遙かなる空の向こうに
第23話:逃げ出した夕刻
「いってきます」
三人の声に笑みを返すミサトの前で、ドアがゆっくりと閉じた。
「さ〜て、今日は暇だし、一日寝るとするかな〜」
シンジとの約束をすっかり忘れた様子で、ミサトは廊下を台所へと歩き出した。
昨日寝る前に飲んだビールがまだ頭に残っているらしく、ときおり刺すような痛みがおそってくる。典型的な二日酔いだ。
「昔はあれくらいじゃけろっとしてたのにね〜」
そう言いながら、ビール缶の乱立する机の横を抜け、冷蔵庫を開ける。
「やっぱり朝はこれじゃないと」
うきうきしながら、新しいビールの缶を取り出し、タブを抜く。
「っくーっ! 酔っぱらったときは迎え酒に限るわね〜」
下戸が聞いたら卒倒するような台詞を平然と吐きつつ、シンジが用意してくれた朝食の鰺のひらきに箸をのばす。
「シンちゃんたら、遊びに行く日にまで私の朝食、作らなくてもいいのに」
ペンペンとの二人暮らしの今の生活。隣の部屋から、シンジはミサトをおこしに来るのをかねて、わざわざ朝食を作っていってくれるのだ。足下では同じようにペンペンが魚をくわえこんでいる。
「まったく、まじめなんだから・・・・みんなでさっさと楽しんでくればいいのにさ」
笑いながらおかずをつついていた箸が、そのとき、ふと止まった。
「そういえば・・・・」
今朝、正確には昨日の夜から、様子がおかしかった。
アスカが、である。
レイとアスカが、この間のパーティの一件以来ぎくしゃくしていたのは分かっていた。しかし昨日は、アスカが何とかしてレイに話しかけようとしていた。いや。いままでのように軽口をたたけるような関係にもどったかのように振る舞おうとしていた。
それだけでも何かあったなと思わせるのに十分だったが、今朝は一転して何か考えるかのように沈み込み、シンジの作った朝食にもほとんど手をつけていなかった。かと思うと出ていくときには明るくなって、シンジとレイを置いて行くかのように一人でいってしまって・・・・。
レイに遠慮でもしているのかしら?
ここしばらくのアスカの様子を考えると、そう考えられなくもない。
「今日で、一〇日か・・・・」
レイがここに来てからの時の経過は、それだけ終焉へのカウントダウンとなる。
彼女に残された時間の三分の一をすぎて、アスカなりに何か考えるところがあったのかもしれない。レイを気遣う気持ち。自分の中にある気持ち。それらを考えての、行動なのかもしれない。
に、しては・・・・。
新たな一本をとりだしながら、ミサトはさらに自問を続けた。
なんで、いきなり昨日なの?
何かの原因があってそう考えるのなら、なぜレイと争ったあのパーティの日ではなく、ほとんど会話も交わさなかった「昨日」なの?
なにが、アスカをそうさせたの?
目の前のビールの山を見つめながら、ミサトは誰に言うとでも無くつぶやいた。
不思議そうに、ペンペンがミサトを見上げていた。
「混んでるわね〜!」
アスカは先頭を切って走りながら、後からついてくるシンジとレイを振り返りながらそう言った。
「さすが日曜日、それにこの街にも人が戻ってきてるってことよね」
「遊びに来るだけの心の余裕が、みんなに出ているって事だよ」
シンジは周りの光景に目を細めながら笑顔でそうこたえ、傍らのレイを振り返る。
「・・・おもしろくない?」
「ううん。そんなことない」
レイは首を振ってシンジのその言葉を否定した。
傍らにシンジがいてくれること、それだけで十分なのだから、どこであろうとつまらないわけがない。
しかし、レイはまだ口に出さない。
そしてシンジは、それに気づかない。
それはレイの心の中の思い。
「人が多いところ、初めてだから」
「・・・・騒がしいところは、苦手だったかな?」
人混みの中が嫌いだというなら、日曜日の遊園地などまさに地獄にも等しい。
もともとレイがあまり人との交流を持たなかったことをシンジは思いだし、こういうところは彼女にとって良くなかったのだろうかと少し心配した。
「どこかで休む?」
「・・・いいの。せっかく、来たんだもの」
碇君と一緒に。
最後の部分を聞こえないようにつぶやき、レイはそっとシンジの手を取った。
「あ、綾波・・・・」
シンジはその行為にとっさに言葉を返すことができない。レイはうつむいたまま頬をわずかに染め、シンジの手をわずかに強く握りしめる。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
二人とも、無言。
「ほらなにしてんの! 早く並ばないと、時間かかっちゃうじゃないの!」
ジェットコースターの近くで、先に行っていたアスカがこっちに向かって叫んでいる。その声で、二人ははっと我に返った。
「・・・・行こうか」
「ええ・・・・」
シンジの言葉にうなずきながら、レイはどこか違和感を覚えていた。
なんだろう・・・・なにか、いつもと違う・・・・。
「だからいったじゃないの、早く来なさいって!」
いらついているアスカの背後には、長蛇の列を作る人々の姿があった。
「だいたい一〇分やそこらのアトラクションに乗るのに三〇分や一時間も待つなんて、日本人っていうのは何考えてるのかしらね!」
「いいじゃないか、楽しいことをするのに、多少の我慢は必要なんだから」
やんわりとそう言うシンジだが、アスカはそれをふっと鼻で笑う。
「うまく立ち回れば必要以上に苦労をしなくてすむって事をアタシは言いたいのよ! まったく、シンジは相変わらずなんだから」
アスカはそう言って、レイの方を見る。
「アンタもそう思わない?」
「でも、それが碇君なんだから」
「・・・・ま、そりゃそうだけどね」
レイの答えに苦笑して、アスカは腕時計をちらりと見た。そして、
「まだ乗れるまでには時間がありそうね・・・・何か、買ってくるわ」
「え?」
シンジが問い返す間もなく、アスカは並んでいる列からすっと抜け出していた。
「飲み物とスナックで良いわよね」
「アスカ! そんなの僕が行くから、並んでなよ!」
「いいの、アタシは好みにうるさいから、飲み物は自分で探すの!」
にこっと笑い、列を飛び出しかけたシンジにそう言う。
「アンタたちはまあ、コーラでいいわよね」
「ちょ、ちょっと・・・・」
「すぐ帰るくるって!」
そのまま、人混みに紛れて走り去ってしまう。
後には、豆鉄砲を食らったような表情のシンジと、状況を理解できないままのレイの二人が残された。
「・・・・いつもながら、アスカらしいとしか言いようがないね」
苦笑するシンジに、レイも同じようにうなずきを返した。
「そう、アスカらしいや」
独白するようにシンジはつぶやく。その横顔を、レイは不審そうに眺めていたが、シンジの内心までを推し量ることはできなかった。
そう、なんでいつも通りなんだろう。
シンジは、内心でそう考えていた。
昨日の朝、アスカが僕に言ったことは何だったんだろう。
『アタシは、シンジのことが好き』
そう言っていたのに、まるで何もなかったかのような今日の振る舞い。
自分と会話をするでもなく、さっさと自分だけ先に行ってしまう。そして今みたいに、並んでいる間にやっと落ち着いて話ができると思ったらまたどこかへ出ていってしまう。後に残されるのは、いつも綾波と僕。
昨日のことは本当にあったことなんだろうか。
そう思ってしまう。
あれが本当のことだったら、今日は今までとは違った反応をしても良いんじゃないのかな。
だって、人の思いってそう言うものじゃないの。
僕は昨日アスカに思いを告げられてから、なんとなくアスカの顔をまっすぐ見ることができない。見ると、心臓の鼓動が高くなる。我知らず、顔が赤くなる。
そんなものじゃないの?
何でアスカは、僕とのことは何でもないように振る舞えるんだろう?
女の子って、そんなものなんだろうか・・・・。
「・・・・碇君?」
「え?」
心の内に沈んでいたシンジを引き戻したのは、レイの声だった。
「どうか、したの?」
心配そうにシンジを見つめるレイの顔に、シンジはあわてて笑顔を作って返事を返した。
「あ、ごめん。ちょっと別のことを考えてたんだ。・・・・そういえばアスカ、まだ帰ってこないね」
シンジの時計は、アスカが買い物に出てからかなりの時間がたっている。
「ずいぶん混んでいるから、買うのに時間がかかっているのかな・・・・」
「碇君・・・・」
レイがシンジの袖を引っ張り、乗り込む順番が近いことを示す。
「どうしようか・・・・アスカが帰ってくる前に、順番が来ちゃうな・・・・」
「でも、ここで列を出て、アスカが帰ってきたら・・・・」
「どうせアスカのことだから、何で待ってなかったのかとまた怒るだろうね・・・・もうすこし、並んでいようか・・・・」
「うん」
レイはうなずきを返し、ふと、つぶやいた。
「そういえば・・・・こんな風に、遊ぶことができるなんて・・・・今まで、考えたこと無かった・・・・」
「え?」
「わたしが、普通の人みたいに遊ぶことができるなんて・・・・」
「綾波・・・・」
シンジはレイの突然の言葉に、とっさにどう答えて良いのか分からなかった。
「今までわたしは、遊ぶ事なんて考えなかった。遊びたいと思わなかった。いいえ、遊ぶって事を知らなかった。ネルフが全て。あの空間が、わたしの全てだった」
「・・・・・」
「だって、わたしにはほかに何もなかったから・・・・」
そう、碇司令との絆だけが、あのころの全てだった。
「それから考えると・・・・今、こうしていられることがすごい不思議・・・・」
何もなかった自分が、今好きな人のそばにいることができる。友達がいる。楽しいことも見つけた。
「でも、ふと思うの。楽しいことには、いつか終わりがあるって・・・・」
その終わりが、自分には見えている。
残された時間は、後少し。そして、それを碇君は知らない。
寂しそうにつぶやくレイの内心は、誰にも読みとることができない。
だから、
「これから、そういうことをどんどん知っていけばいいじゃないか」
シンジがそう言ったとき、レイの胸はずきり、と痛んだ。
「戦いはもう終わったんだよ。これからはみんなと同じように生きていけるんだ。いや、綾波はみんなと同じだよ!」
「・・・・・・」
「うれしいこと、楽しいこと、今まで知らなかったぶん、これからどんどんいろんなことを知っていけばいいんだよ! 行ったことがないところにはこれから行けばいい。知らなかったことはこれから知ればいい。でしょ? 終わりがあるのなら、それまでいっぱい楽しめばいいじゃない。違うかい?」
「え、ええ・・・・」
妙に歯切れの悪い返答にシンジは一瞬不審そうな表情を浮かべたが、それを初めての経験に対するとまどいと考えたのだろう。
「大丈夫、そのうち、慣れるよ」
そう言ってにっこりと笑った。
レイには、その笑顔はとてもつらいものだった。
「とりあえず、今日は遊園地を経験、だね」
そこまで言ったときに、シンジたちの順番が来た。
「アスカは・・・・」
レイがあたりを探すが、しかし彼女の姿はない。
「どう、しよう・・・・」
「うーん。アスカは遊園地は何度も来ただろうから、また次の機会に乗ればいいかな」
シンジはしばし考えて、そう返答する。
「さあ、乗ろうか!」
「・・・うん」
そう言って、シンジとレイはジェットコースターへの階段を上がっていった。
「あーっ! アタシをおいて勝手に乗ったわね〜!」
降りてきたシンジたちを待っていたのは、ジュースとお菓子を持ったアスカの声だった。
「人がせっかく買い物をしてきたって言うのに、帰ってきたらもう乗ってるなんて!」
「そんなこと言ったって、アスカが帰ってくるのが遅かったからじゃないか」
「しょうがないじゃない。なかなかアタシの飲みたいものがなかったんだから! そもそもあたしが来るまで待っているのが筋ってものでしょ!」
「そんなこといったって・・・・並び直すわけにも行かないじゃないか・・・・順番が来ちゃったんだから・・・・」
ふてくされた表情のアスカも、そう言われては何も返す言葉もないようだ。しばし無言のままだったが、渋々、といった様子であきらめた。
「・・・・ま、しょうがないわね・・・・でも、次は絶対待ってるのよ!」
そのままコーラとポップコーンを手渡し、ぷい、と二人に背を向ける。
「・・・・怒っちゃったかな?」
「そうかも・・・・」
シンジとレイはアスカに聞こえないように声を交わした。
悪いこと、しちゃったな・・・・
「さすがに疲れたわね〜」
アスカは椅子に座りながらそうぼやいた。
「調子に乗っていくつも乗るからだよ」
苦笑いしながらシンジがそう応じる。
時間は午後一時を過ぎた頃。
園内は昼食を取る人々でかなりの混雑を呈してきている。
「昼御飯を遅らせてまでアトラクションに乗るからだよ」
「アンタバカァ? みんながご飯を食べてるときが一番すいてるんじゃない!」
「それはそうかもしれないけど・・・・」
「遊園地に来たら昼御飯の時間はずらす! これが鉄則じゃない」
「そ、そんなものなのかな・・・・」
「当然よ!」
そう断定し、アスカはそこで一転して表情をゆるめる。
「で、お昼ご飯は?」
「も、もちろん作ってきたよ」
そういって、シンジはナップザックから様々なバスケットを取り出す。
「せっかくみんなで出かけるんだし、やっぱりその辺のハンバーガーとかじゃつまらないからね」
「碇君だけがつくらなくてもよかったのに・・・・」
レイが残念そうな表情でそう言う。自分も料理を作りたかったのだろうが、シンジが昨日、「今日の弁当は僕が作るから」とアスカやレイの手伝いを断ったのだ。
「たまには一人で全部作らせてよ。最近みんなが手伝ってくれるのはすごくうれしいんだけど、料理するのがきらいってわけじゃないから、その・・・・」
「久しぶりに全部自分で作ってみたい、ってことね」
アスカが待ちきれなくなったのか、バスケットのふたを開けながらそう応じる。
「で、失敗なんかしてたらただじゃおかないからね!」
・・・・数分後、口一杯におかずをほおばりながら、アスカは満足げな表情を浮かべていた。
「むぅあかぬあか・・・むぐぅ・・・・のごうい・・・・ずいぃ・・・・」
「アスカ・・・・ちゃんと食べてからしゃべってよ・・・・」
卵焼きを箸でつつきながらシンジが苦笑する。
「むぐぅ・・・・ふん、どうせアタシは行儀が悪いわよ! その点レイは行儀良いからね〜」
そう言って、傍らでゆでた人参をかじっているレイに視線を向ける。それにつられてシンジも視線を向けてしまい、二人は期せずして、口を開け人参をほおばろうとするレイと視線を合わせてしまった。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
一瞬の後、シンジとアスカの笑い声がこだまする。そしてレイは何がおこったのか分からずに、きょとんとした表情で二人を代わる代わる見つめる。
「どうかしたの?」
「い、いや、な、なんでもないよ・・・・」
「そうそう、な、なんでもないから・・・・うぷぷっ」
必至で笑いをこらえるアスカとシンジに、やはりレイは訳が分からない。
「あはは、ちょっと笑いすぎちゃったかな・・・・あ、ちょっとごめん」
アスカはそう言って、二人に挨拶して椅子をたつ。
「ん? どうかしたの?」
「それをレディに聞くのは失礼ってものよ」
軽くウィンクして、アスカは人混みの中に入っていく。
アスカが何を言いたいのかを理解し、シンジはわずかに顔を赤らめる。
しかし。
人混みに消えていくアスカの背中を見て、ふと何か違和感を感じた。
何だろう。この感じは。
「・・・ねえ、綾波」
「・・・・なに?」
「アスカ、なんか変じゃない?」
「アスカが・・・?」
「なんて言うのかな・・・・うーん。言葉じゃうまく言えないんだけど、どこかいつもと違うような気がして・・・・」
「・・・・・」
レイはアスカの行動を思い返してみる。しかし、特におかしなところがあるとは思えなかった。
いや、おかしなところがあるとは思えないのは事実だったが、レイが基準にしているのは、「無理をして笑いを作るアスカ」であり「ぎくしゃくしているアスカ」であったからだ。レイを怒鳴りつけたあの一件以来のアスカの行動とそれほど変わるところは、レイには見つけられなかった。
だから。
「そうかしら・・・・」
とだけしか、答えを返さなかった。
「やっぱり、そうなのかな・・・・」
シンジは自分の推測が単なる思いこみだけのものということもあって、レイの言葉にとりあえずは自分を納得させた。
しかし、どうしてもそのことは頭の片隅から離れなかった。
どんなに、楽しんでいたとしても・・・・。
メリーゴーランド。ゴーカート。お化け屋敷。洞窟探検。
さまざまなアトラクションを午後も楽しみ続けた。
レイにとってそれは全てが初めての経験だった。
はしゃぐ子供達、それを慈愛の表情で見つめる父親と母親。仲むつまじく寄り添う恋人達。流れるメロディ。
それは、自分が守ってきた世界を凝縮した姿。
うれしかった。
自分のやったことの成果。そしてその中にいる自分。
今までのすすけた天井しか知らない自分ではなく。
病院のベッドと実験棟が全てだった自分ではなく。
シンジの傍らにいる自分。
それがうれしかった。
ゴーカートの運転席。自分の隣であぶなげな運転をするシンジ。
メリーゴーランドの馬に乗っている自分の隣で、ほほえみを浮かべているシンジ。
お化け屋敷。暗い室内で傍らに傍らに立っているシンジ。
もし自分が今の生活を選ばなければ。
そして第二東京の遺伝子研究所に入院していたら。
決して感じることのできなかった世界。知ることのできなかった世界。
それを今、自分は楽しんでいられる。
そのことが、彼女にとっては幸せだった。楽しかった。
・・・・だからこそ。
というべきではないのだろうが、彼女はそんな状態を楽しんでいられる原因に思いを馳せることはなかった。馳せることを忘れていた。
夕日が沈む直前の、その時間まで。
「観覧車か・・・・前に乗ったのは、いつのころだろうな・・・・」
順番待ちの行列で、シンジはそうつぶやいた。
「そうなの?」
「うん・・・・ずいぶん昔に乗った記憶しかないんだ・・・・小学校の頃は、遊園地にも来なかったから」
「そう・・・・私は、初めて・・・・」
「そうだったね。観覧車って、見てみるとすごく楽しいんだよ」
「そうなの?」
「うん。そりゃ、普通のビルとかそう言うところの方が高さはあるかもしれないんだけど、なんていうのかな・・・・ゆっくりゆっくり登っていって、一瞬だけ一番高いところに到達する間での時間を楽しんで、そして一番上でその瞬間を楽しんで、それで、その後はゆっくりゆっくり、また余韻を残しながら地上に降りていく、っていうの・・・・うーん、口では説明しづらいかな・・・・実際に乗ってみれば分かるよ。アスカも、そう思うだろ?」
シンジはそう言いながら、背後に立つアスカの方へ話を向けた。
「・・・・アスカ?」
「あ、ご、ごめん ぼーっとしてた」
アスカは、シンジの声にはじかれたように視線をあげた。
「で、何だっけ?」
「観覧者の話・・・・なんだけど・・・・どうしたの?」
「ううん、何でもない。ちょっと、今日ははしゃぎすぎて疲れちゃったかな」
冗談に紛らわしながら浮かべた笑顔。しかし、それはどうも無理に作ったようなほほえみ。シンジにはそう感じられてならなかった。
「大丈夫?」
「ま、なんとかね」
そう言って、ちょっと片目をつぶる。そして・・・・
「でも、さすがにちょっと疲れたわね・・・・悪いけど、あっちで休んでるわ。観覧車は、二人で乗りなさいよ」
「え・・・・?」
アスカの言葉に、シンジは心配そうに瞳を曇らせる。
その視線に、アスカの胸はずきり、と痛んだ。
「・・・・今日はもう、引き上げようか。観覧車は、なにも今じゃなくても・・・・」
「ダメ!」
アスカはそう怒鳴ってから、しまったという風に口をふさぐ。
「その、だって今日はレイが初めてくる遊園地じゃない。アタシは今まで観覧車には何度も乗ってるんだから、そんなに気にしなくて良いのよ」
「でも・・・・」
「いいから! さっさと行きなさいよ、ほら、次順番でしょ!」
そう言って、少し開いた列の前方を指さす。係員が、困ったような表情でこっちを見ていた。
「下にいなかったら、先に帰ったと思ってくれればいいから」
「・・・・」
シンジは、なんとなく納得いかないと行った顔だったが、アスカはその背を無理矢理押して観覧車の方へ押しやった。
「アスカ・・・・」
心配そうな表情のレイ。
しかし、アスカはにっこりと笑って、彼女の背もシンジの方へと押しやる。
そして、その手が離れるか離れないかの瞬間に。
「うまく、やんなさいよ。絶好の機会なんだから」
レイにしか聞こえない声で、そうぼそっとつぶやいた。
「・・・・!」
レイがその意味するところを理解してはっと振り向いたとき、アスカはすでに列を抜け出して、走って行くところだった。
・・・・・・。
レイは、悟った。
シンジの「アスカ、どこかおかしくない?」という台詞。今日の行動。なんでいつも、シンジが自分のそばにいたのか。
全て、アスカがシンジの側から引いていたから。レイの隣に、シンジを置くようにしむけていたから。
そして今、アスカは行ってしまった。
「・・・・アスカ・・・・」
自分のことだけ考えていた。
碇君が隣にいてくれることだけを考えていた。
アスカが自分から後ろに引いてくれたことに気づかなかった。
「私は・・・・」
自己中心的。
アスカを思いやることができなかった。
自分勝手だ。
「ごめんなさい・・・・アスカ・・・・」
内心のつぶやきで、レイはアスカに謝った。
今の自分は、アスカの思いやりを踏みにじらないことしかできない。
せっかく、彼女がそれを用意してくれたのだから。
彼女に話をするのは、これが終わってからにしよう。
そう、彼女に謝るのは、これが終わってからにしよう・・・・。
そんな思いを秘めて、レイはシンジの方へと走っていった。
「つらいわね・・・・自分にうそをつくなんて」
アスカはそうつぶやきながら、走ってきた方を振り返った。
昨日のシンジの台詞を思い出す。
人を好きになることが分からない。
アスカのことをまだそう考えられない。
でも、もし今レイがシンジに思いをぶつけて、それにシンジが応えたら・・・・。
でも、レイは不器用だから、自分の思いを告げるという事にまだ慣れていないから、今のままだと、最後の時間までに思いを伝えられるかどうか分からない。
その手助けをしなければいけない。
相手が、たとえ自分の好きな人でも。
無言のまま、アスカは頭を振った。
今の自分にできることは、レイがシンジに思いを伝える場所から逃げることだけ。
ここまでやったのだから、せめてその瞬間に居合わせることだけは避けたい。
「今日一日、がまんしたんだもの・・・・」
アスカは、さらに激しく頭を振った。
観覧車がぼやけて見えたのは、決して気のせいではない。
続きを読む
前に戻る
上のぺえじへ