遙かなる空の向こうに

第33話:さよなら、また会う日まで





「あーあ、久しぶりの仕事なんて、やんなっちゃうわね」
 ゲートを通過しながら、アスカはぐちぐちと文句を垂れていた。
「しょうがないだろ、ミサトさん達に迷惑かけたのは事実なんだから」
 シンジが苦笑しながら、それに続く。
 あの日、森の中で夜を明かした二組。キャンプ場に戻ってきた四人を迎えたのは、ミサトの怒声と拳骨だった。
「朝帰りなんていい身分ねえ〜四人とも! どれだけこっちが心配したと思ってるの!」
 盛大に拳骨を食らったそれぞれにはそれぞれ言いたいことがあっただろう。
 どこが心配よ。どーせ酒くらって寝てたんでしょ!
 とはアスカの弁だが、さすがにそれを口にはしなかった。経過はどうあれ、帰ってきたのが危険のなくなった朝であることは事実なのだから。
 そしてリツコが、とがめるようにシンジたちに宣言した。
「罰として月曜日の放課後、本部にいらっしゃい。仕事を用意するから」
「げっ!」
 アスカはその言葉に渋面を浮かべる。
「仕事! いまさら!」
「いまさらだからよ。必要なことだもの」
「そんな殺生な!」
「罰則に殺生でないものがあるかしら?」
 アスカの反駁に、リツコはそう言って反撃を封じたのだった―――。
「でも、本当に、仕事なのかしら」
 レイがぼそっとつぶやき、ゲートを抜けた。
「え?」
 期せずして、アスカとシンジは振り返る。
「だって」
 レイはそう言いながら、さらに背後を振り返る。
「ん? なんや?」
 そこには、彼らの後に続いてゲートを抜けるトウジの姿があった。
「わたしたちへの罰なら、どうして鈴原君が?」
「・・・・確かに、そうよね〜」
「いくらケンスケのかわりったって」
「っちゅうか、なんでワイがケンスケの代わりに罰をうけなあかんのや?」
 そのトウジの言葉に、さあ、と三人は三様に首をひねる。
『相田君は本部に入れないから・・・・そうね、鈴原君』
 リツコはそう言って、トウジを名指しで呼んだのだ。
「あなた、代わりにシンジ君達と一緒にいらっしゃい」
「ワ、ワイが!?」
「そう。本部に入る資格を持っている人は他にいないからね」
「・・・・ケンスケぇ・・・・・」
 有無を言わせぬリツコの口調に、トウジは恨みがましい目でケンスケを見る。それに対しケンスケはといえば、ひたすら両手をあわせて拝み続けるのみ。
 すまんこのとおりだ今は黙って耐えてくれあとでこの借りは必ず必ず返す!!
 リツコを怒らせない一身で拝み続けるケンスケに、トウジはもはや返す言葉もなかった――――。
「っちゅうかワシら、なんや無理矢理こじつけで集められたような気がするんやけどな」
「あ、アンタもそう思う?」
「そら、ファーストからフォースまでチルドレン揃い踏みや。なんやおかしい思わんほうがどうかしとるやろ」
「そうよね。三バカの一人としてはめずらしく冴えてるじゃない」
「なんやと!」
「なによ、誉めてるんでしょ。ありがたいと思いなさいよ」
「それのどこが誉めてるちゅうんじゃ!」
「右から左までに決まってるじゃない」
「そういうのを皮肉っとるゆうんや!」
「あら、ますます冴えてるわね」
「むきー! おまえに言われとうないわい!」
「トウジもアスカも、止めなよ。・・・・ほら、着いたよ」
 シンジの取りなすような一言で、その場はとりあえず収まった。トウジはまだ不満そうにむくれているが、それを無視して、シンジは扉の前に立つ。
 アスカの様子が、以前のように明るいことに彼はほっとしていた。
 先日はシンジの胸で泣きじゃくっていた彼女だったが、一晩明けると、なにか憑き物が落ちたかのようにすっきりとした表情だった。
 よかった。アスカがいつものアスカに戻ってくれて。
 小さな笑顔を浮かべていたシンジだったが、室内の様子を見た瞬間、その笑顔がわずかにこわばった。
「リツコさん、ミサトさん・・・・父さん・・・・」
 そこには、ネルフの主要幹部が揃い踏みで彼らを待っていた。
 葛城ミサト、赤木リツコ、青葉シゲル、日向マコト、伊吹マヤ、冬月コウゾウ、そして―――碇ゲンドウ。
「遅かったわね。4人とも」
「・・・・すいません。授業が遅れました」
 ぺこり、と頭を下げると、リツコはそれ以上追求しようとしなかった。
「ま、いいわ。じゃあ、全員そろったところで・・・・行きましょうか」
 そのまま椅子から立ち上がると、先頭を切ってシンジ達が入ってきたのとは逆方向の扉から出ていく。
 マヤ、ミサト、シゲル、マコトの順でそれに続き、ゲンドウが瞬間、シンジと視線を合わせて、すっと背を向け扉の外に出た。冬月が「さあ、行きなさい」とシンジ達を促す。
「いったい、何が?」
「行けば、分かることだよ」
 それ以上、冬月はシンジ達に何も教えてくれる素振りを見せなかった。
「行けば分かるって、いったい何なのよ・・・まったく」
 アスカがぶつぶつと文句を言いながら、シンジに続いて扉を出る。トウジが続き、レイと冬月が室内に残った。
「まさか」
 レイが扉の前で足を止め、思い出したように冬月の方を見る。それに対して彼は、うなずきだけを返した。
「そう・・・」
 それだけで全てを察したのだろう。レイはみんなの後を追うように扉の外に出る。
 最後に、冬月一人が室内に残った。
「ようやく、これでひとつのけりがつくわけだ」
 しみじみとしたつぶやきが、沈黙に満ちた室内に漏れた。


 長い長いエレベータ。
「どこまで、降りるんですか?」
 圧迫されるような沈黙を破ったのは、シンジの問いだった。
 彼の視線はミサトに向けられている。ミサトさん、教えてください。あえて名前は出さなかったが、シンジはミサトに答えを期待した。
 しかし、彼女は答えなかった。ただシンジを見つめ、見つめるのみ。
 代わって答えたのは、
「ターミナルドグマだ」
 ゲンドウが、流れる螺旋を眺めながらぽそりと答えた。エレベータの外では。上から下へ、螺旋状にレールが配されている。それはまるで、遺伝子の中を抜け落ちていくような感覚。
「・・・・一体そこで、何をするっていうの?」
 シンジはゲンドウにそう問いかけた。問いかけていながら、しかし答えはだいたい想像がついていた。ジオフロント最深のそこは、最も重要な物を置いておく場所。いま、そこにあるべき物は。
「わざわざ僕ら4人を集めるって事は・・・・エヴァ?」
 ぴくり、とアスカとトウジがその声に身体をこわばらせた。
 互いに顔を見合わせ、そしてさらにシンジの背中を見る。
 予想はしていた。しかしながら、当然現れる不安と、不審。今になって、一体何を。彼女たちの表情は、そう語っている。
 シンジはその様子を、振り向くことなく感じ取っていた。
 だから、聞けるならば聞いておきたい。
 一体、何を。
「そうなの、父さん?」
 重ねるように、シンジは問いかける。
 ゲンドウは、しばしその問いに無言だった。窓の外を眺め、シンジ達の方を振り向こうとはしない。
「父さん」
「分かっているなら、聞く必要もなかろう」
 ややあって、ゲンドウは小さくつぶやいた。
「エヴァだよ。おまえたちの、最後の仕事だ」
 そう言葉を継ぐと、ゲンドウはそれっきり口を開かなかった。
「エヴァ・・・・」
 シンジは、その言葉をかみしめるようにつぶやく。
 再び口を開こうとしたとき、エレベータの速度がゆっくりと落ちた。がくん、というかすかな揺れと共に、螺旋の流れは動きを止める。扉がゆっくりと開き、ターミナルドグマへと到着したことを示した。
「さ、行くわよ」
 リツコが先頭に立ち、扉を出る。マヤが、シゲルが、マコトが、さらに続いて出ていく。
「僕たちも、行こう」
 ためらいがちなアスカとトウジに、シンジはそう言って足を踏み出した。


 ぴっという電子音と共に、眼前の扉が開いた。
 ターミナルドグマ最深部。かつてはアダム/リリスと呼ばれていた「それ」を納めていたそこは、かつての姿からはすっかりと様変わりしていた。
「これは」
 ボルトによって打ち付けられた鉄板と地面を這う様々なケーブル類。壁と壁との間を橋渡すような足場は、まるでエヴァ格納庫を思い出させる。LCLの海、むき出しの岩塩の柱、南極大陸―――かつて南極大陸と呼ばれた地を模した姿はもはやかけらもない。
 そしてそれらの中心に位置するのは、3体のエヴァだった。
「・・・・初号機」
「アタシの、弐号機・・・・」
「ワイの参号機・・・・?」
 拘束ゲージに固定され、ライトに照らし出されているのは、それぞれが共に戦ったエヴァだった。
「いつのまに」
 シンジは、自分たちを見下ろす巨人を目の前に、わずかにそうつぶやいた。
 3体のエヴァに、戦いの傷跡はない。激しく傷ついていた初号機、両腕を失っていた弐号機、下半身を朱に染めた参号機、そのすべてが完璧に修復され、磨き上げられた機体は新品も同様。
「あんなにぼろぼろだったのに・・・・」
 アスカも、この様子に信じられないという表情を浮かべている。
「戦いがなくなったせいで、技術部が暇を持て余していたから。しっかりと機体にワックスまでかけてくれたわ」
 リツコは苦笑しながらそういうと、ゲンドウに向き直って小さくうなずいた。
「かまわん」
 ゲンドウの短い返答に、リツコは4人を促し、格納庫の中にはいる。続いてシンジたちも入り込み、最後に残った大人たち。広々とした空間に、小さな息づかいが漏れる。
「さて、今日みんなにきてもらった理由は、ここを見れば想像つくとおり」
「なおしたエヴァを使って、なにをしようっていうの?」
 リツコの言葉を遮るように、アスカは食ってかかった。
「もう、戦いなんてないじゃない。それなのにエヴァを完璧に整備して、次はなにをするつもり? また新しい敵が現れたとでも? それとも今度は世界を相手に戦うとでも?」
「司令は言ったでしょう。最後の仕事だって」
 揶揄するようなアスカの台詞にぴしゃりと言い返すと、リツコはアスカに背を向け、エヴァをゆっくりと見上げた。
「最後にすべきこと。それはエヴァを、封印するのよ」
「ふう、いん?」
「そう。これは、我々の手には大いに余る存在。この間の戦いでもわかるように、1体のエヴァは容易に一国を滅ぼす。それだけに、これを人が人と戦うための道具に使わせるわけにはいかない」
 リツコの台詞に誰もが分かり切ったことを、と思いながら、しかしそれを遮るものはいなかった。
「まあ、そういう理由で、エヴァは誰にも使わせるわけにはいかない。だから、これはエヴァが必要になるときまで、封印するの。ここに、このターミナルドグマごと」
「また必要になるときって?」
「おそらく、もうないと思うわ。でも、万に一つ、もし必要になるときがあれば」
「本当にいいんですか、それで」
 シンジが、リツコに問いかけた。より正確には、リツコの背後に立つゲンドウに問いかけた。
「・・・・かまわん。これはもう決めたことだ」
「父さんと母さんが作り上げたものでも? たとえ元がどうあっても」
「私がエヴァを作り上げた理由は」
 ゲンドウは初号機を見上げたまま、ゆっくりと言葉を継いだ。
「人が新たな進化を遂げるために、エヴァこそが・・・・初号機が必要だと信じたからだ。ただ、ユイが目指していたものとは違い、おそらくそれはいびつな進化と言えるものだろう。」
「・・・・」
「ユイは、エヴァによって人の幸せを願った。私は、エヴァによって自らの望む形での人の幸せを願った。では、ユイに始まり、私が作り上げたこのエヴァが残されたとしたら、世界は一体どちらに向かうだろうか」
 彼が見上げる紫の巨人は何も語らず、ただ人々を見下ろす。ひんやりとした空気が肌を舐め、だれもがゲンドウの言葉に無言だった。
「エヴァが本当に人々に必要とされるならば、人は神の遺産などという力を借りずともいつかそれを手に入れるだろう。そしてそのときまで、この扉は閉ざしておかねばならない」
「それが、母さんと―――碇ユイと、二度と遭えなくなっても、なの?」
 アスカとトウジは、その言葉にはっと身を固くした。それぞれが同時に、自らの乗っていたエヴァを見上げる。アスカは弐号機を、トウジは参号機を。共に戦い、そしてその中で常に自分たちを見守ってくれた、何物にも代え難い存在の宿った機体。それを封印すると言うことは、二度と遭うことのかなわぬ存在になるということに、今更ながらに思い至らされたのだ。
「ママ・・・・」
 アスカは、ぎゅっと胸の前で両手を握りしめた。
 トウジは、無言のまま機体を見上げ続けた。
 そしてゲンドウは、シンジの言葉に対しても身じろぎ一つしなかった。視線だけは相変わらず初号機に向けられている。
 シンジは再び、一言一言をかみしめるように問いかけた。
 碇ユイという名の女性。シンジにとっては母。ゲンドウにとっては妻。そしてエヴァンゲリオンという名の存在にとっても、母ともいえる女性。
 彼女を一つの鍵とした物語の、これは幕引き。
「父さんは、それで、いいの?」
 シンジは問いかけずにはいられなかった。いや、問いかけなければいけなかった。これは、みんなの問題でもあるが、でも僕と父さん、そして母さんの問題でもあるんだ。だから、聞かなければならない。
 父さんが答えてくれるかどうかは判らない。今までのように、固く拒まれたらどうしようか。いろいろと脳裏をよぎることは多い。
 でも、逃げちゃだめだ。これは、逃げちゃいけないんだ。
 そう心に繰り返しながら、シンジは父の背に向けて問いかけた。
 ・・・・と。
 ゲンドウはやおら初号機から視線を足元に降ろし、左手で眼鏡の中央をゆっくりと押し上げた。そして体の向きをかえ、シンジと向きあう。
 眼鏡の中に見える黒い瞳が、真正面からシンジの身体を射抜いた。
「―――想い出は心の中。それで、いい」
 長い長い沈黙。
 やがてシンジはふぅ、と長いため息をつくと、続いて再びゲンドウをまっすぐに見つめた。一呼吸、二呼吸。そして、
「僕は、父さんの言うことが正しいと思う」
 そして、小さく小さく、シンジは微笑んだ。
 それが始めて、父に向けられた笑顔であったことに、少年はふと思い至る。
 ああ、と内心に安堵感が広がった。
 堰き止められ、淀んでいた水が、わずかながらも流れ出すような感じ。
「うん。そう、だよね」
 何度も繰り返し、そしてシンジはアスカとトウジを振り返った。
「アスカと、トウジは?」
「ワイは・・・・」
 トウジは、しばし考え込む様子を見せた。名残惜しげに参号機を見上げ、地面を見下ろし、また参号機を見上げ。
 そんな仕草を何度か繰り返した後、何かを吹っ切るように頭を強く振る。そして、
「ワイも、かまへん。ここらで、ゆっくり休んでもええやろしな」
 ちょっとだけ寂しげに、しかし笑みを浮かべながら、少年ははっきりとそう言った。
「そうだね、トウジ」
 そしてもう一人、アスカは。
「ママ・・・・」
 小さくつぶやき、愛おしげに弐号機を見上げる。一歩二歩、その足元に歩み寄り、装甲板にそっと右手を伸ばした。
 ひんやりとした感覚が、指先に伝わってくる。一分、二分。その感触を名残惜しげに感じると、少女は指先を離し、だれにも聞こえないように小さくつぶやいた。
「ありがとう」、と。
 そして踵を返すと、ことさら笑顔を作って見せた。
「ちょっと、寂しいけどね。アタシも異存ないわ!」
 その頬に、わずかに光るものが見えたのは気のせいだろうか。シンジは、その笑みに向かってしっかりとうなずいて見せた。
 そして。
「――――」
 レイは、3人の会話をよそに、じっと3体のエヴァを見上げていた。
 感じる思い。
 3体のエヴァから発せられる、それぞれの守るべきものに対する思い。
 すでに力を失ったとはいえ、肌で感じることはできる。
 慈しむべき我が子に対する、感謝、そして別れ。
 我知らず、レイは両腕で自分の身体を抱きしめていた。
 愛されている。だれもが、愛されている。
 本人達は気づかずとも、思いは確かに存在するのだ、と。
 そのことがレイにとっては驚きであり、またその思いを感じることのできるという事実が、彼女にとっての喜びでもあった。
 ふと。
 そんな自分を、ゲンドウが見つめていることに気づく。
「――――」
「――――」
 二人は、互いに無言のまま視線を交わす。
 ゲンドウの表情が、不意に崩れた。
 わずかに、笑みを浮かべたように見えた。
 それは、今まで彼女が見た、彼の笑顔のどれよりも印象的なものだった。


「じゃあ、いいわね。みんな」
 リツコの声に、シンジ、アスカ、トウジの3人はそれぞれうなずきを返した。
 それぞれ、自らのエヴァの足元に立っている。
「それじゃ最後の仕事よ。前の制御盤に、6桁のコードを打ち込んで。それがエヴァへの休眠コードになる。数字は何でもいい。自分たちしか知らない、あなた達だけが持つコード。いいわね」
「あいよ。ほんま、いろいろ悩まされたけどな。ありがとさん」
 トウジがそう言って、真っ先にコードを打ち込んだ。参号機に予備電力を供給していたモーターの駆動音が消え、接続されたケーブルが一本、また一本と外されていく。
「さよなら、ママ」
 精一杯の笑みを浮かべたアスカが、続いて制御卓を叩く。ゲージの拘束具がひとつふたつ、覆い被さるように弐号機の精悍なフォルムが固定されていく。
「母さん―――」
 シンジは、じっと初号機を見上げた。同じく背後で、ゲンドウが同じように初号機を見上げている様子を、肌で感じ取っている。
「エヴァンゲリオン初号機―――」
 シンジはゆっくりと制御卓に手を伸ばした。1つ、キーを叩く。
 始めての出会い、そして第三使徒の凶相が、瞼に浮かぶ。
 2つ、キーを叩く。
 参号機のエントリープラグを握りつぶす姿。自らの悲鳴が、耳に遠く響く。
 3つ、キーを叩く。
 暴走する初号機。同化し、LCLの海の中での出会い。暖かな臭いが、鼻をついた。
 4つ、キーを叩く。
 渚カヲル。心を許した友を殺した時の感触が、手の中によみがえる。
 5つ。キーを叩いた。
 最後の戦い。全身を駆けめぐる思いが、瞬間よぎった。
 そして6つ。
 最後のキーを叩くとき、脳裏には母の笑顔。
「大丈夫だよ。母さん」
 最後にそうつぶやくと、Enterキーを押す。
 初号機の瞳に宿っていた薄い光が、徐々に輝きを失っていく。
「おやすみなさい。―――それと、ありがとう」
 シンジの言葉と同時に、格納庫には沈黙が満ちた。
 だれもが、無言。まるでだれもが、感傷に浸っているかのように。
「・・・・それでは、行くぞ」
 やおら口を開いたのは、ゲンドウだった。踵を返し、もはや振り向きもせず扉から外に出ていく。それに全員が続き、最後に残ったのはレイとミサトだった。
「さあ、レイ」
 促すように、ミサトはレイの肩を叩いた。
「最後は、あなたの仕事よ」
「・・・・はい」
 その言葉にうなずきを返すと、レイは扉の脇に立つ。
 振り返り、見上げると、照明の落とされた格納庫に、3つの影。
「どうしたの?」
「いえ。ただ、私はもう二度とここに来ることはないと思って」
 ミサトはその言葉に瞬間表情を変えたが、すぐに平静に戻り、優しくレイの両肩を抱く。
「たとえそうだとしても、笑って、出ていきましょう。必ず、また会えると信じて」
「そう、ですか?」
「永久の別れと判っていても、最後くらい、そうしないと悲しいでしょう?」
「そう・・・・そうですね」
 ミサトの言葉をしばしかみしめるように、レイは思いを巡らせた。
 最後は、笑って。
「わかりました。ミサトさん」
 彼女はにこり、と笑ってエヴァに向かった。
 そのまま、扉の脇のボタンを押す。
 重々しい音と共に、格納庫の扉がゆっくりと閉ざされ始めた。
 暗闇が、巨人達をやさしくつつみこむ。光の最後の一筋が締め出される寸前、レイは扉の向こうに向かって語りかけた。
「さよなら・・・・また、会う日まで」




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