ミサトは暗闇の中にいた。 自分すら見えない暗闇。闇の他には本当に何もない。 ミサトはこの闇の中にいると、自分が段々と虚無に――周りの空虚な闇に溶け込んでいくような気が した。 ミサトは、そんな妄想を抱いてしまう思考をせき止めることが出来ない。 自らの妄想に飲み込まれながら、このまま狂ってしまうのもいいかな。と、ミサトは思った。 (このまま、こうして・・) そのとき突如として声が響きわたった。 「いい子にならなきゃいけないの」 妄想の奔流から引き戻されたミサトは、声のしたと思われる方に首を巡らせた。 だが見えるのは、相変わらず闇ばかりだ。 「私はいい子にならなきゃいけないの」 「誰?」 と、言おうとしてミサトは気づいた。 (これは、この声は・・!) その瞬間、ミサトの目の前がスポットライトが当てられたように丸く照らし出される。 そこには椅子に座った少女がいた。俯いていて表情は見えない。 少女は俯いたまま、抑揚の無い機械的な声で話しかけてくる。 「私はいい子にならなきゃいけないの。ねぇ、そうでしょ。だってお父さんは死んじゃったし、お母さ んは泣いてばかりいるんだもの。だから私はいい子になっておとなしくしなくちゃいけないの。ねぇ そうでしょ」 少女に呼びかけられ、ミサトの思考は再び正常さを欠いていく。 (そんなはずは・・でもこの子は・・) 「ねぇ、そう思うでしょ・・・・ミ・サ・ト」 突然少女は顔を上げる。 そこにあったのは紛れもなく昔のミサト自身のもの。 その顔が急速に大人びてゆく。 ミサトは目をそらすことも出来ずにそれを見ている。 やがて、それは現在のミサトと同一のものとなった。 そして『ミサト』が再び声を上げる。 「いい子になりましょう、ミサト。ミサト。みさと。misato」 声は肉声の豊かさを失い、すり切れたテープレコーダーのようになっていく。 ミサトはその声が一つでは無いことに気づいた。 ミサトの周りを、遥か彼方まで椅子に座った『ミサト』達が囲んでいる。 「ミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサト ミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサト ミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサト ミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサト ミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトミサトぉ」 理解できない何かが、ミサトを侵食する。彼女の中で何かが壊れそうになる。 硝子が軋むような、硬く哀しげな音が響く。 「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」 そして、次の瞬間ミサトは絶叫した。 布団を跳ね上げて飛び起きると、そこはいつもの自分の寝室だった。 「夢、か。・・まだ忘れられないのね、私」 しばらくしてから思い出したように、目覚まし時計が朝を告げた。
硝子
襖を開けると、少年が食器を片づけている。どうやら、少年――シンジはミサトがなかなか部屋から 出てこないので先に食事を済ませたらしい。 食卓を見るとそこには1人分の朝食――ミサトの分がむやみやたらと几帳面に並べられている。 洗い物を一通り片づけてから、ようやく気づいたシンジがミサトに声をかけてきた。 「おはようございます、ミサトさん」 「おはよぉ・・・シンちゃん・・アスカはぁ」 「アスカなら週番で洞木さんと先に出ましたけど・・って、どうしたんです。ずいぶん顔色悪いですよ」 ミサトはシンジの声を聞きながら、席にも着かず真っ直ぐ冷蔵庫に直行する。 よく冷えたビールを一本取り出して、蓋を開けてからシンジの方に向き直った。 「何でもないわ。ただ、ちょっと夢見が悪かっただけよ」 「夢?」 「そ、夢。ただの夢よ。気にすることじゃないんだから・・それより、早く支度しなきゃ。鈴原君と相 田君が迎えにくる頃でしょ」 ミサトがそういってビールをあおった直後、まるで見計らっていたかのように玄関の呼び出しベルが 鳴る。 ぴぃんぽぉん、という間延びした音が響いた。 「ほら、迎えが来たわよ。早く行かなきゃ」 「あ、はい。それじゃ行って来ます」 シンジは鞄を手にするとと、玄関にそそくさと向かっていく。 「いってらっしゃ〜い」 ミサトは努めて明るい声でシンジを送り出す。 しばらくビールをちびちびやっていたミサトは時計が8時40分を告げたのを見て呟いた。 「・・さて、私も行くかな」 缶の中に残っていたビールを一気に飲み干して、ミサトは椅子から立ち上がった。 NERV本部。ミサトは不景気な顔をしながら、自分の執務室に向かっていた。足取りが重い。 ミサトは朝が苦手だった。嫌いなものベスト10のトップ3に数えられている。 理由は気持ちよく目が覚めたことが無いからだ――特に、あの夢を見た朝は。 「よお、葛城じゃないか」 唐突に後ろから陽気な男の声がした。後ろを振り向くと、髪を後ろで縛った無精ひげの男が近づい てくる。 「加持・・・」 ミサトの煮え切らないような返事を訊いて、男――加持の顔が曇る。 「どうした、何か元気ないな」 「何でもないわ。朝が苦手なだけよ」 ミサトは投げやりな口調で答える。 「・・・ならいいんだが。あまり無理はするなよ。お前は人の面倒ばかり見て損するタイプだからな」 加持は本気で心配していた自分をごまかすように、後半をわざと陽気な口調で言った。 「何よ、それ・・」 ミサトは少しむっとして加持をにらみつける。 「はは、怒るなよ。ま、朝から会ったのも何かの縁だ。どうだい今晩。給料入ったばかりで懐が暖か いんだ」 「暖かい懐だけ抱いて寝れば」 「つれないねぇ」 「・・・いいわよ、つき合ってやるわ。そのかわり、その暖かい懐でたっぷり楽しませてもらうわよ」 舌なめずりしそうな調子でミサトは言った。 「はいはい。もちろんですとも。じゃ仕事が上がったら迎えに行くよ」 加持の声を聞きながら、ミサトはきびすを返して元の方向に歩いていく。 振り向きもせずミサトは手だけを肩越しに振った。 「期待しないで待ってるわよ〜」 しかしその陽気な声には、どこか無理をしている感じがあった。 薄暗い――しかし、決して暗すぎはしない、ちょうどいい暗さ。 男が女をその気にさせるのに丁度良い――誰がそう言ったのかは知らないが。 「どうした、お前にしちゃあ今日は控えめだな」 加持が、何げに失礼なことを言う。 「・・そう」 ミサトの答えは素っ気ない。元気も無い。 その様子を見て、加持は本気で心配になって訊ねる。 「葛城・・本当に大丈夫か。何か今朝も元気が無かったが・・何か悩みでもあるんじゃないか?」 そう言われてミサトは、苦しげな表情をしてそのまま俯いてしまった。 乱れた前髪が覆い隠して、その表情を伺い知ることは出来ない。 だが肩をふるわせるその姿はまるで泣いているように見えた。 声を出さず。涙を流さず。体ではなく、ただ心のみが泣いている。 「葛城・・」 やがて、彼女の心に収まり切らなくなった苦しみは、静かな、しかし悲鳴のような言葉となって彼女 の口をついて出た。 「加持君。私、今の生活が好きよ。仕事という生きる目的もあるし、シンジ君とアスカっていう家族も いるし、友達のリツコもいるわ・・昔の私が手に入れられなかったものをたくさん手に入れた・・・ でも、・・いえ、だからこそ・・」 それまで静かだったミサトの悲鳴は、突然激しい絶叫に変わる。 「ときどき思っちゃうのよ。考えちゃうのよ。・・・今の私の生活は全部幻で、本当の私はまだあの何 もない部屋で暗い目をして1人椅子に座ってるんじゃないかって。分かってるわ。そんな筈無いって 事ぐらい自分でわかる。でも・・でも、1人でいると不安になるのよ」 「葛城・・」 「ねぇ、この世界はちゃんとあるよね。私の妄想なんかじゃないよね」 「ああ」 低い――しかし力強い声。 「私は、本当にここにいるよね」 「ああ」 聞くものを安心させるそんな声。 「加持君は幻なんかじゃないよね。ここに・・ここにちゃんといるよね。現実だよね」 ミサトは加持を見上げる。目の前の加持を確認するように。 そこに加持が本当にいることを確かめるように。 「ああ、俺はここにいるよ、ミサト・・」 加持がミサトを強く抱きしめる――悪夢から彼女の心を守るように。 硝子の心が砕けてしまわぬように。 ミサトの目からひとすじの涙がこぼれる。 自らの涙の熱さを頬で感じながら、明日はいい朝が迎えられるかもしれない。 そんなことをミサトは考えていた。そして加持の腕に自分の体をゆだねた。 終
管理人(その他)のコメント
ミサト「あら、まぁた入居者ね〜いらっしゃ〜いい・・・・ってはうっ!! これってばあたしが主役の話じゃないの!」
カヲル「なにあわてて化粧なんかしているんだい?」
ミサト「きまってるじゃない! あたしが主役なんだから!」
カヲル「話の内容をまず読むといい。化粧なんか必要ないから」
ミサト「どれどれ・・・・ふむふむ・・・・・げっ!!」
カヲル「ほらね」
ミサト「な、何であたしが加持に頼らなきゃいけないのよ!!」
カヲル「そりゃねぇ」
ミサト「しかもアル中の酔っぱらいみたいに朝から酒なんか飲んで!!」
カヲル「・・・・それを本気で言ってるんだとしたら、君は間違いなくアル中だね」
ミサト「どーいういみよ」
カヲル「その左手にもっているビールの缶はなんだい?」
ミサト「今日はmatukuraさんの入居祝いだからいいのよ!」
カヲル「・・・・・むっちゃくちゃなこじつけを・・・・」