こつ、こつ、こつ、こつ、こつ・・・・・
 白い壁、白い天井、白い床、白衣をつけた医者と看護婦。
 滑稽なほどに全てが白で 統一されている。
 それ以外の色など認めないとでも言うように。

 こつ、こつ、こつ、こつ、こつ・・・・・
 静かな空間――異常なまでに静かな、虚無を思わせる静けさ。
 染め上げられたこの空間は、自らの内にいる者全てに無音でいることを強制する。
 何人にもそれを崩させはしない。そんな強固な意志がここには感じられる。

 こつ、こつ、こつ、こつ、こつ・・・・・
 あまりに静かなこの場所に響く音は、ヒカリの飾り気のない靴のたてる足音だけだ。
 しかし、今はその音すらもヒカリの耳には届かない。
 ヒカリには――希望と不安がないまぜになった今のヒカリにはそれを聞く余裕すらない。

 こつ、こつ、こつ、こつ、こつ・・・・・
 清潔な白、静かな空間。
 本来はここにいる者達に安らぎを与える全てが、今はヒカリの心を締め付け脅迫する。
 ともすれば希望が不安に押しつぶされそうになる。

 こつ、こつ、こつ、こつ、こつ・・・・・、こつ。
 やがてヒカリの足が1つのドアの前で止まる。
「・・・鈴原」
 ヒカリはドアの前に立ちつくしたまま、その病室の患者の名前を誰にともなく呟いた。



散歩




 ―2日前。

「なんや、いいんちょやんか」
 後ろから声がしてヒカリは振り向いた。松葉杖に寄りかかるようにトウジが立っている。片足が無い。
「鈴原・・・」
「なんや不景気な顔しとるなぁ」
「・・動いて大丈夫なの?」
「ああ、いつまでも寝っころがっとるわけにもいかんしなあ。ちいっとばかし妹の顔見にな・・さすがにこの格  好で前に出るわけにはいかんけど・・様子ぐらいは見たいしな」
「妹さん、どうだった?」
「特に変わったことはあらへん。いつも通りやったわ」
 そう言うとトウジは不器用に杖を操りながらヒカリに近づいてくる。
 不自由そうなトウジの姿がヒカリの心を重くする。その重みは自然と首を俯かせ、口を閉ざさせてしまう。
「まあ、立ち話もなんやから中で座って話そか」
 そう言ってトウジは病室のドアを開けるが、ヒカリは俯いたまま動かない。
「いいんちょ?」
「・・・・足の手術、明日だね」
 ヒカリは依然俯いたまま小さく言った。
 足の手術――特殊な義足の取り付け手術。
 NERV特製の義足――被術者の緻密なデータから作られる生体部品は、取り付けさえすれば普通の足と何ら  変わりのない動作が保証される。
 問題は取り付ける際の外科的な行程だ。
 いくら医学技術が進歩していると言っても、神経、筋肉、毛細血管、そういったものを寸分の狂い無く全て完  璧につなぐのは容易ではない。
 失敗する可能性は高い。
 そして1度でも失敗すれば傷は悪化し、更に難度は高くなる。
 2度目はない。
 ヒカリは不安だった。
 ヒカリは医者ではない。看護婦でもない。ただ見ていることしか出来ない。

 自分には何も出来ない。

 そんな思いがヒカリの不安を更にかき立てる。
 そんなヒカリの思いに気づいたのか、俯き続けるヒカリを見つめたままトウジもじっと動かない。
 時だけが絶え間なく流れていく。
 しばらくしてからトウジが口を開いた。
「なぁ、いいんちょ」
「・・・うん?・・」
 ヒカリの声は消えてしまいそうに小さい。
「散歩にでも行かへんか」
「・・でも・・」
 ヒカリの目がトウジの足下をさまよう。
「別に迷惑やったらええんやけど・・」
「そんな迷惑だなんて・・」
「せやったら、別にええやろ。そこら辺歩いてこようや」
 トウジがぶっきらぼうに言う。
「・・うん」
 ヒカリの声は相変わらず小さい。
「・・行こっか、鈴原」
 そう言うとヒカリは、小さく儚い、壊れてしまいそうな微笑みを浮かべた。―



「・・・鈴原」
 鈴原は大丈夫なのだろうか。
 手術は上手くいったのだろうか。
 失敗してしまったのではないだろうか。
 失敗しないまでも望んだような結果が得られなかったのではないだろうか。
 考えてもどうしようもない。
 しかし、その事が分かっていても考えてしまう。
 打ち消しても打ち消しても悪い考えばかりがヒカリの胸に浮かんでくる。
 不安を振り払う様に、軽く頭を振ってヒカリはドアノブに手をかける。が、どうしても回らない。
 回せない。
 ヒカリには、まるでそれが錆付いてしまったように硬く感じられる。
 自分が拒絶されているように思える。

 何も出来ない自分はここには来てはいけない。

 そんな思いが胸中に浮かぶ。
(・・帰ろう、私がここにいてもしょうがないわ・・何やってるんだろ、私・・)
 ヒカリが諦めて帰ろうとした時、唐突に後ろから声がした。
「なんや、いいんちょやんか」
 そこには、松葉杖をついてはいるものの、しっかり2本とも足の揃ったトウジがいた。
「鈴原、手術うまくいったの?」
 トウジの姿を見て、ヒカリは驚きと喜びの混ざり合った声を上げる。
「はは、見ての通りや。いやー、さすがはNERV特製の義足やな。くっつけるのは手間かかるけど、くっつい  てしまえば自分の足みたいにピッタリや」
 トウジは明るく笑う。
「そ、そう。良かった」
 ヒカリもそんなトウジの笑顔を見て一緒に笑う。

(・・でも、私、何も出来なかった・・)

 しかし、思いが顔に出てどこか不自然に引きつる。
「なんや、相変わらず不景気な顔しとるなぁ。せっかく足が治ったんや、もっと喜んでくれや。それに何と言う  ても、いいんちょのおかげやしなぁ」

(えっ?)
 ヒカリは胸中で驚きの声を上げた。

「・・正直言うとなぁ、わしも不安やったんや。もし失敗したらどうしよ、とか。余計なことばかり考えて・・  ・考えてもしゃあないちゅうんは自分でも分かっとるのに、どんどん悪い考えばかり浮かんできしもて・・で、  どうにもならんようになって、うろうろしとったらいいんちょが来てくれたんや・・その・・元気づけられた  っちゅうか・・」
「鈴原・・」
(・・そっか。鈴原も不安だったんだ・・・私でも、ちゃんと役に立てたんだ)
 ヒカリは嬉しかった――直接ではなくても、自分がトウジの為に何か出来た。
 トウジが自分の事を意味があると認めてくれた。
 他ならぬトウジが・・・
 トウジの言葉がヒカリの顔を曇らせていた心の重りを取り除いた。
「あのなぁ、それで、その1つ頼まれてくれんか」
 トウジがむずがゆそうにヒカリに話しかける。
「何?」
 ヒカリがトウジの顔を見上げる。
 顔が喜びで輝いている。
「い、いや、やっぱり何でもないわ」
 ヒカリに見つめられたトウジは顔を真っ赤に――茹でダコでももっと白いのではないか、と思えるほど顔を赤  くすると、難しい顔をして黙り込んでしまった。
「何よ、鈴原。気になるじゃない」
 ヒカリが少し怒ったような――決して怒っているわけではないのだが――顔をして言う。
 ヒカリに言われて、トウジは明後日の方向を見ながら、ますます顔を赤らめる。
「う、んん・・・その、こ、これからも、いいい、一緒に、散歩につき合うてくれへんか。まだ、リハビリはせ  なならんしな・・それに、」
 そこでいったん息継ぎをしてトウジは言葉を続ける。
「・・それに、わし1人やと、まともに歩けんからなぁ。その・・いいんちょが一緒に来てくれると助かるんや  ・・」
 あまり気の利いた言葉ではなかったが、それでもトウジの精一杯の言葉だった。
「うん」
 ヒカリは小さく頷くと、静かな――それでいながらはっきりした声で言った。
「・・ほんなら、行こか」
 トウジは未だ明後日の方向を向いたままだ。
「・・うん」
 かみしめるようにヒカリが答える。
 そしてヒカリとトウジは幸せそうに、それでいて恥ずかしそうに、肩を並べて2人だけの散歩に出かけて行っ  た。

                                              終




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管理人(その他)のコメント

ヒカリ「きょろきょろ」

カヲル「やあ、なにをしているんだい?」

ヒカリ「びくうっ!! ・・・・あ、渚くん」

カヲル「なにを高速道路を横断する小猫のようにおびえているんだい?」

ヒカリ「・・・・そのたとえはいったい・・・・汗」

カヲル「いやいや、ただの冗談さ」

ヒカリ「あの・・・・わたし、こんなところにきていいのかしら・・・・碇くんみたいに主人公じゃないし、綾波さんみたいに人気があるわけじゃないし、アスカみたいに場を盛り上げることができるわけでもないし・・・・」

カヲル「いや、アスカ君は場を盛り上げるんじゃなく場を血で染めるだけだから・・・・ぼくだってたまには落ち着いて話をしたいからね」

ヒカリ「・・・・アスカがそれ聞いたら、殺されますよ・・・・」

カヲル「まあまあ、この場にいない人のことはほっておいて、と。どうだい上の話は」

ヒカリ「(顔面真っ赤)そ、それは、その・・・・なんていえばいいのか・・・・ええと・・・・

カヲル「なにも恥ずかしがる必要はないんだよ。ここには君とぼくの二人しかいないんだから」

ヒカリ「だから、鈴原・・・・がんばってる・・・・なぁ、なんて・・・・・

カヲル「さあさあ、もっと心のうちをぼくに見せてごらん。さあさあ、さあさああ!!

  どげしいっ!!

アスカ「なにヒカリに迫ってんのよ!! うらあっ!!」

  げしげしっ!

カヲル「うぐわっ!!」

アスカ「ヒカリは純真なんだから、あんたは近づいちゃだめ!!」

カヲル「うぐ・・・・じゃ、じゃあ・・・・きみは純真じゃないから・・・・いいのか・・・・」

  ごすっ

アスカ「さーて、ヒカリ、ご飯でも食べにいきましょ」

ヒカリ「え、ええ・・・・」

カヲル「ぴくぴくぴく・・・・」

 




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