遥かなる空の向こうに

第4話:過ぎ去る時を記憶の中に



「ほらアスカ、起きてよ! 朝だよ!!」
 アスカは、いつものようにシンジの声で目が覚めた。
 今日は日曜日。学校は休みだ。
「むにゃむにゃ、今日は学校は休みでしょ・・・・たまにはゆっくり寝かせてよぉ・・・・」
「何言ってるの。早く起きて準備をしてよ! 綾波や僕はもうとっくに準備ができてるんだよ!」
「・・・・何の準備をよ・・・・」
「今日は洞木さんのお見舞いにみんなで行くって言ったじゃない、まさか忘れたの?」
 がばぁっ!!
 その一言で、アスカは文字通り飛び上がって起きた。
「いっけなあぁい! すっかり忘れてたわ!」
「まったく・・・・アスカはいつもそうなんだから・・・・」
 シンジはあきれたようにそういい、
「お風呂はわいてるよ。それと、朝御飯はあとトーストを焼くだけだから。全部準備ができたら、僕たちを追ってきてね」
「・・・・って、まさかアンタ、このアタシをおいて行くつもりなの?」
「そんなこと言ったって、準備ができてないのはアスカだけなんだから」
「だ・か・ら、レイに先に行ってもらって、アタシたちが遅れるって言ってもらえばいいじゃない! 何もふたりしてアタシをおいて行かなくてもいいでしょ」
「じゃあ、僕が先に行って・・・・」
「あんたバカァ? レイとアタシで、どうやって家事一般ができると思うのよ? 洗った食器の片づけ場所は? お風呂のガスの消し方は? 戸締まりも何もかも、あんたがいなきゃできないでしょ!」
「・・・・そんなことぐらいできるようになっておいてよ・・・・ここに住んでもう長いんだからさ・・・・」
「何か言った? シンジくぅーん?」
 ぎろり、とにらむアスカの視線に、シンジはぶつぶつとつぶやいていた口をあわてて閉じた。
「い、いいえ、何でもないですぅ・・・・」
「そう、ならいいわ。ほら、とっとと部屋から出ていく! アタシはこれからお風呂に入るんだから、あんたはアタシのためにパンでも焼いてなさい!!」
 這々の体で、シンジは部屋から追い出された。
「まったく、アスカはいつもあの調子なんだから・・・・」
 キッチンに戻ると、レイが椅子に座ってじっと待っていた。
「あ、綾波。悪いんだけどさ、アスカがまだ準備できてなくて、僕が待ってることにしたんだ。それでさ、先に集合場所に行って、みんなに遅れるって説明してくれないかな」
「・・・・彼女が、碇くんに待っていてって言ったの?」
「うん。アスカの頼みじゃ、断ると後が大変だからね」
「・・・・碇くん、彼女にはやさしいのね・・・・」
「え?」
「彼女のことを話すときの碇くんって、どこかやさしそうな顔をしているもの」
「そ、そうかな・・・・」
 レイのセリフに考え込むシンジ。レイはそんな様子を見て、自分がどうしてそんな言葉を発したのか驚いていた。
 わたしは、アスカ・・・・彼女に、嫉妬しているのかしら。碇くんにこんな表情をさせる彼女がうらやましいのかしら・・・・。
 ・・・・わからない・・・・これが嫉妬という感情なのか、私にはわからない・・・・。
 しばし、部屋には無言が満ちた。
「・・・・と、とりあえずさ、綾波、悪いけど、先に行ってくれないかな」
「・・・・うん、わかったわ」
 気まずい雰囲気を破るように、シンジがそう言う。同じように気まずさを感じていたレイも、それを承諾した。
 ここ数日、わたしは何か変わっているわね。昔だったら、こんなことを思わなかったのに。
 レイはそう考えながら、扉を開けて外へでた。
「・・・・行って来ます」
   
 空は今日も快晴だった。
 レイは、ゆっくりとあたりを見回してみた。太陽に燦々と照らされた緑。陽炎の向こうにそびえ立つビル。流れる雲。それらの中に、彼女の探している物はない。
 集合場所であった公園に、レイ以外の姿はなかった。
 時計は集合時間を15分ほど過ぎている。
 もう、みんなは病院へ行ったのかしら。
 そんなことを考えながら、あらためてあたりを見回してみると、通りの向こうから一目散に走ってくる人影を見つけた。
「はあっ、はあっ、はあっ、・・・・お、遅れてゴメン・・・・」
 ケンスケは、荒い息をつきながらレイに向かってそういった。必死に走ってきたのだろう。顔には汗が浮かび、体が激しい息づかいに上下している。
「ふう、ふう、家を出る直前に。トウジから。連絡があって、先に、行ってるから、って・・・・あ、あれ? シンジと惣流は?」
「アスカが寝坊したから、少し遅れるから待ってて、って・・・・わたしが先に来たの」
「あ、なんだ、そうなんだ。シンジも世話焼きだからな」
 ケンスケはそういってひとしきり笑うと、きょろきょろとあたりを見回した。
「ふう、走ってきたから、喉乾いたな・・・・」
「・・・・あそこに、水飲み場が・・・・あるわ」
「お、ちょうどよかったー」
 うれしそうに駆け寄ると、ケンスケはさっそく蛇口をひねってごくごくと水を飲む。
「ぷっはぁ、うまかったぁ!」
 口元の水を腕で拭うと、ケンスケはレイの方を振り向いた。
「綾波は喉、乾いてないのか・・・・」
 しかし、その声は途中で途切れてしまった。
 レイは、ぼんやりとあたりを眺めていた。流れる雲を、青い空を、彼方のビルを、眺めていた。公園の中を吹き抜ける風がその青い髪を柔らかに揺らし、雪よりも白い肌にやさしく触れている。木の葉の間から差し込む陽の光が彼女を明るく、暗く照らし出し、それはさながら1枚の絵のようであった。
 ケンスケは、知らず知らず、カバンの中からカメラを取り出していた。スイッチを入れるのももどかしく、ファインダーの中にレイをとらえてフィルムを回す。
「あ・・・・」
 ケンスケの様子に気づいたのだろう。ファインダーの中で、レイが驚いたようにケンスケの方を見た。その瞬間の無防備な顔を、ケンスケはきれいだ、と思った。どうしてそう思ったのかは自分でも分からなかったが、とにかくそう思った。
「あ、気にさわったんならゴメン、あやまるよ。ただ、今の綾波を見て、ついカメラを撮りたくなったもんで・・・・うん・・・・」
「わたしを・・・・?」
「そう」
「・・・・・・」
 レイは、ケンスケの台詞にほのかに頬を染めた。そういった台詞になれていない分、彼女にとっては新鮮であったし、何より自分がそういう風に見られる事が驚きだった。
 そんな風に、誰かに見られたい・・・・じゃあ、わたしは誰に見られたいの?
 相田くん? それとも、碇司令? ・・・・いえ、わたしがわたしのことを見つめて欲しい相手は・・・・。
「相田くん・・・・お願いが、あるんだけど・・・・」
「ん? なに?」
「・・・・・ええと・・・・」
 レイにとって、それはかなりの勇気を必要とした。しかし、しばし逡巡した後、彼女は思い切って口を開く。
「その、これからしばらく、わたしの姿を・・・・ビデオで撮っておいて欲しいの・・・・」
「ええ? 綾波をしばらくの間?」
「うん・・・・」
 傍目にも分かるほど顔を真っ赤に染めたレイ。ケンスケはしかし、レイの言葉の方が驚きでそんなことには気づいてなかった。
「なんでまた、いきなりそんなことを」
「・・・・それは・・・・」
 レイは迷った。本当のことを言ってしまっていいのだろうか。ウソを付けない性格であるレイでも、言っていいことといけないことの区別はつく。これは、いいのだろうか、と。 
「・・・・今、わたしを見てカメラを回したくなったって・・・・そういう時の自分ってどういう物なのか、わたしにはよく分からないから・・・・それを、知りたいの。だから・・・・出来るかぎりでいいから・・・・わたしの時間を、カメラで撮っていて欲しいの・・・・」
「あ、ああ・・・・」
 いまいち納得のいったようないかないような、ケンスケはそんな雰囲気だ。
「テープはコピーをくれれば、あとは相田くんが好きに使っていいから・・・・ダメ?」
 ぴくっ。
 その言葉に、ケンスケは反応した。
 被写体公認の撮影会。アスカ同様、レイの隠れファンは学校内にも多く、写真や隠し撮りビデオは高値で取り引きされている。むろんレイはそんなことは知らないのだが。
 ビデオ・写真の総元締めであるケンスケとしては、この話は願ったりかなったりである。
「ん、分かったよ。可能な限り、この不肖相田ケンスケ、カメラを回させていただきます!」
「・・・・ありがとう・・・・相田くん・・・・」 
 レイは、小さくそういうと、またあたりを見回し始めた。
 シンジとアスカ・・・・いや、シンジが早く来ないかを、探すために。
 自分の姿を今一番見て欲しいと思っている相手を、自分のいた姿を覚えていて欲しい相手を、探すために・・・・。



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