語彙が貧弱なのはいかんともしがたい、という言い訳をできないんだろうなぁとおもう今日この頃。日仕事のコミュニケーションはできても、日常会話に致命的な欠陥があるというか、アメリカ人の日常会話に関する素養がないので、何について会話しているのかを理解するまでが大変だということ。仕事の会話はこれでも技術者の端くれなので、単語を聞いていればおまかなにを言っているのかはわかる。英語+技術言葉の知識があればなんとかなる。恥ずかしい英語だろうが話すこともできるけど、日常会話の話になると技術部分がさすっぱり抜け落ちるので、英語力そのままになる。何度かこっちの人とコーヒーブレイクをしたけど、話しをしているのを聞いていて、一度目は会社の退職金制度の話、二度目は家の芝生の育ち具合について話をしているんだということに気づいたのはたっぷり五分近く過ぎてからだった。一方、昨日のパーティの主役である人へプレゼントするものがSonyのサイバーショットとDVカメラであること、とかいう会話は即座に分かったりして、あーあーという感じ。音楽の話をされてもわかんねぇし、車の話をされてもわかんねぇし、仕事でコンピュータさわってて日常会話でもコンピュータの話なんてしねぇし。おいら知識が偏ってるねーと痛々しい日常のヒトコマ。素養は広く浅く聞きかじりじゃだめだな。広く。しかし深くもたないと。
アメリカ人はほとんどの場合携帯電話を腰のベルトにつけている。一方で日本人は最近は結構な確率でポケットにいれている。昔は腰につけてる人の方が多かったけど。なんかアメリカ人のその姿を見ていると、拳銃腰に下げたガンマンみたいにみえて笑える気もする。ま、胸ポケットなんかにいれててそこに手ぇ突っ込んだら拳銃出すのかと勘違いされて撃たれかねないのだろうか。
またもカーナビにだまされる。いや、カーナビは正しい住所に連れていてくれてるのだろう。もしかすると自分がその近くにあるはずのレストランを見つけてないのか、そもそも正しい住所をいれてないのかのどちらかなのだろう。っていうか結局たどり着けないことにはかわりがないっ! 敗北感に打ちのめされながら、既に昼飯時だったのでハンバーガーを食いに行く。うまー。