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ラオスへようこそ!
ルアン・パバーン

はじめに|ビエンチャン =(街を歩く|独立記念塔|メコンの夕日|中国的世界|マーケット|ワット、ワット、ワット|百万 "僧" の国)|ルアン・パバーン =(空から|プーシーの丘|王宮|メコンと夕日|ランプとロウソク|路地で)|タイムトラベルリンクおわりに

はじめに

大河メコンをラオスからも見たいと思い、94年11月のディーパバリ・ホリデー(シンガポールのインド人の正月)に、首都ビエンチャン(2泊)と、古都ルアンパバーン(1泊)を駆け足で見聞した「ちょっと旅」の記録です。

私の写っている写真にはの印が付いています。見たくない方はスキップしてください。

首都ビエンチャン


ラオスの古名「百万象の国」のゾウ(リンク画像:Tシャツのデザイン)

機窓からのメコン:バンコクに一泊してからラオスに入った。時間の無駄だが、それ以外に方法はなかった。離陸後一時間ほどで、メコンが見えてきた。川を越えると、そこがビエンチャンだ。

ホテルの窓からのメコン:ラオスの古名で「百万象の国」を意味する、ランサーンというホテルに泊った。飛び込みで一泊50US$。部屋にはロシア語表示の巨大なエアコンがあった。

街を歩く

近くの国営旅行社(この建物の左に入り口があるが写っていない)に、ルアンパバーンへの一泊旅行を手配して、街を歩いた。近くの寺巡りをしてから、街のランドマークになっている独立記念塔まで歩くことにした。

タクシー()が寄ってきて、乗らないかと声をかけてくる。歩いて街を撮影したいというジェスチャーをすると、たいてい、あきれた顔をして去っていく。

大きな通りには街路樹があり、同じフランスの植民地だったベトナムに似ているが、人も車も少ない。旧式のシトロエン車が捨てられたように木陰に停まっていた。ノスタルジックな風景だった。街路樹はピンクの花をつけているものがあり、満開であった。

小学校があったのでのぞいて見た。こちらは教室の子供たち。こちらは並んで下校する子供たち。後者では、男の子たちは私に興味を示したが、女の子たちは見事にそっぽを向いた。

高校では、太鼓ばかりのバンドが行進の練習をしていた。女生徒はシンというスカートのような民族衣装をつけている。シンは街でも普通に見られる。

学校があるからというわけではないだろうが、食べ物の屋台がいくつあった。こちらにいた女の子は、シャッター音に、笑顔で振り返った。

独立記念塔


記念塔アーヌサワリーの象(リンク画像:天井画(どこにいるかわかる?))

歩き疲れたが、パリの凱旋門を模した記念塔に着いた。内部装飾は、一見するとフランス風だが、モチーフはラオス的である。

階段を上って街を一望する()。メコンは確認できなかった。高さが足りないようだ。最上階で、窓から外向きに腰掛けている人がいた。こういうのを見ると、「わっ!」と声をかけたくなるが、止そう。相手を死に至らすとも限らない。

売店で「百万象の国」とかかれたTシャツを買った。売り値が高いと言ったら、電卓を出してきて希望値を打たせた。そのときの売り子のお姉さん

メコンの夕日
夕日を見るためにメコン河岸に出た。対岸はタイである。首都の中心なのに、畑を耕す農民の姿が見られた。私を妙な闖入者とみた子供たちも現れた。まだ日は高い
だんだん太陽が地平線に近づいて()、ゆっくりと音も立てずに(あたりまえだ)沈んで行った
メコンから何度も水を汲んで、畑に撒いているひとがいた。シルエットになってわからなかったが、近づいてみると若い女性だった。隣では、若いお坊さんたちが畑を耕していた。自給自足のためか。
夕日はラオスを離れる前の日にも見た。ホテルの上流に土手があり、大きな木が生えていた。ここから、広くメコンを見渡せた。陽が沈むと、空もメコンもバラ色に染まった。集まってきたラオスの若者のシルエット

中国的世界

日が沈んで、近くのテント小屋で中国劇()が始まった。300席はあり、立ち見もある。拡声器の音量は高く、さきほどまでの静かな余韻は消された。何の祭りなのか、祭壇があり次々に参拝する人が来る。このような伝統は、開放されなかった社会主義の時代にも守られていたのだろうか。(東南アジアに中国人はかなり住んでいるが、(その最たる国がシンガポール)、ラオスにも多そうだ)。

腹ごしらえをしてからまた劇を見ようと、英語メニューがあったレストランで早い食事をした。夜はバーに変わる店のようで、ウェイトレスと"勤務前"のホステスらが、私のテーブルに座った。私が食事の間、何国人か量りかねて、大いに気にしていたようだ。彼女らは中国系ラオス人で、ラオ語とタイ語、それに少し中国語を話した。

マーケット

ドライ・マーケットが街の中心部にあり、電化製品や日用品の他に、織物()や銀製品を売る店がたくさんあった。こちらは乾物屋さん宗教儀式用品の店 。どちらもカラフルです。外には食事をする場所があり、フランスパンを()売っていた。

ウエット・マーケットは離れた場所にあり、(こちらが生活の中心だろう)、様々な食料が集まっていた。魚()、果物野菜コウモリの串刺しやネズミ(?)を売っているひともいた!もっと珍しいものがありそうだが、いろいろなものの匂いがブレンドされた空気を呼吸できなくなり、探求を中止した。

ワット、ワット、ワット


タート・ルアン付属僧院の壁画レリーフのゾウ(リンク画像:レリーフ全体)

ラオスは仏教国なので、あちこちに寺や仏塔がある。まず、元王立寺院のワット・プラケゥ。(エメラルド寺院。エメラルド仏は、今バンコクにある)。ここの装飾や、仏像()は美術品としても優れている。

ファ・タート・ルアン。聖なる大仏塔。仏教だけでなく国の象徴になっている。特異な造形物で、紀元前に建立された伝説があるが、アンコール時代の遺物が見つかっており、今の形になったのは16世紀らしい。

ワット・シーサケット。19世紀初めの、タイ軍による破壊を免れて残ったビエンチャンでは最も古いワットとのことだが、建立は1818年なので、新しい。仏像の並ぶ回廊がある。本殿は博物館なので、珍しいものが見られるかと期待したが、そうでもなかった。私に見る目がなかったということか。

対照的なのがが、ワット・シームアンという原色の寺()だった。寺に原色を使うのはラオスだけではないが、地味な建物を多く見た目に鮮やかに映った。ここの仁王様は、配色にも驚くが、小さな子どもが見たら、泣き出してしまうのではないかと思った。

百万 "僧" の国

寺を見学して他の国とは違ったのは、たいてい、若いお坊さんが案内をかって出てくれることだった。たくさんお坊さんに会ったので、ここは「百万象の国」ではなく百万僧の国だと駄洒落た。


ワット・マイの黄金のレリーフの中のゾウ(リンク画像:下記に同じ)

古都ルアン・パバーン


プーシー・ホテルにあった古い観光ポスターのゾウ(リンク画像:ポスター)

空から

ルアン・パバーンへの飛行は、中国製の双発プロペラ機だった。機内の説明表示は中国語。途中、山岳風景が続いた。千メートルに満たない山ばかりのはずだが、平地から屹立している岩峰もあり興味深かった。

メコンが見えたら、ルアンパバーンの町であった。(右手の白い仏塔のある丘が町の中心のプーシーの丘)。ここでもうひとつの川(カーン川)がメコンに合流している。河川交通の要衝の地だ。

プーシーの丘(神聖な丘)

プーシー・ホテルという古くて小さなホテルに泊った。玄関に古い観光ポスターが貼られていて、クラシックな雰囲気だった。庭に蘭の花が咲いていた。

プーシーの丘は100mくらいの高さがあり、メコンカーン川、町を見渡せる。ここから朝日か夕日を見たいと思ったが、木立に遮られている方角もあるので止めた。眺望が良くても、暗い時刻に、鬱蒼とした森の道を登り下りするのは恐ろしい。

元王宮とワット・シェントン
元王宮で、今は博物館になっているフランス風の建物は、修復工事中で敷地にさえ入ることはできなかった。美術品だけでなく、王国の他の地方との交流史のようなものを見たいと思っていたのに残念!


ワット・シェントンのゾウの装飾(リンク画像:全体画像)
(不気味に見えるかも知れませんが、拡大して見ると、そんなことはありません)

ワット・シェントンは1500年代に建立され、1975年に王政が廃止されるまで王室の庇護下にあった由緒ある寺だ。本堂の他に、いくつかのお堂が一まとめになっている。全体としても小さなものだが、本堂の窓()のように贅を尽くしたところが見られる。私はこの象の頭の装飾が気に入った。


窓の装飾絵の中のゾウ(リンク画像:窓全体)

本尊がいつの時代のもので、どんな特徴があるのかわからないが、後背や柱は、色と模様と共に特徴的だ。本堂の東側の壁には、プーシーの丘より高かったという伝説の大樹がモザイクで描かれていた。はて、何の木で、どんないわれがあったのか?


小さなお堂の壁画のゾウ(リンク画像:壁画)
(下手な絵に見えるでしょうが、全体から見ると味があります:中国の農民絵に似てるか?)

モザイクはこの小さなお堂にも使われていた。テーマは宗教的なものではなく、全部普通の人々の生活()らしいところが良い。これらの絵を見ていて、タイでよく売られている山岳民族の織物の図案に共通するところがあると思った。どんな王様が、誰に描かせたのか興味が湧いた。
メコンと夕日

ビエンチャンから400キロ上流の地であるためか、メコンも狭く見える。時間があれば、ボートを借りて舟遊びをしてみたいが、余裕が無いので、川沿いの道を歩いて眺める。あるところに屋形船が停まっており、岸辺には畑があった。別のところではアヒルの一団が泳いでいた。こちらは長期航路の船着場のようだ。ビエンチャンまで船旅をしてみたらどんなに面白いことか、などと思った。

夕日()は、ボートがたくさん停まっている場所で見た。船で生活する人たちの声でけっこう騒々しい場所だった。

ランプとロウソク
夕日の後、ホテルへの道に、いくつも屋台が出ていた。灯りはランプとロウソクで、まるで百年前にタイム・スリップしたようだった。

路地で

ルアンパバーンの朝は寒かった。いつも持ち歩く薄手のシルクのジャケット(主に航空機内用:しわにならず小さく畳めて荷物にならない)ではなんにもならない。朝市を見るのはあきらめて、太陽が高く昇った8時過ぎに、昼までの町歩きをする。

路上にフランス・パン屋さんがあった。お坊さんがパンを買いに来た。それまで、お坊さんは托鉢で食べて、不浄なお金は持たないものだとばかり思っていたので驚いた。

マーケットの中の織物屋さん。店の人の服装を見ると、どんな気候だったか、わかるでしょう。こちらは焚き火をしている子供。寒いから? ゴミを燃やしているだけだろう?

ある家の軒先で、お母さんと子供たちが、果物を分けているのを見た。あれは何だったのだろう。もっと見ておけばよかった。

いくつかのお寺を見て、お坊さんたちが昼食をとる頃、ホテルへの道を急いだ。小さな子がバナナを焼いて売っていた。こちらには、竹(?)筒詰めのご飯を売っているひとがいた。竹筒に入ったご飯は見たことがあるが、この写真は、砂糖キビを並べているようにも見える。

あっという間に旅行は終わってしまつた。もうビエンチャンに戻らないといけない。

タイムトラベル


虎狩りの象(フランス植民地シリーズのカード)

1900-1940頃のラオス(仏領インドシナ)の観光絵葉書コレクションです。

1 ルアンパバーンの娘(1905)2 ルアンパバーンへの道(象に乗って移動)3 ルアンパバーン王宮の踊り子と楽士(1906)4 ラマヤーナ劇(1907)5 王宮の象(1910?)6 ビエンチャンの市場(1934)7 機織をするラオ婦人8 ラオスの婦人(1905)9 ルアンパバーンのメインストリート(1910?)10 ルアンパバーンのカーン川の橋(1906)

7はタイで発行されたもの。8は乳房を出している写真ですが、フランスに多いエロチック写真の系統で多分ヤラセ写真でしょう。
9と10は無理して10枚にするために入れました。ラオスの古い絵葉書は入手しにくいのですが、ビエンチャンやルアンパバーンの街を俯瞰したものがあれば見てみたいと思っています。00.06.18

リンク
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Special Link 加奈子のラオス看護奮戦記国立療養所宇多野病院ホームページ

表紙のリンクコーナーにあるアジアの総合サイトにもラオス情報があります。)
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左右画像:セメントで仏像を作るお坊さんと、それを見る子供(リンク画像:全体画像)

おわりに


ラオス国旗と政府の建物

ラオス、特にビエンチャンでは、目と鼻の先のタイの影響がありました。ホテルで読める新聞(英字紙)はネーションとバンコク・ポストですし、タイのテレビ電波も届きます。街にはタイの歌謡曲のテープが売られており、ラオスのものはほとんどありません。タイの通貨も通用します。
メコン川には、94年4月に、オーストラリアの援助による「友好の橋」が完成(ビエンチャンで売られていた完成記念切手)し、タイとの交流はさらに増していくでしょう。ビエンチャンでは、タイのバスで、寺を巡拝しているタイ人の団体を見かけました。小国が大国の影響を受けないようにすることは困難でしょうが、タイ化することなく、ラオス的なものを育ててほしいと思いました…。

それにしても、百万象の国なのだから、本物のゾウは見られなくとも、ゾウにちなむものをもっと見ておくべきだったと思います…。(今度行ったら、そうしよう)。

緑のラオス1 緑のラオス2・ランサーン・ホテル前の道 緑のラオス3・ビエンチャンの歩道 緑のラオス4・ランサーン・ホテル前の道 緑のラオス(でもないか…)5・ビエンチャンのタクシーからの眺め

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