The Vogues
Love Song / We're On Our Way
(BELL-88057)(USA/Bell-991)

A. Love Song
B. We're On Our Way










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大野隊長による偶像破壊部隊(といってもタリバーンとは無関係です)が、ヴォーグスを標的に分析を開始しました。
成果に期待がかかる!!
経過は
こちらを!!!

(2月7日記)

February 6, 2002

マイ・ファニィ・ヴァレンタインズ・デイ。

 憂うつなヴァレンタインズ・デイが近づいてきました。それは、飲み屋のママからの義理チョコ1個が関の山というのが悔しいわけではありません。ましてや、全国から山ほどチョコが届けられるので、そのとりさばきに困るなんてことは間違ってもございません。アイドルじゃあるまいし。
 じつはですねー、一日ひとかけ、チョコを口にしないといられないほど、チョコ大好き人間なのです。で、この時期になりますと、なにかチョコを買いづらい雰囲気に襲われてしまうのでした。ちなみに、いちばん好きなのがロッテ・ガーナ・チョコレートです。安あがりぃ(^.^)。

 で、ヴァレンタインズ・デイには、やはり「愛の歌」でございましょう。ということで取り上げましたのは、ヴォーグスの「ラブ・ソング」。なんや、そのまんまやないけーっ、とツッコミが入りそうですが、まんまです。

ほら、愛の歌だよ
ぼくは君のために書いたんだぜ
だって、こんなに愛してっからさ
飾らない優しい歌
君がどこに行こうと、心を満たす歌なのよん


てな感じで始まる歌なんですけど。書いてて、はずかしいぞ。

 イージーリスニングの範疇に入るスロー・バラードとでもいいましょうか。ピアノとストリングスで静かにで始まり、中間部でオーケストラとともに盛り上がり、再び静かにピアノとストリングスが奏でるなかフェード・アウトという、ありがちな文字どおり大人のラヴ・ソングです。ラスベガスのショーのラストにぴったしという感じです。行ったことないけど(^^;。

この曲、ぜひお聴かせしたいと思ったのですけどね、
残念ながらJASRACの管理曲でしたm(_ _)m。


 さてさて、この曲を取り上げた本当の理由は
「プロデューサーはテディー・ランダッツォである」
ということだったのでした。

 テディー・ランダッツォといえば、60's pop classics(このいいかた、ナイスです。鶴岡さん、ありがとね)の愛好者にとって、「嘆きの道化師」(60年)を歌った歌手として記憶にとどめているはずです。いかにもイタリア系といった感じで歌い上げるスタイルは結構好きなんですけど、いまではティーン・ポップス愛好者以外には見向きもされないのが実情でしょう。
 また、ソフト・ロック・ファンにとっては、(64年から66年にかけて)ソリッドな「ウォール・オブ・サウンド」をソフトでゴージャスに進化させたサウンドでドゥー・ワップ・グループ、リトル・アンソニーとインペリアルズのイメージを変えて復活させ、さらにヒットのなかった黒人ガールグループ、ロイヤレッツを世に出した名プロデューサーとしておなじみでしょう。70年代には、スタイリスティックスも手がけています。

 そして(ここんとこ大事ネ)忘れてはならないことは、スペクターの世紀の失敗作「ツイスト・アン ド・シャウト」(61年)のアレンジおよび指揮を担ったのが、誰あろうテ

ビートルズでおなじみの曲でありますが、オリジナルがこのトップ・ノーツだと知られるようになったのは、ここ10年くらいです。まだ、アイズリー・ブラザーズだと勘違いしている人、メッ(`_')。
ディー・ランダッツォその人でございます。つまり、直系のスペクター・フォロワーといえるのでした。

 かたや、ヴォーグスといえば、VANDAの「ソフト・ロックA to Z」でも取上げられているボーカル・グループです。詳しくはこちらを。リプリーズ移籍後すぐに放ったヒット曲「振り返った恋」(68年)が有名でしょう。その前のCo & Ce時代の「マジック・タウン」もバリー・マン/シンシア・ウェイル作として、そのスジの人たちには人気があるようです。

 で、この「ラブ・ソング」ですが、リプリーズからベル・レコードへの移籍第一弾だそうです。日本盤のジャケットの裏にそう書いてあります。残念なことに発売年度は記載されてませんが、1965年にデビューしてそれから6年という記述から71年と想像できます。 
 また、「KKUA 69 Hawaii's Top 69 Songs of 1971」に65位にランクされているデータがありますので、71年のリリースで間違いないでしょう。

 で、彼らのディスコグラフィーをいろいろと調べてみたのですが、65年から67年のCo & Ce時代、そしてリプリーズ時代の67年から70年までで、それ以降ぷっつり途絶えてしまってるのですよ。調べ方が悪いと言われればそのとおりです。
 しかも、CDも色々と復刻されてますが、Co & Ce時代とリプリーズ時代に限られているようです。なぜでしょうか?ヴォーグスのホームページはこちら

 で、やはり気になるのが、テディー・ランダッツォのプロデュース第二弾があるのか。はたまたアルバムは出たのか、です。
 ソフト・ロック・ファンにとって興味の対象となるプロデューサーと、アーティストのコラボレーションですからね、気になるでしょう?
 ぼくは気になって、憂うつなヴァレンタインズ・デイになってしまいそうす。

 B面の「僕らは僕らの道を」は、管理曲ではないので、ファイルがご用意できます。なんか、ヴァレンタインにはあまりふさわしくない誤解されそうなタイトルだなぁ(^_^ゞ。でも、ランダッツオらしい仕上がりで、個人的にはこちらの方が好きです。
 *再生にはVQプレーヤーが必要です。

February 14, 2002

続マイ・ファニィ・ヴァレンタインズ・デイ。

 女性が男性にチョコレートを贈るのは、日本独自の習慣で、1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールで、チョコレート業者が行ったキャンペーンが始まりだ、という説があるそうですが、これははっきり申しまして間違いです。証拠の画像を見てください。1950年の米国の雑誌広告です。どっかで見たようなイラストですねぇ。

ところが、それを遡ること14年。

モロゾフが「バレンタインデー」の習慣を1936年、日本に初めて紹介した、と主張しています。

 このページによると、昭和11年(1936年)、モロゾフが初めて日本にチョコレートに愛を託して伝えるバレンタインデーの習慣・文化を紹介した、となっています。
 この年の2月12日付け英字新聞「ジャパンアドバタイザー」に掲載した、ヨーロッパ各国のように、愛の贈り物としてバレンタインデーにモロゾフのチョコレートを選んでもらおうという広告の画像も見ることができます。

 しかし、小さくてよくわかりませんが、「バレンタインデー」の「デー」の文字は見当たりません。それに、バレンタインデーの習慣・文化を伝えるには文字量が少ないと思います。しかも、日本に紹介したと自慢するわりには英字新聞ですぞ。日本人向けとは思えません(^^;)。

 百歩譲ったとしましょう。たしかに、ヘッドには「For Your Valentine」と、はっきりとわかります。が、このバレンタインは、あなたの愛する彼氏(あるいは彼女)の意味ととらえるのが妥当で、「バレンタインデー」と短絡的に考えるのはいかがなものかと。ジャズのスタンダード「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」のヴァレンタインはそういう意味であって、チョコを貰いそこねた2月14日の悔しさを歌にしたものではありません。

 ところで、ややこしいことに、神戸では有名な洋菓子屋コスモポリタン製菓の創立者の名がバレンタイン・F・モロゾフという人だそうです。モロゾフの商号が使えないためにコスモポリタンと名乗ったという話だそうな。

 「バレンタインデー」とチョコレートについてくだくだと書きましたが、年がら年中チョコをほおばっているアッシには関わりのないことでござんす。

9 8 7 6 5 4 3 2 1 0

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