制圧攻撃機(ナデシコ)出撃す

 

金物屋忘八

 

 

 彼女がその飛行機を見たのは、わずかに千切れ雲が浮かんでいる蒼い空のただ中であった。
 その飛行機は、まるで闘犬を思わせる不格好な鼻先をしていて、四発のターボ・プロップ・エンジンをつかってのっそりと飛んでいた。遠目にはそれほど目立たないブルーグレイに塗られたAC−130Jは、機体と翼に申し訳程度の小さな日の丸をつけ、胴体に海上保安庁の文字が書かれている。
 彼女が今操っている機体に比べれば、まさしくブルドックあたりがのそのそと気のむくままに散歩をしているに等しい飛び方であった。だが、彼女はその飛行機を馬鹿にしようとも、からかおうとも、思いはしなかった。ただ、その飛行機を驚かせないように近づいて、軽くバンクをして挨拶をした後、しばらく一緒に飛んだだけだった。彼女は、今、風となっているのだ。そうであるならば、下衆なことはしたくはなかったのだ。
 そう、気の赴くままに飛ぶことができるなんて、機体の違いはあってもそれは一部の人間だけに許された楽しみなのだから。
 
「機長、例の海上自衛隊の試作戦闘機、ずーっと一緒に飛んでますけど?」
 飛行中には特にやることもない、20ミリ機関砲手の天野ヒカル二等海上保安士補が、のぞき窓から外をぼんやりと眺めながら、インターコムへむかってつぶやいた。
「ちぇっ、こっちが輸送機なもんだから、からかってるんだよ」
 同じく、暇を持て余している105ミリ砲手の昴リョーコ二等海上保安士補が、口をとんがらせた。
「そう、パイロットが一人でこつこつ作った、って、それは自作。ぷっ、くすくす……」
 AC−130Jに搭乗している全員のヘッドセットに、一瞬だけ空電のノイズ音が流れた。
 一人で自分の駄じゃれに悦にはいっている35ミリ機関砲手の牧イズミ二等海上保安士補の忍び笑いが、皆の耳をうった。
「でも、あんな戦闘機を自分で作れるようになるなんて、日本もすごいですよね」
 あわてて当たり障りのないことを口にして、センサーオペレーター兼通信士の間島メグミ一等海上保安士補が、その場の雰囲気を和ませる。
 が、即座に容赦のない突っ込みがはいって、もう一度場はしらける。
「国産といっても、エンジンはリューリュカとの共同開発ですし、フライト・ソースコードも、イスラエルとの共同開発と聞いています。機体もノースロップにずいぶんと協力してもらっていると」
 機付き整備長兼航空機関士の星野ルリ一等海上保安士補の、どこかなげやりな声が流れる。
「でも、ここまできちんと形にできたのは、たいしたものじゃない? やっぱり北崎重工の技術力ってすごいと思うわ」
「認めます」
 そのまま、誰もが話の接ぎ穂を失って、黙り込んでしま……わなかった。
「はいはいはい!、それじゃあ、こちらからも、挨拶をしちゃいましょう」
 あっけらかんとした機長の声と同時に、AC−130Jのエンジンの回転数があがり、そばを飛んでいる漆黒の戦闘機の前に出る。そのまま翼をバンクさせて、一気に上昇する。
 それにあわせるように、戦闘機もその台形の翼を翻してAC−130Jの前に出ると、派手にロールをうってみせた。そのまま互いの表情が見える距離まで近づき、バイザーを跳ね上げると、気障に二本指で敬礼してみせる。そして、鮮やかに右にバンクをすると、基地のある沖縄に飛び去っていった。
「へえ〜、結構いい感じじゃない?」
「なんだよ、気障な奴だな」
「でも、様になっているから、いいじゃない」
 お気楽な彼女らの声が、いっせいにわき上がる。
「それじゃあ、今日はこれで訓練は終わり。これで基地に戻りましょう」
 機長の飛島ユリカ三等海上保安正は、ゆっくりと海上保安庁第11管区所属の洋上監視大型航空機AC−130J「なでしこ」を左にバンクさせると、帰路に就いた。
 
 海は荒れていた。
 ごうごうと風が吹きすさんでいる。
 その風が建物の窓に雨粒を叩きつけ揺さぶる中、何人かの男が、黙々と通信機の前で入ってくる電信に耳をすませていた。男らは、それらの通信を手早くメモし、その情報に対応すべく待ちかまえている者に手早く渡していく。
 と、そのメモを受け取った男が、いぶかしげに通信士に問いかけた。
「どういう意味だ、これは?」
「そのままさ」
 次の通信に神経を集中させていた男は、ぞんざいにその質問を受け流した。
 これ以上はむしろ邪魔になるだけでしかないことを理解した男は、そのままメモを握りしめて部屋を小走りに出ていった。
 
 沖縄県の那覇市におかれている海上保安庁第11管区海上保安本部の通信室で、その意味不明の通信が傍受されたのは、その季節外れの台風が沖縄本島を通りすぎようとしている0240頃のことであった。普通ならば見向きもされないその通信文が海上保安庁の職員の注意を引いたのは、その通信が発信されたのが、沖縄本島西方の尖閣諸島のまっただなかであったためであった。そしてその通信文は、その日の朝の0900には、東京の内務省本省ビルにある、海上保安庁の警備救難監の執務室に届けられていた。
「それで?」
 言葉少なに姿勢を正して立っている男らに、瀬名尾正宗警備救難監は、話を続けるようにうながした。その黒く濃い眉が、わずかにゆがめられていることが、彼の内心をわずかにあらわしている。
「当時、通信が発信された尖閣諸島魚釣島の東南の海上は、昨晩の大型の低気圧がちょうど通りすぎようとしていたこともあって、極めて海面の波浪の状態が悪化しておりました。通信を発信した目標は、その低気圧によって本来ならば海上で行うはずであった荷物の受け渡しに失敗し、あまつさえ自身も遭難したと考えられます」
 姿勢を正したまま、制服姿の海上保安官の一人がメモを読み上げた。
「それはわかっている。問題は、その船の上部組織がどのような反応をするかであり、彼らと協力関係にある大陸側が、どのようなりアクションを返すかだ」
「それは、警察からまわってきた情報によりますと、この取引はあくまで中国側が主導権を握っており……」
「私が聞きたいのは、そういうことではない」
 瀬名尾の底光りをする眼光が、いっそう強い光をおびる。
 海上保安庁の制服の上からでも、瀬名尾警備救難監が、相当に鍛え上げられた身体をしているのが見て取れた。そして、そのなめした革を思わせる浅黒い肌は、彼がかなり長い間洋上の第一線で勤務してきたことを表していた。
「現在第三管区海上保安本部にSSTが待機していたな」
「は」
「すぐに那覇に向けて出発させたまえ。それと、現地には、先日導入されたばかりの大型機があったな。あれも待機させたまえ。当然、実弾の配布も許可する」
 矢継ぎ早にくだされる瀬名尾の命令に、海上保安官は、呆然とメモを取ることしかできないでいた。
「先日の海上保安法の改正で、我々は名実共に国境警備隊へと昇格したのだ。それにふさわしい活動を納税者に示す必要がある。そのつもりで、各員は任務に励むように」
 言葉が終わると同時に立ちあがった瀬名尾は、メモを取り終わった海上保安官を見上げた。堂々とした上半身とは裏腹に、彼の両足は平均よりもよほど短かった。もっとも、この海上保安庁内で、そのことを笑うものは誰一人としていなかったが。彼は、誰もが承伏しかねるほどあくの強い男であったが、しかし、同時に驚くほど精力的で有能な働き者でもあったのだ。
 少なくとも、彼でなくては、二十一世紀を今まさに迎えたばかりの海上保安庁の現在の隆盛はなかったとすらいえた。二〇世紀末の大不況を契機に行われた行政改革によって、全ての治安機関とともに、通産省から内務省に移管された海上保安庁。その激変する状況の中で、この組織を警察やその他の機関に互す組織へと育てあげたのが、この瀬名尾という男であったのだ。
 
 大蔵省税関部特別審理官の歩巳ジュンは、低気圧がぬけた後のたっぷりと湿気をふくんだスープのような空気の中を、とぼとぼと新しい赴任地へむけて歩いていた。
 かっと照りつける太陽が、彼が歩いているアスファルトから陽炎を立ちのぼらせている。滝のように流れる汗が、彼のオーダーメイドのワイシャツをしとどに濡らしてしまっている。
 日が中天に昇っている沖縄の嘉手納飛行場の滑走路は、とてもではないがまともな生物の生存可能な場所ではないと、ジュンは心から思った。あと10分もこんなところを歩いていたら、多分脱水症か熱射病で倒れてしまうだろう、とさえ思った。そして、いい加減想像が悪い方向へむかい始めたその時、その耳に彼を呼ぶ声が届いた。
「大丈夫ですか? なんか顔色が悪いですけど」
 そこには、川崎の250ccオフロードバイクにまたがった、ちょっと茶色みがかった長めの髪をした人の良さそうな雰囲気の青年が、心配そうな表情をしてジュンの顔をのぞき込んでいる。
「……え? あ、ああ、大丈夫ですが……」
「ああ、でも、本当に大丈夫ですか?」
 まるでたった今プールからあがったように全身がぐっしょりと濡れてしまっていて、しかも、顔色も今までおぼれかけていたのをたった今助けられたような具合では、ジュンのその言葉も、いささか信憑性にかけるきらいがあった。青年は、ジュンの顔をのぞき込むと、軽く眉をひそめた。
「どこに行かれるんです? よければ、送りましょうか?」
「え、ああ」
「どちらに行かれるんです?」
「ええと……」
 ジュンが答るか答えないかの間に、青年は彼をバイクの後ろに載せて走り出した。
 しばらくそうして走っていると、とうとう彼が赴任するべき対象が見えてくる。
 AC−130J「なでしこ」。
 海上保安庁が、二十一世紀に入ってからこの方、近年増大し続ける麻薬や銃器をはじめとする各種危険物の密輸や、犯罪組織の海賊行為、大陸からの密入国等に対抗して導入した、まさに秘密兵器といってよい虎の子の飛行機であった。
 「なでしこ」は、航空自衛隊で運用しているC−130J中距離輸送機の機体に、105ミリ低圧高初速砲や20ミリ多銃身チェーンガンを主武装として搭載している火力支援機である。その他にも、各種のセンサーや兵器を搭載し、さらには装甲車や小型ヘリまで輸送することが可能な、文字通りの空飛ぶ戦艦であった。
 本来ならばキャリア官僚として、クーラーの効いたオフィスで書類を手繰っていればいいはずの彼が、わざわざ志願してこんなところに来るはめになったのも、理由がないわけではなかった。
「あ、アキトだー。アキト、ね、どうしたの、わざわざこんなとこまで?」
 「なでしこ」の主翼の上で水着姿で日光浴をしていたユリカが、ぶんぶんと手を振って二人を迎えた。軍用機のパイロットとは思えないほどに長い直ぐの黒髪がひるがえり、全備重量が50トンを越す機体を自在に操っているとは思えないほどに華奢な腕が、目まぐるしく動く。
 その声を聞いた瞬間、ジュンは、くたくたと膝の力が抜けそうになった。
 実は、その声の主こそが、彼がこんな南の僻地へ来るはめになった最大の理由であった。だが本人は、そんな彼の内心なぞまったく気がつかずに、のほほんと南の島での生活をエンジョイしているらしい。相変わらずその瞳は無邪気にきらきらと輝き、美人と呼んでさしつかえないはずの彼女を、しごく子供っぽく見せている。
 そして彼女は、彼には文字通り一目たりともくれずに、彼をここまで運んでくれたアキトと呼ぶ青年に飛びついたのである。
「ね、ね、やっぱり、アキトはあたしを大好き!」
「ちょ、ちょっと待てよ、だから突然、何なんだよ」
「機長、お客さんですかぁ?」
 同じように、主翼の下にデッキチェアーやテーブルを持ち込んで、Tシャツにショートパンツといった格好でアニメ雑誌を読んでいたメグミが、起きあがって突然の客人を出迎えた。ユリカと同じように長い、ちょっとくせのある髪を三つ編みにして後ろにたらしている。顔にわずかに散っているそばかすが気になるのだろう、直接太陽の光にあたるところには出ようとはしない。
「わざわざこんなとこに? もの好きな奴がいるなあ。それも二人も」
 つなぎの上半分を腰でまとめ、タンクトップ一枚をはおった格好で何か作業していたらしいリョーコが、汗で額に張りついたショートカットをかきあげながら、「なでしこ」の中から現れた。続けて、似たような格好のヒカルやイズミまでもが、もの珍しそうにジュンの前に現れる。
「あーあ、わざわざこんなとこまで歩いてくるなんて」
 流れ出る汗で、まるでそのままの格好で海水浴でもしてきたかのようなジュンを見て、リョーコがあきれたようにそうつぶやいた。
「なんで、管区本部で車を借りなかったんでしょうね?」
 その丸顔に比べてかなり大きめなメタルフレームの眼鏡の位置を直しながら、ヒカリが、リョーコにむかって声をひそめてそうつぶやいた。
 と、何か思いついたらしく、イズミが、そのワンレングスの黒髪の下でいつも眠たそうな瞳をすうっと細めた。
「自動車を借りると言っても、児童じゃ……」
 その駄じゃれが耳にはいった瞬間、ジュンは、とうとうアスファルトの上に崩れ落ちてしまった。
 まわりの騒ぎがどこか遠くでのことに感じられ、彼は、自分の選択が実は間違っていたのではないかという深刻な疑問にさいなまれながら意識を手放した。
 「なでしこ」の機内で油圧関係のチェックをしていたルリは、そんな外の騒ぎに少しだけ視線をのぞき窓から走らせただけで、黙々と自分の仕事に没頭していた。と、鼻の頭にオイルの飛沫がかかる。無造作に右手の親指のはらででそれをぬぐうと、少しだけ小首をかしげる。左手に持っているチェックシートに整備状況を書き込みながら、彼女は、わずかに左右のおさげを揺らして無感情な声でつぶやいた。
「みんな、ばかばっか」
 
 歩巳ジュンが目覚めたのは、古ぼけてずいぶんと疲れた様子を見せる病室のベットだった。はっとして身体を起こし、あたりを見まわす。わずかに開けられたまだから入ってくる風で、疲れて色あせたカーテンがゆらゆらとたなびいている。
「お目覚めですか、歩巳審理官」
 少し離れた木製の事務机でなにかの書類に向かっていた女医が、ジュンが目覚めた気配を感じて振り返った。彼は、彼女が明るい色をした金髪の持ち主で、しかもどう見ても日本人離れした容貌の持ち主であることにびっくりした。もしかして自分は在日米軍基地に運び込まれたのかとも、一瞬考えてしまう。
「もうしばらく横になっていてください。日射病と脱水症で倒れたのです、今は体力の回復に勤めてください」
「すいませんが、ここは?」
「海上保安庁の嘉手納基地の病室です。私は、イネス・ドゥ・ラ・フレサンジュ。「なでしこ」の医官兼投下指揮官です」
 ふらつく足どりでベットを下りようとしているジュンを押しとどめるべく、イネスは、仕方がないといった様子でベットに近づいてきた。そのまま彼をもう一度ベットに寝かしつける。
「飛島機長より話は聞いています。機長の幼なじみでいらっしゃるのですね。直ぐに機長がまいりますから、おとなしくしていてください」
「失礼ですが、フランスの方でしょうか?」
 無理矢理ベットにもう一度寝かしつけられたジュンは、イネスの美しいが理知的で冷たい印象すら与える横顔を見つめた。
「生まれはフランスですが、今はこの国に帰化しています。そういう意味では、日本人です」
「失礼を」
「いえ、お気になさらずに」
 実際、特に気にした様子もなく、イネスは、自分の机に戻っていった。
 その白人女性にしては繊細なつくりの躯の線に、わずかにうずくような快美感を感じながら、ジュンはゆっくりと目を閉じようとした。
「ジュン君、大丈夫!?」
 と、彼がなんとなく和んだ気分になったその瞬間、そんな雰囲気をぶち壊すかのようにユリカが飛び込んでくる。
「「なでしこ」に勤務になったんでしょ? どうしたの? せっかくキャリアになって、出世できるって喜んでいたのに?」
 内心、もう一度意識を失いそうなほどの脱力感を感じながら、それでも彼は必死になって身体を起こした。
「ほら、「なでしこ」は国境監視任務にあたるだろ? その時に文官がいた方がなにかとやりやすいじゃないかな?」
「うーん? それだったら、法務省の管轄じゃない?」
 今度こそ耐えられなくなって、ジュンはベットに突っ伏した。
 わかってもらえないというのは、よほどに辛いものがあるのだ。

 

 
「ああ、僕って、一体……」
 ジュンは、「なでしこ」コパイシートでその日何度目かのため息をついた。
「でも、機長よかったですねー。副操縦士が来て」
「ぶい!」
 相変わらず能天気な搭乗員の声に、彼はその日何十度目かの自分の選択の妥当性についての疑問を内心で押し殺した。少なくとも、一度自分で決定してしまった以上、その内容についてとやかく言いたくはなかったのだ。
「でもねえ、副操縦士といっても、ジュン君って、もっているライセンスは双発機まででしょ?」
「大丈夫だよ、僕が操縦桿を握らなきゃならないときには、もう最後の最後だから」
「そうですよねー」
 誰ともしれない容赦のない突っ込みが、間髪いれずに入る。
「大丈夫ですよ。コクピット周りはチタン合金の装甲板と防弾ガラスで完璧に守られていますし、機体の各部もそれなりの対弾処理はされていますもの」
 慰めているのだか、相変わらず無邪気なだけだかわからないユリカのフォローが入る。
「ねえねえ、ジュン君? でも、本当に、なんでわざわざこの飛行機に来たの?」
「……本当に、わからない?」
 心底脱力しそうな声で、ジュンはユリカの質問におそるおそる答えた。
「だって、あまりにタイミングが良すぎません?」
「つまり?」
「だからぁ、その、だってジュン君、キャリアでしょ? どうして許可が下りたんです?」
 つまりユリカが言いたいのは、こんな大きな作戦の直前になって、突然大蔵省のキャリアのジュンがやって来て、しかも、下には海上保安庁で一番大きな巡視船がこの作戦に投入されている、ということらしい。そして、そういわれてみれば、ジュンにとっても今回の一件は、あまりにも訳がわからないことが多すぎた。
 ジュンは、ユリカが一体なにを疑問に思っているのか、今この瞬間になって初めて理解したといえた。
 これまでまったく失念していたが、彼は、大蔵省では相当に将来を嘱望されているエリートの一人ではあるのだ。確かにこの数年内に大蔵省は財務省へと改変され、その勢力地図は完全に変わってしまうことにはなる。だがしかし、よく訓練された財務官僚の地位が低くなるわけではない。むしろ、多くの同僚が首相直属の金融政策機関や財務政策機関に移籍することを思えば、これまで以上に国策に深くかかわることができるとすら言える。
 そんな彼が、いくら本人の希望とはいえ、こんな辺鄙なところでこうして攻撃機の副操縦席に坐っていること自体が、非常におかしいといえばおかしいのである。
 だが、そんな彼の思考は、それほど長くは続かなかった。
「機長。そろそろ魚釣島です。あと一〇分」
 どうひいき目に見てもピクニックに行く様にしか見えない雰囲気の「なでしこ」の機内で、一人だけ真面目に任務にいそしんでいるルリが、一言皆に注意を喚起した。その言葉にあわせて、いっせいに機内のシステムが目を覚まし、活動を開始しする。
「はい! 皆さん、戦闘配置です!」
 ユリカが命令を下したその瞬間、すでに用意を整えていた各兵器が、いっせいに戦闘可能状態に移行する。機体左側面のシャッターが何カ所も開かれ、105ミリ・ガンハウザーや、20ミリ多銃身チェーンガン、35ミリ機関砲といった火器が、いっせいにその砲身を機外へ現す。一瞬で、ピクニック行きの遊覧飛行機から戦闘兵器へと移行した「なでしこ」の変わりように、ジュンは呆然としてどう反応してよいかわからないでいた。
「機長、魚釣島まであと五分」
「了解です。全兵装、装弾終了と同時に安全装置を第二段階まで解除してください。
「105ミリ、準備よし!」
「20ミリ、準備オッケー」
「35ミリ、準備よろし」
「前方赤外画像監視システムよし、Xバンドレーダーよし、光量増幅監視システムよし、システムオールグリーン」
 ユリカにあがってくる報告は、「なでしこ」が完全に兵器として活動できることを明らかにしていった。ジュンは、自分が今、非常に凶悪な兵器に乗り込んでいて、しかももしかしたならば、自分も戦闘に直接参加することになるかもしれないことに、本能的な高揚を感じてしまっていた。それは、男としてのどこか奥深くに眠っているはずのなにかであった。彼は、自分にもそういったなにかが眠っていたことに気がつかされて、なぜかものすごく興奮し始めている自分を見つけて、二重の意味で驚愕してしまっていた。
「それじゃ、皆さん、ちゃっちゃとお仕事を片付けちゃいましょう!」
 
 海上保安庁の特殊警備隊、通称SSTは、本来、核物質輸送船の警備のために編成された特殊部隊であった。しかし、海上保安庁の担当する任務が多岐に拡がり、限定された火力を発揮して状況を管理しなければならないような場合には、このように必要に応じて極秘裏に投入されることも多くなってきたのであった。
 現在尖閣諸島は、日本、中国、台湾の三ヶ国がその領有を主張している。そのため、武力紛争の発生を恐れて、各国の海軍の戦闘艦はそうそう近づかないホットゾーンとなっていた。海上保安庁は、あくまでコーストガードであり国境警備隊であるという建前から、たびたび巡視船を派遣し、周辺水域の調査を行っていた。そして、そのたびに繰り返される、中国、台湾両国の非難声明をものともせず、それどころか極秘裏にSSTによる諸島の制圧演習すら行っていたのであった。
 もっともそれも、SSTの隊員数が多くても四〇人程度でしかない現状では、あくまで研究段階のものでしかなかったが。
 そして、今この魚釣島に上陸したSSTの一個班一〇名の隊員たちは、全身を黒ずくめの装具でおおい、それこそ正規軍の特殊部隊が相手でもなんとかなるような装備を用意していたのである。近隣に停泊しているヘリコプター搭載大型巡視船「しきしま」(六五〇〇噸)からヘリによって運ばれてきた彼らは、まるでそうしたヘリボーン作戦が当然のもののように低空でホバリングしているヘリからスリングすると、素早く周辺に展開した。そして、手慣れた様子で付近に散開し、適当な遮蔽物を利用して身を隠し、周囲の状況を確認する。そして、魚釣島の東南の浅瀬に座礁し、傾いでいる、古ぼけた小型の貨物船にむかって接近し始めた。
 天河アキト一等陸曹は、何故か出向していたSSTの隊員らと一緒に、巡視船「しきしま」からアエロスパシアルAS332L1シューペル・ピューマで魚釣島に上陸するはめになっていた。本来ならば、自衛官であり、単に水陸両用戦特殊部隊におけるヘリ運用の研究の一環としてSSTに顔を出しているにすぎない彼は、ここにいるはずがなかったのだ。だが、海上保安庁上層部の意気込みとは違って、まだまだ実戦で使い物になるとは思えないという評価を下した陸自の特殊戦任務部隊の上層部が、いざというときにせめて何かしらの戦訓を持って帰ってくるようにと、彼に非公式にこの騒動に参加するように命令したのである。
 しかも、アキト自身にとっては非常に不幸なことに、彼はレンジャー課程を優秀な成績で卒業し、師団偵察連隊の遊撃中隊に配属されたこともあり、さらにはヘリの操縦資格すら持っている優秀な陸曹だったのであった。彼は、単純に将来自衛隊を除隊した後で始めるつもりのラーメン屋の開店資金を少しでも増やすために、ちょっとでも多くの手当てが欲しかっただけなのだが。とはいえ、これだけの技能を持った人材を、常に人手不足の自衛隊が、無駄に遊ばせておくはずがなかった。
 アキトの見ている前で、SSTの隊員達が、そろそろと慎重にかつ律義にツーマンセルで、座礁した貨物船に向かって近づいていく。そんな彼らの背中を見ていてアキトは、自分や同僚たちであったら、もう少し要領よくかつ確実に貨物船の情報を収集しつつ接近できるのに、と、ちょっとだけ思った。一応は彼らのオブザーバーでもある彼は、手にしているMP5SD3を貨物船に向かって構えつつ、その周辺の状況を観測し続けていた。
 と、一瞬、貨物船の舷窓で、何か影のようなものが動いた。
 アキトは、半ば本能的にのど元にあてられているマイクに向かって、警告を発した。
「敵影! 貨物船後部舷窓!」
 だが、ある意味経験の不足している彼らは、その警告にまちまちな反応しか返せなかった。
 
 「なでしこ」は、そんな彼らの動きを魚釣島の周囲を、距離を取って周回しながらその優秀な前方赤外画像監視システムで見物していた。
 一応、なにかあったときのための火力支援が、「なでしこ」の任務ではあった。が、しかし、クルーの誰もが、心の内ではそんな場面が発生するわけがないとたかをくくっていたのである。
 同じようにたかをくくっていたのであろう、遮蔽物から遮蔽物へと移動するときに、腰を高くして移動している若い隊員がいた。突然その難破船の右舷から火線が伸び、その若い隊員が、手に持っていたMP5SD3を放り出して転がった。そのまま腹を抱えて地面にうずくまる。
 即座にいくつかの発煙手榴弾が投擲され、その煙に隠れて何人かの隊員が負傷した隊員を岩陰に引きずり込んだ。そのまま治療に入る。残りの隊員らは、負傷した隊員の救助の援護のために、難破船のあちこちから伸びる火線に向かってMP5を撃ちまくっていた。
 と、ナデシコの無線機に、聞いたような記憶がある声が入ってくる。
「そこ! 急いで負傷者を収用して! AC−130、AC−130、聞こえるか!? こちら地上班、こちら地上班。船内から銃撃を受けて負傷者が出た。繰り返す、負傷者が出た。発煙弾でも何でも撃ち込んで、援護してくれ!」
「アキト!? アキトなの!? ねえ、どうしてアキトがそこにいるの!?」
 ユリカは、ひったくるように通信回線を奪うとマイクに向かって叫ぶ。
「ユリカか!? とにかく、援護を!」
「うんっ! 二〇ミリ機銃いきます!」
 ユリカの反応は早かった。
 隊員が転がったその瞬間には、すでにラダーを蹴飛ばし操舵輪を倒して左旋回に入り、隊員が救助された時には、高度を落としつつタイミングをはかって難破船に近づいていた。
 そのまま、高度をほぼ五〇メートル程度に維持したまま、高速で難破船とSSTの間を飛び抜ける。ほんの一瞬だけAC−130Jの機体左側面から突き出た二門の二〇ミリ六連装チェーンガンが火を吹き、二〇〇発を軽く超える弾頭重量一二五グラムの二〇ミリ榴弾を船体に叩き込んだ。無数のシンバルを叩き鳴らすような音とともに、難破船の船体の右側の外板が、まるで障子紙を引きちぎるかのようにばらばらになって飛び散る。
 「なでしこ」は、即座にエンジンを全開にして急上昇して高度をとり、もう一度左旋回に入って島を周回し始める。
「機長、派手過ぎますよぉ!」
 半分泣いているかのような声で、ヒカルが一応の抗議をしてみせる。
「大丈夫です。次は、一〇五ミリで威嚇します」
「威嚇じゃなくて、止めを刺す、になるぜ!?」
 まるで、墓場から戻ってきた死体と結婚させられることを告げられたような声で、リョーコが叫んだ。彼女らは、救難活動と警察活動のために海上保安庁に入ったのであって、戦争がしたいわけではない。
 が、ユリカは、そんな彼女らの声を完全に無視すると、今度は傾いでいる難破船の反対舷の船首に一〇五ミリ砲弾を叩き込んだ。轟音と共に船首が砕け散り、破片が周囲に飛び散るのが、「なでしこ」の機上からも十分に見て取れた。
「ユリカ! いくらなんでもやりすぎだよ!?」
 さすがに剥き出しの暴力に耐えられなくなったジュンが、厳しい声で抗議する。
 が、あくまで彼女は、慎重に機体を操りつつ、照準を難破船から外そうとはしなかった。
「メグミさん?」
 突然、ユリカは、これまで黙ってセンサーを操っていたメグミに向かって声をかけた。
「難破船の抵抗は終わったみたいです。今、乗員が投降…… !? 機長、目標左舷の海上に、多数の熱源反応! 武装兵みたいです、詳細はわかりません!」
 メグミは、目まぐるしく「なでしこ」に搭載されている各種センサーを使って、突如海中から現れた戦闘部隊の情報を集めようとしていた。だが、90式改やF15J改並みのFCSとセンサーを搭載しているAC−130Jであっても、それは容易なことではなかった。
「警告を!」
「! こちら「なでしこ」、こちら「なでしこ」、地上班、地上班、難破船左舷に国籍不明の戦闘部隊出現、注意されたし、繰り返す、難破船左舷に国籍不明の戦闘部隊出現、注意されたし!」
「ブレイク!」
 めったなことでは声を高めないルリが、鋭く叫ぶ。
 なにが起きたのか確認しようとすらせず、ユリカは、AC−130JのアリソンAE2100D3ターボプロップエンジンにフルブーストをかけ、「なでしこ」を急上昇させる。それと同時に、ルリは、両翼に装備されている赤外線フレアポッドとECMポッドのスイッチを入れた。そのまま、ディスプレイを見ながら、フレアポッドから強力な赤外反応を発生させるマグネシウムリボンのファイアー・ボールを投下させる。
 ユリカは、機体の後方でフレアが発生したのを確認すると、即座に「なでしこ」を急降下させた。そのまま海面すれすれまで降り、一旦距離を取ってもう一度高度を取り直す。
「なんなんだ!?」
 なにが起きたかわからないまま、ジュンはわめき散らした。
「対空ミサイルです。多分携帯式の。そうね、ルリ?」
「はい。多分SA−7クラスだと思います。スティンガーの加速力だったら、逃げ切れなかったんじゃないでしょうか」
「よくまあそんな冷静に?……」
 呆然とするジュン。と、地上のSSTや洋上の「しきしま」と通信をしていたメグミが、悲鳴のような声をあげた。
「機長! 地上班から、メイデイです!?」
 島の表面で確認できる火点の数は、どう見ても十や二十ではきかない。そして、SSTの使っている銃が、サイレンサーを銃身に組み込んだタイプであることを、なぜか皆は知っていた。
 と、難破船から、どう見てもロケット兵器と思われる発砲炎が伸びるのすら、見えてしまう。
「はい。「しきしま」の船長は、なんて言ってきました?」
 だが、あくまでユリカはのほほんとした態度を崩そうとはしない。
「え?」
「作戦の続行か、地上班の撤退の援護か、言ってきませんでした?」
 きょとんとしているメグミに、まるで世間話かなにかのように言葉を続ける。だが、ユリカは、握っている操舵輪をわずかに動かしつつ、もう一度難破船を攻撃できる態勢にもっていっている。
 
 地上のSSTは、かなりひどい状況に置かれているようであった。
 元々それほどの抵抗があるとは思っていなかったところに、相手の火器を使った抵抗であり、突如海中から登場した戦闘部隊である。厳格な訓練をへてきた彼らであるからこそ、士気崩壊を起こして壊走することはなかったが、しかし、状況は刻一刻と悪くなっていく。
 それに「しきしま」でも、突然始まった戦闘に、なにをどうしたらいいのかわからないまま、パニック状態に陥っているようでもあった。
 ほんの最近まで、あくまで交通警察に毛の生えた程度の仕事しかしてこなかった海上保安庁の職員に、突然重装備のテロ集団との戦争をやらせようとしても、うまくいくはずがなかった。
 横浜の第三管区保安本部の中央指揮所で、これまでの戦闘の状況の推移を見守ってきた瀬名尾警備救難監は、敵が思いのほか頑強に抵抗してくる様子を見て、そんなことを考えていた。
 このまま状況が推移するのを放っておいたならば、SSTは大損害を受け、場合によっては「なでしこ」か「しきしま」を失う事態も発生しかねない。本来ならば現場の指揮に口を差し挟むのは、指揮官として絶対にするべきではないのだが、これ以上はとても原則論にこだわってはいられなかった。
 瀬名尾は通信機の前に移動すると、マイクを手にとり口をひらこうとした。相手は、現場指揮官の「しきしま」の船長である。
 と、その瞬間であった。
 
 ユリカは、今自分が判断の岐路に立たされていることに気がついた。
 突然現れた謎の部隊によって、作戦は完全に崩壊しようとしている。もはや、あの難破船になにがあって、何故にこのように海上保安庁が躍起になってあの船にこだわるのか、どうでも良くなっていた。わからなかったが、しかし、今現実に同僚が命の危険にさらされていて、自分はその命を助けることができる立場にいる。
 だが、日本的な組織においては、そうした英雄的行為はかえってその本人の将来を閉ざし、非難される原因となる。だからといって、答に迷っている時間はなかった。次の攻撃のタイミングまであとわずかしかなかったし、彼女も、こういうときに躊躇するような教育は受けてこなかったのだ。
 そして、今、下には、彼が、彼女の王子様である天河アキトがいる。
 答はひとつしかなかった。
 だからユリカは、行動を起こす前に、皆に一言ことわりをいれることにした。
「皆さん、今、下では、同僚の皆さんがものすごく危険な状況にいます。この「なでしこ」ならば、もしかすると皆さんを救うことができるかもしれません。でも、そのためには、相手を「なでしこ」の火器で制圧しなければなりません。言葉を選んでも、結局それは戦争で、人殺しです。
 ですから、あくまで皆さんは、わたしの命令で、任務を遂行するのだ、ということを覚えておいてください。これからの戦闘は、全部わたしの判断で行うことで、皆さんはその命令に従っただけですから。
 あくまで引き金を引くのは、わたしです」
 ほんの一瞬だけ、機内を沈黙が支配した。
 次の瞬間、わき起こったのは、抗議のブーイングであった。
「何を言ってるんです、機長!?」
「おれたちは、はなっからそんなことわかってこいつに乗ってるんだ!」
「一人でカッコつけて、それってずるいですよ」
「私たちに責任がないのならば、あくまで出撃を命令をした上層部に責任があって、機長にも責任はありません」
「どうせ後悔するなら、自分で納得のいく後悔をさせてください!」
 軽くため息をついたジュンは、そっととなりに坐っているユリカに向かってささやいた。
「いこう。僕はたいして役に立たないけれども、一緒に付き合うくらいはできるよ」
 
 瀬名尾は、不覚にも言葉を失ってしまっていた。
 別に感動したわけではない。彼の精神は、そういった浪花節とはまさしくに対極に存在している。そして、そうでなければ、部下をこうして危険な戦場へ送り出すことなど出来はしない。
 彼が言葉を失っていたのは、彼が最も嫌いな日本的組織原理に頼らなければ、今この瞬間の危機を切り抜けるととができないという事実に腹が立っていたからであった。彼は、海上保安庁を、そうした泥臭い愛と勇気と友情で動くような組織から、近代的な、合理的、合目的的な組織へと変革することを自分の仕事としてきたつもりであった。だが現実には、上司の無能を第一線の職員がその肉体と将来で補うという、帝国陸軍ばりの情けない現実が目の前で繰り広げられている。
 だが、彼もユリカと同様に、あきらめるということを知らない兵士であった。為すべきことは為すのが、彼の哲学である。そして、現状では、現場に発生しつつある混沌を押さえ込み、もう一度秩序を取り戻すことが出来るのは、どう見ても彼しかいないようであった。
 彼は即座に精神的に立ち直ると、冷静に状況を判断し、命令を発する。当然相手は「なでしこ」の機長である。
「こちら、警備救難監の瀬名尾だ。「なでしこ」のクルー諸君、たった今から諸君らは、私の直属となる。その上であらためて命令を発する。
 「なでしこ」は、その全力をあげて敵を制圧し、「しきしま」と特殊警備隊の作戦遂行を支援せよ。いかなる妨害も、全力でこれを排除し、あくまで職員の任務遂行を第一とせよ。
 以上だ」
 呆然としてこちらを見ている他の職員を平然と見つめ返すと、瀬名尾は、次は「しきしま」の船長に命令を下した。当然、撤退は不可。あくまで搭載している火器と航空機によって、敵を制圧し、難破船内を捜索する。そのためには、いかなる手段を使用しても構わない。
 次に彼は、市ヶ谷の国防省にいる、海上保安庁から出向している連絡官への直通電話を取った。
 あくまで彼には、勝負を降りるつもりはなかった。
 
 好き放題やれ、というお墨付きを貰ってしまったならば、もう後戻りは出来なかった。
 「なでしこ」のクルーは、それこそ敵陣へむけて銃剣突撃をかける兵士のような高揚感と興奮とを共に、嬉々として戦闘準備に励んでいた。
「いきます!」
 ユリカの一言と同時に、「なでしこ」はまるで墜落でもするかのような急降下をし、一気に上陸した部隊の上を飛び抜ける。
 同時に、二〇ミリ機銃弾が彼らの上にばらまかれ、瞬く間に彼らの大半をこま切れの肉塊に変えていく。船内から反撃の火線が伸びるが、それも、MBT並みに精密な射撃照準装置によって管制されている三五ミリ機関砲弾や一〇五ミリ砲弾の反撃によって、瞬く間に沈黙させられてしまう。
 AC−130Jは、わずか一航過で、その圧倒的な火力で相手の大半を粉砕し、苦境にあったSSTを救い出してしまった。
「機長! 多分、敵のと思われる通信です!?」
「妨害は?」
「え?」
「ジャミングはかけてるんですか?」
 その声にはじかれたように、メグミは、相手の通信を妨害し始めた。
「機長、あの、もしかして、これ……」
 その通信に耳を傾けているメグミは、おそるおそるその通信の一部をユリカのヘッドセットにも流した。
 それは、かん高く、複雑な音階の言語であった。そして、その言葉を使う民族と、日本はここの島々を巡って、対立状態にある。
 だが、ユリカは、もしかしたならば自分が戦後初めての外国との戦争の引き金を引いてしまったのかもしれない、という意識は全くないようであった。というか、そういったプレッシャーを感じているのか感じていないのか、無言でもう一度一〇五ミリ砲弾を難破船にぶち込み、海岸にたこつぼを掘って潜んでいる相手に向かって二〇ミリ機銃弾を降らせる。
 そして、一旦島から離れると、周囲をぐるっとまわってもう他に敵がいないのを確認した。
 下では、SSTの無事な隊員が、難破船内に突入しているところであった。

 

 
「機長、ちょっと、すごいです……」
 一時の高揚感のあとの倦怠感の中で、黙々と通信の傍受を行っているメグミが、傍受したSSTと「しきしま」の間の通信を機内に流した。
『……確認できただけで、ヘロイン五〇〇キロ、大麻一トン、一個中隊を完全武装できる火器がある……』
『……上陸してきた戦闘部隊は、東洋系の兵士で、中国製と思われる火器を装備している。装備も決して悪くはない。さっきの戦いぶりからしても、どう見ても正規軍だと思われる……』
 「なでしこ」のクルー全員が、文字通り顔色を青ざめさせてその通信に聞き入っていた。
「……もしかして、おれたち、戦争をやっちまったのかな……」
 ぼそりとつぶやいたリョーコの疑問は、皆の感じている疑問をそっくり言いあらわしていた。それに覆いかぶせるように、ヒカルが、つぶやいた。
「ね? 大丈夫だよね? これで日本と中国が戦争になったり、しないよね?」
 ヘッドセットごしにも、彼女の声が震えているのがわかる。
「なんで、戦争になるんだよ?」
 不機嫌そうにリョーコがかみついた。
「だ、だって、何十人もの兵隊が日本領に上陸してきて、銃撃戦までやって、それに、麻薬や武器までいっぱいあって、それで……」
 ヒカルの言葉は、ほとんど彼女がパニックに陥っているようにしか聞こえない。
「ね、ジュン君? やっぱり、上の人たちは、この事を知っていたんでしょうか?」
 機内に拡がりつつあるパニックを無視して、ユリカは、さっきから考えこんでいたことを、質問の形で話し始めた。
「少なくとも、「なでしこ」と「しきしま」を投入したということは、それなりの抵抗を予想していたからですよね?」
「……そうだろうね」
 ユリカが何を言いたいのかわからず、ジュンはとりあえず相づちを打って先をうながした。ユリカが、決して見たとおりのバブルヘッドではなく、むしろ明晰な頭脳と思考を持っているることを、ジュンはその短くはない付き合いでよく知っていた。
「ということはですね、確かにあの特殊部隊の人たちの登場も、不意を突かれたことは事実ではあっても、決して予想していなかったわけではないのでしょう?」
「確かに、わざわざ特殊部隊やこんなすごい攻撃機を出撃させたということは、ある程度までは予想できたんだろうね」
 そうでなければ、普通の海上保安官が上陸して、多分全滅させられていたであろう。
「そうするとですね、当然、上の人たちには今回の黒幕が誰かわかっていて、そして、その黒幕の人に対するデモンストレーションの意味合いが強いのではないかな、と、そう思えるんです」
「……じゃあ、それって」
「はい。多分、本当の敵は国内にいて、そしてこの出撃は、その人に対する警告なのでしょう。海上保安庁が本気です、という意味の」
 もう一度機内を満たした沈黙は、しかし、さっきのわけのわからない不安に満ちたものではなかった。むしろ、なにか大きなものに対する怒りのようなものが満たされてすらいた。
「……機長、その黒幕って、誰なんです?……」
 だれのものとは知れない質問が、ヘッドセットから聞こえてくる。
「それは、帰ってから瀬名尾警備救難監にお聞きしましょう」
 その瞬間であった。
「機長!? 二時の方角から高速熱源反応! 数は……」
 それは突然メグミが見つめているディスプレイの上に現れ、ものすごい速度で近づいてくる。
「目標は?」
「本機じゃありません。……「しきしま」です!! 「しきしま」!「しきしま」! ミサイル警報!」
 ほとんど音速に近い速さで近づいてくるそれは、メグミが「しきしま」に警報を出したその瞬間、ディスプレイの上で「しきしま」とひとつになった。同時に、赤外画像監視ディスプレイに、赤々と爆炎のような輝きが映し出される。
「ああ……」
 そのあまりの情景に、メグミは思わず両手で顔をおおってしまった。
「メグミさん!」
 だが、そうした感傷に浸っていられる余裕は、今の「なでしこ」には存在しなかった。これまでは、圧倒的な火力で有利な立場に立っていることができた。しかし、今この瞬間から、その有利さは敵の側に移ってしまったのだ。
「……ごめんなさい、機長。……前方80キロ、高度3000に、新たな熱源反応。多分、今のミサイルを発射した攻撃機です」
「メグミさん、国籍不明機に向かって警告を」
「は?」
「国籍不明の領海侵犯機に退去命令を送ってください。各員対空戦闘準備。よろしいですか?」
 ユリカは、てきぱきと命令を下すと、そのままエンジンを全開にしてひたすら高度を取り始めた。しかし、しょせんAC−130Jは、鈍重な輸送機を改造した機体でしかない。のろのろと這いずるように上昇していく。
 国籍不明の二機は、そんな「なでしこ」の左右から頭を押さえるように高度をとって近づいてくる。その上昇力と加速力は、まさしく彼らが最新鋭の作戦機であることを示していた。
「機長、レーダー波です。多分ミサイルの誘導波」
「ジャミングは!?」
 ヘッドセットから流れるルリのあくまで冷静で無感情な報告が、かえって全員の恐怖をあおりたてた。ジュンは、とにかく自分が恐怖でパニックを起こさないように、必死で歯をくいしばりユリカのことだけを考えるようにしていた。せめて彼女の前では、不様で情けない姿をさらしたくはなかったのだ。
「敵、ミサイル発射!」
 ほとんどべそをかきながら、メグミが警告を発する。
「ブレイク!」
 ミサイルが二発、まっすぐこちらに向かってくるのをモニターで確認しながら、ユリカは、タイミングを測ってラダーを蹴飛ばし操舵輪を倒した。そのまま「なでしこ」は、半ばきりもみに近いロールをうって、急降下左旋回を始める。
「ジャミング入ります。タイミング、3、2、1、ナウ」
 突然の横Gに皆がうめき声をあげる中、ルリはあくまで冷静にジャミングをかけるタイミングを見計らっていた。ミサイルは、一旦は「なでしこ」を追って降下し始める。が、そのままジャミングによってAC−130Jの機影を見失ったのか、オーバーシュートして海面に突っ込んだ。
 そのまま二発のミサイルは、爆発とともに派手に水柱をあげ、海面ぎりぎりまで降下した「なでしこ」の機体を濡らす。
「105ミリ、破片調整弾用意! 機銃、いきます!」
 そのまま海面すれすれで機位を戻すと、ユリカは敵との位置関係を必死に計算しつつ、反撃に移る。ミサイル発射後、一端距離を取った敵機が、大きく旋回しながらもう一度「なでしこ」の頭を押さえようとしている。彼女は、わずかに機体を横滑りさせると降下を始めようとしている敵機に向かって最大発射速度で20ミリと35ミリの機銃弾を浴びせかけた。
 だが、さすがに相手も反撃を警戒していた。
 「なでしこ」が発砲すると同時に、右旋回をうって上昇する。一瞬間を置いて、曳光弾の軌跡が敵の機体の腹をかすめていく。
 
 アキトは、大破炎上している「しきしま」を目の前にして呆然としてしまっているSSTの隊員達に、一旦難破船から脱出して岩場にたこつぼを掘って隠れるように指示すると、難破船が運んできた大量の武器の中から、使えそうなものはないか必死になって探していた。とにかく、今は一刻も早く「なでしこ」を助けなければならない。
「あった!!」
 アキトは、ようやく探していた物を見つけると、それを担いで難破船の甲板に向かって走り出す。船内は、先程の「なでしこ」の攻撃で血と硝煙の臭いでむせ返るほどであった。だが、彼はそんなことにはいっさい気をはらわず、途中、何度か血糊で足をすべらせながらも、まっすぐに昇降階段を駆け昇った。
 甲板は、これまでの戦闘であちこち大穴があき、ずたずたにささくれ立っている。
 アキトは、比較的無事に見える場所に担いできた器材を降ろし、コンテナの一つをあけた。
 そのコンテナの中には、SA−7携行式対空ミサイル発射器が収められていた。
 アキトは、発射器のバッテリーがフルチャージされていることを確認し、別のコンテナからミサイル本体が収められているチューブを取り出し、素早く発射器に装填する。そして、照準器の電源を入れ、IFFの電源を切って、はるか洋上で戦っている「なでしこ」を探した。
 「なでしこ」は、白い煙を吐いて後を追うミサイルとおぼしき物から、必死に降下しつつ逃れようとしていた。そのまま海面に激突しそうなほどぎりぎりまで高度を落とし、見ているアキトがあわやと思ったその瞬間、機首を上げてなんとか水平飛行に戻った。「なでしこ」を追いかけていたミサイルは、そのまま「なでしこ」をオーバーシュートすると、海面に突入し大きな水柱をあげる。一瞬、機体が水柱の陰に隠れ、彼をもう一度ひやっとさせた。
 だが、一瞬後には、「なでしこ」は平然とその姿を現し、海面すれすれを飛びながらこちらから遠ざかろうとしている。
 アキトは、一瞬で上空の敵の位置と飛行方向と高度を確認し、ナデシコを今度は後方から襲おうとしている機体にSA−7の発射器を向けた。太陽の位置を確認してから照準器をのぞき込み、のうのうとこちらに機体後部をさらしている敵に照準を合わせる。さすがにこの旧式のミサイル発射器の照準器にも、はっきりと敵のエンジンの熱が確認できた。
 アキトは、ためらうことなく引き金を落とした。
 
「敵機、後方から来ます!」
 メグミが叫ぶと同時に、ユリカは、スロットルを絞り失速ぎりぎりまで「なでしこ」の速度を落とした。そのままタイミングを測って横滑りする用意をする。
 だが、後上方に位置した敵機の攻撃はなかった。
 突然難破船で赤外線反応が発生し、そのまま敵機に向かって高熱源体が上昇していく。
「ユリカ、今のうちに!」
 突然、ノイズ混じり通信が「なでしこ」にとびこむ。
「アキト!?」
 敵機は、右に旋回しつつ急上昇し、大量のフレアをばらまいてミサイルをよける。そのままいったん高度をとって、「なでしこ」の周囲を旋回し始めた。
 と、これまで上方で周囲を警戒していたもう一機が、太陽を背に難破船に向かって降下する。
「駄目!!」
 ユリカは、機体を横滑りさせて旋回させようとするが、海面ぎりぎりの高度でのAC−130は、まるで陸に上がった鯨のように鈍重であった。それこそ、彼女にとって永遠にも近い時間が経過していく。
「105ミリ、いきます!」
「おう!」
 気合いの入ったリョーコの返事が返ってくる。
「ブレイク!」
 だが、降下しつつある敵機に105ミリガンハウザーの砲身が向かおうとした瞬間、ルリが絶叫した。反射的に機体を左に横滑りさせて、回避の態勢を取る。と、曳光弾の輝線が、一瞬前まで「なでしこ」がいた場所を駆け抜ける。
 いや、鈍い金属音と衝撃が、小刻みに「なでしこ」の機体に響き渡った。
「一番二番エンジン被弾」
「エンジンストップ! 燃料供給停止! 火災は!?」
「自動消化装置作動確認。大丈夫です。二番はまだいけます」
 即座に機体の状態を確認し、まだまだ飛行可能であることを確認して、ユリカは、はっとしてレーダーを確認した。
 降下しつつあった敵機は、そのまま難破船への攻撃コースにのっている。そして、今からでは、「なでしこ」はそれを迎撃できる時間はなかった。
「あきとぉ!!」
 ユリカの絶叫が全員のヘッドセットをうった。
 
「!」
 アキトは、上空で待機していた敵機がこちらにむかって突っ込んでくるのを確認して、ミサイル発射器をそちらに向けようとした。だが、敵機が太陽を背に突っ込んでこようとしているのを見て、あわてて海側へむけて走った。
 敵機の赤外線を感知して追尾するこのミサイルでは、太陽を背に突っ込んでくる飛行機を迎撃することは不可能なのだ。太陽の熱と光が、ミサイルのセンサーをバカにしてしまうし、飛行機の正面から発生する赤外線は、このミサイルが識別し追尾できるほどに多くは放射されていない。
 だが、このまま敵機の攻撃をくらって死ぬ気は、アキトにはこれっぽっちもなかった。ここで死んでは、念願の料理人になることはできない。
「うわぁあっ!」
 一旦舷側で立ち止まると、SA−7の発射器を両手で高々と掲げ、アキトは、そのまま何か訳の判らないことを叫びながら海にむかって跳んだ。
 
 大量の武器弾薬を搭載してきた難破船が、今にも大爆発を起こすのではないかと、「なでしこ」のクルーらは、息をのんでセンサーを見守っていた。
 だが、突然、難破船や「なでしこ」をあわやというところまで追い詰めていた敵機は、急上昇してこの場を離脱していく。
 何が起きたのかさっぱりわからないまま、全員は、呆然とそれを眺めていた。
「「なでしこ」「なでしこ」、こちら「ウラヌス01」「ウラヌス01」、危なかった、あとはこちらにまかせてくれ。オーヴァー」
「へ?」
 突然耳にはいってきた正体不明の通信に、ユリカは、なにが起きたのかさっぱり訳がわからないでいた。次の敵の攻撃を凌いで、せめて一太刀、と考えていた彼女にとって、突然の騎兵隊の登場はあまりにも現実感に欠けているように思えたのである。
 だが、彼女が呆けていたのも、それ程長くはなかった。
 即座に高度をとり、一旦この空域を離脱する。それから、搭載されているレーダーと前方赤外監視装置で、周囲の空域や海域をスキャンし始めた。が、確認できるのは、今しがた離脱した二機の敵機だけであり、他には何も見つけることはできない。
「機長、右舷二時方向100キロ、高度3000メートルに、赤外反応二つ! 多分、今の通信の主です!?」
 細心の注意で前方赤外監視装置のCRTをのぞいているメグミが、真っ先にその機影を発見した。やはり、彼女もプロであることに変わりはない。
「なんか、ずいぶんちっちゃくてぼんやりしていますね」
 モニターに映るその画像は、あまりにも弱く小さかった。
 と、ぽつりとルリがつぶやいた。
「これ、この前、見ましたよ」
「え?」
 皆が息をのむ。
「ほら、あの、海上自衛隊の試作戦闘機と反応がそっくりです」
 
 彼女は、始めての実戦になるにも関わらず、自分がまったく動揺していない事に心の片隅で非常に安堵していた。常にその時の事を考え、いついかなる瞬間でも大丈夫なように覚悟をしてきた。だが、やはり実戦は何かが違った。
 ほとんどパイロットの全身を埋め込むような構造になっている耐Gシートの、右側のアームレストにつけられているサイドスティックをほんの少しだけ起し、スロットルを入れてアフターバーナーを吹かし、右上昇旋回に移る。このVFSXの機体後部の二基の北崎NJ−151Aタンデム・ターボファンエンジンが、最大で合計32トンにもなる推力を発揮して機体を楽々と急上昇させる。瞬間で9G、持続でならば12Gの過重の空戦機動を可能とするだけあって、まったく彼女の身体に負担はかからない。
「ネプチューン・ベースよりウラヌス・リード、国籍不明機に対する全兵装使用を許可する。目標を領空外へ退去、もしくは撃墜せよ。……海保の撫子を助ける白馬の騎士ね、がんばって。オーヴァー」
 僕も女なんだけどね。
 彼女はそう独り言ちると、沖縄本島近くで哨戒飛行を行っているE−767早期警戒管制機からリアルタイムで送られてくるデータを元に、機体を敵の後上方につけるべく機動させる。と、すぐに前方赤外監視装置が敵の姿をとらえ、サンバイザーと一体化したディスプレイにその情報を投影する。同時に、周辺空域の味方機の情報も映し出した。
 海上保安庁のAC−130Jは、魚釣島の周囲をそれでも律義に周回しつつ地上部隊を守っているつもりらしい。さっきの飛び方から見ても、その機長がタフで粘り強いパイロットであることが見て取れる。そして、敵のパイロットも、かなり攻撃的で慎重で有能であることも。
 彼らは、こちらがわざと発したミサイル照準のレーダー波を感知すると同時に、思いきりよくAC−130Jの撃墜をあきらめ、急上昇して高度を稼ぎにはいっている。しかも、上手くこちらのふところに飛び込めるように、旋回機動を行いつつ、接近してくる。向こうのレーダーでは、遠距離ではこちらの機影を捉えることができないから、前方赤外監視装置と目視でなんとかするつもりなのであろう。
 今のところはこちらが有利な態勢にいるが、使える武装が20ミリバルカン砲と二発のXAAM5赤外画像誘導格闘戦ミサイルだけなのが、懸念であった。
 彼女は、自機の左後上方を飛んでいるウイングに通信を送った。
「ジュピター03、ジュピター03、まず僕が敵のリードを墜す。そこでリードを交代して、君が敵のウイングを墜す。いいね」
「了解。さっさと片付けて、基地へ戻りましょう」
「うん。向こうはレーダーではこちらを捉えきれないから、ありがたいことに格闘戦に持ち込もうとするだろう。こっちの武装が試験用なのが悟られないうちにケリをつけよう」
 彼女は、あくまで上方を譲らず、敵機の上八時方向からかぶさるように突っ込みをかける。
 そして、ぐんぐんと敵の機体が大きくなっていき、そのシルエットが彼女の目に見えてくる。
「Su−37!?」
 翼に、国籍マークはなかった。
 彼女は、HUDの照準器に敵機を捉えようと小刻みに機体を操りつつ、着実に接近してゆく。そして、敵の姿が照準器のレクチル一杯になった時、そっと20ミリバルカン砲の発射ボタンを撫でようとした。
 と、その瞬間、敵機の姿が突然キャノピー一杯に大きくなり、すぐに目の前から消える。
 はっとして反射的にスロットルを入れ、上昇旋回して間合いをとろうとした。同時に、レーダーを発振して敵の姿を探す。とたん、敵が後方からロックオンしたことを知らせる警報音がコクピット内に響き渡った。
 このVFSXは、機首と機尾の表面にレーダー発振素子を埋め込んで全周を捜索可能なようになっている。アイボールセンサー、つまりは眼では追うことができなくなりはしたが、VFSXの電子の目から逃れることは、よほどのことがない限り不可能に近い。相手は、どうやらこちらの真後ろの真下に占位したようである。
 敵機は、こちらが射撃に入ろうと直線運動に入ったその瞬間、機体をわざと失速させてこちらをオーバーシュートさせたのだ。プガチョフコブラやクールビトといった、西側のほとんど全ての戦闘機には不可能な超機動を自在にこなすSu−37だからこそできる荒業であった。
 だが、超機動を得意とするのは、Su−37だけではなかった。機体後部から上方と下方に斜めに伸びる四枚の尾翼と、台形の主翼の前の同じく台形のカナード翼を使うことで、このVFSXもCCVとしてかなりの無茶が可能なのである。元々、南支那海の洋上でSu−37からオイルロードを守るために開発された機体なのだ。総合的な機動力は十分敵を上回っているはずであった。
 まず、スロットルを開いて軽くロールをうち、上昇左旋回で敵の機関砲の射線から逃れる。そして、全力でECMをかけ、チャフとフレアを同時にばらまきながら、インメルマンターンをうって敵の上方に移動する。機体のすぐ下を、二発のミサイルが飛び去るのがレーダーに映る。
 それから、機体の左右合計四か所の短距離陸垂直着陸用のベクータドスラスターノズルをを開き、機体全部で八枚の翼を操って機首をSu−37に向けた。そのまま、まるでMBTが荒れ地を最大速度で機動しつつも主砲を敵からそらさないように、機首を相手に向けたまま横滑りし、二発のXAAM5を機内の弾倉から同時に発射した。
 Su−37は、そのままチャフとフレアをばらまきながら、右降下旋回に移って一旦距離を取ろうとしている。だが、21世紀をにらんで多目標同時要撃能力を持つ近距離格闘戦用ミサイルとして開発されたXAAM5は、モノパルスレーダーと慣性誘導によって敵に接近し、赤外画像とレーザーによって敵を捕捉し、命中するシステムとなっている。その程度のECMでは、とても回避しきれるものではなかった。そのままチャフのカーテンを突っ切って敵機にむかって近づいていく。
 と、Su−37は、主翼に搭載している格闘戦用ミサイルを発射した。ミサイルは、一旦機体の前方に飛び出すと、そのまま180度回転して、後方から近づくXAAM5に向かっていく。だが、迎撃ミサイルに対する回避アルゴリズムを搭載しているXAAM5は、激しく機動してそれを回避しようとした。さらにミサイルは、弾頭の近接信管を作動させて爆発したミサイルの破片でXAAM5を無力化しようとする。
 だが、それで撃墜できたのは一発だけであった。誘導部とセンサーを炭素繊維によって守っているXAAM5は、それこそ30ミリ級の機関砲弾の直撃でも受けない限り、撃墜することは難しい構造となっている。
 XAAM5は、そのままSu−37のエンジンノズルに直撃し、爆発した。
 パイロットは、脱出できなかった。

 

 
 残ったSu−37が領空を脱出し、戦闘は終了した。
 だが、「なでしこ」の戦争はまだ終わらなかった。とにかく那覇空港までエンジンをだましだまし飛び、どうにか着陸したときには、それこそ全員が冷や汗でどろどろに濡れそぼってしまっていた。ありったけの弾薬や消耗品を海に捨てても、たった二基のエンジンでは、飛ぶので精一杯であったのだ。
 疲労困憊した表情のユリカを横目で見ながら、ジュンは、これから自分の戦争が始まることの予感めいたものを感じていた。それこそが、自分がここにいる理由なのであろうから。空での戦いは、この勇敢で底抜けに陽気で魅力的な女の子たちにまかせておけばいい。そして、自分は、直接弾が飛び交うことのない、だがそれだけによほど陰険で危険な戦場で、自分にしかできない戦いをこなさなければならないのだ。
「ジュン君」
 こうした、ある種のヒロイズムに浸っているジュンに、突然ユリカが話しかけてきた。「なでしこ」のコクピットには、今は彼と彼女の二人しかいない。ヘルメットを脱いだ彼女は、疲れた表情をしてはいたが、だがそれだけに年齢相応に美しかった。
「すごいね。パニックも起こさなかったし、最後まで気絶しなかったね」
「うん?」
「初めて軍用機に乗って、実戦を経験して、でもまだ戦えそうな表情をしている」
「……ああ、これからは、僕の戦争だから」
「うん」
 わずかに互いの視線と視線が絡み合い、どちらともなく微笑みが浮かんできた。
 もっとも、二人のいい雰囲気は、長くは続かなかった。コクピットのむこうで、海上保安庁の大型ヘリが着陸し、中からSSTの隊員達が降りてきたのだ。そして、当然その中には、アキトもいた。
「あ、アキトだぁ!」
 ユリカは、今さっきまでの事はけろりと忘れたような表情で、ハーネスを外して外へ飛び出していく。ジュンは、呆然とそれを見送ると、ゆっくりと自分のハーネスを外し、コパイシートから立ちあがった。たいしたことはしていないはずなのに、足元がふらつき、まともに歩けそうもなかった。なんとかシートの背もたれに両手をついて不様に倒れ込むのだけはふせぐ。
 突然、どうしようもないほど愉快になって、ジュンはAC−130Jの天井を見上げた。
 そのままコクピットの床に座り込み、大の字になって寝ころがる。
「いいさ、時間はあるさ」
 そんな彼の呟きを、貨物室の電装関係のチェックをしていたルリだけが聞いていた。
 そして、ちょっとだけチェックの手を休めると、彼女はため息でもつくように一言つぶやいた。
「ばかばっか ……あたしも、かな」
 
 一連の戦闘は、マスコミで大きくは取り扱われなかった。
 謎の密輸船が尖閣諸島に漂着し、それを臨検しにいった海上保安庁の武装保安官と銃撃戦が発生した。同時刻、国籍不明の攻撃機が二機領空を侵犯し、自衛隊と海上保安庁が合同でこれを退去させた。それだけであった。
 事件から二週間後、ジュンは、瀬名尾警備救難監のオフィスに立っていた。
「結局、上海系と北京系の内部抗争のとばっちりであったわけですね。あの密輸船の騒動の大元は」
「そうだ。北京系の情報が元であった。上海系は、今は大陸での覇権を掌握しているが、しかし、全体を見渡すならば、それはごく一部のことでしかない。そして、彼らは基本的に法を守るつもりはかけらほどもない民族であり、儲けられるならばどんなことでもビジネスにしてしまう」
「それが、密輸しようとしていた武器と麻薬なのですか?」
「ああ。彼らにとって、強い日本というのは悪夢以外の何物でもないからな。なんとかして混乱を発生させ、東南アジアに出ていくのを遅らせたかったのだろう。一つの行動に複数の理由が存在することは、決して少なくはない」
 瀬名尾は、わずかにみじろぎすると、ジュンの眼を正面から見つめた。
「それで、これは君かね?」
 そのまま、新聞の朝刊を彼の前に放ってよこす。
 そこには、親中国系で有名な与党の政治家が、大量のリベートを取って政府の公共事業のあっせんをしていたことを理由に逮捕されたことが、一面トップに掲載されていた。ジュンは、なんということはない、という表情で、平然とそれを無視してみせた。
「偶然でしょう? この先生が、今回の件で大きな役割を果たしていたことは、証拠はあがっていませんし、確定したわけでもないです。それに、僕は一介の税関部の審理官にすぎません」
 瀬名尾は、黙って唇の片方をゆがめると、手のひらをわずかに動かしてジュンを退室させた。
 彼が出て行ってから、瀬名尾は一言つぶやいた。
「やるではないか」
 
 相変わらず、那覇はうだるような暑さであった。
 ジュンは、とぼとぼと那覇飛行場を海上保安庁のハンガーに向けて歩いていた。管区本部で車を借りようとして、結局一台もなかったために、こうしてまた歩いて「なでしこ」にむかって歩かなければならなくなったのだ。
「僕って、ばかばか」
 下着まで汗でしとどに濡らしながら、ジュンはぽつねんと滑走路わきに立ちすくんだ。
 と、クラックションが鳴らされ、彼が振り向くと、そこにアキトが乗った川崎のオフロードバイクが停まっている。
「大丈夫ですか?」
「え? ああ、大丈夫ですよ」
「やっぱり、「なでしこ」まで?」
「君も?」
「ええ。島流しです」
「ああ、それならば僕と同じだ」
 しばらくそうして二人は黙って相手の顔を見ていた。
 と、どちらともなく、笑いがこみ上げてくる。
 結局二人は、そのままげらげらと笑い転げていた。もし、ルリが乗った補給用のトラックがそばを通らなかったならば、二人はずっとそのままこの炎天下の滑走路わきで笑い続けていたかもしれない。それこそ熱射病か日射病で倒れるまで。
 ルリは、助手席からそんな二人にちょっと視線を走らせて、一言つぶやいた。
「ばか」
 けれども、その声の調子は、ちょっとだけなにか別のものが混じっていた。そして、それが自分でもわかったから、彼女は、トラックを停めて二人を連れていくことにしたのだ。
 「なでしこ」へ。

 

FIN


 あとがき もしくは、なにがしかの雑感

 こんばんわ、おひさしぶりです。金物屋忘八です。

 この作品は、前に「エデンの黄昏」の50万HIT記念に投稿するつもりで書き始め、結局自分の筆が遅いために投稿することができなかった作品であったりします(笑)。まあ、なんとか書き上がりましたので、いまさらですがなおお姉様に甘えさせていただく形でこうして掲載させていただくことができました。

 この場を借りまして、なおお姉様にお礼を申し上げるしだいです。

 さて、この話は、「エデンの黄昏」の「井戸端会議室」で、「たかちほ掲示板」の管理人でもいらっしゃる島津義家さんとの馬鹿話を元ネタにしております。といいますか、私が「機動戦艦ナデシコ」というアニメーションにはまってしまったのも、島津さんの陰謀のおかげであるという(笑)。

 まあ、そういうわけでもありますので、この作品は、あらためて島津さんに捧げさせていただきます。いえ、いらないといっても無理矢理押しつけますから(爆笑)

 さて、話は変わりますが、現在連載しているところの「サイレント・エヴァ」につきましても、何も考えていないわけではないのです。近々さっさと書き上げて、投稿させていただくつもりですし、もしかしたならば、海上保安庁と自衛隊の共同作戦などという、気の狂った話も各かもしれません(爆笑) ちなみにこのネタも、島津さんとの馬鹿話が大元という(笑) いけませんな、自分でネタを考えないのわ(自爆)

 で、ちょっと話は変わりますが、この「なでしこ」の話に、「ナデシコ」のキャラクターではないキャラが出てきたのにお気づきでしょうか? もしかしたならば、これからじわりじわりと出てくるかもしれません(笑) いやいや、人間、一度はまった中毒から逃れることは難しい、ということですな(笑)

 それでは、そろそろお暇いたします。

 では、また機会がありましたならば、も一度お会いいたしましょう。

 でわ。



金物屋忘八さんへの感想は、こ・ち・ら♪   
そして金物屋さんのぺえじ「楽描工廠」はここ   


管理人(その他)のコメント

カヲル「ほんと、ばかばっか」

アスカ「ばかはあんたよ! なにほかのアニメの台詞パクってるのよ!」

どかっ!

カヲル「あう・・・いたいじゃないか。そういう風に暴力的な人は嫌われるよ。いろんな人に」

アスカ「ふん、あんたにはいくら嫌われたって毛ほども痛みを感じないわ」

カヲル「シンジ君が君のことを嫌いになったら泣き叫ぶくせに・・・」

アスカ「はぁ? アタシがどうしてあんなやつに嫌われて泣き叫ばなくちゃいけないのよ」

カヲル「ふーん。じゃあ君がそう言ってたってシンジ君に言っておくよ」

アスカ「・・・・いえるものなら言ってみさないな」

カヲル「そうやって自分を偽って、それを糊塗するために証拠を隠滅するのはよくないよ。その手に持った猿ぐつわと荒縄とスコップはなにかな?」

アスカ「ちっ・・・ばれたか」

カヲル「きみもユリカ君だっけ? のように素直に愛情を表現できればいいだろうに。まったく、屈折した性格って言うのは救いようがないね。どこでどうここまでみごとにねじ曲がったんだか・・・・」

アスカ「・・・・・」

カヲル「ほらほら、そこ、まただまって荒縄を取り出さない」

アスカ「うるさいわね! 全くあんたは! 一度尖閣諸島上空から地上に投げ落とすわよ!」

カヲル「甘い甘い。ほら、僕は君と違って多少器用だからね。それくらいじゃ死なないよ」

アスカ「・・・・それを器用っていうの?」

カヲル「・・・・僕のことを待ってるシンジ君もいることだしね」

アスカ「なんですって?」

カヲル「いや・・・・だから・・・・僕のことを待っているシンジ君がって・・・・だから、そこで荒縄を出さない!」

アスカ「もう我慢の限界だわ! あんた縛って飛行機に縛り付けて灼熱の滑走路引きずってやるわ! 覚悟なさい!」

カヲル「まったく、こらえ性のない人はこれだからむぐむぐむぐっ! むが、むがむがぁぁああ!!」

アスカ「黙りなさいよ! 猿ぐつわかませないじゃない!」




続きを読む
分譲住宅へ戻る