きらきらパラダイス・波照間・石垣ツアー2002

 去る、2002年3月11日より14日まで、群馬大学吹奏楽団音楽監督の茂木亨さんと、前橋、居酒屋「だいすけ」のママさんと念願の波照間島ツアーに行ってきました。もちろん目的は、日本最南端のお医者さんの山川宗一郎先生に会うためです。
 我々は、完全な遊びな上、結構熱心な観光客でもないつもりでしたが、八重山の自然には、負けてしまい、熱心に観光をしてしまいました。しかしながら、さすがに、波照間島にくる人の中では、かなり計画的であったようです。この島は、目的を持たない人が多く来るようです。そんな我々は、電波の届かないところにはいけないほどの忙しい、しかも責任のある山川先生に、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
 まず、島について、旅館につき、診療所にあいさつに行くと、いきなりお弁当を用意してくれました。島には昼食を満足に食べさせてくれるところがないため、わざわざ用意をしてくれて、しかも、ビーチまで連れていってくれました。(これで、すべてが決まったような気がします)透き通ったエメラルド色はまさに、“きらきらパラダイス”です。
 しかし、この“きらきらパラダイス”での観光客の交通手段は、レンタサイクルか徒歩という過酷なものです。いくら山のない、いつも水不足を心配している島とはいっても、民家のある、中央部は、多少小高くなっているため、景色の良いところに行こうと思うと、往きはよいよい、帰りは上り坂ということになるのです。しかしながら我々は、山川先生の、プライヴェートカー(懐かしの栃木ナンバー)をお借りすることができ、快適な観光ができました。
 何はともあれ、有人日本最南端を観に行くことにしました。思ったより、最南端の突端はきりたった絶壁になっていて、オーストラリアでみた、最南端と同じものを感じました。なーんだ、日本にもこういった風景があるんだという感じでした。それから、島を一周がてら、ビーチで、シュノーケリングとしゃれ込もうということになりました。島を時計周りに一周するには、常に左に 曲がっていれば元に戻れるので、ここはどっちに行けばよいかという心配はありませんでした。とにかく、左!
  途中、きれいな花はどこにでも咲いていて、本当に素晴らしいところであることが実感できました。また、ヤギがあちらこちらにいるのですが、特に、面倒も見る必要もなく、雑草を食べて雑草のように育っていくそうです。そして、記念日には・・・もちろん、どこにでも野生のバナナが生えています。
 この季節、泳げるか心配していたのですが、ビーチに行くと誰も泳いでいないし、少々風も涼しい感じだったので、海に入るのはちゅうちょしていました。しかし折角ここまできて入らないと、それも後悔するので、勇気を出して入りました。水中に入っていれば、我慢できる位の水温で、上がってからすぐ水気を拭かないと寒い・・・という感じでしょうか。魚も、あまり発見できず、思い描いていた図は展開しませんでした。あとで知ったのですが、もう少し寒さを我慢して、沖まで行けば、実は沖はもっと浅く、その境目に魚がたくさんいたようです。尚、我々が入ってから、他の人たちも恐る恐る海に入っていきだしました。みんな、入りたかったのでしょうが、勇気がなかったというところでしょう。(寒くて写真どころではありませんでした)
 その夜、山川先生夫妻と、日本最南端の駐在の島袋さん夫妻に、バーベキュー大会を開いていただきました。お医者さんも一人なら、お巡りさんも一人です。そんな人とお知り合いになれるということは実に光栄です。普通パトカーを見たら逃げようと思うのに、次の日、パトカーを見つけたら、思わず手を振っていました。しかも、最終日の飛行機に乗る前のボディーチェックも島袋さんでした。
 二日目は、まず、昨日の酒を冷ますため、午前中は睡眠にあて、その後、昼食のため、港のおいしいといわれている、八重山ソバを食べに行きました。また港に行く途中、海岸によって、サンゴを拾ってきました。現在、それらは、ウインドチャイム及び箸置になっています。
 午後の釣り大会は、今回のツアーの大イヴェントの一つです。大変楽しみにしていました。しかし・・・天候は、久々の、雲一つない晴天、海はベタ凪でした。しかし・・・前の日の盛り上がり、このツアーの前からの疲労がイッキにでたのか。しかもトラベルミンも飲んだのに・・・船に乗る前に食べた、とてもおいしい八重山ソバを、魚を集めるための“まき餌”にしなければならない結果になりました。船に乗ってから、もう1錠トラベルミンを飲んだのですが、それも、無情にも、海の藻くずと消えていきました。その時はじめて、この海の透明度を、体で感じました。いつまでもトラベルミンが沈んでいくのが見えました。嬉しいやら、悲しいやら・・・しかし、戦いました。おかげで、グルクンという鯵(アジ)よりも淡泊な沖繩独特な魚と、外道ですが、実はおいしい、グロテスクな魚が釣れました。 しかし釣りとしては、残念な結果になってしましました。先導の、玉城さんには、笑顔でニッコリ“これからだよ”といわれました。釣れすぎてもしょうがないので、まあまあというところでしょう。獲物は、埼玉からもっていった、深谷ネギと合えて、グルクンのたたきと、空揚げ、煮付けを作りました。次の日、石垣島の呑屋で、グルクンの空揚げを食べましたが、やっぱり自分たちで釣ったものの圧勝でした。(新鮮さ、自分で釣った、身を呈してまき餌もした!)
 帰りの、石垣までの飛行機は何と九人乗りで、パイロットが、タクシーの運転手よりも近くにいるという飛行機です。まっすぐ石垣島にいけば、海の上なのですが、景色の良い、西表島、小浜島、竹富島等の上を飛んでくれました
 石垣島につき、まず、海中遊覧船に乗ることにしました。あまり人気はなく、乗り場も離れているため、探すのが大変でした。船の底の側面から海中が観ることができ、サンゴ、魚が間近にみることができます。シュノーケリングでこういった景色が見えたのでしょう。
 その後、レンタカーを借りて、またしても、時計回りに、石垣島一周を行ないました。川平湾の売店でほら貝を見つけてしまいました。そのほら貝は今日加工して、現在は楽器になっています。装飾品としては高いものですが、楽器部品と思えば安いものです。領収書も、楽器部品と書いてもらいました。高い買物をしたので、無料で、3ショットもきれいなおネーさんと写真を撮ってもらいました
 八重山ヤシ群生地は、まるでジャングルのようなところで、神秘的でした。ただ、もう少し道案内を簡略にしてもらいたいとも思いました。
  そんなこんなで、この夜、いつものように飲んで、次の日、群馬・埼玉に帰りました。帰りの石垣空港で、巨大エビを発見してしまいました。明日食べるので、現時点では、味はまだわかりません。(後日付け加えます。お楽しみに)
 帰りの飛行機は、直行便とはいっても、一度、宮古島によって、給油をして、それから東京に向かうというものでした。実に時間のむだ遣いです。しかしながら、きっと色々な条件でやむを得ないことなのでしょう。賛否両論あるのでしょうが、もう少し便利にする方向で政治が動いても良いと私は思います。宮古島までの飛行機が、未だかつての飛行機経験の中で一番ゆれたのでそう思うのかもしれませんが、何で、宮古島に行かなければならないのかと思ってしまいます。聞いてないよ〜という感じでした。
 その後の八重山地方は天気が大荒れだったそうで・・・私が波照間にいた三日間、晴天であったこと、急患がでなかったこと・・・実に私は、晴れ男を通り越して、ラッキー男なのではないでしょうか。
 何はともあれ、目的を達成でき、無事にツアーを終えることができて、ほっとしています。

追伸コーナー
巨大島エビについて
 味は、基本的に、ロブスターと同じでした。しかし、もっと小さければもっとおいしいのでしょう。でも大きさで満足しました。
・南十字星について
 我々が行った3月は、午前1時頃に 南の水平線に現れていたようです。見に行くことは不可能ではないのですが、見ることのできる南海岸まで、徒歩ではいけません。(真っ暗)天体観測のできる時間の7:30から9:00のあいだに見ることができるのは5・6月だそうです。館長さんのくだらないギャグは不必要ですが、どうしても南十字星が見たいのならその時期に行くことがベストでしょう。
・杉のない世界
 沖繩には杉がありません。従ってスギ花粉症はありません。しかし、スギ花粉のない楽園と思ったら大間違いです。ブタクサと思われる植物が猛威をふるっていて、花粉症の私としては、かえってつらい思いをしました。
ほら貝について(音・・・島田演奏、613k使用、MP3プレーヤーが必要です)
 ほら貝は基本的に自然倍音で言えば基音と第2倍音を操るようなものだと思います。本物のほら貝を吹いたことがないので何ともわかりませんが、私の楽器製造能力と、金管楽器演奏能力から推測すると、そのように考えられます。
・学生最後
普通、大学卒業、結婚、子供の順にいくのですが、身近にひっくり返しの人もいます。