、できるって言うの?」
 弐号機とのシンクロ率、ゼロ。その記憶が、アスカの脳裏にまざまざと蘇ってきた。
「言いたくはないけど、もう一度、あのエントリープラグに乗るのよ」
 忌まわしき思い出の詰まったエントリープラグに。
「・・・・それでも、シンジを、今の状態で戦わせるわけにはいかないもの」
 アスカはミサトを正面から見据えて、しばしの後そう言いきった。
「シンジはシンジにできることをした。だから、アタシはアタシにできることをする」
「でも、もしシンクロできなかったら・・・・」
「・・・・・・」
 その問いに、アスカは何も答えなかった。


『いい、アスカ』
 マイクを通して、リツコの声が響いてくる。
『グラフ深度はとりあえず最低レヴェルに押さえてあるから。今はとにかく、動かすことよりもエヴァとのシンクロを考えて』
「わかってるわよ、それくらい」
 内心の動揺を隠すために、アスカは強気な口調でリツコに言葉を返した。
 銀色に鈍く輝く円筒、エントリープラグ。そこに、アスカは座っていた。
 何カ月ぶりだろう。この閉じた世界に返ってきたのは。
 精神攻撃を受けた場所。シンクロすらできなかったあのときの思い。
 様々な考えが脳裏をよぎり、そのたびにここから逃げ出したくなる。
 でも。
 でも、逃げたら、それで終わり。
「逃げるわけには、いかないのよ」
『え?』
 そのつぶやきが聞こえたのだろう。リツコが、不思議そうに問い返してきた。
「なんでもないわ。時間がないんだから、早くやってよ」
『はいはい、いまからはじめるわよ』
『アスカ、聞こえる? 使徒は現在双子山防衛線まであと5キロに接近したわ。やり直しはきかないわよ』
 ミサトの声が、割り込むように回線に入ってきた。
「わかっているわよ」
『・・・・万が一のために、シンジ君にもここにきてもらってるから』
「わかった、わよ」
『・・・・がんばってね』
 そう言って、ミサトの通信はきれた。代わりに、
『LCL、注入開始』
 リツコの無機質な声が響き、同時に、足下に透明な液体がわき出してきた。
 逃げちゃ駄目よ。
 逃げちゃ駄目よ。
 アスカ、しっかりしなさい!!
 内心で自分を励ましながら、徐々に身体をLCLの海に浸していく。
 胸を越え、首を越え、やがて全身をつつみこまれて・・・・。
『A10神経、接続開始します』
『グラフ深度、変わらず。フェイズ1から2へ移行』
『シンクロ可能まで、あと0.9・・・・0.8・・・・0.6・・・・』
 上っていくグラフが、0.5を境にじりじりと弱っていく。
『0.45・・・・0.43・・・・0.39・・・・0.37・・・・0.36・・・・』
 数字を読み上げるマヤの声が、今のアスカにとっては死刑宣告を読み上げる声のように聞こえた。
 動いて。
 動いて。
 お願いだから動いて。
 今動いてくれなきゃ、アタシは本当に役立たずになってしまう。
 シンジの代わりに戦わなくちゃいけない。
 シンジに助けてもらった命を、無駄にしたくない。
 人形だなんて馬鹿にしていたけど・・・・。
 お願い、動いて・・・・!
『0.21・・・・0.15・・・・0.1・・・・起動レヴェル、クリア!』
 ・・・・ぽぉ、っと。
 エヴァ弐号機の瞳に、光がともった。
 同時に、アスカは自分が涙をこぼしていることに気づいた。
 内心で、ありがとう、とつぶやいていることも。
 暖かなイメージが、心に去来していた。
 懐かしい、懐かしいイメージ。
 ・・・・ママ?
 形のないそれは、アスカの言葉にまるでうなずくように答えを返してきた。
 よくがんばったわね。
 そう、語っているように感じた。
 ありがとう、助けてくれて。
 いままで、守ってくれていたのね。
 ・・・・でも、もう、大丈夫だから。
 アタシは、もう、大丈夫だから。
 みんながいる。みんなが、アタシを見ていてくれる。ミサトが、シンジが、いる。だから、ママ、もう、大丈夫だから・・・・。
 ほほえみを、感じた。アスカは、涙を拭わぬまま、それに答えを返した。
 もう、大丈夫・・・・だから・・・・。
 
 
「セカンドチルドレンの奪取に失敗。あまつさえ、その再戦力化を許すとはな」
「あのくずはあっさりと弐号機に破れおった」
「ネルフ内部のスパイ狩りも激しくなった」
「我々と使徒との関わりを知る那智をとらえられるとはな」
「この失態、あまりに痛いぞ」
「しかし、それでも我々がまだ有利なことには変わりない」
「そうだ。神の子は、彼らを優に凌駕する」
「そして・・・・」
「それを統べるモノも、我らの手の内に入った」
「セカンドチルドレンなど、アレに比べれば取るに足らんよ」
「まあ、よしとするべきか」
「むしろ、祝うべき時だよ、今日という日は」
「祝おうぞ」
「祝おうぞ」
「神の子の長の誕生を」
「救世主の、誕生を」




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