誰かが入ってきた。
何かを壊すような音が聞こえた。
しばらくの沈黙。
自分の体に、手がかかった。
抱き上げられ、担がれるような感じ。
アタシをどこかに連れて行く気なのね。
こんなアタシを、どうしようというのかしら。
でも、いいや。
そんなことに、興味はない。
誰にも必要とされない自分だもの。
アタシは、誰にも必要とされないもの。
使徒に負けた。
エヴァに乗れなくなった。
ママもいない。
誰もいないアタシだもの。
ママに見てほしかったのに。
みんなに見てほしかったのに。
誰かに見てほしかったのに。
もう、どうなったっていい。
なにもできず、ただ生き続けるだけの暮らしなんてもういい。
どうなったってかまわない。
そのほうが、アタシの世話なんかしなくて、シンジもいいだろうから。
・・・・もう、どうでもいいわ・・・・。
And live in the world forever
第7話:カードの表と裏
10:07 特別病棟303号室
がしゃん、と花瓶が割れる音が響いた。
シンジは目前の光景が信じられなかった。
室内は荒れている。椅子が倒れ、机の上のものが床に散乱している。ベッドの脇の医療機器から出ているコードが何本も引きちぎられており、そして、その機器で治療を受けていたアスカの姿は、どこにもなかった。
ほんの数分。山城が庭に様子を見に行き、シンジが花瓶の水を取り替えて戻ってくるまでの間の出来事だった。
「那智・・・・さん?」
この部屋の前でアスカを守っていたはずの男の名を、シンジは呼んだ。しかし応答はない。足元に、彼のサングラスが落ちていることに気づいて、シンジははっとなった。
アスカが、さらわれた・・・・!
『とある組織が、惣流・アスカ・ラングレーを拉致しようとしているらしい』
山城との会話が、脳裏に蘇る。
アスカが自分で部屋を出て行くわけがない。出て行くわけがないし、もし万一そうだったとしても、室内を荒らしていく理由がない。そして、この那智のサングラスが床に落ちていることからも、誰かが那智を排除した後、アスカを連れ去ったと考えるのが自然だろう。
あの、男の人なのか?
病室の窓をみあげていた男の顔を思い出し、シンジは戦慄した。
アスカをさらってどうするのか、そんな事は分からない。でもわかっていることは、おそらくエヴァがらみの内容であること、そしてそれがアスカにとって、つらいことであることだろうということだ。
「冗談じゃない! これ以上、アスカを道具として使おうだなんて!」
シンジは思わず激昂していた。目に見えないものへの怒りがふつふつと湧き起こってきた。
・・・しかし、ここで怒っていてもどうにもならない。
「なんとかしなくちゃ、なんとかしなくちゃ」
頭を一つ二つ振って、考えてみた。
数分。ほんの数分だ。
まだ、アスカをさらった相手は遠くへ行ってはいないだろう。
どこへ行ったか? 給湯室のある廊下では、誰ともすれ違わなかった。とすれば、逆の方向。あっちは・・・・階段を降りて裏口へ抜けることができる・・・・。
「裏口から、公園を抜ければ地上への直通エレベータ・・・・!」
ジオフロントの内部であれば、まだネルフの力では捜索できる。でも、地上にあがられたらもう、無理だ。
急がないと!
シンジは踵を返すと、勢いよく病室の扉を開けて廊下に飛び出した。そのまま裏口へと続く階段を駆け降りていったが、
プルルルルッ・・・。
懐の携帯電話が、存在感を示すかのようにコール音をあげた。
一瞬、電源を切ってしまおうかとも考えたが、思い直してボタンを押す。無論、走る速度はそのままである。
「もしもし!」
「シンジ君? アタシ、ミサトよ」
「ミサトさん?」
シンジは安堵のため息を吐いた。アスカのことがミサトさんの耳に入ったのだろう。ジオフロントの入り口を封鎖してもらって、それから捜索すれば、まだ間に合うかもしれない・・・。
しかし、ミサトの次の言葉はシンジの予想に反したものだった。
「悪いけど、今からすぐに本部に来てほしいの。使徒が、現れたわ」
「使徒!? ・・・・ちょっと待ってください! いまからですか!」
「そうよ、緊急なの。迎えの車はそっちに出したから」
「待ってください、アスカが、アスカが・・・・」
「アスカが? アスカがどうしたの?」
電話の向こうで、ミサトが不思議そうに問い返してきた。
「アスカがいないんです! さっき、諜報部の人が「アスカを拉致しようとしている計画がある」って言っていて、それでちょっと目を離したすきに・・・・」
受話器を握っていない左手を、シンジは後悔のあまり握り締めた。自分がもっと危機感を持っていれば。他人に任せないで、側についていてあげれば。
「なんですって!」
ミサトは、シンジの言葉に思わず叫んでいた。シンジはそれにかまわず、言葉を継いだ。
「まだアスカは遠くには行っていないはずです。ですから、僕、アスカを探さないと。連れ戻さないと!」
シンジは、いつのまにか立ち止まっていた足を再び動かしかけた。
「ちょっと待ちなさい、シンジ君!」
「なんですか!」
「アスカの捜索は諜報部に任せて、シンジ君はこっちに戻ってきて」
「な・・・・どうしてですか!」
シンジはミサトのその言葉に、納得いかないとばかりに噛み付いた。しかしミサトは、先ほどの驚愕から一転して冷静にそれに答える。
「アスカの捜索は、諜報部でもできること・・・・いえ、なまじ素人のシンジ君じゃ、やるだけかえって無駄でしかないわ。でも、使徒を迎え撃つエヴァのパイロットはあなたしかいないの。わかるでしょ? シンジ君、だから戻ってきなさい」
「・・・・そんな・・・・」
「諜報部のほうにはわたしが連絡を入れておく。必ず、アスカを見つけさせるから。だから」
シンジは、ミサトの言葉が正しいことが分かっていた。自分が探し回ったって、アスカが見つかる可能性は低い。むしろ相手が不明な分。諜報部に任せたほうが可能性としては高いだろう。
でも。
それでも、自分は今さっきまで走っていた。
アスカを探して、走っていた。
それはなぜだ?
なんで、あの部屋で山城を待たずに、自分は走っていたんだ?
今自分がやらなきゃいけないことは、何だろう?
シンジは考えていた。
考えていた。
・・・・誰も強制はしない。自分で考え、自分で行動しろ。後悔のないようにな・・・・。
加持リョウジの言葉が、ふっと脳裏をかすめる。
「病院の正門に車がもうすぐ着くから、それに乗って・・・・」
「・・・・いやです」
「シンジ君?」
「駄目です、やっぱり、アスカをそのままにしてエヴァになんか乗れません!」
「何言ってるのよ。シンジ君!」
「僕は一度、アスカを助けることができませんでした。それで、ものすごく後悔しました」
精神攻撃を受けたアスカ。それを助けることのできなかった自分。凍結命令。動かせないエヴァの中で、ただ単に見ているだけしかできなかったあの苦しみの時間。
「あれは司令の命令があったからじゃない。しかたなかったのよ」
「そうかもしれません。父さんの命令があったから。そう言えますよね。だったら、いえ、だからこそ、今回はもう後悔したくないんですよ。アスカにはもう誰もいないんです。僕しかいないんですよ!」
病院のベッドのアスカ。すごくさびしそうだった。一人で医療器具に拘束されて。話し相手もなく、心も閉ざしてしまって。
「これ以上、アスカをひどい目に合わせたくないから、だから僕はアスカを探します! 他人に任せないで、僕自身の手で!」
「シンジ君、ちょっと待ちなさい! 命令違反よ! それでもいいの!」
「かまいません。あとで独房に閉じ込めるなり殴り倒すなり、なんでもしてください」
断固とした決意。シンジはそれだけ言うと、通話終了のボタンを押し込んだ。
「待ちなさいシン・・・・ブツッ」
ミサトさんの怒鳴り声が、最後に途切れた。
「ごめんなさい、ミサトさん。でも・・・・」
この場にいない相手に、謝るように瞑目する。
・・・・と。
一度、二度。
静まり返る空気を切り裂くように、銃声が響き渡った。
病院の裏口、その先のほうだった。
「・・・・アスカ!?」
その音に、シンジははじかれたように走り出した。
光を切り取ったかのような出口。そこを飛び出すと、一瞬強烈な光が目を焼く。
わずかに目を閉じて、徐々に目が慣れるのを待つ。
そして、シンジは見た。
10:14 ネルフ本部
むなしく空電を響かせる携帯電話を片手に、ミサトは呆然としていた。
「シンジ君・・・・」
今までの彼からは想像もできないことだった。
自分の意志を通すために、あそこまで激しく声を荒げるなんて。
「護衛艦隊旗艦『かが』加藤海将補より通信。『我が艦隊は戦力の35パーセントを喪失』」
「小松レーダーサイトより、目標は依然侵攻中とのこと。予想される上陸地点。旧若狭湾」
「陸自中部方面本部より入電。『当方の迎撃準備よろし』」
「航空自衛隊、依然沈黙」
「戦自幕僚本部より具申。重装甲戦闘機の発進許可求めています」
「護衛艦隊に撤退許可を。陸上・戦略自衛隊はそのまま待機。まだ動かさないで」
シンジ君が・・・・いや、エヴァがいないと、何をしてもすべては無駄になってしまう。
何とかして彼を連れ戻さないと・・・・そのためにはまだ時間が必要だわ。
護衛艦隊はすでに無理。陸自の五式重戦車と戦自の重戦闘機の火力が通用しないのは、今までの使徒との戦闘で痛いほどわかっている・・・・どうすれば、いいのかしら・・・。
拳を握る力が、ぐっと強まった。
私たちは、ここまでエヴァに頼らなければ何もできないの?
シンジ君がいなくちゃ、なにもできないというの?
「葛城三佐」
と、日向マコトが当惑した様子で、ヘッドマイクをはずしてミサトのほうを振り向いた。
「航空自衛隊から、陸自の沿岸防衛ラインを下げろと要請が来ています」
「え?」
「理由はよく分からないのですが、『巻き込まれたら迷惑するのはこっちだ』と」
「誰がそう言ってきているの?」
「さあ・・・・利根一佐、と相手は名乗っていますが」
「利根・・・・聞いたことのない名前ね。いいわ、回線、こっちにまわして」
「はい」
ミサトはそういって、近くのヘッドマイクを耳に当てた。
「作戦本部長、葛城三佐です」
「こちらは航空自衛隊「とーる」部隊指揮官・利根一佐です」
マイクの向こうから聞こえてきたのは、予想に反してやわらかな口調の声だった。
「陸自の防衛ラインを下げろとはどういうことです?」
「当方はこれから使徒に対して攻撃をかけます。それの巻き添えになられると、陸自としても非常にお困りでしょうから」
「攻撃って・・・・」
「あなたの目的が、おそらくエヴァンゲリオンという例の兵器を目標にぶつけるための時間稼ぎ・捨て駒であること、それはわかっています。悔しいことですが、われわれ自衛隊の力ではあれには勝つことができない」
ずばり、利根一佐はそう言いきった。ミサトは内心の動揺を悟られないように、努めて冷静な声で応じる。
「そうおっしゃる根拠が小官には理解できませんが・・・・」
「今までの戦闘の結果を見れば、いわずもがなですよ。われわれの火力は、使徒に対してあまりに貧弱すぎますから」
「ならばなぜ、今になって攻撃を? あなたがたにとってはいたずらな予算の浪費と、何にも増してそういう役割を押し付けられる屈辱感があるでしょう。軍隊でないネルフの捨て駒になるという」
「われわれは自衛隊です。国土と、そしてそこに住む人々を守ることがまず第一にあります。そのためには、面子だなんだといってはいられません・・・・それに」
「それに?」
「先ほども申し上げました。われわれは「とーる」部隊なのですよ」
「・・・・・?」
ミサトには、相手の言っていることがよく分からなかった。
「使徒はあと1時間ほどで上陸します。それを引き伸ばすことができるのは、いまの自衛隊ではわれわれしかいないのです」
そこまで言い切る自信が、ミサトには理解できなかった。
「どちらにしろ、防衛ラインがあってもわれわれは攻撃を開始します。その被害を押さえるかどうかは、あなた次第です」
はったりだろう。ミサトはそう判断した。自衛隊が互いに傷つけあうような攻撃をするわけがない。
しかし・・・・。
「わかりました。日向君。陸自の防衛ラインを至急下げさせて。30・・・いえ、20分以内に」
「あ、りょ、了解です」
「ご協力、感謝します」
「こちらこそ。そこまで言ったからには、確実に使徒の足、止めてもらいますよ」
「ははっ、わかっていますよ。では」
そういって、通信は切れた。
後には、相変わらず難しい表情のミサトが残された。
あの男・・・・利根という人間を信用できるかどうかはわからない。
でも、シンジ君が帰ってくるまでの間くらい、時間を稼がないと・・・。
同時刻 ジオフロントエレベータ前
その人物は、どこかを走っているようだった。
からだにその衝撃が伝わってくる。
背中が暖かいのは、屋外に出たからだろう。
久しぶりの日の光。
・・・・だから、なんだっていうのかしらね。
ぼんやりと、そんな事を考えていた。
どこに行くんだろう。まだ、病院を出てそんなにたっていないから。
というか、なにをするつもりなんだろう。
・・・ま、いいか。
心を閉ざしてしまえば・・・・。
自分の殻にとどまっていれば、何も感じない。
傷つかない。傷つけない。
今の自分のままでいられる。
もう、アタシには何もないから失うものなどはないけど。でも、それでもまた傷つくのはいや。傷つくくらいなら、今のほうがいい。
でも・・・・。
そこまで考えたとき、不意に自分を担いでいる男の動きが止まったことに気づいた。
「やっと、追いついた」
そんな声が聞こえた。
「さっきはまんまとしてやられたが、今度はそうは行かんぞ」
「この女をむざむざ奪われて、その台詞はかなり笑える。おかしい。おかしすぎる」
「おかしいのはおまえの存在自体だ。ゼーレのスパイでありながら、ネルフに所属しているというおまえの存在がな」
ゼーレ・・・・。
アタシを連れて行く先は、ゼーレなの?
一体何のために・・・・そうか、やっぱり、エヴァなのね。
アタシは、エヴァがないと誰に必要とされないのね。
・・・・・やっぱり・・・・。
「はっ、加持リョウジも、ゼーレのスパイだった。あの男も、同じなのさ」
加持さん・・・・そういえば、どうしているんだろう。
しばらく姿を見なかった・・・・アタシの見舞いにも来てくれなかった・・・・。
加持さんも、やっぱりエヴァに乗れないアタシなんか、どうでもいいのね。
「おまえとこんな話をするつもりはない」
「それはこっちも同じさ。彼女を、返してもらおう」
「それができれば苦労はしないさ」
「無理矢理でも返してもらう」
「できるものなら、やってみな」
「そうさせてもらうよ。できれば抵抗してもらいたくないのだがな」
その無味乾燥の会話が、アスカの耳を右から左へ通り抜けて。
不意に響いたのが、銃声だった。
宙をふわりと浮くような感覚。
一瞬の後、アスカは自分が地面に叩き付けられているのを理解した。
「ぐっ・・・・」
背中から落ちたらしい。一瞬、呼吸が詰まるような痛みが全身に走る。
まだ、痛みを感じるのね。
アスカは、自嘲気味に笑った。
「高千穂二尉、那智三尉!!」
現場に駆けつけた山城が見たのは、倒れたアスカをかばうように立っている那智と、衣服の右肩を血に染めて片膝をついているヒロユキの姿だった。
やはり、そうだったか。
山城の胸を去来したのは、まずそれだった。
できればそうあってほしくなかった。ヒロユキがゼーレのスパイだったなどと。
態度は悪い。独断専行。あるいみ扱いづらい部下だったが、それでもその能力はずば抜けていたから。
羽黒たち二人がああいう風になったのをみつけた後でも、どうか間違いであってくれ、と心のどこかで願っていた。
しかし、予想は最悪の結果となって自分の目前にある。
自分は、かつての部下を処断しなければいけない。
それでも・・・・それが、今の自分のすべきことなのだから。
「那智三尉、大丈夫か」
「あ、は、はい」
山城の言葉に、那智は言葉すくなに答えた。ヒロユキを追いかけてきたせいだろうか。息が弾んでいる。
「・・・・高千穂二尉」
山城は那智の無事を確認すると、 やおらヒロユキのほうに向き直った。
「こういうかたちで顔を合わせることになろうとは、残念だ。非常に、残念だよ」
「非常に・・・・恐縮です・・・・つうっ!」
肩口の傷が痛むのか、ヒロユキは多きく息をついた。
「君がこういう行動をとらなければ、よかったのだがな」
「仕方がないです。それが、私のすべきことなのですから」
「君はネルフ本部に連行される。そこでどうされるかは、よく知っているだろう」
「まあ、それは知っていますよ。ワタシだって諜報部の人間ですから」
「・・・・何か、いいたいことはあるか」
「何か言った所で、この状況では信じてはくれないでしょう。あとで、すべてが分かります」
「・・・ならば、いい。那智三尉。高千穂・・・・この男を、連行してくれ」
「三佐は?」
「わたしは、彼女を病室に連れて帰る」
「・・・・了解しました」
淡々と、那智はそう返事をした。そして、ヒロユキにむかって銃を構えて命令する。
「さあ、立て」
シンジが銃声のした現場にたどり着いたとき、そこではすべてが終わりかけていた。
山城が、アスカを抱きかかえて立っていた。
那智が、あの窓辺からみつけた男を立ち上がらせていた。右手に、銃を構えている。
「山城さん!」
「ああ、シンジ君か。ご覧のとおり、無事、お姫様は取り戻したよ」
山城がにこり、とわらった。無骨な笑みだが、それがシンジには親しみ深いものに見えた。
「彼は・・・・」
「ああ、高千穂二尉のことか」
一瞬、山城の視線が曇った。
ちらりと、背後に視線を走らせる。那智が、ヒロユキを本部にむけて歩かせていく所だった。山城の視線に気づいたのか、那智が構えていた銃を持ち直し、速く歩けというふうに身振りで示す。
「私の昔の部下だよ。いいやつだったんだが、非常に残念だ・・・・やはりあいつも、加持とおなじように・・・・スパイだったとは・・・・」
加持さん?
その名を聞いたとき、二人の人物が一つにつながった。
始めてみたときの何か引き付けられる感じ。あれは、加持さんにどこか似ていたからだ。
雰囲気というか、もっているものが。
そんな人が・・・・本当に、アスカを連れ去るんだろうか。
アスカのような、自分の殻に閉じこもっちゃった人を・・・・。
「さあ、彼女を連れて行こう」
そういって、山城が先に立って病院に向かって歩き出した。
シンジはそれについていこうとしたが、どうしてもそのことが気になっていた。気になって仕方がなかった。
もう一度、もう一度だけ。
そう思って、振り向いてみた。
そして。
「あぶない!」
思わず、そう叫んでいた。
一瞬の後、再び、銃声が響いた。
「あぶない!」
シンジのその声を聞いて、山城は振り返った。
同時に銃声が響き、ヒロユキが倒れる瞬間を見た。
那智の持っている銃から、白煙がたなびいている。シンジが、信じられないものを見た、という風に呆然としていた。
「どうした、那智三尉!」
「あ、そ、その・・・・」
しどろもどろに、那智がその問いに答えようとする。
「この男が・・・・いきなり逃げようとしたので・・・・とっさに・・・・」
「な・・・・」
先ほどのヒロユキの態度からは、抵抗しようという雰囲気が感じられなかった。だから、あえて拘束するということをしなかった。それが、裏目に出たのだろうか。
それでも、銃を撃つとは・・・・。
後悔。殺したくなかった。山城の胸を、そんな思いが駆け抜けていった。
しかし。
「・・・・ちがうんです」
シンジが、ぼそり、とそうつぶやいた。
「違うんです! あの人は逃げようとしたんじゃない!」
「・・・・シンジ君」
「違うんですよ!」
「シンジ君、落ち着くんだ! そりゃ人が目の前で撃たれたのを見て動転するのはわかる。でも・・・・」
「違います! 那智さんが、前を歩いているあの人にいきなり引き金を引こうとしたんです!」
「・・・・なに?」
一瞬、自分の耳が信じられなかった。
どういうことだ?
いったい、どういうことなんだ?
「那智三尉、これはいったい、どういうつもりだ?」
「あ、いや・・・・」
「私は、「この男を本部に連行しろ」と言った。抵抗したり逃げようとすれば撃つのもやむをえないだろう。しかし、無抵抗な場合でも撃って言い、とは言っていないぞ」
「・・・・それは・・・・」
一瞬、那智の顔に複雑な表情が浮かんでいた。
「なぜ、彼を撃つ必要がある?」
「・・・・・・」
「那智三尉!」
「・・・・ふうっ」
那智は、ため息をついた。そして、ちいさく笑った。
「しかたない、か。見つかることはない、と思ったのだけどな」
そして、おろしていた銃を再び構える。今度は、山城に向けて。
「サードチルドレンに見られたのは時期が悪かった。もう少し早く、それかもう少し遅く、やっていればよかったのだが」
「・・・なに?」
「なぜ彼を撃つ必要があるのか、って? それは決まっているじゃないですか。この男を本部に連れて行かれると、非常にまずいからですよ。山城三佐」
「な、何を言っているんだ?」
「まだ、わからないのですか?」
那智はそういって、唇の端を釣り上げた。それは、酷薄な笑いだった。
「私が、あなたのいうゼーレのスパイだからですよ」
「・・・・!」
「カードのペテンは、ばれては元も子もないですからね。摩り替えたカードは、消してしまうのが一番ですから」
「ふっ・・・・ようやく、カードをめくったな・・・・」
「高千穂二尉!」
那智の足元で、ヒロユキがうめくようにそうつぶやいた。
「大丈夫ですか!」
シンジがその側に駆け寄ろうとして、足を止める。那智の銃が、自分に向けられたからだ。
「ああ、君のおかげでね・・・・頬を掠った程度ですんだよ・・・・しかしまあ、裏に伏せておけば、どれがジョーカーかわからない・・・・そこに、ペテンを仕込むとは・・・・おまえさん、なかなかやるよ」
「あなたほどの人にお褒めいただき、感謝、と言うべきかな」
そう言って、那智はヒロユキを見下ろして恭しく一礼した。
「できれば穏便に済ませろ、との命令でしたけどね。仕方がない。高千穂二尉だけでは、どうもすまなくなったようで」
かちり、と銃を構え直す。
「サードチルドレンも、連れて行くとするか。そして山城三佐・・・・」
ゆっくりと、指に力がこもる。
「あなたには、死んでいただくしかない」
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