外は少し肌寒かった。
でも、心はすごく暖かい。
碇くんを真ん中にはさんで、わたしとアスカが歩いている。
三人が一緒にいるから。
一緒に、いるから・・・・。
「とりあえず、どこに行こうか?」
外に出てしばらくして、碇くんが歩きながらわたしたちにそう話しかけてきた。
「僕はどこでもいいんだけど・・・・二人とも、どこか行きたいところ、ある?」
「河原の土手がいい!」
碇くんの問いに、アスカは即答でそう答えた。
「河原の土手? 少し歩くよ、あそこまでは」
「ヒカリから前聞いたのよ、あそこの桜並木はすっごく綺麗だって! やっぱり一度、見てみたいし、歩いてみたいじゃない、桜花散る並木道ってやつを!」
アスカはうっとりとした表情でそう言う。
「そういえばアスカって、桜を直接見たこと、ないんだよね」
「うん、ドイツでは桜はなかったし、こっちに来ても、まだ見たことないから」
「そうか・・・・そうだよね、じゃあ、それでもいいけど・・・・綾波は?」
「・・・・わたしも、桜は見たことないから・・・・アスカと同じでいいわ・・・・それに、碇くんと一緒に、歩いてみたいし・・・・」
さらりとそんな言葉が自分の口を突いて出てきたことに、わたしは驚いていた。
言ってしまってから気づき、少し頬が熱く火照る。
同じように、アスカも碇くんもびっくりした顔をしていた。
「・・・・あ、あ、うん、じゃ、じゃあ、そうしよう」
しばらくの沈黙。そしてすこしどもった声で、碇くんはそう言った。
「・・・・アンタ、結構言うわね・・・・」
再び歩き出してしばらくして、アスカがわたしにだけに聞こえる声でそう言ってきた。
「アタシですらそこまではっきりとは言えなかったのに」
「・・・・うん・・・・わたしも、自分でびっくりしているの・・・・」
なんであんなことを言えたんだろうか。
自分でも不思議。
でも、いやな気分じゃない。
むしろ、なにかすごくいい気持ち。
なんでかしら・・・・。
「これはアタシもうかうかしてられないわね・・・・」
「え?」
「アンタがああまでいうようになったんじゃ、アタシも、もっとシンジに迫らないと、ってことよ」
「・・・・でも・・・・」
「でも、なに?」
「いまでも、アスカは十分だと思うけど・・・・」
「それが甘いっていうの。あれだけアタシがシンジに迫っても、シンジははっきりとアタシのほうを振り向いてくれない。そこにアンタが積極的になってご覧なさい。まずいじゃないの」
「・・・・そうなの?」
「そうなの。だから・・・・ね!」
そう言って、アスカは小さく笑いながら、碇くんのほうに走っていく。そして、
「シーンジっ!」
そう言って、碇くんの右手にしっかりと抱きついた。
「ア、アスカ!?」
突然のアスカの行動に、碇くんはびっくりして彼女の方を振り向く。
それに対しアスカは。
「いいじゃないの、アタシはシンジとこうしていたいんだから!」
といって、抱きついた手を離そうとしない。
「アタシはシンジとだったらいつまででもこうしていたいんだから!」
「・・・・ア、アスカ・・・・」
碇くんはそんなアスカの態度に動揺している。顔が心なし赤い。
・・・・・・。
わたしはそれを見て、アスカの活発さがすごくうらやましかった。
ああいうことが自然にできる。それが、彼女の性格なのね・・・・。
でも、わたしも、碇くんの暖かさを感じていたい。
アスカが感じるその暖かさを、わたしも欲しい。
そう思ったから、
「・・・・碇くん、わたしも・・・・」
そう言って、碇くんの左手を取った。
アスカのように抱きつくのではないが、そっと腕を絡める。
「あ、綾波まで・・・・」
わたしの方を見る碇くんの顔は、さっきよりさらに赤い。
「・・・・だめ?」
「い。いや、ダメ、ってわけじゃないけど・・・・」
「ま、あきらめるのね。アタシもレイも、アンタの側にいたいんだから。ずっといたいんだから。そう思われる果報者の義務だと思って!」
アスカがそういって、わたしの方を見て笑った。
わたしも、そんなアスカに小さな笑みを返した。
「ふ、ふたりとも・・・・」
碇くんだけが、戸惑ったような声で、顔を赤らめていた・・・・。
・・・・そして、河原までの15分あまり。
わたしたち3人は、ずっとその体勢のままだった。
時折すれ違う人が、視線をわたしたちに向けていた。
碇くんはそのたびに恥ずかしさに顔をうつむかせているけど。
わたしもアスカも、そんなことは気にしていなかった。
碇くんの体温を感じることに集中していたから。
その暖かさに浸っていたから。
・・・・だから、いつのまにか土手に近づいてきたことも気づかなかった。
「二人とも、ほら、もうすぐ桜が見えるよ・・・・」
碇くんは消え入りそうな声でそう言う。
アスカもわたしもそう言われて初めて、すぐ目の前に土手の坂道があることに気づく。
「これをのぼれば・・・・」
初めて目にすることのできる桜の花。それを想像してうきうきしてきたのか、アスカの声がすこしはしゃいだものになっている。わたしは声に出さないけど、多分アスカと同じ気分。
だから、自然と土手を昇る足も早いものになる。
「桜の花・・・・」
そして、期待に胸を膨らませて土手を登り切ったわたしたちの目の前には・・・・。
「・・・・あ・・・・」
「そんな・・・・」
「花が・・・・散ってる・・・・」
すでに花の落ちきった、桜の木々が並んでいた。
「・・・・・・」
わたしもアスカも、碇くんも、しばらく無言のままだった。
「昨日今日、風が強かったからかな・・・・」
ようやく、碇くんがそうぽつりと言った。
「せっかく、見に来たのに・・・・」
アスカが、ものすごく残念そうな顔でそう言った。
「・・・・・・」
わたしは、無言のまま道に散った花を眺めていた。
ほのかなピンク色の花。しかし、道に落ち、あるいは草の上に乗っているそれは、少し汚れている。
「・・・・散ってしまった花・・・・もう、死んでしまった花・・・・」
それは、わたしにとって意味深いものだった。
そう。今のわたし。もうすぐ、死を迎えるわたしに、酷似していた。
散ってしまい、地に消える花たち。そして残された枝だけの桜。
咲いている間はいいけれど、散ってしまったそれには、誰も興味を持たない。
・・・・わたしも、そんな風になってしまうのかしら。
そう考え、わたしは何となく寂しい気持ちだった。
はかない命。
振り向かれないもの。
・・・・そんな風に、わたしも思われてしまうのかしら・・・・。
「・・・・レイ、アンタ今、何を考えてたの?」
と、わたしの様子を見て、アスカがそう問いかけてきた。
「え・・・・?」
「散ってしまう花を見て、悲しい、と思ったんじゃない?」
「・・・・・・」
「もうすぐ散ってしまう花のことを、考えていたんじゃないの?」
・・・・アスカは、わたしのことを言っている。
そう、気づいた。
隣に碇くんがいるから、花の話に紛らわせてわたしのことを言っている。
「・・・・・」
「永遠に咲き続ける花なんて、どこにもないわ。あったとしてもそれは、決して綺麗なものじゃない」
「・・・・・」
「アタシも、そういうものにあこがれていたわ。何でも一番。いつまでも一番。それが最高なものだと思っていた」
「・・・・アスカ・・・・」
「でもね、違うのよ」
そう言って、アスカは足下の花片を一枚、そっと拾った。
「この花は、精一杯に生きた結果として、今ここに散っているのよ」
「・・・・・・」
「限りある時間の中で、この花は自分を輝かせていたの。だから、その輝きを見て人はそれを綺麗だと思うの。逆に、輝き続ける花にそこまでの感動を与えることはできないわ。そうでしょ、シンジ?」
「・・・・うん・・・・そうだね」
アスカからいきなり話題を向けられて、碇くんは少し戸惑っていた。でも、はっきりとそう答えた。
「永遠を生きるんじゃなく、今の時間を精一杯生きる花のほうが、ぼくは綺麗だと思うし、みんなもそう思うよ」
花の話だと、碇くんは思ってそう言う。でも、わたしはそれを自分に重ね合わせて聞いていた。
「それに・・・・花は散っても、樹は残ってる。そして来年も、いっぱいの花を咲かせるんだよ、桜は」
「思い出の中にも、残るしね」
アスカはそう言って、花を空に投げた。
風に乗って、その一枚の花片はどこかへ飛んでいく。
「・・・・だから、あんたも、ね・・・・」
小さな声。わたしにだけ聞こえる声で、アスカはそう言った。
「・・・・うん・・・・」
わたしは、アスカに小さなうなずきを返した。
アスカの投げた花片は、もう見えなくなっていた。
それから、わたしたちはあたりをゆっくりと歩いてまわった。
桜を見れなかったのは残念だったけど、それでも、碇くんやアスカと話をしながら、春の日射しの中をまわって行くだけで、なにかとても幸せな気分だった。
「・・・・ふう、さすがに結構歩くと疲れるわね」
「まあね、久しぶりに、外に出たからね」
「ねえ、少し、どこかで休んでいかない?」
アスカは、碇くんにそう言った。
「うーん、そうだね・・・・」
わたしはそんな二人の話を聞きながら、ふと空に目をやった。
「・・・・・?」
ひらひらと、何かが落ちてくる。
何気なく手を出して宙を舞うそれをつかんでみた。
「どうしたの、レイ?」
わたしのそんな行動を見て、アスカが不思議そうに問いかけてくる。わたしは、握りしめた掌をゆっくりと開いてみた。
「・・・・桜の・・・・花・・・・」
それは、桜の花片だった。
一瞬、アスカの投げたそれかと思ったけど、よく見てみると違う。下に落ちた桜のような汚れがない。
どこからか、飛んできたもの。
「レイ、それ、どっちから飛んできた?」
アスカがわたしの手の中をのぞき込んで、そう問いかけてきた。
「もしかしたら、まだ散ってない桜があるかも!」
「・・・・うん、ええと、あっち・・・・かな」
わたしはそう言って、近くの公園を指さした。
「ねえシンジ、いってみましょうよ!」
「そうだね、じゃあ、休憩もかねて、いってみようか」
「ほらほら、はやく来なさいよ!」
アスカはそう言うと、わたしや碇くんに先だって歩き出した。
「あ、待ってよアスカ!」
碇くんはそんなアスカを小走りに追いかける。そしてわたしも・・・・。
「わあっ!!」
公園の入り口にわたしがたどり着くと、アスカの歓声が聞こえてきた。
「見てみてシンジ!!」
「わぁ・・・・」
続いて、碇くんのため息も聞こえてくる。
わたしは入り口をくぐり、その声を頼りに公園の中を歩いていって・・・・。
「・・・・・・」
そして、しばし声もなかった。
見上げれば、ピンク色の世界が広がっていた。
一本の大きな桜の樹。咲き誇る花が、真っ青な空の下にあった。
「ここだけ、建物に囲まれて桜が落ちなかったみたいだね」
碇くんが周りを見ながらそう言う。
「そんなことはどうでもいいのよ、バカシンジ・・・・今は・・・・この桜を見れただけで・・・・ああ・・・・綺麗ね・・・・」
アスカは、うっとりとした表情で桜を見上げている。
わたしも、アスカと同じく桜を見上げていた。
「・・・・綺麗・・・・」
かろうじて、それだけが口をついてでた。
言い様のない美しさ。それが、そこにはあった。
造花のような美しさでもなく、映像で見る綺麗さでもない。
命の輝きに、それはあふれていた。
「・・・・本当に・・・・綺麗・・・・」
言葉が見つからない。でも、それでよかったと、わたしは思う。
言葉にするのには・・・・もったいないから・・・・。
「ここで、しばらく桜を見てましょうよ! ね、シンジ!」
アスカがそう言って、碇くんの脇をつついた。
「うん、そうだね。ここで、お花見にしよう」
碇くんはにっこり微笑んでそう言うと、
「ちょっと二人とも待ってて、何か飲み物、買ってくるから」
そういって自動販売機を探しに行ってしまった。
「レイ・・・・」
あとには、アスカとわたしだけが残された。
「・・・・どう? 散る前の桜を見て・・・・」
「綺麗・・・・そう、すごく・・・・綺麗・・・・」
「・・・・そう。で・・・・?」
「え・・・・?」
わたしは、アスカが何を言いたいのか分からなかった。
「アンタはこの桜が年がら年中咲いていたとして、それが綺麗だと思う?」
「・・・・・・」
「そう、思う?」
「・・・・思わない・・・・」
「でしょ? 桜は、いえ、人も花も、さっきも言ったように終わりがあるから面白いし、美しいの。永遠は怠惰な時間の積み重ね。そこから何も、生み出すことはできない。でも、終わりある時間の中では、人はそれを精一杯生きようとするから、何かを生み出せるし、その姿は輝いて見える」
「・・・・うん・・・・」
「ま、アタシが言えるのはこれだけ。あとは、アンタが考えるのね」
そういって、アスカはわたしの肩を小さく叩き、にっこり微笑んでベンチのほうに歩いていった。
わたしはその叩かれた肩に手を当てた。
アスカの優しさを、そこに感じられるような気がした。
・・・・ありがとう・・・・アスカ・・・・。
・・・・ふわり、と、目の前にまた花が一枚、落ちてきた。
ひらひらと風に乗って舞い降りる花片。
それを、わたしは綺麗だと思った。
精一杯に生きた結果として、散っていく花。
それを、美しいと感じた。
「・・・・きれいね・・・・・ほんとうに・・・・」
わたしは小さく呟く。
と。
ばさああああああっ!!
不意に強風が吹き付け、わたしは思わず瞳を閉じ、髪を片手で押さえつけた。
そして・・・・。
「・・・・・・・」
瞳を開いたわたしの視界には、一面に舞い散る桜の花の姿が映っていた。
ピンク色の雪のように、それらはゆらゆらと宙を舞っている。
白い雲、青い空をバックに、それはたとえようもないほどの感動をわたしに与えてくれた。
声もなかった。
そう。声もなかった。
「・・・・・・」
わたしはその姿を見ていて、思わず顔がほころんでいるのを感じた。
桜の花・・・見ることができて・・・・本当によかった・・・・。
・・・・そして、そのうちの一枚を手に取ろうと、腕をさしのべ・・・・。