CURRENT
Classica's Love Song
(PLAYBOY B-207)





B面は、沖田"東京キケン野郎"優司の作品で、60'sガール・グループ風味が効いていて、たいへんおいしゅうございます。


このクレジットを見よ!



1981年、トリオ・レコードからドリーミー・60's・サウンズ・シリーズという、オリジナル・アーティストによる再録音のレコードが12枚リリースされました。
そのパンフレットにもイメージ・ガールとして登場。

March 01, 2002

ホワイト・デイはラフマニノフの陰謀。

 ガーナ・チョコならいざ知らず、ゴディヴァのチョコをもらったかたは、かなりの出費を強いられる日が近づいてまいりました。このホワイト・デイはヴァレンタイン・デイのモロゾフと同じくロシア人のラフマニノフが日本人に向けて仕掛けた商法だったのです。というのはウソです。
 しかし、「ラフマニノフの陰謀」という物騒なタイトルのシングル盤があったことは事実です。映画「逢い引き」で使われてポピュラーになったラフマニノフのピア協奏曲第2番第三楽章の一節をディスコにアレンジしたもので、ありがちな一枚でした。しかし、興味を引く点がひとつございます。ジョー・サラシーノのプロデュースだということです。オリジナル・タイトルは「Classica's Love Song」といいまして、日本では、トリオ・レコードからプレイボーイ・レーベルの1枚として76年頃に発売していたのでありました。

 というわけで、今は消滅してしまったトリオ・レコードですが、そこに所属していたアイドル原めぐみクンを取上げてみましょう。
 「林原めぐみ」を知っていても、「原めぐみ」を知っている人は、果たしてどれくらいいるのでしょうか。東大のアイドル・プロデュース研究会の第一号グラフィティー・ギャルに選ばれたにも関わらず、一般的には無名に等しい彼女です。おそらく、研究会の当時のメンバーもすでに忘却の彼方かもしれません。
 しかし、われわれスペクター・マニアの間では、いまもって高い知名度である、はずであります(^^;)。
 デビュー・シングルは80年にリリースされた「ボーイハント」でした。といいましても、コニー・フランシスのカヴァーではなく、俗にいうオールディーズ歌謡と呼ばれるたぐいのオリジナルで、しかも、いまひとつのデキでございました。もし、これだけだったなら、B級アイドル・コレクターだけの存在に終わってしまったことでしょう。

 ところが、第2弾の「見つめあう恋」(81年)は、和製ウォール・オブ・サウンドに果敢に挑んだ問題作であり、われわれスペクター・マニアの注目するところとなったのであります。で、こっちの「見つめあう恋」は、オリジナルではなくて、ご存知ハーマンズ・ハーミッツの曲でございます。カーペンターズのヒット曲としても、よ〜く知られているところです。

 さて、そのできばえでありますが、アイドル・ポップスとしては、上等のカヴァーといえるもので、ヒット・チャートの上位に躍り出てもおかしくない作品であります。ザ・ヴィーナスの「キッスは目にして!」がヒットした年ですから、話題になってもおかしくはなかったのですけどね。プロモーションがヘタだったのか、あるいは、曲がダンス・ナンバーでないのが、いまひとつの盛り上がりに欠けてしまった、のかもしれません。

 では、ウォール・オブ・サウンド・イミテーションとしてとらえるとどうなのでしょう。
 よくも悪くもステレオタイプでございました。常々、われらがスペクター君は「バック・トゥ・モノ」といってるでしょうが(`_')。
 当時の担当プロデューサーだった中村トシオ氏のインタビューがVANDA誌23号に掲載されており、このレコードにも触れていて、たいへん興味深く読ませていただきました。ひとことでいえば、81年において、ウォール・オブ・サウンドというものがいかなるものか、理解できるアレンジャーやエンジニアがいない、というオトロシー状況だった、ということです。大瀧詠一、山下達郎両氏ががんばっていたにもかかわらず、です。同時に参考にしたスペクター作品はビクターの再発だった、という意味のようなことも語っておられます。

 しかし、1ヶ所釈然としない発言があったのでした。

「前回のVANDAで酷評されていた原めぐみですネ(笑い)」

これが問題の記事?クリックすると、記事のアップ画像。

 おそらく、ぼくが書いた「音壁新聞」を指しているのでしょう。しかし、ぼくは酷評などしていません!!けなしているどころか、「アイドル物としては水準以上であり、聴いてみる価値はある」と書いているのでありました。
 自虐的なジョークのつもりかもしれませんが、書いてもないことを書いたかのように受け取れるこの発言は遺憾であります。

 さて、ウォール・オブ・サウンドを「ビー・マイ・ベイビー」でとらえるか、はたまた「ヒーズ・ア・レベル」でとらえるかで、プロデュースの方向性を見誤る恐れがある。そんな仮説も立つのではないかと思う今日このごろでございますが、たいていの場合、「ビー・マイ・ベイビー」でやっちゃうんだなぁ、これが。ギター、ジャンジャカ、カスタネット、カチャカチャ、ストリングス、キーコキーコ、ドラムス、ドンドドン。
 ウォール・オブ・サウンドの基本は「ヒーズ・ア・レベル」にある、これは定説です。つまり、カスタネットもストリングスも必要ないのでした。ここを押さえることがかなめで、あとはお金と時間が許せばカスタネット、カチャカチャ、ストリングス、キーコキーコを付け加えればよろしい。
 ホーンのないスペクター・サウンドは、土のない壁と同じで、カスタネットやストリングスの壁紙で見栄えをよくしてもヤワな壁にすぎないのです。
 で、原めぐみの「見つめあう恋」は、まさに「ビー・マイ・ベイビー」でとらえた、壁ならぬ襖であったのでございます。
 やはり、スペクター・サウンドは、日本のアーティストにとって、越えられぬ壁なのでございましょうか。*「ビー・マイ・ベイビー」も注意して聴くと、ちゃんとホーンが鳴ってるんですがねぇ。

 結論。このシングルは、買いと申し上げておきます。といっても、とうの昔に廃盤だしなぁ。レコード会社すらないわけだしねー。
 しかし、復刻の暁には、ここで大々的に宣伝することをお約束します、中村トシオさん(^o^)。

 原めぐみですが、歯科医のかたと結婚され、すでに芸能界を引退され、マダムとして優雅に暮しておられるようです。また、趣味が高じて、オリジナル家具のお店も経営しているとか。


May 03, 2002

おいしいソースのお話。

 今回は、小ネタでお茶を濁させてもらいます。

 新発売のバーベキューソースです。ちょっとラベルにご注目ください。食品にしては、ナ〜ンか違和感のあるデザインですよね。じつは、ネドラ・ロス家の秘伝のソースなのでした。ネドラって誰?なんていう人はいないと思いますが、一応いっておきます。ネドラはロネッツのメンバーでした。ロニー・スペクターのいとこにあたります。
 で、彼女は5、6年ほど前まで、母親とともにバーベキュー・レストランをやっていました。その味を、ご家庭で、ということなのですね。アメリカ人ってバーベキュー好きそうだからなぁ。
 で、右の画像は、当時のお店のメニューです。さすが、ロックンロールしてます。お店に行ったことはあるかって?…ないです(-_-;)。
 アメリカ在住のハリー君からいただいたものです。ちょっと汚いのは、「車を掃除してたら、シートの下から出てきたので、興味ありそうと思って送ってあげた」ということなのでした。嬉しいぞ(-_-;)。
 その彼からの最新情報が、今回のネタでした。
 できたてホヤホヤのネドラ・ソースのホームページはこちらです
 レアで、おいしい写真も見られます\(^O^)/。

.Sound Clip
.Sound Clip-2

May 21, 2002

Count Me In

 「カウント・ミー・イン」はゲイリー・ルイスとプレイボーイズのヒット曲でおなじみですね。ゲイリーは一応ドラマーですが、レコードの中で叩いていたのはハル・ブレインでした。
 そのハル・ブレインですが、レッキング・クルー発掘調査団、別の名を偶像破壊部隊の隊長大野氏のサイトで、彼のカウントのサウンド・クリップが聴けます。これは面白いと思いまして、わたくしもマネしてみました。
 何の曲かはあえて申し上げません。わからない人はいないはずですけど。







Love Generation
Love And Sunshine The Best Of The Love Generation
(Sundazed SC 11120 / ウルトラヴァイヴ 7047)



 ベイラーの正しい表記は、下のように「a」にウムラウトが付いています。

 英文ライナーもこれに準じていますが、
Bahlerと表記されていることのほうが一般的かと思われます。
 で、カタカナ表記ですが、本人が示す発音に従うと「ベイラー」となります。
 また、ウムラウト
umlaut とは、音(laut)が変化(um)することを示す変母音記号のこと、だそうです。
 ウムラウトの「
・・」の記号はもともと「」の左右の交点の残像だそうで、今回の場合は「口をアの形にしてエと発音しなさい」となります。
 ま、ドイツ人という意味では「バーラー」というカタカナ表記でも間違いではなさそうですね。



An Interview with Tom Bahler

 トム・ベイラーのインタビューとは何ぞやとお思いの方もいらっしゃるかと。じつは、これが掲載されたサイトをFEWCAS(Far East the Wrecking Crew Appreciation Society)の会長である大野氏が今年2月 はじめThe Wrecking Crew BBS上に紹介をして話題となったものです。

●トム・ベイラーのインタビューはここをクリック●

July 25, 2002

愛ある限り戦いましょう!

 ツアー・バスの事故で、メンバー6人のうち4人が死亡し、3枚目のアルバムは残されたベイラー兄弟2人で制作された、というまことしやかな嘘が流布されておりましたソフトロック・グループを取上げてみました。   
 たしかに、情報の少ない時に「噂」を文字にした方々もけっして悪気はなかったことでしょう。が、そこは自戒も込めて、そんなに簡単に「噂を信じちゃいけないよ」であります。しかし、一度文字になると、困ったことに「どうにも止まらない」のでした。ラヴ・ジェネを検索すると、いまだに、この「悲しきエピソード」が書かれたままのサイトがあることがわかります。たとえビル・ゲイツが許しても、この美少女仮面ポワトリンが許しません!

 てなわけで、このラヴ・ジェネレーションですが、レコードを製作するために結成されたスタジオ・グループだった、というのがどうやら噂の真相のようです。よくあ〜る話じゃないか〜、でした。当時、アンディー・ウィリアムズ・ショーの音楽ディレクターをしていたジョン・ベイラーのもとに、インペリアル・レコードのプロデューサーであったトミー・オリヴァーがレコード制作の話を持ちかけてきたことが始まりだそうです。で、ジョンはスマザーズ・ブラザーズ(Smothers Brothers)・ショーでダンサー兼歌手をしていた弟のトムを引き入れ、TVドラマ「ギジェットは15才」で主役のサリー・フィールドの歌の吹き替えをしていた地元の歌手マリリン・ミラーを、ニュー・クリスティー・ミンストレルズのメンバーだったアン・ホワイトを、ジョンの海軍仲間だったミッチ・ゴードンを、作曲家のジミー・ワースンを呼び集め結成したのだそうです。

 ま、動機はともあれ、彼らが紡ぎだすポップなコーラス・サウンドと計算されたアレンジは、60年代の終わりのフラワー・ムーヴメントあるいはサマー・オブ・ラヴといった米国西海岸のイノセントなイメージそのままの爽やかさで、うっとうしい日本の夏を風鈴の如く涼しげにしくれること間違いなしでございましょう。

 ところで、ワタクシはVANDA佐野氏の解説を期待して、ウルトラヴァイヴ扱いの帯付を買い求めましたが、WEB VANDAの「New Release Info.」のレビュー以上のことは触れておりません。ちょっとがっかりでした。それにですね、ネット上にあるトム・ベイラーのインタビューおよびCDのジョン・ベイラーのコメントを交えたライナーの記述と佐野氏の解説の記述が二三食い違うのが気になりました。これでしたら、独自の解説を付けるよりも、MSIのように英文ライナーの対訳を付けていただけたほうが、誤解も生まず、喜ぶかたも多いように思われますが、いかかでしょう、ウルトラヴァイヴさん。
 
 で、トム・ベイラーのインタビューからラヴ・ジェネレーションに触れた部分をまとめますと、

●グループは1967年から1969年まで存在した。
●LAのテレビにゲスト出演したが、ツアーはしていない。
●ベイラー兄弟は全員のパートを歌うことができたが、最初の2枚はグループ全員でレコーディングした。
●1968-69年にかけて、フォード・モーター社のキャンペーンの仕事を受けた。
●フォード社の仕事はコマーシャルソングの製作と全国各地で催されるイヴェントで30分のショーをすることである。
●メンバーのアニーはツアーを望まなかった。マリリンは他の仕事を持っていた。
●ラヴ・ジェネレーションはこの時点で崩壊した。
●ベイラーはThe Goin Thingというグループを新たに作り、全米から400人もの歌手のオーディションをした。
●メジャー・デビュー前のカーペンターズも参加するはずだったが、A&Mの話が来たため断った。
●フォード社所有のジェット機によるツアーはベイラー兄弟にとって、素晴らしい経験であった。
●フォード社との仕事が、兄弟をスタジオ歌手としてだけでなく、編曲者、プロデューサーとしても成功させる機会となった。
●サード・アルバム「Montage」は、ベイラー兄弟二人で録音された。

となります。(一部、リチャード・カーペンターのインタビューからも引用しました)

 セカンド・アルバムがリリースされた時、ジャケットに使われた写真が、ファースト・アルバムのジャケット用に撮影され、使われなかった写真の中から選んだため、ラヴ・ジェネレーションは架空のバンド

ブックレットの裏表紙。3枚のアルバム・ジャケットが紹介されています。同じ日に撮影されたことが一目瞭然。服ぐらい変えろよな、といいたくもなります。
だという噂が飛び交った、というようなことがCDのライナーに書かれています。こういう噂が立つことからも、それまで彼らはツアーはしていなかった、と考えられます。さらに、ラヴ・ジェネレーションがデビューした67年に、ベイラー兄弟はスタジオ・グループ「カリフォルニア・ドリーマーズ」にも参加していますから、グループのためのクリエイティヴに専念していたわけでもありません。
 日本語解説の「グループはクリエイティヴとパフォーマンスの2つに別れていた」というのは、強引な解釈と思わざるを得ません。グループのツアーにこだわる佐野氏の意図はなんなのか、はかりかねます。

 ところで、トム・ベイラーは、あの「We Are The World」にも関わっていて、知らなかったワタクシが迂闊だった、というところでございましょう。さらに、彼は、映画音楽の方面でも活躍しています。

 ということで、くだくだと書いてまいりましたが、早い話、このCDは買いということなのであります。ソフトロック・エバンジェリストが強く推薦するだけあって、間違いはございません。暑気払いとしても、お薦めの1枚でございます。対極ともいえます「汗臭さプンプンのトム・ジョーンズ」と併用なさるのも一考かと。
 最後に、ご購入の際は、少しでも安い直輸入盤をお勧めします。








急がば廻れ'99
鶴岡雄二 著
1,500円(税別(音楽之友社)



 カバー・イラストは、何度か依頼されたことはありますが、装丁をトータルで引き受けたことは初めてでした。装丁は奥が深く、まだまだ学ぶことが多いと痛感いたしました。昨今、映画はかならずといっていいほどメイキングがセットになっております。というわけで、カバーデザインのメイキングもどきをお見せしましょう。
こちらです→


November 02, 2002

三つ数えろ!

 いよいよ今月下旬、「問題の書」あるいは「危険な書」と巷(約三名)で噂されている新刊書「急がば廻れ'99」が音楽之友社より出版されます。オールディーズのお好きなかたなら、タイトルを見て「にやり」となさったはずです。ヴェンチャーズの「Walk, Don't Run '64/急がば廻れ '64」のもじりです。いやいや、その前に60年のデビュー・シングル「Walk, Don't Run/急がば廻れ」がありました。ということで、三つめの「急がば廻れ」でした。

 では、いったい何が「危険な書」のか。取り扱いに充分注意するよう、書籍としては初めてであろう「PL法に基ずく品質表示」が書かれているのです。といっても、この本自体が爆発するわけではありませんが、人によっては、心の中の怒りが爆発するかもしれません。そういう意味で本当に危険なのは、背後から石が飛んでくるかもしれない著者自身ですな、ハハハ。

 さて、音楽之友社らしからぬブックカバーでありますが、『音楽探偵、“天使の街”を行く』と、オビ(昔は腰巻といったのヨ)に書かれているように、わずかな手がかりを頼りに、60年代の隠ぺいされた「ハリウッド音楽工場」の真相を明らかにしようと挑んだハードボイルド・タッチのノンフィクション小説であります。ということで、ミュージシャンばかりではなく、このサイトでもお馴染みのかたが実名で登場します。
 そもそも、著者はレコード盤に刻まれた音楽をのみ愛しているといいきります。ライヴ・パフォーマンスは、60年代半ばのアストロノウツ、ビーチボーイズ、Tボーンズの来日公演のひどさに呆れたことに端を発し、とかく音楽性がないがしろにされていて興味を失ったのだそうです。同時に、そのレコードとライヴの技術的落差は何なのかという疑問も、十代の少年には「何度も取り直しがきく機材の揃ったスタジオと機材も不十分で一発勝負のステージの差」というあいまいな答えしか浮かばなかったのも無理はありません。しかし、四半世紀たった1990年、ハル・ブレインの回想記を読んで、謎が解けたと思ったそうです。しかし、それは、「ハリウッド音楽工場」という迷宮の入り口に過ぎなかったのでした。
 
 で、入り口に一歩踏み入れたらヴェンチャーズが鎮座していた!というところでしょうか。喩えていうなれば、レコードの中のビーチボーイズの演奏は彼らではなくセッションマンたちヨ、といわれても歌を歌っているのは間違いなく彼らであります。しかし、ヴェンチャーズはインストゥルメンタル・グループ。レコードの中の演奏は彼らではない、としたら、鎮座していた彼らはいったいどこの誰なのだ?ということになるからです。

 オビ後ろには本書からの引用があります。『わたしはヴェンチャーズを貶(おとし)めたいわけではなかった。たんに、ヴェンチャーズの名のもとにつくられたカタログのすばらしさを、別の視点から称賛したいだけだった』。少年時代、ヴェンチャーズのファンクラブに入っていた著者の言葉だけに、なおさら重みがあります。
 レコードを繰り返し聴き、ミュージシャンの癖をつかむことから始まり、文献をあさり、インターネットを通じて、レッキング・クルーの重鎮であられるキャロル・ケイ、ビリー・ストレンジとのメールでの対話と、証拠をひとつひとつ積み重ねて、ヴェンチャーズのカタログを検証していくさまは、スリルとサスペンスに満ちていて、まさにチャンドラーなみのミステリー小説そのものであります。

 冒頭で述べました「危険な書」というのは、このように世界でもっとも多い日本のヴェンチャーズ信奉者を敵に回しかねないからです。あるいは、信奉者にとって、事実は事実として受け入れるか否か、とためされる踏み絵的書でもあります。まぁ、とにかく、面白い、ためになる、装丁が素敵、と三拍子揃った本であることは間違いございません。これを読まずして、年は越せないですよ。


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THE WALL OF HOUND enter
このサイト名の由来は、もちろんフィル・スペクターが創造したWALL OF SOUNDの語呂合わせです。 HOUNDには、マニアという意味もあるようですが、特に深い意図はありません。また、ぼくは吠えたりもしません。このサイトでは、そのフィル・スペクターの再認識と知名度の向上を第2の目的としたものです。(文責: 大嶽好徳)
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で、第1の目的はといいますと、ぼくの本業であるイラストを紹介することです。
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Links  2/27/2001 更新
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