遥かなる空の向こうに
第12話:自らに課す約束、課した約束
「よし、いくぞぉ!」
ケンスケが気合を入れて、手に持ったカメラを構えた。
放課後である。
シンジたち三人にケンスケを交えた四人は、学校から繁華街に向けて歩いていた。
「・・・・ちょっと、何であいつがついてくるのよ?」
シンジの脇に立ったアスカが、こっそりとシンジにそう耳打ちした。
「あいつが料理するわけでもなし、しかもアタシたちだけの方がいいはずの・・・その・・・エプロンとかを買いに行くのにもついて来るんでしょ? なんでまた?」
「いや、明日のパーティで使う細々した道具の買い出しに行くから、ちょうどいいやってケンスケが言って・・・・それに・・・・」
「それに?」
「綾波が、ケンスケも一緒に連れていって、っていうから」
「レイが?」
アスカはびっくりした表情でレイの方を振り返った。
二人からすこし離れた距離を歩いていたレイが、そんなアスカに気づく。
「・・・・なに?」
「あ、ううん、なんでもないけど・・・・」
「そう・・・・」
アスカはそんなレイから視線を外し、再びシンジに耳打ちする。
「・・・・なんで、そんなことをレイが言ったの? あんた、何か知ってる?」
「いや・・・・僕も分からないけど、ケンスケだって仲間なんだし、一緒のパーティの買い物なんだからいいかなぁ、と思って・・・・」
「ま、まあそうだけどね・・・・」
でも・・・・。できればあたしたち三人の方がよかったのに・・・・。
アスカはそんな内心の思いを隠して、ふっと目を伏せた。
初めてシンジと行く買い物。
毎日買い物をしているシンジには大したことじゃないかもしれないけど、アタシにとってはものすごく重要なこと。だから、シンジとアタシ・・・・それに、おそらくはレイもシンジと買い物なんか行くのは初めてだろうから・・・・三人で・・・・行きたかったのに・・・・。
アスカはそんなことを考えながら歩いていた。
だから、いつの間にかシンジから少しおくれてしまい、レイの傍らを歩いていることに気づいたのはしばしの後だった。
「・・・・どうしたの? 何を、考えているの?」
「えっ、あっ?」
顔をあげると、傍らを歩くレイがアスカの顔をのぞき込んでいる。周りを見回してみると、シンジはいつの間にかケンスケの傍らで何かを話してている。
「あ・・・・うん、なんでもないの。ちょっと、考え事をしていただけだから」
「そう・・・・」
アスカは、そんなレイに、さっき考えていた疑問をふとぶつけてみる気になった。
「・・・・ねえ、レイ」
「・・・・なに?」
「あんた、シンジにあいつを連れていくようにたのだんですってね」
目線で、シンジの傍らにいるケンスケを指す。
「・・・うん・・・・」
「どうして、そんなことをしたの?」
「・・・・どうして、って?」
問い返すレイに、アスカはすこしイライラした。
分かってるの、レイ?
「気づいてる? アタシたち二人、シンジと買い物に行くのって今回が初めてなのよ」
「あ・・・・・・」
レイは、アスカの言葉をきいて初めてそのことに思い至った。
碇くんと、初めて一緒に行く買い物・・・・。
いままで、そんなことしなかったし、しようとも思わなかった・・・・。
だから、碇くんと行くだけでなく、そもそも食べるもの以外の買い物はこれが初めて。
・・・・気づかなかった・・・・。
「それなのに、どうしてレイ、あんた、あんなよけいなのを連れてきたわけ?」
「・・・・・それは・・・・」
「それは?」
「・・・・ごめんなさい。いまは、言えないの」
「・・・・・?」
レイは、なぜかアスカにこのことを秘密にしておきたかった。どうしてそう思ったのかは分からないが。とりあえず、今のところは誰にもこのことを言いたくなかった。ケンスケに自分の姿を撮ってもらうように頼んだこと。それを。誰にも。
シンジにも、もちろん・・・・。
だから、こう答えた。
「ごめんなさい。いまは、言えないの。そのうち、話せるときが来るから」
「・・・・・」
アスカは、そんなレイの反応にびっくりしていた。
レイが、何かを考えている。何かをしている。
アタシにも言えないこと?
それとも、アタシだから、言えないこと?
「・・・・それは、何かシンジと関係あることなの?」
「・・・・・」
「詳しいことはきかないけど、これだけは教えて。シンジに、関係あることなのね?」
「・・・・ええ・・・・そう・・・・、ごめんなさい」
「・・・・何か、シンジに悪いことじゃないわよね?」
「・・・・・わたしが、碇くんに悪いことをすると思う?」
レイは、そう言ってアスカの目を見つめた。
「碇くんに害を与えることじゃ、ない。それだけは、確か」
「・・・・そう・・・・」
アスカは、しばし考えた後、小さくため息をついた。
「わかったわ。いまは何も聞かない。シンジに悪いことじゃなければ、それはそれでいいわ」
「・・・・・」
「アタシたち、同じ人を好きになってるんですものね。隠し事もなし、手の内を全て見せあって、なんてことじゃ勝負が全くつかないものね」
「・・・・アスカ・・・・」
「レイ、あなたがシンジのために何かをやっているって知るのは、アタシも辛いわ。でも、それはお互い様。あたしもアンタの知らないところで、色々やるだろうし・・・・」
それに、もうやっているものね・・・・アタシは・・・・。
レイから視線を少し逸らして、アスカは内心でそう呟いた。
「でも、これだけは共通の約束よ。シンジのためにならないことだけはしない。いい? これだけは約束してね」
「・・・・うん・・・・わかった・・・・約束、する」
「ありがと、レイ」
「・・・・ううん。そんなことはいいの」
「うん・・・・」
そして、二人はそのまま、並んで歩いていった。
「なあ、シンジ」
ケンスケが、唐突にシンジに話しかけた。
「なに?」
「おれは疎開していたから詳しい事情をよく知らないんだが・・・・」
そう言って、あたりの光景を見回す。
「たしか、ここでもでかいドンパチやったんだろ? それにしちゃ、街がずいぶんきれいに残ってるじゃないか」
「うん、それはね」
シンジは、ケンスケにあわせるようにあたりを見回した。
立ち並ぶ民家。蝉の鳴き声。遠くに見えるビルは、かつてに比べてその数を減じているが、それでも陽炎の向こうにいくつかの高層建築物がみえる。
「僕はずっと考えていたんだ。人類の未来を守るための戦いとかいってエヴァに乗っていたけど、それがみんなの生活を壊してもいい理由になるんだろうか、ってね」
傍らを、笑いながら小学生らしい子供が駆け抜けていく。それを微笑ましい笑顔で見つめながらシンジは更に言葉を繋いだ。
「人に未来が残っても、それを共にする人が、ともに歩める場所がなければ全く意味はない、そう思ったんだ」
「・・・・・・」
「だから、できるだけ民家に影響を与えない場所・・・・戦闘ブロックのほうで戦いをしていた。もちろん、相手がいるんだからそうそう思い通りにはいかなかったけど、相手の目標は僕たちの乗っていたエヴァだったからね、誘われるように、こっちに来てくれた」
「・・・・・・」
「おかげで戦闘ブロックはぼろぼろって言うのも足りないほど壊れちゃったけど・・・・」
「・・・・・・」
「それも、いまじゃ必要ないものだし。お金やものでは替えられないものを壊すよりは、はるかにいいよ」
「・・・・シンジ、おまえ、戦いながらそんなこと考えていたのか?」
ケンスケが、あきれたように声を出した。
「・・・・一度、ミサトさんに同じことを話したんだ。そうしたら「何よけいなこと考えているのよ!」って怒られたけどね・・・・」
「まあ、作戦課を預かるミサトさんの立場としては当然だろうな」
「でも、僕は嫌だったんだ。もう、トウジのような思いをする人を作るのは」
「・・・・シンジ・・・・」
「自分が殴られるのが嫌なんじゃない。悲しみを背負って生きる人を作るのが、嫌だったんだ」
シンジは、何気なく頬に手を当てた。
ずいぶん前のことだな、トウジに殴られたのは・・・・。
妹に怪我させて・・・・それで、殴られたっけ・・・・。
そして・・・・。
「だから、僕はそれをいつも考えながらエヴァに乗っていた。甘いって思うかもしれないけど、それが自分の心に課した約束だから」
「・・・・まあ、それで勝っちゃうところが、シンジのすごいところだよな」
感嘆の声。ケンスケは、シンジを改めて見直した。
以前は何を考えているのか分からない。いや、そもそも自分のポリシーを持たず他に流されるままだったのにな・・・・。
「・・・・やっぱり、おまえは強いよ、シンジ」
「そ、そんな・・・・」
ケンスケの言葉に、シンジは驚いたように顔を赤くした。
「め、面と向かってそんな恥ずかしいこと言わないでよ」
「いや、トウジもそうだが、おまえはやっぱり強いって。僕じゃ、そうはいかないだろうからな」
「・・・・」
「でも、僕もそうありたいと思うさ。シンジやトウジみたいな奴が仲間だと、そうなれそうな気もする」
「ケンスケだって絶対なれるって!」
「そうか? 本当にそう思うか?」
「もうちろんだよ!」
シンジはそう力説し、ケンスケはその言葉にぱっと顔を明るくした。
「よーし、僕も、シンジたちみたいに強くなるぞ!」
「・・・・いや、そんなに力まなくてもいいんだけどね・・・・ははっ」
「あ、そりゃそうだな、はははっ」
笑い声が、夏の真っ青な空に響きわたった。
ああ、やっぱりいいな・・・・こういうの。
シンジは、内心で思っていた。
やっぱり、僕の考えは間違っていなかったんだ。
一緒に笑いあえる仲間がいることの幸せ。
これが、僕の望んでいたものなんだ。
一人の未来なんて、つまらないから・・・・悲しいから・・・・。
そう。悲しみの果てに死を選んだ・・・・カヲル君のような未来は・・・・。
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