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はじめに
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99年9月、フランス・リヨンのアンティーク・ディーラーから仏領インドシナ製の「日本人女性がテーマの絵葉書(ポストカード)」があるとの情報が寄せられ、送ってもらったものを見ると大部分は日本で撮影された芸者/美人ものとは異なり、インドシナで撮られたもののように思われました。もしかしたら明治・大正期に海外各地に渡った「からゆきさん」かも知れません。
もし「からゆきさん」だとすれば、写真資料として、また絵葉書資料として、極めて珍しいものになるので資料の真偽と意味について考えることにします。将来、同様な資料がたくさん見つかる可能性があるので、そのときはこのページが役に立つでしょう。
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謎の日本人女性
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私が入手した日本人女性の絵葉書は1910年前後のもので、ぜんぶで16枚のうち12枚は切手が貼られてインドシナからフランスに送られたものです。差出人も受取人も全部違って(読んでもらったところによれば)通信文は日常の連絡で写真の女性については何も書かれていないようです。
当時、東南アジア各地にいた日本人の大部分は女性で、そのほとんどが売春に従事していたという報告があります。もちろん外交官や貿易関係者の家族として渡ったひとたちもありますが、仏領インドシナの場合、日本領事館の開設、商社の進出はいずれも第1次世界大戦後だったので、それ以前にいた女性たちは、やはり「からゆきさん」ではないでしょうか。
普通「からゆきさん」の写真は本人か家族のもので一般の人に知られることはほとんどないのですが、そんなひとたちが(からゆきさんであると仮定して)絵葉書に登場しているのは驚きで、不思議なことです。いったい彼女たちはどんなひとたちだったのでしょうか?
以下、絵葉書のキャプションと番号(#)に従って並べました。
東京(トンキン)
河内(ハノイ)
[1] 日本婦人(年代不明)(#125, 発行者 P.Dieulefils, Hanoi)
[2] 日本人居住者(1910年)(#225 発行者 P.Dieulefils, Hanoi) New! 9名の和服姿の女性が写っている。
海防(ハイフォン)
[4] 日本人(1908年)(#191, 発行者 農夫と水牛のマーク以外読み取れず)
[5] 日本人(1908年)(#148, 発行者 M.Passigual, Hanoi) 背景が消されているので撮影場所は推定できない。インドシナで撮影されたものではないような気がする。
交趾支那(コーチシナ)
西貢(サイゴン)
[6] 踊る日本婦人(1900-10年)(#70, 発行者 Poujade de Ladeveze) ほとんど[2]と同じメンバーである。右端の2人は[3]と同一で、左端は多分[9]と同一である。彼女らが興じているのが何というのか不明だが、この日本製の絵葉書の女性たちと同じことをしていると思われる。日本のモデルの華やかさを見てください。
[7] エレガントな日本人(年代不明)(#81, 発行者 La Pagode Saigon) New! なんとなくインドシナ撮影ではないような気がする。
[8] 2人の日本美人(1909年)(#112, 発行者 A.F.Decoly, Saigon)
[9] 日本人(1906年)(#115, 発行者 Plante, Saigon)
[10] 可愛い3人娘のひそひそ話(年代不明:日本製のコピー)(#147 発行者 Poujade de Ladeveze) とてもいい写真です。しかし彼女らの表情、服装から「からゆきさん」であるとは考えられません。実は全く同一の日本製の絵葉書(1903年)をもっています。日本製は彩色が施されて芸術品です。インドシナのものは日本製のコピーだと考えられますが、人物部分は日本のものより大きくシャープなので絵葉書からコピーしたものではなく、大判の写真を元にしたものでしょう。1900年代初め日本では高価な土産写真から安価な絵葉書への移行期で、絵葉書写真と同じものが大判の土産写真でも売られていました。そうでなければインドシナのものを日本がコピーして彩色したことになりますが、ちょっと考えにくい話です。
[11] 日本女将(1910年頃)(#152, 発行者 Poujade de Ladeveze)手にしているのは菊の花のようで、消されたような跡がある。日本製のコピーではないか?
[12] 日本美人(年代不明)(#158, 発行者 La Pagode Saigon) New! 松の鉢植えが見える。はてサイゴンで松が育つのだろうか?
[13] 日本婦人(1910年頃)(#163, 発行者 Phenix, Saigon)
[14] ある日本人家庭(1906年)(#165, 発行者 Phenix, Saigon) と左端は[7]、右端は[10]と同じ人物であるように思える。中央の人物は性別不明。全員同年代のようで家族とか家庭とかいうものではない。背景の布のようなものは日除けか?
[15] 日本娘(190?年)(#167, 発行者 Phenix, Saigon) New! 娘(Mousme)という語がそのまま使われている。オペラ蝶々婦人の原作である Madame Chrysanthemum (菊婦人) と書かれているのもあるそうだ。
番号(#)は、いわば絵葉書の商品番号で、まさか全部日本人シリーズということはないでしょうが、探せばまだまだ見つかるように思わせるものがあります。地域的にも、例えば安南(アンナン)の順化(フエ)があっても不思議ではありません。
発行者は7つもありますが、[2]と[6]のように同じモデルが別の地域で別の発行者の絵葉書に登場するので、多分どちらも同じ写真エージェントのストックを利用したものと思われます。そうすると、どちらか(あるいは両方)のキャプションにウソがあるということになりますが、この程度のことは当時の絵葉書にはよくあることで、例えば、同じ女性の写真が、それぞれジャバとマラヤで使われた例があります。また、同じゾウの写真に、それそぞれシンガポール、インド、セイロンのキャプションがつけられて売られてもいます。日本でも、富士山の写真に撮影地とは全く別の地名がつけられているという例が少なからずあります。このような例は収集家としては注意すべきことですが、絵葉書の制作者も購入者もテーマさえ合っていれば、さして問題にしなかったことだと思われます。ただ[10]の例は売るがためのもので明らかにやり過ぎです。
テーマの選択は絵葉書制作者にとって売上に直結する重要な問題だったので、どれも売れると判断して制作したはずですが、インドシナには各民族の風俗を写した、民族学的な興味を満足させるためと思える絵葉書もたくさんあるので、同じように日本女性を登場させたのだと思います。男性のは多分ないでしょうが、これはインドシナには日本女性が多かったという理由もあると思いますが、どの国の絵葉書も男性よりは女性をテーマにするほうが圧倒的に多いものです。
モデルの女性たちは([5][10][11]を除けば)「からゆきさん」ではないかと思うのは、同時代の日本で発行された女性をテーマにした絵葉書と比較すれば一目瞭然でしょう。彼女らが撮影に応じたのは多分報酬がよかったからだと思います。また、海外に出ていたのは日本よりもずっと高収入が得られたからのようですが、大部分は娼館の経営者に吸い上げられたと聞きます。
撮影場所は、[5]は判断材料が不足、[10]は明らかに違っていて、[11]は日本のものである可能性がある点を除けば、いずれも南方のどこか、おそらくキャプション通りインドシナであろうと考えるのですが、どうでしょうか?
発行枚数はわかりませんが、日本で活動しているフランス人ディーラーに見てもらったところ、以前にインドシナ・コレクションを扱ったことがあり、その中に含まれていたと言っていました。それほどレアな絵葉書ではなく、フランスあたりで探せば、1枚20フラン程度で見つかるだろうとのことでした。日本のベテラン・ディーラーにも見てもらったのですが、こちらは初めて見るとのことでした。そのひとによれば日本ではまず見つからないそうで、その理由は「こんなのを送れば、そういうところに行ったと思われるから」とのことでした。そういう考えもありそうですが、日本でみつからないのは滞在者や旅行者が少なかったためもあると思います。
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象が教えてくれた話
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ゾウに興味をもって色々本を漁っていたら、戦前に出た本で、外交官であった人物が書いた「白象」という象趣味の本に「からゆきさん」のことが書かれていたので参考のために紹介します。
「白象」の装丁デザインの中のゾウ(リンク画像:表紙装丁全体)
| 安南虎御前秘話 --- 田澤丈夫著「趣味の研究 白象」(1941年) のインドシナ三題より
虎御前は、名を春美(仮名)と呼び、当年とって35か6、中肉中背いずれかといえば小柄の方ではあるが健康美の持ち主であって、黒目がち憎らしいほど愛嬌に恵まれた天性の美貌麗質は、年よりはずっと若々しく見える。 |
このあと結婚、夫の病死、コーヒー園経営の苦労、成功と話が続くのですが、上記の文章だけでインドシナにもたくさん「からゆきさん」がいたらしいということがわかるので、これくらいにします。尚、娘子軍は「ろうしぐん」または「じょうしぐん」と読み、いわゆる「からゆきさん」のことです。
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参考文献/リンク Updated!
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からゆきさん関係の本は英領海峡植民地(シンガポール)のページにまとめて紹介していますが、それらからインドシナ関連の記述を拾うと、1918年(大正7年)頃のサイゴンには1番娼館から5番娼館までの日本妓楼がたちならんでいたこと、1916年に渡仏した島崎藤村も、サイゴンからの船に乗船した和服姿の日本人女性を見て「こんな外国船によって秘密に海上を往復する同朋の婦人たちのあることを知った」と書いていること、また、1919年の商社員時代の経験から、劇作家の岸田国生がハイフォンのからゆきさんたちをテーマにした戯曲(「牛山ホテル」)を書いていることなどがわかりました。
それらの原典は未読ですが、さらに、このページを見た青木澄夫さんという方から「娼婦 海外流浪記 もうひとつの明治」(宮岡謙二著、1968 三一新書)という本があるということ教えていただきました。「これは、戦前の海外旅行記の中から『からゆきさん』だけを取り上げた奇書とも言うべき本で、大変役に立ちます。」「ここにも仏領インドネシアが詳しく出てきます。」とのことなので、ぜひ読んでみたいと思っています。
青木さんは東南アジアやアフリカ駐在の経験がある海外協力の専門家で、特に日本とアフリカの交流・関係を研究する中で からゆきさんのことも調べておられるそうで、しかもインドシナのからゆきさんの絵葉書も3枚お持ちで、また「アフリカに渡った日本人」(1993、時事通信社)という著書もあり、その中で「アフリカの『からゆきさん』」という研究成果を発表しておられました。
アフリカの「からゆきさん」については、「ザンジバルの娘子軍」という本(未見)があることや「海を渡った日本人」(北上次郎選、福武文庫 1993年)などの著書でその存在は知っていましたが、青木さんの本で「忘れられた世界無銭旅行家中村直吉」(注)や「アフリカに根を張った日本人商人たち」についての話を初めて読んで、明治という時代に遠い地に渡った日本人の想いや、当時の国内外の状況を知ることができました。
「アフリカに渡った日本人」はアフリカ理解のためにいろんなひとにも読んでほしいと思いましたが、私の場合一時期登山計画を練ったことはあっても、これまでほとんど意識外だったアフリカが急に近いものになったような気がします。また、青木さんはアフリカへの経由地としての興味から主に戦前のアジア旅行記、ガイドブック等の資料も集めておられるそうで、著書の中でも一部紹介されていますが、私かどうしても読みたいと思っていた新嘉坡日本人倶楽部発行の「赤道を行く 新嘉坡案内」(昭和14年)もお持ちのようなので、いつかぜひ読ませていただきたいと思っています。
(注) 「アフリカに渡った日本人」に書かれている「忘れられた世界無銭旅行家中村直吉」が、TBS「世界ふしぎ発見」で'00年3月18日と25日の2週に渡り紹介されるそうです。からゆきさんの資料も出るらしい? ぜひ見なくては!
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インドシナ観光
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私のHPは旅行をテーマにしているので、それらしい画像を紹介したいのですが、残念ながらたいしたものはないので、代りに、かなり力を入れて集めているゾウの絵葉書から、ラオスとカンボジアのゾウを紹介します。
インドシナについては、フレンチ・コネクションを通じて古い時代のアンコール遺跡関係を集めてみようかと思っています。
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おわりに
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からゆきさんの絵葉書はゾウの絵葉書について問い合わせていたときに、ふと飛び出してきたもので、私がアジア、いやゾウに関心がなければ、そのままフランスにとどまっていたことでしょう。彼女らが、こんなところで紹介されて、どういう気持ちになるのかは想像できませんが、これをきっかけに日本とアジアの関係について理解が深まればうれしく思います。(個人的には、またペトナムに行きたくなってしまいました)。
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Naomi Suzuki![]()