(3)コルノ・ダ・ティラルシに関する一考察
「コルノ・ダ・ティラルシ」とはどういった楽器であったのであろうか。残念ながらその答えは、すでに推測の域を越えることのできなくなってしまった楽器である。なぜそうなってしまったかを考えるに、いくつかの理由が挙げられる。
・当時の社会的状況
まず当時の社会的状況にある。封建社会の世の中の、しかも教会といったある限られたところで行われていることが公に伝達するわけでもなく、また、現在に至るまで、何度の戦争が繰り返されたであろうか。276年も前のしかもその一時的なものが残っているほうがむしろ不思議である。
・ゴットフリート・ライヒェの個人的問題
ゴットフリート・ライヒェ個人の問題として考えても、譜面から考えて、その当時、かなり機能的に半音階のできる新種の金管楽器を考案したとすれば、他の人にまねをされてしまう恐れもあり、むやみには人には教えなかったとも考えられる。
また、もし仮に彼がベンディング奏法ですべて演奏したとしたら「コルノ・ダ・ティラルシ」といった楽器はそもそも存在しないことになるであろう。
・すべてのホルンがティラルシ
ホルンの形状を考えたときに右手をベルの中に入れるのをやめればそのあまった右手でクルークを引き伸ばすことができる。つまり、ホルンはすべての楽器が「コルノ・ダ・ティラルシ」になる可能性をもっている。
例えば、カンタータ163番?は、G管ホルンで演奏するのが妥当であるがストップ奏法をしなくても、クルークを引き伸ばすことでも演奏は可能である。
・バッハの金管楽器に対する認識度とバッハの奏者への伝達
バッハがあえて「ティラルシ」という言葉を用いているにはそれなりの意味があったとも思われる。「コルノ・ダ・ティラルシ」という楽器が存在して、その楽器で演奏してもらいたいとバッハが思っていた考えるより、ホルンのような音色で、スライドトランペットのように自然倍音以外の音をだしてもらいたいとおもっていたことが、偶然コルノ・ダ・ティラルシという名称になったのかも知れない。
また、もしバッハがクルークを引き伸ばせば自然倍音以外の音を出せることを知っていたとすれば、今回のカンタータは自然倍音以外を使ってしまいましたというバッハから奏者への伝言だったのかもしれない。
つまり存在しない理由として、
1、元々無い。
2、または、世の中すべてのホルンが「コルノ・ダ・ティラルシ」だったので、気が付かない。
3、そして、そういった楽器が本当にあったが、ゴットフリート・ライヒェが、後世に伝達しなかった。もしくは、歴史の中に埋もれてしまった。
などといったことが考えられる。
以上のことから、いずれにあえよ?楽器は存在しないであろうから、バッハの残された譜面から楽器の形を想像するしかない。
コルノ・ダ・ティラルシと指示されている曲の特徴は自然倍音以外の音が出てくことにある。また、スライドトランペットのようにコラールゆっくりした部分だけ吹くのではなく、ある程度速いテンポの曲も演奏する部分に使われている。
楽譜1は自然倍音列であるが、楽譜2のカンタータ105番で使われている音符と比較してみると、いかに、自然倍音外の音を使っているかが分かる。
それでは、自然倍音以外の音をどのように出したかである。考えられる方法は次の3通りある。
1,ベンディング奏法
2,ストップ奏法
3,スライド奏法
ベンディング奏法とは、唇で倍音外の音を強制的に作り出す奏法である。カンタータ105番の場合あまりにもそうしなければならないところが多すぎるし、また、アレグロの部分を正確に当てるのは至難の業である。(一番簡単と思われるFの音でさえ大変むずかしい)
ストップ奏法に関しては音列的には網羅できるが、バロック期にスタンダードな奏法として有ったかの是非が有るのでここでは考えない。(余談になるが、現代の奏者でストップ奏法のできる奏者は105番のハイDの音を出せない)
残されたのはスライド奏法である。一般的なスライドトランペットは、ベル全体が動き、楽器自体のバランスが悪く機動力にかける。したがって、明らかにこういった形(写真)の楽器ではない。曲の内容から、もう少し簡易な形でスライドし、ある程度速いテンポにも対応できなければならない。
ここで「コルノ・ダ・ティラルシ」の言葉の由来を考えてみたい。「ティラルシ」とは「引き抜く」という意味があり、明らかにスライドのことをさしている。つまり、「スライド付きホルン」ということになる。一般的に、ホルンの形状、楽器の構え方を考えたとき、左手でマウスパイプと楽器本体を握り、右手でストップ奏法を行わなかったとしたら、右手はあまり、都合の良い方向にクルークを付ければ、それを引き抜くことは容易である。
想像で再現された「コルノ・ダ・ティラルシ」-通常の状態、スライドをのばした状態
1,どのぐらいスライドさせるか。
通常、半音下がれば、かなりの音を網羅できるが、105番にはGisが、46番にはFがでてくるので、全音下がらなくてはならない。(ちなみに写真右はほぼ半音さげている)
2,全長をどのくらいの長さにするか
105番の116小節目から八分音符の動きでB-durの動きがあるので、トランペットにとっては普段使っている、D管より長3度分長い、ホルンにとっては非常にみじかいB−Alt、そしてモダンのトランペットからいえば、通常のB管の倍より少々(415Hzのため)長い全長である。
3,誰が演奏したか
これらのカンタータはすべて1723年、ライプツィヒで作曲されている。その時期にライプツィヒにいたラッパ吹きはゴットフリート・ライヒェ(Reiche,Gottfried)である。彼は丸まったラッパをこよなく愛したようであるが、(E.G.ハウスマンの肖像画にみられる)見た目の形状も一致する。
以上が歴史的背景を踏まえたうえでのコルノ・ダ・ティラルシであるが、実際のところ上の写真のような楽器で、正確に演奏するには膨大な練習時間と、お客様の寛大な心がなければならない。音を正しく当てるためには、やはり音孔がなければ非常に難しい。また、いくら形がコンパクトになったとはいっても、演奏中に全音下げるためのスライディングは、どうしても、ミストーンををまねく。以上のことから次のような楽器を考案した。
演奏可能な「コルノ・ダ・ティラルシ」-通常の状態、スライドをのばした状態
右手で音孔を操作し左手でスライドを操作するといった方法である。こうすることにより命中率はもちろん、スライドと音孔を併用することにより、GisやFも半音のみのスライディングで演奏することができる。後日、バッハ・コレギウム・ジャパンの定期演奏会で、カンタータ105番を演奏したが、謎のカンタータといわれていたにもかかわらず、あまりにも楽器が安定していたため、何となくさらっと演奏してしまったので、かえって面白くなかったといううわさをも聞こえてきた。むしろ、もっと、へたに演奏すれば良かったのかもしれない!?