遙かなる空の向こうに

第31話:それぞれの愛の形 A-Part





「見ているだけで、よかったんだ」
 ケンスケは一言一言、ゆっくりと噛みしめるように言っていた。
「別にシンジに対する友情だとかそういうものじゃない。シンジがいるから言わない、ってわけじゃない。でも、僕は本当は見ているだけでよかったんだ」
 一度は地上に逸らした視線だったが、一度レイのことを見つめてからは外そうとしない。
 レイもまた、彼のその視線をまっすぐに受け止めていた。
 ・・・・ただし、その顔にはとまどいの色がはっきりと表れている。
「なぜ」
 とレイはつぶやいた。
「え?」
「なぜ、私を」
 なぜ、私を好きだなんて。
 彼女の唇はそう動いていた。そしてそれは、言葉にはならなかった。
「なぜ、だろうね」
 ケンスケはレイの言葉に、苦笑しながら答えた。
 それが明らかに作ったものであることは、彼女にはすぐに分かった。彼は、その理由をはっきりと知っている。
「こういっちゃ何だけど、最初の頃の綾波はよく分からなかった。いつも一人で、ずっと本ばかり読んでいて、怒るでもなく笑うもなく」
 教室でも異彩を放っていたレイは、ある意味奇異の視線と暗黙の無視の中にいたようなものだった。誰もが遠巻きに見つめ、そして話しかけない。
 ケンスケがそんな反応を示したとしても、無理はないだろう。
「最初にあれ、と思ったのは、あのときだった。ほら、水晶みたいな使徒がきたときがあっただろう? 本当はいけないことだったけどあの戦い、近くで僕は見ていたんだ」
 第五使徒ラミエルとの戦い。長々距離での砲撃戦。
 はっきりとは覚えていない。自分が何をして、何を話したのか。
「あのとき、綾波の零号機はシンジの初号機を守っていた。自分がどんなに傷ついても、初号機を守っていた。そのとき思ったんだ。どういう訳かは分からないけど、綾波は本当に怒らない訳じゃないんじゃないか。笑わない訳じゃないんじゃないか、って」
 あなたは、私が守るから。
 脳裏にはっとよみがえった台詞。
「あの戦いの直後、シンジとエヴァの中で何か話をしていたよね。それが何だったのかは分からないけど、あれから綾波が変わったように思えた。正直びっくりしたんだ。今まで誰とも話をしようとしなかったのに、シンジとは挨拶もするし、言葉も交わしてるんだから」
 ごめんなさい、こういうとき、どういう顔をしたらいいか分からないの。
 笑えば、いいと思うよ。
 聞き覚えのある声。返答、そして浮かべた笑顔。
 フラッシュバックする記憶の波が、しばしレイの脳裏を駆けめぐる。
 あれから、私が変わった・・・・?
「あの後、惣流が転校してきて、もっと綾波は変わったよ。確かに普段は今まで通りだったんだけれども、こう、態度の端々に感情が見え隠れするようになって」
「・・・・」
 レイはケンスケを見つめながら、その一言一言に驚きを隠せなかった。
 以前の自分のことは、よく覚えていない。
 その忘れてしまった記憶がよみがえってくる。そしてそれを引き出しているのは、今目の前にいる少年。
 自分に興味など全くなかったかにみえたこの少年。
「どうして、そこまで私を見ていたの?」
「・・・・あのころ、僕はシンジにあこがれていたんだ。エヴァに乗って戦うシンジ。使徒と戦うシンジ。ああ、自分もシンジみたいにエヴァに乗って戦いたい、なんてね。今思えば単なるミーハーだったんだけれども、そんなシンジとその周りにいる惣流や綾波に、僕は興味を持ったんだ」
 ミーハー、と言う部分に力を込めて、ケンスケは苦笑いをした。
 その思いが、レイにはよく分かった。
 鈴原トウジ。
 エヴァに関わった人の悲劇。
 一緒にはしゃいでいた仲間。それほど彼自身はケンスケのようにエヴァに興味を持っていたわけではない。むしろ自分が共犯のようにいくつもの場面に引きずり込んでいた。第四使徒の戦いや、そのほかいろいろと。
 しかし適格者は自分ではなく、彼の頭上に落ちてきた。
 本人がそうと望んだ訳ではないのに。
 ケンスケはうらやんだ。トウジとかわってみたい、とも思っていた。。
 そのときのトウジの苦悩を知らずに。
 トウジがその中で必至に模索していた行き先。それは、悲しい行く先だった。
 乗っ取られたエヴァ。片足を失い、かけがえのない友達だったシンジの心に暗い影を落とした参号機での戦い。
 さらに彼が押しつけられた物と引き替えに望んだ幸せであるはずだった妹の死。激情に任せた結果、さらに失いかけたもう一つのかけがえのないもの。
 ケンスケは見た。あるいは聞いた。
 それらはただ戦っているという事にはしゃいでいた彼にとって、大きな衝撃だったのだろう。
 かっこいいだけの物事なんて、どこにもないのだ、と。
「で、シンジも惣流もそうだけど、みんなを見ていると、それぞれ個性的だった。こういっちゃ何だけど、面白かったと言ってもいい」
 何を思い出したのだろうか。ケンスケはふっと笑った。そして、
「中でも特に、綾波が変わっていく様子はよく分かったんだ」
 表面上の態度は相変わらずではあった。ではあったが。
 しかし最初は見えなかった心の内。それが徐々に態度の端々に表れるようになり、言葉に表れるようになり、その思いの先がどこに向いているのかをケンスケが知るまで、それほどの時間を要さなかった。
「ああ、綾波はシンジのことを気にしているんだ。そう思ったのは、そう・・・・トウジの事件の直前だった」
 第三新東京市に襲来した新たな使徒。従来よりも長い避難命令。帰ってきてケンスケが見たのは、まるで水没したかのように地面に埋まったビル群の姿。
「後で聞いたら、シンジは使徒に取り込まれたんだって? その時に何があったかは知らないけれども、その時から、シンジを気にしているんだなぁ、というのはよく分かった」
「・・・・そう」
 ディラックの海の傍、アスカとの会話。
 シンジが取り込まれていたときに感じていたかすかな思い。その後に気になっていた彼の態度。
 レイは徐々に思い出していく。
 かつての自分。そのときの自分。
 そして同時に、驚いてもいた。
 自分のことを見ていた人がいる。見ていてくれた人がいつ、ということに。
「・・・・トウジが怪我をしたって聞いてから、しばらくして綾波は学校に来なくなった。その後、市内で大爆発があって、僕らはこの街から疎開せざるを得なくなった」
 自分の戦い。零号機の自爆。
 一緒にいたい。シンジと一緒にいたいという思い。
 あのとき、彼女ははっきりとそれを自覚した。
 碇君と、一緒にいたい。
 使徒と交わした言葉が、ありありと脳裏によみがえる。
「僕や洞木さんは、ずっと学校に来ないシンジや惣流、綾波を心配していた。怪我をしたトウジのことも無論だけど、結局3人とはほとんどあえないまま疎開していったからね。帰ってきたときには、本当にびっくりしたよ」
「・・・何に?」
「みんなの変化に、だよ」
 ケンスケは、そのときのことを思い出したかのようにため息をもらした。
「常人じゃ考えられないような経験をしたんだから当然だとは思うけれども。シンジも、惣流も、トウジも、みんなどこか精神的に大人になっていた。他人を思いやるって言うのかな? 僕だけ取り残された気分だったよ」
 以前にシンジと話したとき、彼は戦っている最中にもできるだけみんなに被害を与えない戦い方を選んでいた。
 トウジは、自分を見失いそうになったときにヒカリの存在を意識し、彼女を思いやることができるようになった。
 あの我が儘だったアスカが、レイを心配している。
 これが成長でなくてなんだというのだろう。
「僕だけがまだ、昔のままかも知れない。そう思った。特に綾波を見ていると」
「私を?」
「そう。僕が疎開先から帰ってきたとき、なんていうのかな。綾波がまるで綾波じゃないかのような雰囲気だった」
 どきり、とレイは内心でびっくりした。
 まるで戦いの一部始終をみていたかのようなその言葉。しかしケンスケは意識していったわけではないようだ。
「今までの綾波がシンジに向けていた思いは、自分の中で完結していたように思えた。一緒にいたい。でもその気持ちを表に出さないように、出さないように」
 表面上はなんでもないように、しかしよくよく見れば分かる感情。
 それが今までのレイだった、とケンスケは思う。
「でも、今の綾波は全然違っていたよ。表情や言葉でシンジを心配し、その思いが顔に出ていた。声に出ていた。態度にでていたんだ」
 それに気づかないシンジがバカといえばあまりにバカだよな。
 そう言って小さく笑うケンスケに、レイは何と言っていいか分からなかった。
 翻って自分の行動を思い出してみる。
 まさに言われるとおりだった。
 彼がそこまで自分を見ていたとは、驚きだった。
「それが、私を好きだという、理由なの?」
「いや、そうでもあるし、そうでもない」
「・・・・?」
 はなはだ曖昧なケンスケの返事。
「最初はそこまで思っていたわけじゃなかった。興味はあったんだけどね」
「けど?」
「いいんちょの病院に見舞いに行こうとしたとき、覚えてる?」
 うん、とレイはうなずきを返した。
「あのとき、綾波が僕に自分を撮って欲しい、って頼んだじゃないか。あのときはまだ、こんな思いをはっきり抱いていたわけじゃなかった。正直、綾波公認で堂々と映像がとれる、って喜んでたくらいさ」
 ケンスケのビデオ好きはつとに有名であるが、レイはそれをよく知らない。怪訝そうな顔をする彼女に、ケンスケはあわてて手を振った。
「で、僕はその後からずっと、綾波を見ていた。ファインダー越しとはいえ、その表情、挙動、それらを見ていた。まるで恋人を見ているかのように」
「・・・・」
「綾波がシンジに向ける視線。シンジに向ける態度・・・・いつだろうね。僕はそんな綾波から目が離せなくなっていた」
 見ていたい。
 その姿を。
 聞いていたい。
 その声を。
 感じていたい。
 その意識の流れを。
 たとえそれが、自分に向けられているものではなくても。
「さっきも言ったけれども、別に僕はシンジに遠慮しているとかそう言うわけじゃない。うまく言えないけれども、幸せそうな綾波を見ているだけで、僕も幸せな気分になれた。だからそれでよかったんだ。見返りなんて、そんなものはいらない。恋愛にもいろいろある。僕はこれも愛情の一つの形だと思っている。いつかこの思いを分かってくれれば、返事なんかなくてもよかった」
 首を振り、最後にそう言ってケンスケは黙り込んだ。
 再び、二人の間を静寂が流れる。
 レイは、驚いていた。
 コレモヒトツノアイノカタチ。
 そう言いきれる彼の心の強さに。
 人は一人では生きていけない。だから互いに支え合う人を求めあう。
 そう思っていた彼女にとって、ケンスケの言葉はまるで知らない世界を見せられようなものだった。
「私は・・・・そこまで思えるかしら」
「え?」
「相田君のように、見ているだけの恋の形・・・それができるかしら」
「何でさ。何でそう思うんだよ」
「だって、アスカが」
「そうじゃない!」
「!」
「どうして、見ているだけでいいなんて思おうとするんだよ」
 ケンスケはきっと顔を上げ、レイを正面から見つめた。
「確かにこんな事を僕が言っていいのかどうかは分からない。でも、好きだと思うんだったらその気持ちをうち明けなければだめだ。思い続けているなら、態度に示し続けないとダメだ。そうでなければだめなんだ」
 僕はいつか分かってくれればいい、と思っていた。綾波は、シンジの事を見ているだけでいいと思うのか?
「最近のシンジの行動を見ていれば、綾波が自分の思いをあいつに言ったことくらいは想像が付く。それを今更引っ込めるつもりなの? その程度にしか、綾波はシンジのことが好きじゃなかったのか?」
「・・・・ううん。そんなことはない。でも、私は碇君が好きなのと同じくらい、アスカも好き。二人とも好き。そう思うと」
「おそらく、惣流も同じように思っているんだろう。だから、今日のようにいたたまれなくなってあの場所を離れたんだと思う。シンジの事が好き。でもそれと同じくらい綾波のことが好き、と」
「・・・・」
「でも、おそらく彼女は自分の思いをそれで封じ込めようとはしない。本当に互いの事を思いやっているんだったら、自分の思いを引っ込めなんかしない。それはシンジを、ひいては惣流をも侮辱しているようなものだ」
 だってそうだろう? シンジが二人のどっちを選ぶかなんて、惣流にも綾波にもわからないんだから。
 レイはじっとケンスケを見つめていた。
 さっき、彼は言っていた。
 みんな大人になった。僕だけ取り残された気分だった、と。
 そんなことはない、と彼女は思う。
 今までのケンスケが大人だったのだ。
 友達を助け、かばい、励ます。
 確かに子供っぽいところはあるかも知れない。でも、他の誰にも比べて、大人の部分を彼は持っている。
 そして、成長していないわけではない。
 なぜなら、今まで気づかなかったことを気づかせるほど、彼の心は外に向けられているのだから。
 これを、成長と言わないでなんと言うのだろうか。
「・・・ありがとう」
「え?」
「励ましてくれて。わたしのことを励ましてくれて」
「あ、いや、その」
「私は、少し自身がもてたような気がする。相田君の、おかげ」
 そう言って、彼女は口元を笑いの表情に変えた。花開くような、とはいかない。でも、それは本心から浮かべた笑いだった。
 ケンスケは、そのレイの笑顔にどぎまぎした。
 シンジに向けられているあの笑顔とは違うかもしれない。
 けれども、この笑顔は僕だけに向けてくれたものだと確信することができた。
 我知らず、頬が赤く染まった。
「・・・もう一つ、聞いても、いい?」
「え、なななななんだい?」
 そんなケンスケに、突如投げかけられたレイの声。
 うわずった声が、今の彼の心の内を端的に表していた。
「相田君が私のことを好きだ、って言ってくれたのはうれしかった・・・・でも」
「分かってる。答えはもう、ね。それを否定する気はない。僕が好きになった理由も、そのシンジに向けている表情、態度だったんだから。だからさっきも言ったように、答えは期待していない。知っていてくれるだけで僕は満足なんだ」
 そう言って、にこりとケンスケは笑った。それが、さらにレイの疑問を深めた。
「・・・じゃあ」
「え?」
「じゃあ、どうしてその言葉を言うつもりに、なったの?」
 その言葉に、はたと、ケンスケの声がとまった。電気に打たれたかのように、身体がびくり、と震える。
 レイは、そんなケンスケの様子をじっと眺める。
 しばしの沈黙。
 そしてケンスケは、ゆっくりと口を開いた。
 先ほどまでのうれしそうな表情はどこへやら。沈痛な表情を浮かべている。
「だって」
「だって、なに?」
「・・・・綾波には、もう時間がほとんど残されてないんだろう?」
「!」
 さっと、二人の間を風が吹き抜けていった。


「シンジ・・・・」
 アスカは、荒く息をつくシンジを見て、何も言えなかった。
 上下する肩、夜空の月明かりに照らされる黒い髪。うつむいた体勢でその表情は伺い知ることができない。
 アスカは、そんなシンジから目を離すことができなかった。
 追いかけてきてくれた。
 その喜びと、そしてどう声をかけていいのか分からない思いが、奔流のように彼女の胸の内を駆け抜けていく。
 名前を呼んだきり。
 アスカは何も言うことができず、ただシンジをじっと見つめているだけだった。
「・・・・」
 無言。互いに無言。
 シンジの息づかいだけが、夜空の下に響く。
「・・・・こんな所で」
 その荒い息づかいがようやく収まった頃。シンジは下を向いたまま、ゆっくりとそう声を発した。
「え?」
「こんなところで、一体何をしていたんだよ」
 その口調は、怒り。
 アスカにとっては意外なことに。シンジの声にはわずかに怒気が含まれていた。
「ちょっとの散歩だって? 山の夜道は危険だって言うのに、こんな所にまで来て・・・」
 顔を上げたシンジの目の前、アスカの身体の向こうには黒々とした山脈と空が見える。空には、まばゆいばかりの星屑。
 昼間の景色とはまた違った美しさ。
 マコトが連れてきてくれた山の頂は、星空のシャワーをその身一杯に浴びていた。
 アスカはシンジのそんな様子に少し驚きながら、むりやり笑顔を作って答えた。
「その、ごめん。でも、みんながあまりにきれいな景色だって言うから、つい見たくなっちゃって」
「つい、で2時間も3時間も帰ってこないの? いったいどれだけ心配したことか!」
 シンジの声が、徐々に怒りを増していた。
 一方のアスカも、シンジの怒りが理解できない訳ではなかったが、それでもどうしてそこまで彼が怒るのかは分からなかった。
 いたたまれない思いを味わったのはアタシの方じゃない。シンジとレイの二人で楽しそうにしているからじゃない。
 どうしてそれが分からないの?
 分かってくれないの?
 だから逃げ出すようにここに来たって言うのに。
 追いかけてきてくれたのはうれしい。
 でもかけられた言葉がそれじゃ、アタシが本当のバカみたいじゃない!
 そんな思いゆえ、自然シンジの言葉に対して反応も過激になる。
「だからさっきからごめんって謝ってるじゃないの。別に何もなかったんだし、それくらいアタシの自由にしたっていいじゃない!」
「それくらいって言えることなの? アスカにとっては! どんなに待っても帰ってこないのを待っているこっちの気分にもなってみてよ!」
「そうしむけたのはアンタじゃない! 別に待ってなくたっていいでしょ!」
「なんだよそれは!」
「なんでもないわよ! アタシのことはほっといて!」
「アスカ!」
「なにさ! シンジの、バカ!」
 言ってしまってから、アスカは後悔した。
 シンジの言いたいことは十分分かっている。
 自分が我が儘なだけなのも。
 ただ単にレイとシンジが話しているのを見るのがつらかっただけで、シンジは何も悪くないって事。
 心配して追いかけてきて、あまり反省していないような自分の様子に怒ることも。
 でも・・・・。
 シンジのバカ。
 どうしてアタシがここにいるのか、わかってくれてもいいのに!
「なんだよ、それは! じゃあ、好きにすればいいじゃないか!」
 一方のシンジも、いけないと思いつつ感情が高ぶるのを押さえきれなかった。
 アスカがいなくなって心配だった。
 ふと思い出せば、自分がトウジやレイ達と楽しそうに話をしていたとき、彼女が寂しそうだった。自分のいない楽しげな時間をそう話されては、入り込む隙間などないから。
 だから、彼女が帰ってこなくてしばらくして、おそらくアスカはあそこに言ったに違いない、と思った。
 そっと寝かせておいてあげようよ。
 自分がそう言ったばかりに。
 必死になって追いかけてきたら、やっぱりここにアスカはいた。
 膝を抱えて、座り込むようにして景色を眺めていた。
 その背中が寂しそうだった。
 でも、とっさに出てきた言葉は、しれっとした態度の彼女に対する怒りだった。
 僕が心配しているのに。
 心配しているのに、それを分かってくれてもいいのに。
 言ってしまってからはっと気づいたときには、それよりももっとかけてあげるべき言葉があったのかも知れない。
 ただ、アスカから言葉が返ってくるにつれ、引っ込みがつかなくなってしまった。
 出てしまった一言。
 そのまま、シンジはアスカに背を向けた。
 いけない、と思いつつも高ぶった感情のまま走り出す。
 アスカのバカ。
 僕が、心配していたのに、どうしてわかってくれないんだよ!
 それだけを思いながら走るシンジは、ために足元の暗さが見えなかった。
 あっと思ったときには、もう遅い。
 確かな感触を感じるはずの山道。その一角ががらりと崩れ、それに足を取られた。
「シンジ!」
 はっと気づいたアスカの叫び声。
 それと同時に後頭部に鈍い痛みを感じ、そのままシンジの意識は暗転した。




続きを読む
前に戻る
上のぺえじへ