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「プールサイド」
A−PART:今までと……
秋良つかさ



「なによ、あいつデレデレしちゃってさ」
 そうつぶやきながら、あすかはプールサイドにあがった。
 プールからあがったばかりで、あすかの全身についている水滴が夏の陽の光を弾いている。その姿に周囲から多くの興味と関心、そして憧れに満ちた視線が注がれた。視線を注ぐだけでなく、ひそひそとささやき交わす者もいる。
「なぁ、あの娘、かわいいよな」
「大学生? いや、顔は高校生……か?」
「あっ、あの娘……いいなぁ」
「わたしもあんなだったらなぁ……」
 もちろん、何も言わずに黙って見つめている者もいる。
 一目見て視線がそらせなくなるのは、あまりにも見事に均整のとれた肢体を真っ赤なビキニで包んでいるからだろう。長身ではないのに、背が高く見えるほど、すらりとのびた足と細いウエスト。形良く盛り上がっている胸と、健康的な張りのあるきめ細かな白い肌。くっきりと見える鎖骨のラインから続く細く美しい首の上に、勝ち気な美しさの顔がある。
 ただし、今は普段の勝ち気な表情の上に、少し冷たい表情が覆い被さっている様に見える。本来は可愛いらしさも感じる顔立ちであるのに、何故か、それを感じさせない。それは、夏の陽の光を透かす氷のように冷たい輝きを放っているアイスブルーの瞳のためかもしれない。
 すっきりとした鼻梁と、形は良いがそびやかすのになれたような勝ち気な顎のライン。肌の白さと印象的なコントラストを描いている赤い唇と、背中の中程まで伸びている細く美しい亜麻色の髪。
 まさしく、注目を集めるにふさわしい姿であった。
 しかし、あすかは周囲の視線を浴びていることには関心がないようであった。髪を揺らして水滴を落とすと、プールの方に振り向いて、ある一点をじっと見据えると、赤い唇を少し尖らせて、プールサイドにしゃがみ込んでしまった。
「あの馬鹿……」
 あすかは寂しそうに呟いた。
 彼女の名前、いや、フルネームは惣流あすか。第三新東京市所在の私立桜都学園三年生。
 模試、中間試験、期末試験で学内トップの座を譲ったことはなく、あらゆるスポーツに秀でている。当然のことながら、男子の人気は高い。ラブレターをもらわない日はないという噂もある。しかし、あすかとつきあうことができた男は今のところ、いない。
「ねぇ、あすか、泳がないの」
「きゃっ」
 突然、そう言われて、あすかの背中に冷たい缶ジュースがあてられた。
 あすかが振り向くと、美しく整った顔立ちであるが、可愛らしい印象を受ける顔立ちの女の子がいた。ただし、少しきつめの顔立ちをしている。細い尖った顎と相手をしっかりと見据えている黒い瞳。しかし、それでも可愛らしく見えるのは、話し相手をしっかりと見据えるのは先天的なものではなく、生真面目さと責任感の強さのゆえ、後天的に望まずして……しかも少し無理をして……身につけたものであると言うことが、話し相手に悟られてしまうためであった。それと、鼻の上に散ったそばかすと、少し色素の薄い黒髪をお下げにしているヘアスタイルのおかげであっただろう。
 自己主張をするようなスタイルではないが、あすかに負けず劣らず白い……彼女の肌はあすかと異なり、しっとりとした肌であったが……肌にライトイエローのワンピースをまとった姿は可憐さを醸し出している。
「ヒカリ! わたしが心臓麻痺でも起こしたらどうするつもりなのよ!」
 彼女の名前は洞木ヒカリ。あすかと同じクラスの学級委員である。ちなみに、中学一年生のころからずっと学級委員をやってきている。
「そんなに驚かなくてもいいでしょう? はい、あすかの好きなクリームソーダ」
 と、ヒカリは言うと、缶ジュースをあすかに渡した。あすかは拗ねたようにクリームソーダを受け取って、プルトップを開けて早速口をつけた。
 ……あれ? わたしクリームソーダ大好きなはずなのに、なんかちっとも甘くないわね。
「心臓麻痺を起こしても、誰かさんが駆けつけてくれるんでしょう? あすか。それに、私が近づいたことに気づかないくらい何に一生懸命だったの」
 そう言ってヒカリはあすかの隣に座ると、上目使いに瞳をのぞき込んだ。
 あすかは、ヒカリがほのめかしている意味を理解して、すこし頬を赤くしたが、
「別に」
 とだけ言って、そっぽを向いた。
 しかし、あすかは、ある一人の男の子を瞳の片隅で捕らえていた。そして、それにヒカリはそれにしっかり気づいていた。
「ねぇ、あすか。素直になるって言ってなかった?」
 もう一度のぞき込んで、ヒカリが言う。
「……」
 あすかはそっぽを向いたまま、ヒカリに答えようとはせず、クリームソーダを飲み続けている。
 ……うるさいわね。確かに言ったわよ。素直になるって。でも、どうやったら素直になれるかわからないのに、どうやったら素直になれるのよ。
「それも、一週間前だったね」
「……」
 ……もう……ヒカリはそんなことばっかりきちんと覚えているんだから。それは確かに、私だっていい加減な気持ちで素直になるって言った訳じゃないけど……確かに、あのときは真剣に思ったけど、でも……、できないの! わからないのよ! どうして? この学校で一番頭が良くて、スポーツ万能のわたしなのに……どうしてこんなことができないの? 確かにヒカリは素直よ……あの馬鹿の隣にいる鈴原冬司がヒカリの彼氏。バスケット部の主将。私にはうるさい阿保にしか見えないけど、どうしてかわからないけど、ヒカリは気に入っている。まぁ、鈴原も最初からヒカリを好きだったみたいだし……あの阿保にしては、見る目はちゃんとあったってことね……でも、それにしても、あのおとなしい生真面目で融通の利かないヒカリのどこに告白する度胸があったのかしら。ヒカリから聞いたから知っているけど、噂と違って、ヒカリのほうから告白したみたい。しかも、放課後の教室で……、ヒカリ、もしかしてチャンスをずっと待ってたのかな?
 ……それにしても、このクリームソーダ甘くないわね。不良品じゃないの?
「ねぇ、あすか、聞いてる?」
 ……もう、ヒカリうるさい。このわたしが好きでこんなところでしゃがみ込んでいるんだと思うの?
「ねぇ」
「もう、聞いてるわよ!」
 あすかはクリームソーダの缶を乱暴に下に置くと、ようやく口を開いた。
「じゃぁ……」
「ヒカリ!」
「ん?」
「私だって素直になろうとしてるわよ。ちゃんと。それを横からウジウジ言わないで!」
「だって、あすか、今のあすか、素直じゃないじゃない」
「ちゃんと努力してるわよ。だからこそ、あの馬鹿をプールに誘ったんじゃない。しかも、女の子のわたしから、それもこのわたしが。本来なら、男のあの馬鹿から声をかけてくるべきじゃない。それなのに、それなのに、どうして慎治は一人でこないのよ。それに、どうしてあの女も一緒に来てるのよ!」
「くすっ」
 ヒカリはかすかに微笑んだ。
「やっと、あすかの本音が出た」
「えっ?」
「あの綾波麗が碇君と一緒にいるのがいやなんでしょ」
「……」
 ……そうよ。綾波麗、この名前よ。わたしよりも肌の白い、明るくて朗らかで素直なかわいい女の子。昨日、転校してきて、しかも慎治と一緒に登校してきて、その上、休憩時間までべたべたとまとわりついて。昨日、わたしが慎治に「明日の土曜日、一緒にプールに行かない?」って言ったときも、「えっ? プール? 私も行きたい。ねぇ、行こうよ、プール」って言っちゃってさ。それに、慎治も慎治よ。どうしてそこで、私とだけ行きたいって言えなかったの? おかげで、二人だけのはずが、十人以上に膨れ上がって。それに、あの女は「シンちゃん、シンちゃん」って言って、ずっとまとわりついているし。あんたなんか、あの馬鹿を一日しか知らないじゃない。私なんか、ずっとお隣で幼なじみで育ってるのよ。物心ついた時から、ずっと一緒だったんだから。ずっと知っているんだから。それなのに、その間に入り込むなんてどういうつもりなのよ?
 でも……だったら、どうして私はここにいるのかしら? どうして今、慎治のとなりにいるのがあの女で、プールサイドに上がっているのがわたしなの? ヒカリが言うようにわたしが素直じゃないから? そうかも……しんない。
 あすかはもう一口クリームソーダを飲んだ。
 ……本当に、苦い……
「キャー、シンちゃぁん」
「あ、綾波……」
 そのとき、あすかの耳に綾波麗と碇慎治の声が聞こえた。あすかが反射的に目をやると、綾波麗が慎治に抱きついている。あすかは拳を握りしめた。
 ……あたしがこんなに落ち込んでいるときに、慎治、あんたはいったい何をやっているのよ? わたしなんてどうでもいいの?
 そうかも……ね。別になんの関係があったわけじゃないし、あの馬鹿がわたしのことを好きだなんて言ったことないし、わたしも何も言ったことないし……
 もう……どうでもいい!
「ヒカリ、わたし、休憩してくるから」
「ちょっと、あすか。まだ話は……」
 あすかはヒカリの言葉を無視して、立ち上がって歩き出した。しかし、それは休憩所の方向ではなくて、まったく反対の方向であった。また、それは、慎治と綾波から身を離す方向でもあった。
「あすか、どこいくの?」
 あすかは、そのヒカリの声も無視した。
「もう……」
 そして、ヒカリはため息をつくしかなかった。

 ……慎治の馬鹿、慎治のバカ、慎治のばか……
 あすかはヒカリに言ったことを全く忘れ去ったようにプールの縁を歩きながら、それだけを考えている。
 光り輝く瞳は伏せられて、俯いた暗い顔である。
 わたしなんて本当にどうでもいいんだ。慎治がそのつもりなら、私だって誰かかっこいい男の子を……。このわたしが声をかけるのよ。どんなかっこいい男の子だって……。それで、馬鹿慎治、あんたは思いっきり後悔すれば良いのよ。
 あっ、馬鹿慎治……なんか懐かしい言葉……。そう言えば、「あんたばかぁ?」とか「ばか慎治」とか呼ぶのをやめたのはいつだった? 確かこれもヒカリに言われたから……中学三年生くらいだったはず……
 でも、それで、慎治が綾波麗と仲良くなったら?
 それはいや!
 絶対よくない……ヤダ。
 ……慎治とあの女なんて、ヤダ。絶対ヤダ。あんな女なんて、どっか行っちゃえばいいのよ。死んでしまえばいいのよ。
 あっ……わたし何考えているの?
 わたし、ヒカリから借りた少女漫画とかで、嫉妬したりライバルなんて死んでしまえば良いって思う主人公を見て、「馬鹿で愚かでどうしようもない奴」って思っていたけど……だって、ライバルがいなくなったって、その好きな人が振り向いてくれる保証はないじゃないの……でも、その「馬鹿で愚かでどうしようもない奴」がわたし?
 こんなことを考えてしまうわたし、わたしが「馬鹿で愚かでどうしようもない奴」だから、慎治が振り向かないのかな?
 こんなことを考えるから、素直じゃないのかな?
 でも、でも……
 ……もう……慎治のバカ
「あすか、プールの縁はあぶないよ」
 と、あすかに声をかけてきたのは、
 ……慎治?
 その瞬間、あすかは俯くのをやめて、顔をあげた。瞳が輝き始める。
 ……やった。
 もしかして、慎治、追いかけてきてくれたの? もしそうだったら……
 そう思って振り向いたあすかの視界の中に、慎治ともう一人の人間が入ってきた。綾波麗である。しかも、綾波麗は慎治の左腕をしっかりと握りしめている。
 再びあすかの目が細くなり、暗い輝きを放ち始める。
 ……慎治……、ふぅぅん、そう……、そうなのね。
「ふん、よけいなお世話よ。」
 そう言って、あすかは拳を握りしめて、顎をそびやかした。
「あすか、怒っているの?」
 ……怒っているの? ですって? 私たち、幼稚園児のころから慎治とずっと一緒にいたでしょう? それなのに、私が怒っているのか、怒っていないかわからないの? 
 あすかは、さらに顎をあげて、慎治を睨み付けた。
 慎治は顎をそびやかしているあすかの顔と、左腕にくっついている麗の顔を横目で見比べて、迷っているような表情をしていたが、意を決したように口を開こうとした。
 その時、
「ねぇ、しんちゃぁん、こんな恐い女の人おいておいて、あっちいこうよ」
 と、麗が言った。さらに、
「れ、麗」
 という慎治の声も。
 麗?
 あすかは、頭の中で、何かが切れた音がしたのをはっきりと聞いた。
「だいたい、慎治がいけないんでしょう?」
「へ?」
 慎治は鳩が豆鉄砲を食らったかのように、目を丸くして、口を開けた。あすかが言い出した内容を、まったく理解できていない表情である。その間抜け面をみて、あすかは慎治がますます憎くなってくる。
 ……この鈍感
「慎治が悪いって言ったのよ!」
 流石に、慎治も少し頭に来たらしい。おもしろくない表情で、声のトーンを落として
「どうして、僕が悪いんだよ?」
 と、言った。
「どうしてもよ」
「どうして? だいたい、プールに来ようって言ったのは、あすかじゃないか。それに、麗や洞木さんが来てもいいって、あすかも言ったじゃないか。」
 ……麗?
 ……それに、あたしがその女も来ていいって言った?
 ……そんな嘘……よくも言ったわね。
「わたし、そんなこと言った?」
「言ったじゃないか。僕が麗も来たいって言っているんだけど、って言ったら、あすかは、まぁ、いいけど、って言ったじゃないか。」
「それだけじゃないでしょ。私が言ったのは」
「言ってないよ」
「言ったわよ」
「じゃぁ、おぼえてないね。僕は」
「私は……私は、どうして、慎治がそんなこと聞くの?って最初に言ったのよ」
「それが?」
 慎治は、そっぽを向いて答えた。
「その意味がわかんないの、あんたには。」
「わかんないよ。そんなの」
「なんですって?」
「僕はあすかの心なんて読めないからね。そんなことわかんないよ。」
 あすかの瞳が、夏の光を受けて冷たい光を放った。
「あっ、わかった。惣流さん、しんちゃんと二人できたかったんでしょう?」
 怒りに震えるあすかを知ってか知らずか、無邪気に麗が割り込んできた。
「それに……」
 麗はいたずらな子猫のように笑った。
「もしかして、あたしとシンちゃんが一緒にいるんで、妬いてるの?」
 あすかは麗の言葉に返答をしようとはせず、ふるえるほど冷たい視線で麗を睨んだが、麗もまたまったく動じなかった。
「れ、麗」
 慎治はこの冷たい雰囲気をなんとかしようと、麗に声をかけたが、それは、あすかの怒りに油を注いだだけであった。
「慎治、どうして昨日会ったばかりのはずのその女を名前で呼ぶの?」
 再び慎治に視線を戻したあすかのその声は、言い争っていたときのかん高い声ではなくて、ひび割れた釣り鐘のように低く、そして、恐ろしい声だった。
「え?」
 だが、普段なら狼狽するはずの慎治は驚いた表情をした。
「あすか、知らないの?」
「わたしは何も知らないわよ」
「え、いやそうじゃなくて……」
 と、言おうとした慎治の声をあすかは遮った。
「どうせ、私は何も知らないわよ。慎治とその女の間で何があったのかなんて。何にも知らないわよ」
「あすか……」
「そうよ。私は、慎治がその女をいつ、名前で呼ぶようになったかなんて、まったく全然、何にも知らないわよ。」
「私が何を言ったのか、何にも覚えてなくて、全く理解できてなくて、この鈍感! 慎治なんて大嫌い!」
 そう叫ぶと、あすかは踵を返して走り出そうとした。
 その瞬間
「あっ、あすか」
 と、慎治の叫び声だけが響きわたった。
 あすかは白い雲をみていた。それに、青い空も。
 あれ? どうして私、上をみてるの? レストランの屋根が斜めに見える。それに、慎治の顔。慎治、何、驚いているの? それに、慎治の顔と水面が垂直になってるわよ。あっ、そういえば……、こんなこと前にもあったような気がするわね……
 そして、頭に強い衝撃があり、あすかの視界は暗転した。

<つづく>




秋良つかささんへの感想はこ・ち・ら♪   


管理人(その他)のコメント

カヲル「久しぶりに秋良さんの連載が始まったね」

アスカ「・・・・また、アタシやミサトが変身する話じゃないでしょうね・・・」

カヲル「おやまあ、主役を張っているって言うのに、その言い様はあまりに秋良さんに失礼ってものだよ」

アスカ「みゅー。なんか前科があると・・・・」

カヲル「前科だなんて言うもんじゃないよ」

アスカ「だって・・・・何かこの最後のシーン、あからさまにアタシ頭ぶつけてるもの。カエルやミズスマシに変身したっておかしくないわよ」

カヲル「カエルやミズスマシって・・・・まあなかなか君らしい発想だね」

アスカ「なんですって!」

カヲル「ところで・・・・僕はでてこないのかい〜秋良さん〜」

アスカ「一生でてくるんじゃないわよ!」

カヲル「しくしくしく・・・・冷たい・・・・いいんだいいんだ。僕はプールの底でシンジ君のことを見守っているから・・・・」

アスカ「一生沈んどれっ!!」


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