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Peaceful Cambodia
Naomy's ちょっとアジアへ
カンボジア
カンボジアへようこそ!
Cambodian Beauty
はじめにプノンペンシエムレアプ =(アンコールトムアンコールワットタ・プロムバンテアイ・スレイ)|タイムトラベルリンクおわりに
はじめに

これは’94年2月の旧正月(東南アジアでは普通チャイニーズ・ニューイヤーと呼ぶ)に、首都プノン・ペンと世界的な文化遺産であるアンコール遺跡群を訪ねたときの記録です。

私の写真を見る前に、ぜひカンボジア伝統舞踏家イム・キムスールさんのホームページ(日本語)をご覧ください。特に「スーのプロフィール」で、ポル・ポトの時代が、民衆にどんなに残酷であったかを知ることが、今のカンボジアの理解に必要です。

私の写っている写真にはの印が付いています。見たくない方はスキップしてください。

首都プノンペン
ゾウ
ワット・プノムのゾウ(リンク画像:象とパゴダのある風景)

ホテル : 最高級? 窓からはこんな風景が見えた。手前の建物はホテルの駐車場だが、奥のひとつは外務省のオフィスである。空を見てほしい。乾季の空だ。

このホテルで旧正月の元旦を迎えたが、その日の朝、いくつもの爆発音が聞こえたので少々緊張した。しかし良く聴くと、爆竹の音であることがわかった。まぎらわしい。


王宮 : 王宮前広場から、式典の演壇にも使われる入口の建物。左手に見える尖塔は即位殿。残念ながら、どこにも入ることはできなかった。記念撮影くらいはしておこう。広場を隔てたところにはメコン川の分流であるサップ川が流れている。

夕日: 太陽が王宮にかかる位置に移動、空全体が紅く染まるのを待つ。それから周辺を見物して、早々にホテルに戻った。ストロボを使って撮影してもよい場面もあったが、目立ってはいけないと思って控えた。(ずいぶん緊張していた)。


シルバー・パゴダ : 王宮隣の、6トンの銀を床に敷き詰めた寺。宝物を展示している。この寺を囲む回廊の壁には、壁画があるが、内戦の影響で傷んでおり、ほんの一部だけ修復中[]であった。

ワット・プノン(丘): ペン婦人が川に流れついた仏像を祭るために建立したといわれる「プノン・ペン」の由来になった寺。30mの丘にある。これは登り口:物乞いが多い。丘の周囲は公園で、象の背中に乗って一周するのが人気だ。

ゾウのオブジェ
国立博物館のゾウのオブジェ(リンク画像:全体極小画像)

国立博物館 : 赤いカンボジア様式の建物に、アンコール遺跡などから発見された石仏や彫刻が展示されている。アンコールの偉大な王ジャヤヴァルマン七世の像もある。(同じ像をラオスのビエンチャンで見て、王の支配力の大きさを思ったことがある)。

市場 : 中央市場は正月のために閉まっていたので、様子はわからない。近くに、小さな店や[]、路上マーケットを見つけたが、クローマーという布を頭に巻く人を除けば、周辺国の風景と変わることはない。

ツォール・スレン博物館 : 元学校で、ポル・ポト時代に監獄となり、ここだけで一万人以上が拷問の末、処刑されたという。拷問器具や血の付いた床や壁をそのまま残しており、虐殺の規模を示す頭骸骨を並べて作ったカンボジア地図が展示されている。レンズを向ける気にはなれない。代りに、Cambodian Auto-Genocide Page頭骸骨の地図の写真をどうぞ。

メコン川: ホテルの裏辺りでトンレ・サップ川がメコン川に合流している。夜明け前は、漁に忙しい小船がたくさん見える。少し雲があって、水平線から昇る太陽は見られなかったが、金色に光る大河を見ることができた。


獅子舞 : 中国系住民は多いようで、正月を祝う獅子舞の一団がトラックで街を回っていた。これはトラックに集まってきた子供たち。獅子は、頼まれた家の前での舞を披露[]、口で謝礼を受取るのだが、あるときは二階からぶら下げたお札を、肩車をしてもらって咥えた

人、人、人: 夕方、王宮広場前の道路は人、バイク、車で大混雑した[](川に面する通り)。何があるのか?

ベビーブーム: プノン・ペンには小さな子供が多いとの印象を持った。この写真を見ると「なるほど」と思われるでしょう[]。

ホテルから王宮前広場に続く大通りの楽しそうな賑わいを写した。と思ったら、右側に、杖をついた男が通行人の女性に手を差し伸べている(多分、金を乞うている)姿も写っていた。今回の旅では、戦場あるいは地雷で足を失った人を何人も見た。アンコール遺跡には所々に地雷注意のサインがあった。今も埋まっている地雷の問題は深刻らしい。こんなTシャツ屋に並べられた地雷注意のTシャツも笑って見られなくなる。

ゾウのお尻

ゾウのお尻(^^)(リンク画像:子供たちを乗せるている象)

シエムレアプ − アンコール遺跡へのゲートウェイ

アンコール遺跡観光は、プノン・ペンから空路約30分のシエム・レアプが基点である。機内で、日帰り観光をするという日本人ビジネスマンと一緒になった。土木関係の仕事で滞在中らしく、カンボジアの橋や道路について、日本のどの会社が工事を請け負っているかを、あるときは嬉しそうに、またあるときは悔しそうに話しておられた。機窓からは、雨季にメコン川の水を貯えるトンレ・サップ湖が見えていた。

泊った町の外れのホテルにVIPの来訪記念写真が掲げられていた。上はタイのシリトーン王女。左は国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)代表(93年当時)の明石康氏である。家族で休養に来ておられたらしい。私の旅行当時でも、こんなUNTACのTシャツが売られているのを見かけた。

町はとりたてて特徴があるわけではない。中央を流れる川で、女たちは洗濯をし、男の子たちが水浴び女の子たちがなわとびをしていた。この女性は水浴中であるようだ。見られることは気にしていないようだが、ジロジロ見続けるわけにもいかないので、写真を撮影してその場を去った。(見続けるより、悪い!)。

城都アンコール・トム
象のテラスのゾウ
象のテラスのゾウ(リンク画像:全体極小画像)

大きな都の意味がある。周囲12キロの環濠都城。東西南北にクメールの謎の微笑みを湛えた仏顔塔の城門がある。シエム・レアプに近い南門には陸橋があり、欄干は神蛇の胴体を掴んで綱引きをする神々の巨像が並ぶ。これは蛇の尻尾だろう。門は村人の往来に使われており、自転車でこんな "食料" を運ぶ人が通り過ぎて行った。

バイヨン寺院 − 謎の微笑
アプサラ
バイヨンのアプサラ(リンク画像:別の角度からの全体画像)

アンコール・トムの中心寺院。仏教での世界の中心・須弥山(メルー:チベットの聖山カイラスのこと)を象徴するという。一見すると岩塔の集合だが、よく見ると、塔に張りついた仏顔が微笑んでいる。[望遠:]、[近接:]。人呼んで "バイヨンの微笑"。当時の王に似せた観世音菩薩といわれる。

仏顔は、眼を閉じたものが建立当時のもので、眼を開いたものは後期のヒンドゥー教徒によってシバ神に改変されたものとのこと。(写っている人物は銃を持つ警備兵)。

寺の基壇には、当時の王国の様子を物語るレリーフが、数時間の観光では見切れないほどある。ちょっとだけ、私のガイド氏と、寺で遊んでいた女の子たちの紹介を兼ねてお見せする。よくわからない? 当時の都の生活や戦争の場面がたくさん描かれています。

女の子の一人は、入口の土産物屋の子で、私が観光し終わったら店に案内する役のようであった。私が舞姫のレリーフ[]を撮影していると、こんなふうに踊りのポーズをとって私を喜ばせてくれた。彼女たちを撮影した中で、出来上がった写真を見て驚いたのは、この一枚である。女神像の顔にそっくりだ。クメールの女神が甦った!(重要な注:私は彼女に、窓に上がってポーズをとるようになどとは頼んでいない)。

こちらも同じ女の子たちを撮ったのだが、なかなかいい感じの写真になった。

アンコール・ワット − 世界最大の石造寺院
アプサラ
アンコールワットのアブサラ(リンク画像:全体画像)

この遺跡は "西方浄土" に向けて建立されているので、午後の観光に適する。この場所から、中央神殿の尖塔(やや中央)、大門(左)、環濠(手前)が見渡せる。中央神殿は、アンコール・トムと同じように、須弥山であり、大門のある塀はヒマラヤ、そして濠は海を象徴するそうだ。

入口から濠を渡る西大門への参道である。ここから一気に中央神殿までを案内しよう。門を通過すると神殿の全容が見えてくる。参道の左右にはがあり神殿を写している。第一回廊を過ぎ、階段を登って第二回廊のある層の内側に出て中央神殿を見上げる。最後の急な階段を登ると五本の塔の下に達する。(中央塔下の私)。

この遺跡は比較的保存のための補修が行われているそうだが、近年になってできたと思われる腐食や破損も見られ、内戦の様子を窺わせる銃痕もあった。

ここは夕方まで見学していたのだが、夕日は天候の具合で期待はずれだった。(1:池に映る夕日2:ナーガ(蛇)の欄干と夕日3:バラ色に染まるアンコールワット)。いい撮影位置も見つけられなかった。やはり、プノムバケンの丘に登るか、アンコールワットがシルエットになる東側に行くべきだったかも知れない、と考えながらホテルに戻ったら、西の空はより紅色になり、やがて不思議な光彩が現われた。惜しいことをした。

アプサラ(天女)または デヴァター(女神)
アプサラ
アンコールワットのアブサラ(リンク画像:全体画像)

アンコール・ワットは、壮大な石造建築という点からも見る価値はあるが、回廊に施された無数のレリーフも見事である。私は、特にアプサラやデヴァターと呼ばれる女性たちの優美な姿に感嘆した。これらを見るだけでもアンコールを訪れる価値はある。

一人像[]、二人像[]、三人像[]、
四人像[]、五人像[]、
六人像[](四と二)この画像を見ると、アプサラがどんなふうに配置されているかがわかる。大きさは等身大よりやや小さいくらいだろうか。

 注:アプサラとデヴァターの違いについては、花冠をつけているものをデヴァター(女神)、それ以外をアプサラと呼ぶ例もありますが、区別せずにどちらか一方の呼び方をする文献もあります。

伝統舞踊
アプサラの舞い
アプサラの舞(リンク画像:全体画像)

別の日、ロリュオスの遺跡群を訪ね、シェム・レアプに戻ったら、ガイド氏がアンコール・ワットの正面テラスで伝統舞踊学校の生徒によるパフォーマンスが行われると聞いてきたので、駆けつけた。途中からの見学になったが、ガイド氏も見る機会は少ないという舞台を見る幸運を喜んだ。

正面テラスの舞台:子供たちの踊り[]、大人(先生?)の舞[]。観客は地元の人がほとんどだ。

出演者:全員先生若い女性(不運にも、彼女の舞は見ることはできなかった)。終わり近くになって、観光客も50人くらいになった。

参道を帰る出演者たち:[

95年の暮にNHKの「アジア発見」という番組で、この舞踏学校の紹介があった。番組では、私の見た以外の女性が中心に紹介されていたが、生徒が増えたということだろう。



ロリュオス遺跡群の象の像(リンク画像:と像)

アンコール遺跡観光は、アンコール・ワットとアンコール・トムだけで終えてしてしまう場合もあるようですが、それではもったいない。次の二つをぜひお薦めします。

タ・プロム寺院
アプサラ
タ・プロームのアブサラ(リンク画像:全体画像)

約百年前にフランス人が発見してから、あえて修復をしないでおかれている寺院。スポアンという熱帯性の大木が石積みの建物を覆い破壊していくさまが見られる。地表に出た何本もの大木の根は人間の体よりも太い。

乾季であるのに、苔むしている[]。樹木が日光を遮っているからだろう。静寂なしっとりとした雰囲気が漂っている。薄暗い通路をたどって中庭らしいところに出ると、銃を持った警備兵と顔を合わせてギクリとする。相手も同じだったかも。

車を停めた場所で可愛い子供たち[]にカンボジアの布を買ってくれないかと頼まれた。必要ないが、最初に来た子から一枚購入することにする。その布は後で、流れる汗を拭くのに重宝した。

バンティアィ・スレイ寺院
顔の欠けた女神
(おそらく盗掘のために)顔の欠けた女神(リンク画像:全体画像)

アンコール・ワットの原形になったといわれるヒンドゥー寺院。紅色の砂岩で建てられている。女人の館という意味があり、中央塔に守護神である少年[]が8体、南北の塔には、女神[]が計16体彫られている。これらの女神は東洋のモナリザと呼ばれる。上部に施された神話レリーフ[]も細やかで彫りが深い。

この寺院はアンコール・ワットから(背景は帰途見学したプレ・ループ寺院)で一時間ほど離れた場所にある。治安は良くないそうで、寺の入口で、銃を持って巡回している兵士たちに会った。行きは、こんな農村風景が見られたが、帰りは、伐採した大木を運ぶトラックが土煙をあげて走っていた。道路が痛んで雨季に通行不能になる理由がわかる。


バンティアイ・スレイのレリーフの中の象(リンク画像:周囲のレリーフ)

タイムトラベル

WW2以前、20世紀初頭のカンボジア(当時は仏領インドシナ)の観光絵葉書コレクションです。とりあえず10枚だけ並べてみました。(●にはゾウがいます)。

●1●4(こだわりの1枚) New!●8●10

4は象のテラスと本物の象の写真です。こんなカードが欲しかった!、5と6は密林に覆われたアンコール・トムですが、シャム(タイ)がアンコール地方をフランスに割譲した1907年までは、どの遺跡も(多分写真のように)荒廃していたそうです。

リンク
写真を撮られるひと

Reviewed 00.09.03

カンボジア王国政府観光局 || 在日本国カンボディア王国大使館 || 在カンボディア日本国大使館 || 日本国政府アンコール遺跡救済チーム || 慶応大学アンコール遺跡修復プロジェクト|| 上智大学アンコール遺跡国際調査団 || 早稲田大学アンコール建築(カンボディア)の調査
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表紙のリンクコーナーにあるアジアの総合サイトにもカンボジア情報があります。)
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左右画像:王宮前の写真屋さんの仕事風景(リンク画像:全体画像)

写真を撮るひと(写真屋さん)

おわりに

 Peaceful Cambodia

Peaceful Cambodia

お坊さんに寄進して合掌する人(プノンペン)

カンボジアにはタイ国境近くにバンティアィ・チャマールという、バイヨンやアンコール・ワットに匹敵する遺跡が眠っているそうです。今はポル・ポト支配下にあるため、旅行は困難ですが、早く平和が来て、自由に訪ねることができるようになることを願っています。(96.10.13記)。

旅行した当時、ガイド氏から、カンボジア(特にシェムレアプ周辺)が最も安全だったのは '91-'93 年の国連軍(いわゆるPKO)が駐留していた頃で、UNTACによる選挙が終ってからは段々に治安が悪くなってきたという話を聞いて、日本の新聞が自衛隊のPKOで "カンボジアは危険" と大騒ぎしていたのとは正反対の "現地感覚" に、そういうものかも知れないと妙に納得したのですが、その後の報道などによれば、ポルポト派は壊滅状態となり、国内政治も安定に向かっているようですが、はて、一般のひとたちの生活はどうなっているのでしょうか。(99.03.07記)。

シクロ1 シクロ2 シクロ3(ハードロック・カフェならぬロックハード・カフェの装飾用) シクロ4 シクロ5
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