1981年、1983年草津国際音楽アカデミーにおけるP.ティボー先生のレッスンについて                      島田俊雄  

◎使用エチュード    
スタンプ    
コンコーネ(声楽発声用)    
カルーソー    
クラーク    
バレイ    
アーバン    
シャルリエ     
トーマス・スティーヴンス            

◎楽器を吹く心構え   
 まずトランペット(楽器)は単なる拡声器にすぎず、マウスピース以前の問題で、すべてのことが、クリアーされていなければならない。(体、脳のこと) 上達し会得するには、できるまでいつもいつも練習することである。(ティボー先生は、いわゆる指笛を指を使わずに吹くことができるが、こんなことでさえ、できるまで練習したと言う。そして吹けるようになれば忘れない。トランペットだって同じことだ、と言う)

◎音出しに対するイメージについて  
・上下のイメージ(スタンプを中心に使用して)     
音域の上下に対して逆のイメージを持たなければならない。つまり音域が上がるにしたがって 下へのイメージを持つ。 図1ベクトルと図2モデルで考えると以下のようになる。

                   
 ベクトルで考えれば出された音は水平方向に一定となり常に安定した演奏ができる。またモデルは、上下両方向からバネで引き合っている架空の音の玉を考える。この玉は上の音域に行くときは下へ引かれる。そしてはなせば元へもどる。と言った原理である。つまり高音域に行くとき下方向をイメージすると自然に重心も下がり、位置エネルギーを解放することによって一定位置に戻ることができるのである。  
  これらの考え方は音色変化への悪影響が少ないため、おもにオーケストラの演奏に多く取り入れることができる。
・前後のイメージ(ボーカリーズトレーニングを中心とした音に対するイメージ・・・・・コンコーネを使用して)  
  どんな楽器においても(残念ながらピアノはメカニカルなもの)音の発生を声楽的にとらえることができる。声楽家は発声の際に喉を拡げ舌根をさげる。またヨーデルを考えて見ればわかりやすいが、おもての声からファルセットに変わるときのイメージがそれに近い。つまり高音域はやや後ろにイメージされる。どの楽器も高音域は自分自身に近いところにある。(ヴァイオリンやフルートで考えても理解しやすい)これと同じようにトランペットでもヴォーカリーズトレーニングをする際には高音域は後ろに、低音域は前にイメージする。(絵1) これをすることによりメロディーはより声楽的につながり豊かなフレージングを作ることができる。これはおもにソリスティックな演奏に応用できる。


・上下前後の合成  
これら2つのイメージを合成することにより自分の周りに大きな円をイメージすることですべての演奏が合理的にできる。
◎デイリーエクササイズ心構え  
 音出しに関する上下のイメージはスタンプで、前後のイメージはコンコーネで、そしてそれらをささえる筋肉のビルドアップはカルーソーで、そしてフィンガリングはクラーク。これだけ揃えばあとは何もいらない。今後の課題としては、ソルフェージュと音楽性の問題である。これらをトランペットの先生に教わっていては効率が悪い。専門のソルフェージュの先生や声楽の先生に習ったほうが解決は速い。
◎感想
  以上のことを1981年夏に13回、1983年夏に13回レッスンを受けることができた。 私はとても劣等生でティボー先生のレッスン状況を語るなどと言うことは実におこがましいことであるが、私にとって1年目に受けてから2年間ゆっくり考える時間があり、頭の整理もつき、そして再度確認ができたことが良かった。私にとって1981年の段階では、ブランデンブルグ協奏曲など、どうにも吹けなかったが、1983年には、そこそこ音が並びだしたのには正直なところ自分でもびっくりした。ティボー先生のこの指導方法は紛れもなく真実をおさえていると、このとき確信した。 (ティボー先生のレッスンは大変厳しく、我々がレッスンのために練習場にマイクロバスで送られる様を見ていた人は、「まるで囚人が監獄に護送されるよう」と言っていた。)

◎付録
 本来、ティボー先生、もしくは同じ系列で習っている方々は、POSE DU SONという感覚をフランス語で正しく理解した人こそ門下生と言えるであろう。そういった意味では私はまったくもって、他人ということになる。
 しかしながら、この、POSE DU SONを理解したく、ティボー先生がそういうタイミングだけをメモリーすることにつとめた。
 その後、多くの日本人から聞こうと思い質問をし続けているが、未だ明確な答えは返ってこない。 つまり、POSE DU SONを日本語で「音を置く」などといった単純な訳でごまかすのではなく、演奏に際して、唇、体、等々、音の発生に関して、うまくいくそのポイント、ポジションすべてのこと、そしてその発見といったもっと奥深いものであると私自身は判断している。