遥かなる空の向こうに

第14話:いつも一緒にいたい



 エレベーターを降りて四階につくまで、アスカとレイはシンジの手を握ったままだった。
「・・・・あのさ、ふたりとも、そろそろ・・・・手、離して・・・・」
 シンジが小さな声でそう二人に話しかける。
「なんで、離さなきゃいけないの?」
「・・・・だって、このままじゃ買い物もできないじゃないか・・・・」
 アスカとレイは片手が空いているが、シンジは両手が塞がっている。そのことにアスカは思い至り、
「・・・・そ、それもそうね」
 しばし考えて、名残惜しげにシンジの手を離した。
 そしてレイは、
「・・・・・・」
「ちょっと、シンジが離しなさいって言ってるんだから、レイも離しなさいよ」
「・・・・片手が空けば、買い物、できるでしょ・・・・。だから、わたしはこのままで・・・・」
「あ、綾波・・・・」
「却下!」
 レイの言葉に、アスカは必要以上に大きな声でそう返した。
「どっちか片方が離して片方が残るって言うのは不公平よ。両方が離すか、両方が繋ぐか。二人とも手を繋いでいるわけにはいかないから、だから、二人とも離すの。わかった?」
「・・・・・・」
 レイはアスカの言葉にしばしの後うなずくと、シンジの手をようやく離した。
 ・・・・レイ・・・・。
 アスカはそんなレイの様子を見て、うれしいような、そうでないような、複雑な思いにとらわれていた。
 積極的にシンジにアプローチして欲しい。そう思っているのも真実。そして、シンジにアプローチするレイを見ると半ば嫉妬のような感情がわき上がるのも真実。
 相反する二つの思いが、彼女の心の内でせめぎ合っている。
 もしもアタシがシンジを好きにならなければ。
 もしもレイの好きな人がシンジでなければ。
 こんな思いをしなくてもよかったかもしれない。
 心のそこから、レイのことを応援できるのに。
 でも、それは現実ではない。
 ・・・・それに、シンジが二人のどちらかを選ぶかどうかすら分からない。
 ・・・・どうして、同じ人を好きになったのかしら。
 アスカは店に向かって歩きながら、そんなことを考えていた。
 レイ、アンタのことを前のように嫌いでいれたらよかったのかしら。
 そうすれば、こんなことを考えなくてもよかったのに。
 アンタに遠慮なんかすることなく、シンジに思いの全てを向けられるのに。
 ・・・・でも、それも無理。
 もう、レイのことを嫌いな自分はいない。
 アタシはレイに「シンジのことに関しては遠慮しないわよ」と言った。でも、やっぱりレイのことが気になってしまう。
 彼女が恋愛について何も知らないうちに、シンジにアプローチするのは卑怯なような気がするから。
 彼女がもっとそういうことを知って、自分一人でシンジに思いを告げることができるようなら、こんな思いはしないのに。
 ・・・・でも、レイに残された時間はあまりに少ない。
 その残された時間の中で、せめてシンジにアタシとレイ、どちらかを選んでもらいたい。
 不確定なままでは、レイがかわいそうだから。
 生きている間に、シンジの心が誰に向いているかを知りたいだろうから。
 それがアタシなのか、レイなのか、それともどちらでもないのか。
 そのためには、レイが積極的になることはいいことのはず。
 でも・・・・。
 それでシンジがレイを選んだとして、アタシは納得できる?
 できるはずだと、自分では思っている。
 そう、思っている。
 シンジがアタシを選んだとして、レイも納得できるはず?
 そう、だと思う。
 アタシがレイを大切に思っているのと同じくらい、レイがアタシを大切に思ってくれれば。
 しかし、シンジの側にいるレイを見てアタシが複雑な思いにとらわれるのと同じように、レイもシンジの側にいるアタシをみてそういう思いにとらわれているなら。
 それが強くなれば・・・・。
 アタシたち二人の今の関係が、続くかどうかは分からない。
 ・・・・続けていきたい。
 アタシはレイが好きだから。今は好きだから。
 シンジもレイも、大切だから。
 両方とも、失いたくない。
 ・・・・それは、贅沢なのかしら・・・・。
「恋することって、こんなに辛いことなの・・・・」
 アスカは誰にも聞こえないよう、小さくそう呟いた。
  
「で、どれを買うの?」
 目指す店の前で、シンジは二人にそう尋ねた。
「エプロンって言っても、いろんな柄とか色があるだろ。二人とも、どんなのがいいの?」
「はあ? アンタバカァ? エプロンはアンタがアタシたちにプレゼントするんだから、シンジが選んだものでいいのよ! レイもそうでしょ?」
「・・・・わたしはそういうものはよく分からないし、それに・・・・碇くんが選んでくれるものだったらどんなものでもいいから・・・・」
 語尾のほうは消え入りそうな声。レイはそう言って、うつむいてしまう。
「・・・・そ、そうなの?」
 シンジは二人の返事を聞いて、しばし考えてしまう。
「でも、僕が選んで・・・っていっても、どういうものがいいのか・・・・」
「ああ、もう!」
 アスカはシンジのそんな様子にイライラしてつい大声をあげてしまった。
「だ・か・ら! アンタがアタシたち二人それぞれに一番似合いそうなものを買ってくれればいいの! アタシたちはそれに文句なんか付けないんだから!」
「・・・・わ、わかったよ・・・・でも、二人が見ている前で選ぶ、っていうのも・・・・」
 何となく気恥ずかしい。シンジはそう思っていた。
 そもそも、アスカたちがシンジと一緒に買い物に行くのが初めてなら、シンジにとっても二人と買い物に来るのは初めて。加えるなら、女の子にプレゼントなんかを買うのも、シンジには初めてのこと。
 そして、これが欲しい、という指定を受けるのでなく、自分の感覚で選んだものをプレゼントする。
 何か表現しがたい気恥ずかしさが、シンジはあった。
「・・・・まあ、シンジの言いたいこともだいたい分かるわ。じゃ、シンジが選んでいる間、アタシたちはこの階の店を見て歩いているから、買ったら、アタシたちを探しに来てね」
 アスカはそんなシンジの心情をくんでか、それ以上は強く言わずに引き下がった。
「わたしも・・・・碇くんから離れるの?」
 レイが、なんとなく納得しがたい様子でアスカにそう言う。
「あったり前でしょ! シンジに一人でじっくり選ばせる時間を作らないと、いいものをプレゼントしてもらえないわよ」
「でも・・・・」
「それに、プレゼントって言うのは、相手がどんなものを選んだのかを包みをあけるまで楽しみにしているのが本当なの。選んでいるところを見てたら、その楽しみが半減しちゃうじゃない。ね」
「・・・・・・」
 なんとなくわかったようなわからないような。レイはそんな思いをしていた。
 わたしは、碇くんの選んでくれるものならどんなものでもいいのに・・・・。
 それに、いつでもわたしは碇くんの側にいたい。
 碇くんの一挙一動を見ていたい。
 ・・・・でも、それはアスカも同じこと。その彼女が、碇くんから離れることに納得しているのなら・・・・。
 しばしそう考え、やがてレイはアスカの言葉にうなずきを返した。
「うん・・・・わかったわ」
「じゃ、そう言うことで、シンジ、とびっきりのを選んでね!」
 そう言って、アスカはレイの手をつかんで別の店の方へ歩いていった。
 そしてあとには、シンジだけが残った。
「まったく、アスカの強引さにも困ったもんだな・・・・」
 口ではそう言いながら、しかしシンジはそれほど不快には思っていなかった。むしろ、アスカのその強引さに好感を抱いていた。
 やっぱりアスカはああじゃなくちゃ。暗く沈んだアスカなんか、アスカらしくない。
「綾波も、アスカに引っ張り回されてるみたいだけど・・・・」
 彼女の静かな雰囲気はあいかわらず。でも、最近明るくなってきたようにシンジには思えた。
 レイが引っ越してきて、アスカと一緒に時間を過ごすようになってから、その思いは一層強く感じる。
「やっぱり、いい意味でアスカのせいかな?」
 そう思うと、自然と口元から笑みがこぼれる。
「二人が仲良くなってくれて、ほんとによかった・・・・」
 以前は顔をあわせるたびに喧嘩・・・・というかアスカがレイにつっかかっていたのだが・・・・をしていたのが、今からではまるでウソのようだ。
「何があったかは知らないけど、でも、あの二人の喧嘩なんて見たくないからな・・・・」
 店の中を歩きながらそう考えていると、ふと、一枚のエプロンが目に止まった。
 それは、柔らかな、薄い水色をした無地のエプロンだった。
 やさしげな色。そしてはかなげな色。朝日がのぼる直前の空のような色。
「・・・・これ、いいな・・・・」
 シンジは誰にいうとでもなくそう思った。
 綾波に、よく似合いそうな色だ。
 シンジの中では白、というイメージの強いレイ。しかし、汚れることが前提のエプロンにその色は不釣り合い。そう思って別の色を探していたのだが、今このエプロンをみつけるてみると、こっちの方が彼女には似合いそうに、シンジには思えた。
「うん・・・・綾波は、これにしよう」
 それを手に取り、そしてさらに店内をまわる。
「アスカは・・・・何がいいかなぁ・・・・」
 アスカのイメージ・・・・シンジは、それを考えていた。
 プラグスーツのせいかもしれないけど、アスカといって思い浮かぶのはやっぱり赤かな・・・・でも、それじゃありたきりだし、他にもアスカにあいそうな色はあるはずだし・・・・。
 他にアスカのイメージにあいそうなもの・・・・。
 それを考えているウチに、いつしかシンジは今までのアスカのことを思い出していた。
 この間、キスしたときのアスカ・・・・病院のベッドにいた頃のアスカ・・・・暗く沈んでいたころのアスカ・・・・僕と初めてキスしたとき・・・・溶岩の中で小さく笑ったとき・・・・ユニゾンの特訓をしていたとき・・・・そして、初めて会ったときのアスカ・・・・。
「そうだ・・・・あれが、いいかもしれない・・・・」
 ふと、シンジは思い出した。そして、一心不乱に目的のものを探し出す。
 程なくして、それは見つかった。
 クリーム色のエプロン。
 初めてアスカと会ったときに、彼女が着ていたワンピースと同じ色。
 今はもう懐かしい思い出。しかし、シンジとアスカにとっては始まりの色。
「・・・・うん、そうだね・・・・これがいいな・・・・」
 シンジはしばし見つめたあと、そのエプロンを手に取った。
「・・・・あ・・・・そうだ・・・・」
 レジへと向かう途中で、シンジはとあることを考える。
「いらっしゃいませ」
 店員の愛想いい挨拶。シンジは二つのエプロンをカウンターに置きながら、問いかけた。
「すいません、時間がかからなければお願いがあるんですが・・・・」
   
「決まった? シンジ!」
 レイとアスカが返ってきたのは、シンジがお金を払って店を出てしばらくしてのことだった。
「うん、二人に似合うかどうか心配だけど、決まったよ」
 そういって、シンジは包みをそれぞれに手渡す。
「はい、これをつけて、料理もがんばってやってね」
「・・・・ありがとう、碇くん」
 レイはシンジの手から包みを受け取ると、はにかむような笑顔を見せてそれをぎゅっと握りしめた。
 そしてアスカも、
「シンジが選んでくれたんだから、大切に使わせてもらうわ、うん」
 そう言って、包みを大切そうに手に取る。
「それで、ね・・・・」
「ん?」
 小さなアスカの声。
「さっきシンジがいない間にレイと相談したんだけど・・・・」
 そう言って、レイと目配せをする。レイはアスカのそれを受けて、手に持った紙袋から何かを取り出した。
「碇くんにプレゼントしてもらうだけじゃ悪いから・・・・アスカと考えて・・・・これ・・・・」
 それは、小さな銀製のキーホルダーだった。
 鎖の先では、三人の愛らしい天使が仲むつまじくじゃれあっている。
「これはアタシとレイ、それにシンジの三人」
「・・・・わたしたちが、みんな一緒にいられるように・・・・そう思って・・・・」
「アタシたちも同じものをね、ほら」
 そう言って、アスカはポケットからレイが紙袋から取り出したものと同じキーホルダーを見せる。レイも同じようにポケットから取り出す。
「時間とか、場所とか、そういう制約でみんな一緒にいられないときがあるかもしれないけど、でも、アタシたち三人はいつも一緒に、ってね・・・・」
 シンジがどちらか一人を選んでも。
 レイが、残された時間を全て使い切っても。
 アタシたち三人は一緒にいたいから。
 みんなで一緒に、いたいから・・・・。
 アスカは、そう内心で呟いた。
「アスカ、綾波・・・・」
 そしてシンジは、レイから手渡されたされたそれを受け取って、しばし声を詰まらせた。
 うれしかった。
 みんなで一緒に。
 そう思ってくれる二人の気持ちが、うれしかった。
 「ありがとう・・・・」
 かろうじて、それだけを声に出す。
 そして、手渡されたキーホルダーを両手で包み込むように握った。
 銀の冷たい感触は、いやなものではなかった。むしろそれは心地よいものだった。
 ・・・・だから、シンジはそれを、じっと握りしめていたのだった。




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