「やはり、失敗したか」
「廃物は所詮、廃物というわけだ」
「NERV本部とヨーロッパの連絡ルート遮断は失敗した。すでに複数のルートを構築された」
「まあ、やむを得まい。時間を稼げただけでもよしとするべきだ」
「現在の「神の子」たちの状況は」
「順調に進んでいる。が・・・・」
「トップに立つべき存在がない、か」
「そうだ。ダブリスを失ったのが今となっては悔やまれるな」
「かまわん、あの程度の力のモノなど、掃いて捨てるほどいる」
「しかし、現実に我らの手元には「神の子」を束ねる駒がない」
「なければ、奪ってくればいいのだ」
「どこにあるというのだ。あれらを統率するにはそれなりのモノを当てねばなるまい。能力と、そして何より心が必要なのだぞ。かたくなに全てを拒み、そして我らのいうなりになる心が」
「いい駒があるではないか」
「どこにだ」
「我らの敵の手中に、だよ」
「まさか、あれを手に入れようというのか」
「使える駒かどうかの可能性は半々だがな」
「本気で言っているのだろうな」
「この席に座って冗談を言う趣味は私にはない」
「・・・・まあ、よかろう。よしんば我らの目にかなわぬものでも、「神の子」の一人程度にはなる」
「では、いいのだな」
「よかろう」
「よかろう」
「では次の議題に移る。現在の我々の勢力図だが、APポイントが圧倒的に弱い。AOポイントの制圧完了をまって、ROの戦力と呼応し・・・・」
And live in the world forever
第5話:紡がれる陰謀の糸
高千穂ヒロユキの眠りは、けたたましく鳴り響いた電話のベルによって破られた。
この時代にあってはすでに化石にも等しい存在となっている黒電話。どういう意図を持ってそれがこの部屋に置かれているのかは不明だが、少なくとも目覚ましとしての役目は立派に果たしているらしい。ヒロユキは大きく二度・三度とのびをすると、寝ぼけ眼をこすりながら受話器を取った。
「はい、資料部コードC」
「高千穂二尉か」
いささかくたびれた口調の声は、彼の上司のものだった。
「諜報二課から、おまえさんに呼び出しだそうだ。すぐにこい、と」
「はあ」
「なにかやらかしたのか?」
「さて、皆目見当も尽きませんね」
上司の声は、明らかに迷惑を嫌っているものだった。
無理もない。後数年で定年を迎えれば、退職金と共に安泰な生活が待っているのだ。その一歩手前で、部下の問題や不始末でそれらを傷つけたくはあるまい。
「とにかく至急に、だそうだ」
「わかりました。至急、ですね」
受話器を置くと、ヒロユキは忌々しげに舌打ちを一つする。
「まったく。面倒なことを」
くしゃくしゃになったスーツの上着を手に取り、デスクの上に投げ出していた足を降ろして立ち上がる。
そして部屋を出ていこうとして、
「おっと、いかんいかん」
右手を伸ばし、ヒロユキはデスクの上に置かれていたものを取り上げた。
鈍く銀色の光を放つ左手を。
諜報二課のオフィスに出頭した彼は、課員の視線を全身に感じながら、案内に従って奥の応接室へ通された。
課員に聞かせたくない極秘の話か。
ヒロユキはそう直感した。諜報部の応接室は完全な防音処理が施されており、極端な話、中でフルオーケストラが演奏会を行っても外には全く音が漏れないほどと言われている。もっとも、それを実際に試したかどうかは謎だが。
つまり、密談をするにはうってつけの場所なのだ。
「ま、俺が絡んだ話じゃ課員には聞かせたくないんだろうけどなぁ」
扉の前でそう小さく呟くと、
「高千穂二尉、入ります」
小さく二度、ノックをして入室する。と、そこには二人の人物が待っていた。
諜報二課のトップ、山城三佐がソファーに腰を降ろしている。そしてその後ろには秘書だろうか。痩身のサングラス男が一人。
ヒロユキはそれを見て、いぶかしげな表情を浮かべた。諜報の上層部とは、それほど暇な職業ではない。特に昨今、第3新東京市の一部都市の崩壊に絡んで日本政府から・・・より正確には内務省調査部からあれこれとなんくせを付けられている現在、たかが一人の人間と話をするために割ける時間などそうそうないはずだ。
もし、それをする時間を作ったとすれば・・・・。
「まあ、座りたまえ、高千穂二尉」
「失礼します」
席を勧めた方も勧められた方も、しばらくは無言のままだった。後ろのサングラスの男は、もとから一言も語ろうとしない。
しばしの後、口を開いたのは山城三佐であった。
「どうかね、資料部の方は?」
「ええ、ここの激務とは違って至って平穏ですね。なにしろ昼寝ができる。これほどいい職場はないですよ」
「それは私に対する皮肉に聞こえるのは気のせいかな?」
「おや、そう聞こえましたか」
場に、沈黙が満ちた。山城三佐は笑顔を浮かべようとして失敗し、ヒロユキは無表情を保っている。どちらも、相手の出方を計っているようだった。
「・・・・で、本題は何なんですか?」
結局、話を切り出したのはヒロユキの方だった。
「世間話をするために、激務忙しい三佐どのがかつての部下、それも追放同然に追い出した男を呼び出すはずがないでしょうに」
三佐「どの」というあたりに、ヒロユキの皮肉を感じたのだろう。山城はしばしの瞑目の後、しぶしぶながらそれを認めた。
「・・・まあ、な」
「すると、私を名指しで何かご用なのでしょう?」
「そうだ。高千穂二尉、貴官に二、三、話を聞きたい」
「うかがいましょう」
山城が姿勢をただしたのを見て、ヒロユキも心持ち表情をあらためた。
「貴官が現在の部署に転属になってからの電話の数だが、異常だとは想わないか」
「はあ、そうですか」
我ながら間抜けな返答だと思いながら、ヒロユキはそう答えた。
「現在の貴官の職務に比して多い、という苦情が寄せられている」
どこからですか? という皮肉を言いかけて、ヒロユキは口をつぐんだ。
「一部には・・・・その、だな」
「ネルフ職員にとって好ましからざる相手とのお話ではないか、という噂でも流れているんですか」
「・・・・そうだ」
「理由を聞くだけ野暮ですかね」
ヒロユキの声に、山城は無言だった。
「・・・やはり、私の人間関係に視点が当てられているようですね」
「・・・・・」
「そんなに、こだわりますか。私が加持リョウジと友人関係にあったことが」
無言の返答。しかし山城の顔色が、ヒロユキの言葉を暗黙に肯定していた。
加持リョウジ。ネルフ特殊監査部所属。そして同時に、日本政府内務省さらにはゼーレのスパイとしてネルフを内偵していた男。
冬月副司令拉致事件を機にその全てが露見し、加持はネルフを去った。非公式には死亡説も流れている。その彼ともっとも親密な人間関係を持っていたのが、彼なのである。
「諜報2課から今の窓際に左遷するだけでは飽きたらず、まだ、三佐は私を疑っておいでですか」
「一部にそういう意見があるということだ」
「同じことですよ。三佐もそう思っておいでだからこそ、私を呼んだのでしょう」
「・・・・で、実際のところはどうなんだね」
「なにがですか?」
「きみのその電話の相手についてだよ。だれと、どんな内容を話しているのか、だ」
「お答えする義務を持ちません」
「疑いをはらそうとはおもわんのかね、君は!」
どんっという音。山城はデスクを力一杯叩いた。置かれていた湯飲みが傾き、暖かな液体が卓上を浸す。
「電話の相手と内容を我々に教える。話して困る相手ではないんだろう? ならばそれで君の疑いは晴れるのではないか!」
「お断りします」
しかしヒロユキははっきりと、そう返答した。
「確かに私はこの組織から給料をもらっています。左遷・・・・配置転換はまあその一部と割り切って我慢していましょう。しかしながら、自分のプライバシーまで売り渡すほど、あなたがたから金銭をもらっちゃいませんよ。こちらから相手に電話をかけて、電話代を請求されている訳でもないですしね」
最後の方はとびきり嫌みな笑顔を作ってやった。我ながらそんな性格だと想ったが、もう止められない。ヒロユキは口を閉ざして、そこに山城の憤怒の表情を見いだしていた。
「ほかになにか、ご用はありますでしょうか? なければ失礼したいのですが」
「・・・・わかった。退室を許可する」
がしゃん。
ヒロユキは大仰ぶった姿勢で敬礼をすると、そのまま足音も高く部屋を出ていった。後には、残された二人と沈黙。
「・・・・どう思う、那智二尉」
懐から取り出したセブンスターにジッポーで火をともしながら、山城は背後に立つ男にそう問いかけた。
那智二尉と呼ばれた男はそれに対し、
「何とも言えませんね。欺瞞工作か、虚勢か、それともタダの意地っ張りなのか。彼に関してはデータがあまり多くありませんから」
そう言って、胸ポケットから数枚の紙を取り出す。
「高千穂ヒロユキ、28歳。第2東京大学文学部ドイツ文学科卒業。ゲヒルンドイツ支部勤務を経て諜報二課配属。3年前、中国政府への諜報活動中に戦闘に遭遇・左腕を切断。しかしながら義手を付けた上でさらに諜報活動に従事。委員会のネルフに対する締め付けが強化された二ヶ月前に、諜報部資料課コードCへ転属・・・・」
「そして勤務態度はまじめとは言いがたいものの、諜報員としての技量は特Sクラス・・・・かつての部下のことだ。その程度のことは知っているさ」
那智の言葉を引き継いだ山城の顔は、苦々しげだった。
「三佐ご自身はどのようにお考えで?」
二口しか吸わない煙草を灰皿に押しつけ、山城は更に新たな一本を取り出した。もったいないと思うが、こういう吸い方を彼はもっとも気に入っていた。
「疑いたくはない。諜報員としては十分信頼できる男だったからな」
「だからこそ、諜報員として十分以上の能力こそが、今の我々ネルフにとっては危機である、そう考えるべきでは?」
「分かっている。だからこそ、スパイと分かったときは容赦はしないよ」
「それはそれは」
大仰に身振りをすると、那智は山城の前に回り込んだ。
「高千穂二尉の電話は我々の監視下におかれています。しかし、そのほとんどが意味をなさない会話であり、一方相手を特定しようとしてもどうしてもできないのです」
「・・・・会話に交えて暗号指令を交換していると?」
「そうです。ほぼ確実に、です。今まであげた事例に加えてです。それでもなお、三佐はあの男をかばうのですか?」
沈黙。紫煙のたゆたう室内で、二人の男がにらみ合っている。
先に視線を逸らしたのは、山城のほうだった。
「・・・・わかった。現時刻を持って、高千穂ヒロユキをパターンオレンジとする。羽黒、足柄の両三尉を直接監視に振り向ける」
「了解、しました」
ヒロユキは閉ざされた扉をしばらく振り返った後、疑惑の入り交じった視線を向ける諜報2課の職員・・・かつての同僚を無視するように部屋を出た。
電話の盗聴はま、当然だろうけどな・・・・ここまでストレートに聞いてくるとは。あのオヤジ・・・・何かつかんでいる?
自問自答。ヒロユキは考えながら、自分の職場へ戻っていく。
俺がスパイだという確証・・・・いや、ないはずだ。へまをやらかして話を漏らしたか・・・。いや、それも違う。では、なぜ俺をスパイだと疑っている?
かつての上官だけに、そのやり方はよく分かっている。山城アキノリは、確証がない限り動く男ではない。
・・・・まあ、いい。その時になれば分かるだろう。
ジリリリリリン・・・・。
部屋に近づいてきたとき、ヒロユキは電話の音を聞いた。
「おっとやばいやばい」
駆け足で部屋に駆け込むと、その勢いで右手を受話器に伸ばしそれを取り上げる。
「はい、資料部コードC」
そして一瞬の後、彼の表情は緊張したものへ、そして声は小さなものへと変わっていった。
『我々に残された時間は、あまりにも少ない』
「承知しております」
『任務開始時刻、明朝1000時。同時に、ネルフの注意を逸らすために廃物を出す』
「了解。任務開始時刻、明朝1000時」
『・・・・裏切り・失敗はゆるさん。加持リョウジの轍を踏んだ時は・・・』
「欺瞞工作は実行中。また彼の真似はいたしません。ご安心を」
『・・・よかろう。では、目標を伝える』
「はい」
『目標、惣流・アスカ・ラングレーの奪取』
「目標、惣流・アスカ・ラングレーの奪取。了解」
「おはよう、アスカ」
室内に入ってきたシンジは、いつものようにそう微笑む。
アスカは半身を起こし、ぼんやりと正面の壁を見据えていた。
シンジが入ってきたことに気づき、のろのろと首を向ける。その瞳はどんよりと濁り、焦点は定まっていない。
しかしそれでも、シンジにとってはうれしいことだった。
少なくとも、自分のことを認識してはいる。
以前に比べればいい方だ。
それに・・・・・
「アスカ、今日はいい天気だね」
そう言って、傍らの椅子に腰を降ろした。
アスカは再び視線を正面に据える。
「どう、気分は?」
コップに水を注ぎながら、シンジはアスカにそう問いかける。
「・・・・別・・・・に・・・・」
のろのろとした返事。
ここ数日、ようやくアスカは話しかけると返事を返してくれるようになった。
抑揚のない、淡々と、そして無気力な声。
でも、それでも、シンジにはうれしかった。少なくともベッドに横たわり、天井を見つめていただけのアスカに比べればそれはいい傾向だからだ。
よくなってきている。
単純に、シンジはそう喜んでいた。
今日も、シンジが来ている。
毎日、シンジが来ている。
あれこれ声をかけ、いろいろと世話を焼いてくれる。
なぜ?
誰にも必要とされないアタシに、なぜ?
エヴァに乗れない。
シンクロできない。
使徒に負けた。
ママにも捨てられた。
唯一のよりどころを失った。
そんなアタシ。
なぜ、捨てておいてくれないの?
死んでもよかったのに。
二ヶ月以上、こんな醜態をさらすことなく。
一番でないアタシに、存在価値はない。
エヴァに乗れなくなったアタシに、存在価値はない。
ママに捨てられたアタシに、存在価値はない。
誰も見てくれないあたしに・・・・価値はない。
それなのに、なんでアイツは・・・・シンジは、アタシをかまうの?
かわいそうだから? 哀れだから?
そんな同情はいらない。
・・・・でも、だったらなぜ、アタシはシンジを拒絶しない?
持ってきてくれたお弁当を食べ、声をかけられれば返事までする。
なぜ?
・・・・うれしいから?
『僕に、勇気をちょうだい。以前みたいに、僕の背中を、押して欲しい。お願いだよ、アスカ』
・・・・誰にも必要とされないアタシを、シンジはあのとき頼ってくれた。
『僕じゃ駄目なの? 僕の心に、アスカは繋がってないの?』
アタシに必死に、呼びかけてくれるシンジ。
それが、うれしいの?
・・・・わからない。
シンジの心が、分からない。
だから、突き放せない。
アタシの心が、分からない。
本当にアタシを見てくれているのなら。
アタシのことを好きなら。
もしそうだとしたら・・・・。
自分の心の奥底にある思いが、叫んでいる。
アタシを見て。
アタシをだれか愛して。
でも、それが勘違いだったら怖い。
アタシはもう、傷つきたくない。
傷つくくらいなら、今のままでいい。
でも・・・・今のままはいや。
だれか、アタシを助けて。
アタシを見て。
アタシを・・・・見て・・・・。
「惣流・アスカ・ラングレー・・・・エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット」
ヒロユキは、アスカのいる病室の窓を、手帳を片手にじっと見上げていた。
「第一五使徒との戦闘に敗北後、一時失踪。発見、収容の後、現病院へ入院、以来ほぼ二ヶ月以上・・・・健康には問題ないものの、精神的に閉塞状態・・・か」
アスカの件は最重要機密。諜報二課の頃の彼ならまだしも、今のヒロユキに知る手段はないはず。しかしそれを、こともなげに手帳の隅に書き付けていた。
「なるほど、ゼーレが『神の子』として彼女を欲しがる理由はこれか・・・・」
手帳を閉じ、鼻歌混じりにあるきだす。同時に、さりげなくあたりに視線を配る。朝の強い日射しを受け、燃えるような緑色を放つ中庭の草。緑あふれる木々や植え込み。その中に、押し殺すような気配を感じる。
・・・・二人・・・・か。
数を推し量り、ヒロユキは心の中で呟いた。
いい度胸だ。加持のいなくなった現在、ネルフ最強の諜報員を相手にたった二人とは。
「俺もなめられたものだ」
手帳にかわって取り出したサングラスをかけ、ヒロユキはもう一度病室を振り仰いだ。
「・・・・?」
そこには、花瓶を手に抱えた少年が立っており、じっとこっちを見下ろしている。、
刹那、視線が交錯する。
しかし一瞬の後、少年は身を翻し、同時にカーテンがさっとひかれ、ヒロユキの視界から少年の姿は消えた。
「碇シンジ・・・サード・チルドレンか」
毎日のようにセカンド・チルドレンの元に通ってきている。その熱心さは看護婦も驚くほど。
「ふむ・・・・君が、彼女を立ち直らせる鍵となりうるのかな」
何とはなしにそう呟き、左腕の時計を見る。
<AM 10:00>
「さて、はじめるとするか」
一つ伸びをすると、首を左右に傾けた。
ぽきぽきと景気のいい音をたてて、首の骨がなった。
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