遙かなる空の向こうに
エピローグ:遙かなる空の向こうに
――あれから、二週間がたちました。
一段落してアタシたちは、レイのところにとりあえずのお別れをしに行きました。
第三新東京市の近郊、小高い丘の上にお墓はあります。緑の森を抜けた先、青い空と白い雲を見上げるそこは、あの子が過ごした第三新東京市を一望できる場所です。
ヒカリとアタシはお弁当。シンジは花束を持って。みんな、笑顔でお別れを言うことができました。全てを知っていた人も、知らなかった人も。・・・・ケンスケがレイのことを知っていたのは驚きだったけど。
お墓の前には、小さな花束が置かれていました。青い花です。艶やかでもなく、煌びやかでもなく。全てを優しく包み込むような、優しい青い、小さな花束。
シンジは、たぶん父さんだろう、って言っていました。
勿忘草。Forget-me-not。
その傍らにシンジは、この間と同じネモフィラの花束を置きました。森を愛する者――第三新東京市は、森に囲まれた街です。戦いで荒れ果ててしまったけど、再び緑を取り戻すための営みは続いています。この街を愛したレイに似合いの花だね、シンジはそう笑っていました。
お弁当を広げて、みんなで食事をしました。それぞれ、レイのことを楽しく話しました。彼女がくれたもの、彼女にあげられたもの。みんな一人一人の思い出を聞くたびに、新たなレイの姿を見るようで。
ケンスケが持ってきた荷物の中から、数十本のテープをとりだしたのはそのときのことでした。シンジに手渡したそれには、あの日々のレイの姿が入っているそうです。
彼がそんなものを持っていたことは驚きではありません。しかしレイがケンスケにそんなことを頼んでいたことは驚きでした。
シンジも同じだったらしく、最初はびっくりしてそのテープを見つめていましたが、やがてケンスケに言いました。それは、ケンスケが持っているべきだ、って。
綾波が自分を撮ってほしいってお願いしたのは、みんなに忘れてほしくない、いや僕に、と思っていたからだろう。でも、そのカメラに向けられた笑顔は、同じくその自分を撮っていたケンスケにも向けられていたものだから。その切り取った時間は、ケンスケが、もっているべきだ。だって、そんな笑顔を向けるほど、綾波はケンスケのことを信頼していたんだから。
。ケンスケはシンジの言葉を聞いてしばし言葉をなくした後、顔を背け、わずかに涙声で言いました。シンジ、おまえは強いよな、って。僕は自分の好きな人がいなくなったら、そこまで強くはいられないよ、と。
一瞬、みんな言葉を失いました。
・・・・ケンスケがレイのことを好きだったっていうのは、このとき初めて知りました。
でも、それもわかる気がします。
ケンスケはファインダーを通して、ある種アタシたちを見つめてきたのでしょう。その中で、シンジを好きになって変わっていくレイの姿を追っていたのでしょう。その姿に惹かれたのも、当然あり得ることです。
シンジもそれはわかっていたのでしょう。笑って言いました。
誰だって、大好きな人がいなくなって悲しくないわけがない。でも、今ここで泣いてしまったら、ここまでみんなで笑って見送った意味がないじゃないか。
綾波は幸せだったんだ。あの日々の中で、綾波は笑っていた。
一度は泣いてもいい。でも、僕らだって同じくその綾波を笑って、とりあえずのさよならを。そして心の中で、一緒に。
そっと、シンジはケンスケの肩を叩きました。ケンスケはしばしの後、ごしごしと頬をぬぐい、まだ半分泣き笑いでしたが、言いました。
そうか、そうだな、って。
レイ。アンタは、シンジやアタシ以外のみんなにも、多くのものをあげたんだよ。
・・・・アタシたちは、この一月を共に過ごしました。喧嘩もしたし、気まずいこともあったけど、共に一人の男の子を好きになって、いろんな人と同じ時間を共にしました。それはとても密度の濃い、かけがえのない時間だったと思います。
シンジは、言いました。
綾波は昔言っていた。私は死んでも、代わりはいる、って。レイ、って名前は何もない、っていう意味のように思えていたからだろう。でも、レイ、っていう意味は確かにそういう意味もあったかもしれないけど、それ以外にスタートライン、始まりっていう意味もあるんだ、って。
これが、終わりなんじゃない。これからが、始まりなんだ、って。
そうだね、そうだよね。
いろいろと考えて、迷って、止まってしまっても、また歩み出していく。それこそが、ヒトがヒトとして生きることなんだから。
・・・・風が、ざっと吹きました。
突然のことでしたが、不思議と砂埃などなく、草の香りと花びらが数枚、空に舞いあげられただけでした。
それを見送るように、みんな、頭上を見上げました。
飛んでいく青い花びらの向こう、その向こうに、同じくどこまでも青い青い空が広がっています。そして高く高く、白い雲。
青い髪と白い肌。あの子の顔が、微笑むあの子の顔が、鮮やかに脳裏によみがえります。
スカートのポケットに手を入れると、冷たい感触が指先にあたります。それは銀色のキーホルダー。あの三人の、キーホルダー。
ぎゅっと、アタシはそれを握りしめました。
泣かないよ・・・・アタシは、泣かないから。
心からの笑顔で、言います。
――レイ。
アタシたちは、一緒にいるよ。ずっと、ずっと。
<完>
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