March 18,1999

vol.10



「I Can Hear Music」にロネッツ終焉の序曲が聞こえる
「I Can Hear Music」について、ロニー・スペクターは語った。


 1963年の「Be My Baby」で一躍トップ・ガール・グループの仲間入りを果たしたロネッツも、 年を追うごとにヒット曲の勢いは衰えていった。ステージでは依然、人気グループのひと組で あったにもかかわらずリリースの数も減っていった。 それは、スペクターの興味がロネッツ からライチャス・ブラザーズ、アイク&ティナ・ターナーへと移ったのが大きな要因とされている。 しかし、1966年はロネッツにとって終焉を予感させる年となる。この年にリリースされたレコードは 、 わずか「I Can Hear Music」の1枚きりであり、プロデュースもスペクターの手から離れ、 ジェフ・ バリーが代わりに行なったからだ。
 
 ロニーが語ることによれば、この歌の録音はニューヨークで行なわれたという。スタジオにはミュ ージシャンが3人しかいなく、悲しい思いがしたそうだ。ジェフ・ バリーはロニーを引き寄せ、 フィルが大勢のミュージシャンは必要ない、といわれたことを伝えた。そして、ジェフ自身が望んだやり方で はないとも話したという。ロネッツもこれで終わりと実感したらしい。また、このレコードで聴かれるハンド・ クラッピングはロニー自身が行なったもので、手が腫れるほど繰り返したことを今も良く覚えていると 語っている。彼女自身、レコーディングの時から、この曲のできあがりには期待しておらず、リリースもされ ないだろうと思っていたらしい。 完成されたレコードは、オヴァー・ダブの結果であろう、厚みのある 初期のスペクター・サウンド に仕上がっている。このあたりのスタジオ・ワークにおけるスペクターの 係わりは不明であり、ロニーも知らないようだ。ただ、スペクターが気に入ってくれてフィレスから リリースしてくれたことがうれしかった、と話している。結果は100位と、かろうじてチャートをかすめただけに 終わってしまったが、ビーチ・ボーイズやカリフォルニア・ミュージックも取り上げたように、ロネッツの代 表曲のひとつとして数えられる魅力ある曲である。また、フィレスにおけるロネッツ最後のシングルとしても 恥じない名曲だ。
 ロニーは付け加える。たしかに、すばらしい曲だけど、アレンジも十分ではないし、プロデュースのやり方も まちがっていると思う、と。

 ロネッツのフィレスでのレコーディングは「I Can Hear Music」が最後の曲ではなく、その後しばらくの間、スペクターのプロデュースのもとで行なわれた。その多くはリリースに値する完成度の持ったものであるが、いまだスペクター が封印したままである。


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