遥かなる空の向こうに
第1話:朝食の味は
目をさますと、いつもとは違う天井があった。
マンションの見慣れたコンクリートでもなく、病院の白い天井でもなく。
「ここは・・・・」
しばし考えて、レイは昨夜からの出来事を思い出した。
昨日、レイはミサトのマンションに移ってきた。シンジやアスカを交えて引っ越しパーティを開き、とりあえずとなりの部屋に移る前の昨晩は、アスカの部屋で休むことになったのだ。見慣れぬ天井は、アスカの部屋のものだった。
「・・・・・・」
起きあがり、ゆっくりと部屋を見回す。こざっぱりとしているが、カーテンやクッションなどを見ると、やはり女の子らしい部屋だ。自分の、あの何もない無機質な部屋とは違う。
「これが、本当の女の子の部屋なの・・・・」
その部屋の主は、床で規則正しい寝息をたてていた。
「アンタねぇ、病人を床で寝かせられる分けないでしょ!」
アスカはそういって、無理やりレイをベッドに寝かせたのだ。ぶっきらぼうだったが、彼女らしいやり方だといえた。
トン、トン、トン・・・・。
台所の方から、包丁を刻む規則正しい音が聞こえてきた。
ベッドを降りると、レイはアスカを起こさないように注意しながら部屋を出た。
「あ、綾波。おはよう」
シンジが、学生服にエプロンをつけて台所で料理を作っていた。
「よく眠れた?」
「うん・・・・」
「そう、よかった。朝御飯、今作ってるから、もうちょっと待ってね」
くつくつと味噌汁が音をたてている。ほうれん草のお浸しや大根の煮付けなど、和食中心のメニューが並んでいる。肉を食べられないレイに配慮してだろうか。焼き魚などの料理はない。
「碇くん・・・・わたし、なにか、手伝うわ・・・・」
「あ、いいよ、綾波にそんなこと、させられないよ」
「ううん、いいの。おねがい・・・・」
レイは、はっきりとそう言った。
「わたし、今までやったことないけど・・・・やってみたいから・・・・」
シンジが、びっくりしたようにレイに尋ねた。
「綾波、ご飯とか作ったこと、ないの? 一人暮らしなのに」
「いつも、外で買ってくるから・・・・。碇くんが邪魔だって言うなら、いいけど・・・・」
「そ、そんなことないよ! じゃあ、今から練習してみればいいよ」
「うん。・・・・ありがとう・・・・」
シンジは、傍らからエプロンを一枚取り出すと、それをレイに渡した。
「服汚すといけないから、これ、使っていいよ。僕のお古で悪いけど」
「碇くんが使っていたもの・・・・碇くん。これ、もらっても・・・・いい?」
レイは、自分でも驚いていた。こんなに積極的に物を言う自分がいたことに、だ。
シンジは、レイのそんな言葉に困惑していた。
「そんな、古い物だよそれ。いいの?」
「う、うん。だって、碇くんが使っていたものだから・・・・」
最後の方はさすがに小さな声になってしまい、シンジには聞こえなかった。シンジは不思議そうな顔をしたが、
「じゃあ、それはとりあえず綾波にあげるよ。でも、今度新しいのを買いに行こうね」
「・・・・うん・・・・」
「じゃあ、とりあえず漬け物でも切ってくれる? 包丁とまな板はそこにあるから」
「わかったわ」
レイは慣れない手つきでエプロンをつけると、シンジと並んで台所に立った。
さく、さく、さく。
不器用ながらも、一つ一つ、丁寧にレイは包丁でたくわんを刻んでいく。
「・・・・こんなもので、いい?」
「あ、うん、ありがとう、綾波」
にこり、とシンジはほほえんだ。その顔を見て、レイは我知らず頬を赤らめてしまう。
「・・・・ん、どうしたの、綾波」
「う、ううん。何でも、ないの・・・・」
「ふうん、へんな綾波だね」
シンジはにこりと笑うと、また鍋をかき回す方に意識を向けた。
レイは、そんなシンジの横顔をじっと見つめていたのだった。
目をさますと、ベッドに眠っていたはずのレイの姿がなかった。
「あれ・・・・」
アスカは、怪訝そうな表情で辺りを見回す。ベッドの上には、昨夜レイに貸したパジャマがきちんとたたまれて置かれている。そして、入り口の扉がかすかに開いていた。
「・・・・・・」
寝ぼけ眼をこすりながら扉を開ける。部屋の向こうから、朝食のいい匂いと共にシンジとレイが会話する声が聞こえてきた。
「そうそう、そこでフライパンをくるっと返して・・・・うまいじゃないか、綾波」
「ありがとう・・・碇くん」
「じゃ、それを皿に開けて、と・・・・あ、アスカ、おはよう」
アスカの気配に気づいたシンジが、振り返ってアスカに挨拶する。そんなシンジの傍らにレイの姿があることに気づくと、アスカはとっさにどんな表情をしていいか分からなかった。
「綾波が、朝御飯を作るのを手伝ってくれるって言ってくれたんだ」
「ふう、ん・・・・」
「初めてにしてはなかなか上手なんだ。これから練習すれば、どんどんうまくなるって」
「あ・・・・」
レイとアスカは、シンジのその言葉にとっさにどう答えていいか分からなかった。もっと練習すれば・・・・その時間が、レイにはもう少ないことを、シンジは知らないのだ。
「・・・・シ、シンジ! ア、アタシも、明日から、朝御飯作るの手伝うわ!」
アスカは、とっさにそんな言葉を発していた。言ってしまってから、自分でも何でそんなことを言ったのかびっくりする。その場を取り繕うためなのか、それともレイとシンジだけの時間があることに嫉妬を覚えたせいなのか。アスカ自身も、よく分からない。
「あ、でもアスカ。アスカだって、料理なんてやったことないんでしょ」
「だ、だからよ。ファーストにできてアタシにできないことがあるなんて、納得できないもの」
「でも、朝ご飯作るには、早く起きないと・・・・アスカ、大丈夫なの?」
「う、うるさいわね! その気になればアタシだって・・・・」
「碇くん・・・・この人にも、教えて・・・・あげて・・・・」
「え?」
「ファースト・・・・」
黙っていたレイが横からそう言ってきたとき、アスカはびっくりした。彼女が助け船を出してくれるなど、予想もしなかったからだ。
「みんなで作った方が、いいと、思うの」
「・・・・・・」
「その方が・・・・楽しい、んじゃない、か・・・・」
消え入りそうな小さな声。それが恥ずかしがっているということに、シンジとアスカは気づいた。
「あ、うん、じゃあ、綾波がそのほうがいいっていうなら、そうしよう。うん」
「シンジ・・・・」
「でも、ちゃんと起きてよ、アスカ。朝は忙しいんだから」
「わ、分かってるわよ! いちいちうるさいわね!」
「ははははっ!」
「・・・・碇くん・・・・お鍋、ふいてる・・・・」
「あ、あああっ」
お味噌汁の鍋がふきかけていることに気づき、シンジはあわてて作業に戻っていった。
「ファースト、いいの? シンジと二人で、いたいんでしょ」
鍋と格闘するシンジに聞こえないよう、小声でアスカはレイに話しかける。
「・・・・うん。でも、わたしは、あなたも含めてみんなと一緒に、いたいから・・・・」
「アンタ、優しいのね」
「優しい・・・・これが、優しいってこと・・・・」
「何よファースト。そんなことも知らないの? そんなことじゃ、シンジ、つかまえられないわよ」
「・・・・」
「もう、しょうがないわ。おいおい、アタシがアンタに教えてあげるからって・・・・ふう、ホントに、アタシはお人好しよね〜」
ライバルを助けるようなことをするなんて。
その言葉は、アスカの心の内にあって外には出なかった。
「・・・・ありがとう・・・・」
「ええい、そうそうお礼ばっかりいわないの、いいわね、ファースト!」
「・・・・レイで、いいわ・・・・」
「じゃあ、アタシのこともアスカって呼びなさい。あの人、なんて他人みたいに呼ばないで」
「・・・・わかったわ」
「ちょっと二人とも! 話なんかしてないで、こっち来て手伝ってよ!」
シンジが、ガスコンロの前から二人を呼んだ。二人はその声に返事をすると、キッチンの中へと戻っていった。
「あら、今日は豪勢な朝御飯ね」
エビチュビールを片手に、ミサトは歓喜の声をあげた。
「はい、アスカたちが手伝ってくれたんで、結構こった物ができましたから」
ごはんをよそいながら、シンジがそう答える。
「なになに? 両手に花で朝ご飯の支度? シンちゃんも隅におけないわねぇ」
「な、何なんですかそれは!」
「や〜ね〜、冗談に決まってるじゃない」
顔を真っ赤にするシンジにぱたぱたと手を振りながら、ミサトは箸で卵焼きをつまんでぽい、と口に放り込んだ。
「あ、おいしいわね。もぐもぐ」
「それ・・・・わたしが作りました・・・・葛城三佐」
「ミサトって呼んで、レイ。家でまで、仕事先の呼び方はちょっち肩こっちゃうから」
「仕事ねぇ。ミサト、ちゃんと働いてるの」
たくわんをつまみながら、アスカがそうつっこむ。
「結構忙しいのよ、これでも。あ、そうそう、今日も遅くなるから、引っ越し、三人でやっちゃって」
「三人で、ですか?」
「アタシたちだけでやれって言うの?」
「無理なら、トウジ君たちも呼んでいいからさ」
「・・・・逃げたわね、ミサト・・・・」
ぽつり、とアスカがつぶやく。レイはそんな様子を見ながら、おかずを一口、食べた。それは、シンジの作ったものだった。
「・・・・おいしい・・・・」
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