|
はじめに
|
-94年5月に東南アジア三大仏教遺跡であるパガンを見てきました。ビルマは、かのアウンサンスーチー女史が軟禁状態で自宅から一歩も出られなかった(当時:今でもほぼ同じ)ように、政府の民主化運動に対する弾圧、妨害などの報道から、暗い重苦しいイメージがあったのですが、運がよかっただけなのか、にこやかなひとたちにたくさん会って、お気に入りの国のひとつになってしまいました。
このページでは、「ミャンマー」ではなく「ビルマ」のように、旧来の国名・地名を優先して使用していますが、これは改名を行った軍事政権が嫌いだからというわけではなく、単に私に馴染んだ名前を使ったにすぎません。しかしながら英領だった国が、「どうして車が右側走行なのか」とガイド氏に聞いたら、「以前は左側走行だったが、政府は英国が嫌いで、ある日突然、右側走行に変更した」などと聞くと、改名も社会を混乱させるだけで、政府は本当に必要なことをしているのかと疑問に思うことはあります。
私の写っている写真には
の印が付いています。見たくない方はスキップしてください。
|
ラングーン(ヤンゴン)
|
空からのラングーン(黄金のパゴダが小さく小さく見える)
シュエダゴォンパゴダ(ミャンマー仏教の総本山)。参道には参拝者のための店[1、2]が並んでいる。回廊にはたくさんの仏様と神様が奉られている[1、2、3]。
回廊からゴダを見上げる。熱気の中ですっかり日が沈むまで眺めていた。
スーレーパゴダ(ラングーンの中心で、ビルマの道路起点)周囲で幹線路がロータリーとなって交差している。
ボータタウンパゴダ(仏陀の遺髪が収められていることで知られる)
チャウッタヂーパゴダの寝釈迦仏(世界最大:高さ約18m、長さ66m)、その足の裏:動物やら何やらのレリーフがある。(象はいないかと、このページを改装するときに、拡大して丹念に調べたのだが、いなかった…)。
ラングーンは、早朝の街だけでも歩いて見たかったのだが、ホテルの玄関が開かなかったりして(笑)できなかった。残念なことをした。
|
ペグー(バゴー)
|
|
パガン(バガン)
|
アンコール、ボロブドゥールと並ぶ世界三大仏教遺跡のひとつ。私の旅のハイライト
四大寺院(ガイドによる)
シュエズィーゴンパゴダ(ビルマパゴダの原形)
パビリオン、夜景
ゴードーパリィン寺院(イラワジ川の近くに立つパガンで2番目に高い寺院):近景、テラスからイラワジ川を望む。
イラワジ川: ボートで川を遡上したら、村の人たちが水を汲みに来る風景とか、水遊びをしている子供たちが手を振る風景が見られた。遺跡はあまり見えなかったが、やっとシュエズィーゴンが見えてきた頃に日が暮れかけてきたので出発点に戻った。
イラワジ川対岸の村 − 途中、対岸に寄ってみたら、村の子供たちが集まってきた。例えは悪いが、野犬の群れに襲われたような気になったが、彼らはとてもフレンドリーだった。
ポパ山[1、2]:パガンから50kmの距離にある不思議な山だった。
登り口での私。頂上からポパの街を望む。パガンにはこの山を背景に地元の神様(ナッ神)が奉られていた[1、2]。
|
マンダレー
|
マンダレーへの道:人と荷物を満載して走るバスと乗合馬車(観光用ではない)。暑季であったので、火炎樹が満開だった。
王宮: オリジナルは石の城壁を除き第二次世界大戦で失われてしまった。今は復元された建物が立っている。ウォッチ・タワーから王宮の俯瞰、
王宮の中で、そして
外堀にて。
マンダレーヒル: 丘の上にはこんな
建物があり、夕日を眺めるのに適している。こんなふうに、遥かなイラワジ川に反射して沈んでいく夕日(大きな画像) が見える。ここには写っていないが、ずっと右手に兵舎のような大きな建物が見えたので、ガイド氏に聞いたら刑務所だと言う。たくさん囚人が入りそうだねと、ふと言ったら、「ほとんどいない」と明言して口をつぐんだ。アブナイ話をしてしまった。
ザガイン:郊外の街にこんな形のパゴダがあった。美しい王妃の胸をかたどってつくられたといわれている。
マンダレー・マリオネット: 小さなバンブー・ハウスであやつり人形を主に、歌、踊り、竪琴のカルチャーショーが行われていた。
|
ビルマ・スケッチ
|
タナカ: 小さな子供、女性に多く見られる化粧兼日焼け止めの風俗。女の子の写真ばかりをお見せする。[1、2、3、4、5、6、7、8(赤ちゃんだけね)。みんないい顔をしてくれた。これはタナカの原木からクリームをつくっているところです。よろしければタナカの無い女の子もどうぞ(^^)。
祭り: 満月の日にいくつもの仏教行事に出会った。これはその行列の先頭、そして着飾った女たちの列が続く。[1、2、3、4]。
得度式: 男の子の重要な出家の儀式。主役の男の子も、お付きの女の子も、きらびやかに着飾って寺に赴く[1、2]。(男の子の写真が無いので、「女の子ばかり撮ってたのだろう」と想像されるかも知れないが、そんなことはない。技術的な問題があったとだけ述べておく)。
一休さん: 出家した男の子たち。托鉢姿で、寺から外に、食事の施しを得に出かけるところ。お坊さんは、午前中しか食事ができないそうだが、遅い午後の祭を見物していた "一休さん" たちは、とても元気だった。
水: パガン付近は砂漠気候である。サボテンが生えている。近郊でユネスコがつくったという大きな井戸を見た。村人が水を汲みに来る。小さな男の子が、タンクを積んだ大きな牛を軽々と操って来て、何でもないという顔をして去って行った。
大理石: ビルマの仏像は大理石でできているものが多い。マンダレーの近くに産地があり、マンダレーに仏像を彫る工房がある。私がのぞいた工房では、若い男性が鑿をふるい、若い女性が磨いて仕上げていた。
寺に寄進をする: シュエジゴンで寄進の勧めに応じたら、境内中にある拡声器を使って私の名前・住所・寄進額を朗々と読み上げてくれた。これはお礼にもらった「証明書?」。何が書いてあるのか?
写真屋さん: ビルマでカメラは貴重品だ。観光地でビルマの人は写真屋さんにいくばくかの金を払い撮影をしてもらう。そして後で取りに来るか、送ってもらう。写真屋さんは目立つ場所に見本を展示している。彼らの作品[1、2]を見るのは楽しい。澄ましたり、気取ったり、緊張したりしているビルマの人が見える。私も私のカメラで、にわか通訳のビルマ美人と一緒に
私の写真を撮ってもらった。
|
レトロなビルマ アールヌーヴォーもどきの絵(レタッチしました)。 |
|
タイムトラベル New!
|
ビルマは戦前 Land of Sawdusts and Spangles (おがくずと金箔の国)と呼ばれたくらい製材業が盛んで(今でもそうらしいが)材木の運搬には象が遣われていました。
見かけたら手に入れるようにしている戦前のビルマの観光絵葉書を10枚ほどを並べてみました。いずれも1920年前後の着色写真です。写っている街の様子は私が行った1994年と、そんなに変わらないような気がします。
1 政庁の屋上からラングーンの眺望|2 ラングーンの眺望(港)|3 モスク(ラングーン)|4 寝釈迦(ペグー)|5 アーナンダ寺院(パガン)|6 ビルマの王子と護衛|7 ビルマの王女|8 プウェ(ビルマの舞踊)|9 ビルマ美人|10 カチン族の娘|
1は現在の税関?の屋上からスーレーパゴダ方面を望んだもの。5のアーナンダ寺院は建物だけで人物が写ってないので最もつまらないですね。7のビルマの王女は、よく知られている写真でガイドブックや歴史書で使われていることがあります。8のプウェはナッツ神の祭りのことだそうです。10のカチン族の娘の絵葉書は、日本語で郵便はかき(はがきではなく、はかき:1933年以前の呼び方)と印刷されており、表面記載部分も3分の1(1918年以前)、手で彩色が施されており、AMERICAN BAPTIST MISSIONARY UNION, BOSTON の文字も見えるので、1910年前後に米国のキリスト教伝道協会が、在ビルマの日本人写真師に作らせたものだと思います。そんな時代に日本人写真師がいたのかと怪訝に思われそうですが、当時アジア各地には、そんな日本人がたくさんいました。かなりの数は日本のスパイだったという証言もあります。
古い時代のビルマの絵葉書は特に熱心に集めるつもりはありませんが、1910年頃ラングーンの日本人娼館内で撮影された日本人女性(いわゆる、からゆきさん)たちの絵葉書があることを確認しているので、なんとか入手しようと考えています。
ありふれた写真ですが、写っている女性たちの髪にたいてい花が飾られているのを見ると、そういえば旅行をしたときにも、祭でもないのに髪に花を飾っていた女性が多かったように思えたので、Land of Beauties with Flowers in Theis Hairs (髪に花差す美人の国) と呼ぼうと考えたのですが、自分の撮った写真で検証したら、飾っていないほうが多かったですね。でも、もう1度行けたら100人くらいを、よく観察してみたいものです。(笑)
|
リンク
|
|
Reviewed 00.08.27
日本語
"なんていい国ミャンマー"(このタイトルいいですねぇー(^^))By
よしこさん
ミャンマー往来
|| アジアの黄昏(ミャンマー情報)
|| ビルマへの手紙 || ミャンマー政府公式日本語版ホームページ
英語
"Myanmar
- The Land Of Pagodas"
Myanmar Home Page (The
Golden Land) || Free Burma
-
(表紙のリンクコーナーにあるアジアの総合サイトにもビルマ情報があります。)
-
|
|
おわりに
|
マンダレー近郊ザガインの大鉄橋とイラワジ川:
第二次世界大戦の戦場で右奥のザガイン・ヒルには日本人が建てたパゴダもある。
(ザガイン・ヒルから見たザガイン鉄橋)
「ビルマ・メロメロ」という言葉がビルマでの戦争体験者の間で懐かしく語られているそうです。ビルマで英軍捕虜としての経験のある会田雄次氏の著書(「回想のアーロン収容所」−「アーロン収容所」の続編)で知りました。両方の本に描写されている古いビルマは、私の旅行当時にもたくさん残っていたような気がします。(きっと今でも)。
旅行当時は特に暑い時期で、ベンガル湾で発生した熱波が一帯を襲い、インドでも死者が出たことが伝えられており、パガンの遺跡見学は午前中と、午後は4時からで、それでも火傷しそうになりながら寺院の石のテラスを歩いたことを思い出します。(寺院は下足では上がれない)。そんなわけで、ビルマ・メロメロな気持ちがわからないでもありませんが、私のビルマは「ビルマ熱熱」(アツアツでも…ネツネツでもいいや)ということになります。