「碇、おまえにしては珍しいことをする。セカンドチルドレンの奪取を阻止しようとするなどとはな」
「どういう意味だ」
「一度奪わせて、それを理由に相手を叩きのめす。その際、奪われたものが無事戻らずとも気にしないのが、以前のおまえだっただろうに」
「そうかもしれんな」
「戦力としてのセカンドチルドレンはゼロに等しい。それでもなお、貴重な情報源の漏れを覚悟してまで、守る価値があるというのか」
「そう言う考え方こそ、以前のあなたならしなかったでしょう、冬月先生」
「皮肉ならよしてくれ。冬月先生、か。その呼称はとうの昔に捨てたよ。おまえの脇に立つようになった日からな」
「ゼロに等しい、はゼロではない。実働戦力として今はゼロでも、将来的に回復するかも知れない、という希望は相手にとっての脅威になる。そう言う意味で、セカンドチルドレンは必要だ」
「・・・・息子の気持ちを踏みにじりたくない、という要素はないのか?」
「どういう意味だ」
「シンジ君は足繁く病室に通っているそうじゃないか。それを踏みにじるのがイヤだ、と正直には言えないのか」
「何のことか、わからんな」
「本気で言っているのか?」
「私は、我慢ならないのだよ」
「・・・・・・」
「あの老人達に、勝利の祝杯をあげさせるのがな」
「・・・・・・」
「だから阻止する。それだけのことだ」
「・・・・まあ、いい。心の内の思いは、その本人にしかわからんことだからな」
And live in the world forever
第6話:守るべきものの価値
9:55 303病室
シンジは、自分の心臓が今にも飛び出すのではないかと思ってしまった。
閉じられたカーテン。そこに寄りかかっている自らの身体。
心臓がまだどきどきしている。
かろうじて、口の端から言葉が漏れ出た。
「・・・・だれ・・・?」
視線を感じたのは、偶然だった。
毎日の日課。花瓶の水を替えるために、それが置かれている窓際の机に近づいた。
ちくちくという感じ。何だろうと振り返った先に。
その人物はいた。
身長は180センチほど。体格の良くなってきている日本人とはいえ、その高さはずば抜けている。
そして青いYシャツに銀色のネクタイ。だらしなく着崩した格好が、どこか得体の知れない様子を感じさせていた。
・・・・それだけならば、シンジは今のように怖がらなかった。
交錯した視線。
その奥に、「何か」を感じた。
懐かしい感じ。しかし、本当に懐かしいのか分からない。
怖い感じ。しかし、本当に怖いのか分からない。
吸い込まれていきそうなその瞳の色。それが、自分を見据えてにやり、と笑ったような気がした。
我知らず、カーテンを閉じて窓に背を預けていた。
「一体、何なんだ・・・・」
よく分からない。
この部屋を見上げていたのは偶然なんだろうか。
自分と視線があったのも、笑ったように思えたのも、全部僕の勝手な思いこみなんだろうか。
「・・・・でも」
何か気になる。
シンジの脳裏に、その瞳の色が焼き付いて離れなかった。
9:57 303病棟外・廊下
「碇、シンジ君だね」
病室から花瓶を持って出てきたシンジに、男はそう声をかけた。
その声に、シンジはびくっと肩を震わせる。男の方を振り返った視線は、怯えと警戒の色にあふれていた。
「おっと、そう不審そうな顔をしなくてもいい。私は諜報部の人間で、ここの警備責任者なんだ」
そういって、ポケットからIDカードを取り出してシンジに見せる。
『山城 アキノリ』
ぶっきらぼうな表情を浮かべた写真の横に、そんな名前が書かれていた。
「一度、君たちと話がしたくてね・・・もっとも、彼女のほうはまだ難しいかも知れないが」
ちらりと一瞬、シンジの出てきた病室の方を山城は見る。
「アスカのこと・・・・知ってるんですか?」
「今言ったじゃないか。私はここの警備責任者だ。無論、彼女や君のこともある程度は知っているさ・・・・失礼だが、君たちはもう少し自分の立場を知った方がいいよ。ああ、よければ座らないかね」
シンジは、その言葉に虚をつかれた。
カヲル君と、似たような言葉遣い・・・。
「未成年の前だけど、失礼するよ」
山城は呆然と自分を見つめるシンジを無視するように、ポケットから煙草を取り出し、手慣れたしぐさで火を付ける。
胸一杯に吸い込んだ紫煙をあたりに吐き出すと、視界が一瞬、白くかげった。
「どうかしたかい? 俺の顔になにかついているかね?」
うまそうに煙草をくゆらせる山城のその言葉で、シンジははっと我に返った。
「あ、いえ、なんでもないです」
「そうか、ならいい」
そう言って、山城は火を付けたばかりの煙草をすぐにもみ消してしまう。
「・・・・もったいなく、ないんですか?」
「ん、ああ、このことかね?」
吸い殻に投げ込んだ煙草を見つめるシンジ。それに対し、「まあ、他人から見れば贅沢かもしれないがね」とばかりに山城はにやりと笑い、新たな一本を取り出す。
「私は煙草がキライでね」
はあ? という顔を、シンジは浮かべた。
煙草を嫌いな人間が、なんでそれを吸っているんだ? と。
「煙草が嫌いで嫌いでしょうがない。だから、その煙草を地球上から絶滅させるべく、こうして日夜吸い続けているのさ」
「・・・・なんか、ずいぶんとめちゃくちゃな論理ですね」
「言葉の使い方なんて、そんなものさ」
口の端に小さく笑みを浮かべ、山城は煙草に火をともす。
「所詮ネルフだ何だと言っても、自分自身を正当化するために言葉を粉飾している。やっていることはどちらも大してかわらんさ」
「・・・・自分の組織を否定するんですか?」
「はははっ、そんなつもりはないさ。言葉のあやってやつさ」
またも煙草をもみ消して、山城はいささか居住まいをただした。
「ただ、まあやっていることはたいして変わらないだろう(ここには憶測も混じっているがね)けど、少なくとも私は、いまの組織で自分のやっていることに誇りをもっている。だからこそ与えられた任務をこなし、あるいは死ぬかも知れない仕事をするのさ」
「・・・独裁者が聞いたら涙して喜びそうな台詞ですね」
「まあ、軍人なんているのは多かれ少なかれそんなものさ。ただ、誇りをもっているが故に、それを譲るつもりはさらさらない。わかるかい?」
「・・・・なんとなく、分かる気はします」
「仕事だけではない。自分の中でもっている一番大切なもの。それを守るためには、私はどんなことでもやるつもりだ。これも、わかるね」
「・・・・他の人が不幸になっても?」
「じゃあ逆に聞くが、碇シンジ君、君だったらどうする?」
視線をシンジの瞳に据えて、山城は小さく微笑むように問いかけた。
シンジはなぜか、その目から視線を外すことができなかった。
さっきの男とは違った意味で、山城の瞳に吸い付けられるように視線が向いていた。
「人は所詮、利己的な生き物だ。自分がかわいい。自分が幸せになりたい。そのために他人が必要であれば利用し、そうでなければ排除する。自分ひとりの世界を望む人もいれば、みんなと一緒に過ごす世界を渇望する人もいる」
「・・・・・・」
「しかし、人はひとりで生きるにはあまりに弱いから、自分の欲望を押さえる事で共存を図る。でも、どうしても譲れない一線というのも、確かに存在するんだよ」
「譲れない一線・・・・」
「それを譲る事は、自分自身を否定する事だからな。私はだから、自分自身の大切なもの、譲れないものを守るためには、どんなことでもやる、ということさ」
山城は新たな煙草に灯を点し、小さく笑みを浮かべた。
「たとえ、それが世間一般からいう悪であったとしても、だよ」
「・・・・・・」
「碇シンジ君」
唐突に名前を呼ばれ、シンジははっと顔を上げた。
「君には、そういう譲れないもの、何かを犠牲にしても守り続けたいものは、ないのかい?」
「・・・・それは・・・・今までは、ありませんでした・・・・」
「『今までは』?」
「・・・・いえ、ちがいます。確かに、ありました」
右手を握り締め、開き、そしてシンジは語り始めた。
どうしてこんなことを話しているのだろう。まったく見知らぬ人、初めて会った人だというのに。
「今までのぼくは、周りの人に嫌われたくない、という一線がありました。だから、そのためには自分を犠牲にして、いい子でいよう、目立たずにいよう、としていましたから」
「目立ってしまうと、誰かに嫌われるから? 自分の意志を出すと、反対されるかもしれなかったから?」
「多分、そうだと思います。もしかしたら嫌われる事はなかったかもしれませんけど、でも、そうなったときの事を考えてしまって、僕はそういう風に生きていくように自分を押さえていたんだと、思います」
「ふむ・・・・」
山城は興味深げな表情で、シンジの顔を見据えている。シンジはそれにたいし、目をそらす事なく、話を続けている。
「でも、今は・・・・それが自分の譲れない一線じゃ、ないです」
「と、いうと?」
「みんなと一緒にいたい。みんなが不幸になってほしくない。みんなが、笑って生きて行けるような世界であってほしい、そう思うようになったんです」
トウジ・ケンスケ・ヒカリ・マヤ・シゲル・マコト・ミサト・リツコ・・・父さん・・・・綾波・・・・アスカ・・・・。
仲間たちの顔が、シンジの脳裏に浮かんでは消えていく。EVAに乗る事で知合った人たち。大切な人たち。
「だれも、もう悲しい思いをしてほしくないんです」
「なるほど、ね」
山城は語り終えたシンジをじっと見詰めると、やおら口を開いた。
「その覚悟を確かめる意味で聞いてみるが・・・・」
「はい?」
「もし君の望む幸せを私が奪おうとしたら、君はどうする? 私と、敵味方の関係になることを受け入れられるかい?」
「それは・・・・」
驚きの表情で、シンジは山城の顔を見直した。冗談で言っているのか。それとも本気なのか。
シンジはこの短い会話の中で、山城という人間に好意に近いものを抱いていた。しかし、その彼を敵に回す、という事ができるのかどうか・・・・。
「何かを切り捨てる事が、君にはできるかい?」
「・・・・」
無言。シンジはしばし、声を詰まらせる。右の掌が、何度となく握り締められ、そして開かれる。
やがて、シンジはその拳をぎゅっと握り締めると、
「・・・・どうしてもというのなら」
かろうじて、そう言いきった。
そして山城は、その返事にたいし、満面の笑みを浮かべてこたえた。
「なかなか、いい覚悟だ。そこまで考えているのなら、まあ、ひどい事にはならないだろうな」
「・・・・どういう、意味ですか?」
「実は、私がここにいるには訳があってね」
そういえば、とシンジは気づいた。
山城は自分の事を、「ここの警備責任者」だと言った。警備のためだけなら、そこの責任者などかがわざわざ出てくる必要はない。
「これはさる筋から入った情報なのだが、とある組織が、303号室の患者・・・・セカンドチルドレン・惣流・アスカ・ラングレーを拉致しようとしているらしい」
「アスカを・・・!」
「そうだ。セカンドチルドレンは療養中とはいえ、ネルフにとって重要人物。それを拉致しようというのは由々しき事態だからこそ、私が内々にでてきたわけだ」
「そんな・・・・どうして・・・・」
シンジは、山城の言葉にショックを受けていた。
アスカが、あんなふうになったのも戦いのせいだった。使徒との戦い。その中でアスカは傷つき、そして精神を病んでしまった。今の僕たちがアスカにできる事は、再び元気になるように見守っている事。そして、そっとしておいてあげる事。
それなのに。
自分でも何か分からない気持ちが、シンジの中で沸き上ってきた。ともすれば押さえる事のできない思い。怒り、と形容するのが最も適当なのかもしれない。アスカを再び騒乱の渦へと巻き込もうとする相手への怒りを、シンジは抱いていた。
そして、山城は・・・・。
「・・・・・・」
そんなシンジを、羨望とも哀れみともつかない表情で眺めていた。その心のうちは、誰にもわからない。
「それでだ、何か、気づいた事はないかね?」
「なにか、って?」
「彼女の周りに何か不審な事はなかったか。怪しいものや人を見なかったか。どんな些細な事でもいい」
「いえ、別に何も・・・・」
といいかけて、ふとシンジの頭の中を、さっきの青年の影がよぎった。
「そういえばさっき、窓の下で男の人がアスカの病室を見上げていたんですけど・・・・あれって、山城さんの部下か誰かなんですか?」
「男が病室を見上げていたって? それはおかしいな。私の部下は、今日は一人しか連れてきていないし、そいつも今は病院の警備室に行っていたはず・・・」
「三佐!」
いぶかしげな表情で言葉をつないだ山城の耳に、廊下を駆けてくる那智二尉の声が届いた。
「警備担当者の話を聞いてきましたが、過去24時間以内に病棟内に異常はないそう・・・・」
「那智二尉、さっき、庭に出たか?」
山城は那智の言葉を遮り、言葉すくなにそうたずねた。たずねられたほうは、意外なことを聞いたかのように表情が微妙に動いた。
「は? 庭に、ですか? いえ、私はずっと警備室のほうにおりましたが・・・」
「この人じゃないです、アスカの病室を見上げていたのは」
那智の顔を見て、シンジがそう言葉を添えた。
「ふむ、そいつはおかしいな・・・・」
「三佐、もしかして・・・・彼では・・・・」
「何?」
「実は、羽黒、足柄たちからの定時連絡が途絶えています」
「どこが、最後だ?」
「はい、ジオフロントE-013階層。この隣のブロックです」
10:04 中庭
「最近の諜報部はずいぶんと役立たずぞろいだな」
そう言って、ヒロユキは両手についた埃を叩き落とした。
彼の足元、いささかくたびれた感じの靴のすぐ先に、二人の人間が横たわっている。一人は完全に気を失っており、もう一人も意識が朦朧としているのだろう、瞳の焦点があっていない。
「二人がかりで目標一つ押さえ切れないようじゃ、お先が知れるってもんだ。俺と加持なら、そんなヘマはなかったぞ」
「うう・・・・」
羽黒三尉は、ヒロユキのそんな声に小さくのろいのうめきをあげた。
「貴様・・・・やはりわれわれの思っていたとおりだった・・・・」
「ご期待にそえたようで恐悦至極」
おどけたそぶりでそれに対してみる。そんなヒロユキの顔に向かって、羽黒は残された気力を振り絞ってこう罵った。
「貴様も加持リョウジと同じだ。ゼーレのスパイめ・・・・!!」
後頭部に鈍い一撃。
さらに何かしゃべろうとしていた羽黒が気絶するのを確認して、ヒロユキは彼らを植木の茂みの中に隠した。
「ゼーレのスパイか・・・・物事を一つの方向から見ると、視野が狭くなるというが・・・こいつはまさにそれだな」
ヒロユキは苦笑いを浮かべ、そしてその場を足早に離れる。
「さて、早いとこ仕事を済ませちまうか」
同時刻 ネルフ本部司令塔
けたたましいサイレンが、鳴り響いている。
「航空自衛隊小松レーダーサイトより入電。日本海若狭湾沖に正体不明の目標を発見」
「舞鶴管区海上保安本部より通達。哨戒活動中の巡視船『しまづ』より、「目標ハ船舶ニアラズ」とのこと」
「波長パターン照合。パターン青! 使徒です!」
伊吹マヤ、日向マコト、青葉シゲルのキーを叩く速度が、目標の識別とともに加速度的に上がっていく。
「目標の第三新東京市到達は8時間後の模様」
「エヴァ発進準備完了までの時間は?」
ミサトの問いに、マコトが間髪入れずに答えを返す。
「初号機は現在整備中。4時間後に発進可能です」
「水際で叩くか、懐に誘い込むか・・・・」
ミサトは親指を噛みながら小さくつぶやいた。
現在、第三新東京市は戦闘態勢に著しい支障をきたしている。
零号機の自爆以降、復旧は徐々に進んでいるものの、第18使徒の出現以来、工事は遅々として進んでいない。人類補完委員会が予算の拠出を全面的に拒否しているためである。
その理由を知らない職員はそれを何かしらの原因による一時的なものと受け止めていたが、委員会の目的がネルフの機能・権限の剥奪にあるということを察しているミサトにとっては、人的・物的被害は極力押さえたいところだ。
「水際での殲滅は時間的には難しい・・・・となると、第三新東京市の外、どこかの地域での戦闘か・・・・」
それにしても、時間が足りない。シンジ君を呼び出して、エヴァを輸送するには、まだ時間を稼がねばならない・・・。
「陸・海・空および戦略の各自衛隊に命令。いかなる手段を用いても、目標の上陸時間を極力引き延ばすように」
これでまた、何十・何百の自衛隊関係者からは使徒よりも憎らしい存在として思われるわね。
ミサトはそう軽く苦笑いした。ある意味では、使徒よりも厄介な存在だわ。
10:10 中庭
山城はそこに横たわる二人の部下を見て愕然とした。
あたりを捜索してくるという那智を病室に残し、様子を見に病院の外に出た。
シンジの言葉が気になって中庭に出てみると、どこからかうめき声に近いものが聞こえてくる。まさかとおもってあたりを捜してみて、茂みの中に転がされている二人の姿を発見したのである。
彼らはここで倒れている。自分はこの二人を高千穂ヒロユキの監視につけた。そして、監視対象であるヒロユキはここにはいない。監視に気づいて、なおかつこういう手段で監視を逃れるからには、それなりの理由が必要になる。
「セカンドチルドレン!」
彼女の奪取か!
山城は踵を返し、病室へ向かって駆け出した。
ヒロユキ相手では、デスクワークが主体の出世コースをたどってきた那智には役が重い。
まずいことになっていなければいいが・・・・。
階段を駆け登りながら、山城は内心でそう願っていた。
リノリウムの廊下を猛烈な勢いで駆け抜け、目指す扉を叩き壊さんばかりの勢いで開け放つ。
「・・・・・・」
そこに彼が見たものは、抜け殻のようになったベッド、室内で争ったような後、そして那智がかけていたサングラス。
室内には、誰の姿もなかった。
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