遥かなる空の向こうに・・勝手に外伝(公認?)


  

*注意 このお話は第十話までを参考に、勝手に私の想像力に任せて書いたものです。

第X+3話:真実(ほんとう)の記憶
   副題:鏡 参−シンジ− Bパート

原作 丸山御大先生

外道 踊りマンボウ

 

 

「綾波・・レイ」

 目の前の存在、渚カヲルからその名前を聞いた時、僕の頭に走る映像。

『あなた・・誰?』

 夢の中の少女。

 水色の髪、紅い瞳、美しい彫刻のように滑らかで白い肌。

 機械のように淡々とした調子の声。

 だが、その瞳に意志が宿る。

『碇・・クン』

 その声に感情が宿る。

「綾波っ!」

 心の中、綾波が僕の名を呼んだ。

 僕は思わず叫んだ。

 途端、カチリと僕の頭の中で、何かが開いた。

「思い出してきたみたいだね・・碇シンジ君」

「僕は・・僕は・・っ!」

 記憶に掛けられていた鍵が一つ弾けた。

 僕の瞳に、映る少女・・綾波レイ。

「僕は・・っ!」

 僕の記憶が、ビデオの早送りのように頭の中で流れる。

「綾波レイ・・。君の側にいた少女・・。今は居ない存在」

 頭を押さえて苦しんでいる僕に、カヲルは淡々と続ける。

「綾波・・」

 僕は何かを求めるように、何度も彼女の名前を呼ぶ。

 その度に、体が波打つ。

 流れる血が、沸騰したかのように熱い。

「レイ・・」

『シンジ・・思い出しては・・駄目・・』

 アスカの声がする。

「アスカっ!」

 頭の内側からの声。

「惣流・アスカ・ラングレー。嘘を隠すために、再び嘘をつく少女。優しすぎる少女・・」

 カヲルの瞳が苦しむ僕を捉える。

 あくまで、淡々と僕に話し掛けている。

「嘘・・?」

 解らない。

 何の事か解らない。でも、今感じている違和感は、それを理解している。

「何のこと・・なの・・」

「・・解るはずないよ。だって君は忘れているのだから・・」

「忘れている・・?」

「・・そうだね、正確に言うと人為的に忘れさせられているんだけどね・・」

「忘れさせられた・・?」

 僕は、カヲルを見据えた。

 壁が彼の体を通して見える。この世ならぬ存在なのに・・何処か・・懐かしい。

 その感覚が、僕の心から驚きを取り去り、彼の発する言葉に耳を傾けさせる。

「教えてあげるよ・・君の罪を。君の周りの人達の優しさを・・」

「罪・・」

 その言葉に、僕はドキリとする。

「そう・・僕から見れば・・の話だけどね・・。君自身が、どう思うかは解らないけどね」

 そういって、カヲルは笑った。

「罪・・って・・」

「君にとって、その嘘は赦せなかった。・・それだけのことだけどね・・」

 カヲルの瞳がすっと細まる。

 紅い瞳・・。

 レイと同じ・・紅い瞳。

 忘れさせられている記憶の扉から、少女の姿が浮かび上がる。

 そして、それはカヲルに重なっていく。

『レイ・・綾波レイ・・』

「・・あの日・・君は・・」

 カヲルはゆっくりと語り始めた。

 真実(ほんとう)のシンジの記憶を・・。

 

「シンジ君、ちょっと来てくれる?」

「あ・・はい?どうしたんですミサトさん、こんな朝早くから」

 珍しくネルフの制服をきちんと着たミサトさんが、厳しい顔付きで入って来た時、僕は、朝食の準備をしていた。

 その時の僕は、それから知らされる真実について解るはずも無く、いつものようにミサトさんを迎えていた。

「・・朝食は作らなくていいから・・とにかく来て」

「はい?・・どうしたんです?本当に」

 妙に緊迫しているミサトさんに僕はのんびりした調子で返す。

「いいから、来て」

「・・はい」

 ミサトさんの口調は厳しかった。

 僕は頷くしかなかった。

「・・」

 僕が、出かける準備を始めた時、ミサトさんは何やらさらさらと走り書きをしていた。

「さあ、行くわよ」

 その走り書きをテーブルの上に置くと、有無を言わせぬ口調で僕を連れて行く。

「・・」

 その強引さに、何処か嫌な予感がしつつも、僕はミサトさんに従った。

『アスカへ。シンジ君を連れて、病院へ行きます。アナタも後から来て。 −ミサトより−』

 テーブルの上の走り書きをちらっと見たが、僕には何も解らなかった。

「・・」

「ミサトさん・・どうしたんです。そんなに急いで!」

 まるで非常召集の時であるように、ミサトさんは走っていた。

「・・」

 だけど、何も答えてくれない。

 次第に、僕の胸に不安が広がり始めた。

「乗って!」

 ミサトさんは滑り込むよう愛車の運転席に乗り込むとエンジンをかけた。

 僕は、慌ててミサトさんの愛車に乗り込んでドアを閉めた。

 とたん、車は急速発進して、軽いGが僕の体を襲った。シートベルトをする間もなく、体がGでシートに押付けられる。

「ど、どうしたんです?」

 車はぐんぐんとスピードを上げて行く。

「・・シンジ君。・・いえ、後で話すわ」

 厳しい顔付きで、ミサトはアクセルを踏み込んだ。

 さらに、車が加速していく。

「・・」

 シンジは、取りあえずシートベルトをしっかりと締めた。

 

「レイ・・そろそろ始めるわよ」

 モニターに映る少女の顔を見ながら、リツコはエントリープラグ内の全裸の少女に呼びかけた。

 その手には、『綾波レイ再構成計画書』と書いてあるレポートが収まっている。

「・・」

 呼びかけに綾波レイの瞳がゆっくりと開かれる。

 いつもであれば、素直な返事が返ってくるのだが、この時レイはじっと前を見詰めて何か考えていた。

「・・リツコさん。・・ワタシの荷物の中に、SDATのテープがあります・・。それを・・聴かせて下さい」

 静かな調子で、レイは希望を告げた。

「・・マヤ」

 リツコは、この計画において助手を務めているマヤに、レイの願いを叶えてやるように命じた。

 マヤは、そのリツコの命令を受けるまでもなく、レイの荷物の中から、SDATウォークマンとSDATテープを取り出していた。

「・・これね」

 SDATウォークマンの音声出力端子から音声信号を引き出し、音声入力プラグへと繋ぐ。

 そして、一度音声信号出力レベルを確認してから、エントリープラグ及び、発令塔に音声を繋いだ。

「・・Freude!Freude,SchonerGotterfunken、TochterausElysium・・」

「これは・・」

 スピーカーから流れてきた音楽。

「ベートーヴェン・・第九・・第四楽章、歓喜の歌?」

 リツコは、その歌を聴いて、呟いた。

 まさか、こんな曲が入っているとは思わなかった。

「・・博士・・赤木博士・・始めて下さい」

 レイは、聞えてくる音楽に耳を傾けながら、静かに目を閉じた。

『碇クンの・・過去・・心・・』

 あれから、何度も何度も繰り返し聴いてみた。何処か心を掴んで離さない何かがある。

 心が落ち着きながら、何処かざわめく。

 この世界との別れの際に、急に聴きたくなったのは、きっとそのせいだろう。

『世界との・・別れ・・いいえ違うわ。・・私という存在との・・別れ』

 体は戻っても・・記憶は戻らない。

 それでも、生きたいと思う。

 だから、レイはエントリープラグの中に居るのだ。

「解ったわ・・マヤ・・始めて」

 クラシックが厳かに流れる中、計画は発動した。

「了解・・第四から第十接続開始。心理グラフ、各種波形モニター・・正常。計画、第二プロセスへ移行」

 MAGIシステムが、数値の分析、修正、制御のために忙しく動き始める。

「・・始まったな」

「ああ・・。レイの望んだことだ。我々には、その手助けをする以外何も出来ん」

「そうだな・・辛いな、碇・・」

「・・ああ・・」

 発令塔司令席で、ゲンドウはいつものように肘をついて腕を組み座っていた。

 その傍らには、ネルフ本部副司令である冬月コウゾウが立っている。

 二人の目の前に広がるモニターには、エントリープラグ内のレイが映し出されている。

「・・見守ることだけが・・出来ること・・か」

「・・」

「第二プロセス・・第三プロセス・・終了。セントラルドグマとの接続開始・・」

「・・いよいよね・・」

 リツコは、モニターを食い入るように見つめた。

「私が壊した人形・・馬鹿なことをしたわ・・」

 リツコは、セントラルドグマの水槽に浮かぶ無数のレイの最後の姿を思い出していた。

『あの人の息子の前で、レイを処分する・・。復讐のつもりだったけど・・。心は空虚なままだった』

 何をしたんだろう。

 何も得られないことは解っていたのに・・。

 でも、・・あの時の私の行動は、論理じゃなく・・感情だった。

 だから・・壊した。

 言い訳にはならないけれど・・慰めにはなる。

 自分が、科学者である前に、女であったということの証のような・・気がするから。

「シンクロ率上昇・・解放点まで、あと50」

「モニター、数値すべて異常なし」

「第十プロセスへ移行」

 淡々と数値結果が、リツコ達にもたらされる。

「計画、順調に推移・・」

「・・」

 レイから見える周りの風景が、しだいに変質してくる。

 エヴァに乗った時と同じように、神経接続の際の電流による幻影である。

 だが、いつまで経っても、その景色は歪んでいくばかりである。

『さようなら・・この世界。・・さようなら・・私・・』

 目を閉じても、直接神経に作用しているのか、視界は暗くならない。

「ずいぶんと・・騒がしい・・お別れ」

 レイは、口元を綻ばせた。

 第九、歓喜の歌を聴きながら、瞳は閉じても閉じられない。

『・・碇クン・・』

 その時、レイの瞳に浮かんだもの。

「涙?」

 呟いた途端、綾波レイという存在が、エントリープラグ内から消えた。

「レイ・・消失」

 マヤの声が、重く部屋に響く。

「マヤ、質量の変化は・・どうなってるの」

「はい・・特に変化無し。魂の固定は出来ているようです。熱エネルギー反応、光エネルギー反応共に無し・・成功です」

「・・でも、これからが・・勝負ね。マヤ、MAGIシステムをエントリープラグ維持に回して」

 リツコは、なおも厳しい調子で続けた。

 ここまでは、レイの出生の秘密との関連で、上手くいくのは解っている。

 問題は、ここからなのだ。

 シンジのサルベージのデータと、数々のレイのサルベージデータを元に、再び魂を伴った綾波レイを引き上げる。

「・・しばらくは、サルベージのタイミングを探るため・・現状維持ね」

 リツコは、完全にLCLのみになったエントリープラグ内の映像を見て呟いた。

 このまま、すぐにサルベージを開始しても良いのだが、魂の崩壊の確率が高くなる。

 意識形成の観点からすると、肉体イメージを維持している今、再構成を実行することは決して悪いことでは無い。

 だが、今のレイにそれが耐えられるかどうか疑わしい。

 そのバランスを図るのが、今の自分に課せられた使命である。

「マヤ・・データレベル制御の調整、お願いね」

「はい・・」

「さて・・シンジ君を迎えに行きましょうかしら・・」

 だが、リツコはそう呟きつつも、少年が既に、ここに来ていることを知っていた。

 

「落ち着いて聞いて、シンジ君・・」

 ミサトは、ネルフ本部へのエスカレーターを降りている途中、急に口を開いた。

「・・」

 シンジは、ミサトの厳しい表情と口調に押し黙っている。

「・・レイは・・」

 腕時計を見る。

「もう・・この世には居ないわ・・」

 アナログ式の時計の文字盤と秒針を見て、ミサトは目を伏せた。

 リツコに今日の実験のことを告げられていたのは実験開始直前である。おそらくはもう実験はサルベージへと動いているだろう。

「は?・・一体、ミサトさん・・何を言いだすかと思えば」

 ミサトの口から告げられた事実に、シンジは呆れ顔になった。

「第一、綾波は研修旅行中に行っているんじゃ・・」

 レイがしばらく留守にすると言い出した時、シンジはアスカの口から、その理由をはっきりと聞いている。

『あのさ、シンジ。・・レイ、保母さんになりたいらしいの。それで、ちょっと実地訓練を兼ねてしばらく泊まり込みの研修旅行に出かけるのよ・・』

『ふうん・・そうなんだ。・・しかし、綾波が保母さんか・・。綾波は優しいから、きっといい保母さんになるよ』

『・・そうね』

 今、考えてみると、その時のアスカ、様子が少し変だったが・・。

「シンジ君・・。聞いてちょうだい・・。レイは・・私達のマンションに引っ越してきた時から、残りの命が数えるほどだったの・・」

 シンジの反論を、ミサトはすかさず遮った。

「え?・・どういうことです・・ミサトさん・・」

 ミサトの話にぽかんとするシンジ。

「あの日・・、レイのマンションが取り壊される予定があって、アタシが預かることになったっていってたわよね・・」

「・・ええ、はい・・」

 シンジは、ミサトの言葉に一月ほど前のレイが引越ししてくる時のいきさつを思い出していた。

 あの時は、本当に突然で戸惑っていたのを思い出す。

「あれ・・嘘よ」

「・・嘘?」

 ミサトの口から『嘘』と告げられた瞬間、シンジは顔色を変えた。

 驚きが、顔にありありと表れている。

「・・レイのマンションは取り壊される予定なんか無いわ。それは今も変わっていないわ・・」

「・・嘘・・」

 その事実は、シンジにかなりのショックを与えたようだ。

「そう・・嘘をついていたのよ。アナタにだけ・・」

 ミサトは、レイのためとはいえ罪の意識があるのだろう、シンジから僅かに視線をずらす。

「どうして・・」

 ミサトを睨み付けるシンジ。

「それが・・レイのためだと・・アタシが判断したから・・」

「・・そんなの・・」

「シンジ君・・ごめんなさいね。レイの願いを・・叶えてあげたかったのよ。私や碇司令は・・」

 エスカレータの終点で、二人が降りてくるのをリツコは待っていた。

「と、父さんが・・」

「そう、碇司令も・・よ」

 リツコは静かにシンジを見つめていた。

「レイは、今まで通りの生活を望んだわ。・・生き残るべく病院で可能性を探るのを止めてまで。それで、せめてもの私達が出来る事としてシンジ君、アナタの所へ彼女を住まわせることにしたの」

『あの・・感情の無かったレイの心に想いを芽生えさせたアナタの所に・・』

 リツコは、その言葉を飲み込んだ。それは、今言うべき言葉ではない。

「・・」

「シンジ君・・ごめんなさい。アナタに何も言わなかったのは・・アナタを信用していないとかそんなんじゃないの」

 だが、その時点でシンジの耳には、リツコやミサトの言葉は届いていなかった。

「・・嘘・・偽り・・」

 知らないのは自分だけ、ということが少年の心を深く傷付けていた。

 

 

「どうだい・・シンジ君。思い出してきたかい?」

 ゆらゆらと、揺れるカヲルの姿。

 相変わらず、体越しに壁が見えている。

「・・」

「アスカや、ミサト・・君の周りの人達は、また嘘をついていたんだ」

「・・嘘・・」

「それは、今、思い出している記憶で解るよね・・」

「・・」

 シンジは額に皺を寄せた。

 自分の頭から掘り起こされる記憶と、引き起こされる苦痛。

 それは、確かに真実(ほんとう)の記憶だろう。

 だとしたら、アスカが今朝言っていたことは・・偽りの生活のための嘘。

「・・また・・みんな嘘をついて・・僕だけ・・」

 ぐっと怒りが込み上げてくる。

「・・。シンジ君、またアスカを殴るのかい?」

 怒りに燃えるシンジに、カヲルは冷ややかに言い放つ。

「えっ!?」

「君は、あの時・・自分の欲望のままアスカを殴ったけど・・、また殴るつもりなのかい?」

 カヲルは、その存在場所をやや空中に移して、シンジを見下す。

「怒りに身を任せるのも、人として当然の行為だと思うよ。けれど・・よく思い出して欲しい。君は何のために彼女を殴ったのか・・」

 カヲルの軽蔑の視線が、ふと優しいものに変わる。

 シンジは、途端催眠術にでもかかったかのように心穏やかになる。

「続けるよ・・」

 シンジの表情が和らいだのを見て、カヲルは満足げに微笑んだ。

 

「・・シンジ君、あれが・・今のレイよ」

 リツコは、エントリープラグ内の映像を映し出しているモニターを示した。

「・・!何も無いじゃないですか・・」

「いいえ・・シンジ君・・あの中にレイは居るのよ」

 ミサトは、何も無いエントリープラグの映像を悲しい目で見ていた。

 何も存在しない人を見るのは・・二度目だ。

「昔のシンジ君と同じようにね・・」

「僕と、同じ?」

「ええ、そうよ。第14使徒ゼルエルを倒した時・・といったら解るかしら」

 ミサトの言葉に、リツコが続いた。

「ただし、レイの場合は自ら望んで、人為的に引き起こしたものだけど・・」

「・・」

「アナタも見たでしょう。レイの複製体・・正確に言うと、魂の伴わないサルベージ体」

「・・二人目・・三人目のレイ・・」

「そう、私が壊した人形達・・。唯一、魂を宿したのは今までアナタと共に居た・・綾波レイだけだった。でも、先の戦いで、埋められない器の穴が発生したの。巨大な力をその身に宿したせいでね」

「先の戦い・・ですか」

「ええ、そうよ・・。もう思い出したくないかもしれないでしょうけどね。とにかく、その器の穴が原因で、魂の移植・・自爆した二人目から、三人目になった時のように、器だけを変えることが出来なくなったの。それと少しづつ芽生え始めた感情も微妙に体に作用して移植の阻害要因になっていたの」

「・・」

「私達も、手をこまねいて見ていた訳じゃないわ。・・時々、レイを呼んで検査をして、彼女が生き残れる方法と可能性を探ってみたの・・。それで、出た結論が、アナタの目の前にある・・それよ」

「・・これが・・綾波なの・・」

 リツコに促されて、再びエントリープラグ内の映像を映し出しているモニターを見る。無論、先程見た時と何ら変わりの無い映像がモニターには映し出されている。

「そうよ。・・感情の形成と成立から、自我の意識体の成立、しいては魂の成長がレイには認められたわ。その結実としての最終手段・・身体の分解および再構成計画・・。今アナタが目にしているのはその途中経過・・」

「・・本当は、計画が無事成功するまで・・何も言わないつもりだったのだけど・・リツコに計画の発動を告げられて・・真実を知ってほしくて・・」

 ミサトはリツコの言葉を受けて続けた。

「綾波・・アスカ・・ミサトさん。みんな僕を・・騙していたんだ・・」

 シンジは、リツコとミサトが言葉を重ねる毎に、怒りが湧き上がってくるのを感じていた。

 すべて、自分だけが隔離されている。

「・・」

「・・そうね・・。でも、シンジ君・・」

「聞きたくない!どうせ僕なんて・・」

 そこへ一人の少女が息を切らせつつ、駆けて来た。

「シンジ・・」

 その少女、惣流・アスカ・ラングレーは、シンジやリツコ、ミサトのただならぬ様子に緊張しつつも割り込んだ。

 辺りは緊張した空気が当たりに満たされている。

「アスカ!」

 視界の角に、金髪の少女を認めたシンジは、心から沸き上がる衝動のまま叫び・・そして行動した。

『みんな、僕を除け者にして!そんな僕を・・笑っていたのか!』

 強力な疎外感に、シンジは怒りを覚えていた。その失意に、在りもしない想像が、更なる想像を呼び、行動へと導いていた。

「!」

 アスカは、一瞬視界からシンジの姿が消えたように見えた。

 だが、すぐに視界いっぱいにシンジの顔が現れて、アスカは床に倒された。

「アスカぁっ!」

 怒りの形相のシンジ。

「痛っ・・」

 勢いよくシンジがぶつかってきたせいで、体勢を整えるままもなくアスカは倒れた。

 幸い頭を強く打たなかっただけ、ましと言えるだろう。

「僕を騙していたんだな!」

 シンジは拳を振り上げた。

「シンジ・・」

 いつもは優しいシンジの怒りに、アスカは脅えていた。

 それに、騙していたのは事実と言うこともあって余計に抵抗の意志を奪っていく。

『シンジが・・アタシに手を・・上げている・・』

「みんなで・・知らされていないのは僕だけ・・ちくしょうっ!」

 シンジは拳を振り下ろした。

「止めなさい!シンジ君!」

 事態の急変に、ミサトが動いた。が、遅かった。

 容赦無く振り下ろした拳は、アスカの顔に当たっていた。

『・・シンジ!・・』

 ガツンという衝撃を感じて、アスカは意識を失った。

 斜めから振り下ろされた拳は、アスカの頭を強く床に叩きつけるだけの威力を備えていた。

「アスカ!・・」

 ミサトは、アスカの様子に青ざめて、素早くシンジを引き剥がした。

「ちくしょう!ちくしょう!」

 だが、シンジはミサトに腕を掴まれてアスカから引き剥がされてもなお暴れるのを止めない。

「リツコ・・アスカの方、お願い。・・しょうがない駄々っ子ね・・」

 ミサトは、優雅な動きで手を上げて、首筋に打ちつけた。

「あぐっ・・」

 軽い脳震盪を引き起こされて、シンジは気を失った。

「・・悔しい・・か。大人しい子ほど怒った時恐いって言うけど・・まさしく・・それね・・」

「・・ミサト・・アスカの方は一応精密検査、しとくわね。内出血の可能性もあるし・・」

「ええ・・お願いね・・」

 

「君は・・怒りのまま・・欲望のままアスカを殴った。・・覚えてるよね」

「・・うん・・」

 カヲルの姿が少しづつだが、薄くなっているようにシンジは感じていた。

 それとともに、窓に差し込む日差しもやや翳りを見せていた。

「それが君にとってどんな意味が在るか・・考えてごらん・・。その後、君が何故、記憶操作を受けたか・・答えがあると思うから」

「・・答え?・・」

 シンジには、何のことか判らない。

 問いただす視線をカヲルに送るがカヲルはにこにこと笑ったままである。

「・・もう少し続けよう」

 カヲルは、シンジの疑問には答えず、再びシンジの過去を辿り始めた。

 

「シンジ君の記憶操作?・・リツコ、どういうつもり?」

「どうもこうもないわ。さっき、シンジ君が気を取り戻した時の様子みたでしょう?」

「ええ・・でも・・」

「手の付けられない子供・・なまじ力を持っているから余計手におえない・・。それに、あの様子だと・・自己破滅を望みかねないわ。せめて・・レイの再生が叶うまで時間が欲しいの・・」

「解ったわ・・」

 ミサトは、ただエントリープラグ内の映像を映し続けるモニターを睨み付けた。

「レイが、帰るまで・・ね」

「それと、アスカにこのこと・・」

「・・解ってるわ。アスカにはまた辛い思いをしてもらうことになるわね」

 ミサトは顔を曇らせた。

『アスカには・・本当に辛いことばかりさせているわね』

「・・そうね」

 

「・・記憶操作?」

 ぼんやりとアスカは天井を見上げていた。

 喋るたびに、シンジに殴られた痕が痛む・・。

「そうよ、アスカには・・辛い思いばかりさせるけど・・」

「・・」

「アスカが駄目なら・・リツコにも掛けあって別の方法を考えてみるけど・・」

「でも・・それをアタシに最初に話したってことは・・」

 アスカの目がミサトの方を向いた。

「ええ・・そうよ。もしくは、レイの再生までシンジ君を眠るらせるか・・くらいしか考えてないみたい・・」

 ミサトは、アスカの問いかけの目に頷いた。

「今のシンジ君のままだと・・駄目なのよ・・」

「でも・・いつかは、記憶を取り戻す・・」

「その時は・・私が殴られるわ。すべては・・そう始まりは私がレイのためと・・同居をさせたせいなんだから・・」

 ミサトは、レイが二人のところへ来た時のことを思い出していた。

 アスカに事情を話し、嘘をつくことを頼んで・・、結果こうなってしまった。

「そう・・私がすべて悪いのよ・・。アスカが辛くなることも解っていたんだから・・本当に御免なさい」

 ミサトは、ベッドに横たわっているアスカに対して深々と頭を下げた。

「ミサト」

 そんなミサトを見て、アスカは弱々しく微笑んだ。

「何?アスカ」

「アタシは、レイと一緒に暮らしたこの一月・・後悔はしてないわ。だから・・謝らないで・・」

 レイがいて、苦しんだけれど、それは後悔するような苦しみじゃない。

 それよりも、躊躇いで時間を無駄に過ごすことが恐かったし、苦しかった。

「アスカ・・」

「それよりも・・記憶操作・・痛・・」

「アスカ・・無理に喋らなくていいから・・。その辺のことは、また落ち着いてから話しましょう」

「・・ミサト、一つだけ・・聞いて欲しいの」

「何?」

「また・・嘘をつくために・・嘘を重ねるのね・・」

「ええ・・そうね。でも、アスカ・・それはアナタの罪じゃないわ。・・無理をいっている・・私の罪よ」

「・・ミサト」

「じゃ、アスカ・・また後で」

「ええ・・」

 

「記憶操作・・本人にとっては、嘘の上に嘘が重なっていく腹立たしいことだろうけど、シンジ君・・何故周りの人達が・・そうしなければならなかったか、解るね」

「・・」

「君は、君なりに傷ついた・・。けれど、傷ついていたのは君だけじゃない。アスカや、ミサト・・皆傷ついていた」

「・・」

「もともとの始まりは・・綾波レイという存在のためだったけどね。けれど・・尽きようとする命の前に、彼女のせめてもの想いを叶えてあげたいという周りの人達の気持ち・・優しさは解るよね」

「でも・・僕には・・誰も言ってくれなかった・・」

「・・じゃあ、シンジ君。君がもし、レイの寿命について知ってしまっていたらどうしたんだい?レイの心の奥に芽生えつつあった感情・・恋慕について」

「・・」

『それは・・綾波のために、嘘を・・っ!』

 シンジの顔が、さっと青ざめた。

「少しは解ってきたようだね。・・そう、君は優しいから・・たとえ、好きでなくても好きと言ってしまうかもしれない・・レイのために」

「・・」

「けれど、それは偽り・・。もちろん、赦されるべき偽りだとは思うけれど・・それよりも、周りの・・特にアスカは、自分が偽りの罪を背負うことを選んだ」

「・・罪・・」

「そんなアスカを君は殴った。そのことについては、良く解るし、過去のことだからもうどうしようもない。でも、冷静になった今、考えて欲しい。君は何のために殴ったのか。君はあの時、何を思っていたのか」

「僕はあの時・・」

 カヲルに見守られて、シンジは落ち着いてその時を辿ってみる。

 頭の痛みは、今は嘘のように引いている。

「僕は、あの時・・悔しかったんだ。周りの皆が・・僕だけを騙して除け者にしていたように思えて・・」

「・・誰も、自分を見てくれていない、優しくしてくれない・・。果てには、そんな周りへの憎しみ・・だよね」

「・・」

 シンジは、カヲルの指摘に頷いた。

 あの時、自分を突き動かしていたのは、黒い欲望、憎しみだった。

「君は、嘘をつかれていた。その観点からすると当然の行動かもしれない・・。けれど、また今度も君はアスカを殴ろうと思っていた。ただ、嘘をついたという一点だけで」

「・・それは・・」

「記憶操作が、何故行われたか、君なら解るよね。・・そう、最初から周りは君とレイのために精一杯の優しさを持って包んでいたんだ・・」

「・・」

「目に見えるだけが、優しさじゃない。・・もちろん、気付いて欲しくない優しさだってある。君の周りは・・突き詰めていけばレイのためかもしれないけど・・優しいかったし、今だって優しい」

「・・優しい・・。そんなアスカを僕は・・」

「君は、僕によって知ってしまった。知ってしまった以上、やるべき事とやってはいけない事も解ってきたよね」

「うん・・」

「アスカを殴ってはいけない。・・そして、君はすべてを知ってしまった以上、これから起こることをよく考えて受け止めるべきなんだ」

「・・うん」

「知ってしまった以上、今までと同じでいけないし、かといって演技でも駄目だよね・・。それ以上は僕の言うべき事では無いこと、だけど・・解るよね。無論、僕の言っていることは、選択の強要ではないから・・君がどんな選択をしようと構わないけれどね」

「・・」

「だけど・・今、君がすべきことは・・ネルフ本部へ行くことだと思うよ」

「え?」

「知ってしまった者として、レイの再生の儀式に立ち会うのは当然の義務だろう。今から行けば間に合う・・。さあ、シンジ君・・行くんだ」

「うん・・解った」

「そう・・それでいいんだ・・シンジ君・・」

「でも・・カヲル君・・君は一体・・何者なんだい?」

「・・僕のことかい?それとも、この体の持ち主の渚カヲルのことかい?」

 カヲルは少しおどけて見せた。

「その両方・・」

 質問を返されてシンジは戸惑った。

「ふふっ・・僕自身のことは、どうでもいいことだから言わないけれど・・この体の持ち主のことは・・じきに思い出すよ。きっと・・」

「・・」

「それよりも、シンジ君・・今、君がするべき事は別にあるだろう・・。さ、行くんだ」

「うん」

 シンジは、カヲルに背を向けて走り出した。

 途端、カヲルの姿は、部屋から消えた。

 と同時に外から射していた日の光が射さなくなり部屋が暗くなった。

「・・少しお喋りだったかな?・・もしかすると、この体の持ち主の優しさに影響されたのかな?・・ま、とにかく・・伝えるべきことは伝えたから、良しとしよう・・」

 レイのベッドの上の小さな鏡の中で、先程まで壁に映っていた少年、渚カヲルの姿があった。

「優しすぎる・・子供達・・か・・」

 ふっ、と笑みを見せて鏡の中のカヲルは消えた。

 

遥かなる空の向こうに・・勝手に外伝(公認?)

 

第X+3話:真実(ほんとう)の記憶
   副題:鏡 参−シンジ− Bパート

−終−

 

作者後書き

 

「鏡」シリーズ最終作の「−シンジ−編」の実質的終わりであるBパートいかがでしたでしょうか?

 アスカの苦しみぶりに比べて、あっさりしている感じがすると思いますが、今の私の実力ではこれが精一杯です。

 本当は、アスカを殴るシーンとか、もっと考えたいこともあったのですが・・無理でした。

 記憶操作のくだりは、本当に強引であることは解っているのですが、Aパートにおいて仕掛けをした以上こういう理由付けになりました。無論、そういう選択をしてしまった私が悪いのですが、御容赦と御理解のほど、お願い致します。

 次の作品にて、鏡シリーズの幕が閉じられますが、またかなり妙なことを考えてますので・・読みづらい作品になることを、あらかじめ御了承下さい。

 「鏡 参−シンジ− Cパート」でお会い致しましょう。

 

*この場にて、「遥かなる空の向こうに」の作者である丸山氏に本当に深く感謝いたします。

 もちろん、このような邪道な駄作を読んで下さった貴方にも・・。

 



踊りマンボウさんへの感想はこ・ち・ら♪   



管理人(出張)その他のコメント

カヲル「・・・・ついに、ラスト迫る、ということだね」

作者 「全くその通り。よくよく思い返してみると、この「鏡」シリーズの最初のころ、お茶ら桁コメントをしていたのが非常に赤面の至りですよ」

カヲル「クオリティ、話の構成、作品の雰囲気。全てにおいて素晴らしすぎるほどの内容だよ」

作者 「まったくそのとおり。これは、しかし・・・・・終わって欲しくないような、しかしラストを早く見たいような・・・・」

カヲル「言葉もないね。まったく」

作者 「今回も同じように、コメントで作品イメージを壊したくないので、この辺で切らせてもらいません?」

カヲル「全くその通りだね」


続きを読む
前の話に戻る
上のぺえじへ