June 08,1998

vol.2




アルバム「Something New」からのシングル・カット盤(1976年)


アメリカ盤「Ain't That Just The Way

夢の彼氏と恋のダイアリー
そして、ルトリシア・マクニールとの関係


 「He's A Rebel 」のオリジナル・アーティストはヴィッキィ・カーであることはよく知られている。日本でも彼女のデビュー盤として「夢の彼氏」のタイトルで紹介された。 
 一方、同時期にリリースされたクリスタルズの邦題は、「ヒーズ・ア・レベル」となぜかそのままカタカナにしたものだった。15年後の1976年、こんどは、「恋のダイアリー」という名で登場した。61年全米1位になった曲が15年も経てから、こんなとんでもない邦題が付けられるということは、あまり例を見ない。歌っているのは、プレイボーイ誌で見事な肢体を見せてくれたトランジスター・グラマー、バービ・ベントン嬢。彼女のサード・アルバム「Something New」に収められている。ニール・セダカの「恋の日記」と勘違いしそうな邦題だ。実は、ニールのカムバック・アルバムのプロデューサーである、ロバート・アペルがこのアルバムをプロデュースし、ニールも彼女のために、「Staying Power」をプレゼントしているため、担当者が余計な気を使ったのかもしれない。レコーディング・スタッフも、Steave CropperをはじめNigel Olsson, Jim Horn, Russ Kunkel, Lee Sklarとニールを支えた実力者がそのまま参加している。
 また、ニールが歌った「#1 With A Heartache」も取りあげているので聴き比べてみるのもおもしろい。タイトル曲は、Andrew Goldが提供、ピアノも弾いている。
 76年にコンサートのため初来日したベントンだが、その前年に、TVシリーズ「警部マクロード」に海賊盤業者の摘発に協力する歌手の役で特別出演をしている。その時の挿入歌「愛にさようなら/Ain't That Just The Way」が、ルトリシア・マクニールによってカヴァーされ、いま大ヒットとなってる。曲は、「警部マクロード」のプロデューサーでもあるグレン・A・ラーソンとロネッツを最初にプロデュースしたステュ・フィリップスが書いている。
 ところで、オリジナルのバービ・ベントンの歌だが、日本ではサード・アルバム「Something New」からのシングル・カット曲のB面にひっそりと収められていた。ドラマで流れたものに近い オーケストラを配した、ミディアム・テンポのすばらしいバラードに仕上がっている。
 一方、アメリカでは、「Take Some And Give Some」とのカップリングでA面としてリリースされているが、なぜかアレンジはまったく異なり、ポップ・カントリー・ナンバーだ。アメリカ盤のプロデュースは、ディープ・パープルにいたロジャー・グローバー。
 オリジナルの歌が聴きたいのなら、日本盤を求めたほうがいい。






(1981,Mastian Records)
伝説のスタジオでカヴァーした
ニュー・ウェイヴ・バンド、ウィッグス



 ニュー・ウェイヴ・バンド、ウィッグスは、スペクターの名曲「To Know Him, Is to Love Him(会ったとたんに一目ぼれ)」(The Teddy Bears,1958年)を1981年にカヴァーしたが、そのレコー ディングに選んだ場所は、なんとハリウッドのゴールドスター・スタジオだった。しかも、エンジニアは、 テディー・ベアーズの録音に携わったスタン・ロスである。23年の時の流れは、サウンドをまったく変えてし まったが、素朴さという意味では共通しているかもしれない。
 まもなくして、ウォール・オブ・サウンド発祥の地であるゴールドスター・スタジオは閉鎖 され、追い討ちをかけるように84年3月にスタジオの在った建物は火事のため消失してしまった。
 ウィッグスをプロデュースしたの は、ダンとデイヴィットのケッセル兄弟で、彼らは、名ジャズ・ギタリストであるバーニー・ケッセルの息子たちだ。バーニー・ケッセルは、スペクターのセッションではレギュラー・ミューシャンのひとりであるばかりか、スペクターがギターを覚えはじめた10代の時に、師と仰いだ人物でもあった。そして、スペクターは、ケッセル自身のレーベル「エメラルド・レコード」の設立にも一肌脱いだ。
 ダンとデイヴィットは、一時期スペクターの従者兼ボディガードとなり、ともに行動していたこともあった。スペクターとの直接係わりのなかったものは、ウィッグスだけということになる。もっとも、レコードにはその ような過去の経緯は何も刻まれていない。