抄伝――アスカの征けぬ空は無し
NEON
GENESIS
EVANGELION
SENSELESS STORY-01
Maids say nay and take it

 2022年。トラック諸島沖。

 驚異的な突貫工事で作られた巨大な人工島。その上には五キロを越す長大な滑走路が延びている。
 だがしかし、その滑走路を一般の旅客機が使用することは通常あり得ない。なぜならばそこは、SSTO(単段式水平離着陸宇宙往還機)専用の滑走路、つまり宇宙港だからである。
 東西に伸びる滑走路の西端には、既にあらゆる準備を終え、今まさにはばたかんと待ちかまえる往還機の姿がある。
 再利用可能推進機関搭載新型宇宙往還機、という長たらしい呼称はとうの昔に忘れ去られ、英語表記の頭文字を取り、それをむりやりに読む事が一般化されている。すなわち『RGNS』を『ロンギヌス』と発音するのである。なめらかな曲線で構成された楔のような往還機の姿はまさに穂先そのものであったから、まあ妥当性を多少は感じさせる名称ではあった。
 セカンドインパクトにより、地球の周囲を回っていた無数の人工衛星がコントロールを失い、地球上に落下するか、遥か彼方に放り出されるか、無意味な位置を漂うかする事態に陥った。ただ人工衛星を軌道上に放り出すならば無人のロケットでも可能だが、そういった衛星の回収処理を行うには、やはり有人の往還機の出番となる。『ロンギヌス』宇宙往還機開発には、そういういきさつがあった。
 純白の胴体に赤いラインを引き、外側に開いた二葉の垂直尾翼のそれぞれに『UNASDA』『RGNS−02』のレター表記を施した往還機。その左翼側シートに深く腰を沈めて、グラス・ディスプレイに映し出される情報を油断無くチェックし続けている機長が、小さく息をつく。彼女もまた、白地に赤のラインが入った宇宙服を着込んでいる。
「それにしたって、ロンギヌスなんて、酷いネーミングセンスよね。もうちょっと、まともな名前を付ける気にならなかったのかしら……。まさか、月軌道まで吹っ飛んでいったアレを取ってこいなんて言われないでしょうね」
 そんなことを呟く。もっとも、彼女にしてみれば、行けと言われれば月どころか火星まででもすっ飛んでいきたい気分である。勿論、この往還機にはそれだけの力は無いが。機長がそんなことを考えている間にも、チェック作業は順調に進む。
「ターボファン、スクラムジェット、ロケット、各機関の燃料系統に異常なし」
「補助動力システム、正常に作動中」
「スラスター・ノズル、開閉及び指向に問題なし」
 機長の右隣に座る副操縦士、あるいはその後方に陣取る航法兼機関士が伝えてくる報告をディスプレイで確認した機長が、ポンと両膝を叩いた。水冷スーツの上から分厚い宇宙服を身につけているため、ほとんど衝撃が膝の触覚にまで達しなかった。
「よろしい、諸君! さぁて、いよいよね。なんだか緊張しちゃうわ」
 そういうものの、機長の顔には、特に緊張の色は伺えない。考えて見れば当然のことで、この機長は、たとえ今回が初飛行ではあっても、それ以上の修羅場を何度と無くくぐってきているのである。
「機長がそう言っても、誰も信じやしませんよ」
 彼女より一回りは年上の副操縦士が、からかうような口調で言った。
「そう? まあいいわ。このあたしがいる以上、成功は間違いないんだから」
 機長――弱冠二十歳にして栄えある宇宙往還機の機長にまで登りつめた、惣流=アスカ=ラングレーはにっこりと微笑むと、管制室に通信をつないだ。
「エヴァー02よりコントロール。こっちは準備完了よ」

 航空母艦の島型艦橋を思わせる管制塔及び関連施設の屋上には、一般向けの観覧席がある。そこから一般の客は、目の前を滑走して空へと駆け上がる宇宙往還機の勇姿を見物することが出来る。
 さらに、UNASDAのサービスとして、滑走路を挟んだ向こう側には、ちょうど競馬場のそれを連想させる形で巨大なオーロラビジョンが設置され、往還機が大気圏外に脱するまでの様子を映像で見ることも可能になっている。

  「まったく。やっぱりアスカは天才よね。あれから六年――ううん、正味五年もないくらいだったのに。宇宙飛行士、それも機長になっちゃうなんてねぇ」
 観覧席には、それほどの客が詰めかけているわけではなかった。関係者の親類知人がほとんどだった。当然といえば当然で、地球に住む大部分の人間は、宇宙開発などに興味はなかったし、あったとしてもそれを見物するほどの余裕がなかった。
 ここが、ただ赤道に(セカンドインパクト後の)近く、回りに政治的問題がないというだけで選ばれただけあって、恐ろしく辺鄙な場所であるのも関係している。
 葛城ミサトは観覧席最前部の手すりに両肘を付き、機体後部から陽炎を立ち上らせている純白の機体を見やっていた。
「せやなぁ。ガッコにおった頃は、あんまり目の当たりにする機会もなかったけど――」
「十四歳で修士課程修了はダテじゃなかったのよね」
 ミサトの後ろで同じように往還機を見つめる、鈴原トウジと洞木ヒカリが言った。ヒカリは常にトウジの左脇に立ち、義足と杖で身体を支えるトウジの補助を務めている。六年間もそうして過ごしてきただけあって、ごく自然な雰囲気があった。
「生で見るのは初めてだけど、やっぱり格好良いよな、『ロンギヌス』は」
 相変わらずの調子で、ビデオカメラを回す相田ケンスケが独りごちた。
「みんな、わざわざこんな所に来て良かったの? それぞれ学校とか仕事とかあるんでしょう?」
 振り返り、ミサトが聞く。
「仕方ないですよ、アスカが『絶対見に来い』って言ってきたら、断れないですから」
 ヒカリが肩を竦めながら言う。もっとも、その顔は嫌がったものではない。むしろ、昔を懐かしむ機会が出来たことを喜んでいるかのような顔だ。
「一番肝心な奴が来てへん、ちゅうのが引っかかるところやけどな」
 トウジは、未だに抜けない関西弁を隠そうともしなかった。
「そうね。……アスカ、さっき会ったときは機嫌良かったけど、シンちゃんが来て無くて、がっかりしてなきゃ良いけど」

 RGNS実用二号機は、『あすか』という通称が与えられていた。もっとも、これは機長のアスカとは直接関係がない。試作零号機が『やよい』、試作初号機が『はくほう』、実用三号機が『てんぴょう』となっている事からも判るように、日本の古代の名称が命名基準になっている。宇宙飛行士は特定の愛機を持つわけではないから、エヴァ弐号機とは違い、別に『あすか』がアスカの専有物という訳でもない。彼女の初飛行にあたって、同じ名前を持つ機体が割り当てられるという配慮はあっただろうが。

 そのアスカは、表面上は至って冷静に、カウントダウンのデジタル数字を眺めている。
 何故よりにもよって宇宙飛行士なのか。その理由を彼女自身、明確に説明できるわけではない。ただ一つ言えることは、職業としての宇宙飛行士への道が、他の如何なる道よりも険しそうに思われたからだった。エヴァが必要とされなくなった世界で、『困難を超えて星の世界へ』というUNASDAの少々陳腐な宇宙飛行士募集キャッチフレーズが、彼女の胸に心地よく響いたのだ。
 デジタル表示は、確実に減り続けている。
 エヴァに乗っている時は、この数字がゼロになれば動けなくなった。だが今は、カウントダウンがゼロになるまで動けないのだ。ふと昔を思い出し、妙な気持ちになる。
 今更エヴァの事を思い出して、どうするのよ。
 アスカは自らを叱りつけた。搭乗前、懐かしい顔ぶれと再会する機会があったことで、過去の記憶が一気に蘇ってきてしまっていた。
(それにしても、あの馬鹿シンジ! このアスカ様の初飛行を見に来ないなんて、一体どういう了見なのよっ!)
 内心では黒々とした思いが渦巻いているが、それはほとんど顔と態度には現れない。この六年での成長、そう言えるかも知れない。ただ、その場に居合わせる副操縦士と航法兼機関士は、何となく彼女の想いに気づいてはいた。

 管制室から画像通信が入った。
「コントロールより、エヴァー02。アスカ、貴女宛に通信が入っているわ」
 聞き慣れた歯切れの良い声。オペレータの伊吹マヤのバストアップがホログラフ・モニターに映った。地獄絵図のようないきさつを経て存在意義を失って解体・消滅したネルフ。その生き残りである彼女がUNASDAに再就職したのは、アスカが宇宙飛行士養成プログラムを開始するのとほぼ同時期だった。一時期は人格崩壊寸前の心理状態に陥っていたマヤも、今ではかつての敏腕オペレーターぶりが戻ってきている。
「この忙しいときに誰からよ。そんなの一々取り次いで貰ってたら、仕事になんないわよ」
 アスカが相変わらずの毒舌で、通信を終えようとする。が、マヤはにんまりと笑って首を振った。
「いいのかしらね? きっと、大事な人からだと思うんだけどなぁ?」
「大事な人、ってねぇ。こんな取り込み中に通信してくるような馬鹿は――」
 『馬鹿』の二文字を口にした途端、アスカの心の中で何かが跳ねた。まさか――!
 アスカの表情の変化をめざとく見つけたマヤが、満足げに頷いた。
「こころあたり、あるんでしょう? 中継するわね」
 アスカの返事も聞かず、マヤのホログラフが消えた。続いて、同じ空間上に、別の人物の姿が浮かび上がった。
「や、やあ、アスカ。迷惑だったかな、こんな直前に連絡しちゃって」
 ホログラフ用のビデオカメラで撮影されていないためか、透明の板の上に描かれたような厚みのないシンジの姿が映っている。
「……全くだわ。なんであたしの見送りにこないのよ!」
 アスカは懸命に声色を抑えようとしたが、どうしても弾んでしまう。
「ごめん。今日はどうしても抜けられないんだよ」
 シンジの情け無さそうな顔。アスカはふん、とばかりに顔を背けた。
「それはこの間も聞いた。大学の弦楽部の演奏会? そんなものと、あたしとを、天秤にかけた訳ぇ? しかも――」
「本当にごめん。でも、僕はアスカみたいに頭がいい訳じゃないし、何をやらせても一番になんかなれやしないんだ。今度の演奏会は、数少ないチャンスなんだ」
「なにあんた、本気で音楽家にでもなるつもりなの?」
「無理かも知れない。でも、賭けてみたいんだ」
「ふん。まあいいわ。帰ってきたときには、ちゃんと出迎えるのよ、判ったわね」
「……うん」

   通信は終わった。
 いや羨ましいことで。副操縦士が言った。顔付きからして、本心からの言葉らしい。
「何がよ。シンジとはただの腐れ縁なんだから」
 そういうアスカは頬を赤くし、声が上擦っていた。その辺りの純真さは、六年前とさして変わっていない。
「ま、唯一の不安定要素も消えたことですし、これで絶対に成功間違い無しですね」
 航法兼機関士が愉快そうに言って、それからがらりと顔付きを変えた。
「あと、十秒で発進です」

「5、4、3、2、1、0。発進!」
 オーロラビジョンに大写しされたアナログ数字に会わせ、ミサト達はカウントダウンした。ゼロになる前に既に噴射が始まっていた、ターボファン・スクラム複合エンジンの爆音が一気に脹らみ、人工島の上の空気を震わせていく。
 宇宙往還機『あすか』は、まっしぐらに滑走路を駆け抜け、一キロ近くもの滑走路の余裕を残して車輪を宙に浮かせた。このまま高度一万八千メートル、マッハ二・五まで加速したところでスクラムジェットに切り替え、高度三万五千、マッハ七に達したところで、ロケット推進で成層圏外まで駆け上がる。
 音速の壁をあっさり超えたところで、操縦席に伝わってきていた音と振動が変化した。音速を超えると、操縦席より機体後方で発生する音は、外部の空気を通しては伝わらなくなるからだ。
 歯を食いしばって耐える、というほどではないにせよ、それなりの加速感を受け、しばらくアスカは操縦桿の操作と(とはいっても、実際にはコンピュータの仕事で細かな操作は不要だ)に専心していた。副操縦士が、高度と速度を読み上げ続けている。飛行は順調。遥か遠くに見える雲が、たちまちの内に視界の後方に流れていく様は、体験した者では判らない素晴らしい光景だった。
 と、精神にやや余裕を取り戻したアスカは、ふと無線から何か音――それも音楽が流れ込んできていることに気づいた。意識の一部をそれに向ける。
「音量上げて!」
 鋭い声。航法兼機関士が、無線に関わる幾つかの操作を行った。音楽が明瞭になる。弦楽器のソロ。チェロだ。曲は……。
「パッヘルベルの『カノン』。これって――」
「そう、シンジ君の生演奏よ。ライブで中継してるわ。お気に召した?」
 マヤの悪戯っぽい声が音楽に重なって聞こえたが、アスカの耳には右から左だった。
(シンジ……。随分上手になったじゃないの)
「まもなく、スクラムジェット切り替えのカウントダウンを開始します」
 副操縦士の声。
「ええ、そうね。エンストなんてやらかさないよう、綺麗に決めましょ」
 荘厳なクラシック音楽に送られ、『あすか』は遥かなる高みへと向かっていく。彼女の行く手を遮るものは、何もなかった。それは、彼女の人生そのものを象徴するかのようだった。
「行っちゃったわね」
 オーロラビジョンの画像が途絶えた。地上からは十分な鮮明さを持った画像を捉えることが出来なくなったからだ。ジェットエンジンの轟音もとっくに失われ、高度を読み上げるアナウンスだけが宇宙港に響いている。
「さっきの曲、アスカには聞こえたんでしょうか?」
 画像通信の向こう側で、シンジが不安げな顔をしていた。ミサトは大きく頷いた。
「心配しなさんな。アスカには、ちゃあんと届いたわよ、シンちゃんの想い」
「想い、ですか?」
「そう、随分と粋なはなむけじゃないの」
「シンジ、うまいもんじゃないか。見直したよ」
「せやな、今度聴きにいったるわ」
「出迎えには来るんでしょうね、そうじゃないとアスカ、今度は本気で怒るわ」
 かつてのクラスメイト達の言葉に、シンジがはにかむ。
「うん」
「気の利いた言葉で迎えてあげなさいよ、碇君」
「そうだなぁ……」
 シンジは腕を組んで考え込んだ。
「に、しても。けっこうあっけないもんやな」
 真っ青な空を見上げるトウジ。もちろん、『あすか』は人間の視覚で捉えられる距離にはもはやとどまっていない。
「ちょっと鈴原、不謹慎よ。アスカがどれだけ努力してこの日を迎えたと思って――」
「心配ないよ」
 ヒカリの言葉が、シンジに遮られる。
「アスカのことだから、きっと何でもないような顔をして帰ってくるよ」
 そう言ったシンジは、少しだけ寂しそうな顔をした。それから、あきらめに近い苦笑いと共に言い切る。
「それで、また次の日に飛んでいったりするんだよ」
 逞しくなったわね、シンちゃん。ミサトは、シンジの言葉に――アスカを信じる心の強さに、羨望に近い満足感を抱いた。シンジやアスカのような世代がこの世界を支えていくようになれば、きっと未来は明るいだろう。ミサトは、何の根拠もないままに、そう信じた。

(おわり)

あとがき

 なんじゃこの、盛り上げもオチもない話は? プロット一時間、執筆三時間半ではこんなもんか。
 それにしても、自分は本来綾波な人間のはずなのに、なんで綾波は顔すら出さんのだろう。本人が気づかぬ内にアスカ派に転んだのか?
……それはこの際どうでもよろしい。ここで書いておかなければならないのは、まともな挨拶もせずに送りつけた小咄をそのまま載せてくれるというホームページ管理者、丸山様の度量。有り難いことです。



島津さんへの感想はこ・ち・ら♪   


コメント

作者 「さてさて、記念投稿3本目は初登場の島津さんです! ようこそいらっしゃいました!」
カヲル「僕は待っていたよ・・・・」
作者 「分譲じゃないんだから、それはやめなさいって(^^;」
カヲル「いいじゃないか。いずれはこの作品も分譲住宅内にしまわれるんだから」
作者 「それはいいっこなし(汗)」
アスカ「ふーん。島津っていうの、この作者」
作者 「どうしました?」
アスカ「えらいっ!! 良くぞあたしをここまでかっこよく書いてくれるわ!! だれとはいわない
    けど、どこかの掲示板で「ああっルリちゃん」とか名乗っている人が書いてきた「レイの一
    日」とは大きな違いだわ!! ようやくアタシの素晴らしさを知った人がここにやってきた
    のね・・・・うっとり」
作者 「ふっふっふ」
アスカ「・・・・なによ、その薄気味悪い笑いは」
作者 「島津さんのこの作品、誰かの小説に芸風が似ていると思いません?」
アスカ「・・・・そういえば、どこか似ているような」
作者 「島津さんと同じ某小説家を心の師としているひとが、すでに一人いるんですよね」
アスカ「・・・・それって・・・・・」
カヲル「ああ、12式臼砲さんか」
アスカ「いっやあああああ!! あの巨悪と同じ作風なの!! も、もしかして、ここでもアタシは
    宇宙空間で木っ端微塵になって・・・・びくびく」
カヲル「あ、けっこうおびえている」
作者 「なーに、シンジ君の「カノン」でも聞かせておけばそのうち復活するでしょう」
アスカ「あたしは宇宙飛行士・・・・宇宙往還機のパイロット・・・・ぶつぶつ・・・・」


上のぺえじへ