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「I Can Hear Music」にロネッツ終焉の序曲が聞こえる
「I Can Hear Music」について、ロニー・スペクターは語った。
1963年の「Be My Baby」で一躍トップ・ガール・グループの仲間入りを果たしたロネッツも、
年を追うごとにヒット曲の勢いは衰えていった。ステージでは依然、人気グループのひと組で
あったにもかかわらずリリースの数も減っていった。 それは、スペクターの興味がロネッツ
からライチャス・ブラザーズ、アイク&ティナ・ターナーへと移ったのが大きな要因とされている。
しかし、1966年はロネッツにとって終焉を予感させる年となる。この年にリリースされたレコードは
、 わずか「I Can Hear Music」の1枚きりであり、プロデュースもスペクターの手から離れ、
ジェフ・ バリーが代わりに行なったからだ。
ロニーが語ることによれば、この歌の録音はニューヨークで行なわれたという。スタジオにはミュ
ージシャンが3人しかいなく、悲しい思いがしたそうだ。ジェフ・ バリーはロニーを引き寄せ、
フィルが大勢のミュージシャンは必要ない、といわれたことを伝えた。そして、ジェフ自身が望んだやり方で
はないとも話したという。ロネッツもこれで終わりと実感したらしい。また、このレコードで聴かれるハンド・
クラッピングはロニー自身が行なったもので、手が腫れるほど繰り返したことを今も良く覚えていると
語っている。彼女自身、レコーディングの時から、この曲のできあがりには期待しておらず、リリースもされ
ないだろうと思っていたらしい。 完成されたレコードは、オヴァー・ダブの結果であろう、厚みのある
初期のスペクター・サウンド に仕上がっている。このあたりのスタジオ・ワークにおけるスペクターの
係わりは不明であり、ロニーも知らないようだ。ただ、スペクターが気に入ってくれてフィレスから
リリースしてくれたことがうれしかった、と話している。結果は100位と、かろうじてチャートをかすめただけに
終わってしまったが、ビーチ・ボーイズやカリフォルニア・ミュージックも取り上げたように、ロネッツの代
表曲のひとつとして数えられる魅力ある曲である。また、フィレスにおけるロネッツ最後のシングルとしても
恥じない名曲だ。
ロニーは付け加える。たしかに、すばらしい曲だけど、アレンジも十分ではないし、プロデュースのやり方も
まちがっていると思う、と。
ロネッツのフィレスでのレコーディングは「I Can Hear Music」が最後の曲ではなく、その後しばらくの間、スペクターのプロデュースのもとで行なわれた。その多くはリリースに値する完成度の持ったものであるが、いまだスペクター
が封印したままである。 |