1723年6月から11月までのバッハのカンタータは、金管楽器を多く使っていること、そしてその金管楽器の用法として、自然倍音以外の音をたくさん使っているといったところに特殊性がある。
本来、ホルンやトランペットは上図のような自然倍音を使って演奏するものであるが、ツインクやサックバットのように音孔やスライドを使わなければ演奏できない自然倍音外の音を、それらの楽器にまでこの期間のカンタータは要求しているのである。バッハがそのような音を使ってまで作曲した背景には、そういった演奏が可能な優秀な演奏家と楽器がなければ、あえて困難には立ち向かわないであろう。
自然倍音以外の音を出すには次の4通りがある。
1,ベンディング奏法
2,スライド奏法
3,ストップ奏法
4,トーンホール奏法
ベンディング奏法とは唇で強制振動を作り出し自然倍音以外の音をだす方法である。スラーで半音下げることは容易にできるが、アタックを打って音の出だしから自然倍音以外の音を出すのはとても難しい。失敗率がとにかく高い。
スライド奏法とはスライドトランペット、サックバットにみられる管の長さを調節する方法である。サックバットのような形状であれば、ある程度速いテンポの演奏ができるが、スライドトランペットのようにマウスパイプ一本でスライドする場合、速い演奏はできない。全音以上のスライドは音の命中率もかなり下がる。
ストップ奏法とはホルンにおける奏法で、ベルのなかに手をいれて音を変える方法である。この方法では、音色が変わりすぎてしまう。当時そういった方法を使ったかどうかはわからないが、考えつかないわけはない。
トーンホール奏法とは管の全長の中心近辺、またはベルより3分の1のところに音孔を作り、音を作りだす方法である。穴の数が少なければ、音色もほとんど変化はないが、命中率は下がる。穴の数を増やせば(最高4つ)命中率は上がるが音色は悪くなる。当時、実際穴を空けたかどうかは分からないが、そういったことが考えつかないわけはない。
1723年のライプツィヒにはゴットフリート・ライヒェ(Reiche,Gottfrid1667〜1734)が存在し、バッハのカンタータのほとんどを演奏したことは確実であるが、どういった楽器でどのような方法でどんな楽器で演奏したかは分からない。ライヒェが、実際どういった楽器を使ったかは、1723年6月から11月の演奏歴から、当時でも可能な演奏技法を踏まえながら想像するしか方法はない。
調べてみると、いくつかの楽器を使い分けていたことと、時間的に次々と楽器の改良を行なっていったのではないかといった推測がつく。
1723年 |
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5月30日(日) |
75番 |
Tromba in G(G管スライドトランペット) |
6月 6日(日) |
76番 |
(C管トランペットとC管スライドトランペット) |
6月13日(日) |
21番(再演) |
3Tromba in C(C管トランペット3本) |
6月20日(日) |
24番,185番(再演) |
24番Tromba-Corno (Clarino)in C(B管スライド付トランペット及びスライド付ホルンとF管ホルン) |
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185番(再演)Tromba in C(トランペットでは演奏できない。可能であるならF管スライド付ホルン) |
6月24日(日) |
167番 |
Tromba in C(Clarino)(トランペットでは演奏できない。C管スライドトランペットである。) |
7月 2日? |
237番 |
3Tromba in C(C管トランペット3本) |
7月 2日 |
147番 |
Tromba in C(C管トランペットとC管スライドトランペット) |
7月11日(日) |
186番 |
無し |
7月18日(日) |
136番 |
Corno in A Alt(ハイAホルン・・・スライドの必要はない。コルノダカッチャの指示でもおかしくないのでは?) |
7月25日(日) |
105番 |
Corno(ハイB管スライド付ホルン) |
8月 1日(日) |
46番 |
Tromba Corno da Tirarsi(ハイB管スライド付ホルンもしくはC管スライドトランペット及びB管トランペット) |
8月 8日(日) |
179番?199番 |
無し |
8月 9日 |
20番 |
Tromba in C Tromba da Tirarsi(C管トランペットとC管スライドトランペット) |
8月15日(日) |
69a番 |
3Tromba in D(D管トランペット3本) |
8月22日(日) |
77番 |
Tromba in C( C管スライドトランペット) |
8月29日(日) |
25番 |
無し.ただしコルネットと3トロンボーン |
8月30日 |
119番 |
4Tromba in C(C管トランペット4本) |
9月 5日(日) |
138番 |
Corno in G(G管スライド付ホルン) |
9月12日(日) |
95番 |
Corno in G(G管スライド付ホルン) |
9月19日(日) |
148番 |
Tromba in D(D管トランペット) |
9月26日(日) |
? |
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9月29日 |
50番 |
3Tromba in D(D管トランペット3本) |
10月 3日(日) |
48番 |
Tromba-Corno in C (C管スライドトランペット) |
10月17日(日) |
109番 |
Corne du Chasse(C管スライド付ホルンただし全音スライドがすばやくできなくてはならない。) |
10月24日(日) |
89番 |
Corno in F(F管ホルン) |
10月31日(日) |
80b番 |
Corno in F(F管ホルン) |
11月 2日 |
194番 |
無し |
11月 7日(日) |
60番 |
Corno in D,in A Alt |
11月14日(日) |
90番 |
Tromba in B |
11月21日(日) |
70番 |
Tromba in C(C管トランペットとC管スライドトランペット) |
11月28日(日) |
61番? |
無し |
6月6日にはC管トランペットとC管スライドトランペットを使っている。6月20日にはハイBホルン(ハイCホルンであったかもしれない)を使っている。この楽器はこの段階ではスライドしたかはわからないが、ベンディング奏法、ストップ奏法を使わなかったとしたら、スライド部を持つハイBホルンが存在したであろう。また、この日は通常のFホルンも使っている。
7月18日にはスライドする必要のないハイAホルンを使っている。
7月25日にもハイBホルンを使っている。ところが8月1日にCorno da Tirarsiという指示された楽器を使っている。楽器はあきらかに前の週と同じである。もし6月20日にスライドしない新型の楽器を、冒険的に使ってみたと仮定する。ベンディング奏法、もしくはストップ奏法で演奏していたが、それでは、あまり演奏の状態が良くなく、バッハもクレームをつけたであろう。ライヒェ自身もそれが分かっていて、新しい楽器を開発をしたであろう。なぜなら、6月20日後、一ヶ月は持ち回りの曲を演奏しているし、7月11日にはライヒェ自身お休みをしている。きっとこのころに改良型の楽器が完成し、この一ヶ月は練習期間だったのであろう。それが、8月1日に本当の意味で完成し、その完成を祝して、その楽器をCorno da Tirarsiと命名したのかもしれない。
もちろん一つの仮定として、6月20日にはすでにスライドが付いていたということも考えられる。
またしばらく、研究期間がある。そして9月12日にG管ホルンを使っている。当然、自然倍音外の音が出てくる。現代のホルン吹きは、きっとツインクで演奏したのではないかとしているが、8月1日の成功でG管ホルンにもスライドを付けたとも考えられる。それが証拠かどうかはわからないが、その一週間前にまたしても休みをとっている。
前項の仮定とは別に、5月30日にはすでに9月12日に使ったスライドホルンがすでに存在し、5月30日に使った楽器は実はスライドホルンだったかもしれないし、単なるG管ホルン(ストップ奏法、ベンディング奏法)だったかもしれない。(G管スライドトランペットが存在するだろうかという特殊性から)
そしてまた研究期間に入る。今度はハイCスライドホルン改訂版である。つまり、スライド距離が、7月の段階より、もう少し延びるようにしたとも考えられる。まず実験で162番に入れてみて再演し、109番に実際使ってみたのではなかろうか。すこぶる良い結果の新種の楽器だったので、少々しゃれてみて、Corne du Chasseと名付けたのかもしれない。
以上のことから次のような楽器があったと考えられる。
C,D管トランペット
ハイBorC管スライドなしホルン(ストップ奏法を使った場合)
ハイBorC管スライドホルン(ストップ奏法を使わない場合)
G,F管ホルンスライドなしホルン(ストップ奏法を使った場合)
G管スライドホルン(ストップ奏法を使わない場合)
C管スライドトランペット
G管スライドトランペット?
C管スライドトランペット音孔付き?(77番用)
109番のカンタータは1723年の6月からの半年間の集大成であり、きっと全ての可能性をフルに活用し、とても、安定した演奏をしたに違いない。よって109番のカンタータを演奏するには全ての可能性を考えなければならない。
109番のカンタータは基本的にハイC管のコルノダカッチャといった指示がある。音域的には現代のトランペットの音域とほぼ一致し、コルノという指示からはかなり音域的には高い。また、コルノダカッチャのカッチャは「狩の」という意味であり、実際狩をする際に首からかけられるホルンという意味である。多くの場合、高い音域のコルノに「ダカッチャ」がついているが、それを、“高い音域”のと考えるより、たまたま狩に使う信号のラッパは多少短めのほうが音が通るため、たまたまコルノダカッチャは短めの楽器であると考えるほうが分かりやすい。
実際、ハイC管のコルノダカッチャ (ハイC_Altホルン)で109番のカンタータを演奏するにはストップ奏法で演奏しなければ、不可能である。しかしながら、ストップした音とそうでない音の差が激しく、折角メロディックなフレーズなのにそのラインを壊してしまう。また、ベンディング奏法では一番最初の音から失敗したような変な演奏になってしまう。
可能性として、ハイC管のコルノダカッチャより一オクターブ長い楽器で同じ音域で演奏する方法も考えられる。つまり倍音列でいえば最初のFは第22倍音ということになる。この場合だとストップ奏法は下の“ラ”と“ファ”だけになり比較的音色の差もなくほとんどベンディング奏法でコントロールできるが、不確実性が高く、あまり正しい金管楽器奏法とは言えない。
また、記譜よりも一オクターブ低く演奏する方法もあるが、音域が低すぎて、音色の輝きがない。実験はしていないが、コーラスにきれいに溶け込むというよりも、どこの音域を演奏しているのか発見されずじまいで終わってしまうであろう。
次に考えられるのはツインクで演奏する方法である。現代のホルン奏者が演奏できないので、CornoはCornetと解釈し、無理やりツインクで演奏する方法である。この109番は丁寧にフランス語で、Corne du Chasseと指定しているので、やはりホルン演奏すべきである。
実際問題として、ツインクで演奏しても非常に音域が高く非常に難しい。この方法には、基本的に拙は賛成できない。
次に考えられるのがコルノダティラルシである。ここに至るまで24番、46番、77番、105番といった曲を演奏している。これらの曲をもしコルノダティラルシで演奏したとしたら、その楽器があるはずである。しかしながらこれらの曲は半音スライドとベンディング奏法で演奏できるが、109番は全音スライドができないと演奏できない。(実質演奏使用楽器)
109番を半音スライドのコルノダティラルシで演奏する場合はB管とC管の二本必要になる。最初はC管で吹きはじめ、43小節めでB管に持ち替え、68小節目でまたC管に持替えるといった方法である。なぜそんなことをしなければいけないかというと、いずれの管でも全音スライドしないといわゆる“レ”という音が出せないのである。ベンディング奏法を使っても正しくは演奏できない。
B管とC管持替え半音スライドのコルノダティラルシで109番は演奏できるが、演奏者側から考えると曲中に楽器を持ち替えるというのはとても嫌なことである。それなら全音スライドする楽器にすればいいではないかという発想が沸き起こる。
ところが、ハイCコルノダティラルシで全音スライドさせるということは実はものすごく大変なことなのである。マウスピースからのテーパー(拡がりの部分。当時の楽器はなかったいわれているが)とベルの直前のテーパーと全音スライドで全ての必要な部分を使ってしまい、楽器のボディーを調節する余りの部分が無くなってしまうのである。つまりホルン型全音スライドの楽器は存在しないことになる。しかしながら、ある程度トランペットの形を意識して、ホルンのベルを付ければ無理ではない。
こういった楽器はきっと存在はしなかっただろうが、109番のカンタータを、楽譜から考えられる最大限の演奏効果を、ある限られた奏法のなかで網羅しようとするとどうしてもこういった形になってしまうのである。
世の中には時代のなかに埋もれていった楽器が沢山ある。有名なところでは、それこそツインクであり、スライドトランペットである。これらの楽器は音色を重視するあまり演奏が難しく、姿を消していった。
20世紀も終わろうとしている今、生まれたこの楽器は、21世紀のニーズの中でどのように役に立ち、そしてまた歴史の中に消えていくのであろうか。それは今後のピリオド楽器による演奏の現代的解釈とそれらに対する考え方の多様化によって、決まっていくであろう。
参考文献:MUJICA RARA:J.S.BACH COMPLETE REPERTOIRE HORN/TRUMPET
バッハ作品総目録:角倉一朗著(白水社)
アンソニーベインズ:金管楽器とのその歴史