遥かなる空の向こうに
第15話:苦いケーキの味
「ちょっとアスカ、そんないらないものまで買い込まないでよ!」
「何言ってるのよ、アタシはこれが食べたいの!」
「予算ってものがあるんだから・・・・って、ケンスケ! 缶詰たくさん買い込んで、一体どうするつもりなんだよ! キャンプに行くわけじゃないんだから!」
「なんだよ、缶詰は非常時に必要だろうに」
「パーティのどこが非常時なのさ! はいはい、戻してきて戻してきて! ・・・・それと・・・・その、綾波・・・・」
「何、碇くん」
「・・・・その・・・・ぴ、ぴったりとひっつくの、もうちょっとやめてくれないかな・・・・」
「・・・・どうして?」
「・・・・だ、だって。みんな見てるじゃないか・・・・」
「見ていると、何か悪いの?」
「・・・・いや、それはその・・・・」
「シンジ〜! これ買ってこれ!」
「ま、またアスカはそうやって!」
「碇くん、どうして悪いの?」
「あ、それは、その、ま、またあとでね・・・・ってアスカ、人が気づかないうちにこんなものを入れないでよ!」
・・・・合流したシンジたちとケンスケは、そのまま地下の食品売場に降りて買い物を始めた。とりあえず料理をするのはシンジとレイ・アスカでケンスケはまあおまけのような存在なのだが、実質的に買い物を取り仕切っているのはシンジであった。
自分の欲しいと思うものばかりを、予算を考えずに買い込むアスカ。
とりあえず缶詰コーナーに釘付けのケンスケ。
シンジの脇にぴたっとくっついて離れようとしないレイ。
この3人を引き連れていては、自然、シンジが材料選びをほぼ全部やらなければならなくなる。
「一人できた方がましだったかもな・・・・食事の買い物は・・・・」
そんなシンジの心のつぶやきは、しかし誰にも聞かれることはない。
そのままかれこれ一時間近く買い物は続いた。
「結構買い込んだわね」
荷物を抱えたアスカは、その重さに少々うんざり気味だった。
「だから言ったじゃないかアスカ、余計なものを買わない方がいい、って」
「い、いいじゃないの、別に!」
アスカは照れくささを隠すかのようにシンジからぷいっと顔をそむけた。シンジの言うように、アスカが買おうとしたものはパーティには余計なもので、中には高価なものもあった。シンジはそういった高いものなどはさすがに買おうとはしなかったが、それ以外はアスカのわがままを聞いて買っていたのである。
「さて、っと。とりあえず、今日の買い物はこんなところかな・・・・」
シンジは荷物の中身を確認して、小さくうなずき、
「それじゃ、そろそろ帰ろうか。もう夕方だしね」
時計は、すでに夕方の五時を指していた。
「ケンスケ、それじゃ、明日の放課後、よろしくね」
「おう、まかせとけ!」
ケンスケはそう言って胸を叩くと、自分の分の荷物を持って三人と別れ、自分の家の方向へと帰っていった。
「それじゃ、僕たちもそろそろ帰ろうか」
シンジはそう言って、先頭に立って歩き出す。
レイとアスカはそれに続いて歩き出したが、ふと、アスカがその歩みを止めた。
「ねえシンジ、ケーキって買った?」
「・・・あ!」
アスカの指摘に、シンジはしまった、という表情を浮かべた。
「いけない、動き回ってつぶしちゃわないよう後に、って考えてて、買うの忘れてた・・・・」
「まったく、シンジってしっかりしているようでどこかぬけてるのよね〜」
アスカはそう軽口を叩くと、手に持っている荷物のいくつかをレイに手渡す。
「しょうがないから、アタシがちょっと買ってくるわよ。二人は、先に戻ってて」
「いや、買うのを忘れていたのは僕なんだから、僕が行くよ」
そう言ってシンジは走りだそうとするアスカの手をつかんだが、アスカはそんなシンジの手をやんわりと押し戻した。
「今日の夕ご飯の準備は? シンジが先に帰らなかったら、だれが用意するって言うのよ」
「あ・・・・うん・・・・」
「そういういこと、アタシが帰ってすぐ、おいしいご飯を食べれるようにしといてね」
そう言ってアスカはシンジの手を離し、さっと駆け出した。
「・・・・あーあ、アスカったら・・・・」
遠ざかる影を見ながら、シンジはそう小さく呟く。その口調はしかし笑いを含んでおり、決して彼女をとがめているわけではなかった。
「しょうがない、先に帰って待っていようか。これで帰ってきてご飯がないと、アスカはうるさいからね」
「・・・・うん」
レイはシンジの言葉に小さく返事を返して、そっとシンジの傍らに寄り添った。
アスカのことを見ている碇くんの目・・・・なにか、違う・・・・。
そう、考えながら・・・・。
「えーっと、これ・・・かなっと」
大通りの傍らに立つ瀟洒なケーキ屋。
ショーウインドーに陳列されている中からアスカが選んだのは、程良い大きさのショートケーキであった。トウジがいることも考えて、少し大きめのものを選ぶ。
「すいませーん、これ、くださーい」
「はい、ありがとうございます」
「あ、ラッピングは簡単でいいですから」
「承知しました、少々お待ち下さい」
店員の愛想よい返事を聞きながら、アスカは他のショーケースをぶらぶらと見回ってみる。
「どうしようかな・・・・今日の夜も、何か買って帰ろうかな・・・・」
シンジにエプロンをプレゼントしてもらったことだし・・・・。
アスカはそう考え、目当ての品を探してさらにショーケースを見ていく。
「あ、あったあった・・・・」
チーズケーキ。それを見つけて、アスカはにこりと微笑んだ。
シンジの好きなケーキ。以前聞いたのを覚えていたのだ。
アスカもチーズケーキは結構好きな方である。そしてなにより、シンジと一緒のものを食べたいという気分もあった。
うん、これも、買って帰ろう。
シンジがまた「余計なもの買ってきて・・・・」何て言うかも知れないけど、やっぱり食べたい物を食べたいときに食べるのがいいんだから、ね・・・・。
「すいません。あと、このチーズケーキ、三つもらえます?」
しかし、店員はラッピングの手を少し止め、すまなそうな表情を浮かべてアスカに答えを返した。
「申し訳ありません、今日はもうチーズケーキは、そこに出ている二つだけなんですよ」
・・・・改めてショーケースを見る。確かにそこには、二つしかチーズケーキがなかった。
「えーと、それじゃほかに三つ残っているのは・・・・」
アスカはそう考えてさらに見て回るが、あいにく閉店も近いと言うことがあってほとんどケーキは売れてしまっており、結局三つそろったケーキはひとつもなかった。
「どうなさいますか?」
「うーん・・・・そう・・・・それじゃ、チーズケーキを二つと、そのチョコレートケーキをひとつ、お願いします」
「はい、かしこまりました」
・・・・・できれば三人一緒が良かったんだけど、仕方ないかな。まあ、いいか。
アスカはそう考え、しばしの後、店員にお金を払ってケーキを受け取り、店をでた。
「ただいま〜」
扉を開けたアスカを迎えたのは、おいしそうなシチューの匂いだった。
「おかえり、アスカ」
台所から顔を出したシンジが、お玉片手ににっこりと笑う。
「ケーキ、買えた?」
「うん、それと、今日の夜の分も買って来ちゃった」
「ええっ、今日の夜も食べるの!?」
シンジはアスカの言葉を聞いて小さく驚きの声をあげた。
そんなに食べると・・・・太らないのかなぁ・・・・。
内心でそう考えていたのが顔に出たのだろうか。次のアスカの言葉は、シンジを文字通り驚かせた。
「そうそう毎日食べる訳じゃないし、べつに太ったりなんかしないわよ」
「あう、あ、そ、そうだね・・・・」
アスカは、シンジがいきなりうろたえたのを見て不思議そうに首を傾げる。
「ま、まあそれはともかくアスカ、もうすぐご飯できるからさ、着替えておいでよ」
「あ、アタシも何か手伝うわよ」
「あ、ううん、綾波が今最後の仕上げをしてくれているから・・・・」
「レイが・・・・」
アスカの胸が、ちくりと痛んだ。
自分のいない間に、シンジとレイ、二人が台所で仲良く料理をする姿を想像したからだ。
・・・・なぜ?
嫉妬?
いやなの?
シンジとレイが仲良くなるのが、いやなの?
・・・・分からない。
内心のつぶやき。
レイには普通の女の子として幸せになって欲しい。
でも、シンジを取られるのはいやなの?
3人で仲良くしようって言っているのに。
あの二人が仲良くするのは、いやなの?
・・・・・・分からない。
でも・・・・やっぱり、胸が痛い。
ちくりと、痛い・・・・。
突如黙り込んだアスカを不思議に思ったのか、シンジが言葉を繋ぐ。
「だから、さ、アスカは部屋で待って・・・・」
「・・・・ううん、やっぱり、アタシも手伝うわ」
しかしシンジの口調を途中で遮って、アスカはそう告げた。
「すぐに着替えてくるから、待ってて!」
そう言って廊下を走り、部屋へ駆け込んでいく。
「・・・・・・」
シンジはそれをしばらく見つめていた。ああいったときのアスカは何を言っても聞かないと言うのは今までの経験から分かっていたからだ。
「まったく、いそがしいんだから、アスカは・・・・」
苦笑いを浮かべ、シンジは再び台所へと戻っていった。
廊下から、再び人の気配が消えた。
部屋に戻ったアスカは素早く制服を脱ぐと、いつものように動きやすい服装に着替えた。ブルージーンズに薄くピンクかかったTシャツ。制服をたたみ、そのまま台所へ向かおうとして・・・・。
「あ、そうだ」
先ほど、シンジに手渡された袋のことに気づいた。
シンジが選んでくれたエプロン。
自分のために選んでくれたエプロン。
ちょうど折良く料理をするのだから、つけていこうか。
そう、思った。
「さーて、シンジのやつ、どんなのを選んでくれたのかしら・・・・」
そう考えながら、ラッピングを少しずつ慎重にはがしていく。
がさ、ごそがさっ。
そして、シンジの選んでくれたあのエプロン・・・・薄いクリーム色のそれ・・・・が現れる。
「・・・ま、シンジにしちゃ上出来よね」
アスカは誰に言うとでもなくそう呟いた。
同時に、心の奥底で自分に問いかける。
・・・・何、言ってるの。アスカ?
本当はうれしいんでしょ?
シンジにプレゼントしてもらったことが、すごくうれしいんでしょ?
「・・・・うん、そうね・・・・」
アスカは自分の心にそう、返事を返す。
だったら素直に喜ばないとだめじゃない。
うれしそうな顔で、シンジにエプロン姿を見せて、「ありがとう」って。
そう、シンジに言わなきゃダメじゃない。
こんな、誰も聞いていないようなところでまで心にもない台詞を言って。
そうでしょ? そんなことじゃ、シンジも振り向いてくれないじゃない。
「・・・・・・」
レイは・・・・あの娘は、自分に正直。偽りを知らない。
それなのに、あなたはどうなの?
プライド?
意地?
そんなものをもっていたら・・・・
「負けちゃう、わよね・・・・」
そう、ぽそりと呟いた。
エプロンを持つ手に、力が籠もった。
・・・・ふと。
アスカはエプロンの脇に、何かが書かれていることに気づいた。
「・・・・?」
ばさり、と布地を広げ、その部分を凝視する。
そして、言葉を失った。
驚き。喜び。悲しみ。どういう理由かは分からないけど。とにかく言葉を失った。
『Three Children Asuka Shinji Rei』
そこには、筆記体でそう描かれていた。
3人の絆。いつも一緒に。シンジのそういう思いを、アスカはそこから感じた。
視界がぼやけたのは、なぜだろう。
シンジが自分やレイを大切に思ってくれていることをうれしく思ったからか。
そんなシンジを挟んだ、自分とレイのことを考えただろうか。
気がつくと、アスカは泣いていた。
小さくすすり泣きながら、ぎゅっとそのエプロンを抱きしめていた。
「シンジ・・・・・」
嗚咽が、口の端から漏れ出た。
「アタシは・・・・どうすればいいの・・・・だれか・・・・教えてよ・・・・」
アスカが台所にやってきたとき、シンジは少し不審に思った。
どこか元気がない。
話をすれば答えてくれるが、黙り込んでしまうと途端に顔色が曇る。
一度だけ、その顔色を変えたのは、アスカがレイの姿を見たときだった。
今日のエプロン。
3人がいつも一緒にいれるように、と考えて縫い込んでもらった、『ThreeChildren Asuka Shinji Rei』の文字。そのエプロンを身につけていたレイを見たとき、アスカの顔色が一瞬だけ変わった。
・・・・どうしたんだろうか。
シンジには分からない。
食事の用意をしながらも、そのことが頭を離れなかった。
アスカの様子がおかしい。
レイはそう思った。
ついさっきまで、買い物をしていたときの元気がない。
シンジの言われたとおりに皿を出したり用意をしているが、どこか無気力さを感じる。
身につけているエプロンは、レイのそれと同じく今日、シンジにプレゼントしてもらったものだろう。
それなのに、どうして喜んでいないのだろう。レイはそれが不思議だった。
わたしはうれしい。碇くんにこのエプロンを付けている姿を見せることができてうれしい。
同じようにアスカも、そう思っているはずなのに。
なぜ、そんなに暗い顔をしているの?
レイは何度、アスカにそう尋ねようかと思ったことか。
しかし、できなかった。
なぜだか知らないけど、できなかった。
胸の苦しみが一層増した。
レイの姿を見たときから。
エプロンを付けていた。
すぐに、それがシンジにプレゼントされたものだと分かった。
レイの顔が喜びに輝いていたから。
自分よりも早く、シンジにその姿を見せていたレイ。
負けたような気がした。
他愛もないことと笑われるかも知れない。
でも、アスカにとっては、そう思えるようなことだった。
悔しい。
後悔。
嫉妬。
そんなこと、今まで考えもしなかったのに。
どうして、そう思うようになったんだろう。
突発的に?
レイが。シンジにアプローチを始めたから?
・・・・自分は、もしかしたらものすごくイヤな女なのかも知れない。
レイの幸せを願う一方、それを達成しようとする彼女に嫉妬するなんて。
そんな複雑な思いが顔に出ていたのだろう。
シンジは不審そうな顔をし、レイは心配そうに自分を見ていた。
それが、さらに自己嫌悪を強くする。
レイは、アタシを心配してくれているのに。
なのに、その自分は・・・・。
アスカは、苦悩していた。
苦しかった。
「・・・・ごちそうさま」
沈黙の夕食だった。
3人とも言葉少なに箸を運び、料理を食べていく。
三者三様の思いを抱きながら。
三人とも、どこか気まずい雰囲気を感じながら。
耐えられなくなったのは、シンジであった。
「そ、そうだ。あ、あのさ、アスカの買ってきたケーキ、食べる?」
「あ、そ、そうね・・・・」
「う、うん・・・・」
二人も、シンジの言葉に救われたかのようにうなずきを返す。
「じゃ、冷蔵庫からケーキ、持ってくるよ」
「じゃあ、ア、アタシはお茶を入れてくるわね」
冷蔵庫にケーキを取りに行くシンジ。そしてアスカはレイと二人でいる気まずさから、紅茶を入れるために台所へと立った。
どうしたんだろう。
さっきからの疑問が何度も頭を巡っている。
昼間はこんなこと、考えもしなかったのに。
なんで、こんなにもレイのことを意識しているの?
シンジを取られそうだから?
・・・・取られそうって、そもそもシンジがアタシのことを見ていてくれるかすらも分からないのに。
この間のキスだけが、アタシのよりどころ。
でも、それはあやふやなもの。
アタシは自信がない。
レイに負けない自信がない。
シンジが自分のことを見てくれる自信がない。
だから、レイとシンジが一緒にいるのが心配。
・・・・シンジがレイのことを見ないかどうかが心配。
レイの幸せを考えてはいても、心の奥底では自分のことを考えている。
イヤな女。
自分がイヤになる。
キライキライ。大嫌い。
そう、シンジもアタシを嫌うかも知れない。
だから、ますますレイのことを気にしてしまう。
「・・・・アタシ・・・・何、考えてるんだろう・・・・」
アスカはふと我に返り、今までの自分の考えを思い起こしてみた。
「・・・・人を好きになること・・・・」
ゆっくりと呟く。
「つらい・・・・すごくつらい・・・・」
自分の弱さを認識する瞬間。
・・・・・・。
アスカはしばしの後、頭を何度かふってそんな思いを頭から追い払った。
「ダメ、こんなこと考えてたらダメ」
後ろ向きの思考は、自分だけじゃなくて、周りまで暗くしてしまう。食事中、みんなアタシのことを気遣って無言だったじゃない。
「・・・・うじうじ考えてても、仕方ないわよね」
そう。ひとりでぐだぐだ悩んでいても、どうしようもない。
なるように、なるわよ。
アスカはそう内心で呟くと、紅茶のポットとカップを取り出し、トレーに載せて部屋のほうへと運んでいった。
「おまたせ、紅茶できたわ・・・・よ・・・・」
しかし、その語尾は小さくしぼんでしまった。
「あ・・・・」
内心の動揺。それが、無意識のうちに声に出てしまう。
テーブルで、シンジとレイがケーキを出して待っていた。
二人の前に置かれたチーズケーキ。アスカの椅子の前に置かれたチョコレートケーキ。
「ん、どうしたの、アスカ?」
シンジが、不思議そうに問いかけてくる。
「ううん・・・・なんでも、ないの」
「・・・・そう、それなら、いいんだけどね」
シンジに、そしてレイに、動揺を悟られないよう必死だった。
シンジとレイが一緒のチーズケーキ。アスカが、チョコレートケーキ。
些細なことだけど。
でも、なんとなくイヤな気分。
さきほどの決意が、音をたてて崩れていく。
アタシ・・・・やっぱりイヤな女ね・・・・。こんなことで、また変なことを考えて・・・・。
紅茶を注ぎ、全員の前にカップをおきながら、アスカはずっとそんなことを考えていた。
「じゃ、食べようか」
シンジはそう言って、フォークをケーキに刺し、一口ほおばる。
「ん、おいしいね、アスカ、綾波」
「うん、おいしいわね・・・・碇くん・・・・」
レイとシンジの二人は、そう言ってケーキを食べている。
アスカも一口、ケーキを口にして・・・・内心でこう、呟いた。
・・・・甘いはずの、ケーキなのにね・・・・。
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