巫女レイちゃん

ぷれぜんてっと ばーい ぱかぽこ   


 ばさっ。

 綾波レイは跳ね起きた。

 ぶるぶる。

 現在朝5時。

 低血圧の身にはつらいが、首を振って無理やり目を覚ます。

 布団を畳み、半纏を羽織って外へ出る。

 井戸水をすくい、台所へ向かう。

 冷たい水に手を突っ込んで、米をとぐ。

 ふたにネコの絵がプリントされた炊飯器に米をぶち込む。

 その間、ほうれん草の灰汁を抜いて、砂糖、塩、胡麻をまぶす。

 それから、鯖を焼いて大根おろしを添える。

 お盆に炊きあがった米が山盛りになった茶碗と鯖、それにほうれん草を皿に盛りつけ、台所を出る。

  

 廊下をしばらく歩き、ネコの絵が書いてある看板と放射能マークが書いてある看板がぶら下がっている部屋の前で立ち止まると、引き戸をノックする。

「ご飯、できました」

「入っていいわよ」

 短い応答をすませ、がらがらと音を立てて引き戸を開ける。

 部屋の中に入ると、そこにただ一人いる白衣の女性に話しかけた。

「おはようございます、宮司様」

「おはよう」

 ノートパソコンに向かっている顔を振り向きもせずに赤木リツコは応えた。

「ご飯、そこに置いといて」

 ここが神社の中だと言っても誰も信じてくれなさそうなほど、訳の分からない機械類がぎっしりと詰まった部屋。

 赤木リツコは、足の踏み場もないような部屋の中でどうやって作ったのか分からないほどの隙間を指さした。

 レイは無言でそこにお盆を置く。

「失礼します」

 そう言って部屋から立ち去ろうとしたとき、リツコがレイを呼び止めた。

「ちょっと待ちなさい」

 鋭い声。

「何でしょうか」

 レイの様子に動じるところはない。

「味噌汁がないじゃない」

「味噌は昨日宮司様が全部使ってしまったはずですが」

 リツコは言葉に詰まった。

 確かに、味噌は昨日の晩に実験で樽ごと全部使ってしまっていた。

 自分の得意なこと以外にはからっきし記憶力のない宮司である。

「そ・・・・そうだったわね・・・・」

「では、失礼します」

 味噌をいったい何に使ったのか問うこともなく、レイは再び挨拶をして部屋から出ていった。

  

 ひどく乱雑な部屋に、30女が一人残された。

「くっ・・・・いつもいつもこの私をコケにして・・・見てらっしゃい」

 リツコの知りうる科学力はレイへの復讐のためだけに費やされだした。

  

「や、おはよう、綾波」

「おはよう、レイ」

 歩いて30分かかる学校までの道のりの途中で、レイはいつもこの二人に会う。

「おはよう」

 碇シンジと惣流アスカ、小さい頃からの幼なじみ。

 幼稚園児の頃からこの性格だったレイを不気味がることもなく、二人はレイと接していた。

 互いに家の近いシンジとアスカはいつも一緒に登校していて、レイと会うこの交差点までは走ってきているのだが、ここまで来るとレイに合わせて歩いていた。

「ねえ綾波、今日さ、転校生が来るんだって」

「そう」

 シンジが常に微笑みかけてくるのに、レイはいつも素っ気ない。

「シンジぃ〜、あんたそんなこと一言も言ってなかったじゃないの」

 そしてアスカはと言えば、そういうシンジにかまいっぱなしなのだった。

「あいたたた、やめてよアスカ」

「あんた、どうしてあたしよりレイが先なのよ」

「べ、別にどうだっていいじゃないか」

「よくないっ!」

「ど、どうしてだよ」

「そ、それは・・・・」

 二人の漫才をよそにレイが黙々と歩き続けるのもいつものことだった。

「どうしてなんだよ?」

「そんなことどうだっていいじゃない。それより転校生よ、転校生!」

「あ、ああ、そうだったね。ケンスケから聞いたんだけどさ、転校生って男らしいよ」

「ふーん。レイ、あんたどう思う?」

「・・・・え?」

 今日の晩ご飯のことを考えていたレイは、アスカがいきなり振ってきたのに対応できなかった。

「転校生よ転校生。かっこいい子だったらいいわねー、どっかのバカと違って」

「横目でシンジを見ながら言ったのだから、さすがのシンジでも気付くというものだ。

「何だよそれ、僕がバカだっていうのかよ」

 むっとして答えるが、アスカに応えるはずもない。

「べっつにぃ。だーれもあんただなんて言ってないわよ。それともシンジ、身に覚えでもあるのぉ?」

「な、ないよそんなもの」

「ほんとかなぁ?ねえレイ、こいつってバカだなーって思う?」

 またアスカがレイに聞くと、今度はシンジが慌ててそれを阻止した。

「ちょ、ちょっとアスカ、それは綾波には関係ないだろ」

「ははーん、さては、あんたレイの前でなんかしでかしたわね」

 アスカは意地の悪い目でシンジを見る。

「や、やってない!何にもやってないよ!」

 シンジの行動は墓穴だった。

「まだ時間はたっぷりあるんだからね、ゆっくり聞かせてもらうわよ」

「だから何にもやってないってば・・・・」

 がっくりとうなだれる。

 ほとんどシンジの敗北は確定的だった。

 またも発言の機会を失ったレイにとっては、8歳の時にシンジがおねしょした現場を見た、ということなど覚えるべきことでもなかったのだが。

 こうして無駄な苦労を背負い込むことになったシンジは、学校に着くまでずっと尋問の辛苦に耐えねばならなかった。

  

 学校の校門をくぐった三人を野太い歓声が出迎えた。

「うおーっレイちゃん最高だーっ」

「アスカちゃんこっち向いてくれーっ」

「碇おまえは絶対に許さんぞーっ」

 つまりは、そういうわけである。

 校内の男子は「惣流アスカ親衛隊」と「綾波レイ支援同盟」のまっぷたつに分かれていた。

 アスカはともかくとして、なぜ無口なレイがこんなに人気があるのか。

 それには理由がある。

 レイが住んでいる神社では化け物祓いをやっていて、一度巫女装束で学校を祓いに来たのだ。

 それまでは一部の男子にしか知られていなかったレイだったが、そのときの格好良さに惹かれるものが続出した。

 圧倒的だったアスカ派に対抗すべくレイ派は同盟を結成し、抗争を続けながらも二大勢力となったのだった。

 そして、常に渦中にいる碇シンジは二大勢力の共通の敵だった。

 シンジにべた惚れなことが次第に分かってきたアスカは言うに及ばず、一見何を考えているのか分からないレイもその実シンジのことを気に入っているかも分からない。

 どちらかをシンジにくっつければもう一方がフリーになることははっきりしていたので双方は必死の努力を続けて来てはいたのだが、いかんせん中学生、実行力が伴わなかったり教師に見つかったりして結果は出ていなかった。

 もちろん強硬派もいるにはいたが、不思議な力を持つレイと異常にケンカ慣れしたアスカにかなう者はなかった。

 そんな彼らの屈折した青春に初めのうちは戸惑っていたシンジとアスカだが、時間が経つにつれて次第に慣れ、今では歓声と罵声の中を平気で歩くようになっていた。

 しかしさすがに大音響の中では会話もままならず、ただ歩くことしかできなかったが。

  

「えー、では転校生を紹介します」

 ホームルームを始めた担任の老教師は、一部ではすでに知られていたことを口にした。

「入ってきなさい」

 そう言われて教室に入ってきた転校生は、眉目秀麗の男の子だった。

 一瞬歓声が上がる。

「渚カヲルです、よろしく」

 教室にいた女子の半数はため息をついた。

 残りの半数はため息さえつけなかった。

「えー、では君は窓側の一番後ろの席だね」

「はい」

 カヲルは自分を厳しい目でにらみつけているアスカやほけーっとして見ているシンジには目もくれずしなやかな歩調で歩いてゆくと、転校生にはほんの興味も示さずに本を読んでいたレイの机に手を置いた。

 誰かが机に手を置いたのに気付いて顔を上げたレイが見たものは、目の前で柔らかく微笑みかけている少年の姿だった。

「よろしく、綾波レイさん。君とは後でじっくりと話をしたいんだけど、いいかな?」

 何気なしに見た転校生の笑顔は、生まれてから異性というものとは全くの無縁だったレイの心を一瞬にしてとらえた。

 顔がかあっと熱くなったが、それが何なのか本人には分からなかった。

 逆らう気がせず、黙って頷いた。

「ありがとう」

 改めて微笑んだカヲルはそのままレイの後ろの席についた。

 顔を赤らめたレイなど見たことのないクラスメートは、信じられないとも言えるその様子に、初めは驚き、そして落胆した。

 レイとカヲルがくっつけば、その先に待っているのは当然シンジとアスカである。

 気の弱いシンジが吹っ切れたアスカに押し切られるのはほぼ確定的で、彼らにとって一番恐ろしい結果になるであろうことは目に見えていた。

 何事にも動じないレイが顔を赤らめたのだから、レイ派が肩を落とすのは言うまでもない。

 滅多にいない美男子に鼻息を荒くした女子達も、大胆な行動に出たカヲルの心がすでにレイを向いているであろうことは容易に理解できた。

 さまざまな夢を抱いた少年少女の願いは大半が打ち砕かれた。

  

 さっきのカヲルの行動がやけに気になって、レイの耳には授業など全く入ってこなかった。

 そうこうしている間に時間は経ち、昼休みになるとカヲルがまたレイに話しかけてきた。

「ねえ綾波さん、一緒にご飯、食べない?」

「え、ええ・・・・でも・・・・」

「食べるものなら大丈夫。もう二人分買っておいたから」

 真っ赤になって声を絞り出すレイに、ビニール袋を差し出す。

「じゃ、行こうか」

 差し出された手に黙って自分の手を乗せ、レイは席を立つ。

 まわりの者が諦めと羨望を含ませて注ぐ視線にも、二人は全く動じるところはなかった。

  

 教室には、幼なじみの行動を見つめる二組の目があった。

「ねえシンジ、あの二人どうなると思う?」

「・・・・ど、どうなるって・・・・」

「きっとくっつくわよ」

「・・・!・・・・そ、そうかもね・・・・」

「気になるわね。後をつけてみない?」

「・・・うん・・・・・」

 しばしの会話の後、もう一組の男女が教室から出ていった。

 先に出ていった二人とは別の意味で、二人の顔色は全く対称的だったが。

  

 屋上に着いた二人は、レイ達がどうなっているのか物陰からそっと覗いてみることにした。

 彼らの視界の端で、レイとカヲルが仲良く並んで昼食を取っていた。

「う・・・・・」

「どうしたの、シンジ?」

 アスカの顔はニヤニヤしっ放しだ。

「綾波・・・・」

「どうなるのかしらねー。幼なじみとしては、気になるわね」

「ううう・・・・・」

 息を殺して様子を観察する。

 レイとカヲルの距離が縮まる度にアスカの唇はつり上がり、レイが笑う度にシンジの体は固くなる。

 そうやってしばらく二人は遠くから見ていたが、それまで遠くなったり近くなったりしていたカヲルの顔が突然レイに覆い被さったのが見えた。

「・・・!」

「・・・(やった!)」

 シンジの意識が遠のき、その場に崩れ落ちる。

 レイに意識が向きっぱなしだったアスカは、そのことには全く気づかなかった。

 がつっ。

 後方で派手な音がしたのに気づき、慌てて後ろを振り返る。 そこには、白目をむいてひっくり返っているシンジの姿があった。

「ちょ、ちょっとシンジ!しっかりしてよ!」

 あわただしく二人は退場した。

  

 風が心地よい。

 遠くでどたばた、と音が聞こえたような気がした。

「おや、何かあったのかな?」

「・・・・さあ・・・・」

 レイの頭の中はそれどころではなかった。

 カヲルの顔が目の前まで近づいてきたのだから。

 カヲルは何かを見るような目をしていたが、それが何かまではレイには分からなかった。

 その何かを見て顔を引き締めたカヲルは、そのまま何もせずに元の場所に戻ったのだった。

「・・・おや?どうしたんだい?」

「・・・・・いいえ、何でもないの」

 カヲルは何も気づかない風をしてレイに聞くが、レイが本当のことを言わないのは当然だった。

「そう。ならいいんだけれど・・・・」

 こんな不思議な感情を持ったのは生まれて初めて。

 レイはそう思った。

  

「放課後になったら、体育館の裏に来てくれないかな」

 カヲルがはにかんだような顔をしてそう言った。

 もちろん、答えはイエス以外にあり得ない。

 掃除が終わると体育館を抜けて外に出る。

 いつも一緒に帰っているシンジやアスカのことなどすっかり忘れていた。

 そして、心もち早足で体育館の角を回った。

  

「レイ、遅いわね」

 アスカが玄関でシンジに話しかけても、シンジはただ呆然としているだけだった。

「ちょっとあんた、聞いてんの?」

「・・・・聞いてるよ・・・・」

「全然聞いてないじゃない・・・・」

 呆れたアスカはシンジの方に向けていた首を正面に戻した。

  

「よく来たわね、レイ!待ってたわよ!」

 約束の場所に来たレイを出迎えたものは、なんとネコのマークのついた不格好なロボットだった。

 だいたい4、5メートルといったところであろうか。

「宮司様・・・・なぜこんなところに・・・・」

 しかも、むき出しになったコクピットには赤木リツコがいた。

「その質問は、彼が答えてくれるわ!」

 むやみに力んで怒鳴ったリツコの指し示す方向には、渚カヲルがいた。

「やあ・・・・ごめんね、綾波さん。かあさんがどうしても、というものだから」

「渚くん・・・・あなた・・・・」

「ちょっとレイ、誤解するんじゃないわよ!私は経産婦なんかじゃないんですからね!」

 リツコにはそのことがよっぽど気に障ったらしい。

「この子を作っただけよ!いいこと、絶対に母親なんかじゃないのよ!」

 やたらと強調する。

「でも、僕をこの世に生み出してくれた人をかあさんと呼ばずに何と呼ぶのですか?」

「う、うるさいわね!赤木博士とでも呼びなさい!」

 カヲルの突っ込みも何とかかわした。

「では赤木博士、彼女をいったいどうするのですか?」

 そう言われてリツコははたと考え込む。

「そうね・・・・・とりあえず、今朝味噌汁を抜かしたことを謝りなさい!」

 たいそうなことをした割には、ずいぶんと安っぽい。

「・・・・・・はい?」

 しばらく打ちひしがれていたレイはリツコががなり立てた言葉を聞くことが出来なかった。

「謝りなさい!」

 トーンがさらに上がる。

「・・・・ごめんなさい」

 何が悪いのかよく分からなかったが、とりあえず言っておくことにした。

 リツコの顔が満足げになる。

「そうそう、分かればいいのよ」

 これで充足してしまったリツコは、「飛行モード、オン!」と叫ぶとゴーグルをかちゃっ、とはめた。

 バルーンとプロペラがロボットの背中から出てきて、気球のようになる。

「晩ご飯、おいしいものを頼むわよ」

 そう言い残してその場を立ち去ろうとした・・・・・そのとき。

 バルーンがしぼんでロボットが地面に激突したかと思うと、さっきよりずっと兇悪な顔をしたロボットがゆっくりと立ち上がった。

「ちょ、ちょっと!いったいどうなってるの!?」

 どうやらリツコが意図したことではないらしい。

 ロボットはカヲルを鷲掴みにすると、校舎に突っ込んだ。

 コンクリートの壁が音を立てて崩れる。

「止まりなさいよ!」

 何のために作ったのか分からない自爆ボタンをリツコが押しても、ロボットは全く反応しなかった。

 まるで自分の意志を持っているかのように動くロボットは、校舎の中に易々と侵入していった。

「渚くん・・・・・待ってて!」

 ロボットに背後に邪悪な気配、すなわち悪霊と呼ばれるものの存在をレイは感じ取った。

 悪霊退治はレイの本業。

 考えるより先に中学校の資料室に向かって走り出した。

  

 資料室には「郷土資料」の名目で装束が置いてあった。

 ガラスを破って装束をつかむと、急いで着替える。

  

「ちょっとぉ!いったいどうなってんのよ!」

「そんなの分かんないよ!」

 玄関でレイに待ちぼうけを食らっていたアスカとシンジは、突如現れた巨大ロボットに追い回されていた。

 頭にリツコ、腕にカヲルを伴ったそのロボットは、意外な敏捷性を発揮していた。

 アスカとシンジが階段を使っても、それを苦ともせず乗り越える。

 二人は次第に追いつめられていった。

  

「こっちよ!」

「うわっ!」

 あたりにあのロボットがいないのを確認したアスカは、シンジの腕を引っぱって教室に飛び込んだ。

「アスカ、どうし・・・」

 何がなんだか分からず訳を聞こうとしたシンジの口を、アスカは慌ててふさぐ。

 口を結んで、人差し指を当ててみせた。

 ようやく何のことか分かったシンジは、黙って頷いた。

 廊下にロボットが駆け抜ける轟音が響く。

 音が小さくなって二人が一息ついたそのとき、

 がしゃんっ!

「きゃあっ!」

「うわっ!」

 窓ガラスが破れてあのロボットが中に入ってきた。

 頭に陣取るリツコは泡を吹いて気を失っている。

 カヲルは平然としているように見えた。

 隅で震えていた二人のうち、アスカが急に立ち上がった。

「あ、あんたなんかに、シンジは指一本さわらせないわよ!」

 足はがたがた鳴っていたが、あくまで気丈に振る舞う。

 しかしそれとは無関係に、ロボットは近づいていく。

「ち、近寄るんじゃないわよ!」

 腕をぶんぶん振るが、やはり無駄なものだった。

「いやあああーっ!」

 やけになって投げつけた椅子や机も、強力な装甲に跳ね返された。

 アスカの顔に深い絶望の色がありありと浮かぶ。

 ますます兇悪な顔になったロボットはどんどん近づいて、腕を振り上げる。

 と、それまで何もできなかったシンジが憑かれたようにアスカを突き飛ばした。

「シンジぃっ!」

 シンジは歯を食いしばってロボットと正対し、鋼鉄の手が振り下ろされるのをよけようともしない。

 ロボットが手を振り下ろす。

 二人の目がぎゅっと閉じられた。

  

「待ちなさい!」

 扉がばん、と音を立てて開いた。

「やあ、待ってたよ、綾波さん」

 身動きできないカヲルが、それでも平然と話しかけた。

 レイは微笑みで答えた。

 ロボットの興味はシンジ達からレイに移ったようだった。

 走ってきたレイは息を整え、呪文を唱え始めた。

 いつもの仕事とは比べものにならない緊張感で満たされていた。

 ロボットは着実に近づいてきていたが、レイは一心不乱に呪文を唱え続ける。

「レイっ、よけて!」

 我に返ったアスカが必死に叫ぶが、レイの耳には入らない。

 目をつぶって呪文を唱えているレイの頬に、嫌な汗が流れた。

 十分近づいたロボットの腕が横に振られた。

「レイっ!」

 アスカの呼びかけに気づいたときには、腕はもうそこまで迫っていた。

 どん!

 鈍い音がして、レイは真横に吹き飛ばされた。

 それでもレイは口を動かすのをやめなかった。

「レイ!もういいから!」

 アスカの目から涙があふれてきて、視界がぼやけた。

 うずくまったレイにとどめを刺すべく、ロボットが腕を振り下ろす。

 そして、レイはこの世の存在ではなくなった。

 ・・・・ように、見えた。

 レイの頭を直撃したはずのロボットの腕が、ゆっくりと押し戻されていく。

 そして、そのまま腕がはね飛ばされた。

「う・・・・」

 レイの力を知っているアスカでも、実際に目にすると絶句する他はない。

 吹き飛ばされたロボットをレイが一睨みすると、ロボットはびくん、と震えて活動を停止した。

  

 ずいぶん久しぶりに、教室に静寂が取り戻されたような気がする。

 誰も口を開かなかった。

 しばらく休んでいたカヲルが少し体を動かすと、彼を拘束していたロボットの手が力無く動いた。

「ふう・・・・終わったね」

 誰に言うともなく、カヲルがつぶやく。

 優雅に着地すると、まずレイに近寄った。

「その・・・・ごめん、僕のせいでこんなことになってしまって」

 本当に申し訳なさそうに、カヲルが話しかける。

「いいえ、私はこれが仕事だから・・・・」

 かばうように答えた。

「でも・・・・」

「いいのよ、私が望んだことだもの」

「・・・・そう、ありがとう」

 カヲルがまた微笑みを取り戻した。

 ああ、この微笑みを見るために私はがんばってきたのだ。

 レイはそう思った。

「・・・・あなたはこれからどうするの?」

 レイが現実的なことを問いかけると、カヲルは困ったように視線を逸らした。

「うーん・・・・まだ決めてない。まあ、いざとなれば、どこででも寝るさ」

「家に帰ってらっしゃい。あなたが生まれたところに」

「・・・・ありがとう」

 素直なレイの提案に、カヲルは素直に返事した。

「それじゃ、行きましょう」

「そうだね」

 二人はリツコのいるコクピットに乗り込んだ。

 二人とも傷を負っていたが、さして気にもならなかった。

 リツコを脇に押しのけて、結構余裕のあるコクピットに並んで座る。

 "R"とプリントされたボタンをレイは押した。

 エンジンが再び動き出す。

「・・・すごいな。どうして分かったんだい?」

「宮司様の考えることは単純だから」

「・・・・なるほど。と言うことは、飛びたいときは"F"かな?」

「ええ。きっと」

「・・・はははは・・・」

「・・ふふふ・・・・」

 二人の口から笑いがこみ上げてきた。

 ひとしきり声を立てて笑った後、レイはすっかり忘れ去られた二人に話しかけた。

「それじゃ、私たちは帰るから。後はごゆっくり」

 レイは唖然としている二人に微笑みかけて、三人を乗せた気球は月夜に消えていった。

  

 月がぽっかりと浮かんだ夜空を、一隻の気球がふわふわ空を飛んでいた。

「綾波さん?」

 カヲルがまだよそよそしい口調だったので、レイは苦笑した。

「レイ、でいいわよ」

「それじゃ、レイ。これはどうして暴走したんだい?」

 カヲルは下にあるもの−−ロボットを指さす。

「私の仕事の範疇、つまり、悪霊ね」

「・・・・なるほどね」

「碇君達を襲った理由はおそらく、男女の組み合わせだったため。悪霊の正体も、きっと心中した男女あたりでしょう」

「ははは・・・・だから僕らはさっさと退散したんだね」

「ええ」

 カヲルはいつもの笑みを絶やさない。

「彼ら、うまくやれるかな?」

「どうして?」

「いや、別に、何となく、ね」

「大丈夫よ、きっと」

「・・・・そうだね」

 風が心地よかった。

  

 しばらく虚脱状態だったシンジとアスカだったが、ようやくアスカが立ち上がった。

「・・・・シンジ、立てる?」

 やさしく語りかける。

「うん、何とか・・・・」

 先ほどのシンジの行動をアスカが忘れるはずもない。

 幼なじみのいつにない物腰の柔らかさにシンジは戸惑いを覚えていた。

「さ、あたし達も帰りましょ?」

「うん・・・・」

 アスカに助けられてシンジも立ち上がった。

 何事もなかったかのように原形をとどめていない教室を出て、すっかり暗くなった廊下を歩きながらアスカが話しかけてきた。

「ねえシンジ、どうしてあのロボットがあたし達を襲ったと思う?」

 アスカは理由が分かったようだったが、それでもシンジに質問した。

「うーん・・・・よく分かんないや」

 これは本当である。

「しょうがないわねえ。じゃああたしが特別に教えてあげるわ」

 ずいぶん恩着せがましい言い方だが、これでもアスカにしては大分やさしい物言いだ。

「レイがあのかっこで出てきたってことは・・・・悪霊がらみね?」

 うん、とシンジは頷く。

「その悪霊があたし達を襲った・・・・ということは、悪霊があたし達を妬んだ、ってことよ」

「は?」

 いきなりの話の飛躍にシンジは対応できなかった。

 ぞんざいな反応にアスカはちょっとむっとした。

「だからぁ、自縛霊とかそういうのってたいてい恨みがつのって化けて出るじゃない。そいつが若いカップルを襲ったんだから、当然でしょ」

 今度は何となくシンジにも分かったような気がした。

 しかし、それでも何も気づかないのが碇シンジである。

「え、そんなことないんじゃない」

 アスカの口がひきつる。

「・・・・何よそれ、どういう意味・・・?」

 こういうことにはシンジも敏感だ。

 だてに10年以上もいじめられ続けてはいない。

「い、いや・・その・・・・・はは、どういう意味かなあ・・・」

 とぼけてももう遅いことは分かっていたが、それでもそうせずにはいられなかった。

「バーカ!あんたなんか一人で帰ってなさい!」

「ちょ、ちょっと待ってよアスカぁ」

 一人で帰ると誰に襲われるか分からないシンジは、慌ててアスカを追いかけるのだった。

  

「・・・さて」

「宮司様、罪は償わなければなりません」

「・・・・いったい何のことかしら?」

 神社では、赤木リツコを取り囲んでの査問会が行われていた。

「学校を壊したのは誰でしたか?」

 レイの口調は棘を含んでいる。

「レイが退治したあの悪霊よ。決まってるじゃない」

「実際にはそうですが、社会的にはどうなんでしょうね?」

 カヲルもリツコを容赦なく責め立てる。

「(くっ・・・・こいつらつるんでるわね・・・・)そ、それは・・・・」

「宮司様、あなたが責任を負います。分かっていますね?」

「そうね・・・・でも、私にはお金がないわ・・・」

 いつまでも逃げようとする悪い大人である。

「宮司様、趣味でなさっているコンピュータのプログラムの一つも売れば十分なお金になると思いますよ?」

「うう・・・・あの子たちは手放したくないのよ・・・」

 だだをこねるリツコに、レイは切り札を出した。

「宮司様・・・・明日の朝ご飯、何が食べたいんですか?」

「うっ!・・・・そ、それは・・・・・」

 リツコの脳裏によみがえるのは、一見おいしそうな味噌汁、その実ありとあらゆる毒が入った特製味噌汁。

「・・・・・いいんですか・・・・?」

「わ・・・・わかったわ・・・」

 ついにリツコは屈服した。

「では本日の家族会議はめでたく閉会とします。みなさん、お休みなさい」

「お休み、レイ」

「・・・・・くっ・・・」

 こうして、各方面に様々な影響を与えた一日は幕を閉じたのだった。

  

おしまい☆   

  


ぱかぽこさんへの感想はこ・ち・ら♪   


管理人たちのコメント

カヲル「今日はシンジ君もアスカ君も「でえと」とかでお休みかぁ・・・。あ、ぱかぽこさん。この分譲住宅への入居、どうもありがとう。僕は待っていたよ」

レイ 「・・・・おはよう・・・・」

カヲル「ををうっ、あやな・・・いやいや、レイじゃないか」

レイ 「・・・・・・」

カヲル「どうしたんだい? もじもじして」

レイ 「いえ・・・・私が・・・・碇くん以外の人にこんなにうろたえるのってはじめてだから・・・・」

カヲル「そういえば、僕もシンジ君以外でははじめてだね。君にこんなに接近するなんて・・・・」

レイ 「・・・・・・」

カヲル「・・・・・・」

レイ 「続き・・・・」

カヲル「え?」

レイ 「このあと・・・・どうなったのかしらね?」

カヲル「そうだね・・・・書かれればわかるけど・・・・逃げた作者がむりやりお願いした分、ぱかぽこさんの気分次第だろうね・・・・」


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