<残像>
 
 
 

「おーい、シンジ。入ってもいいかぁ?」

ここはシンジが入院している病室。使徒の迎撃に単独で就かざるをえなかったため、負傷したのである。アスカはいまだエヴァとのシンクロを果たせず、レイは弐号機のコアに吸収されたアスカを現世に引き戻すため、自分の存在と引き換えに消えた。エヴァのパイロットは自分一人だけ。そんなやりきれない状況の中、ただ体力の回復を待って悶々とした日々を送る毎日。どうしても気分が沈みがちになるシンジであった。そんなシンジを三馬鹿トリオの一人、相田ケンスケは見舞いにやって来たのである。

「どうしたんだよ、シンジ。元気ないじゃないか、もう怪我の方はだいぶいいんだろ?」

暗い顔をしたシンジを見て、ケンスケは励ます。

「うん。あと一週間ぐらいで退院できるんだって…。でも、不安なんだよ、みんなを助けることなんてとてもできないんじゃないかって…。アスカはまだリハビリ中だし、綾波はこの世にもういない。いままでは三人力を合わせてどうにかやってこれたけど、一人でやったらこのざまだろ? 自信がないんだ…」

そんな弱音を吐くシンジに、ケンスケはさらに励ましの言葉をかける。

「そんな弱気でどうするんだよ。お前ががんばってくれなきゃ、委員長をはじめ、トウジやクラスのみんなも疎開でまた散り散りバラバラさ。もう会えなくなるんだぞ、それでもいいのか?」

「ごめん…」

シンジはうつむいて返す言葉もない。

「あーあ、そんなに深刻に考えるなよ、って言っても無理だよな。それよりクラスのみんなから、おまえ宛てのビデオレターを預かってきたんだぜ。これでも見て元気出してくれよ」

そう言ってケンスケは、持ってきたモニター付ビデオをシンジの寝ているベッド横の台の上にセットし、スイッチを押す。そして自分もパイプ椅子を見つけてきて、ビデオを見ているシンジの邪魔にならないよう、病室の窓辺の近くに腰を下ろした。ビデオのモニターの中では委員長をはじめ、普段はあまり付き合いのないクラスのみんなが思い思いにシンジに声をかけてくる。その顔にはみな一様に笑みが浮かんでおり、シンジが頑張ってくれていることに対しての感謝の言葉がつづられていく。シンジが負けることへの不安など微塵も感じさせないものだった。

…みんな、こんなに僕を信頼してくれているんだ…

シンジは何だが胸が熱くなる。そして同時に目からも涙が一粒、二粒と流れ落ちた。やがてビデオは終わり、モニターの画面にノイズが走る。けれどもしばらくの間、シンジはその何も映っていない画面をじっと見続けていた。

「どうだい、少しは元気になったかい?」

いつのまにかケンスケが、パイプ椅子ごとベットの側までやってきている。

「うん、ありがとうケンスケ…。何とか頑張ってみるよ…」

シンジは感謝の意を込めて、ケンスケに礼を言う。

「よかった。時には役に立つこともあるだろ? この趣味もさ。今度は街で隠し撮りしたやつを持ってきてやるよ。美少女編だぜ。それともシンジには綾波や惣流を撮ったやつの方がいいのかな? 水泳の授業のときの水着姿もあるからさ」

シンジに元気が戻ったのに気をよくし、ケンスケはさらに付け加えた。

「そ、そんな…、いいよ!」

シンジの顔は真っ赤。

「ふう〜ん、じゃあ、ミサトさんやリツコさん、マヤさんたち大人の魅力編の方がいいのかな? 惣流がそれを聞いたら怒るだろうけどな。なに、武士の情だ。だまっててやるからさ。遠慮するなよ」

半分は押し付けだった。

「ほ、本当にいいって! それよりケンスケ、どうしてケンスケはビデオなんかに興味を持つようになったの? 教えてよ」

シンジはなんとか話題を変えようと思い、あたふたと言葉を捜す。するといままでふざけているのか真面目なのかわからなかったケンスケの態度が急に改まる。

「うん、そうだな…。じゃあ、聞いてくれるかい?」

そう言って、ケンスケは自分がなぜビデオに興味を持つようになったかのいきさつを話しはじめたのである…。

 

 

 

 

「おい、ケンスケ。今度のおまえの誕生日のプレゼント、何が欲しい? あるなら言ってみなさい」

夏休みに入って間もないころ、珍しくとうさんが僕に声をかけてきた。いつもは仕事の関係でめったに家にいない。かあさんはそのときすでになく、小学校の低学年だった僕はいつもひとりぼっち。たまに顔をあわせても、いつも疲れた疲れたといっては寝ているばかり。月のうち数回ほどしか話なんかしない。いっしょに遊ぶなんてとてもとても。そんなとうさんの方から僕に声をかけてきてくれたんだ。それも僕の誕生日を覚えててくれた。本当にうれしかったよ。やっぱりとうさんは僕のことを気にかけてくれてはいたんだなってね。それで僕はためらうことなく言ったんだ。

「うん、とうさん。子犬が飼いたい!」

それを聞いたとうさんの顔には一瞬驚いたような表情が浮かんだ。きっと思いもしなかったんだろうね。そして眉間にしわを寄せてこう言ったんだ。

「どうしてそんなもんが欲しいんだ? 世話がたいへんだぞ。私は仕事でとても世話なんかできんし、すべてはおまえ一人でしなくちゃならん」

その年ごろの普通の子供が欲しがるようなゲームやおもちゃなんかを考えていたんだろうな、きっと。でも、僕はどうしても子犬が飼いたかったんで頼みこんだんだ。

「大丈夫だよ、とうさん。僕がぜったい面倒を見るからさ。お願いだよ、お願い!」

実は学校の友達が飼っててね。そいつが自慢げに話すもんだから僕も飼いたくなっていたんだ。で、だめもとで頼んでみたってわけさ。

「そうか、わかった。じゃあ、次の日曜日、子犬を選びに行こう」

「やったー! とうさん、約束だからね!」

驚いたよ。てっきりだめだとばかり言われると思ったんだ。でも、そのときはとうさんがオーケーしてくれたことがうれしくてね。それから日曜日が待ち遠しくってしょうがなかった。それこそカレンダーに印をつけてその日が来るのを首を長くして待ったよ。そしてついにその待ちに待った日曜日になったんだ・・・。

 

 

 

 

「ケンスケ、用意はいいか? いくぞ」

とうさんはそう言って僕を車に乗せた。僕はわくわくしながら乗り込んださ。なにしろ初めてのことだったからね。一応それまではペットの飼い方なんていう子供向けに書かれた参考書なんかを読んでいて、いつでも行けるようにと子供ながらに準備をしていたんだ。でも本物に触ったことなんてなかったんで、結局は一人よがりでしかなかったんだけれど。で、僕ととうさんを乗せた車は出発した。天気の方は夏の初めのころとしては珍しく、どんよりとして、今にも降り出しそうな感じだったっけ。

「ケンスケ、もう一度聞くけど、どうしても飼いたいのか?」

とうさんは行きの車の中でもう一度念を押してきた。

「うん、飼いたい!」

僕は躊躇なく答えたさ。もう頭の中は子犬のことでいっぱいで他のことなんか全然なかったんだから。

「そうか・・・」

とうさんはそう言って黙ってしまい、車の運転に神経を集中し始めたんだ。それを僕は、薄暗い空の下、車を運転しなくちゃならないからだと思ったんだよ。とうさんはそれと電話をかけていた。それほど大きな声で話していたわけではなかったし、すぐに用事は済んだらしくとても短い間だった。話の内容なんて聞こえなかったな。僕も車の外の景色に目を向けていて、他のことなんか全然気にしなかったからね。もう子犬のことで頭がいっぱいだったんだ。でも、しばらくしておかしいことに気がついた。はじめ、とうさんはてっきりペットショップかなんかで子犬を買ってくれるもんだとばかり思っていたんだ。だったらそういった店のある街の中心部の方へ向かうはずだろ? でも、車はそれとは逆に郊外の方へと向かっていったんだよ。だんだん街並みもまばらになっていってね。本当に子犬を買ってくれるのかと不安になったんだ。で、我慢し切れなくなってとうさんに聞こうとした矢先、車は止まった。見るとそこは平屋建てのかなりの敷地面積を持つ建物の前さ。はじめは犬のブリーダーをやっている業者の家かと思ったよ。でも、それにしては犬の鳴き声なんか聞こえてこなくて変だなぁとは思ったけどね。それにやけに高い煙突なんかがついているんだよ。それもその先っちょにはなんだか金網のようなものが被せられているのがね。そしてとうさんは先に車を降りてその建屋の方へと向かったんだ。僕には車の中で待っているようにと言い残してね・・・。

 

 

 

 

「おーい、ケンスケ。こっちに来なさい」

しばらくしてとうさんが戻ってきた。僕は言われたとおり車を降り、とうさんが待っている場所へと入っていった。そこは玄関に当たるような場所でかなり広かったな。その時点でわかったよ。よくはわからないけれど、公共機関の一種だってことがね。なんだかカウンターのようなものがあって何かの窓口になっている。で、そのうしろに事務机があって人が仕事をしているんだよ。典型的な公共機関の作りさ。そしてとうさんはその窓口の一つに行き、何かを告げたんだ。するとそこで仕事をしていた人が一人出てきた。とうさんはぼくにも挨拶するように促してこう言ったんだ。

「電話でお願いした相田です。それでこっちが息子のケンスケ。よろしくお願いします」

するとクリーム色の作業服を着たその人はにっこりと笑って、僕たちを建物の奥の方へと案内し始めたのさ。その連れていかれる廊下というのは薄暗くてね。何だか空気も冷え切っているような感じがしたよ。とうさんとその職員の人の靴音だけがやけに響くんだ。僕は何だか恐くてとうさんの手をしっかりと握りしめていたよ。で、そうこうしているうちに何だかいやなにおいが鼻をつき始めた。今までかいだことのないようなにおいさ。がまんできなくなってとうさんに言ったんだ。もう子犬はいいから帰ろうよってね。でも、とうさんはもう少しだから我慢しなさいって言って僕の手を引っ張っていった。もう僕は子犬のことなんかどうでもよくてただただ帰りたかったよ。早くこれが終わることだけを念じてうつむいていたんだ。しばらくして、案内してくれた係の人が口を開いた。ここですよ、ってね。見るとそこは鉄格子で区切られた八畳ほどの小部屋さ。窓のたぐいはなく、蛍光燈の光がやけに目に痛かったっけ。がらんとしたコンクリートの打ちっぱなしの見るからに殺風景な部屋。その中には小犬が一匹、部屋の隅に体を押しつけるように丸まって震えていたのさ。背中越しに顔をめぐらしてこっちを見ていた。その目は何かを訴えるような悲しい目つきだったよ。それにどうも怪我をしているらしく、左の前足には包帯が巻かれていたな。僕はとうさんにきいたんだ。ここはどんなところで、あの小犬はどうしたのかってっね。そうしたらとうさんはちょっと悲しげで、それでいてきっぱりとした口調でこう言ったんだよ。

「ここは飼い主が訳あって、もう飼えなくなったペットの犬や猫の後始末をするための保健所の施設だよ。ある程度数がまとまるまでの間、一時的に収容しておくための場所がここなんだ」

見ると案内してくれた係の人の表情も暗く、悲しそうだったな。で、僕が黙っていたんで、とうさんはさらに続けた。

「ひょっとしたら、その時までの間に私たちのような新しい引き取り手が現れやしないかとの願いが込められているんだよ、ここの部屋にはね」

僕はとうさんにきいたんだ。もし、誰も引き取る人がいなかったらどうなるのってね。恐いもの見たさ、かな。自分でもだいたいの想像はついていたんだけど、どうしても聞きたくてね。とうさんは答えてくれたよ。

「この向こうの部屋で処理が行われるんだ。炭酸ガスを使った窒息死。痛みはなく、眠るような感じ…だそうだ。そして、そのまま火葬にふされ、灰は埋め立て地に持っていかれる」

とうさんの口調は事務的そのままだったよ。まるでいらなくなった粗大ゴミでも扱っているようなね。先ほどから鼻についていた変な匂い。それはここに押し込められた犬や猫のにおい、獣臭や糞尿のにおい、それとそれを消し去るために使われた消臭剤や消毒薬のにおいなんだ。でも、打ちっぱなしのコンクリートにそれらの匂いが染み付いていたんだろうな。あと、来るかどうかもわからない救いの手を待ちわびながら、迫りくるその時をただ待つしかない動物たちの怨念が実体化している。そんな気持ちがしたよ。もう、そんなことを聞いたら、いてもたってもいられくなってね。もういいから帰ろうよってとうさんに泣きついたんだ。わんわん泣いたな。でも、とうさんはしゃがみこんで僕の頭に手をやり、こう言ったんだ。

「ケンスケ、動物を飼うってことは大変なんだぞ。一度飼い始めたらそいつがなくなるまで面倒を見てやらなくちゃいけないんだ。自分の都合で、もうやめましたなんて絶対言っちゃあいけない。そいつが生み出す嫌なこと、汚いこと、そして悲しいこともすべて引き受けなくちゃならないんだ。わかるか? そのことを忘れて放り出された犬や猫のいきつく先がここだ。犬や猫たちには何の悪いところはないのにな。どんなに高いお金を出して買ってみても、要らなくなって捨てられたらゴミと同じなんだよ。そしてゴミと同じならばそれと同じような扱いを受けることになり、処分されることになるんだ。自分たちが望むと望まないのにもかかわらずね。昔の人は『釣った魚にえさをやる馬鹿はいない』と言ったそうだけれどそれは違う。『拾った子犬の面倒は最後まで見なくてはならない』んだよ」

あとで魚のほうは違うたとえなんだってことがわかった。でも、とうさんは僕に教えたかったんであんなふうに言ったんだと思う。生き物を飼うことのたいへんさをわからせるためにね。そしてそれは人の場合も同じだってことを。人は他の人に必要とされて始めて自分ってものを確かめられるんだってね。そして最後にこう付け加えたんだ。

「それにお前が引き取らないで帰ったら、あの小犬も処分されることになるんだぞ。せっかく救いの手が差し伸べられて喜んだのもつかの間。また他の人が来ないかなってその時までずっと待ちつづけることになるんだ。それでもいいのか?」

「うん、わかった…」

僕はそれしか言えなかったよ。それから係の人はその小犬を部屋の中から連れ出してきてくれて僕に手渡してくれたんだ。子供の僕にしてもひどく小さく感じたよ。ただただ僕の腕の中で震えていたっけ。泣き声さえ立てられなくて、小さくて早い息づかいだけが聞こえていたんだ。係の人はそんな小犬と僕に言葉をかけてくれた。

「よかったな、チビ助。新しいご主人様が見つかって。それとボク、よろしくな。二度とこんなところに来させちゃだめだぞ」

そう言っている係の人も嬉しそうだったよ。僕は何度もうなずいたんだ。絶対そんなことはしませんってね…。

 

 

 

 

帰りの車の中で僕はずっとその子犬を胸に抱いていた。本当はダンボール箱にでも入れて帰ろうかとも思い、用意はしてきたんだ。でも、震え続けている小犬の様子を見てたら絶対自分で抱いて帰らなくちゃだめだと思ったんだよ。別に悪い病気を持っていたわけじゃないよ。保健所の人も、一応一通りの予防注射はしてあるから安心しなさいって言ってたしね。でも、違う病気だったんだ。幼くして本来あるべき保護者のもとから放り出されたための喪失感。つまりは心の病ってことさ。もちろんその時はそんなことわからなかった。でも、なんとなくそうしなくちゃいけないんだって気がしたんだ。こいつは僕といっしょだ、僕がそばにいてやらなくっちゃいけないんだってね。僕がずっとふさぎ込んでいると、とうさんは話しかけてきた。昔、セカンドインパクトの起こる前は、あの収容施設も他の施設と同じく捨てられた犬や猫でいっぱいだったんだって。それこそ毎日、まるで工場のように時間通り、規則的、事務的に処理は行われていたんだ。それでも捨てられる犬や猫はあとを絶たなかったそうだよ。でも、セカンドインパクトを境に事態は一変した。今まではあんなに外をうろついていた猫がまず姿を消し、次いで犬も消えたんだ。そして捨てられたゴミをえさにして異常なくらい増えていたカラス、お寺や神社の境内にいたハトもね。みんな捕まえられて食べられてしまったんだって。セカンドインパクトによる輸送手段の混乱は、食料のほとんどを国外からの輸入に頼っていたこの国に甚大な被害を及ぼしたからね。それでもお金と技術があったぶんだけ他の国よりはましな状況だったんだぞって言ってたな。他のもっと貧しい国ではさらに悲惨で、餓死者が大勢出たらしいよ。他の国の援助に頼って命をつないでいた人たちがまずやられ、次いでその国の一般的な人々自身が難民となって周辺の国々へと押し寄せていったんだ。でも周辺の国々だって状況は似たり寄ったりでとてもよその国のことなんか面倒を見ている余裕なんてない。そうしたことから国境線を挟んだ武力衝突が各地で頻発したんだ。きっとみんな飢餓の恐怖で頭がどうかしていたんだろうな。そんな状況の中、一部では死んだ人の肉、まだ息のある人の肉を食べたって話も聞くしね。でも、それを確かめるすべは今となってはどこにもないけれどってとうさんは言った。その国の政府自身が隠蔽工作をしたのかもしれないし、後世の子孫たちに悪い影響を及ぼさないためという理由で国連会議で極秘裏に決定され、その線に沿って報道機関自らが証拠隠滅を図ったのかもしれない。その証人となる人たちはごくわずかしか生き延びられなかったしね。でも、とうさんはそんな現場に仕事上居合わせたらしく、こう言っていたよ。まさに地獄とはこのことを言うんだろうなって。思い出すのも辛そうな顔をしてたっけ。そしてとうさんはもっと悲しそうな顔をして言ったんだ。あれだけつらい思いをしたくせに、ちょっと生活が楽になるとすぐ忘れる。そして昔やったことを繰り返すんだってね。ケンスケ、お前はそのことを忘れるなよって真剣な顔をして約束させられたんだ…。

 

 

 

 

家に着いてからは、まず、小犬の寝床の用意さ。まだ小さくて怪我もしていたから、とりあえずは家の中で様子を見ようってことになったんだ。ダンボールの底の浅い箱の中に使い古しの毛布なんかを敷いてね。そしてその中に小犬を入れ、しばらくはその側に寄らないで落ち着かせる。まわりの環境が変わったことに慣れさせるためにだよ。あとは周期的に怪我の様子を見てやり、それと餌、といってもまだミルクだったかな、をやって下の世話をしたんだ。当然、僕はよくそんなことを知らなかった。でも、とうさん、実は昔、犬を飼っていたらしくてね。細かいところまできっちりと教えてくれた。助かったよ。やっぱり本からだけじゃわからないってことはいっぱいあるからさ。一人でやっていたら本当にすぐに投げ出して、あの施設に送り返さなくちゃならなかったろうな。そうしたら今でも自分を許せなかったと思うよ。本当に感謝しているんだ、とうさんには。だからあれだけきついことを僕に言ったんだと思う。まあ夏休みで時間だけはあったんで、それからは四六時中小犬の世話をしていたよ。それこそはじめのうちはつきっきりだったな。家に連れてきたのはいいけれど、やっぱり心配だったんだよ。足の怪我が原因で死んじゃうんじゃないかってね。あと、早く名前をつけろってとうさんに言われた。名前をつけることで、よりいっそうの親しみがわくんだってね。でも、けっこうすんなりと決まったんだ。コロ助っていう名がすぐ頭に浮かんだんだよ。そのわけはこうさ。数日もたつと、ようやっとまわりの環境にも慣れてダンボール箱から這い出てこれるようになったんだ。そして声をかけると一目散に僕のところにやってこようとしてね。でも、まだ怪我が完全に治り切ってなくってさ。つんのめってしまって、それこそボールのようにころころと転げちゃうんだ。それでもなんとかして僕のもとに来ようとするんだよ。僕の方もそんなコロ助がかわいくて、だどりつくと抱き上げるんだ。そうするととってもうれしそうに僕の顔をぺろぺろと舐めるんだよね。けっこう犬の舌ってザラザラしているんだなってそのとき初めて知ったよ。たぶん、すごいにおいがしていたんだけど、ぜんぜん気にならなかったな。とにかく、くすぐったくってくすぐったくってしょうがなかったんだ。で、その時思いついたんだよ。コロ助っていう名前がね。なんだか語感も僕のケンスケっていうのと似ていて気に入ったんだ。本当に自分の弟ができたみたいでさ。とうさんにコロ助って決めたって言ったらぴったりだなって笑われちゃったけどね。きっととうさんは、家族の一員としての犬を飼うことで得られる喜びを知っていたんで、僕に犬を飼うことを許してくれたんだと思う。それに夏休みという時間がたくさんあったことが一番の理由だったろうけど。ひと夏の間見ていれば大体のことを覚えるだろうってね。わからないこと、困ったことは、夜、とうさんが帰ってきたら聞けばよかったし。帰りが遅くなる日はテープレコーダーに声を吹き込んでおけば、次の朝、どうすればいいかを教えてくれる。まだメモなんかを残せるほどには字も覚えてなかったけど、ない知恵絞ったんだぜ。でも、それからの毎日は楽しかったな。コロ助は僕を自分の母親とでも思っているのか、離れようとしないんだ。やっぱり遊び相手がいるっていうのはいいもんだね。今までとは違う毎日だったよ…。

 

 

 

 

そうこうしているうちに怪我も治り、体もちゃんとしてきた。呼んでも前のように転ぶようなことはなくなったな。もともとコロ助は小型犬の雑種だったらしく、連れてきたころに比べてもそんなに大きくはならなかったんだ。それでも小犬の成長のスピードというのははやくてね。毎日やっていた餌もミルクからドックフードや残り物のご飯にそれからしばらくして変わったし、むやみやたらと動き回るようになったんだよ。で、もういいだろうってことで外に連れ出したんだ。そうしたらうれしがっちゃってねぇ。それこそしっぽを振りながらそこらじゅうを駆け回っていたよ。よっぽどうれしかったんだろうな。僕もコロ助の後を追いかけていっしょに走り回ったさ。特に目的なんかなかったけど、とにかくコロ助と遊ぶのが楽しくってね。汗まみれになろうがそんなことにはおかまいなし。そして遊びつかれた後はいっしょに部屋の中で昼寝さ。それまでは思いっきり動き回って汗をかくなんてことはなかったから、疲れるってことなんかなくってね。昼寝なんて大っきらいだったんだ。なんで大人はあんなに昼寝が好きなんだろうって不思議だったよ。けっこうストレスも溜まっていたんだろうな。たまに無性に暴れたくなることがそれまではあったけど、コロ助と遊ぶようになってからはそんなことはなくなった。夜もそれまではけっこう夜更かししてて、帰ってきたとうさんによく怒られてたっけ。まだ起きているのかってね。それがもう八時には夢の中さ。でも、夢の中でもコロ助と遊んでいるんだよ。だから起きてみたらもっと疲れてたなんてこともあったくらいさ。ほら、よく誰かとけんかしている夢なんか見ると、起きたら疲れてたなんてことあったろう? あれといっしょだよ。で、夏休みも終わり、また学校が始まった。さすがに学校へはいっしょに連れて行けなかったから、家において出たんだ。まあ朝の散歩なんかをやってから行ってたから、そんなにぐずりはしなかったけれどね。でも学校が終わって、一目散に帰ってみるとしっぽを振って出迎えてくれたんだ。それから夕食までの間はいつも外で遊ぶんだ。楽しかったな…。

「ふう〜ん。そんなことがあったの。確かに自分のほかにも家族がいるっていいよね。僕もペンペンがいるからわかるよ。でも、ケンスケって今まで犬を飼ってたなんて言ったことなんかあったっけ?」

シンジはそれまでのケンスケの話を聞いて、ふと疑問に思ったのである。確かトウジからもケンスケが犬を飼ってたなんて聞いたことなんてなかったはず…。

「うん、それはね、続きがあるんだよ…」

そう言ってケンスケは話を続けたのである。

 

 

 

 

それからしばらくは毎日同じことの繰り返しさ。でも、今までとは違った意味での繰り返し。コロ助といっしょに過ごせる毎日が楽しくて楽しくてしょうがなかったんだ。たまの休日にはそれこそ一日中外で遊んでいたよ。昼ご飯も食べずにね。

で、何かの連休になったときだったかな。とうさんがキャンプでもいくかって聞いてきたんだ。もちろんコロ助もいっしょ。なんとか僕といっしょに過ごす時間を持とうとしてくれたんだな。もちろん行くって言ったさ。行く先は森に囲まれた湖畔の小さなバンガロー。まだ僕が小さかったのとコロ助を連れて行くっていうんで、本格的なキャンプはあきらめた結果なんだけどね。行って一日二日は釣りなんかをして過ごしてた。でも、退屈だったんだろうな。コロ助が急にいなくなっちゃったんだ。いなくなったといっても小型犬でなおかつまだ子供。そんな遠くに行ったとは考えられない。呼べばすぐ見つかるだろうと近くを捜してみることにしたんだ。もうすぐ帰ることになっていて、とうさんは後片付けをしていたから僕一人でね。で、捜してみたんだけれど見つからないんだよ。しょうがないからちょっとまわりの森の中へと足を踏み入れたんだ。そうしたら見つかったんだよ。木の影に血まみれの姿でね。ほとんど息がなかった。ぼくは急いで駆け寄ろうとしたよ。そうしたらなんだか後ろからぶつかってきたんだ。そして右足の太股あたりにひどい痛みが走ったのさ。あまりの痛さにその場に倒れ込んだよ。うつ伏せにさ。その時見たのはなんだか黒い固まりだった。ただ異様に血走ったような二つの黄色い目だけがわかったよ。なおもそいつは襲おうとしたんで僕は転げまわって逃げたんだ。とうさん、助けてって泣きながらね。運がよかったよ。とうさんも僕の帰りが遅いんで捜しに来てくれていたんだ。そして僕の泣き声を聞きつけて助けに来てくれた。なんとかそいつを追っ払ってくれたよ。でもそれからがたいへんだったんだ。足をかまれていて、なおかつ逃げるためにそこら中を転げまわったもんだから傷口が大きくなっちゃってさ。かなり出血してズボンなんか血まみれだよ。それにバイ菌も傷から入ったらしく、熱も出たんだ。キャンプ場にそんな医療施設なんかないだろ? で、自衛隊に救援を頼んで近くの救急病院まで連れていってもらったんで助かったんだ。危ないところだったのよって病院のベットの上で看護婦さんに言われた。まさに危機一髪さ。で、とうさんに教えてもらったんだけど、僕を襲ったのはもともとペットだったものが野犬化したドーベルマンだったんだって。首輪をしているのが目に入ったそうだよ。飼い主が飼えなくなって放したか、それとも自分から逃げ出したのかはわからないけれどね。でも、捨てられた犬だって死にたくはない。死にたくないからほかの生き物を狩ることでその命をつなごうとしたんだよね。そんな不幸な犬が、同じ境遇でたまたま僕に引き取られたコロ助を襲うなんて…。僕に引き取られなかった方がよかったのかな。そうすれば別の新しい飼い主に巡り合えて死ぬこともなかったかもしれない…。それにコロ助の亡骸は他の野犬に持っていかれたらしくて、そのあと捜してみたけれど見つけられなかったってとうさんは言ってた。そのあとで大がかりな野犬狩りが行われて、あらかた始末されたってこともね。やりきれないよ。もしかしたら逆の立場になってたもの同士が傷つけあうなんて…。で、しばらくの間、病院のベットの上さ。そうしたら気がついたんだ。コロ助の思い出になるようなものが手元には何一つ残っていないんだってことにね。首輪はもちろんのこと、一枚の写真もだよ。僕の記憶の中にあるだけなんだ。それに小さいころのことなんで細かいところは覚えてない。大体の様子は覚えているんだけどね。どんな毛並みをしていて、どんな特徴があったかってことまではちょっと…。ただ、くりくりと動く目だけが印象に残っているだけかな。あと僕を見つけると嬉しそうに振る尻尾。でも、コロ助といっしょだったあの時が、なにものにもかえがたいものだってことは今でも鮮明に覚えている。それからさ。僕が写真やビデオに興味を持ち始めたのは。オリジナルがなくなったとしても、せめて記録にとっておけばそれを見て思い出すことができる。自分の生きていた時間を共有したものがいるってことを確かめたいのかもしれないね。それに、僕がミリタリーマニアなのは、助けてもらったその時の印象が大きかったからかな。ヘリで病院に運んでいってくれたときに、『ぼうず、もう少しだからがんばれよ。絶対間に合わせてやるからな』って声をかけられたんだけど、それが格好よくってね。とうさんとは違った男らしさってものを感じたんだよ。おかしいかな?…。

ケンスケは話し終えるとうつむいて、シンジと顔を合わせない。そんなケンスケのことをシンジは気づかう。

「ありがとう、ケンスケ…。でも、コロ助は幸せだったと思うよ。だって、君といっしょに生きる喜びを味わうことができたんだもの。たとえ、最後には同じ仲間の犬に殺されたとしても…、たとえそれがほんの短いあいだであってもさ。狭い部屋で救いの手がいつくるんだろうって震えているよりかは何倍も幸せだったんだと思うよ…」

「本当にそう思うかい…? でも、それから僕は生き物を飼うことができないんだよ。またあんな不幸なことが起きたらどうしよう、何かの都合で飼えなくなって施設に送るはめになったらどうしようってことがどうしても先に頭に浮かんでしまうんだ…」

「そんな…」

シンジはもうケンスケにかける言葉がなかった。

「いや、つまらない話を聞かせちゃったね。本当はシンジやトウジ、そして委員長なんかの友達ができたからさ。やっぱり話の通じる方が面白いじゃない? そうだろ? 気にするなよ。それよりもみんな、シンジのことが自慢なんだぜ。クラスメートにエヴァのパイロットがいて、そいつが自分たちを守ってくれているんだってね。影で全校的な女子のファンクラブまであるんだからな。そんな乙女たちの希望を壊しちゃもったいないぞ。もしかしたら惣流や綾波なんかより、お前の好みのタイプの子だっているかもしれないんだからな。なにしろあの二人ときたら写真うつりはいいんだけど性格がね…って、これ、惣流にでも知られたらまずいよな。黙っててくれよ。本当にやばいことになっちゃうからさ。頼んだぜ、シンジ。そのかわり今度はファンクラブの女の子の写真、持ってきてやるよ。これでチャラな? いいだろ? おっと、もうこんな時間だ。それじゃあ、シンジ、またな!」

そう言ってケンスケはシンジの病室を後にしたのである。半分は照れ隠しもあったのだろう。後に残されたシンジはベットにもぐり込み、今日一日、あった出来事を思い返してみる。

…ケンスケ、そんな思い出があったんだ…。つらいよね、仲のよかった友だちがいなくなるっていうのは…。まるで自分の頭の中にぽっかりと穴ができたみたいでさ…。思い出とかがなんだか一瞬にして抜け落ちるみたいなんだもの。そしてその穴はいつまでたっても埋まらないんだよね。そうだろ、ケンスケ? カヲル君のときみたいでさ…。もしも、サードインパクトが起きでもしたら同じことの繰り返しだろうな…。そんなこと、あっていいはずがない…、あっちゃいけないんだ。僕たちと同じ悲しみを繰り返すなんてことは…。

そんな思いを胸に刻みつけながら、シンジもまた眠りに就く。窓の外には夜の帳が静かにその幕を下ろし始めていた…。

 

 

 

 

「ふむ。シンジ君のふさぎの虫もどうやら収まったようだな。よくやってくれた。感謝するよ、赤木君」

ここはネルフ第二発令所。冬月副司令がシンジの収容されている病室の様子を映し出しているモニター画面を覗いている。後ろにはリツコが一人たたずんでいた。実はシンジの鬱状態がひどいので、なんとか元気づけようと策を練ったもの。クラスメートの一人に事情を話し、協力をしてもらった結果がこれ。もともと人づきあいのあまりないシンジである。レイが消え、トウジやアスカが同じくリハビリ中の今、同じ男子で残るのはケンスケただ一人。無理を言って聞いてもらったのである。MAGIに作成させた落ち込んでいるシンジを立ち直らせるきっかけとなろう作り話。それをもっともらしく演じてもらうことを。

「ありがとうございます、副司令。MAGIによる診断でも回復の傾向が見られますから、もう大丈夫でしょう」

リツコの答えはいつものごとく、事務的な口調。

「しかし、あのケンスケ君というのもたいした役者だな。実に真に迫っていたよ。もしかしたら本物の役者か、作家にでもなれるかもしれんな。そう思わんかね?」

コウゾウはケンスケの仕事ぶりを誉める。それに対してリツコも賛同の意を示すがごとく、うなずいてみせた。そしてこう付け加えたのである。

「…ええ、そう思いますわ。ただ、あの子が話したのは、MAGIが作成したものとは違ったものなんですよ…」

第二発令所には、ただ沈黙のみが流れたのである。







Noikeさんへの感想はこ・ち・ら♪   



管理人(その他)のコメント

ケンスケ「く、く、くはははははははっげほげほげほっ

アスカ 「・・・・なにせき込むまでばか笑いしてるのよ」

ケンスケ「これが笑わずにいられるものかぁ!! 最近ぼくの人気は急上昇! 島津さんの『史上例を見ないくらいかっこいいケンスケ』もさる事ながら、このぼくを主人公にした小説!! これをケンスケブームと言わずしてなんという!!」

アスカ 「一過性かつローカルな人気ね・・・・ふう。分譲住宅とゲンドウ版一部人間と、それくらいしかファンがいないじゃないの」

ケンスケ「何言ってんだよ! 今は確かにローカルだけど、これを契機に全エヴァ小説界にケンスケブームが湧き起こるんじゃないか!」

アスカ 「期待薄ね。馬鹿鈴原がヒカリに自分から「好きやぁ!」って言うのと同じくらい」

ケンスケ「うぐ・・・・・」

アスカ 「そもそもアンタ、太股にそんな怪我してたっけ?」

ケンスケ「してるに決まってるじゃないか! そんなに言うなら・・・・ごそごそ」

アスカ 「こ、この馬鹿変態何考えてるのよエッチ! いきなりこんなところでズボンなんか脱ぐんじゃないわよ!!」

どかっばきっぐしゃめきょっ

ケンスケ「うがっ・・・・ぼくの明日は・・・・・どっちに・・・・がくっ」

アスカ 「あんたの明日は永遠にこないわよ」

カヲル 「いっやぁ、遅刻遅刻・・・・って、なに、この肉塊は・・・・」

アスカ 「気のせいよ。忘れなさい」

カヲル 「し、しかし・・・・」

アスカ 「いいから、わすれなさい(じろり)」

カヲル 「・・・・・はい・・・・汗」


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