遥かなる空の向こうに

第13話:それぞれの場所



 なんだかんだ話をしてているうちに、4人はデパートの前にまでたどり着いていた。
「シンジ、まず何から買いに行く?」
 エントランスホールの吹き抜けの下、アスカがシンジに問いかける。シンジはしばらく考えて、
「そうだね・・・・野菜とか肉とかは痛んじゃうし、重い荷物を持って歩くのは辛いから、まずは軽いものから買いに行こうか」
「じゃ、まずはパーティグッズかな?」
 ケンスケがそう言う。するとアスカが横から、
「結構時間もないからさ、別行動、とらない?」
 そう、ケンスケに提案した。
「別行動?」
「そう、アタシたち3人、ちょっと別の買い物があるのよ。アンタがパーティグッズを買っている間に、こっちの買い物も済ませちゃうから、あとで場所を決めて落ち合いましょ」
「・・・・それは別にいいけど・・・・一人で買い物かぁ・・・・」
 アスカの言葉に、ケンスケは少し寂しそうだ。シンジはそんなケンスケを見かねて、
「やっぱり、一緒に・・・・」
 そう言いかけたのだが、そんなシンジの右腕を、アスカがぎゅっと押さえつけた。
「・・・・アスカ?」
 シンジの問いに、アスカは何も答えない。ただ、首を振るだけである。
 そんな彼女の様子を見て、シンジは言葉に詰まった。そして、結局ケンスケに言いそびれてしまった。
「じゃあ、そうだな・・・・だいたい一時間も見れば十分だろ? 一時間後に、ここで会おうよ」
「わかったわ。悪いけど、そっち、よろしくね」
「ああ、ばっちりのグッズ、そろえてやるさ」
 ケンスケはそう言うと、エスカレーターを駆け昇っていってしまった。
「・・・・アスカ・・・・どうしたんだよ・・・・」
 シンジが不思議そうにそう尋ねる。アスカはさっきから握りしめたままの右腕をさらに力強く握りしめてしばらく黙っていたが、やがて顔をあげるとこう言った。
「さっきレイと話していたんだけどね。アタシたち、シンジと一緒に何かを買いに行くのって、はじめてなの」
「あ、うん・・・・」
「シンジにとってはどうでもいいことかもしれないけど、アタシにとってはそれは重要なこと。多分、レイにとってもね。だから、せめて少しでもアタシは三人でいたいの。ケンスケには悪いけど」
「・・・・・・」
「本当は、二人がいいんだけどね・・・・」
 そう呟いたアスカの声は、シンジには聞こえたがレイには聞こえることはなかった。
「ア、アスカ・・・・」
 シンジがびっくりしたような顔でアスカを見つめる。そしてアスカも、今自分が言った言葉を思い起こして顔を真っ赤にした。
「う、ううん、いまの言葉はなんでもない。アンタの気のせいだから、忘れて!」
「あ・・・・う、うん・・・・わかったよ・・・・」
 シンジは、そんなアスカを見て、すこし「かわいい」と感じた。そして、そう感じる自分がいることに驚きを感じていた。
 いままで、こんな思いをしたことはなかった。
 父さんに捨てられてからは誰の愛情も自分には注がれなかった。
 水を与えられない植物は大きく育たない。そして育たない心は、外に向かって無関心になる。
 そんな生活を、ここに来るまで送っていた。
 ・・・・なぜ、こんな心を持つことができたのだろう。他人に関心を持つこと。それは、投げやりだった以前の生活からは考えられないことだ。
 ・・・・みんながいたからだろうか。
 アスカが、綾波が、ミサトさんが。家族と呼べるみんながいたからだろうか。
 みんなの愛情が、ぼくの枯れていた心を再びよみがえらせたのだろうか。
 ・・・・だとしたら、僕は幸せなのかもしれない。
 少なくとも、こんな生活を知ることができたんだから・・・・。
「・・・・シンジ、シンジ!!」
 考えに沈んでいたシンジは、アスカがそう言いながら手を引っ張ったことで我にかえった。
「あ、ご、ごめん・・・・」
「まったく、アンタってどこでも何かしら考えに沈むのよね〜。もうすこしその性格、なおしなさいよ」
「う、うん・・・・ごめん・・・・」
「ま、いいわ、行きましょ、エプロンは・・・・四階ね」
 そう言って、アスカはさっきから握りしめていたシンジの右手に、精一杯のさりげなさを装って自分の腕を絡めた。
「ア、ア、アスカ!!」
 てきめんにうろたえるシンジ。顔がトマトのように真っ赤になっている。
「・・・・何、いけないの?」
 アスカは自分の顔が赤くなっているのにも気づいていたが、シンジがうろたえているのを見て、小さく笑みを浮かべながらそう問い返した。
「だだだって、こ、こんなに人がいっぱいいるところで・・・・は、恥ずかしいじゃないか」
「じゃあ、人がいっぱいいなければ、いいわけ?」
「そ、それは・・・・」
「他人の視線なんか気にしてもどうなるわけでもないわよ。いいじゃない、アタシはシンジとこうしていたいの。シンジはいやなの? アタシと腕を組むのが」
「そ、それは、その、別にイヤって訳じゃないけど・・・・」
「じゃ、いいじゃない。こうしているのも」
 そう言って、アスカはシンジの腕に絡めた自分の手に少し力を入れた。シンジとくっつく面積が、少しでも多いように。そして、少しでも強く、シンジを感じていられるように。
 シンジの腕はどこかほっそりとしていたが、そこは男、しっかりと筋肉がついていてたくましいものだった。
 やっぱり、男の子ってこんな感じなのね。ま、レイを持ち上げるくらいの力があるんだからそうかもしれないけど・・・・。でも、人の暖かみって、いいわね・・・・。シンジの腕を通して、なにかこう、表現できない暖かさが伝わってくる気がする・・・・。
 アスカはそんなことを思い浮かべながら、シンジの腕の暖かさを楽しんでいた。
「・・・・・・」
 レイは、そんな二人の様子をしばしの間眺めていたのだが・・・・。
「あ、あ、綾波!!」
 やおらつかつかとシンジに歩み寄ると、空いている左手に、アスカと同じように自分の腕を絡めた。
「な、な、なにを・・・・!!」
 シンジはアスカだけでも十分衝撃的だったところにレイがそうしてきたことで、さらに驚きのあまり大声をあげた。周辺を行き交う人々が、何事かとシンジたちの方を振り返る。
「ちょちょっとシンジ! 何大声あげてるのよ!」
「だ、だって、綾波まで・・・・」
「レイ、どうしたのよ!」
「・・・・アスカがやってるように、わたしも碇くんを感じてみたいから・・・・だから、こうして腕を組んでみたの」
「・・・・アンタ・・・・」
「わたしはまだ何も知らないから・・・・まだアスカの真似しかできない・・・・でも、それじゃわたしが勝てるわけがない・・・・だから、いつか、アスカの真似だけじゃなく・・・・」
 碇くんに、わたしを振り向いてもらえるようにする・・・・
 レイは内心でそうつぶやき、小さくうつむいて赤くなる頬をシンジから隠した。
 ・・・・アスカがこうしているから、わたしもやってみた。
 碇くんのぬくもりを、感じてみたいから。
 そう、それもある。
 というか、それが本当の目的なんだろうけど・・・・。
 なぜか、あの二人が腕を組んでいるのを見て、胸が苦しかった。
 病気の痛みではない。碇くんとアスカが腕を組んでいる姿を見た途端に、ぎゅっと胸を締め付けられるような感じがした。
 だから、無意識のうちに、わたしは碇くんの手を取っていた。
 これは何? この感情はなに?
 こんな思いが、わたしのなかにあるというの?
 アスカのいる場所に、アスカではなくわたしがいたいという思い・・・・。
 嫉妬?
 そうなの?
 ・・・・わからない・・・・。
 こんな思いは、今までしたことがないから。
 碇くん・・・・わたしの好きな人。一緒にいたい人。
 アスカ・・・・かけがえのない仲間。そして友達。わたしと同じように、碇くんを好きな人・・・・。
 わからない・・・・でも、いつかわかるかもしれない・・・・。
「・・・・・・」
 そのまま黙りこくってしまうレイ。
 シンジはいまいち、状況がつかめていない。
 アスカに勝てるわけがない? 真似?
 いったいなんのことなんだ?
 しばしの間シンジは考え込む。そしてそんな二人の様子をアスカは見て、それぞれの心の内をほぼ正確に推察していた。
 たぶんこの鈍感は、レイがどうしてそんなことをしているのか気づいてないわね。
 少なくとも、今のところは・・・・。
 そして、レイがアタシみたいに積極的になってくれるのはいいこと。だって、今までのままじゃシンジはレイの気持ちに気づきすらしないから。アタシみたいにはっきりといわないと、シンジは気づきすらしないから。
 どうやらレイ、アンタ、アタシとシンジの姿を見て、負けられないと思ったみたいね。それが嫉妬なのかどうかはよくアタシのも分からないけど・・・・。
 アタシの口から言うなんてことができない以上、レイ、アンタは自力で思いを伝えるのよ・・・・。その結果、どちらかが選ばれなくても、それは納得できる結果なんだから・・・・。
「・・・・ま、仕方ないわね。じゃあレイ、そっちの左手はアンタに譲ってあげるわ。でも、こっちの右手はアタシのための場所だからね。ぜぇったいに、とるんじゃないわよ」
「・・・・わたしの、場所?」
「そう。アタシもそっちの左手はアンタのために取っておくから」
「・・・・わかった。ここが・・・・わたしの場所・・・・」
 そう言って、レイはぎゅっとシンジの左腕を握りしめた。
 アスカの場所と、わたしの場所・・・・そう、わたしはここにいてもいいのね・・・・。
「あの・・・・僕の都合は・・・・」
 おずおずとシンジがアスカに問いかける。しかし返ってきた答えは、
「いいじゃないの、こんな女の子二人を連れて歩けるんだから!」
「・・・・・」
 アスカの口調に、シンジはがっくりと肩を落とした。
 ・・・・別に、腕を組むのがいやな訳じゃない。
 まだ、他人の視線に慣れていないだけだ。
 以前のなんの変化もない生活の中で、僕は他人の視線に敏感になってしまった。
 めだたないように、誰にも気にされないように。
 ・・・・それが、自分の世界を守るための手段だったから。
 誰にも気にされなければ誰も自分に干渉してこないから。
 干渉されなければ、孤独だけど何も変わることはないから。
 それが、父さんに捨てられた自分の生き方だったから。
 ・・・・でも、今はそういう生活はできない。
 できないし、したくはない。だって、一人の寂しさはもう嫌だから。
 ・・・・そう思っていても、まだ他人の視線が僕には気になる。
 人が変わっていくには、たくさんの時間と経験が必要なんだ・・・・。
 そう思って、シンジは自分の心に納得をつけた。
「・・・・でも、綾波もアスカも、せめて腕を組むんじゃなくて。手を繋ぐくらいにしてくれないかな・・・・まだ、今はそこまでしか僕も・・・・」
 小さな声で、二人にそうお願いする。
 慣れるまでの時間が欲しい。だから。
 そんなシンジの内心の思いをアスカは読みとった。
「・・・・しょうがないわね。シンジもおいおい、慣れていって欲しいわね。じゃ、今日のところは手をつなぐくらいにしておきましょ。レイも、いいわね」
「・・・・わかった。碇くんの言うとおりにするわ」
 アスカはそういって、組んでいた手をほどき、代わりに掌を握りしめる。レイもアスカに倣ってシンジの左手を取り、自分の右手で握りしめる。
「・・・・なんか、まだ恥ずかしいなぁ・・・・」
 シンジはそう言いながら、しかしそんなに悪い気分ではなかった・・・・。
 ここが、アスカと綾波の間が、僕のいるべき場所なんだな・・・・。




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