外は少し肌寒かった。

 でも、心はすごく暖かい。

 碇くんを真ん中にはさんで、わたしとアスカが歩いている。

 三人が一緒にいるから。

 一緒に、いるから・・・・。

  

  

 3月3日記念(笑)

  

 遥かなる空の向こうに

 

 外伝:桜の樹の下で 後編 

  

  

「とりあえず、どこに行こうか?」

 外に出てしばらくして、碇くんが歩きながらわたしたちにそう話しかけてきた。

「僕はどこでもいいんだけど・・・・二人とも、どこか行きたいところ、ある?」

「河原の土手がいい!」

 碇くんの問いに、アスカは即答でそう答えた。

「河原の土手? 少し歩くよ、あそこまでは」

「ヒカリから前聞いたのよ、あそこの桜並木はすっごく綺麗だって! やっぱり一度、見てみたいし、歩いてみたいじゃない、桜花散る並木道ってやつを!」

 アスカはうっとりとした表情でそう言う。

「そういえばアスカって、桜を直接見たこと、ないんだよね」

「うん、ドイツでは桜はなかったし、こっちに来ても、まだ見たことないから」

「そうか・・・・そうだよね、じゃあ、それでもいいけど・・・・綾波は?」

「・・・・わたしも、桜は見たことないから・・・・アスカと同じでいいわ・・・・それに、碇くんと一緒に、歩いてみたいし・・・・」

 さらりとそんな言葉が自分の口を突いて出てきたことに、わたしは驚いていた。

 言ってしまってから気づき、少し頬が熱く火照る。 

 同じように、アスカも碇くんもびっくりした顔をしていた。

「・・・・あ、あ、うん、じゃ、じゃあ、そうしよう」

 しばらくの沈黙。そしてすこしどもった声で、碇くんはそう言った。

  

「・・・・アンタ、結構言うわね・・・・」  

 再び歩き出してしばらくして、アスカがわたしにだけに聞こえる声でそう言ってきた。

「アタシですらそこまではっきりとは言えなかったのに」

「・・・・うん・・・・わたしも、自分でびっくりしているの・・・・」

 なんであんなことを言えたんだろうか。

 自分でも不思議。

 でも、いやな気分じゃない。

 むしろ、なにかすごくいい気持ち。

 なんでかしら・・・・。

「これはアタシもうかうかしてられないわね・・・・」

「え?」

「アンタがああまでいうようになったんじゃ、アタシも、もっとシンジに迫らないと、ってことよ」

「・・・・でも・・・・」

「でも、なに?」

「いまでも、アスカは十分だと思うけど・・・・」

「それが甘いっていうの。あれだけアタシがシンジに迫っても、シンジははっきりとアタシのほうを振り向いてくれない。そこにアンタが積極的になってご覧なさい。まずいじゃないの」

「・・・・そうなの?」

「そうなの。だから・・・・ね!」

 そう言って、アスカは小さく笑いながら、碇くんのほうに走っていく。そして、

「シーンジっ!」

 そう言って、碇くんの右手にしっかりと抱きついた。

「ア、アスカ!?」

 突然のアスカの行動に、碇くんはびっくりして彼女の方を振り向く。

 それに対しアスカは。

「いいじゃないの、アタシはシンジとこうしていたいんだから!」

 といって、抱きついた手を離そうとしない。

「アタシはシンジとだったらいつまででもこうしていたいんだから!」

「・・・・ア、アスカ・・・・」

 碇くんはそんなアスカの態度に動揺している。顔が心なし赤い。

 ・・・・・・。

 わたしはそれを見て、アスカの活発さがすごくうらやましかった。

 ああいうことが自然にできる。それが、彼女の性格なのね・・・・。

 でも、わたしも、碇くんの暖かさを感じていたい。

 アスカが感じるその暖かさを、わたしも欲しい。

 そう思ったから、

「・・・・碇くん、わたしも・・・・」

 そう言って、碇くんの左手を取った。

 アスカのように抱きつくのではないが、そっと腕を絡める。

「あ、綾波まで・・・・」

 わたしの方を見る碇くんの顔は、さっきよりさらに赤い。

「・・・・だめ?」

「い。いや、ダメ、ってわけじゃないけど・・・・」

「ま、あきらめるのね。アタシもレイも、アンタの側にいたいんだから。ずっといたいんだから。そう思われる果報者の義務だと思って!」

 アスカがそういって、わたしの方を見て笑った。

 わたしも、そんなアスカに小さな笑みを返した。

「ふ、ふたりとも・・・・」

 碇くんだけが、戸惑ったような声で、顔を赤らめていた・・・・。

 ・・・・そして、河原までの15分あまり。

 わたしたち3人は、ずっとその体勢のままだった。

 時折すれ違う人が、視線をわたしたちに向けていた。

 碇くんはそのたびに恥ずかしさに顔をうつむかせているけど。

 わたしもアスカも、そんなことは気にしていなかった。

 碇くんの体温を感じることに集中していたから。

 その暖かさに浸っていたから。

 ・・・・だから、いつのまにか土手に近づいてきたことも気づかなかった。

「二人とも、ほら、もうすぐ桜が見えるよ・・・・」

 碇くんは消え入りそうな声でそう言う。

 アスカもわたしもそう言われて初めて、すぐ目の前に土手の坂道があることに気づく。

「これをのぼれば・・・・」

 初めて目にすることのできる桜の花。それを想像してうきうきしてきたのか、アスカの声がすこしはしゃいだものになっている。わたしは声に出さないけど、多分アスカと同じ気分。

 だから、自然と土手を昇る足も早いものになる。

「桜の花・・・・」

 そして、期待に胸を膨らませて土手を登り切ったわたしたちの目の前には・・・・。

「・・・・あ・・・・」

「そんな・・・・」

「花が・・・・散ってる・・・・」

 すでに花の落ちきった、桜の木々が並んでいた。

  

「・・・・・・」

 わたしもアスカも、碇くんも、しばらく無言のままだった。

「昨日今日、風が強かったからかな・・・・」

 ようやく、碇くんがそうぽつりと言った。

「せっかく、見に来たのに・・・・」

 アスカが、ものすごく残念そうな顔でそう言った。

「・・・・・・」

 わたしは、無言のまま道に散った花を眺めていた。

 ほのかなピンク色の花。しかし、道に落ち、あるいは草の上に乗っているそれは、少し汚れている。

「・・・・散ってしまった花・・・・もう、死んでしまった花・・・・」

 それは、わたしにとって意味深いものだった。

 そう。今のわたし。もうすぐ、死を迎えるわたしに、酷似していた。

 散ってしまい、地に消える花たち。そして残された枝だけの桜。

 咲いている間はいいけれど、散ってしまったそれには、誰も興味を持たない。

 ・・・・わたしも、そんな風になってしまうのかしら。

 そう考え、わたしは何となく寂しい気持ちだった。

 はかない命。

 振り向かれないもの。

 ・・・・そんな風に、わたしも思われてしまうのかしら・・・・。

「・・・・レイ、アンタ今、何を考えてたの?」

 と、わたしの様子を見て、アスカがそう問いかけてきた。

「え・・・・?」

「散ってしまう花を見て、悲しい、と思ったんじゃない?」

「・・・・・・」

「もうすぐ散ってしまう花のことを、考えていたんじゃないの?」

 ・・・・アスカは、わたしのことを言っている。

 そう、気づいた。

 隣に碇くんがいるから、花の話に紛らわせてわたしのことを言っている。

「・・・・・」

「永遠に咲き続ける花なんて、どこにもないわ。あったとしてもそれは、決して綺麗なものじゃない」

「・・・・・」

「アタシも、そういうものにあこがれていたわ。何でも一番。いつまでも一番。それが最高なものだと思っていた」

「・・・・アスカ・・・・」

「でもね、違うのよ」

 そう言って、アスカは足下の花片を一枚、そっと拾った。

「この花は、精一杯に生きた結果として、今ここに散っているのよ」

「・・・・・・」

「限りある時間の中で、この花は自分を輝かせていたの。だから、その輝きを見て人はそれを綺麗だと思うの。逆に、輝き続ける花にそこまでの感動を与えることはできないわ。そうでしょ、シンジ?」

「・・・・うん・・・・そうだね」

 アスカからいきなり話題を向けられて、碇くんは少し戸惑っていた。でも、はっきりとそう答えた。

「永遠を生きるんじゃなく、今の時間を精一杯生きる花のほうが、ぼくは綺麗だと思うし、みんなもそう思うよ」

 花の話だと、碇くんは思ってそう言う。でも、わたしはそれを自分に重ね合わせて聞いていた。

「それに・・・・花は散っても、樹は残ってる。そして来年も、いっぱいの花を咲かせるんだよ、桜は」

「思い出の中にも、残るしね」

 アスカはそう言って、花を空に投げた。

 風に乗って、その一枚の花片はどこかへ飛んでいく。

「・・・・だから、あんたも、ね・・・・」

 小さな声。わたしにだけ聞こえる声で、アスカはそう言った。

「・・・・うん・・・・」

 わたしは、アスカに小さなうなずきを返した。

 アスカの投げた花片は、もう見えなくなっていた。

   

 それから、わたしたちはあたりをゆっくりと歩いてまわった。

 桜を見れなかったのは残念だったけど、それでも、碇くんやアスカと話をしながら、春の日射しの中をまわって行くだけで、なにかとても幸せな気分だった。

「・・・・ふう、さすがに結構歩くと疲れるわね」

「まあね、久しぶりに、外に出たからね」

「ねえ、少し、どこかで休んでいかない?」

 アスカは、碇くんにそう言った。

「うーん、そうだね・・・・」

 わたしはそんな二人の話を聞きながら、ふと空に目をやった。

「・・・・・?」

 ひらひらと、何かが落ちてくる。

 何気なく手を出して宙を舞うそれをつかんでみた。

「どうしたの、レイ?」

 わたしのそんな行動を見て、アスカが不思議そうに問いかけてくる。わたしは、握りしめた掌をゆっくりと開いてみた。

「・・・・桜の・・・・花・・・・」

 それは、桜の花片だった。

 一瞬、アスカの投げたそれかと思ったけど、よく見てみると違う。下に落ちた桜のような汚れがない。

 どこからか、飛んできたもの。

「レイ、それ、どっちから飛んできた?」

 アスカがわたしの手の中をのぞき込んで、そう問いかけてきた。

「もしかしたら、まだ散ってない桜があるかも!」

「・・・・うん、ええと、あっち・・・・かな」

 わたしはそう言って、近くの公園を指さした。

「ねえシンジ、いってみましょうよ!」

「そうだね、じゃあ、休憩もかねて、いってみようか」

「ほらほら、はやく来なさいよ!」

 アスカはそう言うと、わたしや碇くんに先だって歩き出した。

「あ、待ってよアスカ!」

 碇くんはそんなアスカを小走りに追いかける。そしてわたしも・・・・。

  

「わあっ!!」

 公園の入り口にわたしがたどり着くと、アスカの歓声が聞こえてきた。

「見てみてシンジ!!」

「わぁ・・・・」

 続いて、碇くんのため息も聞こえてくる。

 わたしは入り口をくぐり、その声を頼りに公園の中を歩いていって・・・・。

「・・・・・・」

 そして、しばし声もなかった。

 見上げれば、ピンク色の世界が広がっていた。

 一本の大きな桜の樹。咲き誇る花が、真っ青な空の下にあった。

「ここだけ、建物に囲まれて桜が落ちなかったみたいだね」

 碇くんが周りを見ながらそう言う。

「そんなことはどうでもいいのよ、バカシンジ・・・・今は・・・・この桜を見れただけで・・・・ああ・・・・綺麗ね・・・・」

 アスカは、うっとりとした表情で桜を見上げている。

 わたしも、アスカと同じく桜を見上げていた。

「・・・・綺麗・・・・」

 かろうじて、それだけが口をついてでた。

 言い様のない美しさ。それが、そこにはあった。

 造花のような美しさでもなく、映像で見る綺麗さでもない。

 命の輝きに、それはあふれていた。

「・・・・本当に・・・・綺麗・・・・」

 言葉が見つからない。でも、それでよかったと、わたしは思う。

 言葉にするのには・・・・もったいないから・・・・。

「ここで、しばらく桜を見てましょうよ! ね、シンジ!」

 アスカがそう言って、碇くんの脇をつついた。

「うん、そうだね。ここで、お花見にしよう」

 碇くんはにっこり微笑んでそう言うと、

「ちょっと二人とも待ってて、何か飲み物、買ってくるから」

 そういって自動販売機を探しに行ってしまった。 

「レイ・・・・」

 あとには、アスカとわたしだけが残された。

「・・・・どう? 散る前の桜を見て・・・・」

「綺麗・・・・そう、すごく・・・・綺麗・・・・」

「・・・・そう。で・・・・?」

「え・・・・?」

 わたしは、アスカが何を言いたいのか分からなかった。

「アンタはこの桜が年がら年中咲いていたとして、それが綺麗だと思う?」

「・・・・・・」

「そう、思う?」

「・・・・思わない・・・・」

「でしょ? 桜は、いえ、人も花も、さっきも言ったように終わりがあるから面白いし、美しいの。永遠は怠惰な時間の積み重ね。そこから何も、生み出すことはできない。でも、終わりある時間の中では、人はそれを精一杯生きようとするから、何かを生み出せるし、その姿は輝いて見える」

「・・・・うん・・・・」

「ま、アタシが言えるのはこれだけ。あとは、アンタが考えるのね」

 そういって、アスカはわたしの肩を小さく叩き、にっこり微笑んでベンチのほうに歩いていった。

 わたしはその叩かれた肩に手を当てた。

 アスカの優しさを、そこに感じられるような気がした。

 ・・・・ありがとう・・・・アスカ・・・・。

 ・・・・ふわり、と、目の前にまた花が一枚、落ちてきた。

 ひらひらと風に乗って舞い降りる花片。

 それを、わたしは綺麗だと思った。

 精一杯に生きた結果として、散っていく花。

 それを、美しいと感じた。

「・・・・きれいね・・・・・ほんとうに・・・・」

 わたしは小さく呟く。

 と。

 ばさああああああっ!!

 不意に強風が吹き付け、わたしは思わず瞳を閉じ、髪を片手で押さえつけた。

 そして・・・・。

「・・・・・・・」

 瞳を開いたわたしの視界には、一面に舞い散る桜の花の姿が映っていた。

 ピンク色の雪のように、それらはゆらゆらと宙を舞っている。

 白い雲、青い空をバックに、それはたとえようもないほどの感動をわたしに与えてくれた。

 声もなかった。

 そう。声もなかった。

「・・・・・・」

 わたしはその姿を見ていて、思わず顔がほころんでいるのを感じた。

 桜の花・・・見ることができて・・・・本当によかった・・・・。

 ・・・・そして、そのうちの一枚を手に取ろうと、腕をさしのべ・・・・。



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